『芸術による教育』の要約⑩

 第10章は、何と6ページ程しかありません。

10.「第10章 環境」要約
 ここでは、教育は適切な世界の選択であり、教師は子供とその環境の調停者であるというブーバーの主張に基づき、芸術教育における適切な環境、つまり学校のモデルを提案している。望ましい学校の法則としてリードは、「学校の提供する環境は、人工的であってはならない」「学校が、心地よい比率や調和的な色彩をつかさどる単純な法則を満たすべきである」「学校は工房であって美術館ではない。創造的活動のセンターであって、学問の為のアカデミーではない」「環境は、行動の自由、歩きまわる自由を保障するものでなくてはならない」などの条件を挙げ、その具体的事例として、実際的で機能的で、かつ美しいモデルであるケンブリッジシャー州のインビントンにあるヴィレッジ・カレッジを紹介し、その設計図を掲載している。

『芸術による教育』の要約⑨

9.「第9章 教師」要約
 この章でリードは、芸術教育の教師の理想を、教育における創造性を重視するオーストリアの哲学者マルティン・ブーバーの主張を引用することで考察している。
 リードは、教師と生徒のあるべき関係を、師匠とともに暮らし、知らず知らずのうちに直接的な人生の奥義を学ぶような師匠と弟子の関係に例え、教師はこのように、「あたかも意識していなかったように」行動するべきであると述べている。リードが理想とする教師は自分自身を教育し、メタ認知する。これは自分自身と孤独に向き合うのでなく、意識的に周囲の世界に自分を関わらせることであり、生徒の教育は常に教師の自己教育につながるのである。さらに教師とは個人と環境を結びつけるもの、調停者(産婆役)であり、感覚の働きによる無意識の社会的統合を欠いてはならないとも付け加えている。
 リードは教育者ではないが、『芸術による教育』執筆準備の際に、多数の学校を訪問し授業を観察したという。そこで導き出された結論とは、教育の最高の結果は、指導体系や教師の学問的な資格とは関連してはいないということ。そして優れた教育的成果は、学校あるいは学級における教師の「包容」の才能による、子どもたちとの共感的な雰囲気を作り出すことにかかっているということなのである。

『芸術による教育』の要約⑧

 ひええ、眠い!トリケラトプスよ俺に力を~!今日だけ(日が変わったけど)で、原稿用紙60枚分くらい書いてるぞ・・・(先週壊れたところ書き直してます)でもあとちょっとで完成だ。リードさんモチベーション下がったのか、この章あたりから一気に文章量が減るんです。よってこちらの要約も短文でOK。

8.「第8章 規律と道徳の美的基盤」要約
 第8章でリードは、個人と社会の適応について考察している。
 リードによれば、そもそも規律は教育と同じ意味を持っていたが、教育が公共の組織的なものになった時、教育は自然で調和的なコントロールを子どもに教えることを放棄し、恣意的な強制を子どもに課すようになったのだと言う(エスタブリッシュメント批判であろう)。リードは子どもが社会環境へ適応する際に、秩序維持のシステムである規律は不必要であり、それはむしろ子どもの社会性、集団内における協力と自治の自発的な発生の妨げになると論じている。そして子どもたちによる自発的な社会は、調和の取れた決まりを生み出すのだと指摘している。ピアジェの研究からリードがまとめたとおり、大人はあくまでも子どもの協力者であり、主人ではないのである。
 この章のリードの主張は、子どもの集団の自主的な活動によって、自発的に発展したパターンこそが真の規律であるということである。

