社会学概論覚え書き①

 この前試験に行ったばかりなのに、またやってくるっていう。今回は暗記科目ばかりなのでスケジュールがキツキツ。教員採用試験も迫ってきてるしね。
 しかし外国史概説はやっちまったなあ。レオン三世とレオ三世を取り違えるとは・・・つーかあれって読み方の問題なんじゃないの?ダメ?ひとつで不合格って厳しなあorz

社会学とはなにか
しばしば社会学は三面記事と呼ばれる。
これは新聞が全4ページ構成だった頃、3ページ目が社会面だったことに由来。
様々な雑多な出来事を包括的に捉える。
サッカー、ロック、カフェ、茶髪、携帯電話・・・なんでもあり。

社会学の創始者

①オーギュスト・コント
フランス革命の混乱期に生きた社会学者。JSミルとは友達。
『実証哲学講義』で「社会学」という言葉を発案。
三段階の法則
人間の知識は神学的(神話、宗教)→形而上学的(哲学)→実証的(自然科学)という三つの段階を経て発展するという法則。
コントは社会学をこの実証的段階に対応する学問であるとした。つまり社会学は実証的な科学足り得ると考えたのだ。

②トマス・ホッブス
おなじみホッブス先生。社会秩序の成立を最初に理論的に研究したという意味でこの人を社会学の創始者に挙げる人もいるらしい。

③エミール・デュルケム
社会学の講義では必ず出てくる人。
コントやホッブスは時代的に古すぎてアカデミックな社会学者とは言えないため、デュルケムが社会学の理論的基礎を作った、よって彼が社会学の創始者だ!という人もいる。

④マックス・ヴェーバー
デュルケムと同じ理由でヴェーバー先生も社会学の創始者として挙げられることがあるらしい。政治学や経済学でも出てくるから、本当レンジが広い人だったんだろうな。社会学もそう言う意味じゃレンジが広いよね。その分漠然としててつかみどころがないけど…

⑤タルコット・パーソンズ
構造機能主義の創始者として知られる。その名のとおり、社会の骨組みである構造と、他の構造や社会全体に対して作用している機能に着目する学派。
社会を構成する個々の人間よりも、システム工学的な側面を重視するため、抽象的過ぎるとして批判も起きており、80年代以降は衰退しているという。

⑥ハーバード・スペンサー
テキストでは以上の5人が社会学の創始者として挙げられていたが、コントの影響を受けたイギリスの哲学者スペンサーも社会学の祖として知られている。
社会を構造と機能の観点から分析した社会有機体説(現在の構造機能主義の先駆け)が有名だが、「進化」や「適者生存」を発案した人のイメージが私には強い。

公平な観察者
アダム・スミスの著作『道徳感情論』に観察者という概念が行為者の対立概念として提示されている。属性は公平。
行為者がエゴ(利害関心)を抑制するのは、観察者の共感を得ようとするためで、そう言う意味で観察者は社会の安定化に一役買っているとされる。
ただアダム・スミスは観察者もできるだけ行為者の立場に立たなくてはいけないとも論じている。結局生きてる限り全ての人が当事者なわけだから。

社会
人々が相互行為を通じて固有の結合を作り上げている状態を指す。家族、仲間、クラブ、会社、組合、政党、国家など。
社会という言葉自体は明治初年に登場。幕臣、作家、政治家の福地源一郎が、この言葉を最初に用いたらしい。
福沢諭吉は「社会」に当たる言葉として代わりに人間の交際という言葉を用いた。
実際欧米のソサエティは組合交際という意味がある。
しかし日本では社会に出るというと、疎遠な人間関係の空間へ出ていくような(世間の冷たい風に吹かれる)ネガティブなニュアンスがある。

名簿と規則
社会を定義する上で、それを構成するメンバーは特定されるべきか、また、メンバーの行動は何らかの規制を受けるべきなのか、という問題。
例えば家族はメンバーは特定されるものの、メンバーの行動を規制する明確な規則を見つけることは難しい(加藤家家訓??)。
名簿も規則もない集団の例では群集が挙げられる。

マージナルマン
境界人のこと。スナフキンみたいなもんで、どこに属するか定かにしないため内集団や外集団の攻撃や迫害の対象になるが、彼らの対立構造を客観的に分析できる位置にもある。アダム・スミスの公平な観察者に近い。
ユダヤ系ドイツ人のジンメルなどがマージナルマンの典型例。
また移民の国アメリカの社会学者サムナーが内集団と外集団を理論づけたことも興味深い。

社会学の社会学
社会学は取り上げる内容によっては研究や理論そのものが社会的な制約を受けてしまう。
社会学は知識や現象そのものも研究対象にするため、合わせ鏡のように自分の研究行為も研究対象になってしまう。

機械的連帯と有機的連帯
デュルケムが提唱。前者は同質のメンバーが機械的に結合している状態で原始社会を指し、後者は分業によってメンバーが有機的に結合している状態で近代社会がこれにあたるとされる。
分業がうまく機能していない状態をアノミー(無規制状態)であるとしたことは有名。

行為(4月出題)
行動の一種。しかし行動は動物でも行うが、行為は人間しか行わないとする。
行為は象徴(シンボル)によって社会的に意味付けられた行動を指す。
動物は記号と記号の内容が直接結びつくような単純な信号(シグナル)には反応するが、抽象的な象徴を操作することはできない(記号と記号の結びつきが間接的※言語やアレゴリーなど)。

社会名目論
社会は虚構であり、存在するのは社会が実在するように振舞う人間であるという立場。

社会実在論
社会は実在するという立場。社会が存在するように人間が振る舞うのもそもそも社会が存在するからであると考える。

デュルケムVSヴェーバー
デュルケムは社会は個人に超越すると考えた(社会的事実=社会実在論)。
社会はひとつの有機体のようなもので分解することはできない。
これに対してヴェーバーは社会は一つの実体ではなく、人々の個々の行為に分解できると考えた(理解社会学)。

ヴェーバーの理解社会学
ヴェーバーは人間の行為に着目する、そしてそれを4つに分類した。
①感情的行為
感情にかられて無意識のうちに行なう行為
②習慣的(伝統的)行為
習慣化してほとんど無意識におこなっている行為
③目的合理的行為
ある目的のために手段として意図的に行われる行為
④価値合理的行為
道徳的、宗教的、美学的といった固有の価値に基づく行為
自分に課せられた命令や責務を果たす為に行われる。

またヴェーバーは人間の行為を、手段的行為(インストゥルメンタル)と、行為そのものが目的である完結的行為(コンサマトリー)にも分類している。

ロバート・マッキーヴァー
アメリカの社会学者。彼はコミュニティとアソシエーションを対比させたことで知られる。
コミュニティは「私たちは仲間である」という感情で結びついた自然発生的に生まれた集団を指す。
これに対してアソシエーションは人々が特定の目的のために創設する集団を指す。サッカー日本代表など。
マッキーヴァーによると、家族や国家はコミュニティでもありアソシエーションでもあると言う。

