国語学概論覚え書き①

 お盆ホリデー中にどんどん行きます。こういう純粋な言語学的な分野って苦手意識あるんだけど、この単位に関してはちょっと面白いな。テキストの作者がオタクかしらないけど、AKBとか、ももクロとか、はじめの一歩とか、会長はメイド様!とかサブカルネタが多いしね。知らんわ、そんな少女漫画w

参考文献:伊坂淳一著『ここからはじまる日本語学』

語義
類義語に限らず、語の意味である語義を単独で捉えるのは簡単な作業ではない。
そこで語義をとらえるための手段として,類義語相互を比較するという方法がよくとられる。しかし国語辞書の説明から違いを明確にすることはできない。
2語以上を比較する目的は、両語の使い分けの条件を発見することにある。そこで、それらの語を共通の文脈の中に置いた場合に、正しい文として許容できるか、できないかを、母語話者の内省によって判断するのである。

ニギルとツカムの違い
どちらも「物を手に持つ」という意味の言葉で、辞書で調べると、「握る」とは「物をつかむこと」で、「掴む」とは「物を握ること」というトートロジーになってしまっている。
そこで前述の手法を用いて微妙なニュアンスの違いを明確化してみる。

対象物の違い
○棒を握る ○棒を掴む
×クワガタを握る ○クワガタを掴む


棒は「握る」でも「掴む」でもどちらも違和感がないが、これがクワガタになると「握る」ではクワガタが死んじゃう感じがする。
「握る」と「掴む」では掴む方が力が強い印象がある。握り寿司はあるが掴み寿司はないし、溺れる者は藁をも掴み、藁をも握らない。

また、対象が動いていると、握るよりも掴むを使う印象がある。
「腕を掴んで取り押さえる」のように、「掴む」には、動いている対象物を静止させるニュアンスがあるのかもしれない。

○ペンを握る ×ペンを掴む
×布団を握って持ち上げる ○布団を掴んで持ち上げる


対象物が小さい場合は握る、手に収まらないほど大きい場合は掴むを使う傾向がある。

助詞の違い
○箸を握る ×箸を掴む
×箸で握る ○箸で掴む


箸を手段とする場合は「掴む」、目的とする場合は対象物が小さいので「握る」となるらしい。

慣用句
○手に汗握る ×手に汗掴む
×チャンスを握る ○チャンスを掴む


手に汗~に関しては心理状態を表す言葉だが、対象物の大きさも関係してそうである(汗は手に収まらないほど大きくはない)。
また、箸の例でわかるように、「掴む」は手段の意味合いが強いので、手に汗~は、心理状態であって、汗を手に入れるための言葉ではないので「掴む」は不適当なのだろう。
その一方、チャンスは手に入れたいわけで「掴む」のである。

マワルとメグルの違い
どちらも「円環・円周運動をする」という言葉である。

助詞の違い
○全国をまわる ○全国をめぐる
○車輪がまわる ×車輪がめぐる


対象物の周囲を動く場合は「まわる」も「めぐる」もどちらでも使えるが、対象物自身が物理的に回転する場合は「まわる」に限定される。
また、対象物の周囲を動く場合も、「商店街の店を食べ歩きで回る」と「戦国時代が好きなので休日は城巡りをします」のように、前者よりも後者のほうが計画的に目的地を回っていくイメージがある。

対象物の違い
○季節がまわる ○季節がめぐる
○時がまわる ○時がめぐる


対象物自身が回転する場合も、主語が季節や時間になるとその限りではないようだ。季節や時間は物体ではないので物理的に回転しないからである。
しかし、時間に関しては「まわる」と「めぐる」は言葉の意味が若干違う。前者は時計の針が回るから転じて「時間が過ぎる」というニュアンスがあり、後者は季節同様「時間が一周して戻ってくる」というニュアンスがあるのである。
また、「めぐる」は漢字で「巡る」と書き、この漢字には「回数」という意味があるので、「まわる」に加えて「何度も繰り返す」というニュアンスもある。
「堂々巡り」とは言うが、「堂々まわり」とは言わないのもそのためである。

タスとクワエルの違い
どちらも「付け加える」という意味である。

対象物の違い
○文章を書き足す ○文章を書き加える
○文章を継ぎ足す ×文章を継ぎ加える


上は「足す」でも「加える」でもどちらも違和感はないが、下の「継ぎ加える」はあまり使わない。「加える」が単純に量を増やすという印象に対して、「足す」はもともとあったものに違和感なく組み合わせる印象がある。

○味が薄いので醤油を足す ○味が薄いので醤油を加える

この例を見ると、「足す」には不足分を補充するといったイメージ、「加える」にはもとある量をさらに増やす拡充のイメージがありそうだ。

×新メンバーを足す ○新メンバーを加える

対象が人になると、やはり不足分を補充したという印象がある「足す」はちょっと失礼なので使わないのかもしれない。

○用を足す ×用を加える

用を足すとは用事をすますことだが、その用事をしなくてはいけない不足的な状態を補うという意味で、「足す」が用いられる。
そのニュアンスがない「加える」では、用事の数がさらに増加する印象になってしまう。

助詞の違い
◎リンゴとハチミツを足す ○リンゴとハチミツを加える

助詞の「と」をつかうと、組み合わされるものの関係性が対等になるらしい。
「リンゴとハチミツを加える」では、別のもの、例えばカレーに「リンゴとハチミツ」を加えるという意味に限定されるが、「リンゴとハチミツを足す」では、別のものに「リンゴとハチミツ」を足す以外に、単純に「リンゴ+ハチミツ」の合体という意味にも取れる。
この場合において、「足す」の方が「加える」に対して広い意味を持っていることがわかる。

