Lv.31を振り返る

 とうとう今度の土曜日(※試験日)でレベルが32になるんですが、今年度は一言で言えば「理科の歳」だったな。昨年度は「経済学の歳」だったんだけど(飽きっぽいやつ)。
 仕事がコロコロ変わったり激動だったぶん、理科を勉強しながら現場で教えられたわけで、そう考えると、すごい恵まれていたのかもしれない。
 特に中学校で、個別指導形式の学習塾のように、複数の教科を教えさせてもらう機会をいただけたのはすごいありがたかった。小学校ならまだしも、こんなことってそうそうないと思う。

 また、特別支援学級ってことで、理科の授業も受験をあまり意識せずに、毎回実験メインで自由に楽しくやれたのがよかった。
 最初は通常学級同様、雲のでき方とか、ペットボトルの内圧を下げて白い水滴を作ったりしてたんですが、だんだんエスカレートして、中学校の理科の範囲じゃないような、静電気で水道の水を曲げたり、ボルタ電池をフルーツや台所用品でやってみたり(バナナとマヨネーズとアジエンスの奇跡)、月はなんで地球の重力で落ちてこないんだという万有引力の法則とか、地面をずっと掘りすすめると何があるのかとか、空をずっと飛んでいくと何があるのかとか、宇宙ステーションは宇宙を飛んでないとか、ベルヌーイの定理とか、キャスター付きの椅子で角運動量の保存とか、ホーンテッドマンションの亡霊を光の反射でやってみようとか、ニュートンのプリズムで分光とか、色温度とか、ウィーンの変位則とか、マクスウェルの法則とか、コヒーラとか(これは失敗した)、電磁波は何で遮断できるんだとか、ラジオ使ってどこから電磁波が出ているか調べてみようとか、ピタゴラス音階の計算とか、ブザーを振り回してドップラー効果とか、とにかくいろいろやらせてもらった(あとで授業書の形でコッソリまとめようっと)。

 で、振り返ってみると少人数学級だったから、板倉聖宣さんの仮説実験授業がうまく実践できたんだよなって気がする。
 これが35人学級とかになると、クラスの政治力学で発言できなかったり、議論が盛り上がらなかったり、そもそも人数分実験器具が揃えられなかったりと、現実の壁にぶち当たっちゃうわけで。
 気心の知れた小集団だからこそのきよのぶっていうのはあるのかもな。直接民主制はポリスの人口がそこまで大きくなかったからやれたわけであって。

 しかし、プライベートな趣味の方でいろいろタスクが溜まってて・・・

・恐竜のイラスト
マロさんリクエストの福井べナトールを描く。これは近いうちにやります。きっと。

・漫画
特に『風と翼』は脚本がいいので、ちゃんと絵を入れてアップロードしたいんだよな。
ただストーリー漫画を描くまとまった時間が現実問題としてかなり厳しい。
『80日~』もせっかくストーリーができているのだから成仏させたいんだけどね・・・でも改めて見ると、『80日~』は話が割と重いね。アリエル可愛そう。

・理科の実験単位
来年度はこれを仕事をしながら取れるかがネックになると思う。
地学は最終日がフィールド調査になるようで、アウトドアとは程遠い私は野外でウンコ漏らしたりしないかとか超不安なんだけど、半分ワクワク(クリノメーターとやらを使ってみたい)。

・特別支援の単位
発達障害とか知的障害とか、そういうの改めてちゃんと勉強してみたくなった。

・修士課程
これは30代のうちに取ってみたい。将来のことなんてどうなるかわからないけれど、なんとなく自分は死ぬまで勉強してそうな気がする。
実は大学院って学部生の時に教授に勧められたときは、ビビって断っちゃったんだよな。
だいたい教師経験のない教育学者っていうのもなんか反感買いそうじゃんね。事件は現場で起きてるんだっていう。
で、学費を調べたら100万円以上はかかるそうなので、とりあえず貯金します。
というか、今の自分がそもそも試験に通るのかっていう。世の中甘くないからなあ。

