『知られざる日本の恐竜文化』②

 この本が『オタクはすでに死んでいる』と似ている点はオタクにヒエラルキーを設けたことだろう。
 金子さんは恐竜マニアをランク付けしているんだけど、これがすっごい。恐竜展に必ず足を運び、恐竜図書を読みあさり、海外へ恐竜発掘体験ツアーに出かける程度では恐竜者としては初歩の初歩なんだって!言いきりましたね。金子さん。
 こういった市販の二次、三次情報の収集に満足している受動的な恐竜ファンは、どんなに恐竜の名前やデータを暗記していたところで、ポケモン・マニアと変わらない!(105ページ)すげえ!海原雄山みたいだ!

 私には、恐竜展に必ず足を運び、恐竜図書を読みあさり、海外へ恐竜発掘体験ツアーに出かける・・・ってレベルで相当能動的なオタクって気がするけど、金子さんに言わせれば海外の一次資料(研究論文)に自力で当たってはじめて、恐竜ファン第一段階から卒業できるかどうからしい。

 恐竜が人生と一体化してくるようでなくては恐竜オタクは務まらないとも言う。恐竜について調べることを邪魔立てするものは何が何でも排除する!そんなイカれた気持ち悪いレベルになって初めて金子隆一に認められる恐竜オタクになるのである。う~んオタクの道は厳しい!そしてそんなヤバい人には私はなりたくない・・・
 私は結局金子基準では第一段階にもいかないし、金子さんのように人生全てを恐竜に捧げている人なら、テレビや恐竜展の(素人から見れば)些細なミスが腹が立って仕方がないのだろう・・・

 テ・・・テタヌラ下目・・・!?ムキ~~~~~!

 みたいな(リンネ式分類と分岐分類をごっちゃにしている)。

 ・・・とこのような具合に、この本にはネット掲示板ばりの金子さんの恨み辛みがたくさん刷られていて、ただでさえ絶対数の少ない恐竜ファンがひいちゃってさらに減るような気もする。
 とはいえ、金子さんは過去に二度、専門的な恐竜の雑誌を手掛けて恐竜の啓もうを試みたけど、それでも恐竜を取り巻く状況は向上せず、恐竜博に足を運ぶのは相変らず志の低い恐竜ファンどまりの人ばかりだったんだから、愚痴の一つも言いたくなるのは仕方のないことなんだろうな。

 でも恐竜どころか日本では科学雑誌すら売れないんだから、これはもう恐竜だけ考えてもどうしようもない話だよね。
 科学に興味がないこの国で恐竜がけっこう好かれているのは、結局「科学的な恐竜」よりも「文化的な恐竜」を大衆は求めているということだし、後半で金子さんが絶賛する恐竜模型や復元画のアーティストも文化的な恐竜を高いクオリティで提供しているだけで科学とは異なるものでしょう。

 では科学的な恐竜とは何か?って問うた時、やはり金子さんも言っているようにそれはもはや地質学の一分野どまりではなく、総合科学になってしまう。恐竜ルネサンス以降、恐竜学は生態学的にも研究されるようになったし、いまでは生化学や物理学、医学なども積極的に導入されている。
 だから恐竜について知ろうとすれば知るほど、地質学はおろか、進化、生理学、生態学、動物行動学、物理学・・・と様々な知識が要求される。
 そうなると恐竜の研究論文だけを読みあさっていては、それはそれで一次資料を能動的に読んでいるだけのポケモン・マニアと変わらないとも思うし、他の分野の研究論文も追っていくとなると、もはやそれは恐竜オタクと言うか博物学者の復活だ。

 とはいえ、そんな無茶な金子基準も今はネットの普及によって実現可能な気もする。
 たとえば、金子さんの昔の本では国会図書館の利用法について巻末に書かれていたことがあった。日本においてネットがここまで普及する以前は、恐竜の論文はそこで(職員に長い時間待たされながらも)借りるしかなかったのだ。後は海外の恐竜サイトに飛ぶとか。

