シン・ゴジラ

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ 業☆☆☆☆☆」

 ラーメンのびちゃったよ。

 なんとカードのポイントでタダで見れました。しかし言葉に困る。気軽に面白いって言うとヤバイ、クリエイターの“業”を痛感してしまうもの凄い映画だった。初代では太平洋戦争、こちらでは未曾有の震災。
 だから不謹慎なんだけど、ああいうクライシスが起きたとき、政府はこう動くんだ、へ~って感じで創作のネタにした奴らが作った映画なんだ。
 911が起きたとき、ある著名な芸術家が「感動しちゃった」とか言って、世間の顰蹙を買ったっていう話があるんだけど、これは口にするかしないかの話だけであって、クリエイターっていうのは、こういう大惨事が起きると「うおおお参考になる!メモメモ!」と心の中で不謹慎にも興奮してしまうマッドな側面が絶対にある。
 実際、世界貿易センタービルが崩れていく映像を見てバベルの塔の崩壊を重ねた人は多かったと思う。ほんと人間のクズだな~って思うんだけど、たけしさんがいうように笑いと美って魔物でさ。
 人間にはそれがどんな凄惨な光景でも、美しさに感動しちゃうという残酷性がある。

 だから、のんきに感想を言うのもはばかられるんだけど、あえて率直な感想を言うと、すっごい政治風刺コメディとしてよく出来ていて、笑った笑ったwこれが、この前のハリウッド映画にはなかった。
 菅直人さんや、甘利さん、枝野さん、塩爺、昨今話題の小池百合子さんとか、そのまま出してるし、ずり~よってwこの映画って宣伝見るからに怖い映画だと思ってたら、もうコメディなんだもん。『総理と呼ばないで』の第4話の「ヘルメットの総理」を作り手は意識したんじゃないかな。
 あと巨大生物対策班の教授として自分が大好きな数物理学者、竹内薫さんがモデルにされていて嬉しかった。
 ただ、石原さとみさんだけはいらない。あいつだけアニメのキャラクターみたくて浮いてた(^_^;)でも、ああいう胡散臭いキャラって昭和の特撮では名物だったりするよねwウルトラマンの科特隊パリ本部の人とかw

 とにかく、オタクっぽいディティールだけで、初代のコアを見失った『ジュラシック・ワールド』と明暗分けたな。こっちは本当に初代のゴジラを上手に現代風にアレンジしてる。
 とにかく、アメコミではよくやるんだけど、日本のサブカルではてんで取り上げられない、ファイヤーマンとか警察とか市井の公務員(っていうのか?)のかっこよさを描いた映画でもある。明日から自分の仕事を地道に頑張ろうって、日曜日に応援してくれた『官僚たちの夏』みたいな。
 だからっていうわけじゃないけれど、この映画って311の理想の対応を描いたとか言ってる人いるけど、私は全然違うと思う。偉そうに現実に対してダメ出しをしているというよりは、311はなんだかんだで首相以下みんなが最善を尽くしたよってメッセージを私は感じたんだよね。
 なんでかっていうとさ、この映画から受けた最終的な感覚って、ゴジラなんぞと比較しちゃダメだとは思うけど、石井光太さんのルポ『遺体』にすごい近かったんだ。震災の時、凄惨な現場に趣いて一生懸命対応した地域の人たちの話なんだけど。興味のある人は読んで欲しい。

 実際にこの映画は、311を経たからこそ描けたリアリティがあるわけで、オレ達日本人っていろいろ問題点あるけど、まだまだやれるぞっていうポジティブなメッセージを感じたよ。大杉(菅)内閣もそんなに無能に描かれてないしね(とはいえそこまで有能でもない)。
 そういや、奇しくも今年の夏は『インデペンデンス・デイ』の続編も公開したけれど、あの映画とこの映画を対比させると日米のリーダーのあり方の違いが明確化して面白いよね。
 作中でも「これほど早く次の総理が決まるんだ」みたいなセリフがあったんだけど、日本のリーダーって受動的でトップダウン的に命令をバシバシ下さないんだよね。
 だからリーダーは割と誰でもいいというか、これは内閣を支える官僚がすごいっていうよりは、官僚たちのアルゴリズムになっている法的システムが強固なんだろうね。非常時だ!超法規的措置を!みたいな短絡的な流れに絶対ならないというw
 これはしばしば日本のダメなところって言われてたけど(少なくても今の総理は問題視してる)、実は反面強みなんじゃないかっていうのをこの映画は描いていて面白かった。トップ倒しても次々生えてくるハイルヒドラー的な。これはアメリカ政府とかにとっては不気味だな、確かに(^_^;)

 SFとしても面白くてね。日本のSFアニメってすごい頭悪くてさ、小難しい専門用語をそれらしく言って、なんとなく済ませちゃうっていうのばっかで、アニメーターに理系はいないのかって感じだったんだけど、この映画はそれなりにロジックがしっかりしてて、結構それなりに納得ができる。
 とはいえ冷却装置の役目を持つ血液を凝固したら、むしろ停止じゃなくて暴走してメルトダウンしちゃうんじゃないのかとは思ったけど、セリフの速度が早すぎていくらか聞き逃した可能性はあるwあの組織アスペルガーばっかなんだもん(^_^;)
 つーか、このゴジラのSF的なトリックとか科学的な対応におけるストーリー展開って、まんまマイクル・クライトンの『アンドロメダ病原体』でさwコリン・トレボロウ監督よ、ゴジラにやられてどうするっていう。
 そして、極めつけが怪獣退治にウルトラマンも巨大ロボットもいらない!と言わんばかりの在来線ボムw
 ここで、もう私は降参したねw「庵野オレの負けだ!」というわけで、政治映画としても空想科学映画としてもディザスター映画としても、すごいよくできたTHEジャパン映画。
 初代しか満足していない人はぜひどうぞ。

幾何学覚え書き

 ついにやってきた、夏休み数学大作戦!

