『マイクロワールド』

 記念すべき700本目の記事はマイクル・クライトン先生が贈る最後の大冒険!

 翻訳者の酒井昭伸さんのあとがきが泣けた。『ジュラシック・パーク』以来クライトン作品の翻訳をやってきましたがこれで最後になりました・・・くうっ、本当お疲れ様でした!

 2008年に亡くなられた先生の遺作は『ネクスト』だったんですが、その後、先生のパソコンに書きかけの小説のデータが残っていることが分かり、そのひとつがカリブ海の海賊の話、もう一つがナノテクを題材にしたテクノスリラーって発表されていた。
 私が気になったのは後者の「ナノテクを題材にしたテクノスリラー」って方だった。

 知っての通りクライトン先生は同じ題材の小説を二度と書かない。ナノテクは一度『プレイ』でやっちゃったから、それは『プレイ』の第二案とかなんじゃないの?とか思っていた。
 しかし最後に公開された「ナノテクを題材にしたテクノスリラー」は『プレイ』とはまったく異なる世界の話だった。

 最初に感じたのはこれは逆ジュラシックパークだ!ってこと。
 ご存知のとおりジュラシックパークでは馬鹿でかい爬虫類の怪物に学者たちが襲われたわけだけど、同じようなシチュエーションを恐竜や架空の怪獣を使わずにリアルの世界でやれる方法を先生は思いついたのだ!(いや正確にはずっと昔に思いついていたらしい)

 あ、ガリバー旅行記をやろう。と。

 この手のシチュエーションは、まあ『ミクロキッズ』とかでもあるし、最近では『借りぐらしのアリエッティ』とか『ナイトミュージアム』のイーハーでもやってる手垢のついたガジェットなんですが、ちょっと待ってくれ。
 そんなベタなガジェットでも調理の仕方によってとっても新鮮なものが書けるんだって!

 オレたちみたいな凡才は巨大な怪物を出すときに、ウルトラマンとかゴジラとかを真っ先に考えちゃうじゃん。
 でもそういった「作り物」よりも、もっと怖い怪物の世界がある。それは実際の自然界だ。それも身近でありながらあまり目に止めない世界。昆虫や土壌生物の世界。

 よくよく考えたらこの地球は「節足動物の王朝」って説がある。種の数も数え切れないほど多いし。
 ならば貧困な想像力で嘘くさい怪物を作るんじゃなくて、実際にいるおぞましい習性を持つ昆虫をそのまま出してしまえばいい。人間の方を縮めちゃって。
 そしてそこで繰り広げられるのは仁義なきスターシップ・トゥルーパーズ!

 すげえ!宇宙戦争やらなくてもスターシップ・トゥルーパーズってできるんだ!ってもう大感動。最後の最後までその発想に驚かされました。

 いや本当に、身長2センチにされた哀れな大学生に襲い掛かるのはスターシップ・トゥルーパーズのアラクニドに匹敵する――というかあっちがパクったんだけど、実在の節足動物たち。
 最近は写真の精度もあがってすっごいアップの昆虫の写真とかあるじゃないですか。それこそハチやクモの表面に生える毛の一本一本までわかる高解像度の拡大写真。
 あの大きさで連中が人間に襲い掛かってくることをちょっとリアルに考えてみよう。悪夢そのものじゃないですか?人間様がちっぽけな虫けらに殺される皮肉。

 クライトン作品に通底しているのってなんというか「人間の傲慢さ」の批判なんだよね。本書にも書いてあるけれど、環境保全も環境破壊もどっちにしろ人間はこの地球で虫けらのようにちっぽけな存在だという事実を認めたくないだけ。
 実際にはちょっとした自然災害になす術なくやられちゃうんだけれど、そういう無慈悲な世界にかろうじて「平和で豊かな世界的なもの」を作って生きている。
 
 例えば生物多様性や生態系の保全を訴える人たち。まあそれはいいんだけれど問題は我々がどれだけの生物や生態系に関するデータを持ち合わせているかだ。
 一説には、というか事実なんだけれど、研究者も結局は人間だから爬虫類とかよりも感情移入しやすい哺乳類や鳥類を研究する人の方が絶対的に多いんだって。

 つまり生物全体で考えたとき把握しているデータにとんでもない偏りがあるわけだ。結局、地球や生物の多様性を守ろうって言ってもプログレ系な微生物になんてみんな興味持ってないとは、大学の博物学の先生の愚痴なんだけど(苦笑)、確かにみんな遠い北極にいるクマには感情が動いても、足元で踏みしだかれている土の中にもうひとつの宇宙があるってことには気にも止めない。