日本文学概論覚え書き

 詩の単位。ポエムに関しては、もう、本当に、悪魔的に分からない。どう授業していいのか見当もつかぬ。
 谷川俊太郎やゲーテの詩集なんて読んでいる学生なんか今どきいねえしなあと思ったんだけど、よくよく考えれば詩って若者にとって身近すぎて認識されてないんだけなんだよね。つまり、Jポップとかの歌詞はまごうことなく詩なのである。

 西野カナの『トリセツ』の歌詞をさ、明朝体にして縦書きにしてさ、作者を西野カナから俵万智にしてごらんよ。

 国語の教科書に載ってても騙されるよな。騙されるよなっていうのもアレだけどw

 RADWIMPSの『前前前世』をさ、明朝体にして縦書きにしてさ、タイトルを『夢十夜』って変えてごらんよ。

 現代文の教科書に載ってても騙されるよな。あ~これ夏目漱石が書いたんだ~みたいな。百年はもう来ていたんだな。

参考文献:飛高隆夫、野山嘉正編『展望現代の詩歌3』

高良留美子(こうらるみこ)
1932年東京都生まれ。精神医学者の父と心理学者の母を持つ。次女。
詩作の他、評論や小説も執筆した。

戦争末期の1944年に栃木県の那須に集団学童疎開。小説集の『いじめの銀世界』には、このとき経験した、過酷な自然、教師による抑圧、いじめ、ひもじさの中の人間関係が描かている。翌年、進学のために上京したが、その翌日東京大空襲が起こり、今度は茨城県に疎開した。終戦後、帰京し、日本女子大学校付属女学校に転校、彼女もまた焼け跡、闇市の中の、いわば過渡期の学校制度の世代であった。

1951年、東京芸術大学美術学部に入学。翌年、東大、東工大、芸大などの学生が集まって新しい文学、芸術、生活を作る文化運動に参加、その時作った雑誌『エスポワール』の編集活動をしながら、劇評や美術展評を執筆した。

1953年1月、初めて詩を書く。これが「夜中、突然自動速記で書いた」という散文詩「塔」(『生徒と鳥』所収)である。この年、慶応大学法学部に転学している。

56年、大学を中退し、フランスへ短期留学する。この船旅は後に小説『海は問いかける』として結実した。高良には「海」が内在し、「海」から来たり「海」に行く感性が見られる。

1958年、第1詩集『生徒と鳥』が刊行、翌年には竹内泰宏と2年間の同棲生活の末に結婚。この変化が、ある束縛感を彼女に意識させている。
この頃、若手詩人の会「ぶうめらんぐの会」から『詩組織』を創刊、ここで高良は詩作品と、サルトルの詩人フランシス・ポンジュ論の翻訳を掲載した。

60年代安保闘争と樺美智子の死に触発されて詩作し『ユリイカ』に発表の「場所」を含む第2詩集『場所』が第13回H氏賞を受賞した。
1964年、現代詩の会では高良も運営委員の一人になったが、腑に落ちないまま同年に解散、その翌年「現代詩」解散への批判文を書いた。
1966年に長女を出産するが、この時期の珍しい仕事としてシナリオを書いている。

1970年、第3詩集『見えない地面の上で』、翌年『高良留美子詩集』が刊行された。
1981年、詩集『しらかしの森』を刊行。この詩集は、多摩区王禅寺に引っ越したことで、地域の歴史と自然が見直されて生まれた。
1987年、『仮面の声』を刊行、現代詩人賞を受賞した。

1990年、ソウルでの世界詩人大会に参加し、詩の朗読をした。
1999年には『風の夜』と『神々の詩』の二冊の詩集が刊行された。『神々の詩』はTBSのワールドドキュメンタリー番組のオープニングとエンディングで引用された。姫神の歌でも有名。

『生徒と鳥』
パリ滞在中の作品を含む18篇を収める第1詩集。「表現するための詩の形式とをある程度自分のものとして感じることができた」と、あとがきで書き、詩人として幸せなスタートを切った。高良家ではバードウォッチングが盛んで、オナガやメジロ、ウグイス、ニワトリ、アヒルなども飼育していた。

「抱かれている赤ん坊」
一見写実的な散文詩だが、そうではない。他人の自由を知らない赤ん坊に託して、自身が体験している挫折した文化運動への批判精神の発露となっている。組織における「不毛なもの、他人と他人の自由に対する無智」への暗喩とも言えるだろう。

「場所」
上野公園の樹木のイメージを詩にした作品。
「それ(地面)は地上の物体を自分のやり方でひきつける」「葉肉の示す密度ある質量と湿り気」など、唯物論的な科学的な描写が目を引く。
第10連には「それ(地面と空間の境における激しい交錯)がわれわれの存在だ そしてわれわれの存在の欠如だ」など、サルトルの実存主義の影響が見て取れる一節もある。
この作品について高良は「自分が物になる危険をおかして、物と自分とが入れ替わる瞬間、対象が物になり、物がイメージになる瞬間を捉えようとした」と述べている。

「木」
出産を経験した母親だけが身体的に感じられると思われる生命の連続性を歌っている。
「一つの肉体の中に まだない一つの肉体があって その宮がいま 新しい血を貯めている」という一節に見られる力強い未来志向に、作者の成熟を感じたという評者も多い。