 とりあえず一番テキストのページ数が少ない幾何学から攻略!しかし、図形の分野だけに、今回ばかりはテキストを読むだけじゃどうにもならず、ノートと鉛筆片手に絵を描かなきゃいけないのが、ちょっと大変。
 実は、わたくし、社会、理科と単位をとってきたけれど、本を読むだけでほとんど済ませちゃったので、ノートの使用は事実上今回が初めて。経済や物理の計算とかはチラシの裏にちゃちゃっと書いたけれど。なんというかノートを使うと一気に勉強っぽくなるな。
 それと、もう一つ大変なのが、数式や記号のほとんどがパソコンで変換できん。これは日本史や中国史の用語以上に変換できん。とうとう私のオフィスワード2003も進化の時が来たようだ。

 とりあえず、代数学のテキストとして送られてきたのが、日本で初めてフィールズ賞を受賞した小平邦彦さんの『幾何への誘い』(岩波現代文庫)。
 昔ながらの図形の学問としての幾何学教育が、記号論や集合論というよくわからん抽象的な概念の導入によって難解になり、学校現場に恐怖と混乱とカオスをもたらした!みたいなこと言っててなかなか面白くて、また数式の証明もすっごい丁寧。
 とはいえ、第一章の円論のもろもろの証明はけっこうなサーガで、とりわけフォイエルバッハの定理がやばい。MOTHER2的に言うならばPPを9ページも消費している。
 でも8割がたは中学校までに習う初等ユークリッド幾何学で、第3章でちょっとだけ高校レベルの複素数が出てくる程度。

 しかし天才数学者って、常人には理解不能な思考回路してるイメージがあるけど、小平先生のように本当に頭いい人はオイラみたいなバカでもわかるように、バカに合わせて解法を一般公開してくれるよね。
 ページの都合とかもあるんだろうけれど、その点、高校数学の某参考書や問題集は伝えるということを放棄しているとしか言い様がないよ。「よって」じゃねーよっていう。その過程をごまかすんじゃないよっていう。
 藤原正彦さん的に挑戦的なことを言わせてもらえば、テキスト作ってる奴もちゃんと理解してないんじゃないか?なぜ全国のバカのニーズに応えない・・・いや、みんな賢くなっちゃうと受験ビジネス自体が成り立たないっていう陰謀か。おのれポケモンGO。
 でもあれだよね、受験と全く関係ないと数学もただのゲームで、けっこう楽しいよな。だからポケモンGOも学校の宿題的にノルマ出されたら絶対に苦痛だと思うんだよ。
 世の中面白いよな、逆に言えば、マインド一つで受験勉強もゲーム感覚でやれるってことだよね。“思い込み”を自分で操作、制御できるやつが最強なのかもしれぬ。

ユークリッドの公準
古代ギリシャの数学者ユークリッドが、その著書『原論』において「自明だよベイビー」と定めた、直線に関する以下の5つの公理のこと。
ちなみに、「三角形などの図形はその形をキープしたまま位置を動かせます」みたいな、その理由を述べる必要もない陳述(要請)を数学では公理とか公準という。証明するまでもなく正しいっていう。

第1公準
任意の点から任意の点へ直線が引ける。

第2公準
有限な直線(線分)はいくらでも延長できる。

第3公準
任意の点と、その距離(半径)を使って円が描ける。

第4公準
すべての直角の大きさは一緒。

第5公準
一本の直線が並んだ二本の直線をまとめて横切るとき(カタカナの「キ」をイメージしてください)、並んだ二直線の内側にできる二つの角度の合計が180°を下回る場合、その二直線は遅かれ早かれ、どこかでぶつかってしまう(=平行ではない)。

・・・第5公準だけがなぜか妙に具体的で文章も長い。

というわけで、もしやコイツは公理じゃないんじゃないか疑惑が噴出し、多くの数学者が第5公準の証明を試みたこともあったが、自分の歯が噛めないように、きずつきたおれた。
このビターな経験から、ある直線Aと平行で、さらに、その直線A上にはないひとつの点Pを通る直線Bは1本だけしかない、という平行線公理が生まれた。
しかし、この定理は意外な分野でくつがえってしまった。それが社会科の地理である。
中学一年生の地図の授業で、地球儀にビニールテープを貼って二つの地域の最短距離を調べる課題があるのだが、地球のような球体でユークリッド的な「直線は2つの点の最短距離となる」を用いてしまうと、球体の表面にひかれるすべての直線は地球の直径と等しくなり、したがって球体の表面では平行線が一本も存在しなくなってしまう(北極や南極で絶対ぶつかる)。
こんな感じで、ユークリッド幾何学の前提を覆す、非ユークリッド幾何学や位相幾何学が誕生したらしい。有名なのだと、『はじめての構造主義』でも取り上げられた、凸面鏡に三角形を写すと内角の和が180°を超えちゃうよねっていうのがある。

複素数と平面幾何
二乗すると-1になる数を虚数というんだけど、その虚数と実数のコラボを複素数という。
16世紀にはすでにイタリアの数学者カルダノなどが使用しており、18世紀になると大いに応用されるようになった。
虚数は英語ではイマジネーション・ナンバー(頭文字をとってi)って言って、そもそも実在しない頭の中だけにある数だとされてきた(って数という概念自体がイマジネーションじゃないのって私は思うんだけど…)。
しかし19世紀にガウスが複素数って幾何学で使うと超便利だということを発見すると、虚数は実数同様、実在すると認められるようになった(ガウス平面)。

