地図図法覚え書き

メルカトル図法
すごい一般的な四角いやつ。16世紀に軍用として開発され、羅針盤による航海に使っていた。
地球を円柱に変換して、それを平面上に広げている。
そのため、角度は正しいが、面積が南北に行けば行くほど広がってしまい、南極大陸の大きさがえらいことになる。また北極点や南極点が描けない(点ではなく地平線的な直線=無限遠点になってしまう)。

モルワイデ図法
楕円状の地図で面積が正しい。

グード図法
りんごの皮を綺麗にむいたような形の地図。面積が正しい。

サンソン図法
かどの丸いひし形のような形の地図。面積が正しい。

ボンヌ図法
ハート型の地図。地球を円錐に見立てて、その展開図を丸くしたもの。面積が正しい。

正距方位図法
任意に選んだ基準の地点(円の中心地)からの距離と方位が正しい地図。国際連合のロゴがこれ(国連は北極点が円の中心)。
円の中心(例えば北極点)から別の場所(例えば日本)の距離と方位が正しいが、その逆――日本→北極点からの方位は正しくない(ただし距離は正しい)。
この図法では、地球の裏側が円周(無限遠点)になる。

アントマン

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 オレは使い捨てだ。だからオレなんだよ。

 人間っていうのは結局、働きアリと一緒でさ、一生のほとんどを労働に費やすわけで、となれば、その労働に生きがいを見いだせたら、それこそクオリティ・オブ・ライフ、人生を楽しむことができるのは間違いない。
 労働を罰ゲームとして考える聖書や、働いたら負けとうそぶくニートの思想と、この意見は相容れないところがあるんだけど、本当に働くっていうのは苦痛しかないのだろうか。
 となれば、働かずに暮らしているニートの人は、人生の勝者と言えるんだけど、『愛するということ』の記事でも言ったように、どうもそんな風に人生を有意義に楽しんでいるニートはあまり見かけない。なんでなんだろう?

 結局、私たちが苦痛なのは、労働そのものではなくて、自分のことを誰にも承認されないということなんじゃないだろうか。
 そう言う意味で、フォードが自動車を大量生産するために導入した、メカニックのド素人でも「この部分のネジを締めればいいんだよ」的な、車を分業して組み立てるライン工程は、人々から働くことの素晴らしさを奪い、引き返せない大きな楔を打ち込んでしまった。
 誰でも気軽にやれる初心者大歓迎労働は、逆に言えば、お前の代わりなんていくらでもいるんだという、労働者の承認欲求を踏みにじる、恐ろしい仕事のあり方を生み出してしまったのだ。

 確かに、人間の集団は正規分布で、ほとんどの人のスペックは普通で能力的にはみんな大体似通っている。だから、大量生産された交換可能な部品のように、資本家は労働者を捉えてしまう。もちろん、そこまで露骨に言うと、さすがにプロレタリアート革命が起きそうだから、「雇用の流動化」みたいなダブルスピークで置き換えるんだけど。
 しかし、お前の代わりはいくらでもいるというなら、働いている方だって、オレが抜けてもどうせ別の人を補充すればいいじゃんと、会社への愛着はなくなるし、労働意欲だって上がらないだろう。

 コーポラティズムとか言うけど、資本家と労働者がこのように対立路線をとってしまうのは、パレート最適とはどうにも言い難い。
 そこで、戦後の日本企業は合理的な戦略として、年功序列賃金や終身雇用をとっていた。これらの雇用慣行は、会社が社員を育て、守ってくれるような親切な制度というよりは、将来社員に支払う予定の高い賃金を“人質”にして、有能な人材を手放さない、かなりクレバーなシステムだった。
 これが、バブル崩壊後にアメリカ型のドラスティックなリストラを導入したことで、労働は裏切り御免の非協力ゲームに代わり、生きがいの一つではなくなった。

 ここまでのお話をまとめると、私たちの人生の目的とは、我慢して働くことでも、働かずに楽をすることでもない。あなたの代わりは誰にもできないと、かけがけのない存在として承認される事なんだ。

