Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 ビーンはまったく成長してなかった。

 ついに前作の映画版から12年ぶりにミスタービーンが帰ってきた!

 いや~中学生の頃クラスで仲良かった友達に「田代ミスタービーンって知ってる?すっげえおもしれえよ」と言われ、その人の家でビデオを見せてもらい、今まで体験したことのないタイプの笑いに抱腹絶倒した思い出があるのですが、それから10年以上の時が経ち、ローワン・アトキンソンが辟易とするほど熱病のように流行ったビーンブームも遠い昔の話・・・私の本棚に今なお並ぶ『ミスタービーンの秘密の日記』が懐かしい。

 しかしビーンの故郷、本国英国では状況は違う。イギリスではテレビ番組は質の高いものをじっくり時間をかけて作るのが普通。よって面白い作品を何度も何度も再放送するそうです。実はビーンブームの時もそんなに作品数は無かったじゃないですか。え?これしか(13本)作ってないの?と。
 「ミスタービーン」はそんな英国で数え切れないほど国民に繰り返し愛されているコメディなのです。
 主演のアトキンソンは確か英国俳優所得番付第一位になった経験もある大スターで、世界に数台しかないマクラーレンF1マシーンも所有している根っからのカーマニア。21世紀にはいっても「ミスタービーン」がアニメ化したり根強い人気があるそうです。今はどうだ?

 さてこの作品、NHKが深夜にテレビ放送した時からギャグが日本人にはどぎついということでいろいろカットされ、しかもビデオ版でもカットされ、結局ノーカット版は国際線の飛行機の中とか(あとは英国)でしか見れなかったという伝説があるのですが、その反省を生かしたのか映画版ではビーンはけっこう良くも悪くもまともになってしまい(けっこう喋る)、大衆受けはしたもののコアなファンにはギャグがユルユルで物足りないと評価されたそうで。

 たとえば今回の映画もそうだけど、映画版のミスタービーンってちびっ子と友情をはぐくむじゃないですか。でも精神年齢8歳のビーンにとって子どもはライバル。子どもの漫画は横取りするわ、頭をモヒカンにしちゃうわ、飛行機でゲロをぶちまけるわ(これは善意が裏目に出たw)・・・子供とも対等に戦うのがビーン流。
 もっと言えばビーンって社会的弱者にも容赦しない。儒教の国日本ではこの手のギャグが主にバッサリカットされているんだけど、障害者、重傷者、老人も自分の邪魔になるなら徹底的に痛めつける。良くも悪くもこの人って平等主義なんです。

 私はかつて『悪い障害者』というギャグ漫画を担当編集者に見せたところ「これは危ない」と没になった経験があるのですが私は思いましたよ。中学生のパンチラやSEXを大々的に載せてる雑誌に言われたかないわ、と・・・
 この漫画は「障害者」というレッテルを逆手にとり健常者の同情をかい、己の欲望の為にハンデキャップを利用するというとんでもない障害者が主人公のギャグ漫画で、「障害者」ってだけで、健常者が彼らになにか親切にしようとするのは逆に障害者にとっては余計なお世話で失礼なのではないか?というメッセージを込めた内容でした。
 特別支援学校の先生をしている友人の評価は高かったのですが・・・やっぱこういう笑いってまだまだ日本には早いのかもしれない。

 イギリスでなんでああいうきわどい笑いがOKかといえば、障害者や病人が普通に社会に溶け込んでいて、いい意味で特別扱いしないんですよ。
 障害者を健常者のコミュニティから遠ざけるとか、結果的に家に引きこもるしかないとか・・・そんな感じの日本とは違い、ヨーロッパはやっぱり社会福祉政策が進んでいる。
 なにしろちょっと前までハンセン病の断種やってた国が日本なんで、バリアフリーはスロープ付けるだけでいいのか、物質的な話だけで済ませちゃいけないんじゃないか?と、思うわけです。

 まあ、とにかくそういうきわどいお笑い文化がイギリスにはあって、というか実は「ブラックアダー」とかは「ビーン」よりもずっとブラックでやばいらしい(人種差別ネタ、王室ネタ、エログロ何でもあり)のですが、いかんせん私は英語が駄目でヒアリングできないんだよな・・・
 しかしそんな濃ゆ~いギャグをそのまま映画として世界中に発信するわけにはいかないので(自国のお笑いにプライドのあるイギリスはしようともしないだろうけど)ミスタービーンの映画版は御家族みんなで楽しめるように薄めて作っております。

 でもやっぱり黒いところもあります。その黒いところとは(前作の映画『ビーン』とも共通するんですけど)芸術批判。
 前作では古典絵画、今作では前衛的な映画をことごとくちゃかしてます!やっぱり「ビーン」はこうじゃなきゃ!
 ウィレム・デフォーが演じた傲慢で自己満足的な(本人に言わせれば芸術的な)作品を作る監督ってけっこう実際にいそうだし、そんな映画をカンヌ映画祭で見させられて退屈している観客の描写が何ともシニカルw。そんな自己満足的フィルムをビーンはことごとくぶち壊す!いいぞもっとやれビーン!!
 そしてビーンが自分のシーンをカットされてしまった可哀想な女優さんの為に、自分のビデオカメラで撮った映像をつなげて作った映画は観客から大絶賛!もうこの映画が何が言いたいか解りますよね?芸術なんて理解している奴はいないんだよ。