「戦争が終ると」
「木」で力強く歌われた、生命の連続性が、こちらでも「死者たちのあけた深い穴は 吹き上げてくる子どもらの泉によって たちまち満たされていくかのようだった」
と同様に表現されているが、これは戦争が終わっても、人間の命や人生を踏みにじった戦争に対する人々の怒りや悲しみは無くならない、という高良の戦争に対する痛烈な皮肉や批判を含んでいる点に注意したい。
この作品は、「しかし このくにには けっして子を産まない女たちの一群がいる その夫となるはずだった男たちが ついに帰らなかった 女たち  その恋人となるはずだった男たちが 名も告げずに去っていった 女たち」「そしてこのくにには けっして子をのこさない 男たちの一群がいる その白骨が いまもなお 南の海で朽ちている 男たち」への鎮魂歌であり、彼らを死地に向かわせた人間が「子をのこし 孫を殖やし 一家の団欒にかこまれて ほほえんでいる」という状況に対する、やるせなさや怒りの表明なのである。

『神々の詩』
1999年の世紀末詩集。「♪アバ~ナガ~マ~ポ~」の歌が好きでよく見てました。
番組用に詩を提供した高良は、そのほとんどの詩を番組のVTRを見て考えたが、アフリカとサラエボに関しては実際に現地へ足を運んだ上で創作したという。
「森の宇宙」はボルネオの森に咲く世界最大の花ラフレシアを取り上げた回で使われた詩である。

金井直(かないちょく)
1926~1998。本名は直壽(なおとし)。
父直輝と母金井トヨのあいだに生まれるが、父親にはすでに家庭があり婚姻届は出されなかった。そのため直は2人の子として認知されず、祖父母の三男として届けられた。

母トヨは直の面倒を見ることはなく家を空け、その一方で父直樹は直を見に来ることもあったが、直が9歳の頃死去した。
小学校5年生の頃にトヨが再婚すると転校、小学校を卒業すると東京育英実学校に入学するが、絵を描くことに興味が出て実業学校に馴染めなくなる。
実業学校1年の秋、義理の父とトヨの不仲によって、直は再度祖父母の元に返されてしまう。2年生になると寂しさを補うかのように文学作品に耽溺するようになる。
明治大正作家の作品を読み、3年になると「若草」に掲載の投稿詩を読んだ。

1943年、戦局が逼迫したために繰り上げ卒業。翌年、日本タイプライター工場に勤め、仲間からワーズワースや石川啄木を紹介されて読む。その後、産業報告会に勤め、そこで年長の高島恒と交際を始める。彼女によって音楽や外国詩人を知る。
しかし彼女は45年の東京大空襲で被災し、この経験をもとに有名な「木琴」を読む。
6月、兵役についた直は南方出兵を予定して広島県に移り、そこで原爆投下を目の当たりにした。『この世界の片隅に』みたいな人生で辛い。

戦後、直は画家を目指す。この時ひとつ年上の浅田美代子と恋愛関係になるが48年に美代子は死去する。彼女への思いは「別離」などに読まれた。
この年あたりから右目の視力が急速に衰え、学び続けていた絵画を諦め、詩に専念するようになる。やっぱり『この世界の片隅に』みたいな人生で辛い。
村野四郎と出会うことでリルケを知ったり、彼の作品に感銘を受ける。

1953年、第1詩集『金井直詩集』を刊行。この年、彼の詩のファンの東峰節と知り合い結婚する。その三年後には長男太郎が生まれる。やっと幸せな流れになってきたな。
1957年には第3詩集『飢渇』でH氏賞、1963年には第6詩集『無実の歌』で高村光太郎賞を受賞する。

1960年に離婚した直は(離婚したんかい!)、1967年に鈴木すみ江と再婚する。この頃より、学校や市民講座で詩の指導を始める。
1967年、高校の国語の教科書に「散る日」が、また1975年には「木琴」が収録される。これは私も高校の頃読んで、悲しい気持ちになりました。
これをきっかけに、直は国語教育に関心を持ち、自作についての講演を全国各地で、中学・高校教員に向けて始めるようになった。

1981年、心身の不調を訴え始め、家族と離れて上野で一人暮らしをすることもあった。また、以前から抱いていた封建制に対する批評が、昭和天皇崩御を契機に彼を奮い立たせた。これらのことが重なって、1993年以降、詩作は休止状態になる。
その代わりに、過密なシンポジウムを企画し、それがたたったのか98年風邪が原因で体調を崩す。
その後、精密検査で耳下腺がんだと判明、治療に集中したが、妻すみ江ほか家族の見守る中、静かに息を引き取った。享年71歳。

1999年には金井直資料館が蓮花寺の近くに開館した。こじんまりとした2階建ての建物の中には、生前の直を物語る彼の生涯が展示されている。

『金井直詩集』
金井直の第1詩集。「白い花」や有名な「木琴」が収録されている。詩集にタイトルがないのは、「作品を統合する主題が掴めなかったため」らしい。

「白い花」
戦前・戦中の作品は東京大空襲ですべて灰になったが、その唯一の例外がこの作品である。
これが現存する金井直の最も初期の作品である。
詩中に読まれている「もう地上では逢えぬ人」とは、産業報国会の同僚として出会い、直が愛した5歳上の高島恒のことである。
母親の愛情が得られなかった当時18歳の直は、彼女に対して女性というよりも母性を感じており、恒にしてみても出会った当初から直を恋人とは考えていなかった。
しかし、戦局が逼迫した1944、45年に、結婚もしていない男女が音楽会でデートなど、非常識&非国民と言われても仕方がなく、恒の方には直への恋愛意識が徐々に芽生えていたと思われる。
直は、東京大空襲で焦土と化した本所千歳町で恒を探したが、彼女の死体は探すことができなかった。
「静かに魂のなげく夜 焼野は月の光に濡れ 道に落ちて動かない 私の影」という一節は、この出来事、落胆を表しているように思える。
「恐ろしい紅薔薇」とは東京大空襲でばらまかれた焼夷弾のことだろう。
直は空襲の前々日の3月9日の仕事帰りに恒を見送ったそうである。「また明日といって別れたまま」はそんな悲しい実体験に基づく悲痛な一節である。