 そんな世間の欺瞞をクライトン先生はどうしても嗅ぎつけちゃって皮肉りたくなるようだ(こんなことやってんの日本だとたけしさんくらいだよな)。

 では若い人間は、いかにすれば自然界で経験を積むことができるのか?理想を言えば、多雨林で――あの広大で居心地が悪く、危険に溢れ、それでいて美しい環境で、しばしの時を過ごすことだ。そうすれば、先入観などはたちまち木っ端微塵に吹き飛ばされてしまう。

 本書の書きかけのまえがきでクライトン先生はバッサリ言い捨てる。自然界は両面性がある。理想通りの面もあれば、目を背けたくなるほど残酷で攻撃的で、暴力的な現実もある。
 そんな公平な現実の自然界をちょっとバイオレンス寄りで書いたのが、この『マイクロワールド』なんだろうな。

 とはいえこの小説4分の1しかできてなくて残りはクライトン先生のアイディアのスケッチや集めた資料をもとにジャーナリストのリチャード・プレストンさんが補完している。
 だから、まあ、先生の真意がどこからどこまでなんだかはわからないけど、何も言われなきゃクライトン作品であることに疑いのないくらい雰囲気は踏襲している。

 でも先生がいないから、設定や伏線の回収に困ったものも結構あった感じがして、なかでも一行の冒険になぜかついてきた、デリダやフーコー・・・ポスト構造主義、科学的言語コードを専門とする東浩紀っぽい院生は結局何のために出てきたのかわからなかったw
 メインキャラで唯一この人文系だから『タイムライン』のスターン(こちらは文系パーティで唯一の理系)みたいに、なにか一行の生還の鍵を握っているのかと思ったんだけれど。

 でも意外なキャラがあっさり殺されたり、意外なキャラが生き残ったりするので、勧善懲悪でお馴染みのクライトン作品にしてはけっこう展開を裏切られるかも。いや最後まで読むとちゃ~んといつものクライトン的結末なんですけどねw

 今回とりわけ印象的だったのは、リック・ハターという植物の薬効について研究している皮肉屋。この手の、クライトンのテーゼを(誇張して)代弁するようなキャラはこれまでも『ジュラシック・パーク』のマルカム博士や、『恐怖の存在』のMITのケナー教授とか色々いたんだけど、今回のリックはいつになく嫌われ役なのが面白い。

 もちろんマルカムもケナーも人気者なキャラだったか?って言われれば・・・ガッツリ嫌われてたけど彼らを嫌ってたのは結局悪役で、最終的にマルカムらの言うとおりになって「ほら、みたことか」ってなってたわけ。
 でも我らがリックはなんと悪役ではなく味方パーティにすげえ嫌われている。これはクライトン先生的になかなかメタな変化球で楽しかったw

 あと、サイズ縮小マシン「テンソルジェネレーター」(ようはドラえもんのスモールライトや、『怪盗グルーの月泥棒』の縮ませ光線銃ね)の技術や原理的な秘密も、読んだ感じどうやらもうひとひねりあったっぽいんだけど、そこらへんの謎は先生が天国に持ってっちゃったんだろうなあ。
 でも翻訳者の酒井さんがあとがきで展開した推理はなかなか面白かった。もう20年以上の付き合い(?)でしたもんね。

 さてこの小説、人によっては描写がグロすぎて映画で見たくないっていう人もいるんだけど、現代の優れたCG技術を用いて、前述した美しくも不気味な拡大昆虫写真の世界を映像化して欲しいというのはある。
 特にハチが人間の宿主に卵を産み付けたり、アシダカグモというクモが体外消化で人間を食い殺すシーンはどんなホラー映画よりもグログロなので見てみたいなあ・・・と。
 クモってまずは獲物をウィダーインゼリーのように加工してから食べるんだね。図鑑では「クモは体液をすすります」くらいしか書いてないけれど。
 でもこれホラーの過剰演出じゃないからね。今もどこかで起きてるんだろうな。

 それこそ私の部屋のすぐそこで。

マダガスカル2

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ ババア 計測不能」

 君に会えるのを支えに毎日頑張れた。

 シリーズ物のたどる宿命みたいなものなのかもしれないけど、たいていの場合1(第一作)が一番テーマ性がしっかりしていて、2、3と進むにつれ最初に明示したテーマがボケるという印象がある。
 もちろんそれが全てというわけではなく、例えば『トイ・ストーリー』の三部作だとそれぞれに異なるテーマを与え、どの作品も完成度の高いものとなっている。
 でも、やっぱりそれは稀な話で、普通はジュラシックパークシリーズになる。つまり劣化していくと。

 1というのはそう言う意味で続編が決定されていないから、とりあえず1だけでちゃんと完成させてしまおうと構成をするわけ。
 最近ではハナからシリーズ物の企画もあって、例えば『ハリーポッター』や『指輪物語』『アベンジャーズ』関連作品などがそうだけれど、普通は一回勝負。だから1って大抵、シリーズで最も完成度が高い。