『芸術による教育』の要約⑦

7.「第7章 教育の自然な形式」要約
 第7章では、第6章で取り上げた無意識の統合を実現するような教育方法を模索している。
リードはまず芸術教育を、「自己表現」「観察」「鑑賞」の三つの側面に分け、自己表現の活動は一般的に教師が教えられることではないと明言している。技術にしろ形式にしろ自己表現における外部の基準の適用は禁止や抑圧を含むからである。芸術教育において解決すべき問題は、子どもの絵が、ある絶対的な美的基準に従うかどうかではなくて、美的表現のいくつかの類型のうちの一つと関連付けられるかどうか、さらには、それ独自の美的範疇を構成するかどうか、ということであると論じるリードは、教師とはもっとも謙虚で慎み深い人間であるべきで、教師の義務は、子どもの社会に適応する有機的な過程を見守ることだとしている。
 このような教育観を当時のイギリスの行政は全く欠いていたわけではない、とリードは述べている。教育省の諮問委員会の報告や、1983年度版『教師の為のてびき』では学校教育における美術の有用性に少なからず触れている。しかしリードは、教育行政はカリキュラム全体に含まれる教科の相互関係には触れなかったと指摘し、学校生活のすべての側面に美的な基準を導入することを提案するのである。
 リードが提案する教育モデルとは「初等教育段階のすべてにおいて、個別の教科が現在持っている、明確で人工的な輪郭をなくし、全体的な創作活動へと溶け合うという、統合された計画の上に再編成されるべきである、ということを意味し」(1)ている。そして第1章で論じたように、ユングの心理類型を用いて学校のカリキュラムを、演劇は感情的側面、デザインは感覚、ダンスは直感、そして工芸は思考のように分類し、この四つの芸術活動に基づいてすべての教科教育は行われるべきとしている。

演劇(感情)・・・発声、文学、英語、歴史
デザイン(感覚)・・・絵画、彫刻
ダンス(直感)・・・音楽、体育
工芸(思考)・・・算数、幾何学、園芸、生物学、農業、裁縫、物理学、化学、物質の構造、食物や肥料の組成

 この四つの芸術活動の方式には、それぞれ方式教師と言う主任教員を置き、その下で助教師が具体的に学級やグループを導いていく、大変興味深い教育モデルをリードは高案しており、これはつまり子どもの気質をふまえる教科横断型の柔軟なカリキュラムを実行する一つの例なのである。


1.ハーバート・リード著 宮脇理 岩崎清 直江俊雄訳『芸術による教育』(フィルムアート社2001年)「第7章 教育の自然な方式」254ページ

『芸術による教育』の要約⑥

6.「第6章 無意識的な統合の形式」要約
 この章で主に取り上げているのはフロイトやユングなどの心理学である。
 
 人間の精神生活は単純なものでない可能性は、原始的な社会を構成する民族にも確認できる。(アニミズム・魔術的な信仰)そして、F・フォン・ハルトマン(フロイト以前の無意識理論の研究を総括した人物)以降、無意識の仮説は精神分析によって広く認知されることとなる。そもそも意識とは、気がついている状態であり、主体・客体・その二つをつなぐ感覚器官を含んでいる。人間の感覚は不断であるが、注意深く集中しなければ、感覚の内容について意識するようにはならない。
 この意見についてリードはピアジェを例に挙げている。ピアジェによる子どもの「唯我論」とは、自分と同じ感覚を他者も共有しているとみなす、自己と世界の混同である。このことは、子どもの自己の意識は、初期の運動には生得的に備わっていないことと、他者の行動と共に経験される接触の相関として徐々に子どもの感覚の内容が明確化することを示している。

 意識と無意識の論考をする前段階として、リードは次に中枢神経系における「三種の中枢」を区別したパブロフをとりあげる。パブロフの三種の中枢とは以下のようなものである。
①皮質に最も隣接した神経節の皮質下の中枢組織 
複合無条件反射、本能の部位・・・感情、欲望 空腹、自己防衛、性的興奮を担う。※無条件反射(種族反射)とは生得的な反射。先天的、本能的なもの
②大脳組織 (大脳半球の灰白質の大部分)
条件反射、一時的反射 感覚知覚器官を通して生命と外界の橋渡し。大多数の動物では最も高度な精神活動。※条件反射とはある条件化において個体レベルで獲得する反射。
③第二の組織の基礎の上に形成される器官
直接的な投影の活動を総合し一般化する。抽象の能力を実質的な基盤として作用。 