「木琴」
1975年~2001年にかけて光村図書出版の中学一年国語教科書に採録されて、実際に教室で読まれ続けてきた作品。高校で読んだ気がしたけど、中学校だったのか、そして一年だったのか。
作者の直は、教員に対して「木琴」に関する講演を行ったり、指導書用の文章を執筆したりと、この作品に並々ならぬ愛着があることがわかる。
素直に読めば、戦争で亡くなった妹に対して読んだ歌のように思えるが、実は金井直には妹はいない。では、この「妹」とはいったい誰を指しているのか?
作者自身の発言(なにしろ50年以上も語ってくれているので素材が多い)によれば、「戦争という国家的危機など全く知らずに、安易に命をなくしてしまった幼い者たち」のことだという。
確かに、木琴という楽器を好む女の子は全国でどこにでもいるごく普通の子であっただろう(当時の子どもが好きな楽器ランキング一位が木琴だったらしい)。
その、ごくありふれた子どもたちの日常の象徴である木琴が――戦時中の逼迫した生活におけるささやかな楽しみだった木琴が――「あんなにいやがっていた戦争」によって無慈悲に焼かれてしまうのである。
そこに漂うのは、恒や浅田美代子への想いを彷彿とさせる、悲しい死の香りだが、直によれば、この詩は「平和への希望」であり「愛」であり「単なる反戦の詩ではない」のだという。
しかし、第5連の「私のほかに誰も知らないけれど」の一節は、この詩がそういった不特定多数の普遍的な主題を扱っているのではないことを強く印象づけている。
東京大空襲の犠牲者は10万人とも言われるが、これは北野武さんが言うように10万人が死んだ一つの出来事などではなく、かけがえのないたった一人の死が10万件あったということなのである。

国語科教育法覚え書き②

 評論や思想に、正解や不正解という二元論的な判断基準を設け、そして成績を点数化するという学校の授業や大学受験は、本当にもうバカバカしくて、まあそのバカバカしさを反面教師的に伝えようとしているのかな、とも思ったり。
 でも、やっぱりこういうの勉強させたいなら、自由記述だと思うんだけどな。白か黒かという二元論的デジタル思考って、最近いよいよやべえな、大衆の反逆だなって思うしね。
 やはり憲法19条、思想&表現の自由よ。最近の学生は自分の考えを主体的に表現できないとか嘆いている奴いるけどさ、てめーらが検閲してんだろって思うよね。
 こう言うと多分、いや、そういったプレッシャーにも打ち勝つ根性のある奴がいなくなったとか返すんだろうけど、じゃあ打ち負かされる覚悟はあるんだなっていう。

『無常ということ』
文芸評論家の小林秀雄の評論文で、1946年の『無常といふ事』に収録。

そうかもしれぬ。そんな気もする。

の言い回しがキャッチー過ぎて高校の頃ふざけて多用したが、それしか覚えていない。
ちなみに本文は、2400字足らずの短い文章で、出てくる語句もとりたてて難しいものはないが、内容が絶望的になんとなくしかわからない。まさに、そうかもしれぬ。そんな気もする。レベル。おめー伝える気ねえだろみたいなw
だいたい本文で、小林先生自身が言っているように、言語化できない感覚をどうしたものかね~と、悩みながら見切り発車で筆をとっちゃっているから、文章も洗練もされてないし、ただ、そういった、たった今一回こっきりの身体的感覚を、なんとかああでもないこうでもないと書き残したかったのだろう。
ほいで、そうやって言語の限界を自覚したヒデちゃんがもがいて書いたもの――ほかに選択肢がないから、しゃあないと仕方なく言語を用いて書いたものを、音読し、読解し、設問に答え、さらには考察するという、高校の授業には、何とも言えない、強い違和感を感じざるを得ない。
つーか、思い返せばこの文章も、というか私のブログの記事はいつも、小林的にその瞬間想起された感覚を実況中継的にタイプしているわけであり、そういう洗練されてないがゆえの危うい面白さはあるんだけど、それはもう、煩わしいレイヤー、他者に伝えるためにしょうがなく使っているレイヤーなわけで、そのレイヤーで解釈されちゃうと、レイヤーにレイヤーを重ねることになり、ヒデちゃんが伝えたかった感覚から遠のくし、それをヒデちゃんは本当に望んでいたのかっていうことにもなりかねない。
これは、試験問題を作るでも、分析でも、考察でも、評論でも、美学でも、鑑賞でもなんでも構わない。そういった頭でっかちなたぐいは、全部アウトなわけだ。
そこに自覚的に気づけるかどうかが、『無常ということ』を読む上で一番重要な点であり、そういった文章を、皮肉にも大学受験に使われている時点で、ヒデちゃんは読み手に自分の思想を伝えられていないし、文学部だかどこだか知らないけど、入試問題にしている方もバカだよっていう。

誤解されない人間など、毒にも薬にもならない。

叙述と注釈
改めて読むと、なんとなく内田樹的な内容である。そのうち武道における体のさばき方とは・・・とか言い出しそうなw

『一言芳談抄』
ある人が言った。
比叡の神社で、偽ってかんなぎの真似をした若い女性が、十禅師(知徳に優れた十人のお坊さん)の前で、夜もふけて、人も寝静まったあと、鼓を打って、心澄んだ声で、どうあってもよろしゅうございます、ねえねえ、と歌っていた。
その心を人に無理に問われると、生死無常のありさまを思えば、この世のことはどうでもよいでしょう、ならば、あの世で助けて下さいと申したのです、うんぬん。

坂本でそばを食っている間も、あやしい思いがしつづけた。
比叡山で『一言芳談抄』の一文が鮮明に心に浮かんだとき、自分は何を感じ、何を考えていたのだろうかということが、しきりに気にかかったということ。今は蕎麦に集中するんだ、秀雄・・・!