 今回は前作でやたらビーンを喋らせてしまった反省からか、テレビシリーズ往年のネタを引っ張ってきて、ビーンを喋らせずにシーンをつないでいます。
 これはかつてあったミスタービーンのBEST版(「ベスト・ビッツ・オブ・ミスタービーン」)みたいな構成で、ビーンにハマった人は「ああそんなネタあったなあ・・・!」って楽しめるし、初見の人は爆笑すると思う。
 過去にホテルでかっこいい男と張り合って腐った生ガキを大量に食べてしまいホリデーをベッドで過ごした経験から、2007年のビーンはカキを食えなくなっているしw、それを喰わずに隠すのは誕生日のタルタルステーキのネタと一緒。
 またビーンが盗んだ自転車は戦車に踏まれてしまうのですが、あれもビーンファンなら愛車のミニクーパーが戦車に踏みつぶされてぺしゃんこになったネタを思い出すはず。
 「昔と同じことをしているだけじゃん」と言う人もいるかもしれませんが、笑いって何回見ても面白いものってある。志村けんさんのコントとか。だからいいじゃないですか、小ネタくらい。あの自閉傾向気味の動きは何度見ても破壊力抜群!

 それに中心軸のプロットは今回はかなり異色ですからね。テレビでやったネタだけじゃさすがに映画の長尺は持ちませんから、今回はビーンに好意を持つ美人の女優さん(ミニクーパーの塗装のセンスもドンピシャ!)が出てきて結構後半でストーリーに絡んでくるんですよ。まさかビーンでラブロマンス!?
 でもビーンって女性のヌードも見れないほど異性に興味がなくて(さすが精神年齢8歳)、おかげでクリスマスには彼女に逃げられたことがあるのですが、今回もあんな美人な女優さんにキスされて、その直後に拭ってますからねw。ほんとあんたって人は・・・ 

 さて今回でビーンは最後の作品になるらしいのですが、最後の作品である今作にビーンの唯一の相棒であるクマのぬいぐるみの「テディ」(あと宿敵?リライアントリーガル)が登場しなかったのはとても残念!(これが☆4の理由)
 そしてやっぱり「アメリカ」「フランス」とアウェーで戦ったのだから最後はやっぱり母国「イギリス」を舞台にした映画版を作って終わりにしてほしいなあ(テディにも会いたい!)。
 もう一回やってくれませんか?アトキンソンさん!

借りぐらしのアリエッティ

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆」

 やっべ、トトロ超えた。

 なんか「アリエッティって自分だったらゴキブリの話にするなあ」という記事を書いたら、実際にこの映画を見た方からとてもトラックバックをしていただいたので、これはもう観るしかないと、生まれて初めて映画館でジブリ映画を観ました!
 ちなみに「ゴキブリの話」とは、アリエッティの見た目をゴキブリにするんじゃなくて、つまり可愛い小人の女の子に恋をした少年も、結局は己のプライバシー保護のために「許してくれ!アリエッティ!」と泣きながらスリッパでアリエッティを駆逐する悲恋ものを私なら作るというはなしです。ゴキブリは本当に見た目“だけ”で嫌われているのか?という考察の映画。

 ・・・ちゃかして悪かった!!(モニターの前で土下座)

 この映画大変よくできている。この夏の「友」でもあり「ライバル」でもあるアニメ映画『トイ・ストーリー3』とこの映画は、内容がとっても対称的。どちらも「主役が小人」「主役がおもちゃ」とファンタジックなのに、そこで描いているものは全く逆。
 「ファンタジー」の設定で徹底的に「リアル(人間のネガティブな感情や別れ=死)」を描いたのが『トイ・ストーリー3』だとすれば、『借りぐらしのアリエッティ』は「ファンタジー」の設定で「より純度の高いファンタジー」をストレートに見せてくれた!
 「アリエッティ」の世界に、自動販売機の中で違法賭博やっているおもちゃは存在しないんですよ!(なんか熱くなってます汗)
 私なんかも漫画を描くときには「リアル」を削り出して描写するために、あえてファンタジー的要素を用いて、そのギャップで攻めることをやるし、それが好きなんですけど(中学校から基本的にこの手法は変わっていない)、この映画はそんなひねくれた戦法はしない。
 すっごい純粋な人たちが作ったんだろうな、お母さんが自分の子に読ませたくなるような童話の基本系なんです。文部科学省とか推薦しそうだ、というかもうしてる??
 
