セデック・バレ

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆」

 お前らに文明を与えてやったのに、反対に我らを野蛮にさせおって。

 腰が抜けた。映画でここまで衝撃を受けたのって『ジュラシック・パーク』以来!いや、『オーケストラ!』以来かな。いやいや『アイアンマン2』以来かも・・・(※思い返すと割りとある)まあいいや。とにかくとんでもない映画だった。
 もう映画冒頭から「出草・・・首狩りのこと」という不穏な解説が出てくるんですが、その期待は裏切りません。あんなに首なし死体が出てくる映画は他にないぜって。
 もう筆舌尽くしがたい、凄惨な映画なんだけど、その反動だかなんだが知らないけれど、画面がやたら美しい。下関条約あたりの台湾ってあんなイスラ・ヌブラル島みたいなところだったんだってびっくり。アバターだよ。台湾でアバターやるとこうなっちゃうんだよ。

 しかしこれって、「文明VS野蛮」って図式の映画ってことになっているけれど、見てると「おせっかいVSおせっかい」の戦いって感じがした。
 首を切るって、現代人の私たちにはえらい残虐な行為に見えるし、あんなギャングの抗争みたいに、部族(社という)どうしで始終殺しあっていたら、早々どっちかが全滅しちゃう気がするんだけど、ああいう風習がついこないだまで残っていたっていうのは、経済学的にどう言う合理性があったんだろうって非常に興味深い。ピーター・リーソンの次の本のタイトルが決まったよね。『首狩りの経済学』ですよ!
 ・・・って冗談は置いておいて、だから、台湾の人にとっては首狩りが日常で、日本人の横暴さに堪忍袋の緒が切れた台湾の人たちが、運動会で集まっていた日本人を民間人、女、子供問わず血祭りに上げるんだけど、その時に「君らも一緒に祖先の家に行こう」って言うんだよ。
 つまり彼らなりの親切心で首を狩っているわけ。これがもう胃をギュッとなった。この双方の哲学のとんでもない隔たり。

 もちろん自分だって首を切られて死にたくないし、仕事柄、教え子にリンチされてメッタ刺しに殺されたくないなあ(学級崩壊の最終形態だよね)とかは思ったんですが、それ以上に辛かったのは、自分たちも思い上がった親切心で、考え方の違う人に、こういうひどいことやってるんじゃないかっていう後ろめたさ。
 そういう意味で、やっぱり台湾にとって日本は加害者なんだよ。歴史っていうのはそう言う意味ですごいナイーブな問題なんだよなあ・・・結果論でしか言えないというか。
 幸いなのは、今の台湾の人が今の台湾を愛し、今の台湾の生活に幸せを感じていてくれているなら・・・ってところなんだろうなあ。親日的だしね。
 でも、もしこの教条性の違いによる衝突がなかったら・・・つまり化外の地――台湾を大きなお世話で侵略しなかったら、今なお彼らは首を狩って殺し合っていたのだろうか・・・なんか、すっごい複雑・・・
 ポストモダニストはそれぞれの伝統文化を相対化し、どれも尊重するというけれど(多元文化社会)、この首狩り文化を残すべきだったか、いろいろ考えたほうがいいよね。

 まあ、ここまでの哲学というか死生観の相違って、そうそうないし、結局この惨劇は日本が台湾をほっとけば良かったってなるのがね。共存なんて綺麗ごとで、秩序の維持には支配、被支配の関係が底板にならざるを得ないというか。
 本当は住み分ければいいんだろうけど、それでも同じ地球に住んでいる以上、そう言う人とどうやって争わずに共に生きていくかを、やっぱり考えないと、こういうリアルマチェーテが勃発するってことで。
 ただ、この映画でわかるように、支配する側がよほどの横暴、無礼をしないと、こういう破滅的なことは起こらないっていうのもわかる。あの吉村ってやつがバカなんだよ。なんか神経が細い体罰教師みたいなやつなんだけど。
 やっぱり、体罰はよくないよ。あまりに人権を踏みにじったら、ああいうとんでもない報復に合うっていうことなんだよね。体罰防止研修とかにこの映画見せたらいいんじゃないかなあ。