・博士課程
いくところまでいきたい。とりあえず貯金します。

 まあ、果たして、このなかのいくつが達成できるのか、かなり怪しいけど、人生目標がないとつまらないからなあ。他にやることもないし。

パディントン

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆」

 あの国はよそから来た人に優しいはずなの。

 遅ればせながら先週観に行ってきた。内容は割とベタベタなコメディで、なんとなく『アルフ』と『カールじいさんの空飛ぶ家』を足したような感じだったけど、訴えたいテーマがタイムリーすぎてちょっと考えさせられた。
 日本は島国だし、難民を受け入れないっていう鎖国国家だから、あまりこういう問題について考えることはなかったけど、でも、あれか、東日本大震災とかで、故郷から移住しなきゃいけなくなった人ももいて、そう言う人をどうやって受け入れるか、場合によっては自分に切り分けられるパイが少なくなった時に、どこまで許容できるかっていう、大人の試練があるよなあ。

 ただ、現在、国際問題になっているシリアの難民のように、人種や言語、宗教が全く違う人が大量にドドドっと国境を越えてくるような、そういうスケールの大きな民族大移動って、日本ではおそらく元寇くらいしか直面してないんじゃないかっていう。
 ヨーロッパの人たちってやっぱり西ローマ帝国滅亡のトラウマがある気はするよな。国境が陸続きという危機感って、私たち日本人にはあまり想像ができない。

 ほいで、ここまで書いて気づいたんだけど、この映画の舞台のイギリスも島国じゃねーかっていう。
 
 あのロンドンの描写はまさにジャパニーズ東京駅だよね。いや、先進国の都会っていうのはニューヨークもロサンゼルスも、どこもあんな感じになるのだろうか。
 そういや、移民問題に関しては、アメリカ大統領選でも政治素人の不動産王ドナルド・トランプ候補がメキシコの国境に壁を作るという、この前の『ブリッジ・オブ・スパイ』を見たあとだと、「Ohボーイ」な発言をしてたけど、意外とこの過激発言が、合法的に入国許可を取っているヒスパニック系の人たちにも支持されているのは注目しないといけない。
 現実問題として不法移民に職を奪われたら、トランプ候補のマッチョなファシズムに喝采を送っちゃう気持ちはわかるもんな。

 トランプ候補は最初、綾小路的な毒舌漫談やってる人なのかなって思ってたんだけど、意外と人のネガティブな感情を刺激するのがメトロン星人並みにうまいよなって、ポピュリスターとしての驚きと恐ろしさを感じている。
 大衆を動かすにはまず認知されなきゃいけないわけだけど、ヘタをこくと炎上して悪いブランドイメージが浸透し、SNSでくすぶっている連中に「あ、この人は悪人だからいくらでもリンチしてもいいんだ」と非情な判断をされ、挙げ句の果てには大喜利ネタとして消費されて終わっちゃうから、まさに諸刃の剣なんですが、トランプ候補はブラックジョーク耐性があるアメリカをバトルフィールドにしているので、状況は違うんだろうな。
 なんにせよ日本ではまず出てこないキャラクターだよな。でも、安倍さんはちょっとトランプ的なところあるよな。
 社会で波風を立てないがための知恵だった「建前」の、建前であるが故のアキレス腱を「王様は全裸」的に攻撃して、そういった建前に不満を持っていた不器用な人間の喝采を浴びるようなところとか。