複素平面
ガウス平面は数学の教科書では複素平面と書かれていることが多い。
これはxとyの二つの軸で座標を表すデカルト座標に、複素数の考え方を導入したもので、具体的に言うと、おなじみのy軸が実数じゃなくて虚数になり、虚軸に差し変わっている。x軸はそのままで、こちらは虚軸に対して実軸と呼ばれる。

z=x+iy(x、yは実数。i=√-1)

となる形の数を複素数とするとき、z=x+iyは、点zとして、複素平面上に原点Oから右にx、上にiy進んだ位置にポイントされる(複素座標)。
ちなみにxが0で、虚軸上にポイントされる場合は、その数を純虚数という。

単位円
複素数が幾何学でどうして便利なのかというと、複素平面に描かれた単位円上にある点に、虚数iをかけると綺麗に反時計回りに90°回転してくれるからだ。
わかりやすく、単位円で角度0°(時計でいう3時)の位置にある点(1,0)を動かしてみる。
(1,0)×i=(0,i)となり、角度90°(時計の12時)に移動。
さらに
(0,i)×i=(-1,0)で角度180°(時計の9時)に移動。
さらにさらに
(-1,0)×i=(0,-i)で角度270°(時計の6時)に移動。
そして
(0,-i)×i=(1,0)で元の位置に一周する。

複素数の計算
二つの複素数z=x+iyとw=u+ivの足し算&引き算は、分配法則の形に因数分解して、以下のようになる。

z+w=x+u+i(y+v)
z-w=x-u+i(y-v)

z=x+iyとw=u+ivの掛け算は

zw=(x+iy)(u+iv)

となり、右辺を展開して

zw=xu+ixv+iyu+i2yv

iは二乗すると-1になるので

zw=xu-yv+i(xv+yu)

複素数の絶対値
点zの原点Oからの距離をzの絶対値|z|という。
三平方の定理を使って、その距離を求めると

|z|=√x2+y2

共役複素数
第1象限にポイントされている複素数z=x+iyを、x軸に対称に第4象限に移動させた複素座標のことで、z*=x-iyと表す(一般的にはzの上に横棒を乗せるんだけど技術的に無理)。

zとz*は、x軸を境に鏡合わせの位置にいるだけなので、z*をさらにz**にすると元の位置のzに戻ってくる。

複素数zと共役複素数z*をかけると

zz*=(x+iy)(x-iy)

となり、乗法公式(x+7)(x-7)=X2-49のように展開できるので

zz*=x2-i2y2

i2=-1なので、符号が変わって

zz*=x2+y2

|z|=√x2+y2だったので

|z|2=|z*|2=zz*=z*z=x2+y2

ちなみに
x≠0のとき、zz*=|z|2>0なので

zz*=|z|2の両辺を|z|2で割って

zz*/|z|2=1

これをさらに両辺をzで割って

z*/|z|2=1/z

よって1/zの絶対値はz*/|z|2の絶対値だから
z*はzに、|z|2はzz*に変わり

(1/z)*=1/z*

積の絶対値は
|zw|2=zz*ww*=|z|2|w|2

なので
|zw|=|z||w|

また、z=x+iyのxを実数部(Rez)、yを虚数部(Imz)とすると

Rez=1/2(z+z*)

Imz=i/2(z*-z)※

※こうなる理由
Imz=yと定義しているので、z*の虚軸成分-iy、zの虚軸成分iyから

(z*-z)=-iy-(iy)=-2iy

-2iyをyにするには、iをかけて2で割ればいいので

y=i/2(z*-z)
Imz=i/2(z*-z)

ベクトル表示
zのベクトルをzと表すとき
zwを足すとz+wとなって合力になる。

ここまではわかりやすいけど、面白いのは、合力をzとすると、その分力はwz-wとなり、合力は平行四辺形の対角線なので、分力のz-wは平行四辺形のひと組の対辺となり、したがって点wを始点、点zを終点とする有向線分が定めるベクトルになる。
簡単に言うと、z-wは点wと点zの距離を表す。

線分
複素平面上で点wと点zを結ぶ線分wz上に点ζ(ゼータ)があるとする。
この距離を仮にtとした時、ζからwまでの距離ζ-wは、線分wz全体の距離z-wのt分なので

ζ-w=t(z-w)

ζ=w+t(z-w)・・・①

さらに線分wzの長さを1として、sを線分wzから線分tを引いた残りだとすると

s=1-t・・・②

まず①を展開して
ζ=w+t(z-w)
ζ=w+tz-tw

共通因数wでくくって

ζ=(1-t)w+tz・・・①’

①’に②を代入して

ζ=sw+tz

よって線分wz上の任意の点は

sw+tz(s+t=1 s≧0、t≧0)

と表せ、またこの点が線分wzをt:sに分けることがわかる。
また、線分wzの中点は、s=tで、s+t=1なので、sもtも1/2となるため

1/2(w+z)

である。

平行と垂直
複素数z=x+iyとw=u+ivに対して、zとwの共役複素数の積は

zw*=(x+iy)(u-iv)

展開して
zw*=xu+yv+i(-xv+yu)

この式の右辺のxu+yvを実数部、(-xv+yu)を虚数部と考えると

xu+yv=Rezw*=1/2(zw*+z*w)・・・①
xv-yu=-Imzw*=i/2(zw*-z*w)・・・②

参考:Rew*=1/2(w*+w**)=1/2(w*+w)