 最後に一言。セデック・バレっていうのは「真の人間」っていう意味で、敵の首を狩った男や、布を織る女は顔に一人前の証として刺青を入れられるんだ。
 んで、男性の刺青はファンタジーっぽくてかっこいいのだが、なんで女性のほうはだっふんだなんだろう・・・いや、あの文化を馬鹿にしているわけじゃないんですが、あの顔を見たらやっぱり志村さんが脳裏に浮かんでしまって・・・(^_^;)

経済学覚え書き①

 今、大学で経済学(というか社会学全般)を勉強しているのですが、テキストが分厚い&重い・・・!500ページ以上あるのにハードカバーじゃないから、クネクネして持ちにくい(^_^;)
 ただ、持ちにくさに我慢できれば、テキストの内容は初心者向けですっごいわかりやすく、なによりも面白い!レヴィットの『ヤバい経済学』あたり引用するところ、著者の伊藤元重先生なかなかの学者さんのような・・・

 で、ここでは第一章で自分が面白いと思った箇所や、メモっておきたい用語を覚え書きします。昔はこういうことって大学ノートにやってたんだけど(ナドレックさんにこの前怒られたけど、本や映画を見ながらメモをとるのが癖)、もう鉛筆で字を書くのすら億劫で、しかも私、字が汚いから、後で読み返した時になんて書いてあるかわからないこともあったんですが、そう言う意味ではパソコンは福音だよなあ。
 
 経済学を学ぶ目的は、経済学者の議論にだまされないようにするためである。
                    ――イギリスの高名な経済学者の言葉(誰やねん)

お金の役割
①価値尺度手段:商品の価値の測定基準になる。
②価値貯蔵手段:富を蓄えることができる。
③交換手段:商品の交換のなかだちをする。
④支払手段:銀行預金やクレジットカードで決済をすることができる。

トレードオフの関係
あちらを立たせれば、こちらが立たず。リチャード・ドーキンスが多用(している気がする)
例えば、トレードオフの関係を無視して、好きなだけ生産&消費をすると、資源が枯渇するので、結局最終的には制約を受ける。ここら辺は生態学や進化論などと一緒。
経済学の一つの目的はトレードオフの関係をふまえて、どのような選択が最善か指針を与えること。※保全生態学者っぽい。

アダム・スミス
海外との自由な貿易が最終的に自分たちの国を豊かにする。←重商主義(貿易差額を獲れば国は豊かになるという考え方に基づく保護貿易政策=自分の国さえ儲かりゃいい)批判。市場の機能で社会は豊かに。

デビッド・リカード
ワインを作るよりもラシャ(毛織物)を作る方が得意なイギリスと、ラシャを作るよりもワインを作る方が得意なポルトガルがあったとき、イギリスはラシャ、ポルトガルはワインと、役割を分担して生産にあたった方が、どちらの国の利益も拡大する(二国のワインとラシャの生産量の合計が上がる)という比較生産費説に基づく自由貿易を主張。これを国際分業という。

フリードリッヒ・リスト
逆に保護貿易を主張したのがこの人。
当時のドイツの遅れた工業を見て、これは国が守りながら発展させないと、仮に自由貿易を始めても国際競争に絶対に敗北すると考えた。
具体的には関税を課したり、輸入量の制限をするべきだとした。
この人はほかにもヨーロッパを統合すべきだ、というEUみたいな発想を19世紀の時点で考えていて、そのEUが加盟国間で関税を排除しているのは、なかなか考えさせる。

市場の失敗
ただ規制緩和をすればいいってものじゃくて、市場に全てを委ねると、環境が破壊されたり、所得分配に格差が生じたり、やっぱり社会がめちゃくちゃになる。
ケインズなどは確か政府が市場に介入することを論じていた(気がする)。
代表例は以下のとおり。
①独占の形成
②外部不経済の発生
③利益にならないために公共財が供給されない
④情報の非対称性
⑤流動性の罠
(貨幣を貯め込もうとするために総需要が不足し失業が増える)