 でも、そもそも、これって総理大臣とかがやることなのかなって気がする。こういうのはかつては、お笑いやギャグマンガが、それこそ総理大臣みたいな権威のあるエスタブリッシュメントに対してやってたんだよな。
 もう現代の格差社会、情報社会で大衆の支持を得るにはこの修羅の道しかないのかな。
 負け犬の数が一定数を超えると、信頼や許容という綺麗ごとの理想主義を叫ぶよりも、憎悪を刺激して既存の社会システムを破壊したほうが簡単だもんな。
 社会を進歩させるには一度徹底的に自爆したほうがいいっていう、主のご意志なのかもしれないけど、アメリカに自爆されるとアース的に色々とばっちり受けるから、ここはやっぱり民主党のサンダースさんあたりが頑張って欲しいな。あの人マイケル・ムーア監督の『キャピタリズム』でも民主社会主義者として登場していて、軽く感動したもんな。
 それにプロの政治家ではなく、政治の素人である市民に国家を統治させ、政治に新しい風をって言うけど、前にも映画俳優を大統領にしたら、結局、大企業>政府>国民という独占資本主義になって、国家が企業的に“経営”されたって、あの映画でも描いていたしな。
 そう言う意味じゃマルクスの予言ってすごいよな。
 
 しかし昔HNK教育で『くまのパディントン』ってやってたけど、こんな話だったっけ。さらに、「紳士くま」っていうから、もっと見た目はぬいぐるみ、中身は英国ミドルクラスの中年かと思ってたけど、あの松坂桃李さんの吹き替えの感じじゃ、震災の被害を受けて上京した純粋な大学生って感じだよね。
 つーかペルーにクマっていたんだな。まあマレーシアとかにもいるから熱帯でも適応できるんだよな。だとしたらクマの生息レンジって広いな。北極にも魔の手を広げてるしな。

 家とは単に屋根のある場所を指すのではない。

ブリッジ・オブ・スパイ

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆」

 ボウリングのストライクは一件だ。十件じゃない。

 スポーツでもビジネスでもそうだけど、参入する人の絶対数が多いと、なかにはとんでもない天才だとか、英雄的な人が現れることがある。ということで、さすが訴訟大国アメリカ。とんでもない弁護士がいたもんだぜ。

 時は冷戦。世界は、人間を幸せにするのは自由か平等かという対立するおせっかいによって一触即発の危機に瀕していた。
 そこで活躍したのがエスピーワイ。相手陣営に潜り込み、超法規的に諜報活動を行なうという、法を遵守する弁護士とは真逆の任務についた人々だ。
 私はてっきりトム・ハンクスがスパイで活躍する映画だと思っていたから、冒頭で登場する画家(※スパイ)が主役だと思っていて、トム・ハンクスもさすがに老けたなあ。痩せちゃったし禿げちゃったよ。とか思っていたら、いつものトム・ハンクスがそのあと出てきて、え、スパイじゃないの!?ってじゃあこのハゲ誰やねんっていう。

 しかし、スピルバーグ監督はもうバカ映画に飽きちゃったのか、史実を題材にした硬派な映画ばっかり撮ってるけど、今回の映画はその中でもトップクラスに地味。スパイ映画なのに全くアクション(=暴力)シーンがなく、全編交渉。
 そう、現代の民主主義社会を成り立たせているのは言論、対立する相手と根気づよくコミュニケーションをとり続ける姿勢こそが大切なんだということなんだろう。
 かのキルケゴールはヘーゲルの弁証法を「あれもこれも」と批判したが、アウフヘーベンは希望なのだ。なかなか現実で実現しないから希望なんであってね。
 もしケネディとフルシチョフが、キルケゴール的に「あれかこれか」一本で突き進んでいたら、確実にユーラシア大陸は滅んでいただろう。しかし現実には、その後ホットラインが敷かれたっていうね。

 さて、商業主義で映画をやるならば、暴力をやったほうがいいんだ。暴力の肯定とか否定とかの問題は置いといて。暴力は頭を使わなくていいし、原始的な感情を刺激するから血が騒いでワクワクする。
 しかしスピルバーグ監督レベルになると、その桎梏を超えたレベルで映画を作れるからすごいし、ほとんどのクリエイターっていうのは、そういった倫理観とか義務感よりも、全能感を味わいたいとか、賞賛されたいとか、既存の価値観を壊したいみたいな自己中心的なリビドーの方が強いから、多分こういう映画を作れる立場になっても作らないだろうし、作れないんだよな。
 私もやっぱり、今回はさすがに地味だし、救いがなさすぎるだろ、スピさんって思ったら、最後の最後でちゃんと「僕のパパは世界一」的なアメリカのホームドラマ的カタルシスをちゃんと繰り出してくれるから、ああやっぱり天才だなあって、まあ毎回感じてるんですけど、今回も納得してしまった。