ベクトルz=(x,y)とw=(u,v)が平行であるための条件は、二つのベクトルの傾き(変化の割合)が等しくなければならないので

y/x=v/u
xv=yu
xv-yu=0

よってwとzが平行である条件は、②の式を0にすればいいので

zw*-z*w=0

ベクトルz=(x,y)とw=(u,v)が垂直であるための条件は、z=(x,y)とz’=(-y,x)の位置関係が垂直であるから

v/u=x/-y
xu=-yv
xu+yv=0

よってwとzが垂直である条件は①の式を0にすればいいので

zw*+z*w=0

『大衆の反逆』

 そのことの善し悪しは別として、今日のヨーロッパ社会において最も重要な一つの事実がある。それは、大衆が社会的権力の座に登ったという事実である。大衆というものは、その性質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかないことである。したがってこの事実は、ヨーロッパが今日、民族や文化が遭遇しうる最大の危機に直面していることを意味しているわけである。こうした危機は、歴史上すでに幾度か襲来しており、その様相も、それがもたらす結果も、またその名称も周知のところである。つまり、大衆の反逆がそれである。

 良識ある大人が控えたほうがいい話題がこの社会にはある。野球、宗教、そして政治だ。
 でも、そういったリアルにはあった“タガ”がネットでは匿名性が強いということで容易に外される。それどころか、ネット上の“彼ら”は選挙が近づくと、積極的に政治的なアクターたれとご親切にも呼びかけてくるのだ。投票に行かない奴は非国民だ、などと。
 参政権は義務ではなくあくまでも権利であって、行くも行かないも個人の自由なわけだし、また、今回の参議院選挙もなんだかんだで新たに選挙権を得た高校生はよく投票に行ったほうだと思う。半分弱はわざわざ投票したわけじゃん。えらいよ。
 もし自分が高校生だったら絶対に投票に行かなかっただろうよ。それは政治に興味がないというよりは、ネット上で繰り広げられる政治的発言の応酬が、あまりに低次元で「うんこチンコば~か」と同レベルであり、また、一生懸命運動している人たちが、実は政治学的な素養が大してなく、不勉強であることの後ろめたさも、知的好奇心もなく、なんとなくの正義感で動いていることを私は知ってしまったからだ。理屈じゃなくて情で動く人たち。これが私には怖すぎる。
 さらに、学生の分際で偉そうに政治について語るのは、差し控えたほうがいいんじゃないかという後ろめたさが、学生時代のあだ名が「バカ」だった自分にはあるからだ。つまりバカが政治に目覚めるとロクなことにならないという。もちろん、賢い高校生はどんどん選挙に行ってもらって、つーか立候補もしてもらって全然いいんだけど、普段大して政治なんかに興味のない人が無理して行く意味ってあるのかなってすごい思う。投票率の低さが、世論のアンサーだっていうことだってあるしな。
 よく、ケンドーコバヤシさんみたいなよしもとの芸人が「(政治的な話題は)オレたちには分を越えた問題っす」みたいな、謙虚で上手ないなし方するじゃん。あれが、政治に対するたった一つの冴えたやり方に思えるくらいに、デモクラシーがとんでもない衆愚制で、ヘタに関わるとしちめんどくさいことになっちゃうという現実をネット社会は露呈した。

 国家(ステート)とは、つまるところ世論の状態(ステート)、一つの均衡状態、静態なのである。
 ところで、応々にして世論が存在しない場合もありうる。一つの社会が意見を異にする集団に分裂していて、それぞれの意見が相殺されるような場合には、支配権が構成される余地はない。そして、自然は真空を忌み嫌うものだから、その世論の力の不在がもたらす空白を凶暴な力が埋めることになる。そして最悪の場合には、その暴力が世論の代用品となるにいたるのである。(『大衆の反逆』183ページ)


 そんな悲観論を、こんなふうに、100年ほど前に指摘した人がいた。それが、スペインのジャーナリストのオルテガ・イ・ガセットだ。
 この本は何年か前に購入して、途中まで読んで長らく紛失していたんだけど、この度ベッドの下から発掘され、ついに読了した。このタイミングで、この本を再び読めたのも何かの縁だなってことで、ここにまとめることにしました。
 ちなみに、ムシのいい話だけど、私の現代政治に対する悲観論、また、社会の構造についての考え方は、このオルテガのものにかなり近い。これはただの偶然で、例えば私はこの世界を、小さなツリーとその何倍もある巨大なリゾームで構成されているという、二段構成で考えているんだけれど(三中さんから着想を得た世界樹の理論)、これはオルテガで言う、貴族と大衆の考え方とほとんど一緒だ。

 人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な欲求をもたない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮漂のような人々である。(19ページ)

 案の定というか、この本は当時のエリート階級に売れに売れてベストセラーになった。そして当然ながら、エリート支配を正当化すると多くの批判も起きた。当然だろう。最後まで読んでみると、最後の最後、たった6ページの最終15章で、いろいろとすごいこと言ってる(オルテガの言う慢心しきったお坊ちゃんは、ニーチェの畜群や、西部邁のピュエリリズム※文化的小児病、諏訪哲二のオレ様化に近い)。
 だから、ネット上でも何人かの知識人は本書を時代遅れのブーメランだと論じているんだけど、私が思うに、むしろ時代遅れどころか、現代の状況にそのまま当てはまるだろという。
 だいたい、こういうテーゼが何故SNSで炎上してしまうのか、どうしてネットと相性が悪いのかを考えてみればいいわけであってさ。
 そもそもネットというのは、ウルトラ均質社会なわけであって、どんな著名人であろうが、それこそ大統領であろうが、立場はフラットでなければならないという強烈なピアプレッシャー(理想的な前提といってもいい)がある。
 したがって、オルテガのような一段上からのメタ的な評論は、ネットムラ社会には重大なルール違反と認識され、彼らの自尊心を大きく傷つけ、「何様だ」「天つばだろ」と怒りにイグニッションというわけだ。
 ここで私が強調しておきたいのは、彼らは論の内容から袋たたきをしているのではないってこと。彼らにとって最も重要なのは、発言者の姿勢が自分たちと対等な、フラットな立場かどうかなのだ。その時点で、オルテガの論が的を射ていることが明白ではないか!