合成の誤謬
各個人の行動を考えるだけでは、経済全体の動向はつかめないこと。

 僕が古畑さんとコンビを組んだのは二年前です。まあ、とにかく僕らは名コンビって言われてましたから。まあ、確かにあの、息はあってたし、その、互いの足りない部分を補うっていうか、つまり、1+1=2ではなく3にも4にもなったそういう理想的な関係でしたね。
                                ――ある巡査の言葉

例えば・・・自分の貯蓄を増やそうとする→消費が抑えられる→生産に対する需要が減少→景気が悪化→企業の利潤が低下→サラリーマンの所得の減少→結局貯蓄が減少

囚人のジレンマのナッシュ均衡(みんなが自分の利益“だけ”を追求するとみんな損するというやつ)などが有名。

行動経済学
消費者や生産者は常に合理的な選択をする(自分が得する事を選び、損することは避ける)、というのが経済学の前提であるが、そこに心理学の研究成果も取り入れた考え方。

ミクロ経済学
個々の市場の需要や供給を分析する。

マクロ経済学
マクロ経済政策、経済成長、経済全体の動向を分析。インフレ、デフレ、政府財政、為替レート、GDP(国内総生産)や政府支出など。

需要供給曲線
経済学で最も重要な、黄金のクロス。縦軸は価格、横軸は買われる量もしくは売られる量。

需要曲線
右下がり!デマンドの頭文字Dが使われる。
値段が安いと、たくさんの人が買う(グラフ右)。値段が高いとあまり買わない(グラフ左)。

供給曲線
右上がり!サプライの頭文字Sが使われる。
売値が安い(=儲けがわずかだ)と、あまりその商売に手を出す人はいない(グラフ左)。売値が高いと、みんながその商売に手を出す(グラフ右)。

均衡価格
エクリブリウム(均衡)の頭文字Eが使われる。
需要曲線と供給曲線が交わった点に於ける価格のこと。需給の一致。

超過供給
グラフの右のエリア。
価格が高く、供給量が多く、需要は少ない。
売れ残りが出るので、どんどん価格は安くなる。

超過需要
グラフの左のエリア。
価格が安く、供給量が少なく、需要は多い。
欲しい人はたくさんいるのに売り切れるので、どんどん価格は高くなる。

価格の乱高下
白菜や石油など。
基本的に毎年ほとんどの人が買うので、仮に供給量が大幅に変化しても需要が変化しにくい(非弾力的な需要)。いっぱい取れても毎年買われる量は同じ。不作でも買われる量は同じ。
また、ある年で白菜が高値をつけても、ほかの農家はすぐに白菜に乗り換えることが難しいので、需要に伴った供給量の調整に時間がかかる。よって供給曲線は値段に関わらず変化しない、年度ごとの垂直線になる。

計量経済学
現実のデータ(売上や生産量)をもとにして、需要曲線や供給曲線を引いていく分野。過去十年の白菜の価格と収穫量のデータをグラフ化すると、だいたい理論通りの曲線を描く。

需要曲線のシフト
供給量は変わらないが、例えばその土地の近くに鉄道の駅ができて便利になったりすると、土地の需要が増え、地価が上がったりする。
この場合、供給量が弾力的(需要に合わせて供給できる)だと地価は緩やかに上がり、供給量が非弾力的(需要に応じて供給量を変化させられない)だと地価は急激に高騰する。
もう一つ地下を上げる原因は、地主の売り渋り。この場合、供給曲線Sは右下がり――つまり、価格が高くなればなるほど、供給量が減るという普通とは逆の曲線を描く。

消費税
消費税が10%かかると1000円のものは1100円で売られる。この負担は、需要供給曲線の弾力性の程度によって、消費者が負担するか、生産者が負担するかが決まる。

①消費者が負担する場合
需要曲線の傾きが急(=需要が非弾力的)なので、高くなってもみんな我慢して買う。
対して、供給曲線の傾きは緩やか(=供給が弾力的)なので、供給する側が価格に敏感に反応できる。つまり、少しでも価格が下がったら、みんなごぞーっと撤退する可能性があるので、生産者価格はあまり下がらない。
また価格が上がっても、需要が非弾力的なので、売り手もそこまで供給量を増やさない。