 さて、この映画を見る前は「こういう記事を書くだろうなあ」と私は思っていました。今からその鑑賞前の脳内イメージを思い出して書き起こしてみます。


 スタジオジブリはもう駄目ですね。『借りぐらしのアリエッティ』は『となりのトトロ』の二番煎じで、それは「もはやジブリはファンサービスしかできない」ということを示しているのではないでしょうか。
 「コナン」「カリ城」「ナウシカ」くらいから宮崎監督をずっと好きな人は「エヴァンゲリオン」や「踊る大捜査線」のファンように「おっ!待ってました!」と相変わらず映画館に見に行ってくれるし、グッズも買うことでしょう(特にゲリオン)。
 しかしそれってもうこのスタジオがエスタブリッシュメントと化したということで、そこに新しいチャレンジ精神はないわけです。
 宮崎駿さんという「超強力なジブリのエンジン」が古くなり(言葉は悪いですが)ポンコツ寸前なのではないか?という話は随分前から言われてきたし、実際ジブリという飛行船は「死の翼アルバトロス(分かる人だけ分かってw)」のようにどんどん高度を下げて墜落の危機。
 宮崎駿さんがやってきたようなアニメを書き続ければ、飛行機の高度を維持できるというのは大間違いで、常に「宮崎を超えてやる!」いや、「ジブリから宮崎を追い出してやる!」くらいのクリエーターの人がジブリにいなきゃ遅かれ早かれ宮崎さんがいなくなってジブリは墜落ですよ。
 宮崎監督っておそらく「もののけ姫」やってジブリから出るべきだったんです。確か「これがぼくの最後の作品だ」とか言ってましたよね。天才的なアニメーターなのは分かりますからアニメーターはやめないにしてもジブリからは出ていくべきだった。
 なぜなら「もののけ姫」って「ナウシカ」を時代と国を変えてもう一回やっているだけだったし、それはつまりやりたいことを一周したってことですよね。ならいいじゃないですか。
 ジブリはもう若手に任せて(別に育てなくてもいい。クリエイタ―って教育に関係ないところで勝手に育つもん)、ジブリから出ていった方がジブリの作家には良かった気がします。
 なにしろあんな個性の強い人がスタジオにいて仕切っている限り、宮崎さんの模倣になるのは目に見えているんですから、宮崎さんはジブリに未練がましくしがみつかず飛び出すべきだった。
 「なにい?もののけ姫のCMこんな残酷にしやがって!ふざけるな!俺は出ていく!」ってそのまま出ていけばいいんだよ!ジブリを立ち上げ、そしてつぶしたのは宮崎駿だ!!


 ・・・こんなことを書く予定でした(長かった?)。でもこの「アリエッティ」って「トトロ」と似て非なるもの。
 細かい設定はもちろん似てますよ。ジブリオタクじゃない私でも感じるのですから、詳しい人は「あ、あれはあの作品のオマージュ・・・」って相似点をたくさん発見するんでしょうね。
 でもこの映画って近年のジブリアニメには珍しく、ストーリーにテーマを貫くしっかりとしたがあるんです。ジブリでこの芯を感じたのは『紅の豚』以来かな?
 つまり私って「考えるな。感じろ」って大嫌いなんです(ブルース・リー強くてカッコいいけど)。
 むしろディベートが最も苦手と言われる日本人が世界と交流する今こそ「感じるな。考えろ」の時代なわけで、「芸術の解釈なんて好き勝手でいいじゃ~ん?」というスタンス?の「千と千尋」「ハウル」や「ポニョ」・・・まあ大体のジブリ作品がこれが理由で駄目だったんです。一番ひどかったのやっぱり『ハウルの動く城』ですね・・・

 「アリエッティ」のストーリーってたしかに単純でひねりがないかもしれませんが、描きたいものがピュアでストレートな人間の美しい心なら、やっぱりピュアでストレートなプロットで描くのが最善なんです。だからこの映画は「これ以上面白くしようがない!」で「面白い度☆5」なんです。

 さて、その美しい心ってなんだ?っていうと、別に誰でも解るし思ったり感じたりしたであろう「誰かの為に生きたい」という気持ち。今の若い人達(私も含まれますが)って実はこの気持ちが上の世代が想像するよりも強かったりするんですよ。
 アリエッティも病弱なショウ君(モヤモヤさまぁ~ずかよ!)もその思いは共通していて、だから時に事態をいじくって悪化させてしまう。うん。ハイゼンベルグ不確定性原理を地で行くストーリー展開!
 「美しいなあ」と雪を手でつかまえると、美しいと感じた雪の結晶が壊れてしまうように、人間の干渉(主体)は自然環境(客体)を変えてしまう。
 だから「環境を守ろう」も「壊そう」も実は環境にとってみれば同じこと。世界は人間がどうあがいても変わってしまう。このアリエッティや翔の運命のように・・・なぜ?主体と客体は不可分だから。人間は自然の一部でしかないから。

 世界は変わっていく。そしてエントロピーの法則でいずれ美しいものはすべて消えてしまう。翔君が熱力学第二法則を知っていたかは知りませんが(病床で読んでいる本がプリゴジンだったらオレ失禁したと思う)、若いのに無駄に賢い彼はそこら辺を知っている。そして絶望している。「どうせ死ぬからいいや、楽しいことやってみよ!」と全裸で街を突っ走ってみる(それ楽しいか?)元気もない。心臓弱いから。
 で、同じく若いアリエッティは小人族の滅びをうすうす感じながらも否認している。見なかったことにして空元気で日々を乗り切っている。ふたりとも本当にいい奴。でもやはり若い。若いから出した答え(「ニヒリズム」「否認」)に「それでいいのかな・・・?」と心の中で自問自答し自己矛盾を抱えている。