 大衆とは、良い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。(17ページ)

 実際、エリート支配の肯定という批判については、オルテガの主張したいこととポイントがずれているように思える。彼は「選ばれた少数者」(エリートでも貴族でも哲人でも良い)と「大衆」を、格差社会や階級社会のようにスタティックに対比はさせていない(18ページ)。
 オルテガの言うエリートとは地位や立場、権力の有無ではなく、心的態度――世の中に対する向き合い方を指しているわけであって、身分や地位がエリートだからエリートというわけではない。したがって、かなり流動的なモデルを想定しており、例えばエリートでもコンスタントに努力し、苦しみもがくことをやめ、「めんどくせえや」と思考停止してしまえば、大衆に二軍オチするし、その逆も然りというわけだ。
 とはいえ、その比率はパレートの法則のように、ある程度決まっていて、8:2か9:1かはわからないけれど、多数の大衆が少数の貴族によって駆動されるという構造自体は変わらない。まさにツリー・オブ・ワールド。

 オルテガはさらに大衆を以下のように定義する。

①文明社会が飛躍的に進歩したことで初めて大量に現れるタイプの人間である。つまり原始的なふるまいをするものの、その起源は極めて新しいものに由来する。自由主義しかり、デモクラシーしかり、工業化しかり、科学技術しかり。つまりオルテガによれば、大衆社会は決して社会の没落を意味しない。むしろ史上最も進んだ社会でこそ初めて大衆というパラサイトは出現するわけだ。

②そして大衆は、自身を生み出し、また、成立させてくれている、これらの政治哲学や科学技術の原理にまったく興味関心を持たず、もっと言えば、それらが、空気や自然などと同様にあらかじめ存在し自動的に機能しているものだと考えている。人工的なものだという認識すらないわけだ(=歴史の素養がない)。
オルテガによれば、これは科学者においても同じであると言っているのが面白い。今日の科学は複雑化、細分化が著しく、自分の専門分野以外はまるで無知だという点で、たとえ科学者であっても大衆とメンタルは変わらないのだという(専門主義の野蛮性)。

③したがって、大衆の唯一の関心事は自分の安楽な生活(デカダンス)だけであり、社会的な責任感はない。

④さらに、便利な生活に慣れてしまったため、大衆は自分自身を万能のチートキャラだと思っている(現代の消費社会はコンシューマーが私は神だと勘違いするほど無限の選択肢が与えられている)。つまり彼らの辞書に反省はない。神だから。ゼロ距離のパトス。

⑥となれば、責任は全て自分以外ということになり、安楽な生活が脅かされると、一転して他人に八つ当たりする。

 まとめるならば、オルテガは、それがたとえ優れた自由民主主義であれ、マルクス主義であれ、何も行動しないで外部から必然的に提供されるものが未来だと思っている人が嫌いなのだ。オルテガが理想とするのは、運命を自分で切り開こうと地道に努力する人だ。

 進歩主義者は立派な未来主義の仮面をかぶりながら、そのじつ未来には無関心である。(62ページ)

 現代社会は人類史上多くの甘ったれを養うことを可能にしたが、となれば相対的にエリートと大衆の比率は変わり、大衆の面倒を見る物好きなおせっかいは足りなくなってしまう。
 つーか、そんなおせっかいなどもうすでにいないんじゃないか、また、いなくてもテクノロジーでなんとかカバーできてるんじゃないか、そういう楽観論もあるだろう。
 さらに、そういうおせっかいはどんなに時代が変わろうが一定の割合で存在し続けるという考えもあるだろう(私はこっち)。
 いずれにせよ、オルテガはこの大衆の反逆社会を分析こそしたが、解決方法を示さなかった。この状況は桃鉄で桃太郎ランドを最大限増資したような、社会の発展が行くところまで行ったら遷移的に現れるクライマックスとも考えられるから、解決するようなことでもないのかもしれない。
 しかし、ひとつだけオルテガは気になることを指摘している。このクライマックスは陰樹林のように安定した状態を維持するものではなく、本質的な不安定さを持つというのだ。
 それは、自民党が選挙で大勝(なのか?)し、憲法改正(=明治憲法の復活?)がいよいよ現実味を帯びたことに大きく関係する。ちょっと長いけれど、自分が読んでてゾッとしたので、引用。
 
