『ウィアード』本編公開

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 写植に丸一日と言うか今終わった・・・10時間くらいかかった・・・右肩が痛い・・・・大変だな、こういう地味な作業も・・・まあ『ダブルスピーク』ほどセリフが無かったのが救い。あれは発狂レベルだった。この漫画、後半はバトルになってセリフが少ないんで。

 ということで今年の春に制作したT氏との合作漫画です。けっこう荒削りな話なんですけど、よろしければご覧ください。K氏は待たせたな!

 本サイト『ウィアード』のページはこちら!

塀の中の中学校

 勉強したらみんな幸せになるなんてちゃう!

 千原シニア怪演!!TBSのドラマ。義務教育を修了していない刑務所の囚人が通う中学校の話。実在するらしい。

 罪を犯した囚人を俺たちの税金で生活させてやって、しかも教育までさせてやるなんてもったいない。こいつらみんな死刑にしちゃえ!
 ここまで過激ではないにしても、これに近い事は哀しいことに私たち若い連中がけっこう思っていたりする。なにしろ死刑制度賛成派が今はとっても多いから。

 こういう人たちは近代的な合理主義病にかかっている。彼らに教育をさせたって、あまり意味がない。お金の無駄だと。
 そしてそういった世間の風を一番敏感に感じているのが、囚人自身だったりする。介護疲れで妻を殺した高齢者の囚人・・・確か佐々木(大滝秀治)さんは「わしは生きていても意味のない人間です」と口癖のように言う。
 刑務所を出たって、ただでさえ不況の御時世堅気の仕事なんてつけるのだろうか?「そんなの無理じゃ!」と千原せいじさん演じる大阪のやくざ小山田は言う。

 教師の石川先生(オダギリジョー)は「きみらは絶望しているだけ力がある。普通の人は絶望する前に逃げてしまう。その力を間違った方向に持ってった。でも更生する力だってあるはずだ」とラストで締めくくる。

 この石川の言葉に一番当てはまるキャラが小山田だ。小山田は徹底的なニヒリスト。口を開けば「努力なんて無意味じゃ」と、みんなのやる気がなくなるような皮肉を言うし、退学になるために体に障害を持つ囚人にイジワルもする。
 それもこれも小山田は本当はニヒリストじゃないんだ。燃えたぎるエネルギーがあるのに、社会に上手く適応できない苛立ち。そして塀の中の中学校ですら馴染めない苛立ちからクラスメイトに嫌がらせをする“自分自身に”苛立っている。とにかく千原せいじは怒っているのだ!

 俺はただのひょうきん者だったのに、頭が悪いばかりか根性まで悪くなってもうた!

 このセリフは小山田を象徴するセリフだと思う。

 囚人たちはそれぞれどうにもならない絶望を引き受けながら、生きていかなければならない。これは辛い。しかしこの辛さは程度の差はあれ、今を生きる全ての人が抱えているものだと思う。
 石川先生は囚人じゃないけれど、そもそもプロの写真家を目指していて、その夢破れた経緯が描かれる。新人賞に応募しても「きみには華が無い。こればかりは生まれ持った才能なんだ」と雑誌の編集長にボロクソ言われ、そのショックで仕事をずる休みしてしまう。
 人間は夢をもたずに生きていけるほどニヒルな存在ではないし、かといって夢に執着すればするほど社会の不条理に絶望してしまう。夢が叶うか叶わないかなんて、最終的には運なんだから。
 普通の人はそれに上手く折り合いをつけるんだけど、不器用な人はそれができない。石川先生も、囚人たちもその点ではとても似ている。

 芸人の「さまぁ~ず」がたまにふと語る、売れていなかった時代の話はけっこう聞いてて辛い。若い人にどんどん追い越され、大竹さんなんて「え?きみらまだやってたの?」くらいのこと言われたようだ。
 そこで普通は「俺には才能がない」って諦めちゃったりするのに諦めきれない。私は夢をかなえる人って、才能以上に踏ん張りきれる人だと思うんだ。
 でもそこまで長期的に踏ん張れるって言うのは、身近な人の応援がないと嫌になっちゃうし、身近な人に評価される実力は無いといけないんだけどね。