 あとは恐竜について知識だけでは飽き足らずプロのように研究せよってことだけど、そんなの金子さんだってやっているのだろうか?たとえば論文を執筆するとか。
 金子さんが何年も前から異常に支持する「ダイノバード仮説」や「D”層浮上恐竜絶滅説」は、どうにも今の学会ではそこまで支持されているようにも思えないし(金子さんと本を書いたこともあるイラストレーターの北村雄一さんはそのどちらにも否定的だ)、オルシェフスキーのダイノバード仮説(鳥が恐竜になったという説)なんて論文の形でまとめられた話すら聞いたことが無い。
 『謎と不思議の生物史』(96年出版)でも、ダイノバード仮説は「残念ながら今はこれ以上詳しいことは書けないが、間もなく恐竜の起源論は重大な転機を迎えるだろう・・・」って感じだったけど、14年たっても未だにこの仮説の詳しい説明を聞いたことが無い(受動的な第一段階の悪い癖??)。
 もう金子さんが変わりにダイノバード仮説で一本学術論文を書いて発表してよって感じだ。

 ちなみに私は「D”層浮上説」は専門的な知識がないから何とも言えないけど(少なくともこれを支持することで巨大隕石による絶滅を否定することにはならないとは思う。どっちも起きたんじゃないかと)、「ダイノバード仮説」はそれを立証するのは、アブダクション的に正しいとされている今の学説(肉食恐竜の一部が鳥になった)よりも困難だと思う。
 これは邪推だけど、この本で金子さんが恐竜の進化における「分岐学至上主義(?そんなのあるんかいな)」を批判しているのも、ダイノバード仮説が分岐学的に批判されちゃったからなのかな?って気がする。ほんとうにうがった見方だけど・・・

『知られざる日本の恐竜文化』①

 著者はご存じサイエンスライター金子隆一さん。

 金子版『オタクはすでに死んでいる』と言ってもいいかもしれない。岡田さんも金子さんも今のオタクの体たらくぶりを嘆いているのは同じだし。
 二人ともSFファンから出発した筋金入りの能動的なオタクやマニアであり、最終的に自分の趣味をクリエイティブな仕事にしてしまった、いわばオタクの花道を歩いた人たちだ。
 この世代のオタクの行動力やエネルギー(そして財力)はすごいし、二人とも今の消費者と変わらぬ受動的なオタクに「なんでそれが好きならそれくらい行動しないの?」って首をかしげている点も似ている。

 彼らに言わせればオタクとはアマチュア研究者のことなのだろうか?と思える節がある。そしてその定義は少なくとも今のオタク像には合致しない。
 しかし真の恐竜マニア(第三段階)はプロの古生物学者と定義する金子定義だと、恐竜オタクはアニメおたくやSFオタクと違って、ろくに生まれもせず死んじゃった気もする(恐竜オタクを自負する金子さん自身も結局第三段階と第二段階のあいだでは?)。

 岡田さんは今の「萌え」を中心とするオタクの定義が、かつて自分が定義していたものとは変わってきてしまった。それは仕方がないと(内心「最近のオタクにもバカがいるんだ」とがっかりしながらも)、それを受け入れ、ある意味突き放してしまった。
 しかし金子さんは違う。岡田さんに比べてはるかに熱いし痛々しい。

 まず金子さんはオタク第一世代に立ちはだかった筋金入りのハードSFマニアだから、サブカルチャーすら一段下に見ている(気がする)。おそらく「ガンダムなんてSFじゃねえ!」って叩いたのは金子さんたちだろう・・・112ページでは「漫画やアニメはハードSFの寄生虫」と爆弾発言w。まあそれは同感だけど・・・
 でもおかしいのは岡田さんが初代ガンダムが大好きで、それ以後のガンダムシリーズは認めない!と言っているのと同じく、金子さんも初代ゴジラ(だけ)の熱烈なファンであり、海外のプロの恐竜研究者にもゴジラファンはいるよ!とアピールするところ。アニメや漫画オタクと何ら変わらないのが痛々しい。

 少なくとも特撮がアニメや漫画より優れているというわけではないだろうし、岡田さんが「ガンダム」をアニメだから好きになったわけではないのと同じで、金子さんも「ゴジラ」を特撮だから好きになったのではなく、あくまでも内容が良かったから好きになったのだろう。
 ならアニメや漫画をSFの寄生虫と切り捨てるのはかなりオレ基準で、大胆な発言だと言わざるを得ない。日本のアニメは「ガンダム」をはじめハードSFたりえないアニメばかりだろうから、気持ちは分かるけどさ。
 でもどんなにケネス・カーペンター博士が頑張っても生物的にあり得ない大きさの「ゴジラ」は傍から見れば「ガンダム」とあまり変わらないと思うし、初代ゴジラは知らないけど、特撮怪獣ものだってサブカルチャーじゃないか。そもそもハードSFの基準って何?センス・オブ・ワンダー?
 それにこの人「恐竜惑星」や「カウボーイ・ビバップ」っていうアニメも監修してたりするから「おいおいおいおいおい」ってみんな突っ込むと思う。アニメ製作会社から「金子さんこのアニメの科学考証お願いしますよ」って依頼が来ても、ちゃぶ台ひっくり返して「アニメはSFの寄生虫ぞ!」って叩き返すはずだろ。まったくひどい矛盾だ(それがおもしろいんだけどね)。