ロバート・マートン
こちらもアメリカの社会学者。
官僚制の研究において、システムの部分が全体の目的において貢献した場合を順機能、逆効果だった場合は逆機能であると定義した。

家族(5月出題)
夫婦関係、親子関係、きょうだい関係などを基盤として成立する親族関係者の集団。
①家族は共同の住居を持っている
②家族のメンバーは感情的に融合している(コミュニティでありゲマインシャフト)。
③家族はメンバーの福祉を志向している

ジョージ・マードック
アメリカの社会学者で、核家族の機能を4つに分類した。
①性的機能
②経済的機能
③生殖的機能
④教育的機能
これらは全て人間の生産に関わる機能である。

パーソンズの性別役割分業
父→手段的役割(家族の外的な機能。職業。手段的)
母→表出的役割(家族の内的な機能。家事。完結的)

フィリップ・アリエス
フランスの歴史家。中世には子どもの概念はなかったという(小さな大人として扱われていた)。近代社会への移行において子どもの概念が誕生した。
中世では子どもの社会化は社会が担っていたが、近代に入るとそれを家庭と学校が担当するようになり、それが子どもの概念を生んだとアリエスは論じた。

センサス
国家の人口状態を把握するために行われる社会調査のこと。国勢調査など。
古代ローマでは皇帝アウグストゥスがユダヤで住民登録を行なった記録がある。

都市
①人口が凝縮している
②第二次~第三次産業が発展(大量の第一次産品を必要とする)
③広域的なコミュニケーションの中枢である(政治、経済、文化の中心)
④人工的な構築物(自然環境よりも文化環境、社会環境の特性が濃厚)
⑤移住者の空間であり自由を基調とする(不特定多数の人が出入り)

ゲオルク・ジンメル
社会を人間の相互作用の過程として捉えたドイツの社会学者。
大都市にはもっぱら悟性や貨幣によって支配されるような主知主義的傾向があるとした。
また都市は、人口密度が高いため身体的には密接しているが、精神的には疎遠であり、それは互いの敵意に転化する可能性をはらんでいるとも論じている。
だが精神的な疎遠には都市が自由な空間であることを裏付けるポジティブな側面もある。
ちなみにジンメルはシカゴ学派のパークの先生。
パークは都市のスラム化に着目した。都市化とともにローカルコミュニティが発生し、それが秩序基盤を喪失させていくという(社会解体)。

アーネスト・バージェス
シカゴ学派の中心人物。都心から郊外へ広がるにつれ5つの同心円地帯をモデル化した。
①都心地域(中央ビジネス地区)
②遷移地帯(イタリア人街、ユダヤ人街、中国人街、スラム地域)
③労働者住宅地帯
④住宅地帯(高級アパートメント、独立家族住宅の専用地区)
⑤通勤者地帯(郊外地区)
確かにアメリカって金持ちほど郊外に住んでいるイメージがあるなあ(^_^;)

スプロール現象
日本の都市でよく見られる、市街地の無秩序な拡大のこと。
インフラの整備が後回しになっているため、防災的にも問題になっている。

参与観察
観察対象の場所に実際住んでみたり、集団に加わってみること。
シカゴ学派のウィリアム・ホワイトはボストン市内のイタリア系移民のスラム街で実際生活したという。

フェルディナント・テンニース
ドイツの社会学者。
ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへという社会法則を提唱。
ゲマインシャフトは人間的関係で結合した集団。家族や田舎。有機的。
ゲゼルシャフトは利害関係で結合した集団。会社や大都会。機械的。
※デュルケムの機械的連帯から有機的連帯とは順序が逆!

規範
規範(ノルマ)の語源はコンパスであり、それは人々の行為のものさしである。
この規範に人々がどれだけ従っているかを評価することをサンクションという。
これは規範に同調する行為には報酬を、規範から逸脱する行為には罰則を与えるものである。
ベンサムはサンクションを4つに分類している。

①自然的制裁…不摂生で体を壊す
②道徳的制裁…世間から非難を浴びる
③法律的制裁…法的に処罰される
④宗教的制裁…神の怒りや罰を恐る
この内ベンサムは特に③を重視した。

規範は「慣習」「習律」「法」の三つに分類される。
①慣習
社会の構成員が日常的に繰り返すことで正当化される行為様式を指す。
②習律
一定の慣習が社会の安定のために必要であるという信念を伴ったものである。その意味でこの二つを厳密に区分することは難しいが、慣習に比べて習律の方が社会のメンバーを拘束する力が大きい(=すなわちサンクションも大きい)。
③法
日常的な行動の様式を遵守する慣習とも、順守の習慣を伴った慣習である習律とも区別される。なぜなら習律はそれを遵守しなければならないという信念は主観的なものであり、法律のような客観普遍性はないと考えられるからだ。
とはいえ法は本来慣習を基盤としており、それから完全に分離した法は客観的な拘束力および正当性を持ち得ないと思われる。

ヴェーバーの正当性論
政治学覚え書き③とかぶるけど再登場。
①伝統的支配
伝統によって権威づけられたモノに対する
②合法的支配
合理的な法律や命令権に基づく
③カリスマ的支配
ある個人に備わった非日常的なカリスマがもっている権威に対する
※また、このような支配の正当性が担保されるのは、被支配者がその支配を正当だと容認した時だけであるとヴェーバーは考えた。

道徳
主体の外部にある指針が法律ならば、道徳は主体の内部にある指針と対比させることができる。例えば、完全犯罪を成し遂げて法の目をくぐり抜けたとしても、なにか後ろめたい気持ちがあるならば、それは道徳的な罪を負っているからである。人間のこの道徳心について考察したのが、ユダヤ人の思想家のレヴィナスである。
レヴィナスは人間の顔に注目し、他者の顔が「汝殺すなかれ」という呼びかけを行っているというのだ。これに耳を傾ける義務が私たちにはあり、それこそが倫理の根拠となっているという。またカントは『実践理性批判』において、道徳とは何かの目的のための手段として扱ってはならず、自分の意志の格律が常に普遍的であるように行動すべきである、と論じた(定言命法)。

ロバート・パーク
シカゴ学派の社会学者。都市化によって従来の道徳的秩序が崩壊し、その結果反社会的行動が増加すると考えた。つまり逸脱は社会的統制が不十分な場合に生じると考える。

アノミー型自殺
デュルケムは、道徳的秩序の崩壊によって人々の欲求が無規制状態に陥り、そのような状態の中での焦燥や幻滅によって自殺をしてしまうという、「アノミー的自殺」を考えた。この無規制状態を表すアノミーはロバート・マートンによっても引用され、様々な逸脱行為の原因と考えられた。

