複雑化する分類法

 現在、生物学の分類は過渡期と言うか、岐路に立っているような気がします。というのもリンネ式分類がそろそろやばいことになっているからです。
 今のところはまだリンネ式の界>門>綱>目>科>属>種という分類の階級(タクソン)を使っているけど、界~科は全部「類」なるかもしれない(一部の図鑑ではもうなった)。

 現在の生物学では、二種類の生物がどこで別の種類に分かれたのか、その分岐点(ノード)を重視する「分岐分類学」や、その生物のDNAを比較して生物の類縁関係を調べる「分子系統学」など、リンネの時代には無かった新しい分類の方法が確立されています。

 なぜそれがリンネの分類単位に変更を迫っているのかと言うと、例えばリンネ式の分類では「脊椎動物門」には「条鰭綱(いわゆる魚)」「両生綱」「爬虫綱」「哺乳綱」「鳥綱」(進化の歴史で登場順)などのグループがあって、爬虫類と鳥類は同じ「綱」という階級なので並列関係にあるはずなのですが、分岐分類学的には鳥類は爬虫類の一部になってしまうのです。

 具体的に言うとまず爬虫類に「ワニ」と「カメ」と「トカゲ」のグループがあり、そのワニのグループに恐竜が所属していて、その恐竜のグループの一部が鳥類なので、鳥類は「綱」のような高い地位にいるべきグループじゃないことが分かります。

 つまり分岐点を重視する分岐分類額による系統樹(クラドグラム)では、界>門>綱>目>科>属>種という単純な上下関係が消滅してしまうのです。

 さて、これまでの分類法に進化(=時間)の概念を持ち込んだ分岐分類学は、科学的に正しいのでしょうが、分かりやすさではリンネ式分類に大いに劣ります。
 それもそのはず、リンネの時代に進化と言う概念は無く、生物は不変だと思われていたのです。だから全ての生物に名前をつけて整理できると思っていた。まさか生物の種の数が増えたり減ったりしているとは思わなかったのです。

 さらに、これをもっと突き詰めると進化は時間の他に、空間(住み分け、食い分け)や他の種族との相互作用(共種分化)でも起きるので、わけのわからぬリゾーム型ネットワークができあがり、我々の脳ではその複雑なネットワークは整理、分類できません。

 そのひとつの解答が三中信宏さんの「系統ジャングル」なのでしょうが、おそらくこれからの分類学は、対象によってスケールの異なる手法やモデルを用いるようになるのかもしれません。量子を研究する時にニュートン力学ではなく量子力学を用いるように。

おまけ:分類学の歴史※どんどん分かりづらくなります!

人為分類・・・かなり分かりやすい。でもひどい。
 生物を人間の基準で恣意的に分けていた(要は分かり易ければテケトーでいい)。「魚は水の中を泳ぐ生物とする」とか。この場合イカやタコやアサリも魚になっちゃう。

自然分類・・・分かりやすい
 いくらなんでももうちょっと科学的に生物を分類しようと思いたった。科学的な分類学の出発点。ある種の本質主義に基づく(自然界には答えが一つ!みたいな)。

リンネ式分類・・・分かりやすい
 自然分類に基づく。分類単位に界>門>綱>目>科>属>種という階級(タクソン)を設けた。ここに生物の種の数が増えたり減ったりするような事や、生物の形が変化するという「進化」の概念は無い。

比較解剖学・・・※分類の手法
 骨などの解剖学的な所見を基に生物を分類した。キュヴィエは解剖学に基づき生物を大きく四つのグループ(門)に分けた。

分子系統学・・・※分類の手法
 遺伝子を比べて類縁関係を調べる。ミトコンドリア・イヴなどはこれで調べた。

分岐分類・・・分かりにくい
 進化の分岐点を重視して分類する。しかし進化はノードだけ理解すればいいわけではないので、不完全なモデルであるという批判もある。とはいえリンネよりは相対的に正しい。

進化分類学・・・かなり分かりにくい
 進化の全体的なプロセスをふまえて分類する。詳細な定義は分からないけど「分岐分類+比較解剖学+分子系統学」って感じ。
 ただし分岐分類と異なり、鳥類などではグループとしての独自性を認め、側系統群(爬虫類というグループの一部)としてではなく単系統群とする。

系統スーパーツリー・・・超分かりにくい
 複数の個別生物群に関する系統樹を組み合わせて、ひとつの巨大な系統樹をモデル化する。

系統スーパーネットワーク・・・もはや人間には分からない?
 進化の相互作用もふまえて分類する。一番現実に近いが、系統樹がぐじゃぐじゃになり理解不能。ジャングル。

読書感想文と評論文と研究論文の違い

 評論・・・物事の価値・善悪・優劣などを批評し論じること。

 感想・・・物事について、心に感じたことや思ったこと。


 う~ん、違いが分からない・・・物事について「よかった」「面白かった」って感じるのは、物事に価値を見出しているわけで、評論ではないのか?小学生の読書感想文はなぜ評論文たりえないのか??