 ここで超かっこいいのが、アリエッティのオヤジなんですよ!オレこんな惚れぼれする男キャラを見たのは『紅の豚』以来だわ。アリエッティのパパって無口だけど、大人だからニヒリズムも否認も知っていて、自分でその落とし所をつけて家族のために一生懸命借りをして生きている。
 パパには若い二人と違って、ママとアリエッティという守るべきものがあるから精神的にすごい強い。角砂糖をキッチンに取りに行く冒頭のミッションのまるで特殊部隊のような身のこなしは『トイ・ストーリー1』の記事でも書いたけど、もう私の「直球ど真ん中」で、あれでもう「アリエッティ」の世界にとりこまれたね。やられたよ。私しゃ。

 おいおいこのオッサンちっこいのに無駄に動きがカッコいいぞ!と(笑)。
 
 そしてそのオヤジの運動神経の良さがアリエッティにもちゃんと継承されているのが、もうおかしくてw。パパは両面テープで壁を登ったけど、アリエッティはイヤリングかなんかでカーテンを登り、見事ドアロックを解除!
 大きい翔と小さいアリエッティの協力プレイは、まるでアクションゲームのようで、テレビゲーム世代にはたまりません!!(このゲーム作ってくれねえか!?やりてえ!)
 まあ、こういう小さな冒険を共有し、ふたりとも一回り成長したわけで。この物語において2人の親密度合いを表すバロメーターが「角砂糖」だったんだけど、それをプレゼントして終わるラストとかやっぱぶれてないよな。なにを描きたいかはっきりしてるもん。

 まあ、いろいろ書いたけどまだ書き足らないなあ・・・他の人が書かなそうな所と言えば、生物関係かな?ええと、わたくし「アリエッティはゴキブリ」とか言ってましたが、開始数分でゴキブリ出てきました。しかもこの映画の動物は、カマドウマもゴキブリもネコもカラスもみんなディフォルメしてあって可愛い。タヌキ以外は。
 で、アリエッティと翔君を対面させるのがカラスで(あのシーン『ファインディング・ニモ』の歯医者さんにペリカンが突っ込むオマージュじゃね?)、ラストのアリエッティと翔君の最後の別れを導いたのがネコなんですよね。人間と小人の仲介者が動物なのが面白い。

 あとお手伝いさんの行動が理解できないって人はおかしいんでね。あれはアリエッティに感情移入しているからおかしいと思うわけで、一番心理描写がリアルだったのがハルさんでしょう。翔君の小人へのリアクションがファンタジーなら、ハルさんはリアルな反応ですよね。
 実際に小さい頃カエルやトカゲといった小動物を庭でつかまえて瓶や水槽に飼うっていうのは誰しも経験があるわけで、それが小人だったらなおさらでしょ。私なんて何回家でトカゲを脱走させて怒られたか・・・

 最後に曲。なんか『マスター・キートン』っぽいなあ、と思ってたらどっちもスコットランド的話ですよね。小人や妖精といった「伝承」を生活の中に取り入れて楽しむ文化はイエッス、スコットランドだし、欲を言えばもう舞台もグレートブリテン島でよかったんじゃないかって気がする。
 そっちの方がアリエッティ一家が船出する先が美しい英国の田園風景でよかったんじゃなかったのかな。だって日本の住宅地だったでしょ。最後の画。日本ってイギリスのように古い建物を人から人へ使いまわしていかずに、家が古くなったら壊して新しいの建てちゃうから都市景観がメチャクチャなんですよね。ロンドンなんて100年前とほとんど変わってないんじゃないか?

 とにかく、こんなすごいレベルならもう宮崎監督いなくても大丈夫。むしろもう追い出した方がいいって!
 今回は「トトロ」に気を使ったような話だったけど、若手の人が宮崎監督を意識せずに好き勝手作ったジブリ作品をそろそろみたいなぁ。

 あとアリエッティ・・・やっぱり借りたものは返さなかったw(洗濯バサミだけ返したw)

映画『告白』の何が面白かったか総括してみよう

 どんな人のブログの記事を見ても未だに理解できないのが映画『告白』の何が面白かったか。この映画を見た人たちがなにかしらの衝撃を受けたからこそ、この映画は話題作になっているのでしょうけど、それが一体なんなのか、いまいち見た人自身も分析しきれない。だから茫然自失として「よく分からないけどすごい映画だった」と記事をまとめてしまう。

 そこで私はいろいろな人の評価をふまえて、この映画が一体どんな映画だったかちょっと分析してみようと思います。なぜそんなことをするのかって?
 私はこの映画は、今まで見た映画の中で最も意味(=どこが面白いのか)が分からなかったからです。だからあおり文句の衝撃も全く感じなかったし、世間の評価が自分とここまで異なるというのは珍しくてびっくり。なんでこれがヒットしてるんだと。