ラベリング理論
シカゴ学派のハワード・ベッカーは、社会が人にレッテルを貼ることで逸脱者と同調者を区別するというラベリング理論を考えた。
逸脱者のレッテルを貼られたアウトサイダーが、やがて逸脱者としてのアイデンティティを獲得し、組織化された逸脱者の集団に加わっていく。これが逸脱行為そのものが理論的に正当化される過程である。
ベッカーは社会的統制そのものが逸脱行為を生み出す原因になっていると考えたのだ。

外国史概説覚え書き③

ルネサンス
中世ヨーロッパの窮屈なローマ=カトリック社会の反動で、14世紀になるとキリスト教以前のギリシャ、ローマの文化(人間中心主義)を復興させようという動きが生まれた。これがルネサンス(再生)でイタリアで始まった。
ルネサンスがイタリアで始まった理由には諸説あるが、イタリアには古代ローマ帝国の遺跡があったこと、またビザンツ帝国崩壊によってイタリアに渡った学者がギリシャやローマの学問を伝えたことなどが挙げられている。
フィレンツェで金融貿易業を営んだメディチ家など、富裕層の商人がイタリアには多く、彼らが芸術家のパトロンになったことも大きい。
文学ではボッカチオの『デカメロン』(近代小説の走り)や、ダンテの『神曲』、ペラトルカの『叙情詩集』、建築ではブラマンテのサン=ピエトロ大聖堂、政治学ではマキャベリが『君主論』を著している。
自然科学ではトスカネリ(イタリア)が大地球体説、コペルニクス(ポーランド)が地動説、ガリレオ=ガリレイ(イタリア)が物体落下の法則、ケプラー(ドイツ)が惑星運行の法則を研究した。
ルネサンスの三大発明は火薬(戦術を大きく変え騎士階級を没落させる)、羅針盤(遠洋航海が可能になり大航海時代につながる)、活版印刷(聖書などの書物を大量に印刷できる)で、どれもが社会に大きな影響を与えた。

宗教改革
ことの発端は、教皇レオ10世がサン=ピエトロ大聖堂の建設費を集めるために免罪符を発行したことによる。免罪符はドイツの諸侯たちに豪商フッガー家を通して大量に販売された。
ルターは『95ヶ条の論題』(※多いw)で、これを批判し、ローマ教会から独立した新しい宗派プロテスタント(抗議する者)を設立する。その主張は福音主義(聖書以外の権威は全て排除する)と万人祭司主義(みんながそれぞれ聖書を直接読む=みんなが司祭になる)であった。ちなみに牧師がいるのがプロテスタント。

説教師のミュンツァーは、ルター派と農奴制廃止を結びつけ1524年に社会的な運動に発展させた。このドイツ農民戦争は鎮圧されるが、その後二回のシュパイエル帝国議会や、ルター派の諸侯が皇帝軍と戦ったシュマルカルデン戦争を経て、1555年アウグスブルグの宗教和議において、諸侯はカトリックとプロテスタントのどちらかを自由に選べるようになった。

スイスではルターの影響を受けた改革派が多く、1541年には改革派のフランス人カルヴァンが招かれている。『キリスト教綱要』で予定説(職業はあらかじめ神が与えた天職なので頑張ろう)を提唱したカルヴァンはルターよりも受けて、イングランドではピューリタン(清教徒)、スコットランドではプレスビテリアン(長老派)、フランスではユグノー(契約仲間)、ネーデルランドではゴイセン(乞食党)と呼ばれ、それぞれ広まっていった。
フランスではこれがきっかけで1562年にユグノー戦争が起こり、1598年にプロテスタントの自由と権利を認めるナントの勅令が出されてやっと集結した。

1534年、政略結婚した奥さんカザリンと離婚し、侍女アン=プーリンと再婚したかったイングランド国王ヘンリー8世は離婚を認めないカトリックと対立、英国国教会を設立し、王は国教会の長でもあるという首長法を制定する。
しかしヘンリー8世が死ぬと、カザリンの娘メアリ1世が女王として君臨、カトリックを復活させ、新教徒を弾圧、血のメアリと恐れられるが、ちょっと気持ちはわかる。
ちなみにヘンリー8世には最終的に6人の奥さんがいた。
その後1558年にアン=プーリンの娘エリザベス1世が即位すると、翌年に統一法を出して英国国教会を確立させた。

カトリック側も内部の改革を行なって組織の立て直しを図った。
1545年~1563年にはトリエント公会議で教皇の至上権を再確認、宗教裁判を強化した。
スペインのイグナティウス=ロヨラやフランシスコ=ザビエルは1534年にイエズス会を設立、軍隊のような組織と厳格な規律を持つイエズス会は、新たな信者獲得のためにインドや中国、日本に渡り伝道を行なった。

フランス革命
フランス革命は1789年~1799年の十年間にわたって起こった市民革命。
18世紀のフランスには「聖職者>貴族>市民、農民」というヒエラルキー構造(アンシャンレジーム)があり、人口の98%を占める市民、農民の第三身分には納税の義務はあったが参政権がなかった。商工業の発展で市民が力をつけると、アンシャンレジームに対する不満が募り出した。
一方の聖職者や帰属には納税の義務はなかったが、アメリカ独立戦争などで慢性的な財政赤字に悩んだルイ16世は、聖職者や貴族からも税金を徴収しようと89年5月に三部会を招集する。
しかし、各身分一票を主張する聖職者、貴族と、各議員一票を主張する第三身分が対立(第三身分の方が圧倒的に数が多いから)、翌月第三身分は独自に国民議会を作ってしまう。そして、憲法ができるまでこれを解散しないぞとテニスコートの誓いをした。
王は国民議会に圧力をかけようと、ヴェルサイユに軍隊を集結、さらに聖職者や貴族にも課税を考えていた蔵相ネッケルを罷免すると、市民は7月14日バスティーユ牢獄を襲撃。フランス革命が始まった。

8月、国民議会は封建的特権を廃止、身分制度はなくなり、さらに人権宣言を採択。人間の自由と平等、国民主権、私有財産の不可侵などがうたわれたが、ここらへんは政治学覚え書きで書いたので割愛。

10月、革命の混乱と不作で食糧危機が起きるが、王は贅沢な暮らしをしていると知ったパリの女性はパリからヴェルサイユへ行進。王をパリへ連れて帰る。これにより国民議会はパリに移った。10月には教会財産の没収やギルドも廃止された。

国民議会は立憲君主制を目指したが、1791年ルイ16世が王妃マリー=アントワネットとともに逃亡を試み失敗、王への信頼は地に落ちる(ヴァレンヌ逃亡事件)。

国民議会は1791年憲法(立憲君主制と制限選挙を定めた)を発布して解散、代わって立法議会が召集されるが、立憲君主制を目指すフイヤン派と、共和制を目指すジロンド派が対立し出す。

さらに立法議会は92年に男子普通選挙による国民公会に変わる。
周辺諸国とフランスの対立も深まり、ジロンド派はオーストリアに宣戦布告、フランス義勇軍(司令官がほとんど国外亡命していたため)はヴァルミーの戦いでオーストリア・プロイセン連合軍に勝利し、第一共和制を実現させた。
国民公会は王制廃止を宣言し、ルイ16世は1793年1月に処刑されてしまう。

