ハーバート・リードの教育モデルについて

 お、おもしろい…!ハーバート・リードの『芸術による教育』は一冊の本が、まるで調和のとれた優れた芸術品のように秩序立った構造になっているんですが、こんな本を第二次世界大戦中に2年足らずで書いてしまうとは、なんて人だ。

 ハーバート・リードについては、私は『自伝』も持ってるんですけど、第一次世界大戦に士官として従軍、塹壕の中に本棚を置いて読書してたり、ドイツ兵の捕虜に「ねえ、ニーチェって本国の人から見てどうなの?」と尋ねたり、とにかく読書馬鹿(笑)。
 ロマン主義的な詩を書いていただけあって、すっごいロマンチストかつ理想主義者で、戦争で例え敵でも人を殺すことができなかった人。
 パブリックスクール出の将校が、労働者階級の部下をいじめてるのを見て、いけないな、と思いながらも、自分も怖くて敵国の学者が書いた論文を隠したり…
 この人自体は結構自分が指揮する小隊の兵士に好かれてたみたいですね。いい人そうだもん。ちょっとぼんやりしてるけど。

 話がそれましたが、何が面白いかって『芸術による教育』の「第7章――教育の自然な方式」の「12中等教育」です。
 リードは「学校教育の基本は美的であるべき」として学校のカリキュラムを演劇、デザイン、ダンス、工芸の四つの美的な活動に、かなりラディカルに再分類しちゃったんですけど、つまり子どもの自然な発達には、「理性」だけでなく、美的な造形感覚に基づく「感性」も重要で、その理性と感性のふたつが調和がとれた時こそ、子供の自然な発達であるという考えなんです。
 そのあるべき精神的な統合は、一方的に教師の言うことを聞いているのではなく、極めて子どもの自主性と創造性を重んじた、「芸術教育」によってのみなされると持論を展開し、そこは私、芸術マニアではないんですけど(「お前ら凡人とは違う」とか言う作家ぶった人嫌いだから)大いに納得できるんです。

 すごいのは、彼の言う「芸術教育」のスケールの大きさで、すべての教育(全教科、道徳、特別活動も)は芸術的な活動に収れんされると言っているわけです。
 これは他の教科より図画工作や美術がすごいって言ってるわけでは決してないんです。そんなこと言ったら、他の教科の先生いい気持しないでしょう。大丈夫です。もっと図々しくて凄いこと言っているから。

 リードの言っている「芸術教育」とは決して現在行われているような「図工」などの、いち「教科」ではなく、「学校教育全体のありかた」なんです。
 数学も理科も社会も体育も、全てが芸術的であるような教育システムってことなんです。
 だからリードの中等学校(イギリスにおける中学校にあたるもの。イギリスの教育カリキュラムは日本よりも多様)のシステムの案はすごい(笑)。
 
 これまでその自身の理論を、他の研究者の引用や批判で補強しながら、かなりのページを割いて述べてきたんですけど、とうとうここに来て「具体的なモデル」を提示してきた。
 それが、もうぶっ飛んでて面白い。校長をもとに、四人の「方式教師(このネーミングセンス最高!)」を置いて、演劇、デザイン、音楽、工芸という四種の主要な活動をそれぞれ担当させます。その「方式教師」の下に、それぞれ複数の「助教師」を置き、彼らが学級のグループの先頭に立ち、グループのまとめ役になると。
 例えばデザインの方式教師の下にいる助教師は絵画の先生が、工芸の方式教師の下には科学の助教師、音楽の方式教師にはリトミックの助教師、演劇の方式教師には文学の助教師などがそれぞれ就くわけです。

 …こんな組織どっかで見たな…軍隊じゃん!
 あんなに全体主義国家を非難し、それは知識のみを詰め込む、子どもの自然な発達を阻害する、現在の教育システムのせいだ!と新たな教育モデルを模索したのに、なんでヒエラルキーぽいシステムを作っちゃうんだろう?
 これは、大学の先生に絶対聞かなければいけない。明日のゼミで尋ねてみます。どういう解釈を先生が提示してくれるか…ではまた明日!

ポストモダン思想の重大ミス?