 ・・・おそらく小学生の読書感想文は「価値の絶対化」である場合が多いけど(読書感想文を買うのに何冊も関連書籍や参考資料を読まないだろうし)、評論文は「価値の相対化」をしている気もする。つまり比較検証をしていると。
 だから映画評論家の人はやたら映画をたくさん見ていて詳しい。それが評論家として必須のように。

 批評・・・物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。

 そして評論と批評も言葉としてあまり違いは無い。

 ただ感想文にしろ評論文にしろ、それはあくまでも個人的見解だということ。有識者の集団による評論もまれにあるような気もするけど、基本的に個人的な主観。
 そして論文も個人で書く場合が多い(いや科学論文はそんなことない??)。私は大学で教育学の論文を書くとき、指導教官の先生にいつもこの問題を嘆いていた。
 私の言い分はこんな感じ。

 教育学は科学ではない。色々な点で科学的アプローチができないことが多い。だから真に客観的な論文は書けないのではないか(本当は科学も真に客観足り得ないんだけど)。

 でも先生は常に「論文は主観的なただの評論文になってはいけません」と私に注意していた。「いろいろな文献を比較し分析し、できる限り客観的、普遍的な論理に近づけなければならない。でなければ学会で相手にされない」と。
 しかしこれは科学じゃない人文系の論文ではなかなか難しい。とくに文学作品(シェイクスピアの作品『から騒ぎ』など)に関する論文などは。これは限りなく評論(=主観)にちかい論文と言える。

 では芸術文化の論文において客観的アプローチは不可能なのか?と言えばそうでもない。進化論のように、芸術史を体系づけたり、分類することもできる。
 そしてその研究は「この絵は素晴らしい、これは稚拙だ」というただの評論と一線を画することができる。優劣関係を論じてはいないから。これはけっこう科学的なアプローチだと思う。

 強いて優劣関係があるとすれば、その研究者の説自体の正誤。
 研究者はそういう意味でメタ的立場に立って研究しながらも、評論家のような自分が作品を作りもしないで、偉そうにくさす卑怯なメタ的立場には立たない。
 研究者は学会と言う戦場で、大いにふるいにかけられる。そういう意味では研究者も作家なのだと思う。

 そしてプロの評論家も実は作家。面白い評論(作品)を書いて飯を食ってるわけで、その評論が読者にとってつまらなかったら、雑誌等の連載を切られちゃったりする。
 でも研究者との違いは、研究者は学説を基準に戦うのに対して、評論家は漫画家と同じく面白主義を基準に戦っている。
 だからそれが個人的主観でも、ただの感想でも、もっといえば週刊誌レベルの誹謗中傷でも、読者が読んでくれさえすれば何でもいい。
 漫画だってひどい落書きでも人気があれば「ヒット漫画」だし、絵が巧くてもつまらなければ「駄作」打ち切りになる。

 しかしこの評論家のスタンスは最近ネットやブログの普及でやばいことになりそう。いまや素人でも批評活動はできるから。
 となれば、プロの評論家は今こそ「研究者」にステップアップするべきではないか?評論対象の価値判断「面白い」「つまらない」と言った主観的行為から、もう少し客観的な学説に移行することはできないのだろうか??

 ・・・と小難しく書いてきたけど、感想文と評論文は同じものだと思う。大した違いは無い。なのになぜ小学生の読書感想文を評論文と言わないのかと言えば、論の説得力の度合いだと思う。
 だから小学生でも、その作品を評論するにあたって関連書籍をあたり先行研究をした上で説得力ある作品論を論じていれば、それは評論文。さらに学会のコンセンサスすら得られたら、それはもはや研究論文。
 逆にいくら評論家でも「これはつまらない!ゴミ!」と言う“だけ”の根拠のない中傷なら、それは評論ではない。感想でもない。THEネット掲示板。

 私も『アリス・イン・ワンダーランド』や『告白』に悪態ついたことがあるから「お前が言うな」だけど、一応その根拠も説明したつもり。でも所詮はただの感想。

 こうやって屁理屈言って無責任に逃げるのがTHE素人

コンカベナトールについて

 今年9月9日に発表された新種の恐竜コンカベナトール・コルコヴァトゥス。

 あまりに腰の部分がおかしくて、気がついたらイラストを描いてしまっていたのですが、骨格の写真をよく見ると、仙椎(骨盤部分の椎骨)の前の突起はほぼ直角に長く伸びているのに、仙椎の突起はほとんど長くない。そして尻尾の根元の突起がやや長く伸びている・・・
 だからニュースでは二つのコブがあるって言ったのか。
骨盤.jpg