同年6月、国民公会では急進的なジャコバン派が主導権を握り1793年憲法(主権在民)を制定、7月に領主権の廃止、10月に革命暦の採用を行なった。
ジャコバン派はその後恐怖政治を行ない、マリー=アントワネットや、王党派、保守的なジロンド派、ジャコバン派の指導者まで次々に処刑した。その数合計16000人。
これを推進したロベスピエールも結局1794年の7月にテルミードールのクーデターで処刑された。

ちなみに左翼右翼というのは、この頃の議会の左側に急進的なジャコバン派、右側に保守的なフイヤン派やジロンド派が着席していたことに由来する。

その後穏健的な共和派の支配が回復し1795年憲法が制定、5人の総裁からなる総裁政府ができる。

しかし、総裁政府は安定せず、1799年にブリューメル18日のクーデターが起こり、12月にナポレオンの統領政府が成立した。これは実質的にナポレオンの独裁政府だった。これにより第一共和制が終わり、第一帝政が始まる。
ナポレオンは国民投票で終身統領になった。とにかく人気があったのだ。

外国史概説覚え書き②

 ひいい範囲が広すぎて泣ける・・・世の高校生すごいよなあ・・・ほかの教科もやりながら、こんな量を覚えなきゃいけないんでしょ??は~リニアモーターカー授業。

仏教の成立時代からヴァルダナ朝にいたるインドの歴史
紀元前2000年に中央アジアから北インド(パンジャーブ地方)にやってきたアーリア人はバラモンという聖職者を頂点とする部族国家を作った。この時のヴァルナという階級制度(バラモン(聖職者)>クシャトリヤ(王族、貴族、軍人)>ヴァイシャ(農民、牧畜民。後に商人)>シュードラ(自由のない底辺労働者。後に一般庶民)が今日のカースト制の基礎となった。
儀式を重んじるバラモン教に対して、世界の心理を追求しようとした人々がまとめた書がウパニシャッド(奥義書)であり、インド哲学の源流となる。

紀元前600~500年頃になるとヴァルナを否定する勢力が現れ、ひとつがクシャトリヤのヴァルダマーナが開いたジャイナ教(禁欲&苦行。徹底した不殺生)、もう一つが釈迦族の王子ガウタマ=シッダールタが開いた仏教である。どちらも身分の高い王子が開いているのが興味深い。
仏教は、諸行無常をモットーに欲望を捨てれば誰でも心の平穏が得られるという教義が、クシャトリヤやヴァイシャの間で受けて広まっていった。

紀元前4世紀にアレクサンドロス大王の軍隊をインダス河で追い払ったチャンドラグプタはマガタ国などガンジス川流域の国家を滅ぼしマウリヤ朝を起こす。
マウリヤ朝は王が仏教を心の拠り所にし(帰依という)、紀元前3世紀アショーカ王の頃に全盛を迎えるが、アショーカ王が死ぬと衰退し分裂する。
こうして北インドは混乱、南インドはドラヴィダ族のサータヴァーハナ朝が成立する。

1世紀になるとイラン系の遊牧民月氏が北インドでクシャーナ朝を起こしアフガニスタン~西北インドを支配する。
クシャナ朝は2世紀半ばのカニシカ王の時代が全盛だった。カニシカ王も仏教の熱心な信者で、この頃、出家や修行をした人だけが救われるのではなく、すべての人間が救われるという大乗仏教が生まれている(ナーガルジュナが確立)。
大乗仏教は菩薩(仏になるため修行中の人のこと)を信仰する。
クシャーナ朝の領土のアフガニスタンや中央アジアはギリシャ文化が根付いていて、ギリシャ彫刻のエッセンスが仏教彫刻に利用された。これをガンダーラ美術という。

クシャーナ朝はカニシカ王の後に分裂し、チャンドラグプタ1世(※チャンドラグプタとは別人!)がグプタ朝を成立。チャンドラグプタ2世は北インドを統一しグプタ朝の領土を最大にする。
グプタ朝ではインド人の民族意識とインド文化が高まりを見せて、サンスクリット語で書かれたインド文学が黄金時代を迎える。十進法やゼロもこの時できている。
美術はガンダーラ様式とは異なる、インド的なグプタ美術が生まれた。これは寺院の石像や壁画として残っている。
ヒンドゥー教は、バラモン教をベースに仏教と民族信仰を取り入れて、この頃に広まった。シヴァ(創造と破壊)、ヴィシュヌ(維持)、ブラフマー(実在)を主神とする多神教。開祖や教義はない。ヒンドゥー教が出来た正確な年代がわからないのはこのため。

グプタ朝はエフタルという遊牧騎馬民族によって衰え、606年にハルシャ=ヴァルダナがヴァルダナ朝を開く。三蔵法師はこの時代に唐からインドを訪れナーランダー僧院という仏教の研究機関で仏教を学んでいる。

イスラーム教世界の成立
イスラム教は預言者ムハンマドによって610年頃に創始された一神教。
ムハンマドは富の独占を批判したため、裕福な商人から危険視、少数の信者と共にメッカから北のヤスリブに移住(聖遷=ヒジュラと言う)し、ウンマという共同体を作った。
この時ムハンマドと共に移住した人たちのことをムハージルーン、移住先で彼らを受け入れて支援してくれた人たちのことをアンサールと言う。
8年後の630年、ムハンマドは一万人に増えたムスリム軍を率いてメッカに戻り無血征服をする。カーバ神殿の偶像を破壊し、イスラム教の聖殿にした。
ちなみにキリスト教がイエス・キリストを神聖視するのとは対照的にムハンマド自体はあくまでも預言者で普通の人間に過ぎないとされている。

ムハンマドの後継者カリフ(政治的指導者というポスト)によってイスラム教徒は、本格的に征服活動(ジハード)を開始し、8世紀初めに古代オリエントに変わる大帝国を築いた。
古代オリエント、ギリシャ、インド、中国といった古代文明の成果を融合した高度な都市文明を発展させ、年にはモスクを中心に市場(スーク)や学校が作られた。
ウラマーと呼ばれる知識人によるコーランの解釈学、法学、神学、歴史学(アラブの学問)の他、医学、哲学、地理学、数学、化学なども発展し、近代ヨーロッパの形成に大きな影響を与えた。
共通語はアラビア語で、イスラム教徒の商人はイスラム教をアフリカ、インド、アジアに伝えた。

アラブ人は最初は特権階級だったが、8世紀にアッバース朝ができイスラム法(シャリーア)が整備されると、アラブ人の特権は否定され、すべてのイスラム教徒が平等の権利を保障されるようになった。ちなみにほかの宗教からの改宗者をマワーリーと言うが、彼らも等しい税がかけられた。
しかし多数派のスンニ派の影響力は大きく、ウマイヤ朝を倒す革命運動に協力してくれたシーア派の期待を裏切り、アッバース朝は彼らを弾圧することになった。
アッバース朝の基礎を作ったのは二代目カリフのマンスールで、アラブ人のホラーサーン軍を重用した。

