識別に知識がいる古典文法
ぱっと見で形が同じでも文法的な由来がちがう例を紹介。
こういうのは、文法書を片手に注意深く現代語訳するものであって、受験対策で活用ごと丸暗記するようなことじゃないと思う。
係助詞
くっついた語を強調する助詞。なくてもいいが、ないとさみしい。
終助詞
文末にくっつき文章を完結させる助詞。「~ぜ」「~かしら」など。
格助詞
体言(主語などの名詞)が他の語とどんな関係かを示す助詞。
接続助詞
前の語と後の語を接続し、前後の語句の意味関係を示す助詞。
なむ
①ナ変動詞の未然形の語尾+推量(意志・婉曲)の助動詞「む」
「我は往なむ。」のように「なむ」の「な」と「む」が由来的には別物というパターン。
この時の「…な」(ナ変動詞)は、「往な」の他にも「去な」と「死な」があり、いずれにせよ「な」が動詞の一部であることに注意。
②強意(完了)の助動詞「ぬ」の未然形+推量(意志・婉曲)の助動詞「む」
こちらも「なむ」の「な」と「む」が由来的には別物というパターンだが、こちらでは「な」の方も助動詞で、助動詞+助動詞という形になっている。
識別方法としては「髪も長くなりなむ。(髪もきっと長くなるだろう)」のように、「なむ」の前に来る語が、完了形の「ぬ」にくっつくために連用形(長く)になっていることである。
③強意の係助詞「なむ」
係助詞とはくっついた語を強調する助詞のこと。
この場合には「難波より、昨日なむ都にまうで来つる。」と文末は連体形(つる)となっている(係り結びの法則)。
ちなみにこの場合は「なむ」をとっても文の意味に変化はない。
④他の文に対しての希望を表す終助詞「なむ」
この場合には「とく参らなむとおぼす。(早く参上してほしいとお思いになる)」のように、「なむ」の前の語が未然形(参ら)になっている。
なり
①ラ行四段活用動詞「なる」の連用形
もっとも分かりやすいタイプ。
「(~に)なる」という意味を表すならばこれ。文節に区切った場合、自立語となる。
「子となり給ふべき人なめり。」など。
②ナリ活用の形容動詞の終止形(または連用形)の語尾
区別の仕方は「庭のさまもあはれなり。」のように「なり」の前の語が一語として独立できないことである。「なり」が込みの形で、庭の状態や様子を表している。
③断定の助動詞「なり」の終止形または連用形
「きはめて愚かなる人なり。」など「~である」と断定するタイプ。
区別の仕方は、「なり」が名詞(人)や連体形(~なもの、~なこと)の後についているかどうか。
④伝聞推定の助動詞「なり」の終止形
「侍従の大納言の御娘なくなりたまひぬなり。」のように伝聞推定(お亡くなりになったようだ)を表すタイプ。
区別の仕方は、「なり」が終止形に続くこと。ただしラ変型活用の語の場合には連体形につく。
同じ助動詞である③と④は接続から区別できない場合がある。
まず「なり」の前がラ変型活用の語で、断定も伝聞推定も連体形に続いてしまう場合。
次に「なり」の前が四段活用動詞もしくは上一段活用動詞で、連体形と終止形の形が同じである場合。
この場合、直前の語が撥音便(ん)、もしくは音声によって判断している場合は伝聞推定である(ほかは断定)。
に
こんなんただの助詞だろって気もするけど、助動詞だったり、動詞や副詞の一部だったりもする。なんと最多の7パターンがある。
①ナ変動詞の連用形の語尾
動詞の一部がたまたま「に」であるパターン。
「死に(しに)」「去に・往に(いに)」など。
②ナリ活用の形容動詞の連用形語尾
「静かにさぶらへ。(静かでございます)」など、形容動詞(静かな)の一部であるパターン。区別の方法は、「に」の前の語が一語で独立しないこと。
③副詞の一部
「すでに死なむとす。(まさに死にそうである)」など、副詞(すでに)の一部であるパターン。用言(死にそう)を修飾していれば、このタイプ。
④完了の助動詞「ぬ」の連用形
「に」の前の語が連用形となっていること(完了の助動詞「ぬ」は連用形に続くため)がポイントである。
⑤断定の助動詞「なり」の連用形
「に」の前の語が体言または連体形(断定の助動詞「なり」は名詞か連体形に続くため)となっていることがポイントである。
⑥格助詞「に」
格助詞とは体言(主語などの名詞)が他の語とどんな関係かを示す助詞のこと。
現代語では、「が」「の」「を」「に」「へ」「と」「より」「から」「で」などで、かなりメジャーなパターン。
「桂川、月の明かきにぞわたる。」など、体言か連体形(明かき)につく。
また、連体形につく場合は「に」の直前で、「人・もの・こと・とき・所」などの体言が省略されている場合(明かき→明るい“時”)がある。
⑦接続助詞「に」
接続助詞とは前の語と後の語を接続し、前後の語句の意味関係を示す助詞。
現代語では、「と」「ば」「ても(でも)」「けれど(けれども)」「が」「のに」「ので」「から」など。
⑥と同じく、体言か連体形につく。順接(舟に乗れの「に」)であるか逆接(梅は咲いたのにウグイスは鳴かないの「に」)であるかは、前後の文脈から判断することになる。
日本文法覚え書き③
2018-02-14 19:09:56 (6 years ago)
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カテゴリタグ:
- 語学
敬語の学習
敬語には、尊敬語、謙譲語、丁寧語の3つがあり、これは古典でも現代文でも変わらない。
この3つを明確に区別する上で重要なポイントが、敬意の方向である。
文章の構造で言うと、SVOという第3文型があった場合、Vに用いる敬語の種類によって、SとOの人間関係(どちらの身分が上なのか)を判断することができるようになっている。
尊敬語
身分がS>Oの場合に用いる。
つまりVをしているSの身分が高い場合、尊敬語を使って敬意を表す。
古典では、通常「お~になる」「なさる」などと訳す(「たもう」など)。
例えば「おはす」は「いる」の尊敬語で、現代語では「いらっしゃる」という意味である。
「のたまふ」は「言う」の尊敬語で、現代語では「おっしゃる」という意味である。
謙譲語
身分がS<Oの場合に用いる。
つまりVをされているOの身分が高い場合(=VをしているSがへりくだる場合)、謙譲語を使って敬意を表す。
古典では、通常「~差し上げる」などと訳す(「奉る」など)。
例えば「申す」は「言う」の謙譲語で、現代語では「申し上げる」という意味である。
「奉る・参る」は「やる」の謙譲語で「差し上げる」という意味である。
丁寧語
こちらはややメタ的で、語り部や筆者が、聞き手や読者に敬意を表す場合に用いる。
「~です」「~ます」「~ございます」などと訳す。
例えば「侍り」は「あり」の丁寧語で、現代語では「おります」「ございます」という意味である。「候ふ」は「をり」の丁寧語である。こちらも現代語では「おります」「ございます」という意味である。
地の文における敬語
こういった敬意の方向は、作中の台詞だけではなく、地の文からも読みとることができる。
例えば、地の文に尊敬語が使われている場合は“筆者”がSに対して敬意を示していることが分かり、地の文に謙譲語が使われている場合は、“筆者”がOに対して敬意を示していることが分かる。