 さて、アントマンとしてピム博士に選ばれるスコットは、これまでのマーベルヒーローと違って、北欧神話の神様でも、フォーブス誌に載りそうな金持ちでも、科学者でも、はたまた凄腕の軍人や、諜報員でもない。
 メキシコの刑務所から出所して、パナマ海峡をわたってアメリカに戻り、サーティワンアイスクリームを前科持ちということでクビにされた、ただのチンピラだ。
 つまり、彼がアントマンである必要ははっきり言って、全くない。
 これは、お前の代わりなんて他にもいるんだ、どころの話じゃない。アントマンという死の危険すら伴う、極めてブラックな職業を娘にやらせたくないがためにピム博士が選んだ捨て駒が、スコットだった。
 スコットは、空き巣やってただけあって身のこなしはいいけれど、それならもっとすごい運動選手にオファーすればいい。しかし、そういう有名な人を巻き込むのは罪悪感がある。なら、元犯罪者にやらせて、万が一そいつが小さくなりすぎて変死しても、別に胸も痛まないもんね、みたいな。
 そういうロジックをおこなえる、ピム博士はまったく冷徹な人なわけよ。そりゃあ息子のように可愛がった弟子もああなるよみたいな。

 実際に、スコット・ラングの二代目アントマンっていうのは、原作コミックではあまり人気が出なかったらしく、そういうメタな見方をしても、この人選は涙を誘うわけなんだけど、ところがどすこい、今回の映画は、これまでのマーベルヒーローに匹敵するほどの魅力的なキャラクター付けがされている。
 例えば、彼は暴力沙汰を好まない空き巣犯なんだ。本来防具である盾を武器として用いるキャプテンアメリカだって、ヒドラをバシバシ殺すのに、彼はマーベル映画初の不殺のヒーローなんだよな。 

 正義のヒーローだからって高潔なわけじゃない。犯罪者だからって残虐非道なわけじゃないっていう、相対化をこの映画は見せてくれる。

 スコット・ラングは、ピム博士のそんな思惑を踏まえたうえで――自分が捨て駒であることを理解した上で、アントマンを引き受ける。いや、わかったからこそ、彼は引き受けた。
 スコットも、娘を持つ一人の父親だったから。そう、この世の中には、あなた以外には代わりがいないという仕事がちゃんとある。
 山田洋次監督は、「家族を描くとお話は締まる」と言ったけど、まさにそう。この映画は『アイアンマン』に一見構造がよく似ているけど、むこうが描けなかった「親子」をメインテーマに描いており、マーベル映画でトップクラスに脚本がいい。
 あ~はいはい、じゃあ面白い作品を作るなら、とりあえず親子やっておけばいいのねって思うかもしれないけど、こういうシンプルかつベタなテーマこそ、実は組み立てるのは難しいもんなんだ。この映画の上手なところは、登場人物の配置がすべて親子関係のメタファーになっているところだろう。

 つまり、『アントマン』ってアメコミ映画というよりは、脚本の構造、作風、吹き替えなどの面で、かなり『ナイト・ミュージアム』とかのファミリーコメディ映画を意識していて、スコットを演じる、ポール・ラッドはどことなくベンさんっぽいし(つーかこの人は『ナイト・ミュージアム』で出演もしている)、スコットの吹き替えの木内さんってのは、ベンさんの吹き替えをやっていた故・檀臣幸さんと声や演技が似てるし、サーティワンアイスクリームのイヤミな上司の吹き替えは自然史博物館のマクフィー博士と一緒だし・・・
 さらに、毎回ネットを燃え上がらせる芸能人吹き替え枠だけど、スコットの相棒(なんかの映画で見たなって思ってたけど、思い出した『フューリー』!!)の吹き替えを担当した、ひらパー兄さんもすごいひょうひょうとした演技で、この役に合ってて、(つーかうまい)、ヒロインの声なんて『パシフィック・リム』の林原めぐみだと思ってたからね。内田有紀さんだったっという。芸能人も結局キャスティング次第なんだよな。

 とにかく、『進撃の巨人』とぶつかって、いまいち地味な進撃の小人の『アントマン』だけど、単体の映画としてもクオリティの高い映画なので、大味なアクション映画とかマニアックなアメコミヒーロー映画だと思わずに、残りのシルバーウィークに観に行ってみたらどうでしょうか?
 最後に一言。この記事でついにブログの記事が1000になりました!ヒーハー!!

