『芸術による教育』の要約⑦

7.「第7章 教育の自然な形式」要約
 第7章では、第6章で取り上げた無意識の統合を実現するような教育方法を模索している。
リードはまず芸術教育を、「自己表現」「観察」「鑑賞」の三つの側面に分け、自己表現の活動は一般的に教師が教えられることではないと明言している。技術にしろ形式にしろ自己表現における外部の基準の適用は禁止や抑圧を含むからである。芸術教育において解決すべき問題は、子どもの絵が、ある絶対的な美的基準に従うかどうかではなくて、美的表現のいくつかの類型のうちの一つと関連付けられるかどうか、さらには、それ独自の美的範疇を構成するかどうか、ということであると論じるリードは、教師とはもっとも謙虚で慎み深い人間であるべきで、教師の義務は、子どもの社会に適応する有機的な過程を見守ることだとしている。
 このような教育観を当時のイギリスの行政は全く欠いていたわけではない、とリードは述べている。教育省の諮問委員会の報告や、1983年度版『教師の為のてびき』では学校教育における美術の有用性に少なからず触れている。しかしリードは、教育行政はカリキュラム全体に含まれる教科の相互関係には触れなかったと指摘し、学校生活のすべての側面に美的な基準を導入することを提案するのである。
 リードが提案する教育モデルとは「初等教育段階のすべてにおいて、個別の教科が現在持っている、明確で人工的な輪郭をなくし、全体的な創作活動へと溶け合うという、統合された計画の上に再編成されるべきである、ということを意味し」(1)ている。そして第1章で論じたように、ユングの心理類型を用いて学校のカリキュラムを、演劇は感情的側面、デザインは感覚、ダンスは直感、そして工芸は思考のように分類し、この四つの芸術活動に基づいてすべての教科教育は行われるべきとしている。

演劇(感情)・・・発声、文学、英語、歴史
デザイン(感覚)・・・絵画、彫刻
ダンス(直感)・・・音楽、体育
工芸(思考)・・・算数、幾何学、園芸、生物学、農業、裁縫、物理学、化学、物質の構造、食物や肥料の組成

 この四つの芸術活動の方式には、それぞれ方式教師と言う主任教員を置き、その下で助教師が具体的に学級やグループを導いていく、大変興味深い教育モデルをリードは高案しており、これはつまり子どもの気質をふまえる教科横断型の柔軟なカリキュラムを実行する一つの例なのである。


1.ハーバート・リード著 宮脇理 岩崎清 直江俊雄訳『芸術による教育』(フィルムアート社2001年)「第7章 教育の自然な方式」254ページ

『芸術による教育』の要約⑥

6.「第6章 無意識的な統合の形式」要約
 この章で主に取り上げているのはフロイトやユングなどの心理学である。
 
 人間の精神生活は単純なものでない可能性は、原始的な社会を構成する民族にも確認できる。(アニミズム・魔術的な信仰)そして、F・フォン・ハルトマン(フロイト以前の無意識理論の研究を総括した人物)以降、無意識の仮説は精神分析によって広く認知されることとなる。そもそも意識とは、気がついている状態であり、主体・客体・その二つをつなぐ感覚器官を含んでいる。人間の感覚は不断であるが、注意深く集中しなければ、感覚の内容について意識するようにはならない。
 この意見についてリードはピアジェを例に挙げている。ピアジェによる子どもの「唯我論」とは、自分と同じ感覚を他者も共有しているとみなす、自己と世界の混同である。このことは、子どもの自己の意識は、初期の運動には生得的に備わっていないことと、他者の行動と共に経験される接触の相関として徐々に子どもの感覚の内容が明確化することを示している。

 意識と無意識の論考をする前段階として、リードは次に中枢神経系における「三種の中枢」を区別したパブロフをとりあげる。パブロフの三種の中枢とは以下のようなものである。
①皮質に最も隣接した神経節の皮質下の中枢組織 
複合無条件反射、本能の部位・・・感情、欲望 空腹、自己防衛、性的興奮を担う。※無条件反射(種族反射)とは生得的な反射。先天的、本能的なもの
②大脳組織 (大脳半球の灰白質の大部分)
条件反射、一時的反射 感覚知覚器官を通して生命と外界の橋渡し。大多数の動物では最も高度な精神活動。※条件反射とはある条件化において個体レベルで獲得する反射。
③第二の組織の基礎の上に形成される器官
直接的な投影の活動を総合し一般化する。抽象の能力を実質的な基盤として作用。 