そして地の文に丁寧語が使われている場合は、“筆者”が“読者”に対して敬意を示していることが分かる。
二方向への敬語
SもOもどちらも身分が高く、どちらにも敬意を示したい場合は「いみじく静かに,公に御文奉りたまふ。」(かぐや姫はたいそう静かに、帝に手紙を差し上げなさいました)などと、手紙を送るかぐや姫に対しては「たまふ」、手紙をもらう天皇に対しては「奉る」を同時に用いることもある。
二重敬語
Sに対してさらに特別な敬意を表したい場合は、「驚か・せ・たまふ」と、尊敬の助動詞「せ」と、尊敬の補助動詞「たまふ」の二つの敬語を重ねて用いる。
用法が複数ある敬語動詞
「奉る」は、基本的には謙譲語で「差し上げる」という意味だが、尊敬語でも使うことがあり「召し上がる、お乗りになる、お召しになる」という意味もある。
また、謙譲語で使う際には、たいていその後に尊敬語の「たまふ」が続き、「たてまつりたまふ」となるが、尊敬語で用いる場合は「奉る」単独のことが多い。
その「給ふ」にも謙譲語と尊敬語が存在する。しかも尊敬語版の「たまふ」は四段活用であるのに対し、謙譲語版の「たまふ」は下二段活用である。
「侍り」と「候ふ」については謙譲語と丁寧語がある。謙譲語では「そばに控えている」という意味になる(それ以外は丁寧語)。
敬語には、尊敬語、謙譲語、丁寧語の3つがあり、これは古典でも現代文でも変わらない。
この3つを明確に区別する上で重要なポイントが、敬意の方向である。
文章の構造で言うと、SVOという第3文型があった場合、Vに用いる敬語の種類によって、SとOの人間関係(どちらの身分が上なのか)を判断することができるようになっている。
尊敬語
身分がS>Oの場合に用いる。
つまりVをしているSの身分が高い場合、尊敬語を使って敬意を表す。
古典では、通常「お~になる」「なさる」などと訳す(「たもう」など)。
例えば「おはす」は「いる」の尊敬語で、現代語では「いらっしゃる」という意味である。
「のたまふ」は「言う」の尊敬語で、現代語では「おっしゃる」という意味である。
謙譲語
身分がS<Oの場合に用いる。
つまりVをされているOの身分が高い場合(=VをしているSがへりくだる場合)、謙譲語を使って敬意を表す。
古典では、通常「~差し上げる」などと訳す(「奉る」など)。
例えば「申す」は「言う」の謙譲語で、現代語では「申し上げる」という意味である。
「奉る・参る」は「やる」の謙譲語で「差し上げる」という意味である。
丁寧語
こちらはややメタ的で、語り部や筆者が、聞き手や読者に敬意を表す場合に用いる。
「~です」「~ます」「~ございます」などと訳す。
例えば「侍り」は「あり」の丁寧語で、現代語では「おります」「ございます」という意味である。「候ふ」は「をり」の丁寧語である。こちらも現代語では「おります」「ございます」という意味である。
地の文における敬語
こういった敬意の方向は、作中の台詞だけではなく、地の文からも読みとることができる。
例えば、地の文に尊敬語が使われている場合は“筆者”がSに対して敬意を示していることが分かり、地の文に謙譲語が使われている場合は、“筆者”がOに対して敬意を示していることが分かる。
そして地の文に丁寧語が使われている場合は、“筆者”が“読者”に対して敬意を示していることが分かる。
二方向への敬語
SもOもどちらも身分が高く、どちらにも敬意を示したい場合は「いみじく静かに,公に御文奉りたまふ。」(かぐや姫はたいそう静かに、帝に手紙を差し上げなさいました)などと、手紙を送るかぐや姫に対しては「たまふ」、手紙をもらう天皇に対しては「奉る」を同時に用いることもある。
二重敬語
Sに対してさらに特別な敬意を表したい場合は、「驚か・せ・たまふ」と、尊敬の助動詞「せ」と、尊敬の補助動詞「たまふ」の二つの敬語を重ねて用いる。
用法が複数ある敬語動詞
「奉る」は、基本的には謙譲語で「差し上げる」という意味だが、尊敬語でも使うことがあり「召し上がる、お乗りになる、お召しになる」という意味もある。
また、謙譲語で使う際には、たいていその後に尊敬語の「たまふ」が続き、「たてまつりたまふ」となるが、尊敬語で用いる場合は「奉る」単独のことが多い。
その「給ふ」にも謙譲語と尊敬語が存在する。しかも尊敬語版の「たまふ」は四段活用であるのに対し、謙譲語版の「たまふ」は下二段活用である。
「侍り」と「候ふ」については謙譲語と丁寧語がある。謙譲語では「そばに控えている」という意味になる(それ以外は丁寧語)。
日本文法覚え書き②
2018-02-13 20:50:33 (6 years ago)
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カテゴリタグ:
- 語学
助動詞の学習
まずは、そもそも助動詞はどういった品詞なのかを説明する。
助動詞とは「助動詞がよく分からない」の「ない」と言ったように、文章の意味を付け加えたり(この場合は否定)、「助動詞を学習するようだ」の「ようだ」と言ったように話者の気持ちを表す品詞であり、主に用言や他の助動詞とくっつく。
次に、助動詞の種類であるが全28種類もあるので、まずはそれらを分類することになる。分類の仕方には3つの観点があり、これを助動詞の三要素という。
①意味による分類
過去・完了・断定・推量・伝聞・推定・打消・打消推量・希望・受身・尊敬・可能・自発・使役・比況などと、助動詞は様々な意味を持つ。また同じ助動詞であっても複数の意味を持っている場合もある。
これに関しては、助動詞を含む例文の助動詞の部分に下線を引き、どんな意味で用いられているか考える訓練が効果的だが、古典文法の助動詞を身近なものにするために、例文の助動詞以外の部分はむしろ現代的な内容かつ現代語で記述し、助動詞だけ目立つようにした方が流行語のようなキャッチーなワードとして認識され、記憶していくと思われる。
「こづかい日前なので金があらず」「修学旅行で京都に行かまほし」など、自分の生活に身近な例文を生徒自身に作らせるとよい。
過去(~した)「き」「けり」
完了(~し終わった)「つ」「ぬ」「たり」「り」
断定(~だ)「なり」「たり」
推量(~だろう、~のようだ)「む」「むず」「らむ」「けむ」「べし」「らし」「めり」「なり」
受身(~させた)「る」「らる」
打消(~ない)「ず」
打消推量(~ないだろう)「じ」「まじ」
願望(~したい)「たし」「まほし」
使役(~させる)「す」「さす」「しむ」
比況(~と同じだ、~のようだ)「ごとし」
反実仮想(もし~だったら・・・だろう)「まし」
②活用による分類
助詞と異なり、助動詞は活用することができる。
そのパターンは、動詞型(四段型・下二段型・サ変型・ナ変型・ラ変型)、形容詞型(ク活用型・シク活用型)、形容動詞型(ナリ活用型・タリ活用型)、特殊型の4種類あり、これに関しては替え歌や語呂合わせでも良いので、活用表を参照しながら暗記していくしかない。
③接続による分類
それぞれの助動詞にはくっつくことができる活用形が決まっている。