 でもアメリカってやっぱりフロンティアスピリットなのか、考えることがベンチャー的というか、常識の斜め上をためらわず実行するよね。
 だいたい、国家の命運をかけた交渉事を、政府レベルじゃなくて、民間、もっといえば一個人に丸投げしちゃうって滅茶苦茶じゃね。しかもその職務内容は秘密で、失敗しても責任は取らないからっていう。
 そんなリスクしかない仕事誰が受けるんだって話だけど、アメリカはやっぱり国旗に忠誠を誓う愛国者の国なんだよね。いやそれが欧米のナショナリズムでは当たり前なんだろうけれど。
 で、やってくれる人がいるっていう。ほいで、やったらやったで、同じ愛国者に鉛弾撃ち込まれるという。それでも国家への忠誠を捨てないという。キャプテンアメリカが実在するんだよな、あの国は。

 普通の妻子のいるパパンなら、この時点で家族の安全を取ると思うんだけど、ドノバン弁護士はそのまま突き進み、釣りという名目で長期出張をしてしまう。やっぱり、彼は愛国者であるという以上に、弁護士のプロフェッショナルなんだよね。
 法曹というものが彼のアイデンティティや矜持になっているからこそ、スパイ活動という法を逸脱した行為に対して、あくまでも法に則って裁きを下し、法の支配の正当性を示す。ちなみにアメリカという国家はとりわけ司法権が強い。
 学校だってそうなんだ。規則を破る子に「いいよいいよ」って物分りよく特例も認めちゃうと最後、規則は形骸化し、東ドイツのような無法地帯になってしまう。
 規則は確かに鬱陶しい。運転免許を取るとおのれポリスメンと思うことも多いし、私は法律学概論の単位に苦戦しました。
 しかしホッブスの『リヴァイアサン』よろしく、無きゃないで非常に恐ろしいことになる。私たちは生まれた時から法治国家にいるから、法が機能しないという状況を想像できない。法がどれだけ私たちを守ってくれているかというメリットを忘れてしまう。

 愛国心、国家の安全を守るためだったら、法やルールを超法規的に無視していいのか。これは、特に今の日本の政治を見ていると考えさせられるテーマなんだけど、じゃあ愛国心や国家の安全がどこから生まれているかと想像すれば、それはやっぱり法なんだよね。
 イェリネックじゃないけど、法がなければ主権はない。主権がなければ国家はない。そう考えると、国家のためにという建前で法律を無視しちゃう人は、一体何と戦っているのか注視する必要はあるよね。
 もちろん政治というのは現実としてゴリ押ししないと何も決定できないっていう局面はあるとは思うのだが。
 それでも私たちは決して法と言論を放棄してはならない。現実はそうじゃねーしと過去の人々が命懸けで獲得して現代の私たちが享受しているものを冷笑しちゃうと、もったいないゴーストが出ます。セーフティバーに触ってはいけない。それを引くのは私の役目。

 アイルランド系にドイツ系。我々を米国人と規定するのは、ただ一つ。規則だ。

夢と魔法の王国

 11年ぶりくらいに行ってきました。

スティッチエンカウンター
これって、アニメキャラにいじられて本気でキレないような人を瞬間的に判断する能力がスタッフ側に必要だよね。そう言う意味で割とハラハラするアトラクション。ある程度台本決まってるんだろうけど、長いことやってると人選ミスっていうのもあるんじゃないのかな。まさかサクラってこともあるまい。

ジャングルクルーズ
学校の授業同様、スキッパーのトーク力で顧客満足度が左右されるアトラクション。
リニューアルということで、イラワジ川の遺跡のエリアにいたトラがリストラされててショックだった。
当初、ウォルト・ディズニーはこのアトラクションはモノホンのアニマルを使う予定だったらしい。サイにつつかれてる探検隊とかどうするつもりだったんだろう。