 まずこの映画の前提部分から整理して外堀を埋めていきましょう。

①『告白』は社会派映画ではない 
 実際の教育現場が抱える問題を取り上げたドキュメンタリータッチの映画だと思って見に行った私はまさにここで沈没。ミスリードされちゃいました。
 あの教室はただのカリカチュアです。今の子どもはあんな凶悪なんだ・・・って思う人。あなたは騙されている。少年犯罪の統計がネットで見れるので調べてみるといいですよ。

②『告白』の登場人物は稚拙なシンボル
 この映画で描かれる人物、子ども、大人・・・すべてが作り話を成立させるための記号でしかない。どんな映画もキャラクターと言うのは「記号」なんだけど、普通の映画は、それを隠すためにいろいろ「映画のリアル」を肉付けしていく。
 でも『告白』はそれをしない。もし仮にしているとしたら、キャラが立ってない下手な漫画みたいなもので、本当に人間の描写が稚拙ということになる。これは、わざとそうしているんだと思う。
 じゃあなぜこの映画にリアリティを感じる人がいるかは最後の最後に後述します。 

③『告白』は緻密に組み立てられた機械的プロットの映画
 脚本の作り方はすごい理屈っぽい。これは相当頭のいい人じゃないと書けない脚本。理系を感じさせます。まるでパズルなんですよね。
 だから最初から最後までセリフを喋ってばっかりのこの映画には「文学性」はありません。そんなものを一切排除した殺伐としてシステマティックな映画です。
 
④『告白』はサスペンス映画でもない
 ポスターには「先生の娘を殺したのは誰?」とミスリードを誘うあざといコピーがうってありますが、犯人探しの映画ではない。これは復讐劇。

 ここまでが前提。つまりここまでをまとめると・・・『告白』とは登場人物や状況、世界観にリアリティがなく、カリカチュアライズ(抽象化)された機械的かつ知的な構成の復讐劇。
 それが面白いかどうかは置いておいて、とにかく『告白』の余計なものをとっぱらって背骨だけにしてみると、こんな感じになると思います。
 「リアリティがないからつまらないとは限らない」という指摘があるのですが、人によって何が「リアル」かは違うんで、それはどの映画にも当てはまる前提を話しているわけです。
 この議論では「『告白』だけが持つ面白さ」はいつまでたっても分析できない。

 前提を押さえたので、いよいよ『告白』のなにが面白かったかを考えていこうと思います。『告白』の面白さの秘密は大きく分けて二つあります。観客はこのどっちかに面白さを感じて高い評価を叩きだしていると思う。ひとつは「女の子向け面白さ(主観的な楽しさ)」、もう一つが「男の子向け面白さ(客観的な楽しさ)」です。


面白さその1:『告白』は古典的な少女漫画である。

 どういうことか。夏目房之介さん曰く・・・というか私も思っているんだけど、少女漫画って基本的に汚いものや不快なものを描かない。
 妹の持っている少女漫画で『彼氏彼女の事情?』という漫画があって、その巻末になんか水泳部の短編があるんですよ。ちょっと記録がうろ覚えなので申し訳ないですが、この漫画で成長してカッコよくなった主人公の幼馴染の男の子が水泳をするシーンがあって、この作者の先生すね毛は私には描けないって男の子の脚なのにツルツルにしちゃってるんです。
 ちなみに私は脇毛がほとんど生えてないのですが、これって男としてけっこうコンプレックスだし(すね毛はあるよ!)、なにより男のすね毛を書かないというのは絵としてリアリティを排除してます。
 少女漫画においてこういう例って挙げればきりがなくて、作者が興味があるもの・・・女の子やその子が身に付ける服や小物は本当に細かいところまで緻密に描くのに、その反面背景は雑だったり、『ちびまる子ちゃん』のようになかったりする。
 少女漫画家の先生って自分が美しいと思ったもの以外は原稿に描かないんですよ(例外はあるよ。岡田あーみん先生とか)。

 で、この『告白』という映画も、まあとにかく少女漫画で、この映画が「金八先生」と違うのは、この森口先生のクラス男子女子問わずみんなけっこう顔立ちが整っているんです。
 ほとんど登場しない脇役の生徒もかっこよかったり、可愛かったり・・・こんなクラスはときめきメモリアル以外にないですよ。
 中学生なら誰もがこのクラスに転校したいんじゃないですか?牛乳にHIVウィルス入れられても。

 そして少女漫画のもう一つの特徴。これは岡田斗司夫さんが指摘していて「なるほどなあ」と思ったのですが、少女漫画って絵の描写は美しいけど、心理描写は醜いものも全てリアルに描く、という点です。
 少女漫画に内面描写やられたら太刀打ちできないですからね。絵は「夢見てんじゃねえよ!」ってくらいメルヘンなのに、登場人物の心の中の描写はそれと正反対で、人間なら誰しも持っていながらも社会で生きる上では隠しておきたいネガティブな感情・・・ドロドロとした葛藤や嫉妬とかを躊躇なく描き切るんですよ。
 それこそ男の私には読んでて辟易としちゃうくらい。うわ~こええなあ・・・と。この少女漫画の傾向をメタ的に皮肉ったギャグ漫画が高校の頃描いた『走れシンデレラ』や現在手掛けている続編『イッツアドリームワールド』だったりするのですが、やはりドロヘドロは本家には敵いません(笑)。

 もうお分かりでしょう。娘の復讐を森下の心理描写はなんにも新しいものじゃない。あれは少女漫画が昔からやってきたことで、私はたびたび思うのですが『ジュラシック・パーク』以降CGでなんでも表現できることを知った映画は、漫画がやっていた視覚的表現を映像でやりはじめ「漫画化」したのです。
 そういった意味でこの映画は嘘くさい少女漫画!で、女の子、もしくはかつて少女漫画にはまっていた女性、さらにそういったものに理解あるフェミニンな男性にはこの映画はたまらないわけです。だってみんな漫画が好きだから!