たとえば「花咲きぬ」といった文の場合、「ぬ」を打ち消しと考え「花が咲かない」と現代語訳してしまいそうになるが、この場合の「ぬ」は連用形の「咲き」にくっついているため、打ち消しではなく完了となる(打ち消しの場合は「咲か-ず」と、未然形とくっつく)。
つまり接続の仕方によって助動詞の意味は特定することができる。
以上の点をまとめると
①基本的に動詞の下にある。
②活用がある。
③単語の前後によって意味が変わる。
最終的には暗記がものを言う分野ではあるが、いきなり全種類暗記しようとせずに、なんとなく気に入った助動詞をいくつか選び、会話や文章に実際に組み込んで遊び感覚で使ってみることが大切である。
その結果、古文の意味がおおまかに取れるようになり、学習のモチベーションも上がっていくだろうと思われる。若者は目新しく珍妙な言葉に抵抗がなく、すぐに使えてしまうので、古典の助動詞のブームを教師の手を離れて生徒間で起こせれば、後は自発的に学習していくだろう。
まずは、そもそも助動詞はどういった品詞なのかを説明する。
助動詞とは「助動詞がよく分からない」の「ない」と言ったように、文章の意味を付け加えたり(この場合は否定)、「助動詞を学習するようだ」の「ようだ」と言ったように話者の気持ちを表す品詞であり、主に用言や他の助動詞とくっつく。
次に、助動詞の種類であるが全28種類もあるので、まずはそれらを分類することになる。分類の仕方には3つの観点があり、これを助動詞の三要素という。
①意味による分類
過去・完了・断定・推量・伝聞・推定・打消・打消推量・希望・受身・尊敬・可能・自発・使役・比況などと、助動詞は様々な意味を持つ。また同じ助動詞であっても複数の意味を持っている場合もある。
これに関しては、助動詞を含む例文の助動詞の部分に下線を引き、どんな意味で用いられているか考える訓練が効果的だが、古典文法の助動詞を身近なものにするために、例文の助動詞以外の部分はむしろ現代的な内容かつ現代語で記述し、助動詞だけ目立つようにした方が流行語のようなキャッチーなワードとして認識され、記憶していくと思われる。
「こづかい日前なので金があらず」「修学旅行で京都に行かまほし」など、自分の生活に身近な例文を生徒自身に作らせるとよい。
過去(~した)「き」「けり」
完了(~し終わった)「つ」「ぬ」「たり」「り」
断定(~だ)「なり」「たり」
推量(~だろう、~のようだ)「む」「むず」「らむ」「けむ」「べし」「らし」「めり」「なり」
受身(~させた)「る」「らる」
打消(~ない)「ず」
打消推量(~ないだろう)「じ」「まじ」
願望(~したい)「たし」「まほし」
使役(~させる)「す」「さす」「しむ」
比況(~と同じだ、~のようだ)「ごとし」
反実仮想(もし~だったら・・・だろう)「まし」
②活用による分類
助詞と異なり、助動詞は活用することができる。
そのパターンは、動詞型(四段型・下二段型・サ変型・ナ変型・ラ変型)、形容詞型(ク活用型・シク活用型)、形容動詞型(ナリ活用型・タリ活用型)、特殊型の4種類あり、これに関しては替え歌や語呂合わせでも良いので、活用表を参照しながら暗記していくしかない。
③接続による分類
それぞれの助動詞にはくっつくことができる活用形が決まっている。
たとえば「花咲きぬ」といった文の場合、「ぬ」を打ち消しと考え「花が咲かない」と現代語訳してしまいそうになるが、この場合の「ぬ」は連用形の「咲き」にくっついているため、打ち消しではなく完了となる(打ち消しの場合は「咲か-ず」と、未然形とくっつく)。
つまり接続の仕方によって助動詞の意味は特定することができる。
以上の点をまとめると
①基本的に動詞の下にある。
②活用がある。
③単語の前後によって意味が変わる。
最終的には暗記がものを言う分野ではあるが、いきなり全種類暗記しようとせずに、なんとなく気に入った助動詞をいくつか選び、会話や文章に実際に組み込んで遊び感覚で使ってみることが大切である。
その結果、古文の意味がおおまかに取れるようになり、学習のモチベーションも上がっていくだろうと思われる。若者は目新しく珍妙な言葉に抵抗がなく、すぐに使えてしまうので、古典の助動詞のブームを教師の手を離れて生徒間で起こせれば、後は自発的に学習していくだろう。
日本文法覚え書き①
2018-02-13 20:43:38 (6 years ago)
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カテゴリタグ:
- 語学
とりあえず今年度の大学生活動は全て終了したのですが、今年度取りこぼした単位(上限オーバーのため)について覚え書き。これを取ると私は高校の国語もゲットできるのだ。まあ、来年度も大学行ってるかは分からないけど。なんかいつの間にかライフワークになってる感あるよな。人生は何もしないには長すぎ、何かをなすには短すぎるのだ。
あ、あと今月中にこしさんから依頼されたイラストも仕上げます。私のお絵かきが社会貢献できる珍しい例だしね。
用言
具体的には動詞、形容詞、形容動詞の3つの品詞が該当する。
条件としては、①自立語で、②活用することができ、③単独で述語になることができる。
①自立語とは文章を文節や単語で細かく区切ったときに、それ一語で意味が分かる「咲い(た)」「チューリップ」「花」などである。
「は」「が」「だ」「である」などは、単独では意味不明なので自立語ではない。
②活用とはその語に続く言葉によって、語尾が規則的に変化することを言う。
③述語とは事物の動作、存在、性質、状態を叙述する言葉である。したがって「咲いた」は述語であるが、「花」「チューリップ」は述語に含まれない。
次に用言に含まれる各品詞について説明する。
動詞
動作や存在を表す語で、「する」「やる」「咲く」など、最後の言い切りは「ウ段」で終わる。
基本的な活用には、四段活用、上二段活用、下二段活用、上一段活用、下一段活用がある。
例えば「咲く」は、未然形:咲か(ず)、連用形:咲き(けり)、終止形:咲く(。)、連体形:咲く(こと)、仮定形:咲け(ば)、命令形:咲け(。)と活用する。
活用しても変化が無い部分を語幹と言い、「咲く」の場合は「咲(さ)」であるが、語幹に続く活用する部分が(か)(き)(く)(け)と、ア段からエ段まで4種類に変化する。
このタイプの活用を、活用するア段、イ段、ウ段、エ段の4つから四段活用という。
次に、終止形であるウ段を基準に、ウ段とイ段のふたつだけ活用する動詞を上二段活用と呼ぶ。例えば「生く」が挙げられる。活用は順番に、生き(ず)、生き(けり)、生く(。)、生くる(こと)、生くれ(ば)、生きよ(。)と活用する。
同様に、ウ段とエ段だけの活用を下二段活用と呼ぶ。
上一段活用と下一段活用は、それぞれイ段とエ段のひとつだけしか活用を持たない場合である。前者は「起(きる)」など、後者は「終(える)」が該当する。
語幹は活用しない部分であるというルールがここでは成り立たないので(活用が1種類しかないので)、語幹の部分に注意する(「起き・る」ではなく「起・きる」)。