 いっさいの過去を自己のうちに縮図的に蔵することこそ、いっさいの過去を超克するための不可避的な条件である。過去と戦う場合、われわれはとっ組み合いをすることはできない。未来が過去に勝つのは、未来が過去を呑み込むからである。過去のうち何かを呑み込みえないままで残すとなれば、それは未来の敗北である。
 この両者――ポルシェヴィズムとファシズム――は、ともに似て非なる夜明けである。それらはいずれも明日の朝をもたらすものではなく、すでに一度ならず何度も何度も使い古された古風な一日の夜明けをふたたびもたらしたにすぎないのである。要するに両運動とも野蛮性への後退なのだ。過去を消化吸収する方向を取らずに、過去のこの部分あるいはあの部分というふうに過去の一部と単純に格闘を演ずるという愚かさを犯す運動は、すべて野蛮性への後退なのである。
 一九世紀の自由主義が超克されなければならないことに疑問の余地はない。ところが、これは、ファシズムのように反自由主義を宣言するものがなしえないことなのである。なぜならば、そうした態度――つまり反自由主義的態度、あるいは非自由主義的態度――こそ、自由主義以前の人間がとっていた態度だからである。そして、一度自由主義が反あるいは非自由主義に勝利を収めたのであるから、自由主義の勝利が今後も数限りなく繰り返されていくか、さもなくば、すべてが――つまり自由主義も反自由主義も――ヨーロッパの破壊に終わってしまうかのいずれである。生には仮借なき年代記がある。その年代記において、自由主義は反自由主義よりも新しいのである。(132ページ)

(略)

 いっさいのアンティは、単純で空虚なノーに他ならないのである。

(略)

 したがって、過去を克服する唯一の方法は、それを放り捨てることではなく、過去を考慮に入れ、常に目前に置いて、これを避けるようにふるまうことである。(134ページ)


 つまり、大衆社会で度々取りざたされる近視眼的で短絡的な反対運動は、歴史観の無い人々にはキラキラした新しいものに映るけれど、実際は過去のNG例への先祖返りに過ぎないというのだ。安倍さんがよく言ってた、戦後レジームからの脱却!とかも聞こえはいいけど、じゃあ戦前に戻るってことかいっていう(^_^;)
 実際、世界各地で歴史的に懸命に勝ち取ったものが投げ売りされようとしている。立憲主義、自由権、平等権、社会保障、人種差別の撤廃、平和主義・・・これこそが大衆の反逆の恐るべき本質なのだろう。ハリウッド映画もリメイクばっかりだもんな。

マイケル・ムーアの世界侵略のススメ

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 僕は国防総省にアドバイスを求められた。ほとほと困っている。第二次大戦以降勝てないのだ。

 昨年度お世話になった学校に顔出した帰りに『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』を鑑賞してきました。
 軍の依頼で、世界を侵略するために空母で海を越えたムーア監督。その目的は、アメリカをさらに強い国家にするために、他国の素晴らしいアイディアをリサーチし、持ち帰ること。そして、みごと侵略を完了した(=暖かく冗談だと受け取ってくれた)国には星条旗を掲揚!
 そんなあらすじもあってか、今作は軍産複合体がテーマだと聞いていたんだけど、実際はヨーロッパ各国の社会保障や公共サービスのお話だった。スパイ映画っぽいの冒頭だけねww

 作中の侵略順で行くと・・・

イタリア
軍事的驚異は軍艦2隻。著名人はイエスとドン・コルレオーネとマリオ。有給休暇が年に八週間も取れる国。ムーア監督が、アメリカに憧れを抱くイタリア人の旦那さんに、アメリカの有給休暇の日数(=0)を言ったら絶句してました。
また、縫製工場とバイクで有名なドゥカティに突撃取材。イタリアの企業では労働組合が強いし、むしろ組合の要求が結果的に生産性を上げることがわかったため、CEOは積極的に労使交渉において歩み寄りを見せている。工場に直接足を運ぶCEOなんてアメリカにはいない!とムーア感激。

フランス
アメリカの給食事情は、栄養士学会などにもジャンクフードの資本がガンガン入ってて「ピザは野菜」などとのたまうくらいにひどいことになっている。
そのため、アメリカの子どもは肥満なのに栄養失調になっているのだが、欧州一の農業国フランスの学校給食は、なんとシェフがコース料理を作ってくれる。しかも給仕つき。
フランスの学校では1時間かけてゆっくりと食事を楽しみ、マナーを勉強するのだという。食事は社交でもあるもんね。
そんなお上品なおフランスの給食指導に、ムーア監督がアメリカ名物コカコーラを密輸!フランスの子どもにどうしても、この黒い液体を飲ませたかったらしい。「15分後に体調を教えて」
で、フランスの学校にアメリカの給食の写真を見せたら「犯罪現場みたい」「こんなもん食わされている子どもたちが可愛そう」などと言われた。

 フランス人の同情はきつい。

フィンランド
個人的には一番興味深かった。子どもの学力トップクラスの教育先進国として知られるフィンランドだが、その機密情報が遂に解禁!
それはなんと、授業時数削減&宿題廃止&統一テスト廃止だった!
つまり、昨今失敗だったと批判される“ゆとり教育”が北欧の国では大成功、エアギターや携帯投げ大会、妻運びレースといった素晴らしい文化を生んだという。
さらに、フィンランドはアメリカや日本と違って、詩や美術や音楽といった芸術教科もちゃんと確保しているそうだ。受験に出ないから、とか、将来役に立たないから、などというつまらない屁理屈で削減はしない。
ちなみにフィンランドには私立校がないそうだ。しかも公立校は、どの学校も同じレベルの教育サービスを提供しているため、バウチャーなどの問題はない。
子どもはお受験など無い世界で、地域の様々なバックボーンを持つ子たちとふれあうことで、異なる立場の人と理解し合うことを学べる。つまり教育の共産化がうまくできている。

スロヴェニア
ラプンツェルや眠り姫を生んだおとぎの国スロヴェニア。この国には伝説上の生き物がいる。借金なしの大学生だ。スロヴェニアは大学の学費がすべてタダで、しかも海外の留学生もタダなので、奨学金返済問題に悩むアメリカの学生も留学しているという。