 今描いている漫画の話が人間の夢(=希望)をテーマにしているから、ついこんな事を考えてしまうんだけど、夢に対する希望と絶望の繰り返しが生きることなんだと思う。
 そんなの意味がないって?そんな事言ったって、もともと人間の存在に意味なんてねえよ。意味のないことを一生懸命やるのが人間なんじゃんね。

 私教育学部出たから、ちょっと人権野郎かもしれないけど(死刑制度反対だし)、昔「電池が切れるまで」っていう院内学級(病院に入院し学校に行けない子供に授業をして、学力の遅れが出ないようにする)のドラマがあって、あれだって「余命いくばくもない病気の子どもに算数教えてなんか意味あるの?」ってなるじゃない。どうせ遅かれ早かれ死ぬんだからって。
 でもそれって俺たちみんなそうでしょ?不死身じゃないんだから。確かに国家的には労働力がどうこうってなるけどさ。そういう人間を数値だけで捉える合理主義者も怖いよね。

 まあ、とにかくあれだ。「塀の中の中学校」の脚本を書いた内舘牧子さんは天才だってことだ!やっぱプロはすごい!
 最近テレビがつまらないとか言うけど、半年に一回これくらいのドラマをやってくれれば文句はないよ。
 アナログ放送が終わるからそれと同時にテレビ卒業しようと思っていたけど、やっぱお金貯めて地デジ化しよう。

的場格さんが面白いぞ

 今日から始まった「水戸黄門」第42部。

 助さんと格さんを演じる俳優が東幹久さんと的場浩司さんになったんだけど、二人ともバラエティ番組などを見る限り、けっこう癖のあるキャラクター。
 だから、少なからず今までの助さん格さんとはイメージが変わるんだろうな、とは事前に予想していたのですが、想像以上に格さんが面白い。

 伊吹次郎さんが演じた格さんのお堅いキャラとは違うタイプのアクティブな熱血漢で、敵が切腹しようとするときに「やめろ~!」って「スクールウォーズ」ばりに思いっきりぶっ飛ばしちゃうような人。 
 とにかく黄門界のコメディリリーフ「うっかり八兵衛」を喰う勢いのひょうきんなキャラクターで、水戸黄門も随分印象が変わったもんだ。

 そして今夜の見所!格さんが印籠を出す理由とは・・・!!
 特に役割が無かったから助さんに仕事をもらったんだってさ!wええええええ!理由が切なすぎる!!!!

 一方、東幹久さん演じる新「助さん」は、けっこう真面目な感じなんだけど、旅籠の可愛いお姉ちゃんについ目がいっちゃうところとかプレイボーイキャラは健在(都会育ちの東幹久さんをチョイスしたのも、ちょっと遊び人っぽかったからだろうし)。
 ただ静と動で言うなら助さんが静、格さんが動なのは明らか。八兵衛と二人で芸者遊びして、お金使っちゃって格さんに怒られている助さんが懐かしい・・・
 いや東さんもいずれやらかしそうだけど・・・でも助さんがそんな失態したら、格さんはあんな感じの熱血バカだし、もう御老公には誰も頼れるやつがいない・・・!

 なんて恐ろしいシリーズだ・・・!

 さ~て来週の「水戸顧問」は的場さんが相撲に挑戦!・・・スタッフ的場さんをいじり倒してないか?