②生産者が負担する場合
需要曲線の傾きが緩やか(=需要が弾力的)で、高くなったらみんな買わない。安くなったら買えばいいやってなる。
対して、供給曲線の傾きは急(=供給が非弾力的)なので、価格が高かろうが安かろうが供給量をあまり変えることができない。よって価格が高くなったら売れ残りが出る場合がある。そうなると、均衡価格は大幅に下がることになる。

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆ 睡眠効果☆☆☆☆☆」

 やっぱりいけないと思うよ。自分勝手にルールをやぶるのは・・・

 いや~頭痛がする映画。こんなに頭使う映画ってクリストファー・ノーランの『インセプション』以来だなあって思っていたら、わりと、というか、かなり『インセプション』っぽい話だった。まあ、あっちは階層構造で、こっちはトランス構造なんだけれど、物語の要素が複雑なのは五十歩百歩?
 とにかく論理のつじつまをテキスト(セリフ)でまとめて合わせちゃうから、ちょっとでも気を抜くと、何言ってるんだかわからなくなっちゃう(^_^;)
 とはいえ、パッと見シュールだったり(今回もキリコやマグリットを引用)、破綻しているように見えるけど、ちゃんと前作を踏まえておおまかなロジックは成り立っているのが相変わらずすごい(細部はファジーでわからんw)。この脚本家の人はテキストの人なんだろうね。

 さて、言うまでもなく『魔法少女まどか☆マギカ』は、リアルタイムでかなりハマったテレビアニメで、とにかく脚本がしっかりしていて、さらにブラックで意地悪な展開とかなかなか好きだった。
 ただ、続編製作決定!ってアナウンスがあったとき、内心(やめたほうが・・・)って思ったのは私だけじゃないはずだ。
 もう9話の大どんでん返しをみんな知っちゃっている以上、「このアニメはそういうアニメだ」って見ている方も身構えちゃうし、そうなると作る方は、いっそNOどんでん返しというどんでん返しをやるか、世界“外”存在のルールをさらにインフレさせるしかない。んで、やっぱり後者をやってきたという・・・そう言う意味では、前作を踏まえたすごい正統派な作り。
 世界外存在ってのはハイデガーの世界内存在の対義語みたいな感じで今勝手に作った言葉なんだけど、まあ超越者のこと。
 アメリカ映画でよくある、この世界の文明は宇宙から来た知的生命体によって授けられ、そいつが我々の神だったんだっていうID展開。『2001年宇宙の旅』の記事でも言ったけれど、この手法の問題点って、じゃあその知的生命体を作ったのは誰だよって合わせ鏡のように神の神の神の神・・・ってキリがないところ。
 んで、この映画はそこを果敢に切り込んでいったのが、意外とありそうでなくって面白かった。

 この映画、とりあえず三つの勢力・・・というかメインキャラクターを整理させないと、もうわけがわからなくなっちゃう。
 まず、「まどか」ちゃん。この子は、魔法少女が絶望して悪役の魔女になっちゃうというこの世界のルールを最終的に変えてしまったという女の子で、もう自分自身が重力とかエントロピーとかそういった自然法則化しちゃったので、ルール書き換え後の世界には存在自体がなくなってしまったという人。
 じゃあ絶望が臨界点まで達した魔法少女はどうなるかというと、なんか魔女になる前に、まどかさんが天から降臨して、なんか天国的なところに連れてかれるというwこのシステムをマミ・トモエ(2011).は「円環の理」と命名している。

 で、ここからが『叛逆の物語』になるんだけど、「キュウべぇ」ってのがいて、この動物は魔法少女が魔女になった時に放出するエネルギーを利用している知的生命体で、私はブラックF先生のヒョンヒョロみたくて、彼がわりと好きなんですが、Qさんにしてみれば、エネルギーを出す前に魔法少女を成仏させちゃうまどかシステムは「なにしてくれとんねん」って話で、なんで魔女にならないんだろうって、まどかシステムブロック装置を開発、絶望エネルギーを爆発させないでえんえんと蓄積させるとどうなんだろうって実験をしだした。こういう知的探究心旺盛なところ見習いたいと思う。