 毒舌でおなじみ、ビートたけしさんが著書でこんなようなことを書いていました。「チーマーとか作ってつるむの奴ってのは大抵馬鹿なんだ。賢い奴はチーマーなんてやらない。できるわけねえんだ。絶対数が少ないんだから」
 このたけしさんの話を、大学の先生に私が引用したら先生も爆笑していたなあ。

 なにが言いたいかというと「本当に賢い人って全体の一割くらいだ」ということです。
 「んなことないよ!なにをもって"賢い”って言うかだってわからないじゃん!」…そういった意見も出るでしょう。ごもっともだと思います。
 でも、ちょっとそう仮定して話を進めさせてください。

 浅田彰さんは「カントが真善美という概念(真理)にメスを入れて解体しちゃったのが近代で、誰もが共有できる価値観は、現在消失してしまった」とポストモダン思想を論じているのですが、私が思うに「誰もが共有できる価値観」なんてもともと無かったんじゃないか?と思うんです。

 古代ギリシャから近代まで、学問に没頭できた人はある特権階級の人のみで、そういう賢い人たち”だけ”で、学問の世界は成り立っていたからこそ、「おれたちの真理は共有できる」と己の哲学の普遍性を疑わなかったのではないでしょうか?

 それが現代(近代以降)になって、かつては学問とは無縁な大衆も、義務教育で半ば強制的に教養を叩き込まれることになった。でもほとんどの人が、そんな日々の生活と切り離されたどうでもいいことに興味もない人種だから、賢い人が考える価値観なんか理解できない。

 それを「近代以降、普遍的な価値観はなくなっちゃったよ~」と賢い人が勘違いしているだけなんじゃないかと思います。もともと古代から中世、近代も民衆は無知で日々食っていくので精いっぱいで、普遍的な価値観なんて小難しいこと共有できてなかったですって。

 んで、ポストモダン思想もソクラテスのように「やっと"知らないってこと”を知った」くらいで留めときゃよかったんですよ。「今まで普遍的な真理だと疑いもしなかったものが、幻想である可能性を知った」と。
 大きな矛盾は「普遍的なものは何もない。だから何でもありで自自由に生きよ」なんて価値観だって共有できない、というパラドクスに陥っちゃうってことです。
 「それ(普遍的な価値観はないというテーゼ)がポストモダン思想の普遍的な価値観です」って言っちゃうと、「じゃあ普遍的な価値観あるじゃん」って言われてしまう。
 「ポストモダン思想の考え方も共感する人だけが使えばいい、選択肢の一つだよ」ってことなのかな?

 だとしてもそんな思想、やわにも程がある。今こそポストモダンなんて甘ったるい思想から脱して、もう一度普遍的な価値観を模索するときなんじゃないんですか?
 私、構造主義のレヴィ=ストロースやフーコーとか結構好きなんですよ。思考の仕方がなんとも科学的で。ただ、彼らの流れを汲む、現代思想の結論が最終的に「価値は相対的」というポストモダン思想ってのが、おかしい!どっかで狂っちゃったんだと思います。

 そもそも科学だって「主体と客体は不可分だ」という近代以降の哲学と同じ結論に達しているんです。
 カオス理論、不確定性原理、量子の観測問題・・・科学のような哲学と、哲学のような科学がリンクしうるという、大変興味深い時代に生きていることに、私はワクワクしています。 

原著から読むな

 なんかしょうもない新書本のタイトルみたいですが、これが私の近現代思想を学ぶ上で最も効率のいい方法だと思います。
 つまり哲学者になるわけじゃないんだったら、いきなり哲学者が書いた小難しい原著を無理して読み解くのでなく、概要をかいつまんだ、決して論文の参考文献欄には書けないであろう、『図解雑学』あたりを読んでから、原著にチャレンジしたほうが、彼らの思想のスタンスがとってもイメージしやすいんです。

 私は恥ずかしながらハイデガーの『存在と時間』(翻訳本ですが)を一生懸命読んで、でもその内容が、小難しい文章の割に、思ったほど大したことなくて「こんなこと俺だって思いつくよ」などとたわけたこと言ってた時があったんですが、でもしばらくして「ハイデガーの生きてた時代を考えてみると、あの当時、これを書いたのはすごかったのかも」と反省したんです。
 