 このような脳の構造の分布は、フロイトが三層に定義した精神的人格(イド、自我、超自我)の身体的所在を示す可能性を示唆するとともに、意識がゆっくり段階的に発現する漸進性を、系統発生、個体発生の両面から説明するものであるとリードは指摘している。
 またパブロフによれば、心理学や生理学の最新の学説では、意識とは複雑な精神構造、あるいは条件反射が形成され分化が進んだ領域であるとし、人間の物質的、社会的環境に対する関係から発展したものであるという仮説を支持している、とされている。つまり意識とは、高度な精神領域であり、それは環境に対する適応の産物ということである。

 そこでリードは、意識が(社会的経験と個人的教育によって形成されるような)相対的なものであるならば、環境や訓練を根本的に変えることによって修正できることになると論じる。そして、そのもっとも根本的な変化は「話す」能力の発明であるとした上で(この機能の重要性は晩年のパブロフも注目していたという)リードの観点では、人間の言語機能と文化の発展の関連性を見いだすことは重要であるとしている。
 またパブロフは人間の思考について興味深い見解を示している。パブロフは思考とは三層の覆いに覆われて発現するとして、もっとも真実に近い「行動」、次に真実に近い、文字や図形といった「記号・象徴」、最も表面的である「言葉による交信・話し言葉の記号体系」の三つを定義した。この見解を受けてリードは「話し言葉とは、人間にとって、自らの思考を隠すものであるだけでなく、思考そのものが、感情を偽るものであるように思われる」と論じている。

 心を意識と無意識の二つの層に分ける考え方は、フロイトによる「自我」「超自我」「イド」の三つに分ける考え方へ転換することになる。この精神の三つの要素は明確な境界によって隔てられているのではなく、異なった濃度の液体の層が変化したり、浸透し合っている(グラデーション)。
 リードはフロイトやユングの学説を丁寧に紹介しているが、注目すべきは昇華についてだろう。リードは昇華を個人と社会の均衡をもたらす心的作用であるとして、そのような均衡をもたらす過程のモデルとして、初歩的で未発達な精神活動の形式が、感覚によって提供された創造的イメージを形成するという=結晶化が生じる可能性を示唆している。

 またリードはユングの集合無意識について、それを明らかにするためにマンダラを分析している。そこでマンダラ的配置(四面構造)の傾向は東洋、西洋、古代、中世問わず普遍的に現れることを発見し、中学生のマインドピクチャーを特徴によってグループ分けすることで、集合無意識の存在をさらに確かめようと試みた。するとどのグループにも十字形や四面分割といった一貫性がみられ、さらにより組織だったイメージは、バランスの取れた安定した性質の子どもたちだけが描けることを考察している。普遍的で組織だったマンダラは深い無意識の状態の状態に入りこんだときにだけ到達可能であり、元型的秩序は個人的なものではなく、感覚器自体の身体的構造の相関物であると論じている。
 では、なぜマンダラやマインドピクチャーがどれも同じような四面構造のような規則性を示すのか、それは元素の周期性、蜂の巣、結晶など自然界に見られる数学的規則性と同じく美的な普遍性が、人間の精神にも存在しているからであり、意識の層の下で起こる過程、活動は不規則で未発達なイメージを、調和的なパターンへと整えていく傾向があるのである。そしてあらゆる平静さと知的な統合の基礎である精神の均衡は、意識下の層にある形態的要素の統合がなされた時のみ可能である。それは特に創造的な活動によって行なわれ、環境への適応の基礎をなすと論じている。

 リードは、国家的社会主義の合理的な制度が非現実的で成功しないのは、論理的で、個人の自発的な創造性を抑圧し、美的な構造をしていないからであると述べ、本書によって述べられている「広い意味での教育」が、生命がその自然の創造的な自発性を十分に発揮させて生きること、感覚的、感情的、知的に十分に生きることを確かにするとしている。