 その実験台になった人が、前作で唯一生き残った魔法少女の「ほむら」ちゃんで、まどかが病的なほど好きなのに、まどかが世界のために身を投げ打って消滅しちゃった事実を知っている唯一の人という。
 んでなんか、前作の最終回ではけっこうメンタル的な面を克服して、一人で戦い続けていたんだけど、やっぱり限界が来て、あまりにまどかに会いたいがために脳内でまどかワールドを妄想し、その中にひきこもり始めちゃったという。そこらへんから物語は始まる。そしてそこらへんがとにかく眠い。
 
 つまりQにとってはまどかが邪魔で、ほむにとってはまどかルールを覆させようとするQが邪魔なわけで、結局ほむは、自分が魔女化すると天からまどかさん来て、そうなると「犯人あいつか~」ってQにバレて(観測されて)まどかがQに干渉されちゃうから(ここら辺シュレーディンガーの猫の話なんだろう)、ほむは永遠にまどかからの救済を拒み続けて、なんか絶望をこじらせて巨大化するんだけど、それを不憫に思った、前作で魔女になっちゃった「さやか」ちゃんと、なんかよくわからない白い人が、まどかシステムブロック装置みたいなのを破壊して、ほむをまどかに救済させる。
 んで、ハッピーエンドかと思いきや(長い)、ほむの「まどか超好きパワー」が、救済しに来たまどかすらもなんか取り込んじゃって、ほむ自身も新ルール化する。

 ほんで、ほむがルールを書き換えた世界が構築されて(そういや、オイ魔獣とかの設定どうなった)、やっとまどかと一緒に暮らせるようになったんだけど、なんか「ルール勝手に破っちゃダメだよ」って(あなたに言われたくない)まどかに引かれちゃって、ほむは絶望して投身自殺をしたらしい・・・らしいっていうのは、あれだ。私の記憶もルール改定時に改ざんされたらしく、なんかこの映画の記憶が断片的なんだよ・・・恐ろしいやつだ、ほむ。

 うそです。ところどころ寝てました。

 で、笑えたところ。
 一つ目。配給がワーナーブロス。
 二つ目。ほむが「正直マミは苦手だった」って言うところ。

 私って、テレビシリーズ放送時に、このアニメの黒幕はほむらなんじゃないか?っていう説を提唱し続け、見事に誰にも相手にされなかった経験があるんだけど、この映画でほむが見事なヒールっぷりを見せてくれて満足だった。
 そして、結局ルールを変えてまで、まどかに会えたのにそのまどかにドン引きされるラストとかも、なんというか救いようがなくてけっこう好き。イソップ童話オチだよねw
 なんにせよ、これで、まどかもほむもどっちも自然界の法則を書き換えちゃったわけだけど、まどかの方はみんなのために、ほむの方はまどかのため(・・・と思いこんでいる自分のために)ルールを変えちゃったのが対照的だ。方や女神風。方やデビル風・・・
 まあ、こういったメタ的な世界で、世界外存在がああだこうだやるのって、昔の神話のお話みたくて割とこういうアニメでは斬新なのかもしれない。善悪二元論的な北欧神話や『マイティ・ソー』というか。

 でも、なんだろ。この映画、構成というかテンポがいまいち自分には合わなくて、『まどマギ』は1話30分を毎週見る分には面白いけど、まとめて一度に見る話じゃないのかなあって。
 それに、あの長ったらしい変身バンクとか、あれ五人分やるのかよ勘弁してよって思ったし、『まどマギ』の世界なら、変身バンク中に待ちきれなかった敵にマミさんあたりが食べられちゃったほうが、このアニメらしくて面白かったと思うんだけどなあ・・・
 だめか。『スターシップ・トゥルーパーズ』見て、頭を冷やしてきます。

アミスタッド

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 どういう国なんだ!?“ほとんどの場合”法が正しい国!?そんな国でよく暮らせるもんだ!