ウエスタンリバー鉄道
これをやりたいがためにディズニーランド計画は生まれた。
故青野武さんの「タバコはご遠慮下さい、煙を吐くのは機関車の役目ですから」などのガイドが涙を誘う。
恐竜相変わらず古かった。

ホーンテッドマンション
生まれて初めて乗った。建物の外観がすごいかっこいい。
というかどういう原理なのアレ!?
なんかすごい感動してしまった。マジックミラー的な?科学ってすごいな。

アリスのティーパーティ
アリスフリークとして乗った・・・が、開始2秒で乗ったことを激しく後悔した。
今も気持ち悪い。もう一生乗らない。

プーさんのハニーハント
マッドティーパーティの後遺症で、このアトラクションも乗り物酔いしました。
意外とロジャーラビットのカートゥーンスピン的なアグレッシブなアトラクションだった。

イッツアスモールワールド
すごい平和的なアトラクション。世界は狭い。だから各地で紛争が起こるんだよな。由々しきことである。

ワールドバザール
塔の上の中川翔子のマグカップが可愛かったので購入した。しかしディズニーランドは本当に円がインフレだよね。ポップコーンが2000円以上するもんね。

 久々に行って思ったのは、そこまで敷地面積自体は広くないんだね。小さい頃は自分が小さかったから広く感じたんだな。遠いところまで来ちまったなあ。
 この前さ、友達と話してて、もうこの年齢になると心の底から感動したりすることって少なくなるよなあって。逆にストレス耐性がついたとも言えるんだけど、感受性が鈍ってきたよなっていう。大人になるってそういう切なさもあるのかっていう。
 ディズニーランドってさ、世間ずれしたくたびれた大人も、子どもに戻ってはしゃいじゃうって言うじゃん。あれは人によるよね。
 私なんか、これ作るの苦労したんだろうなあとか、考えちゃうもんな。そう言う意味ではホーンテッドマンションは面白かったな。これどうやって作ったんだろう!?って感情久しぶりだったもんな。あれは頭のいい人の仕事だよね。多分透明なスクリーンつーかガラスに反射させてんだろうな。理科だなあ。スネルの法則だなあ。

理科教育法覚え書き④

参考文献:小原茂巳著『「たのしい授業」のすすめ方』

授業の導入
授業の導入は、理科に限らずすべての教科で最も重要な「つかみ」である。ここで子どもの心をつかめれば、あとはだいたいうまくいくことが多い。それだけに授業の導入は用意周到に行う必要がある。
テキストでは授業の始めにさらっとこれまでの授業の復習をするとよいと書かれている。
これにより、この続きが楽しみだな、今日はどんな授業なのかな?と子どもたちの好奇心を高め、これから始まる授業にスムーズに入れるようにするわけだが、この時の復習はあくまでもさらっと、しつこくなく、今学んでいる学習内容が思い出せる程度でいい。

問題の意味を伝える
次に、今回学習する問題が書かれたプリントを子どもたちに裏の状態のままで配る。これも表にはどのようなことが書かれているのだろうと、子どもたちをワクワクさせるちょっとした工夫である。また、前の席の子が先に問題を読んでしまって、後ろの席の子が「ネタバレ」をくらってしまうこともない。
そして、子どもにプリントに書かれている問題を音読させるのだが、この場合は「誰か問題を読みたい人いますか?」よりも「誰か読んでくれる人いませんか?」と尋ねるほうが良いという。
その理由は、積極的な子どもならともかく、思春期を迎えたような恥ずかしがりやな子には、先生から頼られているというシチュエーションの方が手を挙げやすいからである。
また、子どもがプリントを読んでいる際には、せっかく読んでもらっているのだから、その子に恥をかかせないように、読みにくい感じが出てきたらさりげなく教師が素早くすっと読んであげるのがいい。
最後に、問題の意味を子どもたち全員にわかりやすくきちんと伝えるには、実験器具などの実物を見せて、手順を説明&実演し、さらに実験結果が出る寸前まで実際にやって見せてしまう。
これにより、この実験のどの段階が「問題」になっているのかが明確化し、仮説実験授業で重要な「予想」を子どもたちが立てやすくなる。
確かに、口頭で説明したり、プリントを読ませるだけでは、子どもたちが実験の具体的な内容をイメージすることは難しいだろう。初めて行う実験ならなおさらである。
以上をまとめると、授業者が大切にすべきことは、常に授業を受ける子どもたちの立場に立って、問題を投げかけたり、教材を配ったり、実験を説明したりするということである。
こういった細かな配慮が、子どもたちを積極的に授業に引き込むテクニックとなっている。