以上の活用は、まずウ段が基準になっていることを強調し、また個別の語を用いて実際に活用させてみると知識が定着すると思われる。
変格活用とは、例外的な活用をする動詞のことであり、カ行変格活用「来(く)」、サ行変格活用「す」「おはす」、ナ行変格活用「死ぬ」「往ぬ」、ラ行変格活用「あり」「をり」「はべり」「いまそがり」と4種類ある。
形容詞
「赤い」「美しい」など「~い」で終わる。
活用の仕方には「ク活用(く・く・し・き・けれ)」と「シク活用(から・かり・し・かる・かれ)」の2パターンがあり、助詞の「て」や動詞の「なる」を後ろに接続させると判別が可能である。
例えば「白い」の場合では「白くて」「白くなる」と活用するのでク活用である。
これが「美しい」の場合は「美しくて」「美しくなる」と活用するのでシク活用である。
さらに、補助的な活用としてカリ活用(補助活用)というものもある。これは、「多からず」「多かりけり」「多かるべし」といったように、「ず」「けり」「べし」等の助動詞に接続させるための活用である。
形容動詞
形容動詞は形容詞と同じく、性質や状態を表す単語である。
具体例として「きれいだ」「おだやかだ」「さわやかだ」などが該当する。
形容詞との違いとして、「~い」では終わらない。
形容動詞の連用形は副詞と似ているが、語幹に「~だ」「~な」をつけることができると、形容動詞である(※副詞は活用させることができない)。
古文では、終止形が「~だ」ではなく「~なり」、「~たり」となる。
活用には「ナリ活用」と「タリ活用」がある。
「ナリ活用」「タリ活用」は未然形から順に「なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ」「たら/たり・と/たり/たる/たれ/たれ」と活用する。
あ、あと今月中にこしさんから依頼されたイラストも仕上げます。私のお絵かきが社会貢献できる珍しい例だしね。
用言
具体的には動詞、形容詞、形容動詞の3つの品詞が該当する。
条件としては、①自立語で、②活用することができ、③単独で述語になることができる。
①自立語とは文章を文節や単語で細かく区切ったときに、それ一語で意味が分かる「咲い(た)」「チューリップ」「花」などである。
「は」「が」「だ」「である」などは、単独では意味不明なので自立語ではない。
②活用とはその語に続く言葉によって、語尾が規則的に変化することを言う。
③述語とは事物の動作、存在、性質、状態を叙述する言葉である。したがって「咲いた」は述語であるが、「花」「チューリップ」は述語に含まれない。
次に用言に含まれる各品詞について説明する。
動詞
動作や存在を表す語で、「する」「やる」「咲く」など、最後の言い切りは「ウ段」で終わる。
基本的な活用には、四段活用、上二段活用、下二段活用、上一段活用、下一段活用がある。
例えば「咲く」は、未然形:咲か(ず)、連用形:咲き(けり)、終止形:咲く(。)、連体形:咲く(こと)、仮定形:咲け(ば)、命令形:咲け(。)と活用する。
活用しても変化が無い部分を語幹と言い、「咲く」の場合は「咲(さ)」であるが、語幹に続く活用する部分が(か)(き)(く)(け)と、ア段からエ段まで4種類に変化する。
このタイプの活用を、活用するア段、イ段、ウ段、エ段の4つから四段活用という。
次に、終止形であるウ段を基準に、ウ段とイ段のふたつだけ活用する動詞を上二段活用と呼ぶ。例えば「生く」が挙げられる。活用は順番に、生き(ず)、生き(けり)、生く(。)、生くる(こと)、生くれ(ば)、生きよ(。)と活用する。
同様に、ウ段とエ段だけの活用を下二段活用と呼ぶ。
上一段活用と下一段活用は、それぞれイ段とエ段のひとつだけしか活用を持たない場合である。前者は「起(きる)」など、後者は「終(える)」が該当する。
語幹は活用しない部分であるというルールがここでは成り立たないので(活用が1種類しかないので)、語幹の部分に注意する(「起き・る」ではなく「起・きる」)。
以上の活用は、まずウ段が基準になっていることを強調し、また個別の語を用いて実際に活用させてみると知識が定着すると思われる。
変格活用とは、例外的な活用をする動詞のことであり、カ行変格活用「来(く)」、サ行変格活用「す」「おはす」、ナ行変格活用「死ぬ」「往ぬ」、ラ行変格活用「あり」「をり」「はべり」「いまそがり」と4種類ある。
形容詞
「赤い」「美しい」など「~い」で終わる。
活用の仕方には「ク活用(く・く・し・き・けれ)」と「シク活用(から・かり・し・かる・かれ)」の2パターンがあり、助詞の「て」や動詞の「なる」を後ろに接続させると判別が可能である。
例えば「白い」の場合では「白くて」「白くなる」と活用するのでク活用である。
これが「美しい」の場合は「美しくて」「美しくなる」と活用するのでシク活用である。
さらに、補助的な活用としてカリ活用(補助活用)というものもある。これは、「多からず」「多かりけり」「多かるべし」といったように、「ず」「けり」「べし」等の助動詞に接続させるための活用である。
形容動詞
形容動詞は形容詞と同じく、性質や状態を表す単語である。
具体例として「きれいだ」「おだやかだ」「さわやかだ」などが該当する。
形容詞との違いとして、「~い」では終わらない。
形容動詞の連用形は副詞と似ているが、語幹に「~だ」「~な」をつけることができると、形容動詞である(※副詞は活用させることができない)。
古文では、終止形が「~だ」ではなく「~なり」、「~たり」となる。
活用には「ナリ活用」と「タリ活用」がある。
「ナリ活用」「タリ活用」は未然形から順に「なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ」「たら/たり・と/たり/たる/たれ/たれ」と活用する。
『外来種のウソ・ホントを科学する』
2018-01-31 20:11:59 (6 years ago)
最近はあれだけど、自分は結構本を読むのが好きで、読書の醍醐味ってのはやっぱり自分だけでは気づかないような新しい視点、違ったものの見方、尺度を知ることができるっていうのがあると思う。
で、子どもの頃は、読む本読む本、衝撃の連続で楽しかったけど、ある程度の数を読んじゃうと「これもう知ってるよ」みたいに、なかなか新鮮な驚きを与えてくれる本に当たる打率が下がってきて、本当にいい本って限られてるなっていう。
そんな中、近年のヒットがこの本(もうひとつがこれ)。まあ、新鮮な驚きというよりは、前々から保全生態学のファナティックな運動にちょっと胡散臭さを感じていて、ホントなのかなあっていうもやもやを、英国の生物学者が見事に晴らしてくれたという爽快さがこの本にはある。
よくよく考えてみるとさ、根拠がちょっと弱いんだよね。だから、私にとってはこの分野って江戸しぐさとかEM菌とかと一緒でさ。別に私は、それで心が安らぐなら、他人が目くじら立てることないと思うし、いちいち立ててる奴もバカだと思うんだけどね。
まあ、おせっかいに啓蒙してきたら嫌だけどね。勝手にやってくれる分にはいいんだ。