『芸術による教育』の要約⑤

5.「第5章 子どもの芸術」要約
 第5章においてリードは、はじめは観察、その後ユングの心理類型に基づいて子どもの絵を分類している。
 まずリードは子どもの遊びについて注目し、それを子どもの自由な表現の最も明確な形式とした上で、マーガレット・ローウェンフェルドが芸術は遊びの一形式としたのに対し、リードは遊びは芸術の一形式と定義している。その上で子どもの絵は自発的なインスピレーションに基づく、遊びである可能性を述べ、自由な絵とは自由な子どもによってのみ可能であるというモンテッソーリの理論を引用しながらも、子どもが自発的に絵を描き始める時のメカニズムや理由が不明確であることを指摘している。そこで、子どもの描画の発達段階の研究の基礎となったイギリスの教師クック、心理学者のサリーによる研究や、シリル・バートの子どもの描画の発達段階を紹介している。
 リードは子どもの描画活動とは大人とは異なるもので、対象を再現しようとする意図も、模倣の本能も欠いており、目的や意図が自分でも不明確な独立した活動と捉えている。この活動は子どもが直感像的な鮮明な視覚イメージから逃れようとすることで、自分自身で望んだわけではないイメージとは違うものを作りたいと願うことで行われ、そこで行われることはイメージを視覚的、あるいは造形的な形式へと翻訳しようとする試みではなく、子どもによる視覚的な象徴、線による言語の創造なのだという。「子どもは自分の意味すること、思うこと、知っている事を描くのであって、見たものを描くのではない」(1)という一文に子どもの描画活動の独自性が集約されている。
 しかしこのような独自性あふれる子どもの絵の形式は年齢を重ねるにつれて変化していく。その理由は二つあり、ひとつは外界に対処する必要(知覚世界の客観視)によって変化するというもので、もうひとつは、親や教師が行なっている自然主義的な再現の形式を模倣したいという衝動によって変化するというものである。

 リードは子どもの絵を分類する際に一つの概念的誤りを挙げている。それは子どもの描画活動とは、自分の概念を表現しようとする試みであるというものである。そうではなく子どもは考えたことを描くのでも、実際に見たと思われるものを描くのでもない。対象における、その子どもの全感覚による反応の残りとして、その心の中に徐々に沈澱してきた記号あるいは象徴を描いているということなのである。
 リードは子どもの絵を観察によって最終的に、1有機的、2感情移入的、3リズミカルなパターン、4構造的形態、5列挙的、6触覚的、7装飾的、8想像的の8つに分類し、さらにユングによる思考内向型、思考外向型、感情内向型、感情外向型、感覚内向型、感覚外向型、直観内向型、直感外向型の8つの心理類型にそれぞれの子どもの絵のパターンをあてはめている。
1.思考内向型・・・有機的
2.思考外向型・・・列挙的
3.感情内向型・・・想像的
4.感情外向型・・・装飾的
5.感覚内向型・・・表現主義的(触覚的)
6.感覚外向型・・・感情移入的
7.直感内向型・・・構造的形態
8.直感外向型・・・リズミカルなパターン
 ちなみにリードは、ブローの四つの類型(客観、生理、連想、性格)にも自身の子どもの絵の分類をあてはめている。
 これらの子どもの絵の類型が、どの程度の年齢によって現れるか、リードはサリーの実践を引用している。それは三歳以上の子供たちの絵を観察すると、ある種の類型が優勢であっても表現の方式には広い変化の幅があり定まってはいないということ。そして幼い子どもに典型的な「図式」があるというよりも、それぞれの子どもが自分なりの図式を持っているということである。

 またリードは子どもの遊びの活動は、幼年期の子どもに心の安定をもたらすとともに、子どもの社会的適応も促すと述べ、それは遊び仲間との協調によって養われるのだという。子どもの成長を決定する要素は二つあり、それは、生命それ自身の力、つまり身体と精神の成熟と、個人独自の形(個性)である。それは、生命の力に、一般的な発達の法則から逸脱するように仕向けるものである。この二つの要素をふまえた上で、社会心理学は、個人心理学によって常に修正され拡充されるべきであり、一般的な教育制度は、子どもの多様な類型の持つ特別な要求に応えられるよう、十分な柔軟性を持ったものでなければならないと論じている。これは第1章でも述べられており、教育すべき特定の子どもにとって、どの成長の形態が適切であるか決定しなければならない。教育の目的は、実際の類型から対応する(職業的)機能へと導くことなのである。
 最後にリードは表現とは社会的なコミュニケーションであると述べた上で、「芸術は、気質や人格の自然の多様性を考慮した教育制度を導く、最も優れた案内役である」(2)と第5章をまとめている。


1.ハーバート・リード著 宮脇理 岩崎清 直江俊雄訳『芸術による教育』(フィルムアート社2001年)「第5章 子どもの芸術」158ページ
2.同上書「第5章 子どもの芸術」193ページ