アッバース朝に敗れたウマイヤ家は756年にイベリア半島で後ウマイヤ朝を築く。
後ウマイヤ朝の学者たちは東方イスラム世界の文化を積極的に導入し、10世紀のアブド=アッラフマーン3世の時代に最盛期を迎える。
東方イスラム世界では9世紀のハールーン=アッラシードの頃に黄金時代を迎え、首都バグダッドは「世界で並ぶものがない都市」と呼ばれた。
しかしカリフのラシードが亡くなるとタヒール朝、サッファール朝、サーマーン朝などの独立王朝が出現、帝国は内部から分裂し、カリフの権威が及ぶ範囲は小さくなった。

10世紀以降はエジプトのトルコ人が西に移住、トゥールーン朝という国家を作る。
さらに北アフリカのチュニジアではファティマ朝ができ首都カイロを作った。ファティマ朝はシーア派の中でも過激なイスマイル派に属し、建国時からアッバース朝のカリフと真っ向勝負した。
またアッバース朝の親衛隊を形成するトルコ人奴隷(マムルーク。奴隷を育てたエリート軍人みたいなもので騎馬戦士)が勢力を拡大、カリフの改廃を自由に行なうまでになった。
この混乱に乗じてイラン人の軍事政権ブワイフ朝がバグダッドに入城、1055年にはそのブワイフ朝をトルコ人のセルジューク朝が駆逐、彼らはアッバース朝カリフからスルタン(支配者=君主)の称号を授けられた。しかしそのセルジューク朝も12世紀半ばを過ぎると衰え滅ぼされた。

シリアからエジプトに派遣されたクルド人将軍サラディンはファティマ朝の宰相となって実権を握り、1169年にアイユーブ朝を開き、スンニ派の信仰を復活させてイスラム世界統一を図った。
また1187年のヒッティーンの戦いで十字軍を破り、エルサレムを奪還している。
ちなみにイギリスのリチャード一世は第三回十字軍で聖地を再征服しようとしたが失敗し、サラディンと和解している。サラディンは割といいやつで西洋人の記録でも「異教徒に寛大な人だった」と記されている。

中世ヨーロッパ、シャルルマーニュの時代
シャルルマーニュって誰やねんって思ったらカール大帝のフランス読みであった。
ピピンはローマ教皇の同意の元フランク王国を築いたメロヴィング家を廃し、751年にカロリング朝を開いた。
ピピンの死後、ピピンの息子カールとカールマンの兄弟がフランク王国を二つに分けて治めていたが、771年にカールマンが死ぬと、カールが王国を統一支配することになった。
カール大帝は領土を拡大させるため、王国の南にあるイタリアのランゴバルド王国を滅ぼし、イタリアの北部を併合、中部イタリアを教皇領として確認、さらに王国北のザクセン人を征服、王国東のバイエルン公国も併合する。さらにドナウ川中流のスラヴ人やアジア系のアヴァール族にも勝利し、その土地を併合。王国西にあるイベリア半島のイスラム教徒の進行を食いとめ、8世紀末までにヨーロッパの主要部分はほとんど統一してしまった。こうしてフランク王国はビザンツ帝国と双璧をなす強国になった。
カール大帝は800年のクリスマスにローマのサンピエトロ大聖堂で教皇レオ3世に皇帝の帝冠を受け西ローマ帝国の復興を担うことになった。
カール大帝はビザンツ帝国との関係が悪化すると、アッバース朝のハールーン=アッラシードと手を組み圧力をかけてビザンツ帝国にもにしローマ皇帝を承認させた。

カール大帝は、人口数万人ごとに管理区域を設定し、そこに国王直属の伯(グラーフ)をおいて軍事と政治を担当させた。グラーフは世襲禁止で土着化を防止、さらに巡察使を臨時で派遣して、その仕事ぶりを監視させた。
このように中央集権化に努めたが、ゲルマン部族には根強い慣習法があり、分権的動きを完全に抑えることはできなかった。そのためカール大帝は絶えず王国領内を移動して、グラーフとの個人的関係を築く必要があった。

カール大帝は道路の改修、交易の保護、銀を通貨とする貨幣制度を定めたが、最も有名なのが文教政策で、聖職者を育成するために各地の修道院や教会に附属学校を設置させ、一般的教養を高めるため周りの国から有名な学者を招待しラテン語と古典文化の研究をさせた。この一連の古典文化の興隆はカロリング=ルネサンスと呼ばれる。ちなみに文化人を保護したカール大帝自身は読み書きができなかった(水泳が得意な体育会系だった)。

しかし西ヨーロッパはカール大帝が死ぬと分裂を始め、帝国は崩壊。843年のヴェルダン条約で西、中部、東フランク王国の三つに分かれた。これらは後にそれぞれフランス、イタリア、ドイツ(神聖ローマ帝国)になる(870年のメルセン条約)。

聖職叙任権闘争
中世ヨーロッパで精神的権威を得たローマ=カトリック教会は政治的にも強大な勢力となり聖界諸侯と呼ばれた。彼らはローマ教皇を頂点とするヒエラルキー(教皇>大司教>司教>司祭>修道院長)を作り、教会の規律などの問題は聖職者たちの公会議が最高の意思決定機関になった。
教皇が聖職者の叙任や罷免の権利を持つとされていたものの、実際には多くの教会がその土地を私有する領主に支配されていた。これを私有教会制(アイゲンキルヘ)と言う。

もともと諸侯勢力が強いドイツは王権の維持・強化のために帝国教会は重要な政策であったが、そこにも世俗権力が介入し教会の腐敗化をもたらした。
910年、この教会の世俗化、腐敗化を内部から改革するためにフランス東南部のクリュニー修道院は初期修道院精神の復活を目指す。
ベネディクトゥス戒律(祈り&労働)の厳格な励行、それまで日常的に横行していた聖職の売買(シモニア)や妻帯を批判、領主の私闘(フェーデ)を戒め、女性や子ども、巡礼者などを暴力から保護する神の平和運動も推進された。
この改革運動はヨーロッパ各地に波及、教皇レオ9世は改革派の人物を集めて積極的に教皇庁改革(グレゴリウス改革)に乗り出した。

1075年には教皇グレゴリウス7世が教皇教書により教皇権の至上性と優越を宣言、教会勢力を帝国統治に利用するドイツ国王ハインリヒ4世と対立した。グレゴリウス4世がハインリヒ4世を破門&廃位すると、彼は世俗諸侯にも反旗を翻され孤立、1077年にカノッサ事件(ハインリヒ4世がカノッサ城のグレゴリウス7世に雪のなか謝りに行った事件)が起きた。
カノッサ事件は教皇権の優越を示すものであったが、ドイツ国王の勢力は再び回復し、諸侯勢力を抑え、その後も教皇と国王の対立構造は続いた。