でさ、そもそも運動って時点でさ、科学じゃないじゃん。運動をしなきゃダメって時点で。だって重力の法則とか相対性理論は正しい運動なんて歴史上やってないわけじゃん。まあ、進化論に関してはアメリカでは宗教上の問題もあって、ドーキンスみたいに啓蒙頑張っている人がいるけどさ。
だから、とどのつまりその分野で飯を食っている人がいるってことだよね。生活がかかっているからやっぱりコンスタントかつ過激に宣伝をし続けなきゃいけないという。血を吐く悲しいマラソンですよ。そんなバイアスについても慎重に考えなきゃいけないという、メディアリテラシーを考えるきっかけにもなる。
ただ、悲しいかな。動物が好きな人が読んでないんだよね。結局ダーウィン進化論を生物種に対しては受け入れられても、生態系全体になるとなぜかスタティックかつ排他的なものと捉えちゃうんだよね。
マニアって結局、自然界を博物館の標本が並ぶショーケースなようなものだと勘違いしているみたくて、流動的なものだと捉えるのが苦手なんだよな。
で、結局こういう部分に抵抗がないニュートラルな人って、まず、短期間にドラスティックに個体数が増えたり、形態が変化する昆虫や、遷移という視点がある植物が好きな人(この本の著者の専門は植物)だったり、逆にタイムスパンがかなりマクロな地質が好きな人だったりする。これが鳥や魚になるとちょっと在来種原理主義者が出てきて、おっかねえなっていう。
TOKIOの鉄腕ダッシュとか、テレ東の池の水全部抜いてみたとか、外来種バスター的なバラエティ番組が最近増えているけど(ジャパンはスゴイ系の番組とともに)、幸いなのはこういう特定のイデオロギーを植え付けかねない分野を義務教育の理科ではあまり深くは取り扱わないってことだよね。
教科書作っている人はやっぱり慎重というか、例えば今理科で気象学やってるけど、エルニーニョ現象までは載ってるんだけど、地球温暖化問題は載ってないんだよ。このバランス感覚というか、めんどくさい部分は知らぬ存ぜぬの事なかれ主義というか。
ネットでアジテーションしてる人たちよか、現場の方が責任と立場がある以上ちゃんとしてるのかもね。下手なこと言えないじゃん。
てことで以下は、この本で重要だと私が感じた箇所。興味を持ったらぜひ読んでみてほしい。まあ、読むべき人は絶対読まないであろうことはわかるんだけどさ。
エルトン(※侵入生物学のパイオニア)の遺したものが新しい科学分野ではなく、旧来のある思考体系――ヴェーゲナーのプレート・テクトニクス以前、そればかりかダーウィン以前にさえ遡れる原理の残滓の上に培われた体系であるのは明らかだ。植物も動物も静止して動かず、不変の世界に生息しているという原理だ。(58ページ)
まず定義からして、外来種は数がおびただしく、最もよく目立ち、とことん人の手が加えられた環境――つまり街や都市に生息することになっている。日々の生活で外来種に出くわすのは日常茶飯事なので、誰しも一家言あり、しかも外来種といえば在来種をせっせと押しのけるというのがもはや「自明」になってしまっている――現実にはその限りでないとしても。同様に「自明」とされているのが、対策として何かしなければならないことだ。対策がどうあるべきかは必ずしも自明ではなく、そのうえ誤った対応は事態をかえって厄介なものにしかねないにもかかわらず。
そこで、ジャーナリストが電話をかけてきて、その場で答えを欲しがる。「アジア原産のオオスズメバチが英国を席巻してわが国のミツバチを全滅させるってほんとうですか?」。訊かれた科学者が、個人的には席巻も全滅もありそうにないと考えていたとしても、そういう脅威でもなければ、南フランスまで出かけて行ってハチの生態を調べる費用を誰が出してくれようか。いずれにせよ、導入種の多くは定着に失敗していること、稀に成功する種があっても、まず問題を引き起こすには至らないこと、また、仮に害をなす生物がいたとしても、それが事前に目をつけて用心していた種であるケースはめったにないということを根気よく説明しているうちに、電話は切れてしまっているだろう。(64ページ)
わたしたち人間という生物の心の奥底にひそむ願望の問題なのだ。自分たちの視野が狭く、環境を適切に管理できないことを、誰かの、何かのせいにせずにはいられない願望の。(68ページ)
Bに引き続いてAが起こったから、AはBが原因であると仮定するのは、科学では初歩的な誤りだ。ただの偶然かもしれないし、ギョリュウの場合のように、AもBも、両方とも何かの原因で引き起こされたとも考えられる。
ギョリュウは土壌の塩分を高めて在来種との競争に勝ち、在来種を排除すると非難される。だが簡単に結論に飛びつく前に、もっと単純な別の可能性を考えてみてはどうだろうか。ギョリュウは新しい環境によりよく適応したのである。その新しい環境は、ダム建設、人間が利用するための利水、消火体制の改変、家畜の放牧の増大などによって作り出されたものだ。(97ページ)
例えば、野生のアナウサギ(導入種。ただし最も最近の氷期の前から英国にいた)を好む英国人はまずいないが、茶色いヤブノウサギ(これもこの前の間氷期には英国にいて、今回の間氷期になってまた導入された)となるとどうも甘い。それどころかノウサギは、現在独自の生物多様性アクション・プラン(BAP)ができているほどだ。(略)ノウサギが在来種ではないことは問題ではないのか――どうやらそうらしい。
一般的に言って、わたしたちは、愛らしくてわれわれに厄介をかけない動物や植物が好きだ。さらに言えば、生息数が減少している生き物が好きで、彼らになりかわって頑張ってしまうことさえしばしばある。(略)
愛情の対象は在来種であってほしいという願望があまりにも強力なために、そもそもその生物が在来種がどうかという判断まで左右されることがある。(118ページ)
ここまでくると、「在来」とはいったい何かといささか混乱してくるだろうし、もししていないなら、多少は混乱したほうがいい。(120ページ)
ディンゴはおよそ四〇〇〇年前、東南アジアから海を渡ってきた人々に連れられてオーストラリアにやってきた。外国生まれの渡来者であるにもかかわらず、ディンゴこそ、オーストラリアで絶滅の危機に瀕している小型有袋類を救うカギなのだ。ヴィクトリア州はようやくにしてその事態に気づき――いささか遅きに失したが――、ディンゴを絶滅危惧種のリスト入りさせることにした。(略)
遅まきながらもヴィクトリア州がこう決断したことは、稀にみる常識の発露と考えていいだろう。(125~127ページ)
限界に達している群集/群落では、定義からして新たな生物種が足場を作るのは難しい。だがもし新たな生物種が足場を確保したとしたら、それはすでに存在している生物種の利用できる資源が減り、遅かれ早かれ、その生息地内の既往生物が死に至ることを意味する。
だがほぼ普遍的をいってもいいくらいに、実験的に得られるデータでは、群集/群落が限界に達することはなく、地域の生物多様性はやすやすと増大する。(141ページ)