 でもこれってやっぱりおかしいですよね。骨盤部分の突起がおっかけたって感じでもないので、まあ骨盤の部分は空間があってそこに脂肪を蓄えていたって言うのも一理あるかも・・・
 最初、骨盤前後に二つの突起があるだけの復元をしたら、あまりに不自然で(ださい)、この隙間は絶対なにかで繋がっていたと考えるのが自然だと思います(THEオレ解釈)。
脂肪.jpg

 こういうぶっとんだ種類がまだ新しく発掘されるのが面白いですよね。わたし今までの新種で一番驚いたかも・・・(羽毛恐竜より)

古生物学における本質主義

 相変わらず舌鋒鋭いサイエンスライターの金子隆一さんですが、それに関連して古生物学に本質はあるのか考えてみたいと思います。

 私の本質主義に対するスタンスは「学問に本質は存在しない」という『系統樹思考の世界』の著者の三中さんと若干違っていて(いや一緒か?ちょっと“本質”の定義によるんだよな)、まずもって自然現象には本質が先だって存在し、その本質に完全にたどり着くことは科学には限界があるので(不確定性原理、ゲーデルの不完全定理など)不可能だけれども、研究を重ねるごとに本質に近づくことはできると考えています。

 よって私はパラダイムシフトも「科学に対する認識が180度変わる革命」と捉えてはおらず、「これまでの理論の補正、それが大きいもの」としています。
 これはなぜかというと、進化論が発表され「生物は不変である」というこれまで生物の捉え方は大きく変化しましたが、だからと言ってこれまでの生物学が全否定されたわけではないと思うからです。
 ポストダーウィンの今日の生物学は、やはりアリストテレスなどの先人の理論を土台に、正しかったものは残し、誤っていたものは捨てながら、取捨選択をして、生物に対する認識が鮮明になっていったと捉えるべきです。

 つまり科学理論も生物の進化と同じようなパターンをとるわけですが、問題は生物の進化には決まった方向性があるのか?ということ。
 これがなく、まったくランダムの結果が現在の生態系だとするならば、科学理論には本質は全く存在せず、本質に近づくこともなく、その時代時代でぐるぐる流行が変わっていくだけとなります。
 ちなみに宇宙が消滅して、ふたたび無から宇宙が誕生した時、水がある地球のような星ができて、地球のような生物が同じような歴史をたどって人類のような知的生命体に進化するのは確率上ほぼ不可能とするのが、この意見です。

 もうひとつは私の主張なのですが、進化の原動力はランダムなのですが、生態系を取り巻くさまざまな内的外的要因によって、結局選択肢の幅があまりなく、進化のパターンは何度実験を繰り返してもある程度収斂するのではないか?というものです。
 例えば最近話題の量子進化論。トラやヒョウといった動物の模様のパターンは発生学をふまえた複雑系数学の数理モデルで、ランダムでも結局ああいう模様になることが証明されたようです。
 つまり進化の原動力はあくまでもランダムで運命論的な定向性はないが方向性のパターンはある程度絞られるのだと思っています。運命論でもないけど非決定論でもない。

 そう考えれば、私は科学理論にも生物進化と同じで方向性のパターンがあり、思考錯誤を重ねることで理論の方向性はかなり絞り込まれていくと思うのですが、どうなんだろう。
 新しい理論でも古い理論でも間違っているものは淘汰され、正しいのは理論の背骨や核となって残るから、本質は絶対分からなくても、本質らしきものにはなると思うんだけど・・・

 で、ここからが本題。では古生物学に本質はあるのでしょうか?私は無いと思います。だから金子隆一さんの言うような「正確な恐竜」なんて永遠に解らないと思います。これは学問本質主義のグールドですら著書『干し草のなかの恐竜』できっぱり否定しています(下巻23ページ)。
 もちろん恐竜の化石が発掘されていることから6500万年前には確かに本質はあった。しかしそれはもう失われた。よって科学の理論としては6500万年前の本質に近づくことはできるけど、本質にはならないということです。答え合わせができないから。

 さて、答え合わせができないということは、「その存在を完全否定することは事実上不可能である」という「悪魔の証明」がかなりしゃしゃり出てきて、だから金子氏が憤慨するような「オレ基準」の稚拙な恐竜のイラストや、不親切な恐竜展がはびこってしまう。
 つまり日本の恐竜文化は心霊現象や超常現象と同じ問題を抱えているのです。
 映画『ジュラシック・パーク』の襟巻をつけたディロフォサウルスは、おそらくかなりの確率で存在しなかったでしょうが、存在した可能性を全否定は絶対にできません。