聖職叙任権闘争を集結させたのは、1122年に結ばれた教皇カリストゥス2世とハインリヒ5世のヴォルムス協約で、司教や修道院長は教会法によって選出、指輪と杖(霊的権威)の授与は教皇が、笏(教会領などの世俗的権利)の授与は皇帝が行うことなどが決められた。
ドイツでは皇帝の笏の授与が教皇よりも先立つとされ、ドイツ皇帝は教会に対する実質的影響力を維持した。
しかし教皇の権力は11世紀末から13世紀初めにかけて絶頂に達し、インノケンティウス3世(在位1198~1216)は、ドイツの国王選任問題に介入しオットー4世を破門、離婚問題でフランス国王フィリップ2世を破門、カンタベリ大司教選任問題でジョン王を破門している。

外国史概説覚え書き①

 来月の試験でなにげに試験範囲が広くて厄介なのがこれ。

古代四大文明の類似点と相違点
古代四大文明の共通点
①青銅器などの金属の使用
②言語を記述する文字の発明
③貴族階級と平民、奴隷階級によって構成される巨大な統合集落および都市国家の成立
④大きな河川の流域に発生している

文明が発達する以前の旧石器時代は、人類は石器を用いて獣や魚を捕らえる狩猟や、森の木の実などを集める採集を行なっていたが、氷河期が終わり、新石器時代に突入すると、人類は安定的に食料が確保できる農耕や牧畜を行ない、一箇所に定住するようになった。
その後、農業技術が進歩し、灌漑農業が始められると、農作物の収穫量は増え、共同作業を営む小集落は、やがて大集落となり、社会的地位や身分が発生した。
また、水路を引くのに必要な大量の水が必要になると、大河の流域に人口が集中するようになる。
チグリス・ユーフラテス川やナイル川の季節的な氾濫を感慨農業に利用したメソポタミア文明やエジプト文明はもちろん、インダス文明や黄河文明も、それぞれインダス河、黄河といった大河川の付近で誕生している。
また、農業技術の発達に不可欠なも古代四大文明の共通点に挙げられる。
厳密にはタイムラグがあるが、河川の氾濫に合わせて農業を始める必要があったメソポタミア文明やエジプト文明では、すでに暦の研究が発達しており、インダス文明もその後のグプタ朝で、黄河文明も殷の時代には、暦が確認されている。

四大文明のそれぞれの特徴
メソポタミア文明
現在のイラク辺りにあった古代文明。肥沃な大地が広がり、古代から様々な遊牧民族によって奪い合いが起きた。
紀元前3千年ほど前に都市国家をこの地で築いたシュメール人は、楔形文字を用い、それを粘土版に刻み込んだ。また月を基準にした太陰暦を用い、60進法を発明した。

エジプト文明
ナイルのたまものと言われるほど、ナイル川の恩恵を受けた文明で、こちらも農業に適した肥沃な土壌を有する。
ナイル川が氾濫する時期や面積を予測することが農業にって不可欠だったため、太陽暦や測量技術が発達した。
また、石材が豊富で王の権力を示すためにピラミッドやオベリスクなどが建設された。

インダス文明
計画的に設計された都市が特徴で、道路は碁盤目状に舗装され、住宅には上下水道が整備されていた。建造物は焼きレンガで建てられ、都市の中央には沐浴用の浴場があった。
インダス文字が解読されていないため、どういった統治構造が存在したのか、何故このような高度な文明が滅びたかなどは、分かっていない。

黄河文明
黄河流域の黄土地帯では降水量が少ないため、麦やあわなどの畑作が行われていた。
中国の古代文明の特徴は、美術的にも優れた高度な土器の文化である。
文字は甲骨文字で、獣の骨を使って占いをしていた。

古代アテネにおける民主化の過程とその民主政の特質
紀元前8世紀のギリシャにはポリスと呼ばれる小さな独立国家のようなものがあった。
ギリシャは国土が狭く、最大のポリス、スパルタも広島県程度しか面積がなかった。
よってそれぞれのポリスは人口が密集し、地中海沿岸には多数の植民市が存在した。
また各ポリスは、統治構造が異なり、互いに争っていたが、経済的文化的交流は盛んだった。
ポリスはもともと王政だったが、その後貴族が力を握り、土地や家畜や奴隷を所有し戦争の時は主力として戦った。

その後、植民市が増え経済活動が盛んになると、平民の中にも社会的に成功し裕福なものが現れ、政治や裁判の実権を握っている貴族に不満を募らせるようになる。
これに対しソロンは財産を持つ平民に参政権を与え、その程度に応じて4身分に分けた。
しかし一番下の労働者級は役人になれなかったことから、ソロンの改革は貴族と平民の対立を解消することができず、やがて、貴族による非合法な独裁政治が行われた。

このような僭主政治(アリストテレスの政体論で最悪)は弊害が多く、クレイステネスが僭主政治を防止する投票制度(陶片追放)を実施、それとともに市民を各居住区(デーモス)ごとに登録させ、アテネを10の部族に分割、それぞれの部族から50名の議員を選出する評議会制度を創設した。
これによりアテネの平民が積極的に政治参加できる基盤ができた。

その後アテネは、さらに民主政治を徹底させる。市民による議決機関である民会は月に4回行なわれ、裁判には市民が広く参加した。
政治的な役職は公平にくじで選ばれ、一部の位の高い身分だけが務めていた役人や軍の指揮者は農民級まで解放された。しかし将軍だけはくじではなく、民会で選出された。

アテネの民主制は現在のような代表者を通じて民意を反映させる間接民主制ではなく、直接民主制で、政党は存在せず、成人男性市民にしか参政権はなかった。
よって女性と奴隷は参政権がなく、ポリスに住む外国人は土地も所有することができなかった。
すなわちアテネの民主制は極めて排他的だった。

古代ローマの政治の変遷(共和制、身分闘争、帝政など)
紀元前7世紀に先住民族エトルリア人と同化して出来たローマはラテン人の集落として始まる。エトルリアが信じた神話や、卜占(動物占い)、標識、凱旋式や剣闘士競技はそのままローマに受け継がれた。
初期は王が支配する部族国家で、貴族(パトリキ)と平民(プレブス。奴隷的農民ではない)の階級があった。
紀元前509年に専制君主のエトルリア王を追い出しローマは貴族共和制国家になる。

コンスル
執政官。軍民の最高官で任期1年。定員2名。貴族から選挙で選ばれる。

セナトゥス
元老院。役職経験者の終身議員から構成。コンスルを裏で操り実権を握る。
戦争や属州統治によって大儲け、公有地占領や農民からの土地の買い占めで大土地経営(ラティフンディア)を行った。
議員たちは民会の選挙で当選するため、自分の財産を使って競技を開催し、平民の支持を集めようとした。