ライブこそオレの原点

 以下どうでもいいツイート。ただのヘタレ的言い訳なんで受け流してください。

 最近漫画製作の進みが遅い。とにかく遅い。まあ絵については史上最高に難しいことをやろうとしていて(画力ないのに・・・)、一コマのデッサン?を仕上げるのに何時間もかかっちゃうからなんだけど、それ以上にこのモチベーションの低さったらなかった。作業がなかなか進まないから、やる気がなくなったって言うのもあると思うけど。

 とにかくサイキックウサギの「ホワイト」とか可愛く描くには、眼の位置とか大きさとかを相当意識しないと、可愛くなくなっちゃうから(あのキャラは可愛くないとリアリストなセリフとギャップが出ずに面白くないキャラ)あんな線の少ない奴の方が『クオリア』の笹峰さんよりもずっと難しいわけです。ホワイト一匹描くのに2時間かかったりしているコマもある。

 なにかを作るにはやっぱり刺激が必要で「こんなのを自分も作りたい!」って思うような漫画やアニメや映画も最近は別にないし(というか見ていないし)、テンションが上がる曲とかもなかった。

 でも最大の理由は、漫画を定期的に友達に読ませていなかったことだと判明!

 やはり週一で進行状況をチェックしてくれる編集者のような人がいないと、なかなか漫画を描く気が起こらない。
 自分は漫画を自分一人で描いてて満足するような、絵を描くのが三度の飯よりも好きなタイプじゃないので、常に読み手のリアクションという刺激がないと、どう作業を進めていいか分からないんだよな。
 それだけに目の前で、友達が自分の描いた漫画を読み、笑ったりしてくれるライブ感こそが、必要だったわけです。つまりテレビのバラエティよりも、寄席が好きな芸人タイプ。八時だョ!全員集合型。

 うお!今懐かしい光景がフラッシュバックした!(なんでも人間って精神的に弱っている時って自分の子どもの頃とかノスタルジックなものに逃げる傾向があるらしい。まさにモーレツオトナ帝国)
 K氏なんかは知ってると思うけど、そもそも中学時代は、自分の机を囲むクラスメイトに漫画を描く様子を眺められている中、その場しのぎでネームを切っていた!あれこそがオレの原点・・・!

 descf氏もこのタイプだと思うけど、友達が自分のギャグで笑うのを見るのはやはり最高。モチベーションモリモリ。
 少なくても週二。できれば週一で友達に目の前で漫画を読んでもらうのが望ましい。来週あたりKO氏空いてないかな?彼の指摘が一番編集者然としていて、効果的なんだけどな。会うのが久しぶりすぎて漫画以外の話で盛り上がりそうだけどね。

 どうでもいい追記:今日友達に「伊勢谷友介(大河ドラマの高杉晋作役のひとです)に似ている」って言われた。あまり「誰かに似ている」って言われたことない顔なのに。着流し着てないのに。 確かに頬がやつれちゃっているところ(だけ)は似ている(伊勢谷さんは病気じゃないだろうけど)。

『リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか』

 講談社現代新書。オタク評論家の大塚英志さんと東浩紀さんの対談本。最近新書を積極的に読んで、好きになってやろうと思っています。
 私は「新書ブームで大衆にウケている新書は“教養本”ではなく、所詮はおせっかいな“生き方本”であって、著者の一方的な主観の押し付けでしかない(しかもマーケティングの理論も入っていて、けっこう無責任な本もある)。それを読む読者は読者で、新書の情報で効率よく自分の生き方なんて決めようとするのは、どうなのか?」と未だに思っています。
 この本もいわばオラオラ説教本なんですけれど、この本がとっても楽しいのは、そんな説教臭いおたく――大塚さんと、それに防戦一方?の説教嫌いなオタク――東さんのやりとりが、なかなか示唆に溢れたものになっているからです。

 普通のオラオラ新書は「東さんの位置(怒られ役)」に私たち「読者」が入ることになります。よって著者の意見がどれだけ説得力があるかが、その本のある種の評価につながるんですけど、こうやって他人(東さん)が説教されているのをのぞき見るという読書体験はなかなか新鮮で、企画としても新しいと思う。
 そういう意味で、この本を出した東さんの勇気に拍手。だって自分が人に説教されているような恥ずかしいところを、みんなにみせたいなんて普通は思わないじゃないですか。ああ東は大塚に叱られてるぞ、なんて嫌だもん。
 だから秋葉原事件をきっかけに東さんも思うところがあったんだと思う。自分はあくまでも傍観者のひとりとして評論活動をしてきたけど、もう少しステップアップして、自分が受け手の一人ではなく、送り手――表現者であることをもう少し自覚してやっていってやろうというか。