そんなつまらぬことと
『一言芳談抄』の一文を、吉田兼好の『徒然草』のうちにおいても少しも違和感がないということ。

子どもらしい疑問
『一言芳談抄』の美しさが消えたのか、それともそれをつかむための自分の心身の状態が消え去ったのかという疑問。原因はオブジェクトにあるのかサブジェクトにあるのかという。

だが、ぼくは決して美学には行き着かない。
美学の萌芽は体験に基づくが、それが美学になってしまうと理論になってしまうので、本文で言及している感動から遠のいてしまうと考えたから。

そういう具合な考え方
『一言芳談抄』の一文が鮮明に浮き上がったとき、どのような自然の諸条件に、自分の精神のどのような性質が順応したのだろうかという、頭でっかちな思考。

そのようなもの
歴史に対する新しい見方や解釈のこと。

死んでしまった人間というものはたいしたものだ。
人間の死とは、歴史同様、解釈を拒絶して動じない、動かしがたいものであるから。
こんな話を聞かされた川端康成先生はただ笑うしかなかったのであった。

思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなまちがえている。
思い出す人が過去の思い出を美しく飾っているのではなく、むしろ逆に過去がそういった余計な解釈を拒絶するから。

思い出が、ぼくらを一種の動物であることから救うのだ。
小林曰く、生きている人間とは、あれやこれや余計な思考をして不確定な存在であり、人間になりつつある“一種の動物”であるが、思い出を上手に思い出すときは、ただ満ち足りた時間と自分が生きている証拠だけが充満しており、その状態から逃れられるということ。

青ざめた思想
歴史は過去から未来に向かってびよーんと単調に続いていくという思想。単調だからこそ、さまざまな解釈がトッピングされるのである。

現代人は、鎌倉時代のなま女房ほどにも無常ということがわかっていない。
人間は無常(一種の動物的状態)であるということに自覚的ではないということ。

国語科教育法覚え書き①

 夏目漱石の単位。

 本編はともかく、そのあとに載っている解説みたいなのが偉そうでムカつく。文章も衒学的でさ、普通よ~、本編が難解なら、解説は初見の人にもわかりやすいように平易な表現で、その作家の魅力を紹介するもんだろ、『ソフィーの世界』の解説本とか見習えよ!あれ、ぶっちゃけゴルデルの書いた本編よりも面白かったからな!
 だいたい自分が書いたわけでもねえのに、漱石が理解できるオレは崇高だぜ、良さがわからない奴はそのレベルに達していない馬鹿だぜ、鎌を振りかざす姿わくわくするほど決まってるぜ、みたいなスノビズムぷんぷんで、少なくとも私はこんな国語教師には教わりたくない。

 夏目漱石は、講演で

「学者はわかったことをわかりにくく言うもので、しろうとはわからないことをわかったようにのみこんだ顔をするものだから、非難は五分五分である。」

とか言ったらしいけど、今のご時世それは通用しねえよ。民主主義は成り立たねーよ。つーか、こいつは意外と自分がわからないものをわかりにくく言ってんじゃねーのっていう気もする。

 それに文学なんて読んだやつがどう感じるかなんだから、つまんねーって思ったらそれがそいつの中で正解なんだよ。で、夏目漱石といえども、わかんねーもんはわかんねーし、つまんねーものはつまんねーよ。この人だって人間なんだから、たまには駄作もあろうよ。
 そういう、放送コードがない深夜番組的なユルい雰囲気がクラスにないと、誰もアクティブに発言しないし、現代文をラーニングしねえよ。
 で、十中八九、高校の国語の先生なんかは、ちょっとこじらせた文学マニアに決まってるじゃん。困った困った!!

 ちなみに、自分が高校の頃の現代文の先生は、慶応大卒で器が大きい人で、好き勝手に評論したけど通知表で10くれた。美術でも生物でも取れなかった10・・・(´;ω;`)
 さすが学生も教授もフラットに君付けで呼び合う学校だな。そういう環境じゃないとアクティブラーニングはどだい無理だよ。

『夢十夜』
書き出しが「こんな夢を見た」と、夢オチを冒頭で暴露した上で始まる異色のドリームノベル。
夏目漱石自身が実際にこういう夢を見たかどうかは謎だが、作品っていうのは意識的にしろ無意識的にしろ、その人の深層心理が表出しちゃうものだから、言ってみれば夢日記みたいなようなものなのかもしれない。
ちなみに第七夜みたいな夢は私も見たことがあって、その夢をもとにこんな漫画を描いたことがある。
以下は各チャプターごとの叙述と注釈である。

第一夜
ロマンチックを通り過ぎて、ちょっと読んでて恥ずかしいエピソード。リリカルなつめ。
女が死に、生き返って、再び会いに来ることを百年待ち続けるという物語である。
登場人物は「女」と「自分」のふたりだけで、構成は極めて単純で、前半は死んでいく女の様子、後半で百年待ち続ける自分の心情を述べている。一青窈か。アクエリオンか。