現実世界の実証例は、ほとんどすべてが反対方向を向いていて、多様性に富んだ生態系ほど実際には侵入されやすいように思える。論理的にはおそらくこれが当然なのだ――生態系内部の力関係というものを考えてみれば。植物の群落でも動物の群集でも、およそ生物の集団は多くの個体からなっていて、いずれも永遠に生き続けるわけではない。したがってそこには必然的に入れ替わりが起こる。もしも新しい個体が定着することでその種が集団の中で存続していくことが可能なのであれば、集団はその新しい個体に「侵入されうる」ものになっていなければならない。(略)つまり、群集/群落は、多様になるためにはそもそも「侵入されうる」場でなければならなかったのだし、引き続いて多様であり続けるためには、やはり侵入可能な場であり続ける必要がある。(144ページ)
わたしたち人間が、うっかりにせよわざとにせよ、以前にもまして多くの生物を地球上のあちこちに連れまわしていくと、地球の状態は三億年前、大陸が全部、パンゲアと呼ばれる超大陸にまとまっていた頃とよく似てくる。わたしたちが日に日にパンゲアらしくなっていくのは、陸地を突き動かしてくっつけるのも、生物種のほうを動かすのも、どちらも、いつもならカンガルーがラクダに出会わないようにしている分散の障壁を取り除く行為の、両面に過ぎないからだ。(149ページ)
ニッチ理論が何らかの成果を出すほどの長い間、外的な干渉を一切受けずにいられる生態系がほとんどないこと。生物集団のほとんどは、はた目にはいくら不変に見えようと、現実には常に何らかの災害からの回復途上にある。(略)生態学の教科書にあるような整然としたニッチで生物集団の説明がつけられると考えていては、正解よりも間違いに近づくだけだと如実に示してくれる実例だろう、(154ページ)
なぜある種の生物は巧みに定着し、ある種の生物は定着できないのか、生物はいかにして集団に溶けこみ、その集団はどのようにふるまうのか、理解できていないことはすでに数多く列挙されている(略)(170ページ)
本来の姿からあまりにも改変が進んでしまった土地は、原初の、その土地固有の植物には見知らぬ場所なのではないか。そうした環境では、うまく適応する外来種(どんなに頑張ってもどのみちなくならない)を目の敵にするのではなく、むしろ味方に取り込むことでしか前へ進めないのではないか。(186ページ)
わたしたちには、何が在来種で何が外来種かわからないことが多い。そしてその両者をどう定義するかは、わたしたちの好き嫌いに呼応してしばしば捻じ曲げられる。たしかに有害な外来種は締め出しておきたいが、害を測定するのには長けていない。また、栄えている外来種のほとんどが、単に人間が生み出した隙間をうまいこと利用しているだけで、たいてい彼らもまた、人間が与える恩恵の受け手に過ぎないという事実を認めたがらない。(198ページ)
わたしたち人間にはどうも時間を適切な尺度で捉えるのが苦手なようだということだ。プエルトリコの耕作放棄地が事実上単一の外来樹に席巻され、一面の外来種が二〇年、三〇年、ひょっとすると四〇年も占有種を主張してくると、これはなにか手を打たなければ、と逸る気持ちを抑えかねる。(略)だが待ち続けることが正しい方針なのだ。なぜなら地方行政や自然保護基金とは違って、森林が成熟する過程では、三〇年や四〇年はほんの一瞬にすぎないのだから。最終的にできる、在来種と外来種の混生林(とはいえ、在来種が過半数を占める)という形態は、もしかしたらみんなが望む理想形ではないかもしれないが、横から人間が手を出した時に起こりうる結果よりははるかにいいものだ。(202ページ)
園芸は長きにわたって、植物を地球のあちこちに動かす最大の原動力である。かつては作物として有用な植物が大勢を占めていたが、近年では主として観賞用の植物が多く動く。栽培されるようになると、やがて自然界に脱走していく可能性が高まることは、幾多の研究で明らかにされている。(222ページ)
現代の物資や人間の流通量は圧倒的だから、ホモ・サピエンスのそばが好きな、あるいは人間の造る建物や乗り物、ペット、庭、家畜や畑を好む生物は、やがては新天地にばらまいてもらえる。そういう種を私は、人間愛好種(アンスロポフィル)と呼びたい。(230ページ)
わたしたち人間は、今や空前絶後の数で生物をばらまいているが、わたしたち自身のせいでそうして拡散が前にもまして必要になっているとも言える。生物にとっては新たな生息地に拡散できることはいつだって有益なのだが、生息地が破壊されたり分断されたりすれば、効果的に分散できることは、有益という以前に生存に不可欠になってくる。加えて、温暖化の脅威も増しており、だからこそあらゆる生物がどのみち移動しなければならなくなる。(231ページ)
問題は、生物を移していいかどうかではなく、移すべきはどの生物か、ということになる。「一切の移転を認めない」方針は、アライグマや迷惑雑草、アブラムシ、コナカイガラムシなどなどといった、あまねく容易に分散する人間愛好種にさらに有利に働くだけだ。絶滅が懸念される生物の移住に手を貸すのは、そうした生物が少なくとも同じ競技場で競争できるように、そこへ向かって小さな一歩を踏み出す手伝いをすることだ。(略)生物を動かすのは「神様ぶる」ことだと批判する向きもあるが、人間はさんざん神様ぶってしまっている。それもどちらかといえば旧約聖書的神様で、「主は自ら助くる者を助く」の原則を貫いて、自分を助けられる立場にないものはまったく支援に値しないと解釈している神様だ。(236ページ)
科学は、調査結果に主観的な道徳価値を付与したりはしない。(244ページ)
外来種のコストはアメリカ合衆国全体で、年間一〇〇〇億~二〇〇〇億ドルにのぼるという主張である。この数字には表がついていて、それを見たところ、少なくとも半分は人間がかかる病気に関連する莫大な費用で、そのほとんどはインフルエンザだ。インフルエンザウィルスを侵入的外来種と呼ぶのはいくらなんでも飛躍しすぎではないだろうか。(251ページ)
「民族的出自にかかわらず、誰もが環境保護、文化的遺産保護活動に完全参加」できるようにすることを目標に掲げる団体、UKブラック・エンヴァイロメント・ネットワークが、外来生物排斥が外来人間排斥へと転化する境界線の微妙さを懸念して、両者にもっと寛容にと盛んにキャンペーンを張っていることは、注目していいだろう。なるほど、見た目はほとんど同じカエルやビーバーを何とか区別しようとする話を読めば、人間世界での似たような話――人間を、肌の色や人種で区分けしようとして歴史を、思い起こさずにいられないところがある。(269ページ)
侵入的な在来種は見すごされ、わたしたちのアンテナには引っかからない。(274ページ)
で、子どもの頃は、読む本読む本、衝撃の連続で楽しかったけど、ある程度の数を読んじゃうと「これもう知ってるよ」みたいに、なかなか新鮮な驚きを与えてくれる本に当たる打率が下がってきて、本当にいい本って限られてるなっていう。
そんな中、近年のヒットがこの本(もうひとつがこれ)。まあ、新鮮な驚きというよりは、前々から保全生態学のファナティックな運動にちょっと胡散臭さを感じていて、ホントなのかなあっていうもやもやを、英国の生物学者が見事に晴らしてくれたという爽快さがこの本にはある。