 くそ~これも名作映画だよ・・・もう社会の授業で見せて欲しい。恥ずかしながら私もアミスタッド号事件なんて知らなかったですし。ノルマントン号事件しかオレには・・・!
 この映画で一番ショッキングだったのは、奴隷売買の三角貿易って黒人が黒人を捕まえて売っていたこと。たしかに貿易の末端ではそうなっているのが自然なんだろうけど・・・白人=加害者、黒人=被害者って、完全に言い切れないぞこれ。
 また、その図式をさらに相対化しようとするかの如く、作中ではアフリカの部族が歴史的に奴隷を持っていたことが語られる。アフリカの奴隷はどっちかというと労働者の意味合いが強いっていうエクスキューズはあったけれど・・・

 さて、モンテスキューの三権分立というのがある。立法、行政、司法の権力が互いに独立しているという考え方だ。社会の授業でも習うから、これはある程度はしっかり機能しているんじゃないかと思っていた。でもこの前『「日本史」の終わり』という本を読んで衝撃を受けた。日本の司法は行政にてんで弱いという。
 そしてそれは19世紀のアメリカもそうだったようだ。立法府と行政府が互いに連帯責任を負う議院内閣制とは違い、アメリカは大統領制なので日本のようにスリーコンボとまではいかないが、それでもアンソニー・ホプキンス氏演じるジョン・クインシー・アダムズ元大統領は言う。「根っこではつながっとるんだよ。枝は分かれとってもな。」
 でもよくよく考えれば、三権が本当に断絶してたら国家システムは機動力をなくしちゃうわけで、これはある意味仕方がないことなのかもしれない。だが「司法と行政がつながっている=司法が行政の言いなり」とは限らない、みたいな展開になるのがユナイテッドステイツオブアメリカ。
 三権の上にはちゃんとアメリカの建国の精神=自由があるのがかっこいい。ここらへんやっぱりアメリカの人って愛国心がすごいんだなあって。

 スピルバーグ監督は定期的に、こういうちょっと重いテーマの映画を撮るけど、これはもうエンタティナーとかじゃなくて、ユダヤ系に生まれた一種の使命感で作っている気がする。そこがクリエイターとしてこの人はやっぱり天才だなあって思う点。
 基本的には無意味にグロいバカ映画(=インディ)の人で、そう言う映画を撮るのが一番楽しそうな気もするんだけど、やっぱりノブレス・オブリージみたいなもんがあるんじゃないだろうか。やっぱ作家ってそういう節操をなくしちゃったらおしまいよってところあると思うんだよなあ・・・
 それにこの映画、アカデミー賞もとったんだけど興行収入は芳しくなかったらしい。『リンカーン』もそうだったよね。結局こんな現実をほとんどの大衆は直視したくないわけで、経済観念で考えればこの手の映画は儲からないんだよ。それなのに撮り続ける。

 でも、これは決してスピ監督が独りよがりなわけじゃないと思うんだよ。おせっかいかもしれないけど、世の中こういうこともあるんだよって紹介することは、すっごい重要なことなんじゃないかって。
 例えば、黒人奴隷の証言を聞いたピート・ポスルスウェイトさん演じる検事が「そんなひどい話あるわけないだろ。コイツの作り話だ」っていうシーンがあるんだけど、これ見ようによっちゃブラックなギャグなんだけど、私なんか笑えなくって(^_^;)
 それはなんでかっていうと、数ヶ月前に『朝まで生テレビ!』でブラック企業の実態がテーマになったことがあるんだけど、ブラック企業でひどい目にあった社員を支援している人が、ブラック企業の現場をいくら説明しても、他のパネリストが「そんなひどい会社はないし、例えあったとしても、そんな会社は潰れている。それにそんな会社を選んだやつも自己責任だし、嫌ならやめればいい」ってまともに取り合ってくれなかったんだよ。
 この社会的勝ち組と負け組のパラレルな議論の噛み合わなさは爆笑だったんだけど、よくよく考えれば現代の日本の格差社会はここまで顕在化しちゃったのかってゾッとしたんだ。