 いや、実際どう思っているのかは分かりませんが。そもそも東さんはこの前「朝まで生テレビ」に出てたなあ、ってくらいしか私は知りませんし、大塚さんに至ってはまったく知らなかった。オタク論壇なんて私オタクじゃないし知らないから。
 たから「第1章 消費の受容」で萌え漫画やアニメのタイトルだか作者だかの固有名詞が出てきても、よく分からず、ああ、「こげトンボ」は漫画タイトルじゃなくて制作会社のことかな、といちいち想像するのは非常に面倒くさく、どうでもいいやって感じでした。

 それに第1章で論じられている「物語ることの放棄」などは、オタク文化に無知な私が適当に考えても同じようなことがいえるんですよね。私コラムでほとんど似たような事を言っていて驚いたもん。いやこんなこと(こじつけ)誰でも考えつくんですよね。
 つまりオタクにのめり込んでコミケで、デジキャラっとのフィギュアを買わんでも、今やっているたった2,3本のアニメをサンプリングして、それを大雑把に分析すれば、傾向みたいなものは結構簡単にイメージすることができる。

 こんな事言うと「現代の情報社会は、我々個人の認識限界を超えるほど複雑化している」という東さんに批判されそう。
 ただ複雑化しているのは個別事例=情報の“量”であって、それは個人の価値観の多様化だったりするのですが、そういった近代的な自由主義に基づく価値観の多様化そのもののメカニズムは複雑ではあれ難解ではない。
 情報の“質”の方は私は案外クオリティが下がっていると思うし、それについてはこの二人も同意していると思う。
 「デジキャラっとなんて萌え記号のパッチワークにすぎず、作者性なんて萌え文化においてはない」っていうような東さんならなおさら。

 それに対して大塚さんは漫画原作もやっている作り手だから、そんなマーケティングの産物でしかないような萌えメディアですら、作者の精神性はあると言う。
 ある種のパブリックドメイン的記号キャラの「デジキャラっと」や「初音ミク(本書には出てこないけど、こいつもそうだろ)」なんかをいろんな人が描いても、そのイラストに作者性は確かにあるのだ、たとえばこの絵描きが描くデジキャラっとが可愛いとか。

 ・・・いや、本当にこんなどうでもいい話を大の大人二人が真剣に論じているんですよ、この本!

 ・・・ということで第1章はそこまで楽しくもないんですよ。オタクや萌文化なんて興味がなかったり、キモいと思う人ならなおさら。

 しかし!「第2章 言論の変容」で、議論は対談の体をなさなくなります!大塚さんがやたら東さんをいじわるに問い詰め始めるんですよ!なんだよ、こいつは急にねちねち嫌な野郎だな、と私も思っていたのですが、ここら辺から、だんだんこの本は二人の議論のかみ合わなさが面白くなってくるんですw!
 ああ、この本はこうやって読めばいいんだな、っていうのが分かったとたん、私はこの本が一気に面白く思えてきて、気付けば鉛筆片手に笑えるセンテンスに線を引いたり、ページを折ったりして読んでいる始末。
 だってここまで噛み合わないってすごくないですか?wちょっとした漫才より面白いもん。普通どっちかが空気読んで相手の意見にすり寄ったりしちゃうのに、東さんは大塚さんのいやらしい問い詰めに一見同調したふりをしているのかな?と思いきや、ものの見事にスルーしちゃうから、結局会話が積み上がっていかない。

 そして「第3章 おたく/オタクは公的になれるか」でついに大塚が動き出す!
 なぜ自分が東さんの言説に対してあそこまで苛立っていたのか、その根拠を明確に言ってくれるから、第2章で大塚英志いやだな、こわいな~(C)稲川淳二って思っていたのが、一変して「ああ、この人のいら立ちももっともだ」ってなって、今度は東さんの公共性に対する諦めみたいなのが際立って見えてきて嫌になっちゃう。