プレブス
平民。彼らは奴隷ではなく一部のものは重装歩兵として戦争で戦ったことから、政治に参加できない現状に不満を持つようになった。これが身分闘争に発展し、紀元前5世紀初めに平民会が設立された。
平民がつくことができる公職である護民官(トゥリブヌス・プレビス)もこの時出来た。平民の保護が任務で元老院の議決に対する拒否権があった。また身体不可侵権も与えられた。
紀元前450年ごろには12表法が制定され平民の権利が法によって守られるようになった。

リキニウス・セクスティウス法
紀元前367年制定。
有力者による公有地専有を禁止する法律。また執政官の一人は平民から出さなければいけないと定めた。
これを適用して、セレブが占有している土地を没収しようとしたのが平民派議員のグラックス兄弟。結局元老院の反発にあって殺害されちゃう。

ホルテンシウス法
紀元前287年制定。平民会が国家の正式な民会として認められ、元老院の承認なしで議案が国法になることが定められた。これにより身分闘争は集結したが、新たな問題(以下)もあった。

ノビレス
平民派出身の新貴族のこと。彼らは執政官になり、そのキャリアを活かして元老院に入るという出世コースを繰り返したため、元老院の実権(貴族寡頭制)は維持され古代ギリシャのような直接民主制は実現しなかった。
ちなみにパトリキやノビレスなど元老院の伝統的権威を重んじる保守的な派閥は閥族派、護民官制度を利用して平民の権利を拡大しようとしたグラックス兄弟やカエサルのような議員は平民派と呼ばれた。

第一回三頭政治
ポンペイウス&クラッスス&カエサルで紀元前60年に密約を結んで国政を分割して行なった政治体制。
ポンペイウスはスパルタクスを鎮圧した軍人で東方でともに戦った部下の兵士に土地を分配した。大富豪のクラッススも優秀な軍人で奴隷反乱をポンペイウスと共に鎮圧している。しかしパルティア(中東にあった王国)との戦争で戦死してしまった。
一方カエサルはガリアを征服し名声を得た。

カエサルの独裁政治
カエサルは、とにかく兵士と大衆の人気があった人で(寛大)、その人気を危険視した元老院はポンペイウスと手を組みカエサルを倒そうとしたが、カエサルはローマを制服、東方やアフリカの元老院派も抑えて独裁者となった。
カエサルは当初任期10年の期限付き独裁者だったが、紀元前44年に終身独裁者になると共和制支持者の反感を買い暗殺されてしまった。
人気者カエサルの死は多くの人を悲しませ、アントニウスはカエサルを神格化、暗殺したブルータスは追放された。

第二回三頭政治
アントニウス&レピドゥス&オクタウィアヌス(カエサルの養子)が行なったが、失敗して内乱状態になってしまった。
オーキー(C)ナイトミュージアムはアクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラを倒すとエジプトを併合、ローマの内乱を終わらせた。
オーキーは戦後は自分が非常時に得た権力を国家に返還するつもりだったが、元老院は最高司令官の称号を彼に与え、アウグストゥス(尊厳者)となった。
これにより帝政ローマになるが、オーキー自身はカエサルみたいに殺されちゃったらたまらないと、共和制を尊重し、独裁者を名乗らずプリンケプス(第一人者)という地位を好んで使った。でも実質は皇帝でローマは以後二度と共和制に戻ることはなかった。

唐の国家・社会制度(土地制度、税制、兵制など)
唐と、その前の王朝である隋は、ともに律令体制で社会を運営していた。律令体制とは、成文法典である律令に基づいて中央集権的に政治を行うシステムのことで、均田制、租庸調制、府兵制といった唐以前から伝わる社会制度が重要な意味を持っていた。

均田制
一定の基準に基づき農民に土地を貸出し、自作農を育成する制度。この制度は北魏の時代から行われていたが、唐では21~59歳の成人男性(丁男)に対し、亡くなるか60歳まで貸し出される口分田や、世襲が許される永業田が与えられた。
しかしこの制度は全国一律に行われたのではなく、人口が多く土地が少ない地方では規定通りには実施されず、主に畑作が盛んだった華北地方において施行された。
均田制は、農民に土地を貸し出すことで、その土地がまずもって国有地であることを示し、貸出の代償として、税や兵役を課すという民衆支配の意味合いが強かった。

租庸調制
いわゆる税制で、租は丁男あたり穀物60リットル、庸は年間20日の労役(ただし決められた量の絹や布で代納ができる)、調は綾、絹、綿などを決まった量納めるというものである。これは均田制が維持されるまで続けられた。
また雑徭という地方官庁での労役も存在した。

府兵制
農民に武器を持たせて、兵役に付かせるという兵農一致の制度で、成人男性から3人に一人の割合で府兵を選び徴兵し、3年に一回、農閑期に訓練をさせた。
府兵は都の警備(衛士)や辺境の防衛(防人)などを行い、その服務期間中は租庸調を免除されたが、武器や衣類、交通費は自分で賄わなければならなかった。
府兵制は、唐の領土が巨大になるにつれ、遠方の任務を嫌がる農民たちが任務を投げ出して逃げ出すことが多くなり、最終的には唐は常備軍を設立(募兵制)するようになる。

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ 6万キロのテープ☆☆☆☆☆」

 兵士は信頼し合う。銃を向け合う集団じゃない。

 アベンジャーズで私が最も好きなキャップが帰って来た!愛国的で勇気と優しさがあって、自由のためには自己犠牲も厭わない!そしてなにより女にモテない!ここ重要な!
 いや、実際はモテるのかもしれないけど、この人すごい奥手というか、超うぶじゃん。私最近、自分のモテなさを真剣に分析してるんだけど、周りは恋人どころか、結婚したり、子どもがいたり、中にはすでに離婚しているのもいて、それに生徒には「恋人いるんですか?」って聞かれることよりも「奥さんどんな人?」って聞かれることが多くなりつつあってさ。
 本当もうちょいどうにかならないのかって思うんだけど、キャップ見てると安心するよね。今年も相変わらずモテてないぞってwあんなイケメンでいいやつで、世界を救うヒーローなのに恋人がいないって、もうモテないやつの希望の星なわけよ。
 そしてもう一つ、キャップの素敵なところは同性にモテることね!モテるというか人気あるよね。私もこれに関しちゃ自信があるよ。すっごい女にモテモテな・・・男に好かれる。冗談じゃないよ、お前の女ひとりレンタルしろって感じなんだけど、そういうゲスイ真似をしないのがキャップ。
 キャップこそ私のお手本。やっぱ昔の男は気質が草食性でも、何かにおもねらないよね。なにがメンズビューティだって。女にモテるために流行りのファッションに夢中な野郎とはわけが違うよ。まずあのコスチュームを着ない。
 まあ、つまり女なんぞにキャップのかっこよさなんて分かってたまるかっていうね。そういう話・・・
 