 どういうことかというと、生意気な私は、ハイデガーを現代の科学や思想と同列に比べていて「ああ、大したことないな」と言ってたんです。
 つまり「歴史」という観点がすっぽ抜けていた。この歴史という観点が、あるのとないのとでは、近代の哲学を理解するのは大違い。
 「この哲学者が生きていた当時はこういう思想が流行っていて、しかもその時代にはこういう事件や戦争があって、だから、この人はここをこう批判したんだ!」ってなるわけです。

 つまりその哲学者を取り巻く当時の状況(横軸)と、その哲学者がそのような哲学に至った歴史的経緯(縦軸)を理解すれば、けっこう難しい哲学も原著だけ読むよりははるかに入ってくる。
 『図解雑学』のような概要本の優れた所は、一冊の中に何人も哲学者が時代順(これが重要)に載っていることです。これはハイデガーの本だけ読んでも、見えてこない哲学史の流れが見えてきます(ハイデガーも自身の著書で多少ほかの哲学者、カント、ヘーゲルなどを引用しますが、哲学史の概要なんてものはもちろんありません)。
 んで哲学は、先人の影響、もしくは批判から新たな哲学が生まれるので、ドゥルーズを評価するのも、それ以前の哲学を知る必要があるし、彼が生きていた時代も学ばなければならないんですよね。当たり前なんですけど。

 さて、そのように近現代の哲学、思想の連鎖を傍観してみると、私は「近現代の思想の歴史って、主観を疑い続けて、その裏にある構造(システム)を見つけ、客観重視の科学の思想に近づき、最終的に科学と合流したのかな?」って感じがします。
 哲学史と科学史どっちも詳しい人がいたら、ぜひそういった本を書いてほしいところです(天才、佐倉統さんがちょっとやってくれてますね。ありがたや)。絶対リンクしてる所あります。
 ただ、それ(近代思想と科学思想)が(例えば、海を挟んで隔てられた別の大陸の動物が収斂進化をしてたまたま似たような)関連性が薄いが同じ時代を共有したことで、結果的に似てしまった現象なのか、二人三脚のように、近代思想と科学思想が積極的に相互作用してきたのかは、私にはまだわかりません。
 哲学の本には科学のことなど書いてないし、科学の本には哲学のことなど書いてないんです。
 
 暇があったら私がやってみようかな。エントロピー間違える、馬鹿なりに。

遊牧民になんてなれない

 浅田彰さんの話ばっかでごめんなさい。
 でも、この人の言ってることわかりづらくて…大雑把にしか分からないんです。

 『構造と力』は哲学書としては異例のベストセラーになった本のようですが、かつて読んだことのある人でこういう人がいます。
 「あの本簡単で分かりやすいですよ。レヴィ=ストロースやラカンやデリダの原著に比べればずっと。」
 確かに原著に比べれば、そうなのかもしれませんが私はあえてこう言います。
 「そんなに簡単なら素人にもわかるように説明してよ」と。しかし、それをしてくれる人がネットの書評ページでは皆無なんです。だから胡散臭くて…

 たとえば浅田彰さんの『逃走論』。あれドゥルーズの「ノマド」とかが元ネタだと思うんですけど、絶対納得できませんよ(こっちの本は読んでませんが。すいません)。

 ドゥルーズが考えた「リゾーム(地下茎型構造)」まではついていけるんです。人間のふるまい、社会の制度や構造は、単純で秩序だった木の形をしているようなもの(絶対主義)ではなく、もっと複雑で分岐し、絡み合う中心(主根)のない根っこ(相対主義)に近い、というドゥルーズの考え方は面白いと思いますが、だからと言って近代資本主義のような秩序立ったシステムをほっぽり投げて、欲望に任せた遊牧民(ノマド)みたいになれって、いくらなんでも無茶苦茶です。

 そういうことじゃないと思うんです。「欲望に任せて生きよ!」なんてこの人に言われなくたってみんな充分欲深いし(おい)、常にもっといい生き方や方法があるんじゃないかってみんな悩んで葛藤してると思うんです。
 これはシステムを放棄して自由になりたいんじゃないんです。嫌な人間関係や共同体、社会、組織を放り投げて自由になったって、社会的動物である人間は生きてはいけない。
 じゃなくて、新しい、もっとみんなが幸せになれるシステム、新たな価値観を模索しているんじゃないんでしょうか?