研修メモ(LINE編)

 昨今、子どもだけじゃなくて、お母様方の間でもトラブルになっていると言われるメトロン星人的なアプリ――LINE。
 今日は、そんな株式会社LINEがSNSとの付き合い方を教育関係者向けに講演してくれました。

 私もLINEは女の子に勧められて、去年やり始めたんだけど、やっぱりSNSでメインに使っているのはツイッターだな。LINEってフェイスブック同様、リアルな人間関係をベースにしたコミュニケーションアプリだから、リアルじゃ絶対に仲良くなれないような、医者の卵とか、テレビマンとか、アニメーターとか、漫画家とか、大学院生とか、大学教授とか、そういう人とは繋がれないんだよな。
 やっぱりLINEは女の子向けっていうか、リア充のツールよ。あのスタンプの世界観とかちょっと抵抗があってね(^_^;)
 とうとうこいつら、文字も打たなくなったのかっていう。

 以下は講演内容をメモしたもの。

・LINEが開発されるきっかけは東日本大震災で、もともと災害時向けの通信アプリだった。だからメトロン的な炎上システムになってしまっている既読システムは、災害時の生存確認のためのもの。

・LINEは全国では80%の教員が利用しており、高知中央高等学校などでは、いっそ公式にLINEの使用を認めて、連絡網的に使っちゃってる。また生徒のトラブルも逆に教員が把握しやすくなったという。

・フェイスブックやツイッターにもある、タイムライン機能だが、LINEではタイムラインが共有されるのは友達リストのメンバーまで。

・LINEが個人情報を勝手に吸い取っていると取りざたされる、友達の自動追加機能だが、これは設定でオフにできる。しかしデフォルトではオンになっているので、設定をいじらないずぼらな人は(私だ)、電話帳に登録した人が片っ端にLINEでともだちんこにされてしまう悲劇が起きる。なんでデフォルトでオフになってないんだって話しだけど、その理由はだいたいわかる。

・またID検索機能も実は設定でオフにできる。これは悪徳業者がコンピューターでランダムにIDを打って片っ端から検索をしてくるのを防ぐため。そしてID機能は18歳未満の人や年齢認証がされていない人は使えなくなった。

・LINEを使っていて、子どもが感じる最も嫌なことは、意外にも既読スルーやグループ外しではなく、知らない人からの友達追加だった。これもデフォルト設定のまま使っているためであるが、やっかいなのは、過去に同じ電話番号を使っていた人のアドレス帳のデータでつながってしまうということもあるということ。なんにせよ全く見に覚えのない人ととも友達としてつながってしまうのはちょっと危ない。

・GPSを利用したふるふる検索機能というものがある。こんなのニンテンドーDSの通信プレイ的に、繁華街でやれば不特定多数の人と偶然つながっちゃうんじゃないかって感じもするけど、時間と場所がかなり限定されているらしく、シンクロ率は低いらしい。

・LINEでは良い子のみんなのための啓発ガイドを開発している。現在は第二弾を製作中。悪口、炎上などのコミュニケーションに関わる問題、著作権侵害行為などのネットモラルに関わる問題(全世界に公開される、記録されてしまう、匿名でもバレる、拡散される)、高額の請求が来たなどの使いすぎの問題などをゲーム感覚でお勉強できるらしい。

 SNSはやっぱりニュースなどでも度々問題になるから、取り締まりをしようとしている学校もあるんだけど、客観的な数字の問題として、高校生の90%以上がスマートフォンを持ち、SNSをやっているという現実があり、もはや、そういうものを使うのは当たり前だという前提で、対応をしていく時代になってしまったんだと思う。
 というか、ほとんどの子どもは、SNSを友達と遊ぶ約束とか、すごい牧歌的に使っていて(友達の家に電話する手間が省けただけみたいな)、政治的なツイートとかそういう炎上紙一重な危ない使い方をしているのは、大人の方が多かったりする。・・・私か。

戦争法案について

 最近、ゆっくりニュースを見る時間もなくて、社会のことにどんどん疎くなる社会の先生なんだけど、今日帰ってきてテレビつけたら、国会がすごい熱いことになってる(^_^;)
 でも、これ、議員が国会に行けないようにデモ隊が妨害してるけど、警察官の人も大変だよな。19世紀のフランスのパリコミューンとかだったら構わん!撃てー!!とかなんだろうけど、そんなんできないし、この人数じゃ公務執行妨害で逮捕もできないだろうし、んなことしたら安倍政権はいよいよヒールになっちゃうし・・・

 まあ、おかげで、参議院の特別委員会?が開催できずに今(午後8時)も中継されてるんだけど、こんな感じで毎回、夜に国会やってほしいよな。
 昼間しか国会中継が見れないってほとんどの社会人が見れなくてひどいし(日本で一番政治に詳しいのはニートだと思う)、夜に議会やれば、働いている人が兼業的に議員やれて、副業ってことになるから国会議員の歳費も安上がりになって(第二種兼業議員)、みんなで夜に国会中継が見れていいことばかりだと思うんだけど。