ドイツ
面白みゼロの国。ドイツ人は勤勉だと知られているが、実はその労働時間は、あのギリシャよりも低いというのは、この本でも言及されていたとおり。
ドイツ人は、勤務時間中はきっちり真面目に働くが、終業したら残業など一切せずにとっとと帰ってプライベートを楽しむ。このロボットのような切り替えが凄い。
ほいで、キリスト教の影響なのか、ドイツ人は労働=ストレスと割り切っているところがあって、仕事のしすぎで疲れた人にはホテル三日月的なスパをタダで利用させているという。
さらに、ドイツの歴史教育にも言及。ドイツの石畳の地面には自分の祖先が虐殺したユダヤ人の名前が刻印されており、また、迫害時代の看板もあえて残しているという。まさにヴァイツゼッカイズム。
日本だとこういうの自虐史観とか批判されかねないけれど、ドイツでは当事者でもない若い世代も、しっかりと自分の国がしでかしちゃった歴史的な事実に向き合っている。それに対してアメリカは奴隷博物館ができたのはつい二年ほど前だそうだ。

ポルトガル
ポルトガルでは麻薬は自己責任ってことでポルノやネット同様規制されてない!その分、中毒者などを治療するサービスを充実させた。すると面白いことに、麻薬の利用者数はかなり減ったという。禁止するとかえって好奇心が・・・ってやつなのか(^_^;)

ノルウェー
ノルウェーの刑務所はめちゃ快適。囚人は自分の個室の鍵を自分で管理している。刑務所はあくまでも更生施設であって、シャバで不遇だった犯罪者に社会人としての自信や希望を与えている。
そして入所の際に刑務所側が見せるVTRが凄い(We Are The World を所員みんなで熱唱)。
看守は囚人を守るための存在なんだそうだ。看守が囚人をタコ殴りにする某刑務所と大違い。
これは何十人も罪のない人を殺したネオナチに対してもそうで、あくまでも公平・公正に裁判を行い、懲役21年の実験判決をした(ノルウェーに死刑制度はない)。
ポルトガル警察も、ノルウェーの犯罪被害者の遺族も、同じように主張していたのが、死刑は人間の尊厳を踏みにじるということ。
これは今の日本じゃちょっと考えられないよな。私は個人的に死刑は反対なんだけど、そんなこと言うと、お前は被害者の苦痛がわからないのか!って袋たたきに合うもんね。そういう問題じゃないだろっていう。実際加害者の家族が自殺しているという事実はあまりマスコミは流さないしな。
でもさ、ノルウェーの犯罪者の再犯率って世界最低なんだよ。一度犯罪した人を社会がつまはじきにしてりゃ、そりゃまた犯罪やっちゃうよな。社会に居場所がないんだもん。
犯罪者に限らず日本って社会から事情があってリタイアした人にすごい厳しいし、しかも手に負えないのが、リタイアしちゃって不遇な立場な人が、そういう同じ立場の人に対して優しい言葉をかけるのではなく、社会から隔離しろ~!って叫んでいることが多いっていうね。泥仕合だよね。

チュニジア
作中で唯一のアフリカの国。宮田律さんの『現代イスラムの潮流』にも書いてあったけど、この国って、イスラム国家の中でもかなり西欧化(政教分離)が進んでいる。
だから、保守政党も国民の世論を受けて潔く退陣し、女性のスカーフは国家がとやかく言うことじゃないということにした。

アイスランド
ラストが女性の社会進出著しいアイスランド。アイスランドって何年か前に、ほとんどの銀行が潰れて大変なことになったんだけど、その時に唯一黒字を出したのが女性が頭取をやってた銀行なんだって。
女性は慎重で、競争が好きな男性のように実体のない危ない取引はしないからなんだという。もしあの投資銀行がリーマン・シスターズだったらニューヨークで金融恐慌は起きなかったっていうのは笑ったw
しかし、ここでアイスランドの悪徳銀行家をしょっぴいた“マイティ・ソー”が出てきて、リーマンショックの時のアメリカの銀行家はみんなちゃっかり罪を逃れたのに、アイスランドにはこんなヒーローがいんのか、みたいな流れになるんだけど、この人が助言を仰いだ師匠がなんと『キャピタリズム~マネーは踊る~』で、サブプライムの欺瞞を追求したウィリアム・ブラックだったのだ!

 アメリカ以外にアメリカンドリームを見るようだった。

 そっから、実はムーア監督がアメリカに持ち帰ろうとしていた世界各国の素敵なアイディアは、実は全部アメリカ発祥のものだったと畳み掛ける。さすがアメリカが超大好きな愛国者ムーア!この展開はなんとなく読めたけど、ラストは割とほっこり。ムーア監督もなんつーか年取って刺が取れたよね(^_^;)
 『ボーリング・フォー・コロンバイン』とか『華氏911』とか、以前はかなりショッキングな題材のドキュメンタリーをとってたけど、そういう、うお、これ見せちゃっていいのか、みたいな衝撃映像は、この映画ほとんどなかったもん。強いて言うなら、ドイツのスパのシーンでモザイクなしでアベックの性器が映ってたところくらいかなあ・・・ってそれはそれですごいのかw裏シネマ。