うりざね顔
浮世絵などに描かれる、色白で目鼻立ちがはっきりしている面長な顔のこと。
美人な顔の典型とされていた。漱石のタイプだったらしい。

大きな潤いのある目で、長いまつげに包まれた中は、ただ一面に真っ黒であった。
血色もよく、見た感じ死ぬ感じには見えないが、目が真っ黒ということは、瞳孔が開いているので、彼女の明確な死を暗示しているともとれる。

大きな真珠貝
ルネサンス期のボッティチェリの作品『ヴィーナスの誕生』の引用かもしれない。
真珠貝から美の女神が生まれる様子を描いた作品だが、その象徴的な貝殻で墓穴を掘らせることで女の死を対極的な美と生に重ねて暗示している。

星の破片
燃え尽きて地球に落ちてきた恒星の成れの果てなわけであり、逆に死(=女)を暗示させるアイテム。
拾って、軽く土の上に乗せたという記述とともに、抱き上げてという表現も用いられており、星の破片の大きさに矛盾が生じるが(抱き上げなければ持ち上がらない隕石はおそらく重い)、これはむしろ星の欠片を死んだ女の象徴と描いているがゆえの表現だろう。

「百年、わたくしの墓のそばにすわって待っていてください」
人間の寿命的にかなり無茶な年月だが、それを意を決した様子で要求することで、永遠の愛を切実に求めていることがわかる。
人間の寿命と比較したら永遠と思える程の長い時間を生きる恒星の欠片を墓標としておかせるのも、これに通じる。


『君が代』にも出てくるように悠久の年月のメタファー。

唐紅の天道
からくれないとは濃く美しい真紅を指す。つまり、美しい日の出の表現。

白い百合
生の象徴。自分が接吻したことから、死んだ女の生まれ替わりの可能性もある。
彼女が年後にいましょうとこだわっていたのがフリであったのもわかる。
また、花弁に落ちた露は死ぬ間際に流した涙と重なる。

暁の星
明けの明星ということで、金星である可能性があるが、むしろ墓標として置いた星の欠片が輪廻転生し再び輝いているのかもしれない。
星が再生しているのを見て「百年はもう来ていたんだな。」と「自分」は確信したのだろう。

第四夜
第四夜の「自分」は子供であり、茶屋で出会ったふしぎな「じいさん」が、手ぬぐいを蛇にしてみせると笛をふくのにさそわれて、後についていくが、じいさんは河に消えていき、期待が裏切られた話。なんだそりゃ。
前半で、じいさんの様子を描き、後半で、手ぬぐいを蛇にしてみせるというじいさんの動作と、その後についていく自分の心情を描いている。
こういう胡散臭いおじさん昔小学校周辺によくいたよなwこういう人に裏切られることで無垢な少年はまた一つ社会の厳しさを知るっていうw

床几(しょうぎ)
映画のロケなどで使っているアウトドア用の簡易的な折りたたみ椅子のこと。

煮しめ
汁が残らないほど長い時間に詰めた煮物。よく、おせち料理に入っている。

茶屋
『草枕』や『道草』にも出てくる漱石の幼少時代の原風景と思われる。

顔中つやつやして
このじいさんが年齢不詳であることが分かる。案外じいさんじゃないのかもしれない。

へその奥だよ。
どんなじいさんも生まれる前は母親とへその緒でつながっていたわけで、とんちの効いたうまい返しである。これも年齢そのものを相対化する演出となっている。

浅葱色
薄い青色。じいさんは蛇になるという手ぬぐいと同じカラーコーディネートをしていることが分かる。アオダイショウのような青い蛇の化身である可能性もある。

真鍮でこしらえた飴屋の笛
真鍮は銅と亜鉛の合金。当時の飴屋は唐人の格好をし、チャルメラのような笛(ラッパ)を吹いていた。

かんじんより
和紙を細く切ったものを合わせたもの。鼻に突っ込んでくしゃみさせるやつ。こより。

柳の下を抜けて、細い道を真っすぐ降りていった。
なかなか蛇に変わらない手ぬぐいを箱に入れてじいさんが歩いて行ったルート。
冒頭でじいさんが吐いた息が流れていった先と同じなのが興味深い。

第六夜
夢ならでは、よく考えると時系列のつじつま合ってない系。
鎌倉時代の彫師である運慶が、護国寺の山門で明治の世の人々が見物する中で仁王を彫っている。その無造作なノミの使い方は木の中に埋まっているのを掘り出すかのように思われたので、「自分」も家に帰って仁王を彫ってみたが、明治の木には仁王は埋まっていないものだと悟る話。作者の芸術観や心情を夢に託している。

護国寺
東京のお寺。運慶が奈良の東大寺南大門の金剛力士像を掘った史実と食い違っているが、東京に住んでいた漱石が散歩しながら気軽に見に行ける場所ということで、場所がチェンジされたのだろう。
冒頭の描写がかなり写実的で詳細なのも、漱石にとっては何度も見慣れた風景だったからなのかもしれない。

下馬評
第三者があれやこれやということ。

甍(いらか)
屋根瓦のこと。

辻待ち
客を待つこと。

委細とんじゃくなく
委細構わず。事情がどうであろうと関係なく。

どうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。
夢を見ている最中はこういう矛盾は気づかないものなので、護国寺同様、夢から醒めて改めて考えてみるとおかしいというメタ的な描写である。
鎌倉時代に生きた芸術家の仕事ぶりとその作品を、明治時代の人々と一緒に鑑賞しているという、このシチュエーションは、作者が現代(明治時代)の尺度で運慶の真髄に迫ろうとしていることのメタファーである。

あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。
ルネサンス期のミケランジェロも同じような感覚で石彫を掘り出したらしいが、それも現代の研究者が考えるひとつの仮説である。
このセリフを経験ではなく知識として、批評家気取りの若い男に言わせているのがうまい。

不幸にして、仁王は見当らなかった。
明治時代には、運慶のような芸術家や作品は現れないというオチだが、表現が巧みで皮肉も効いている。また、運系の仁王像が歴史的存在になってしまった以上、それらは永遠に追いつけない“完全な芸術”として後世の追従者に認識されるという、作家漱石の創作に対する苦渋も見て取れる。

第七夜
スティーブン・キングの『グリーン・マイル』的な人生について考えさせる哲学的なエピソード。
茫洋とした海を行くあてもなくさまよう船の上に乗っている「自分」がその心細さと退屈さのあまり、船の上から飛び降りようとするが、いざ飛び降りたらやっぱり飛び降りるんじゃなかったと後悔し、さらに足が永遠に水につかないという無限の恐怖を味わうというナイトメアである。
人間の存在そのものに対する本質的不安感、そしてそれを画一化する文明社会に対する批評が見て取れる・・・が、単純に留学時での船旅が単調で死ぬほど退屈なものだったという経験から書きたくなったのかもしれない。そんなもんである。

何でも大きな船に乗っている。
人生のメタファー。

蘇枋の色
黒味を帯びた赤。

乗合はたくさんいた。たいていは異人のようであった。
人生の孤独感を強調させるシチュエーション。西洋に対する劣等感、拒絶感のようなものもあるのかもしれない。

更紗
花や鳥、幾何学模様をプリントした木綿、もしくは絹の布。

一人の異人
宣教師風で、自然科学(天文学)や、キリスト教といった西洋文明を親切に、かつ、押し付けがましく教えてくれる。
戦後、政治学者のリチャード・ホフスタッターが『アメリカの反知性主義』という本を著したが、これは知識階級やエリート階級の啓蒙活動そのものの独善性に対する大衆の反発を分析したもので、この偉人に対する「自分」のリアクションは、これに当たるように思われる。
しかし、「自分」すなわち夏目漱石は、まごうことなく知識人であり、また、近代的な個人主義者でもあった。つまり合理性をつきつめるがゆえに孤独で、神への信仰によりかかることができないのである。言い換えれば、彼はいちはやく西洋を消化したからこそ、西洋を拒絶するのである。

二人は二人以外の事にはまるで頓着していない様子であった。
人生の意味とか目的とかそんな考えても埒があかないことは考えず、日々のデカダンスに溺れる人たちのメタファー。そういった無知蒙昧な大衆には「自分」はなれず、さらにこの世に絶望するのである。

思い切って海の中へ飛び込んだ。
自殺をタブーとするキリスト教に反発するがごとく、意識的に船から飛び降りたのであるが、その結果、無意識的な生への執着が生まれ、死に対する恐怖と強い後悔に襲われるのである。

足は容易に水に着かない。
脳の機能が落ちるとすべてがスローモーションになるというが、死ぬ刹那はその速度が∞にスローなるのかもしれない。つまり、死の本質とは、死の永遠の留保なのかもしれない。

水の色は黒かった。
バッドエンドを象徴する色である。合理主義で捉えようとすればするほど、死は不条理であり、その解釈を拒むのである。
生が虚無に過ぎないのと同時に、死も虚無なのである。
ならば生が虚無であることに絶望して、死を選ぶ合理的な理由はないということになる。
これは、第一夜の死に対する楽観的で耽美的なロマンチシズムを徹底的に破壊する結末であると言える。

書道覚え書き②

参考文献:全国大学書道学会編『書の古典と理論』

仮名の成立と書風の変遷
今度は日本の書道史。

弥生時代
日本の書の歴史は、大陸からの漢字伝来に始まるが、その伝来の痕跡はわずかに残された金石文(金属や石に刻印された文章のこと)や木簡に限られる。
『貨泉』(青銅製の貨幣)と『金印』は日本への漢字伝来を示す最古の出土品である。

古墳時代
『石上神宮七支刀銘』や『隅田八幡宮神社人物画象鏡銘』などの金石文には、すでに漢字の音を借りて日本語を表記する万葉仮名的な使用例が見られ、国文学や書道史の上で重要な資料となっている。
稲荷山古墳の鉄剣に記された銘文は、線が細く太さも均質でネームペンで書いたような可愛い古朴な書体である。

飛鳥時代
『法隆寺金堂釈迦造像銘』に見事な中国南北朝の文字が見られる。この格調高い書風の広がりは、聖徳太子直筆と言われる『法華義疏(ほっけぎしょ)』にも見られる。『法華義疏』の書体は、横に潰れた漢隷の流れを組み、さらにそれを行書的に崩したような印象を与えるものである。
しかし、飛鳥時代には、これらの書体とは別に、非常に洗練された楷書である『金剛場陀羅尼経(こんごうじょうだらにきょう)』など、隋風書風も見え始め、飛鳥時代の書道は、この二つの影響下に置かれていた。

奈良時代
仏教の興隆によって写経が国家的事業になり、数々の名筆が生まれた。
その白眉といわれる国分寺経の『金光明最勝王経』は、潤いを帯びた線質、唐経には見られない筆致を醸している。
写経の誤字脱字には罰金があったらしく、一行17字詰めの厳正な楷書は筆力に溢れ、隙がなく、やや扁平な字形が特徴である。