 東さんがどういう世代にいて今いくつの人か分からないけど、とにかく「ああネットに没頭している人なんだな」とは思った。このちょっと価値観の違う人へのスルーの仕方はネット特有の方法だよなと。ちょっと反対意見を言われたら、暴言はいて逃げちゃうことだってできるんだもの。
 で、そんな逃げちゃう奴を真剣に説得しようったって時間と労力の無駄だし、東さんの言うようにどうにもならない。

 しかしプロの評論家であるあなたの評論や議論すらも、そのレベルのものなの?ネットのやり取りはそんな子供っぽい痴話げんかのレベルのままでいいの?公共性という観点をないがしろにしていいの?って大塚さんは東さんに一生懸命問題提起しようとしているんだけど、東さんのニヒリズムは強固で全く心に届かない。
 それはコミュニケーションのツールでしかないネットに対して、現代人のコミュニケーションそのものだと勘違いしちゃっているからなのかな、って思う。

 だから私もネット上の議論はあまり意味がないと思うし、実際にその人に会って話す対話の優位性を感じている。ネットの議論って結局自分の価値観から抜け出さないで、妥協が無いんだ。そんな奴が今大人で、現実の社会でディスコミュニケーションに直面しているわけでしょ。

 しかしなぜ東さんがああも、「公共性の議論を引き受けるのはやだよ~」って駄々をこねるのかが分からない。別にガンダムに乗り込んで戦うわけではなかろうが。
 そういう公的な面倒くさい話は、全部専門家か技術的なシステムに任せて、自分はひたすら閉じた世界、小さな物語の世界で生きていきたいんだろうけど、その閉じた世界を保障し構成しているのも、結局は今のところ国家であり、社会であり、人間だったりする。

 東さんは今日の複雑化した社会システムを、まるで引力の法則や化学反応の法則、もっといえば進化論や自己組織化といった複雑系科学のように科学的に捉えていて、それはいいんだけど、一つ違うのは社会科学的なシステムは、自然があらかじめ用意してくれるような決定論的な法則(帰納法だけで導かれる法則)じゃなくて、人間が主体的に関わり、対象のありかたが変わっていく流動的なシステムであるということ。
 一人一人の自分勝手な欲望に合わせて、社会が自分の思い通りに変わっていってはくれないけど、実は個人の振る舞いはしっかり社会全体に波及し作用している。それが複雑系の複雑系たる所以でしょ?

 それをぼくらは常に世界の傍観者っていうスタンスを取るのは、不確定性原理を考えれば不可能だってすぐに解るのに、世界や国家、社会は、僕ら個人とは断然した位置にいるって、短絡的に考えちゃうのは、やっぱり幼い。
 東さんはそういう人たちの代弁者として出てきたから、そういう人たちを批判するのは、すなわち自分のファンや読者をへらすことになり、怖くて言えないのだろうけど、大塚さんなんかは平気でやっちゃうだろうし、私もやっちゃう。
 それで自分が漫画家としてプロになれなくても、自分の求める公共性の概念や、自分の表現自体を自分で問い続けることを捨ててまで、漫画を描いてなにが楽しいんだ?って思うから。

 マーケティングなんてそっちのプロの編集者とかに任せりゃいいし、その人たちがダメって言うならダメでいいんだって。
 それを無理に捻じ曲げて編集サイドに自分の表現をすりよせても、面白い漫画ってできないもん。つ~かできなかったもん。
 実際今の漫画をはじめとするサブカルが既存の記号のパッチワークだから、物語を求める人は退屈だし、つまらないって言うんだって。

 あと東さんが明らかに矛盾しているのは、もし自分をただの「いち消費者」として捉えて、プロの表現者、評論家としての責任を負いたくないって言うならそれはそれで、好きなこと言えるんだから、自分の読者層なんて意識せずにもっと好き勝手に論評してもいいんじゃないか?ってこと。
 変にスマートに構えてないで、道徳だ!公共性だ!って崇高なことを言いながらも美少女フィギュアを買いあさっている大塚さんのみっともなさを見習えばいんじゃない?所詮オタクなんだからさ。
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