 私もシールズとかあんまよくわからなくて、安保問題を追ってないんだけど、なんでいつのまにか「戦争法案」みたいにされちゃったんだろう。この法案が正しいか間違っているかは置いておいて、安倍さんはイメージ戦略で負けちゃった感じがあるよな。
 今回はもうどうにもならないから、一度引っ込めるしかないんじゃないか。そもそも、おじいちゃんの時(のぶすけ)も国会取り囲まれたし、因果なもんだよ。つーかシールズの若者と同調しているシルバー世代が安保闘争とかの世代と一致すんのかな、だとしたらすごい興味深いよな。

 日本を軍国主義に戻す考えみたいにされているけれど、国際政治学的には、集団的自衛権って考え方自体は国連憲章の51条にも書かれている、そんなにラディカルで過激なものではないんだ。
 むしろ、平和のための実力行使(=暴力)の手段が、かつての国際連盟にはなかったから第二次世界大戦が止められなくてズルズル行っちゃったって説もあるわけだし。
 今はそう言う意味で多機能型PKOとか憲章6章半の活動とかで、わりと積極的な活動ができるんだけど、テロや紛争の地帯で、丸腰で行ってさ、「話せば分かるラブ&ピース」なんて言っても、ランボー4みたいになるのは目に見えるわけであってね。

 結局、私も含めて、大衆というか、庶民の人たちは政治学そのものに興味はなくてね、理屈じゃなくて感情論なわけで、自分と、自分の身近な大切な人さえ助かればいいやという、環世界センスなわけ。
 これが仮に日本が、地理的にイスラム国とかのエリアと近くて陸続きなら、あっけなく軍備増強してくれ!ってなるんだよな(^_^;)あんなやつら入れずに国境警備をテコ入れして、徹底排除してくれ!みたいな。
 で、安倍さんの方は多分、“国際社会の世間体的”に、どうしてもこれを通したいんだろうなあ。安倍さんは国会でうまく答弁ができずに、ガリ勉っぽい共産党議員に苦戦しているけど、安倍さんだって学者じゃないからね。どう考えても、圧力かけられてるんだよね。ジャパンもひとつ頼むよ、みたいに。
 
 でも、ここまで安倍さんが逆境になるとは思わなかった。結局ネット世論って、リアルの人達と合計すれば全然マイノリティなんだな。そこを安倍さんも私もかんちがいしてたな。もっとガンガン行っちゃうと思ってた。若い人が具体的な運動をやったってのもすごい。
 正直自分も学生時代に学生運動とかに憧れがあったからなあ。若いうちは一度くらいはエスタブリッシュメントに弓引いといたほうがいいっていう。大学生の頃、「学生運動があった教授の時代が羨ましいです」とか言ってたけど、じゃあ、今お前も混じってくればいいじゃんって言われちゃいそうだけどさ、大学生の頃だったら記念に行ってみるかって行ってたかもしれないけど、今は私も少しは賢くなったからね。
 シールドがそもそも一体何に反対しているのかよくわからなくて、リア充のラッパーというイメージしかない(^_^;)

 あいのり≒テラスハウス≒シールズみたいな。

 憲法学者に違憲と言われちゃったのに、強引に法案を通そうとしているのが、法の支配の危機である!ってことなのかな。なら、ロジックとして分かるな。で、この反対派のパーセンテージでは、憲法改正も可能性ないし、どうにもならない。

 そしてすごい逆説的なこと言うけど、安倍さんってそう言う意味ですごい誠実な人なんかもな。なんというか、このつまびらかな態度ってネットの人が好きなの、なんとなくわかるんだよね。
 もっと普通の悪徳政治家なら、こういう法案はこっそり通しちゃうよね。冷めたピザですとか言って、すごいいい人そうで頼りないキャラクター付けをして、重要な法案をどさくさに紛れて通しちゃった小渕さんみたいに。
 だいたいシールズのリア充を国会に呼んでちゃんと話聞くってえらいよ。だから、ここまでみんなが全く興味がなかった安全保障問題を大ごとにしてくれた安倍さんって、公民科の教育的効果としてはいい影響を与えたんじゃないかっていう。社会科の教員免許を持つ私には朗報だよ。本当に社会の授業って人気1%もないからね。
 