 また散々日本のアニメや漫画を叩いておきながら264ページの

 アメリカには「バットマン」や「スパイダーマン」や「Xメン」や「ファンタスティック・フォー」がいくらあっても、ついにただ一人のラムちゃんを生み出すことはかなわなかった。いくらディズニーやピクサーが興行収入ばかり大きい空疎な作品を繰り出してきても、そこには宮崎駿や庵野秀明や押井守の千分の一、万分の一のクリエイティビティが認められるわけでもない。

 という挑発的な記述はなんだ!結局こいつは「風の谷のナウシカ」や「エヴァンゲリオン」や「攻殻機動隊」とかが好きなだけなんじゃないか?って気がしてガッカリ。とりあえず金子さんが「トイ・ストーリー」を見ていないのだけは分かった。
 
 なんかこの記事あまり恐竜の話していないけど、それは次の記事に回します。続く。

学級崩壊の仮説

 私は学級崩壊なるものを経験したことがありません。初めてバイトした予備校がちょっと学級崩壊に近いことになって「なんでこの塾の先生は子どもに注意しないんだろう」って驚いたけど(子どもが机にじっとしていられないとか、授業が始まっても生徒が教室に来ないとか)学校ではありません。

 ただ自分が中学生の時「授業崩壊」っぽいのは経験しました。新任の若い女の先生だったんですけど、なぜかみんなその先生をなめきっていて、先生はカンカンに怒って授業放棄しちゃって、挙句の果てには泣いちゃったりして・・・
 これは私たちクソガキどもが悪いのは明白ですが、じゃあなんであの頃の私たちはあの先生の授業を真面目に受けなかったんだろう?って考えてみると、いま一つ明確な理由が出てこない。

 ただ私も学校や塾で「教える側」に立って学生と触れあうようになったことで「学級崩壊の仮説」のようなものを思いついたので、それを書きとめておきます。
 それは学級運営を完璧にやろうとする完璧主義者な先生の方が学級崩壊しちゃうんじゃないかってことです。普通に考えてこういう真面目な人の方が学級崩壊しなさそうなんですが・・・

 同じ生徒の振る舞いでも先生によって「先生の私を舐めやがって」って感じる人もいれば「なれなれしいなあ」って感じる程度の人もいる。
 つまり生徒の一見無礼な行動も、実際は単に無神経なだけでいちいち怒らなくてもいいし、そもそも一人の先生が何十人もの生徒を管理するという無茶なことをやっているんだから、彼らを常に自分の支配下に置くことは不可能で、時には軽く学級崩壊するくらいが普通なんです(程度問題)。

 私が中学生の教育実習で一番勉強になったのは「クラスの雰囲気が落ち着かないなら、無理に落ち着かせようと強制するのではなく、時には待ってやることも大切だ」と指導教官の人に教わったことで、子どもだって刑務所の囚人じゃないのだから、一から十まで管理はされたくはない。ある程度先生の管理が及ばないゾーンがないと息苦しくてやってられないんです。
 これは先生が生徒を野放しにしろって言うことではなく(こういうところでいじめとかも起きちゃうだろうし)、とりあえず“生徒にはそう思えるようなゆとり”を与えてやった方がいいってこと。

 つまり生徒に管理を感じさせずに、こっそり生徒を管理する力が先生には大切で、その能力ってかなり高度で新任の先生には難しいのかなと言うこと。
 また深刻な学級崩壊を防ぐには、先生が完全に学級を支配するのではなく、むしろ軽く崩壊させた方がそれ以上悪化しないのかな?っていうこと。無理に押さえつけた方が悪化すると言うか。

 少なくとも大学生時代の私は、学生を自分の意のままにコントロールしようとする先生が嫌いで、いろいろとトラブルを起こしていました。
 よってこの仮説は私の主観に基づくものであり、全然的外れかもしれませんが、私の友達の教師をやっている人からも「ウチのクラス学級崩壊しちゃった」って言う話を聞いたことがないので、学級崩壊の実態が分からないんです。ここら辺は本を買って調べてみようと思います。