面白さその2:『告白』は神の視点を体験する映画である。

 『告白』のもうひとつの面白さの秘密がこれ。で、こっちはどっちかというと男の子向けだと思う。
 『告白』の原作小説が何故ベストセラーになったかを探るため、原作を読んだdescf氏の考察を引用します。

日記という形式が楽しかった。おかあさんはおかあさんの見方で息子を見て判断してるじゃない。でこっちもそんな見方で息子を見るんだけど、今度は息子からの見方があって「こういうことだったんか~」ってなるのよね。まぁそれがおもしろかったと。

 descf氏が分析するに、原作小説は日記等の「告白」という図式を通して「ひとつの現象を、それにかかわった複数の人の視点になって疑似体験できる」という神様にならない限りまあ現実では絶対不可能なことができるわけです。
 これに近い分析は他のブロガーさんも述べられているのですが、この映画は人間同士のコミュニケーションにおける哲学的問題を取り扱っているのです。
 こう書くと堅苦しいのですが、つまり人間ってコミュニケーションの動物だけど、自分の伝えたいことって相手にどれだけ正しく伝わっているかなんてわからないよね、ってこと。

 IT技術が発達したことで、人と人とはこれまでよりもずっと濃密にコミュニケーションを取れるようになるはずが、実はその情報化社会が逆に私たちが他者と伝えあうという行為を希薄にしているのではないか?という漠然とした不安が、今の世の中には存在する。
 そんな情報化社会に上手くフィットしたのが『サマーウォーズ』で、情報化社会黎明期に制作され時代を先取りしすぎて大衆に理解されなかったのが『電光超人 グリッドマン』や『ジュラシック・パーク』のテーゼなんです。
 そして『告白』は情報化社会で情報の伝達に不安を持つ人々に一時だけ「神の視点」を提供してくれる。
 一つの事件を様々な人物の目線で描写することで、コミュニケーションの本質を考えさせてくれる。
 これまでも第三者の視点で物語を見せる映画はたくさんあった・・・というか三人称視点は映画の得意とする所なのですが、同じことを経験しているのにこれほどまでに人によって感じ方が違う・・・という本質主義の問題点を取り上げた点は、哲学や科学が好きな人はともかく、新しかったのかもしれない。

 真理とは何か?嘘とは何か?普遍的なものや本質とは存在するのか?彼らは「本当のことを告白している」ということすら意識的になれているのだろうか?人間の意識とはこのような危うい関係性でしかないのではないか?
 自分勝手に自分の世界に閉じこもり好き勝手な告白をする、いわば独我論のような大人になりきれていない登場人物たちの愚かな復讐や殺し合いを傍から見るという「神様の視点」に観客がなれることこそ、この映画でカタルシスを感じる一番大きな原因だったのかもしれません。
 現代人・・・馬鹿ですか?と。これが男の子向け。この「リアル」を描くために余計なリアリティ(文学性や登場人物の脱シンボル化)をプロットから排除したような気もする。

 まあ、自分は何度も言うようにこの映画は全く面白くなかったんです。でもだからこそ何が面白いのか興味がある。みなさんはどこが面白かったですか?

日本の学校教育には出力の段階が抜けている

 私も塾で何年も働いていて、「なんか勉強のできる子には共通する“何か”があるな」とは思っていたのですが、勉強で学ばなければいけない知識を「情報」と考えたときに、私なりの本質が見えてきたのでまとめます。
 「勉強やだなあ」と苦手意識を持つ子の気持ちは、私もとぉって分かるので、いいんですよ。勉強なんてやらずに遊んでいても死にはしません。私もまじめに勉強したという記憶が本当にありません。マジです。だって生活に役に立たない雑学ばっかりだもん。学校が授業で教えることって。
 
 で、ですね。この前理科を教えていた子がなんと理科で校内一位をとったんです。それを「俺の手柄だ!」と言いたいわけではないんです。その子が元々賢いんです。私がどれほど関係しているかは分かりません。つまり塾が塾生の合格率をあげたいならまずは、はなから賢い子を入塾させればいいわけで。

 で、その勉強のできる子って、とにかくいろいろ理科について私に高度な質問をぶつけてくるんですよ。生物関係ならだいたいは答えられるのですけど、気象や物理学は結構苦しくて「オレにもそこは分からない。ごめん」と正直に白旗上げるのですが(ペルチェ素子のように次週までに調べたりする)、これがどういうことかというと、人間と言うのは一方的に情報を受け取るだけでは知識として定着しないということなんです。
 西部邁さんも、リチャード・ドーキンスも言うように、人間とは社会的動物。他者との関わり合いで生きているだけの情報の総体。もしくはミームを運ぶ情報の媒介者なわけです。