生徒は実験が好きなのか
理科の授業の醍醐味は何かと聞かれれば、実験であるというイメージは強い。
しかし、本当に子どもたちは実験それ自体が好きなのだろうか?テキストのアンケートでは、理科の実験が好きだと答えた大学生は100人中39名にとどまった。つまり4人にひとりは理科の実験はどちらかといえば嫌いだというのである。
その理由は、片付けと準備が面倒、班別行動が嫌だった、細かい作業が苦手、実験の得意な友達ばかりがやっていたので嫌だったなどであった。
逆に、実験で楽しかった思い出を尋ねたところ、試験管でアイスを作ったこと、液を一滴垂らすだけで水の色が変わったとき、太陽光を虫眼鏡で集めて黒い紙を燃やしたこと、牛乳パックでカメラを作ったことなどが挙がった。
しかし実際には、実験中はみんなとおしゃべりできたり、珍しい器具を触れたから楽しかっただけで、別に実験そのものが楽しかったわけじゃなかったというのが大方の本音であった。

実験とは何か
理科の実験が、実はそこまで人気がない理由、それは理科の授業で行われる実験が、教科書に書かれていることの確認作業にとどまっているからである。
では、そもそも実験とはなんなのだろうか?
実際に体験すること、習ったことの確認、今まで知らなかったことを実験で発見できる、教科書で学ぶだけでなく、実際に目で見て確認すること、などいろいろな考え方があるが、仮説実験授業を提唱している板倉聖宣によれば、実験が実験足りえる重要な要素は「仮説」なのだという。
天秤や試験管やその他珍しい実験器具を使うことが実験だと思っている人もいるが、仮説が本当に正しいかどうか調べてみる試み、これが実験なのである。したがって仮説がないことには実験は成立しない。
人々の予想が大きく分かれてしまうような問題や疑問があったとき、人々は話し合いや討論をし、いろいろな考えが生まれてくる。つまり仮説の全貌が明確化する。
すると、では実際に実験をしてみて、どの説が正しいか白黒決着をつけようということになり、実験の結果が非常に楽しみになる。これこそが本当の実験なのである。
つまり、実験を授業として行う際には、問題点を子どもたちが共有できるように簡単な手順の実験にすること、子どもたちが予想を立てやすいようにABCなどの選択問題になっていること、それぞれの予想の支持者がばらつくように、大人でも確信を持って正しい考えを出せないような問題にすること、などの事前の教材研究が重要なのである。