 フランス人「我が国は民主主義と実存主義を生んだ。それとフェラ。」

 アメリカ人「完敗だな。」

ファインディング・ドリー

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ 八代亜紀さん☆☆☆☆☆」

 忘れたってまた見つけられる。

 ここんところアリス、エメリッヒと大変懐かしい続編が続いてるんですが、とうとう大トリがやってきた感じ。
 なんと一作目は13年前!私もずいぶん遠いところまで来ちゃったなあ・・・大学時代この育児あるある映画を一緒に見に行ったクラスメイト、みんな結婚して子ども産んでるもんな(^_^;)
 しかし魚の世界で実際に13年も時間を経過させちゃうと、おそらく健在なのがウミガメのクラッシュだけになってタートルトークになっちゃうので、前作の1年後ということにしたらしい。
 そういや、なんか公開前日にテレビで一作目が放送していたようだけど、これは私は見なくて正解だった。この映画で一作目と全く同じシーンが出てくるんだけど、その瞬間のフラッシュバックの感動がすごくて、うおおおお!こうつながったのか~~~!!と。ド・・・ドリーの過去少ね~~~!!!!!!!!って大爆笑www

 しかし、バディ物の『トイ・ストーリー』は除いて、『カーズ』や『モンスターズ・インク』などのピクサーの続編って前作の割と冴えないタイプの準主役を主役に差し替えてくるんだけど、今回もそのパティーンを断行したようだ。
 これって日本のサブカルチャーじゃなかなか考えられないんだよな。やっぱり日本って美男美女じゃなきゃ主役はダメみたいな暗黙のイケメン至上主義があるからさ。だって、『魔法使いサリーTHEムービー』でよし子ちゃんは絶対主役にならないじゃんw
 そこが、ピクサーが持たざる者、欠落した者に優しいアニメ会社と呼ばれる所以よ。ほいで、おんぼろレッカー車や、全く怖くないオバケで主役の映画を作ったという自信が、とうとうアニメ史上最も主役で動かすのが難しいであろう、健忘症のナンヨウハギのロードムービーを生み出した。

 いちばん素敵なことは偶然起こるの。それが人生。

 私って、アニメ映画を見るときは特にそうなんだけど、脚本家目線で鑑賞しちゃう癖があって、こんな厄介な設定のキャラは自分には動かせねえなって思うもの。
 普通主人公って、理想や目的があって、その壁を乗り越えることで成長、勝利し一件落着みたいな動きをするんだけど、室井滋はその目的が定期的にリセットされちゃうから、自分で物語を動かせないんだよ。星のカービィスーパーデラックスかっていう。
 実際スタッフもかなり難しかったようで、物語の前半部のエンジン始動がいつもよりもちょっとスムーズじゃないというか、軽くエンストしてた感じはしたよwあの手練ぞろいのピクサーにしては珍しいというか。
 これは『シビルウォー』や『ズートピア』など、最近のディズニー作品でちょっと気になるところなんだけど。ちょっともたつくというか。方向性を見せあぐねてるというか。情報量が多くて洗練できてないんだよね。個人的には私は冒頭はシンプルなのが好きだからね。
 
 話を戻そう。じゃあどうやってこの問題を克服したかって言うと、やっぱり頭いいんだよね。主役が主役として無力なら、主役の頼りなさを見かねた周囲の魚介類が善意で助けてくれるという、ハートウォーミングな構造にしたわけ。
 このテーマを見せられてさ、私は昨年度お世話になった特別支援の有名な先生が言っていたことを思い出したんだよね。

 できないものはできないでいい。できる人が代わりにやってあげればいい。

 だから、ハンディキャップを持つ子ども(SEN)を育てる上で一番大切なことは、困っていたら周りの人が手を差し伸べてくれるような、そして、自分からも素直に助けを求められるような、そういう人に育てること、みたいな。
 つまり愛されキャラになれっていう。これは一見、温かい言葉な気もするけれど(まあ実際自分なんかもこの言葉に助けられたんだけど)、一面ではすごいシビアな現実を見越して言ってるよね。ハンディキャップもあって、なおかつ嫌な奴だと、ホントにもうどうにもならないぞっていう。
 だから、人に対する親切だとか感謝とかは結構厳しく指導していた気がする。世の中が善意で成り立ってないことは事実であって、事実だからこそ善意を信じて生きていくしか道はないんだよっていう。

 こういう優しいながらもシビアなところを付いてくるのが、やっぱりピクサーだよなあって。これが『ズートピア』だと、その部分が良くも悪くもメタ的なんだよね。だからオタクとか社会問題が好きな人は面白いんだろうけど、そして人種差別というナイーブなテーマだけにメタにやるしかなかったっていうのはあるんだけど、やっぱり私は身につまされるのが好きなんだ。
 泣いて感動して「あ~いい話だった」で終わっちゃうのは、自分と関係がないからなんだよね。アメリカの移民問題なんかも正直、日常的に興味を持って考えたりしないわけじゃん。
 でも、そういう大きな物語じゃなくてさ、どこかで困っている人を見かけたら、気兼ねなく声をかけて助けてあげたり、その逆に自分が困っていたら、つまらない見栄を張らずに誰かに助けを求めるっていうシチュエーションは、けっこう身近にあることだし、意外と恥ずかしかったりして、できないもんなんだよね。
 でも、それが社会を成立させる上で一番大事な基礎の部分なんじゃないかって思うんだよね。作中でも言ってたけど、難しいことを考えずに、私が出会った人はきっといい人って根拠もなく信じる心。
 そんなもん、弱肉強食の競争社会じゃ絶対にいの一番にやられちゃうはずなのに、そういう人がダーウィン的に淘汰されずに存在するという事実。アメリカやイギリスやフランスやトルコのことは大きすぎて分からないけど、そこから考えていくしかないんだと思う。

 海には壁はないんだよ。
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