 で、もうちょいリアルな展開を想像するとさ、数の理屈でこの法案通っちゃう気もするんだよ。で、通ったら通ったで、日本人って戦争=火垂るの墓で思考停止しているから、な~んだ、別にサイパンから飛び立ったB29爆撃機が東京に焼夷弾落としてこないじゃん、集団的自衛権なんてできても日常生活あんま変わらねえやって安心しちゃってさ。あのデモはなんだったんだっていう。
 結局現代の戦争を踏まえると、自衛隊の海外派兵なわけで。自衛隊員のご家族は不安で仕方ないと思うんだけど、それ以外の人はニュースで「どこどこの国で自衛隊員数名が亡くなりました」っていうニュースも最初は衝撃的かもわからないけれど、すぐに慣れちゃてさ、向こうの国も大変だなあとか、さあ次はスポーツです、とかで終わっちゃいそうなのが一番怖いよ。

『自然を名づける なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか』②

 この前の続き。

第6章赤ちゃんと脳に損傷を負った人々の環世界
 環世界センスがないと、人間は客体、外部の世界に“イカリ”を下ろすこともままならないという話。
 だからこそ、生まれたばかりの赤ちゃんも、猛烈な勢いで動物の名前を覚え分類学者の修行をする。もはや、これは本能といっても差し支えないくらいに。

 幼子はなぜ、ほんの数種類のイヌを見ただけで、どうやってチワワからグレートピレニーズまでが含まれる「イヌ」のカテゴリーを――ときには完璧に――把握するのだろう。なぜ、ネコ、テーブル、這っている人といった他の四つ足のものを、イヌと誤認しないのだろう。大人が「イヌ」と言って指さしたとき、それが意味するのがイヌの立てる音や、イヌの体の一部、あるいはイヌがいる場所のことだとなぜ誤解しないのだろう。同じく毛で覆われた、人間に馴れている四つ足の雄牛がイヌではないと、なぜわかるのだろう。そしてなぜ、そのイヌが足をすべて失っていたとしても、尾を短く切られていても、イヌだとわかるのだろう(194ページ)。

 これ(ほんの一部の事例から全体的な把握をしてしまう)って考えてみればすごい不思議で、ノーム・チョムスキーはこれをプラトンのジレンマと呼んだ。抜群のネーミングセンスである。確かにプラトンのイデア論はこの問題に関する彼なりのアンサーである。

 さて、そんな不思議な能力を持つ赤ちゃんが、さらに成長していくと、お馴染みの“恐竜期”や“ポケモン期”を通過する。
 よく、恐竜オタクでもミリタリーオタクでも、それが好きだって言う割には、恐竜や武器の名前やスペックを丸暗記しているだけで、それらに関係する知識(ミリタリーなら歴史、地政学、政治、経済、社会学、心理学、統計学、物理学など)を総合的に深めようとはしないよなって思ってたんだけど、それはとどのつまり、自分が好きなものを、分類し、命名し、規則どおりに並べることそれ自体が好きなんだっていう。

 恐竜に夢中になっている子どもを見れば誰でもわかるように、子どもたちは、恐竜に対して包括的な関心を寄せるわけではない。彼らが興味を持っているのは、恐竜の形態、行動、名前であり、彼らはその知識によって恐竜の種や属を見分け、分類しようとしているのだ。もし、エリック(※著者の子ども)が、狩猟採集民の世界に生まれていれば、そうした部族の子どもたちと同様に、村の周囲の動植物を分類・命名することを学び、絶滅した巨大な爬虫類に目を向けることはなかっただろう。だが、彼はアメリカの都市部に生まれ育ち、そうした環境にいる子どもの常で、自ら環世界に並べる生物として、おもちゃや絵として頻繁に登場する多種多様な生物、恐竜に焦点を合わせたのだ。

 日本の任天堂が作った仮想生物「ポケットモンスター」は、ボールごとポケットに入れて持ち運びできる小さな生物という設定になっている。映画、フィギュア、ぬいぐるみ、カードなど、ポケモン製品の幅広さには驚かされる。だが、わたしが最も驚いたのは、ほとんどすべての製品が、ポケモンを認識し、分類・命名するのに役立つようにつくられていることだった(190ページ)。