 で、なんだっけ?そうそう昨日早速『ウィンター・ソルジャー』見てきたんだけど、まあよく出来てた。つーかアメコミは多かれ少なかれ社会問題をストーリーに盛り込むけど、今回はことさらすごくて政治哲学の教材みたかったw
 マキャベリ、ホッブス、バクラック&バラッツ、スティーブン・ルークス、エーリッヒ・フロム・・・まあ何世紀も前から議論されている問題なんだ。
 つまり社会秩序のためにどれだけ人々の自由を奪っちゃっていいのかっていう。もっと言えば秩序を乱す一部の人をどれだけ排除していいのかっていう。
 マキャベリは王様は人に愛されるよりも恐怖されたほうがいいと考え、ホッブスは愚かな人間どもはほっとくとエゴをむき出しに互いに殺し合い、その後そういったバトルロイヤルや死の恐怖にうんざりして、絶対君主を社会契約的に認め、自分たちを支配させると考えた。
 今回の映画はこの『リヴァイアサン』に近い・・・気もするが、人々の社会的同意をシールズがとっていない点で、もうちょい話は複雑だ。
 バクラック&バラッツ、スティーブン・ルークスは権力論の人なんだけど、前者は非決定の決定、後者は黙示的権力という、まさに秘密結社やゴースト的な権力構造を考察した。つまり争点が一部の統治者によって意図的に隠蔽され、民衆は知らず知らずのあいだに重大な意思決定から排除されているという。
 現代の間接民主制、代表制民主主義では多かれ少なかれ発生してしまう、この構造を我らがハイル・ヒドラーはうまく利用した。つーか信じられないほど荒削りで魅力的な展開に私は膝を打った。アベンジャーズなんでもアリだな!!
 
 エーリッヒ・フロムの著作に『自由からの逃走』という本がある。戦中に書かれた本なんだけど、なんでドイツやイタリアの人々がファシズムに夢中になっちゃったのかを、フロムは人々が自由を持て余し(場合によっちゃ「私幸せすぎて怖い」みたいな感じで恐怖し)自ら権威への従属を望んでしまったからだと分析した。
 なにしろナチスは最初は民主的な選挙で、ちゃんとした合法的手続きをとって政権を獲得している。その後ちょっと大衆人気に乗じて、他の政党を議会から追い出したりしたんだけど、こういうルールクラッシャーはなんか今の安倍政権もやりかねない気がするから怖い(^_^;)憲法96条改正とか。
 まあいいや。キャプテン・アメリカ(とトミー・リー・ジョーンズ)が前作で戦った悪の秘密結社ヒュドラは、このナチスから派生した過激派みたいな連中で、「人々は自由を持つに値しない」と断言し、武力を盾に人々から強制的に自由を奪おうとした。
 そんなことやって、お前らその後どんなグランドデザインを描くつもりだったんだ?って前作ではいろいろ謎だったんだけど、今回の映画を見てそれがわかった。

 ヒュドラ党はどうやら真剣に世界に秩序をもたらそうとしていたらしい。物語中盤で、もうとんでもない人が、とんでもないあられもない姿で復活再登場するんだけど、この人が、また『スター・トレック』のカーン様以来の知能指数の高さを見せつけてくれて、インテリキャラが大好きな私は超満足だったんですが(つーか、ここが私のハイライトで以下はちょっと飽きちゃったw)ま~確かに、よくよく考えてみれば悪の秘密結社っていうけど、それは時と場合によるよなって。
 例えば悪の秘密結社に参加している戦闘員を想像してみよう。「イー!」とか言う奴。あいつもただの人間なわけで、家族も奥さんもいるかもしれない。まあ、悪の秘密結社に入るくらいのやつだからちょっと犯罪歴があるかもだけど、まず巨悪じゃないし、サイコパスみたいなヤバい奴だったら秘密結社側もめんどくさくて採用しないだろうから、やっぱり戦闘員は割とまともな奴だと思うんだ。
 なにしろ秘密結社にも(こそ?)秩序だった命令系統が必要なわけで、あんなチート的強さの大尉とやりあうには軍人みたいに忠実じゃないと困るわけ。
 すると、戦闘員にはその秘密結社に入るインセンティブが必要じゃん。すごいギャラが高額か、もしくはすごい自分を納得させるスローガンがあるか、まあその両方かもしれないけど、例えばそのスローガンが「核戦争を起こして人類根絶です」とかだと、いくらギャラが高くてもそんなエキセントリックな集団に絶対入らないと思うんだよ。核戦争起こったら金どころじゃないじゃんwなんだその集団自殺はってw
 そうなると、悪の秘密結社っていうけれど、実は、そのスローガンは割とまともなんじゃないかって私は思ったんだよ。

 悪さをする前に罰を与えると?

 キャプテンやアメリカ合衆国が「自由」のために戦うならば、それと対抗するヒュドラは自由の対極「平等」のために戦っているんじゃないかって。まあ共産主義だよね。
 よって、悪の秘密結社に入っている構成員は、自分たちの組織のテーゼを決して悪だとは思ってないのかもしれない。
 悪を自覚してない分、意識が高いから真剣度がすごいぜっていう。バイキンマンみたいに自分の悪さを自覚して悪いことやってる奴ってまだ可愛いもんなんだけどっていうw
 こういうのを社会学では「党派性」の問題という。だからレーガン大統領に「悪の帝国!」と呼ばれたソ連は心外だったろうし、ブッシュジュニアに「悪の枢軸!」と呼ばれたイランや北朝鮮も冗談じゃないってことなんだと思う。俺らは俺らで必死なんだって。
 つまり、自分たちの掲げる正義を、他のタイプの正義を掲げる国や集団にまで適用しようとする、その行為自体、アメリカもハイル・ヒドラも変わらねえよっていう。作中でも出てくるように、結局コインの表裏の関係なんだよね。

 まあ、でも私も一時期、こういう話を作ってたから、ちょっと最近は政治とかそういうものとは関係のないお話を作りたいかなって。
 もしくは、こういった一元的なセキュリティシステム(私の作品ではソニックブレイドや土星のミラージュ計画が当たる)の問題を超えたオルタナティブなアイディアが欲しいところだよね。
 最近、こういう展開やオチってパターン化してるから、次のステップに行きたいところだよなって。それともアメリカって始終こんなこと繰り返しているのかなあw
 だとしたら、私は押したり引いたりなんだと思う。自由を緩めたり規制したりをうまく繰り返すことで国民の怒りや不満をうまくいなしてるんじゃないか。そういう駆け引きそのものが大切なんじゃないかって。
 経済学と一緒で、これをやっておけば未来永劫ずっと安心なんていうシステムは幻想なんだっていうね。不均衡分析ですよ。イノベーションですよ。シュンペーターですよ。
 6万キロのテープの人も本当は「ふははは驚いたか、我々の計画なのだよ」ってネタばらししないのが、権力論的には一番冴えたやり方だったんだろうけど(発覚されない→対処されない→ずっと影で支配できる)、やっぱりネタばらしはマッドサイエンティストのロマンなんだろうな。
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