 一個前の記事の「システム批判論」で言えば、学級崩壊と言うのは、現在の学校教育において、少数の人間が多数の人間を支配管理している「軍隊や刑務所システム」を採用している以上、完全には避けられない問題だとは思います。このシステムは厳しいヒエラルキーがないと正常に機能しないので、現在の教育観では難しいでしょう。
 そう考えると学級崩壊が起きた時のセーフティネット・・・先生の心のケアが大切なんでしょうね。あとは学校のシステムを変えるしかない。

クレームへのクレーム

 最近精神を病んで休職する学校の先生が多いらしい。教員評価制度が導入されたからとか言われているんだけど、これ教員に限ったことじゃなくて、生徒もサラリーマンもみんな精神的に厳しい世の中ってことだよね。なんでこんな自殺多いんだろうって思うから。

 確かにこの世って、ある種偽善で成り立っていて、自分とあまり関係ない人を無慈悲に切り捨てながらも、こずるく生きていかなきゃいけないところがあるから、本当に優しくて生真面目な人は理論上自殺する。生きるってことはそれだけで罪を背負っているし、その上で居直っていなきゃやってられない。
 植物や動物を品種改良して自分たちの食糧に作りかえ、みんなの地球をバシバシ汚して、間接的に他の国の人を見殺しにしているんだから、それでハーバード大学のマイケル・サンデルのように「正義だなんだ」っておこがましい。
 
 今の世の中って、そんなどうしようもないのが人間だって言う前提をふまえずに、他者に要求する人間の理想像がすっごい高くて、それで悩んでいる人が多いんだと思う。
 でもそういう風に人を厳しく批判している奴だって大抵ろくなやつじゃないんだから「じゃあお前は何様だよ」って思えばいんだけど、真面目な人は考えちゃうんだよね。

 これはクレーム全てを批判しているわけじゃないんだけど、要求する水準があまりに高いのは問題だと思う。
 プロは、素人の批判に対して「じゃあお前がやってみろ」って言い返しちゃ絶対ダメっていうのがある。でも心の中では大いに思っておいた方がいい。じゃないと精神的に潰れちゃう。
 学校の先生に対する保護者のメチャクチャなクレームも、内心「お前が自分の子どもを家でしつけねえからだろ」くらいに強かに突っ込みを入れといたほうがいいと思う。

 もっとラディカルに言えば個人に対する誹謗中傷や批判は、その人の向上にとって何の意味もないと思う。
 私は何年か前までは、漫画でもいちいち編集者をはじめ読み手の指摘をしっかり聞いて、それを作品にちゃんと取り入れていた。
 だから理論上は、読み手の――少なくともそれを指摘した人にとっては、満足がいく作品になるはずなのに、なぜかいまいちつまらない。指摘した人も「あれ~?おかしいなあ」って言っていたりする。
 つまり読み手の指摘って言うのはほとんどの場合あてにならないってこと。その指摘が的確ならば、その人自身が漫画家になって面白い漫画を作れるはずなんだ。
 だから私はいい感想しか真に受けないようにしています。モチベーション維持のためにもなるし。三谷幸喜さんも誹謗中傷が嫌だからネットは見ないらしいし。

 じゃあクレームは全部スルーなのかよ!ってなるけれど、有効なクレームはシステム批判だ。
 つい私たちは個人主義の悪影響で「責任者探し」をしてしまう。でもそこで叩かれる個人は一見責任者っぽいだけでただのスケープゴート(もしくはそのシステムの問題を象徴する事例)である場合が多い。だからそういった問題が起こるようなシステム全体を認識し批判しなければならない。
 最近の漫画がつまらなくなったって思うなら作者個人を叩いても仕方がない。編集部や出版体制、また読者の方にも何か構造的な問題があるのだろう。
 作家個人に何かメッセージを送りたい場合は、逆にめっちゃ応援して気分良くさせて「よ~しじゃあ、もっと面白いの描いてやるぞ!」って誘導しよう。そうしたほうが面白い漫画が読める確率は作者個人を叩いた場合よりも上がる。
 学校教育の質が下がったって言うのも、先生個人の指導能力の問題もあるけど、そういう未熟な先生をベテランの先生がちゃんと一人前に育ててサポートするような組織体制が無いのが問題なのだろう。
 
 民主主義において国民の批判意識はとても大事なことなんだけど、どうもそのベクトルが弱い方向に向かってしまう。本来は権力への監視なんだけど。
 人間って根性無しの臆病ものだから、強いものに面と向かって批判はできずに、自分が優位に立ったところで居丈高にそして過剰に批判する。
 ネットはそれを助長しているところがあるし、そういった弱い立場の人の不満を吸い上げれば民主主義はうまく機能する気もするけど、ネット上の私的なぼやきや悪口、不満を、公的な「批判」に昇華させ、さらに「建設的な代案」にするのは一体誰がやればいいんだろう??