 つまり金子さんはそういう意味で「恐竜文化界の大槻教授」なのです。古生物界ではありません。あくまでも“恐竜文化界”です。
 そして科学の立場は基本的にニュートラルで、政治的、文化的啓蒙をしませんから、科学の世界にいる古生物学者は、恐竜文化など相手にしません。文化を自然科学のコンテキストで論じるのはおかしいのです(社会科学とかならOK?)。
 恐竜イラストレーターとして有名なG・ポールも「おもちゃとして売るなら好きにやればいいじゃん」とノータッチです。 
 よって金子隆一さんも恐竜における最新の研究だけ客観的に伝えていれば別にいいのですが、「日本の恐竜マニアのレベルは低い!」と主観的啓蒙を始めた時点で、彼の論はサイエンスからサブカルチャーにまで降格するのです。
 
 結論:金子さんが「恐竜文化評論家」ではなく「サイエンスライター」を自称するなら、自然科学の恐竜の本で自分の愚痴とかはしないでほしい。あれ余計なんだよな。
 愚痴だけで一冊の本にまとめた『知られざる日本の恐竜文化』はその点は評価できるけど。

 しかし私も矛盾してるな。同じサイエンスライターの竹内薫さんの愚痴はすっごい笑えて好きなのに・・・やはり文章表現の仕方かなあ。私も気をつけよう。

昇華について

 パラジクロロベンゼン。化学式はC6H4Cl2。融点53℃、沸点174℃。
 
 これは中学校の理科の状態変化のところで出てくる塩化化合物なのですが、ドライアイスのように空気中で昇華(固体からいきなり気体になること)します。中学校の理科では、昇華する物質でけっこうベタだから出している感じです。

 塾で生徒に「結局これってなんなんですか?」って聞かれたのですが、パラジクロロベンゼンは、トイレに昔あった消臭剤や、防虫剤に使われています。においがキツイやつ。だから教科書も防虫剤(パラジクロロベンゼン)ってかけばいいのに・・・

 あと炭酸水素ナトリウム(=重層。かなり弱いアルカリ性)の分解をやった時、重曹は熱すると、炭酸ナトリウム(けっこう強いアルカリ性)と、二酸化炭素と、水に分解されるって言ったら、「じゃあ炭酸水素ナトリウムはどうやって作るの?」とパンチのある質問。これは水酸化ナトリウムと二酸化炭素を化合させるとできます。

 ただベーキングパウダーの実験で学校の先生が「普通に熱しただけじゃできないから何か工夫してた」って言うのはちょっとわたし化学の専門家じゃないので分からない。調べてみよう。

 追記:ドライアイス(固体の二酸化炭素)ってどう作るか気になったのでまとめました。二酸化炭素は融点(-56℃)と沸点(-78℃)はとても低く、常温では気体の物質です。
 しかし融点や沸点は圧力によって変化するので、強い圧力をかけると二酸化炭素の沸点は上がり(気圧の低い富士山山頂でご飯が炊けないのとの現象)液体の二酸化炭素が得られます。
 この液体の二酸化炭素を急激に気化させると、強烈な潜熱(=帰化熱。気体になる時まわりから熱を奪って温度が下がる現象。うち水など)によって二酸化炭素の温度が下がり、固体(ドライアイス)になるそうな。

 で、このドライアイスを常温1気圧に置くと、昇華して一気に気体になるらしい。これは温度と圧力を下げると、融点と沸点はどんどん下がっていくんだけど、その下がり具合が沸点より融点の方が激しくて、決まった温度と圧力で融点が沸点と重なってしまう。
 この点を三重点って言って気体、液体、固体が共存できる点とか言ってるんだけど、私にはよく分からない。
 三重点ではどんな状態で物質が存在しているのかが。水なら水蒸気と水と氷が同時にいるってこと?じゃあなんで三つに分かれてるの??どれか一個でもいいじゃん。
 まあなんにせよ二酸化炭素の三重点は「-56.6 ℃、5気圧」なので1気圧では沸点と融点の間が無いのでいきなり固体から液体に昇華する。
 本当は分子の性質(二酸化炭素は分子を作る力が弱い)とかいろいろあるらしいけど、大雑把に言うとこんな感じ。

 つまりドライアイスの生成は、圧力を調整することで物質の状態や温度を変えているんだけど、実は冷蔵庫の冷媒がこれをやって食品を冷やしていたりする。
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