 このような脳の構造の分布は、フロイトが三層に定義した精神的人格(イド、自我、超自我)の身体的所在を示す可能性を示唆するとともに、意識がゆっくり段階的に発現する漸進性を、系統発生、個体発生の両面から説明するものであるとリードは指摘している。
 またパブロフによれば、心理学や生理学の最新の学説では、意識とは複雑な精神構造、あるいは条件反射が形成され分化が進んだ領域であるとし、人間の物質的、社会的環境に対する関係から発展したものであるという仮説を支持している、とされている。つまり意識とは、高度な精神領域であり、それは環境に対する適応の産物ということである。

 そこでリードは、意識が(社会的経験と個人的教育によって形成されるような)相対的なものであるならば、環境や訓練を根本的に変えることによって修正できることになると論じる。そして、そのもっとも根本的な変化は「話す」能力の発明であるとした上で(この機能の重要性は晩年のパブロフも注目していたという)リードの観点では、人間の言語機能と文化の発展の関連性を見いだすことは重要であるとしている。
 またパブロフは人間の思考について興味深い見解を示している。パブロフは思考とは三層の覆いに覆われて発現するとして、もっとも真実に近い「行動」、次に真実に近い、文字や図形といった「記号・象徴」、最も表面的である「言葉による交信・話し言葉の記号体系」の三つを定義した。この見解を受けてリードは「話し言葉とは、人間にとって、自らの思考を隠すものであるだけでなく、思考そのものが、感情を偽るものであるように思われる」と論じている。

 心を意識と無意識の二つの層に分ける考え方は、フロイトによる「自我」「超自我」「イド」の三つに分ける考え方へ転換することになる。この精神の三つの要素は明確な境界によって隔てられているのではなく、異なった濃度の液体の層が変化したり、浸透し合っている(グラデーション)。
 リードはフロイトやユングの学説を丁寧に紹介しているが、注目すべきは昇華についてだろう。リードは昇華を個人と社会の均衡をもたらす心的作用であるとして、そのような均衡をもたらす過程のモデルとして、初歩的で未発達な精神活動の形式が、感覚によって提供された創造的イメージを形成するという=結晶化が生じる可能性を示唆している。

 またリードはユングの集合無意識について、それを明らかにするためにマンダラを分析している。そこでマンダラ的配置(四面構造)の傾向は東洋、西洋、古代、中世問わず普遍的に現れることを発見し、中学生のマインドピクチャーを特徴によってグループ分けすることで、集合無意識の存在をさらに確かめようと試みた。するとどのグループにも十字形や四面分割といった一貫性がみられ、さらにより組織だったイメージは、バランスの取れた安定した性質の子どもたちだけが描けることを考察している。普遍的で組織だったマンダラは深い無意識の状態の状態に入りこんだときにだけ到達可能であり、元型的秩序は個人的なものではなく、感覚器自体の身体的構造の相関物であると論じている。
 では、なぜマンダラやマインドピクチャーがどれも同じような四面構造のような規則性を示すのか、それは元素の周期性、蜂の巣、結晶など自然界に見られる数学的規則性と同じく美的な普遍性が、人間の精神にも存在しているからであり、意識の層の下で起こる過程、活動は不規則で未発達なイメージを、調和的なパターンへと整えていく傾向があるのである。そしてあらゆる平静さと知的な統合の基礎である精神の均衡は、意識下の層にある形態的要素の統合がなされた時のみ可能である。それは特に創造的な活動によって行なわれ、環境への適応の基礎をなすと論じている。

 リードは、国家的社会主義の合理的な制度が非現実的で成功しないのは、論理的で、個人の自発的な創造性を抑圧し、美的な構造をしていないからであると述べ、本書によって述べられている「広い意味での教育」が、生命がその自然の創造的な自発性を十分に発揮させて生きること、感覚的、感情的、知的に十分に生きることを確かにするとしている。
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