 つまり、『アミスタッド』で扱われたディスコミュニケーションの問題は、自分とは関係のない歴史的な昔の話なんかじゃなくて、今なおコンスタントに存在する問題なんだよ。
 時代によってそれぞれパッケージがちょっと変わっているから、構造的な共通点がわからないだけで、どの時代のどんな人も実はだいたい同じような問題に苦しみ、悩んでいたりする。
 だからこそスピ監督は、こういう映画を(金にもならないのに)親切にも撮り続けてくれる。

 こんないいクリエイター日本にいるか!!w

 それに、この映画の前に偶然『ロード・オブ・ウォー』っていう死の商人の映画を見たんだけど、そいつが武器を売っている相手がリベリアやシオラレオネといった西アフリカだったんだよ。これは厳しいなって。つまり『アミスタッド』で自由を手にした奴隷シンケの母国は今なお大変な状況なんだという・・・
 また、私に一生ダイヤモンドは買わねえぞと誓わせた(もともと経済的に買えないけど)映画『ブラッド・ダイヤモンド』では違法ダイヤによって、ついこないだまで内戦が起こっていたことがわかる。つまり、基本的人権っていうのは実際にはデフォルトなんかじゃなくて、常に考えていないとあっさり踏みにじられてしまうものなんだろうね。

 結局この映画で語られるように、私たちは良くも悪くも「歴史」という文脈からは逃れられない。そして「自由」という言葉も、実はすごい重い責任が伴う概念だということがわかる。パッと見、無責任なゆる~い感じの言葉なんだけど、実は一番ハードモードだっていうね。
 自由という意味の国、リベリアが自由に弱いものを気晴らしに虐殺しているわけで、とどのつまり人間というのは自由にするとそこまでやっちゃう動物なのかもしれない。時と場合によっては。
 だがスピ監督はギリギリのところで人間の善意が勝利すると確信している。じゃなきゃあんな映画を撮りつづけられないよ。

 いや、それは訳せません。「べきだった」は訳せない。

 メンデ語に「べきだった」はないのか?

 ありませんよ。やるかやらないかどっちかだ。

テッド

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ 大人になれ三井☆☆☆☆☆」

 ジョン、『フラッシュゴードン』は俺たちに一番影響を与えてくれた。彼から俺たちは善悪を学んだ。それに人気と演技力は比例しないってことも分かっただろう?

 なんだこの“大人のトイ・ストーリー3”は・・・!いや~面白かった!最近面白い映画ばっかりに当たって幸せな反面、こうやってブログ書かずにはいられなくなっちゃうから、漫画が進まないというねw
 『怒り新党』の有吉さんが、毒舌クマのぬいぐるみ「テッド」の声を吹き替えたってことで話題になった映画なんだけど、私なんか興味惹かれずにスルーしてたんですよね。多分それは若い女の子とかも、たくさん映画館に行ってスマッシュヒットしていたからだと思う。
 私は基本的に、こういうかわいいキャラがえげつないセリフを言う作品とかは大好きで、自分の漫画でも初期はたくさんやったもんだけど、そのほとんどがドン引きされたから、若い女の子に受けているって時点で、あ~ハイハイその程度ね。って敬遠したんだと思う。

 で、実際に今回鑑賞しての結論。テッドは毒舌キャラじゃないということ。『宇宙人ポール』と一緒で割といいやつで、下ネタ、ドラッグ、差別ネタも過激なようでいて、作品自体の雰囲気は割と爽やか。このバランス感覚には脱帽!
 その理由は、主人公の成長ものとして、しっかりとした作劇構造があったからだと思う。小ネタはあるものの意外とぶれない、完成度の高さというか。