よくよく考えてみるとさ、根拠がちょっと弱いんだよね。だから、私にとってはこの分野って江戸しぐさとかEM菌とかと一緒でさ。別に私は、それで心が安らぐなら、他人が目くじら立てることないと思うし、いちいち立ててる奴もバカだと思うんだけどね。
まあ、おせっかいに啓蒙してきたら嫌だけどね。勝手にやってくれる分にはいいんだ。
でさ、そもそも運動って時点でさ、科学じゃないじゃん。運動をしなきゃダメって時点で。だって重力の法則とか相対性理論は正しい運動なんて歴史上やってないわけじゃん。まあ、進化論に関してはアメリカでは宗教上の問題もあって、ドーキンスみたいに啓蒙頑張っている人がいるけどさ。
だから、とどのつまりその分野で飯を食っている人がいるってことだよね。生活がかかっているからやっぱりコンスタントかつ過激に宣伝をし続けなきゃいけないという。血を吐く悲しいマラソンですよ。そんなバイアスについても慎重に考えなきゃいけないという、メディアリテラシーを考えるきっかけにもなる。
ただ、悲しいかな。動物が好きな人が読んでないんだよね。結局ダーウィン進化論を生物種に対しては受け入れられても、生態系全体になるとなぜかスタティックかつ排他的なものと捉えちゃうんだよね。
マニアって結局、自然界を博物館の標本が並ぶショーケースなようなものだと勘違いしているみたくて、流動的なものだと捉えるのが苦手なんだよな。
で、結局こういう部分に抵抗がないニュートラルな人って、まず、短期間にドラスティックに個体数が増えたり、形態が変化する昆虫や、遷移という視点がある植物が好きな人(この本の著者の専門は植物)だったり、逆にタイムスパンがかなりマクロな地質が好きな人だったりする。これが鳥や魚になるとちょっと在来種原理主義者が出てきて、おっかねえなっていう。
TOKIOの鉄腕ダッシュとか、テレ東の池の水全部抜いてみたとか、外来種バスター的なバラエティ番組が最近増えているけど(ジャパンはスゴイ系の番組とともに)、幸いなのはこういう特定のイデオロギーを植え付けかねない分野を義務教育の理科ではあまり深くは取り扱わないってことだよね。
教科書作っている人はやっぱり慎重というか、例えば今理科で気象学やってるけど、エルニーニョ現象までは載ってるんだけど、地球温暖化問題は載ってないんだよ。このバランス感覚というか、めんどくさい部分は知らぬ存ぜぬの事なかれ主義というか。
ネットでアジテーションしてる人たちよか、現場の方が責任と立場がある以上ちゃんとしてるのかもね。下手なこと言えないじゃん。
てことで以下は、この本で重要だと私が感じた箇所。興味を持ったらぜひ読んでみてほしい。まあ、読むべき人は絶対読まないであろうことはわかるんだけどさ。
エルトン(※侵入生物学のパイオニア)の遺したものが新しい科学分野ではなく、旧来のある思考体系――ヴェーゲナーのプレート・テクトニクス以前、そればかりかダーウィン以前にさえ遡れる原理の残滓の上に培われた体系であるのは明らかだ。植物も動物も静止して動かず、不変の世界に生息しているという原理だ。(58ページ)
まず定義からして、外来種は数がおびただしく、最もよく目立ち、とことん人の手が加えられた環境――つまり街や都市に生息することになっている。日々の生活で外来種に出くわすのは日常茶飯事なので、誰しも一家言あり、しかも外来種といえば在来種をせっせと押しのけるというのがもはや「自明」になってしまっている――現実にはその限りでないとしても。同様に「自明」とされているのが、対策として何かしなければならないことだ。対策がどうあるべきかは必ずしも自明ではなく、そのうえ誤った対応は事態をかえって厄介なものにしかねないにもかかわらず。
そこで、ジャーナリストが電話をかけてきて、その場で答えを欲しがる。「アジア原産のオオスズメバチが英国を席巻してわが国のミツバチを全滅させるってほんとうですか?」。訊かれた科学者が、個人的には席巻も全滅もありそうにないと考えていたとしても、そういう脅威でもなければ、南フランスまで出かけて行ってハチの生態を調べる費用を誰が出してくれようか。いずれにせよ、導入種の多くは定着に失敗していること、稀に成功する種があっても、まず問題を引き起こすには至らないこと、また、仮に害をなす生物がいたとしても、それが事前に目をつけて用心していた種であるケースはめったにないということを根気よく説明しているうちに、電話は切れてしまっているだろう。(64ページ)
わたしたち人間という生物の心の奥底にひそむ願望の問題なのだ。自分たちの視野が狭く、環境を適切に管理できないことを、誰かの、何かのせいにせずにはいられない願望の。(68ページ)
Bに引き続いてAが起こったから、AはBが原因であると仮定するのは、科学では初歩的な誤りだ。ただの偶然かもしれないし、ギョリュウの場合のように、AもBも、両方とも何かの原因で引き起こされたとも考えられる。
ギョリュウは土壌の塩分を高めて在来種との競争に勝ち、在来種を排除すると非難される。だが簡単に結論に飛びつく前に、もっと単純な別の可能性を考えてみてはどうだろうか。ギョリュウは新しい環境によりよく適応したのである。その新しい環境は、ダム建設、人間が利用するための利水、消火体制の改変、家畜の放牧の増大などによって作り出されたものだ。(97ページ)
例えば、野生のアナウサギ(導入種。ただし最も最近の氷期の前から英国にいた)を好む英国人はまずいないが、茶色いヤブノウサギ(これもこの前の間氷期には英国にいて、今回の間氷期になってまた導入された)となるとどうも甘い。それどころかノウサギは、現在独自の生物多様性アクション・プラン(BAP)ができているほどだ。(略)ノウサギが在来種ではないことは問題ではないのか――どうやらそうらしい。
一般的に言って、わたしたちは、愛らしくてわれわれに厄介をかけない動物や植物が好きだ。さらに言えば、生息数が減少している生き物が好きで、彼らになりかわって頑張ってしまうことさえしばしばある。(略)
愛情の対象は在来種であってほしいという願望があまりにも強力なために、そもそもその生物が在来種がどうかという判断まで左右されることがある。(118ページ)
ここまでくると、「在来」とはいったい何かといささか混乱してくるだろうし、もししていないなら、多少は混乱したほうがいい。(120ページ)
ディンゴはおよそ四〇〇〇年前、東南アジアから海を渡ってきた人々に連れられてオーストラリアにやってきた。外国生まれの渡来者であるにもかかわらず、ディンゴこそ、オーストラリアで絶滅の危機に瀕している小型有袋類を救うカギなのだ。ヴィクトリア州はようやくにしてその事態に気づき――いささか遅きに失したが――、ディンゴを絶滅危惧種のリスト入りさせることにした。(略)
遅まきながらもヴィクトリア州がこう決断したことは、稀にみる常識の発露と考えていいだろう。(125~127ページ)
限界に達している群集/群落では、定義からして新たな生物種が足場を作るのは難しい。だがもし新たな生物種が足場を確保したとしたら、それはすでに存在している生物種の利用できる資源が減り、遅かれ早かれ、その生息地内の既往生物が死に至ることを意味する。