 最近、イギリスで行われた、学童を対象とする研究によると、平均的な八歳児はポケモンをとてもよく識別しており、そのおよそ八〇パーセントを識別できた。しかし、その子どもたちは、イギリスで一般的に見られる生物のことはあまりよく知らず、アナグマ、オークの木、野ウサギの写真を見せても答えられないことが多かった(191ページ)。


 さて、脳に損傷を受けた患者の症例から、どうやら環世界センスは側頭葉にあるらしいことは、ほぼ確定なようなんだけど、興味深いのは、ある患者さんは“生物だけ”分類がさっぱりできず(無生物は区別できる。生物カテゴリー特異性呼称障害と言う)、またある患者さんは“無生物だけ”さっぱり分類ができない(生物は区別できる)ということ。
 どっちも分類という意味では同じなのに、なんで生物か生物じゃないかでここまでくっきり分かれるんだ?って話になるんだけど、どうもこの両者は、分類をする上での“基準”が異なるらしい。
 私たちは、生物は外見、無生物は機能で区別しており、さらに生物の分類は、側頭葉の上側頭溝と側部紡錘状回、無生物の分類は、側頭葉の中側頭回と中央紡錘状回と、両者によって脳の活動する部位も異なっていることも分かっている(が、それ以上のことは未だに研究なう)。

第7章ウォグの遺産
 ウォグとは著者が仮定した、動植物に興味関心がある人間の祖先(類人猿)の名前。ウォグは自然を観察し、生き物を分類することが大好きで、生き物なんか興味ねえよていう類人猿のコブよりも多くの子孫を残すことができた。
 なぜならば、生物を分類して見分けるというのは、とどのつまり、それが食えるか食えないか、食われるか(危険な動物か)食われないか(安全な動物か)という、自然界でサバイバルするうえではとっても重要な判断能力だったからである。
 そして、このような環世界センスはなにもヒトに限ったものではない。ダイアナザル、ベルベットモンキー、アメリカコガラ・・・それどころかアメーバもやっているらしく(彼は単細胞の分類学者である)、そうなってくると、この「ウォグの遺産」は生物誕生の時から受け継がれてきた、すべての生物の生存にとってなくてはならないものだということになってくる。

第8章数値による分類
 生物の分類に数理的な統計学を持ち込んだパイオニア、ロバート・ソーカルの話。
 某超人のごとく、カンザス州にやってきたソーカルは生物に関する知識も、(デビット・ハルに言わせれば)複雑な関係性の中にパターンを認知する直感的能力(すなわちIQ)もなかった。 しかし、そんな門外漢だからこそ、ものさしと鉛筆、パンチカード(コンピュータ)さえあれば、旧来的な直感だよりの手法よりも、合理的かつ正確な分類ができると、分類学者たちにうそぶくことができたのだ。こうしてビール6缶パックを賭けた彼の戦いが始まった。
 同じ頃、ロンドンではピーター・スニースという若い医者が、「クロモバクテリウム」というマレーシアの病原菌を分類、教科書の分類では鞭毛の形(太いのと細いのの2タイプがある)で見分けましょうとか書いてあるのだが、実際に調べてみたところ、同じ細菌でも鞭毛のタイプが相互に素早く変わってしまうことがわかった。

 言ってみれば、細菌のそのときの気分によって分類しているも同然の頼りなさだった(227ページ)。

 なんだよこれ、しっかりしろよ細菌学者って感じだが、スニースは大人でいや!細菌が悪い!こいつらは他の生物と比べて、分類に役立つこれといった特性の差がねえ!と細菌の方に八つ当たりしてみた。

 細菌は人間の持つ環世界センスを容易に呼び起こさない種類の生物なのだ(228ページ)。

 この手の環世界センス(直感)に頼れない生物の分類をどうやったもんだろう。そう思った細菌学者は、とりあえず手当たり次第に特性を選んで、好き放題に分類をしてしまった。これはヤバイ。

 スニースにとって必要だったのはカンザスへの航空券だった。(略)ソーカルはすでにその問題を解いていたからである(229ページ)。

 ソーカルは、ハチの形質を数値コード化して(ここまでは実は従来の分類学者と変わらない)、それらの特性を直感ではなく、数式に当てはめて、近縁関係を並べていった(幸か不幸かソーカルにはハチに関する興味も知識もなかったので直感の働かせようがなかった)。
 全97種の計122形質、11834個の数値は“すべて同列に扱われ”、共通点の数だけ単純にカウントすることで作られた系統樹は、ハチの専門家(上司のミチナー教授)が知識と直感を駆使して作った樹形図とよく似ていたが、若干異なる部分もあった。
 これこそが数量分類学の誕生だった。環世界センスなしでも分類は(直感よりも正確に)出来たのである。