 では、どうやって学校は本当の知識を子どもたちに授けられるのか?それは簡単なことで、生徒にも教壇に立ってもらえばいい。まあこれは極端な例えばなしですが、でも私は実際中学校の頃立たせてもらったんですよ。「これはお前の方が詳しいだろ」と先生に進化論や地球の歴史の授業をさせてもらったんですが、人間は他者に伝達する、つまり具体的に活用する知識じゃなければ覚えようとしないし忘れるんですよ。

 だから日本の学校教育って「先生→生徒」の一方通行じゃないですか。班を作って調べ物学習やって発表させたって、先生はこういう学習を期待しているんだろうな・・・と生徒の方は結構気付くもんです。そしてしらけちゃうわけです。
 問題は「授業のスムーズの進行」という教師の都合だけで子どもに強制する「先生が生徒に叩き込みたい解答」をあらかじめ用意しているという「出来レース」があるということ。
 そんな学習やってて面白いわけないじゃないですか。この世に本質と言う解答なんてないわけですよ。だからこそ楽しいし、だからこそ不安で怖いから自発的に哲学するわけです。
 つまり「先生や教科書の意見は絶対に正しい」とするのは小学校で終わりにして、もう生徒が自由に考えて「先生オレはそれ違うと思います」と先生をねじ伏せてもいいんだ。

 全ての中学生にそんな高度なことはできないよ、と思うかもしれません。でも授業で感じた感想くらいは言えるはず。「オームの法則は俺には合わない。だいたい電気は目に見えないのになんでこんな事が分かるんだ」でもいいんです。
 そしてそういった感想を生徒同士で意見交換させて、もっといえば誰がオームの法則を一番わかりやすく説明できるか班ごとに授業をさせてもいいんです!つーか私は教育実習でこれがやりたかった!(実は近いことは中学校の美術の授業でやったんですけど)
 勉強は、先生じゃなくて生徒自身が学ぶことなんだから生徒同士で学べ。「生徒が生徒の先生」であるわけで、つまり生徒に「情報のアウトプットの機会」をもっと増やしてやってもいいんじゃないかな、と思うのです(欧米では似たような制度「オーナーシステム」があるし、黒柳徹子さんの通っていた「ともえ学園」はこれに近い。くわしくは伝説の名著『窓ぎわのトットちゃん』を!)。

 そんなこといちいちやってたら教科書が終らないかもしれません。でもいいじゃないですか。終らなくても。今の教科書ってフルカラーで読みやすいから、賢い子が勝手に読んで理解してできない子に教えてやればいい。人間って不思議なもので、他人に教えるために勉強するほうが案外頭に入ったりする。
 教師は結局それを見守ることくらいしかできないんじゃないのか。それだと「教師不用論」がでてきちゃうから今もなお一方的な授業をやっているのでは?
 でも「オレの学説は違う!」「なにを!」と、生徒同士がけんかした時教室の秩序を守る管理人として教師は必要なわけです。
 教師がなかなか生徒に心を開いてもらえないのは、教師が「生徒と知を共有し親密になるべき味方」であると同時に「学校という体制を守るため生徒の権利を時に制限する敵」という矛盾を抱えた二重の存在だからです。
 やくざにとっていくらその警察官が優しいいい人だって、所詮奴らは国家権力者。組の大切な情報なんて教えてくれるはずないじゃないですか。

 だから今教師がどちらもやっている二つの役割を分割してもいいんじゃないか、と。「クラス運営のプロ」と「生徒に学術的知識を授けるプロ」に分けて二種類の教員を別々に雇ってもいいじゃないかと。
 もっと言えばヤンキーが修学旅行先でやくざに拉致されちゃったような非常事態が起きた時に出動する「元ヤンキー先生」という役割も作ってもいいかもしれません。
 やはりヤンキーの相手はヤンキーに限ります!文化系がヤンキーを相手にしてもヤンキーの生き様が理解できないんですよ。「うるせえ!てめえにオレの何が分かる!」って。

 で、ちょっと話がそれきたので、議論をまとめます。

 勉強のできる子って一方的な形の授業でも「能動的な活動」をしているわけです。例えばただ受動的に授業を受けている子は、先生が黒板に書いたことをただそのままノートに写しているだけで、もしくはノートすら取らない。これはやってて面白いわけがない。苦痛の一時間。
 つまり脳を働かせてない。どうせこんな知識役に立たねえよと思っているから。それはそれで実は賢い選択なんだけど・・・
 それに対して勉強ができる子のノートが奇麗なのは、自分が理解しやすいように自分なりに黒板の番書の構成を変更するという「クリエイティブな活動」をして、能動的に授業を受けているのです。