だがほぼ普遍的をいってもいいくらいに、実験的に得られるデータでは、群集/群落が限界に達することはなく、地域の生物多様性はやすやすと増大する。(141ページ)
現実世界の実証例は、ほとんどすべてが反対方向を向いていて、多様性に富んだ生態系ほど実際には侵入されやすいように思える。論理的にはおそらくこれが当然なのだ――生態系内部の力関係というものを考えてみれば。植物の群落でも動物の群集でも、およそ生物の集団は多くの個体からなっていて、いずれも永遠に生き続けるわけではない。したがってそこには必然的に入れ替わりが起こる。もしも新しい個体が定着することでその種が集団の中で存続していくことが可能なのであれば、集団はその新しい個体に「侵入されうる」ものになっていなければならない。(略)つまり、群集/群落は、多様になるためにはそもそも「侵入されうる」場でなければならなかったのだし、引き続いて多様であり続けるためには、やはり侵入可能な場であり続ける必要がある。(144ページ)
わたしたち人間が、うっかりにせよわざとにせよ、以前にもまして多くの生物を地球上のあちこちに連れまわしていくと、地球の状態は三億年前、大陸が全部、パンゲアと呼ばれる超大陸にまとまっていた頃とよく似てくる。わたしたちが日に日にパンゲアらしくなっていくのは、陸地を突き動かしてくっつけるのも、生物種のほうを動かすのも、どちらも、いつもならカンガルーがラクダに出会わないようにしている分散の障壁を取り除く行為の、両面に過ぎないからだ。(149ページ)
ニッチ理論が何らかの成果を出すほどの長い間、外的な干渉を一切受けずにいられる生態系がほとんどないこと。生物集団のほとんどは、はた目にはいくら不変に見えようと、現実には常に何らかの災害からの回復途上にある。(略)生態学の教科書にあるような整然としたニッチで生物集団の説明がつけられると考えていては、正解よりも間違いに近づくだけだと如実に示してくれる実例だろう、(154ページ)
なぜある種の生物は巧みに定着し、ある種の生物は定着できないのか、生物はいかにして集団に溶けこみ、その集団はどのようにふるまうのか、理解できていないことはすでに数多く列挙されている(略)(170ページ)
本来の姿からあまりにも改変が進んでしまった土地は、原初の、その土地固有の植物には見知らぬ場所なのではないか。そうした環境では、うまく適応する外来種(どんなに頑張ってもどのみちなくならない)を目の敵にするのではなく、むしろ味方に取り込むことでしか前へ進めないのではないか。(186ページ)
わたしたちには、何が在来種で何が外来種かわからないことが多い。そしてその両者をどう定義するかは、わたしたちの好き嫌いに呼応してしばしば捻じ曲げられる。たしかに有害な外来種は締め出しておきたいが、害を測定するのには長けていない。また、栄えている外来種のほとんどが、単に人間が生み出した隙間をうまいこと利用しているだけで、たいてい彼らもまた、人間が与える恩恵の受け手に過ぎないという事実を認めたがらない。(198ページ)
わたしたち人間にはどうも時間を適切な尺度で捉えるのが苦手なようだということだ。プエルトリコの耕作放棄地が事実上単一の外来樹に席巻され、一面の外来種が二〇年、三〇年、ひょっとすると四〇年も占有種を主張してくると、これはなにか手を打たなければ、と逸る気持ちを抑えかねる。(略)だが待ち続けることが正しい方針なのだ。なぜなら地方行政や自然保護基金とは違って、森林が成熟する過程では、三〇年や四〇年はほんの一瞬にすぎないのだから。最終的にできる、在来種と外来種の混生林(とはいえ、在来種が過半数を占める)という形態は、もしかしたらみんなが望む理想形ではないかもしれないが、横から人間が手を出した時に起こりうる結果よりははるかにいいものだ。(202ページ)
園芸は長きにわたって、植物を地球のあちこちに動かす最大の原動力である。かつては作物として有用な植物が大勢を占めていたが、近年では主として観賞用の植物が多く動く。栽培されるようになると、やがて自然界に脱走していく可能性が高まることは、幾多の研究で明らかにされている。(222ページ)
現代の物資や人間の流通量は圧倒的だから、ホモ・サピエンスのそばが好きな、あるいは人間の造る建物や乗り物、ペット、庭、家畜や畑を好む生物は、やがては新天地にばらまいてもらえる。そういう種を私は、人間愛好種(アンスロポフィル)と呼びたい。(230ページ)
わたしたち人間は、今や空前絶後の数で生物をばらまいているが、わたしたち自身のせいでそうして拡散が前にもまして必要になっているとも言える。生物にとっては新たな生息地に拡散できることはいつだって有益なのだが、生息地が破壊されたり分断されたりすれば、効果的に分散できることは、有益という以前に生存に不可欠になってくる。加えて、温暖化の脅威も増しており、だからこそあらゆる生物がどのみち移動しなければならなくなる。(231ページ)
問題は、生物を移していいかどうかではなく、移すべきはどの生物か、ということになる。「一切の移転を認めない」方針は、アライグマや迷惑雑草、アブラムシ、コナカイガラムシなどなどといった、あまねく容易に分散する人間愛好種にさらに有利に働くだけだ。絶滅が懸念される生物の移住に手を貸すのは、そうした生物が少なくとも同じ競技場で競争できるように、そこへ向かって小さな一歩を踏み出す手伝いをすることだ。(略)生物を動かすのは「神様ぶる」ことだと批判する向きもあるが、人間はさんざん神様ぶってしまっている。それもどちらかといえば旧約聖書的神様で、「主は自ら助くる者を助く」の原則を貫いて、自分を助けられる立場にないものはまったく支援に値しないと解釈している神様だ。(236ページ)
科学は、調査結果に主観的な道徳価値を付与したりはしない。(244ページ)
外来種のコストはアメリカ合衆国全体で、年間一〇〇〇億~二〇〇〇億ドルにのぼるという主張である。この数字には表がついていて、それを見たところ、少なくとも半分は人間がかかる病気に関連する莫大な費用で、そのほとんどはインフルエンザだ。インフルエンザウィルスを侵入的外来種と呼ぶのはいくらなんでも飛躍しすぎではないだろうか。(251ページ)
「民族的出自にかかわらず、誰もが環境保護、文化的遺産保護活動に完全参加」できるようにすることを目標に掲げる団体、UKブラック・エンヴァイロメント・ネットワークが、外来生物排斥が外来人間排斥へと転化する境界線の微妙さを懸念して、両者にもっと寛容にと盛んにキャンペーンを張っていることは、注目していいだろう。なるほど、見た目はほとんど同じカエルやビーバーを何とか区別しようとする話を読めば、人間世界での似たような話――人間を、肌の色や人種で区分けしようとして歴史を、思い起こさずにいられないところがある。(269ページ)
侵入的な在来種は見すごされ、わたしたちのアンテナには引っかからない。(274ページ)
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