同義置換に対する非同義置換の割合

 『分子進化のほぼ中立』の第4章~第7章で鍵となっている重要なモデルをまとめます。

同義置換(synonymous substitution)
 生命の設計図と言われるDNAの塩基配列は、タンパク質を作る際のアミノ酸の順番を決めている。塩基配列三文字で一種類のアミノ酸をコードしているんだけど、一種類のアミノ酸をコードする塩基配列のパターンは複数ある。
 例えば「ロイシン」って言うアミノ酸を担当する塩基配列(コドン)は「UUA」「UUG」「CUU」「CUC」「CUA」「CUG」と6種類ある。だから「UUA」がなんかの拍子で「UUG」に変わってもできるものはロイシンで一緒。これを同義置換と言う。

非同義置換(nonsynonymous substitution)
 非同義置換は同義置換の逆で、タンパク質を作るのにつなげるアミノ酸が変わってしまう塩基配列の置換を言う。例えば「ロイシン」をコードしていた三文字の塩基配列「UUA」が、「UUC」になると別のアミノ酸「フェニルアラニン」をコードしてしまう。

 これをふまえると、タンパク質の材料であるアミノ酸の種類を変え、タンパク質の種類を最終的に変えてしまう「非同義置換」は、塩基配列が変わってもできるタンパク質が変わらない「同義置換」に比べて、かかる淘汰圧が高いということになる。
 
 淘汰圧・・・非同義置換(n)>同義置換(s)

 また淘汰圧は集団サイズが大きい方が高いから、集団サイズが大きい生物の非同義置換は淘汰されちゃって同義置換に比べて割合が少なくなるはず。
 実際に集団サイズが大きいネズミと、集団サイズが小さいウシを比べると、ネズミの方が同義置換に対する非同義置換の割合が少なかったらしい。

 非同義置換(n)/同義置換(s)・・・集団サイズ大(淘汰圧大)<集団サイズ小(淘汰圧小)

 次に同じ種類の生物同士の集団内(種内)と、異なる種類の生物同士(種間)の二つの場合を考えてみる。
 例えば「種内競争」と言ったら首の長いキリンの方がメスキリンにモテモテ(性淘汰)とか、ライオン同士の縄張り争いとかそういうもの。「種間競争」と言ったらライオンVSハイエナの抗争みたいなもの。

 非同義置換が生物にとって弱有害な場合、「種内」では中立的に振る舞い(よって様々な遺伝子パターン=「多型」が残される)、「種間」では弱有害淘汰が働く。

 しかし非同義置換が有利な変化をもたらす場合は、「種内」では中立ではなく有利に振舞うので、遺伝子パターンを増やす効果は弱有害時に比べて少ない。
 一方「種間」では正の淘汰が働き、有利な非同義置換はその生物種内で広まっていくので、種間の遺伝子の違いが際立つことになる。

 162ページをふまえてまとめると(同義置換に対する)非同義置換の割り合いは・・・
①非同義置換が弱有害の場合・・・種内>種間
②非同義置換が有利な場合・・・種内<種間

 この理屈で言うと種内に比べて種間の方が淘汰圧が高くドリフトの効果が低いと言うことになる。じゃないと①が成り立たない。

 93ページにも
 種間より種内多型で同義置換に比べ非同義置換が多いと、種間で淘汰が働いているわけだから、非同義置換に対する弱有害淘汰が指摘され、逆に種間で多いと、有利なアミノ酸置換が正の淘汰によって種間の違いをもたらしたと考えられる。
 って書いてある。

 でも最近は種内競争の方が種間競争よりも淘汰圧が高いと言う説があってややこしい。コレはどう考えればいいのだろう?
 ここら辺の問題は最後の最後の132ページにちょろっとふれているんだけど、記述が少なくてどうにも解釈できない。
 あと最後のページの化石動物の進化について(急激な進化を示す化石が見つからないのは、急激な進化は大集団よりも小集団で起こりやすいから、化石が残る確率が漸進的な進化に比べて低い)は、もう少し具体例をあげていろいろ説明して欲しかったけど、そこらへん(古生物学)は専門外なのかな。
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