 あなたは8歳じゃない。35歳なのよ。

 この手のことは私もよく言われるから、もう感情移入が半端なくて。テッド(=オタク趣味)は好きだ。でもいい年になったからやめないといけない気もする。でもやめられない。このままでいいのかな・・・
 以上のような葛藤は、30歳前後のオタク男子なら誰でも経験があると思う。よくネットとかで「オタク趣味って卒業しなきゃいけないものなんですか?」とか言ってるオタクがいるけど、あれ絶対痩せ我慢だと思ってるからね。
 本気でそう思っているなら、そんな葛藤は微塵もないわけで、そこまでの強き意志のオタク(オタク第一世代)は少数派で、ほとんどはリアルとオタク趣味をどうコミットさせようかと、内心は悩んでいるライトオタクなんじゃないのかな。
 そう言う意味で、この映画は、真のオタク――第一世代には生ぬるく、オタク趣味もリアルも捨てられない、中途半端なゆるいオタクの心をつかむように、うまく設計されている。

 まあ、とはいえ私はリアルであまり「オタク」って言われたことがない。それと自分の趣味を割とあけっぴろげにするから、そこまで大した葛藤は経験してはいないんだけど・・・(^_^;)
 これは恐竜オタクに、あまりセクシャリティがないから、異性にも引かれなかったのかもしれない。なんか性欲とかそういうのが芽生える思春期には、みんなとっくに卒業しているような子どもじみた趣味だからね。
 萌え美少女とかが好きな奴とは年季が違いますよ。幼稚園くらいで美少女がガチで好きな人ってそんないないだろうし。

 んで、クマのぬいぐるみと添い寝なんだけど・・・これはけっこう彼女にとっては厳しいもんがあるかもしれない(^_^;)あの彼女すごい優しい人だよねw
 昔『走れシンデレラ』でもこういうシチュエーションを描いたからわかるけど、大人でぬいぐるみって、なかなかのもんだよwこれ大人の女性だと「I'mディズニーファン」とか言えて、そこまで引かれないんだろうけれどね。一転男になるとミスタービーンになるからね。女性ってだけで色々と得だよなあ・・・そう、『テッド』は漢の映画なんだい!

 恐竜はなんとか自然科学の文脈でごまかせるけど、ぬいぐるみと添い寝はもう幼児性そのもので、なかなか言い訳もできないしなあ・・・でもテッドって生きているからね。しゃべるペットを飼っているもんだって彼女に説明すれば、よくよく考えればそんなにキモくもないか。
 例えば、かわいい子犬を飼っていて、「私とその犬どっちが大事なの!?私を愛しているなら捨ててきて!」っていう女の方が独占欲こじらせた感じで、いろいろヤバそうだし・・・
 だから、映画をメタ的に見れば、テッドは幼児性やオタク趣味のメタファーなんだけど、現実にああいう状況になったら(ならねえよ)けっこうキモがられないような言い訳は立つよなあって。

 オタクとして生きるって、つまりはそういうことだと思うんだよ。「自分は○○が好きだ!自分が好きな○○を受け入れない奴は許せない!」って、オタクな自分をなんも社会にコミットさせようとせず、まるで社会が自分に合わせろと言わんばかりに振舞う、その子どもじみた姿勢が引かれてしまうわけで、どうやったらそのオタクな趣味を気持ち悪がられずに市民権を獲得するか、そういった地道な努力こそが大切なんじゃなかろうか。この映画の主人公はそれをしたんだろうね。
 近代哲学じゃないけれど、世間が嫌悪する対象って別になんでもいいわけで、それを取り巻く人々の言説が結局、その対象の印象を良くも悪くもしてしまう、という。

 なんか、話が小難しくなっちゃったから、最後にこれだけ書いたらおしまい。この映画、とにかくパロディが多いんだけど(アメリカのコメディ映画ってだいたいそうだが)、日本語吹替版では、セリフによっては「星一徹」とか「ガチャピン」とか、日本のサブカル文化に置き換えられたりしている。
 特に自分が嬉しかったのは『ALF』ネタ。まあ『ALF』自体は、アメリカのシットコムなんだけど、やっぱり毒舌ふわふわキャラと言ったらアルフになるわけで、テッドが「ああ、あの変な番組のことか。インタビュアーのおっさんはずっと俺のことアルフと勘違いしてたっけなあ、目がテンだっての」って言ったのは爆笑w
 長寿番組『所さんの目がテン!』と掛けてるんだよね。誰だ翻訳したやつ!?あ、町山さんか。
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