 数量分類学の降臨は単に数字だけの問題ではない。分類学者の生物界とのつきあい方や理解の姿勢が変わってしまったのだ。生きとし生ける物への没入とか感覚の饗宴はもはや分類学と関わりなくなった。いまや、分類学は器具で生き物の尻尾をつまみ上げ、突き放して観察し、レンズを通して冷徹に観察する仕事になったのだ(240ページ)。

 「分類学者はコンピューターに置き換えれば良いとおっしゃりたいのですか?」
 「違いますね。あなた程度だったらそろばんに置き換えれば十分です」(242ページ)


 しかし、この手法にも問題がなかったわけではない。これは、こしさんもよく指摘するんだけど。

 最大の難点は、数量分類学がつくる分類体系は(略)一般的な全体的類似性に基づく分類だった。数量分類学者が導いた樹形図は、最初にコンピューターに入力した数値、すなわち生物の群間に見られる全体的類似と相違の表のみを反映している。ダーウィンが求めてきたものへの回答ではなかったし、それを目指してもいなかった。つまり、数量分類学がつくった樹形図は分類学者にとっての究極目標である生物の進化的類縁関係を解明してはいなかった(244ページ)。

 その他にも(略)大きな問題があった。分類学者ならば誰もが承知しているように、ハチのもつあまたの形質の中から尾部の色彩パターンを選んでコード化するという形質の選択そのものが主観的な作業である。たとえ数値化されていたとしても、研究者が目に見える形質のどれを選び出すかによって大きくバイアスを受ける。観察が難しかったり、思いもよらなかったり、見つからなかったりという理由で、これまで分類学の解析対象になったことがない形質は山ほどあるだろう(245ページ)。


第9章よりよい分類は分子から来たる
 戦後、いよいよヘモグロビンやシトクロムCなどの分子を比較すれば生物を分けられるよという分子生物学が分類学に波乱を巻き起こした。

 分子生物学者は、分類学者に対して、生きものの外見なんか見なくていいし、むしろそうすべきだと主張し、いまや重要なのは目に見えないタンパク質とDNAなのだと面と向かって言い放った(261ページ)。

 その目に見えないタンパク質とDNAが、今まで環世界センスでは“見えていなかった”種――隠蔽種を次々に発見、見た目はそっくりなのに分子上は異なる種のサンショウウオや、サメ、ヘビ、エビ、チョウなどが次々に“発見”、挙げ句の果てには、環世界センスは「界」をまるまる見逃していたというのだ。これぞカール・ウーズが発見した古細菌、メタノコッカス・ジャナスキー!!(この学名キャッチーで覚えやすい。ジャナイ・ジムナスティクスみたくて)

 細菌と古細菌はそれぞれ大きなドメインを保有しているのに、お気に入りの生物たちが全部いっしょくたにせせこましいドメインに入れられているのを見た分類学者たちは唖然として言葉も出なかった。そんな分類体系は話にならない。肉眼では見えないちっぽけな微生物にそれほどの地位を享受するほど重要な違いがあるとはとても思えない(266ページ)。

 一九八〇年代半ばになると、分子分類学者と伝統的分類学者は正面衝突の様相を呈するようになった。その手の学会やセミナーは大入り満員で、生命の進化樹の真実は、これまでの定説どおり生物の形や大きさのような物理的性質を調べればわかるのか、それともDNAやタンパク質のような分子データを調べるかわかるのかについて、誰もが声高にときに口汚く言い合っていた(267ページ)。

 “ジェル野郎”(※DNAの塩基配列を調べる際の電気泳動法でゲルを使うから)と侮蔑されて呼ばれていた分子分類学者たちは、なじみのないサンショウウオや誰も知らない原始細菌の分類学を修正するだけにとどまらず、全生物の大分類そのものをやりたい放題に修正した。彼らは自然の秩序そのものを書き換え始めたのだ(274ページ)。