『芸術による教育』の要約④

4.「第4章 気質と表現」要約
 第4章では子どもの気質と表現の関連について論じている。これは第5章によって展開される子どもの芸術における議論の基礎となっている。
 教育は気質の相違に関する理解に基づくべきであるという主張から、子どもの造形活動や造形表現の仕方は、子どもに固有の傾向を知るための最良の鍵であるとし、人間の気質を類型化する様々な研究を列挙している。
 例えばクレッチマーは、生理学的な根拠から人間の気質をタイプ分けし、体格や気質は先天的なものであり、性格は先天的な要因と後天的な要因の相互作用によって形成されるものであると考えた。そして個人の体格や気質は内分泌液によって決定されるとした。またイエンシュは、イメージの知覚の個人の差異は、精神の類型に対応しているとし、類型分けに直観像を用いた。さらに自分の直観像を再現するか、逃れようとするかで、感情移入型か、抽象型か分類するヴォリンガー、視覚型か触覚型かで分類する(しかしこれは目が見えるかどうかでは決まらない)ヴィクター・ローウェンフェルド、色彩鑑賞による類型分類を行なったエドワード・ブローなどの研究の紹介が続く。
 しかしリードがもっとも影響を受けている研究者はユングであることは明白であろう。第1章では教育内容、第2章では芸術の表現様式、そして第5章においてもユングの心理類型に基づいて子どもの絵を分類している。ここでリードは第2章で行ったユングの類型論に基づく美的活動の分類をもう一度振り返りながら、芸術教師の第一目的は子どもの気質と、その表現様式の最高度の相互関連をもたらすことであると結論付け、本章を締めくくっている。

『芸術による教育』の要約③

3.「第3章 知覚と想像力」要約
 第3章では、表現における主体と客体の問題について触れている。主体とは感覚を備えた人間であるということは言うまでもないが、興味深いのはリードが客体を主体から離れて外部にあるものとしながらも、心(主体)に備わったものの一部であるかもしれないと定義している点である。リードは「私たちは、孤立した客体と、人格を持たない鏡のような心しか存在しないような真空状態に生きているわけではない」(1)とし、主体は受動的なだけではなく能動的な感受性を持つと述べている。さらにリードは、知覚や感覚によって引き起こされる精神の反応、この一連の過程は美的なパターンを有するとしている。

 イメージについてリードは一つの客観的現象と定義し、イメージを記憶によるもの、赤いものを数十秒見た後で、中間色の背景を見ると補色の緑が見えると言った生理的残像、鮮明な視覚イメージを記憶する直観像、夢の4つに分類している。直観像記憶についてリードは、直観像記憶があったと思われる詩人のシェリ-、モチーフを見ながら絵を描くのではなく、その形態の特徴や構造を心の中に記憶して描くべきだというホガースの絵画技術のトレーニング法、時に直観像記憶を自由にコントロールできたというウィリアム・ブレイクなどの例を挙げ、作家のイメージについて考察している。
 ここでリードは教育における二つの重要な問題を挙げている。ひとつは教育的発達に対する視覚的イメージの関連性であり、もうひとつは「感覚主義」と、知性や理性を重視する「主知主義」の相対的価値の模索である。リードは思考に対するイメージの関連に対して、いくつかの研究者の主張を挙げている。
 エイヴリングは、イメージは思考の連想、あるいは図解として関連している可能性があるとし、リードはそれらの主張をふまえて、イメージとは思考の視覚的援助であるとともに、抽象的思考の大部分にも関係していると結論付けている。つまり想像と思考という、独自性の強い二つの精神活動のどちらにもイメージが影響を与えているということなのである。

 第3章の後半に入ると、リードは本格的に教育を議論の対象に持ってくる。まずイエンシュの「子どもの人格構造に最も近いものは論理学者ではなく芸術家の精神構造である」という主張を引用し、どのようにすれば芸術の教育が学校教育において重要な役割を担えるか考察を始めている。ゲシュタルト心理学では、人間は物事をパターン化することで認識するという。この事実は、美的な基準が人間の精神活動において大きな役割を果たしていることを示唆しており、それは学習や経験の基礎的要因なのであると論じている。
 このような美的基準をふまえた芸術を基礎とする教育方法の実践例として、リードは、リトミックのダルクローズを挙げている。そして主知主義のみに基づく教育では、子どもは創造的活動や感覚を楽しむことができなくなるとし、抽象概念を早期に発達させようと強制する教育は自然に反すると結論付けている。リードが考える芸術教育の目的とは、人とその精神活動の有機的な全体性を保持することであり、それは、イメージと概念、感覚と思考、さらに自然法則に関する知識と、自然に調和する習慣や行動さえも子どもたちに身につけさせることができるのである。


1.ハーバート・リード著 宮脇理 岩崎清 直江俊雄訳『芸術による教育』(フィルムアート社2001年)「第3章 知覚と想像力」58ページ
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