討論の注意点
日本人は討論が苦手だというイメージがある。それは自分の意見を持っていないからできないというよりは、もし場の空気を読まずに一人だけ変なことを言って目立ってしまったらどうしようという恥ずかしさや、恐れ、同調圧力によるものが大きいのだと私は思う。
そもそも議論が得意だと言われる欧米人も、自分の意見がまとまる前にとりあえず発言して、話しながら自分の意見を明確化していることも少なくないらしい。
となれば、授業者が子どもたちに討論をさせたい場合にもっとも重要なことは、どんな意見でも意見として尊重される、自由で楽しい場の空気を作ることだろう。
間違っても、子どもたちに意見を要求しておきながら、それが自分が想定した授業展開に沿わない意見だからと、注意したり叱ったりするようなことはあってはいけない。
そういう経験が子どもたちに刷り込まれることで、前例やマニュアルがないと何も行動できないような大人が生まれてしまうのである。
これをテキストの内容に沿って言い換えるならば、教師の立場はあくまでも中立でなければならないということであろう。
教師の態度がある見解に偏ると、教師の権威が影響し、子どもたちは教師の支持する答えが正しいのだと思ってしまう。どんなに教師が子どもと対等であろうとしても、教師と生徒には構造的な優劣関係が存在する。
そこで教師はあくまでもポーカーフェイスを保ち、どの意見にも過剰に反応することがないようにする。しかし心の中が読まれないように教師が無表情をずっとしているのは、なんとなく冷たいイメージを子どもに与えてしまうので、テキストでは教師はずっとニコニコしているのがいいと述べられている。
とにかく仮説実験授業は、実験で正解を確かめる部分がハイライトになっている授業なので、教師の表情でなんとなく正解がわかってしまうのは興ざめになってしまう。
二つ目に重要な点は、子どもたちに発言や討論を強要しないことである。
子どもたちの「発言をする権利」を尊重し、発言をしやすい雰囲気を教師が作るのは当たり前だが、それと同時に「発言をしない権利」を保障することも大切である。
「一人必ず一回は意見を言う」というように無理に発言をさせようとすると、教師が権威を使って討論を押し付けているように思えるし、そういう空気を子どもは敏感に察知するのでますます発言できない雰囲気になってしまう。
そもそもよく発言をする生徒が主体的によく考えていて、発言をしない生徒が授業に消極的で何も考えていないということは必ずしも当てはまらない。討論の成り行きを観察しながら、発言をしている生徒以上に心の中で考えていることも多い。
また、討論が始まらない場合はもしかしたら「討論すべきテーマではない」と子どもたちがシビアに判断している可能性もある。その場合はクラスの雰囲気を尊重し、すぐに実験に進んだほうがいい。
逆に、討論が白熱しすぎて、それに夢中になっている生徒と、討論に飽きてしまっている生徒に分かれてしまった場合は、発言する生徒に対して人数制限をしたり、時間制限をしたり、そろそろ実験に移るかどうかを尋ねるといった、臨機応変な判断が求められる。

授業者の喜び
授業をする喜びとは言うまでもなく、子どもではなく教師の感じる喜びである。
それは一体どのようなものなのだろうか、テキストの第3章「学生による「楽しい模擬授業」」で模擬授業を行なった学生の感想を以下にまとめる。

・みんなが楽しそうに授業を受けてくれたからうまくいったんだ」。私が「みんなにたのしくてわかりやすい授業にしたい」と思ってやったことも、うまくいった理由ではないかなと思います。(滝沢さん)

・自分の短所が嫌いな子どもたちはたくさんいると思います。そういった子どもたちにも「短所は個性だ」と気づいてもらえるような授業をできる教師になりたいと強く思いました。(瀧沢くん)

以上を踏まえると、授業をする喜びとは、伝える喜びがまず挙げられるだろう。
性格が明るいこと、声がはっきりしていること、板書が上手なこと、指導力があること、など教師の資質を要求する人もいるが、人間には向き不向きや、持って生まれた気質があるので、そういう部分で悩んでいても仕方がない。
それよりは、伝えたくて仕方がないこと、ワクワクすること(教えるに値する教材)に出会い、それを子どもたちに伝えたくて仕方がないと教師自身が思えば、その授業は8割成功する。
また、授業の成功には子どもたちの協力が必要不可欠であるという、教えるということのインタラクティブ性も感じることだろう。授業の成否を判断するのはあくまでも授業を受ける子どもたちである。
よって子どもたちから、自分でも気づかないようなアドバイスや評価をもらえれば、模擬授業を実践した学生のように、短所だと思っていたことが実は自分の大切な個性(むしろ授業をする上ではメリット)だと気づくこともできる。
教師は、子どもに教えることで、逆に子どもからいろいろなことを教えてもらっている存在である。だからこそ、楽しい授業をすることで、教師も元気になり、授業をすることの喜びや楽しさを感じることができるのである。
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