写経以外では、知識階級の日常の書体や書風を伺える、正倉院文書と木簡を忘れてはならない。光明皇后の『楽毅論』は、唐代に流行した王羲之の書を臨書したものである。
木簡では習字木簡や万葉仮名木簡が各地で発掘されており、公文書の記録は漢文、また和文でも男手(万葉仮名の楷書)だったことがわかる。

この男手は早書きされていくうちに、やがて草書体の草がなに発展する。草仮名は時間短縮のために、字と字をつなげるといった工夫(連綿)が見られ、その結果である繊細な線質は、筆の流れの美しさを表現する芸術的な技法にもなった。

平安時代
日本書道の確立期にあたり、その基本的書風は現代に根強く生きている。
また、漢字の草書を極度に省略化した仮名という独自の書体が生まれた。

ただし遣唐使の派遣が中止されるまでは、引き続いて中国の書法が継承された。その頂点には、嵯峨天皇、空海、橘逸勢の三筆が君臨し、王羲之を主流とした伝統的書風の中に温雅な風韻をかもした。
嵯峨天皇が、最長の弟子の光定が比叡山の戒壇の設立に奔走したことを讃え、したためた書である『光定戒牒』は、字によって線の太さ、墨の乾湿を意図的に変化させており、「為」などの向勢(縦線が互いに膨らみ合うこと)と、「立」などの背勢(縦線が互いに反ること)の見事な調和が取られている。
そんな嵯峨天皇が、唐人の手によるものだと勘違いし、書の腕前に脱帽したのが空海である。
空海が、当時はまだ仲が良かった最澄に宛てた手紙である『風信帖(ふうしんじょう)』は、重厚で落ち着きがある王羲之の書法をよく学んだ上で、充分に自己のものへと消化し、そこに日本的な情趣をも醸し出している。収筆を上に跳ね上げることで、筆の流れにスピード感を感じさせている。
橘逸勢(たちばなのはやなり)は、筆の性能を活かしきり、自由奔放でありながら格調高い書をしたためた。そこには緩急抑揚のついた強い筆力と躍動感が感じられる。

やがて三跡(小野道風、藤原佐理、藤原行成)の時代になると、小野道風が和様の滑らかな線質で唐風の鋭利な感触を払拭し、仮名の隆盛とともに日本書道独自の流麗な筆運びのきっかけを作った。
ついで藤原行成が道風を範とし、穏やかな線に緩急の速度と抑揚を加え、和様の姿を確立させた。彼の書は、「世尊寺流」と呼ばれ、曲麗優雅な宮廷文化を代表する名跡を残した。
また、清少納言とも親交があった行成は『関戸本古今和歌集』を、リズミカルで生きの長い連綿の女手で書いており、この時代は、紫式部が『源氏物語』を、清少納言が『枕草子』を著す、女手の黄金時代であった。

平安時代末期になると、従来の艶かしい美から転じて、個性的な書風が見え始め、仮名の完成美を示した。特に10世紀中頃から、書写の速度やリズムに種々の変容が現れて、能書家では、行成の孫の藤原伊房(これふさ)が、鋭さと速さ、秀麗にして気迫に満ちたユニークな書風を残している。

鎌倉時代
まず、藤原俊成と定家父子が活躍した。
藤原定家の書風は、父俊成の角張って鋭い書風と異なり、扁平な字形が多く、筆圧の強弱も極端で、ふにゃふにゃ、総じてくせの強いものであったが(自身も悪筆と認めていた)、当時の歌学の権威でもあったため、そのくせは個性と捉えられ、大いに尊ばれ、後世は定家流と呼ばれて広がった。
また、著名な歌人である西行にも魅力ある書風が見られるなど、個性的な書が書かれた一方で、画一的な亜流が生じたのも、この時代の特徴である。
一方、平安時代末期からの日宋貿易で、禅宗とともに新しい宋風の書が輸入され、これは禅宗様と呼ばれた。

室町時代
書道史的には見るべきものは多くない。明からの影響も乏しく、型にはまった保守的傾向の強い書風が多く見られた。
その中でも一休宗純は、筆を紙面にこすりつけるような鋭く激しい特異な筆勢と、大胆にディフォルメされた奔放な書風で気を吐いた。

安土桃山時代
室町時代の沈滞した空気を排除し、新風が吹き込まれた。
後陽成天皇は雄大な書風を見せた。
公家の近衛信尹は大字のかなに異色の書風を見せた。

江戸時代
初期に大陸からやってきた禅宗の黄檗僧(おうばくそう)たちが中国明代の書をもたらした。彼らの雄渾な筆致の新書法は、やがて唐様と呼ばれ大いに広まった。
江戸中期には近衛家煕によって、平安時代のかなに光が当てられた。
この時代の一般庶民の文字教育は、特に目立った能書家がいない草書の御家流が幕府公認の書体に規定されていたため、実用を旨にして形式化、低俗化の一途をたどった。しかし識字率の向上には一定の役割を果たした。

明治時代以降
明治時代以降、文学作品の多くが、漢字仮名交じりの表記による口語文で書かれるようになった。一方、書道の作品では、漢詩や漢文、和歌や俳句を、伝統的な手法によって表現する作品が主流を占め続けていた。
その後、昭和に入ると、漢字仮名交じりで書かれた同時代の文学作品を新たな書表現で作品化しようという動きが生まれる。
戦後、1954年に毎日書道展で近代詩部門が設けられると、翌年には日展の書の部門において調和体と称する漢字仮名交じり作品の出展区分が設けられた。
また、従来は小さく書かれ、展覧会の片隅の机に並べられるという地味なイメージがあったかなの書を、屏風、軸、額にして絵画作品のように壁に飾って鑑賞するという、大字かな運動が全国的に展開された。
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