 上手い先生と言うのは生徒の能動的で自由な発言を受け止められるほど器の大きい人のことを言うのかもしれない。
 私?私は生徒にも「え?なにそれ?知らない、教えて」って言っちゃうよ。それでいいじゃん。先生失格だって?なんでもかんでも教師が知っているって思っている人こそ、逆に何にも知らないんだよ・・・ってソクラテスが言ってたよ。

私なら『借りぐらしのアリエッティ』でゴキブリの生き様を描く

 私はジブリアニメって一度も映画館で見たことなくて、この「アリエッティ」もおそらく見ないと思うんです。それはストーリーの8割がブログで分かってしまうから。
 「映像(だけ)のジブリ」と言われるだけあって(?)ストーリーは今回も比較的単純で、というか『ハウルの動く城』や『崖の上のポニョ』のように破綻していないだけまだましとかなんとか。

 あらすじは、屋敷の床下に住む絶滅危惧種「小人」のアリエッティ一家が人間のものを借りて生活しているというだけの話で、人間に見つかるとトンズラしなければいけないという、お決まりといっちゃお決まりのパターン。

 で、ここで疑問が二つ。
①なぜ小人は人間に見つかるとその家から逃げ出さなければならないのか?
②借りぐらしと言っているけど、小人たちは別れ際に今まで借りていた人間の所有物をちゃんと返してくれるのだろうか?(角砂糖とか厳しいぞw)

 で、この疑問の解答の私なりの推測がこちら。
①人間に「おいどうやら気持ち悪い生物がうちにいるぞ!」と駆除されるから逃げ出す。
②おそらく借りたものは返してくれない(映画見た人解答求む!)。

 この答えをふまえるに・・・アリエッティはゴキブリの擬人化なのではないだろうか?という結論が導き出されるわけです(おいおい!)。
 
 観に行かれた方のブログの記事を見る限り、そんなメタファーのある映画ではないようですが(そりゃそうだ)、ゴキブリの生き様を描く作品でも面白かったと思うのです。
 私はそんな話を高校生の時考えて友達に話したところ「やめれ!」と怒られましたが、実際その数年後にピクサーは害獣のネズミを主人公にしたわけですから、今は前例があるしイケるんじゃないかと(今思えばすごい映画だなレミー)。

 家に勝手に「借りぐらし」するゴキブリを私たちが気持ち悪いと思うのはなぜか?このような憎悪の感情に理由はあるのか?
 なぜゴキブリは家にいるだけでスリッパで虐殺される必要があるのか?ゴキブリに権利はないのか?
 ゴキブリの住んでいるところに勝手に家を建てたのは人間の方ではないか?しかしそんな人間の生活に適応して進化しているのもゴキブリ(人間の家に現れるタイプのゴキブリね。森林にすむ種類もいる)なのではないか?人間が滅びたら人間の生活に適応し依存していたゴキブリも被害を受けるのではないか? 
 ゴキブリを「地球に借りぐらしする人間」に変換できるように物語を構成、演出すれば、作中で描けるテーマは盛りだくさんだぜ!

 ゴキブリゴキブリうるさいですが、彼らがあそこまで嫌われるのは「形がグロテスクだから」というのはあります。やっぱり。
 アリエッティは小さいながらも可愛い人間の女の子の姿をしているわけで、人間は自分とあまりに形態が異なるものには不快感を持つわけです(脚のないヘビとか)。

 でも、本当にそれだけなのか?それを実験する作品が小人がゴキブリのように人の家に出没する『借りぐらしのアリエッティ』でもいいわけです。
 つまりいくらアリエッティが可愛くても、その存在を一度知ってしまったら、やっぱり自分の知らないところで彼らが勝手に「借りぐらし」しているのは、不快に思うのではないかと。
 だってプライベートもへったくれもないじゃん!連中はゴキブリと違って小さな人間。知性があるわけで、自分が隠しておきたいすっごい個人的な秘密をどこかでこっそりのぞかれて「こいつこんな趣味があるわよ」なんて「サザエさん」のようにアリエッティ一家の夕食の話題にされてたら、気が狂うこと請け合い!
 
 つまり最初は偶然出会った小人を可愛いと思い「いつまでもうちで借り暮しをしていなよ」と快諾した少年が、だんだんどこかに潜んでいるアリエッティの目を常に意識するようになってしまい(気軽に屁もこけないし、エッチなビデオも見れない)、とうとうおかしくなって小人の駆除に向かう切ないラブストーリーでもいいわけで(おいおいおいおい!)。

 しかしゴキブリって本当に向こうの立場からしてみると、かわいそうっちゃかわいそうだよ。だって連中も私たちに不快な思いをさせたくてあんな形になっているわけじゃないんでね。
 もし彼らにアリエッティのような知性があったら殺すのもためらっちゃうんだけど、やっぱり昨日スリッパで撃破しちゃった。それでこの記事のネタ思いついたんですが。

 ちなみにアリエッティがゴキブリの話だったら「小人は滅びゆく種族なんだ」という少年のセリフは大間違いです。なにしろゴキブリは二億年以上も繁栄している種族なわけで、人間が滅んでもずっと子孫を残していくでしょう。それこそ地球が終わるまで。

 ゴキ!お前らの未来は明るいぜ!(なんだ今回の話)
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