第10章魚類への挽歌
 ついに伝統的な分類学を完全に葬る分岐分類学の登場なんだけど、実はこの学問、ヴィリ・ヘニックという内気で物静かなドイツ人の昆虫学者が考えたんだけど、その後の数量分類学ブームのせいで、彼の『系統体系学理論の基本原理』(来るべき革命のバイブルとなる本である)は20年近くも無視されていたといういきさつがある。
 というのも、さすがジャーマン、彼の本はドイツ語ができる人でも難解で、そこで登場する造語――例えば「共有派形質」などが、どんなものを示す言葉かわかりづらく全然キャッチーじゃなかったのである。
 しかし、ヘニック博士と違って読みやすい本が書ける著者はさすがである。この初心者には苦痛な分岐分類学のメソッドが、284ページのポケモンみたいな可愛い珍生物のクラドグラム(進化の枝分かれ図)によって一発で分かるようになっているので、要チェキだ。

 ヘニックの規則を現実の生物と現実の分類に当てはめようとしたとたん、それが無害であるとはとうてい言えないことが明らかになった。“怒れる分岐学者”と言う前に、このいかれた新手の分類学者たちは、ナンセンスな分類を提唱しては、馬鹿げた変更を要求し始めた。彼らは論理を杓子定規に当てはめては、それから外れる人為的な分類群を追放し始めた。ガも無脊椎動物も魚類もシマウマも実在しない動物群であるという罪状で全て葬り去られた。さらに、鳥類はほんとうは恐竜だとのたまうにいたって、分岐学者のナンセンスは極まった。彼らは自らの分類こそ悟りの境地であって、それ以外のものは天罰を下すしかないと考えた(294ページ)。

 突如として恐竜は絶滅からよみがえった(301ページ)。


 こうして進化分類学VS数量分類学の戦いは、分岐学の参戦で三つ巴の泥沼となった。これにより、眠くなるほど退屈だった分類学者の会合は、TVタックル的なエンターテイメントになったという。

第11章奇妙な場所
 こうして客観的かつ合理的、そして非人間的な科学は、環世界センスという人間の先入観をとっぱらうことに成功した。
 しかし、それは同時に、生物学っていうのはなんか小難しくて専門家に任せとけばいいもんなんでしょう?というイメージも一般人に植え付け、生物や生態系に関する興味関心を著しく後退させた。別に熱帯林がなくなってどれだけの生物が滅んでも、オレたちには関係ないもんね~みたいな。
 そもそも関係があっても、その現状を正確に認識したり、具体的な対応策を講じたり、そのために運動をするなんてことは、素人には到底不可能なのである。なぜならば、プロの生物学者は環世界センスとは別の次元で研究を行なっているからである。
 そもそも思ったんだけど、環世界センスって多分グローバリズムとか、40億年近い進化の過程とか(原子力で出る放射線の半減期とかもそう)、そういうスケールのデカすぎる問題に関しては、歯が立たないんだろうな。人間が少数のコミュニティで、限定的な環境で暮らしていた時には、すごい役に立つ能力だったんだろうけど。
 じゃあ現代において環世界センスは何に役立っているのか?それはショッピングの際のブランドのロゴや、パッケージの判別である。今絶滅の危機に瀕している野生動物の分類にはあまり使っていない。
 しかし、今こそ環世界センスを使って、生物の多様性を認識しよう。だって厳密な科学を使うと、細菌、古細菌、その他の3種類しか生物いなくなっちゃうからな!

第12章科学の向こう側にあるもの
 分類学は、もともと科学ではなかったというまとめ。人が生きるための本能的な欲求だったんだと。
 ちなみにアリおじさんEOウィルソンは、地球上の既知の生物種180万種すべてをエンサイクロペディア(百科事典)にまとめる一大プロジェクトをやっているらしい。まさに博物学2.0!
 あと、著者がとにかく魚が好きっていうのがよ~く伝わる。・・・今度魚の本書けば?w

 ヒトの環世界センスを本気でよみがえらせようとするには、クジラを魚と認識する程度では十分でない。わたしたちはありえないほど馬鹿げた可能性をも許容しなければならない。例えば、地上を駆けまわる巨大なヒクイドリは哺乳類であるとか、ランを親指に見立てるとか、コウモリは鳥であるという分類もありえる(349ページ)。

 ・・・とうとうすごいこと言い出した著者。でもこれくらい言わせてくれよってくらい、今の分類学って窮屈なんだろうな。
 ネットでもたまに分類オタク(分類ポリスでも良い)にイライラさせられるんだけど、キャロルも三中も言ってたけど、そもそも分類なんてもんは、夜空の星を星座に区別するようなもんだからね。そこまで重箱の隅をつついて目くじら立てることないだろっていう。

 つーか分岐分類だってクジラは魚でしょ?ってね。
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