 遊牧民なんて、私やれませんよ。無理です。遊牧民の人だって、遊牧してるなりに喜びや苦労、葛藤を絶対抱えてますって。モンゴルの人にノマドの話したら「ドゥルーズよ、馬鹿にするな。おれたちの暮らしは楽じゃない!」って怒られますって。

 そんなに遊牧がいいならドゥルーズさんは遊牧したんでしょうか?もししてないなら、椎名誠さんのがずっと偉いよ。
 え?「座ることが、最高の旅?」ふ、ふざけんな~!(笑)

エントロピーについて

 エントロピーについて誤解をしてました。詳しく言えばエントロピーにおける「秩序」と「無秩序」の言葉の使い方を間違っていました。浅田彰さんすいませんでした!でもあの本も書き方が悪い(反省してねえ!)。

 「エントロピーの増大」とは、熱い熱湯がほうっておけば、自然に冷めて水になるような現象です。
 例えば熱湯と冷たい水を同じカップに混ぜて入れればぬるま湯になりますが、ぬるま湯から自然に熱湯と水に分かれることはありません。これを「時間の矢」といい、一方向のみの方向性が生まれたことになります。
 これは熱湯のエントロピーが増えて、ぬるま湯と言う「熱的平衡状態」になったということです。ここまでは理解できたのですが。

 私は

 熱湯・・・熱がある=分子が激しく動いている=無秩序
 ぬるま湯・・・熱的平衡状態=安定した系=秩序

 と解釈してしまったんです。

 でも実際には全く逆で、熱力学では熱湯がぬるま湯に向かう事を「無秩序化」というそうです。う~ん・・・私のイメージでは違和感が・・・
 となれば現象はどんどん無秩序に向かって進んでいくはずですが、その中でも安定したシステムが存在します。それが生物です。
 たとえば生物はエネルギーを使って浸透圧と真逆なことをする「能動輸送(ナトリウムポンプ)」を行ないます。
 これは自然現象の時間の矢とは全く逆の現象で、浅田氏はこれを「ネゲントロピー」というのです(元ネタはシュレーディンガー)。生物を「エントロピーの海に浮かぶネゲントロピーの小島」とか言って例えています。
 
 でもエントロピーが低い状態(秩序状態)を恒常的に保つシステムって言うのも生物以外に結構あります(生態系、天体、太陽、宇宙)し、低エントロピーを作りだすことも出来るっちゃ出来ます(湯沸かし器で熱湯を作るとか)。
 
 確かにこの世に存在する物質丸ごと=宇宙レベル(これを全系と言います)でみれば、「秩序→無秩序」という大きな時間の流れは存在し、それに抗う事は誰にもできません。
 部分系で見れば、ネゲントロピーだ!って存在も、結局はエントロピーに巻き込まれているのだから、浅田さんの「ネゲントロピーの小島」の例えはうまいかもしれない。
 湯沸かし器を作る人も、それでお湯を沸かす人もいずれは死んでしまいますから。

 問題は「なぜ世界が過去から未来へ一方向に進むのか?」と言う事ですよね。これを私は「どっちか一個だけ問題」と考えてます。
 アミノ酸の構造は光学異性体で二種類あるのに、生物が使っているのはほとんど片方だけとか。
 物質と反物質が出会うと対消滅して真空になっちゃうのに、なぜかこの世界は反物質より、物質の数のが多くて物質の世界になっているとか。
 なんで重力って上から下に落ちるだけで、下から上に落ちないのか?とか。
 ・・・例をあげればきりがないんですけど。これがつまりは益川さんらが研究した私たちの世界、「対称性が破れている世界」なんですよね。
 でも対象性がないからって「いびつ」ってわけじゃなくて、意外と一つの方向性で秩序だっているとも思うんですけど。

 「世界は無秩序に向かう!」なんとも終末思想っぽくて響きがいいですが、『ジュラシックパーク』で出てきた「カオスの秩序(無秩序化するシステムにも秩序構造が存在する)」とか、「カオスの縁(カオスになるぎりぎりで適応度がMAX)」とか読んじゃうと、「カオスの系すら秩序的で美しいじゃないか」って思っちゃって。
 今回の誤解はどうやら、そこからの様です。ご迷惑をおかけしました。
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