 で、この1が完成度の高い作品であればあるほど2は辛い。2は辛い。
 みんな1の感動を期待しているけれど、もうそれは1で一回やっちゃっているわけだから、実は同じ感動なんてできるはずがない。同じことやったって「またか」になって驚かないわけ。
 さらに全く別物の映画を作るわけにもいかないから、結局中途半端なものになってしまいがち。

 じゃあどうすれば面白い続編って作れるんだろう?って考えた時、やっぱり方法は限られていて、①前作で描ききれなかったキャラクターの内面を深く掘り下げる方法か、②設定や舞台、状況を大きく変えて同じキャラクターを放り込んでみるか、くらいしかないと思う。
 主人公以下登場するキャラクターを全部取っ替えてもいいんだけど、それは広い意味で①になるかもしれない。つまり主体を変えるか客体を変えるかしかない。
 で面白いことに①をやるには②を変えるのが効果的なんだよね。結局客体によって主体は影響を受けるわけだから。

 この方法(住む世界が変わるとキャラも変わる)は『マダガスカル』は1作目からやってて、それが作品のテーマにもなっていたから当然の判断だったんだと思う。
 で2の冒頭で早速マダガスカルから脱出してしまう一行。

 もう『マダガスカル』じゃない。

 そして次なる舞台はアレックスたち本来のふるさとアフリカのサバンナ。マダガスカル以上に野生の王国といってもいい舞台設定だが、1で描かれた弱肉強食のシビアな部分は2では丸投げされ、この大陸では肉食獣も草食獣も仲良く自然保護区で暮らしているという設定。
 1のメインテーマであった部分をすっかりなかったことにして2を作っているあたり、やっぱり能天気なアニメだよw

 じゃあアフリカはなんの心配もない動物園並みの楽園なのかというと、今回は人間たちとの対立を持ってきた。自然保護区の外では密猟者がうろついていて出たら最後殺されてしまうというのだ。
 そんなライオン以下すべてのサバンナの動物が恐れる人間のエリアをまるで通り魔のようにジープを奪って移動するペンギンズ。
 しかしその被害者の中には前作でアレックスをノックアウトした、あの恐るべきおばあちゃんがいた・・・!

 おいで、子供達。あたしらニューヨーカーだろ?
 食べ物が欲しけりゃ美味いホットドッグ屋をあさってきた。寝床が欲しけりゃ高層ビルを建ててきた。水が欲しけりゃでかいダムを作ろう!
 あの街でやれるならやっていけるさ、どこだって!


 なんとこのおばあちゃん、元ガールスカウトでアフリカのサバンナに取り残されてもたくましく文明を作り、その結果アフリカの自然を大きく変えてしまう。
 このあたりすっごいコミカルだけどなかなか示唆的で、実際ケニアか何かの野生動物保護区では現地の人が農業のための用水路を建設したせいで、動物たちの方へ流れる水が枯渇し多くの動物が乾きに苦しんだという。いやこの問題はまだ現在進行形なのか。
 そう考えると人間の存在っていうのはなかなかの原罪なんだなあ、と思う。人間側から見ればおばあちゃんほど頼もしい人はいないんだけどね。

 さてアフリカで本来あるべき場所へ戻った4頭。しかしその現実は弱肉強食設定がなかったことにされたとは言え、なかなか厳しいものだった。
 歌と踊りが好きな平和主義のエンターティナー、アレックスは群れのリーダーになるために暴力的な決闘をする羽目になるし、自分が個性的で才能あふれるシマウマだと思っていたマーティは自分レベルのシマウマが何万頭もいることにショックを受ける。さらに病弱なキリンのメルマンは忍び寄る自身の死の恐怖に凹み、ええと、カバのグロリアだけはジャグジーで山寺宏一と楽しんでました。

 ここら辺のアレックスたちが立ち向かう新たな問題は、彼らの友情の再確認というテーマとなかなかマッチしていてとっても上手い。
 ただ1といい、せっかく設定や内容は素晴らしいんだから、もうちょい真面目にやればいいのに『マダガスカル』ってよくも悪くもちょけちゃうからあと一歩で感動作じゃないんだよな。そこが好きなんだけどさ!

マダガスカル

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ ババア☆☆☆☆☆」

 それは君が彼のディナーだからだ。

 この前『マダガスカル3』見たので、そもそもこのシリーズってどういう話だったんだっけ?と気になって、前2作をおさらい。
 1はすっごい前にWOWOWかなんかで見たことがあったんだけど、正直ちゃんと見てなくてどんな話かすっかり忘れてた。

 こんなシビアな話だったとは…!

 ブッシュ大統領の夫人が子供たちに読み聞かせた絵本で『ひとまねこざる』っていうのがある。
 この絵本、自分も小さい頃に読んだことがあるんだけど、アフリカで黄色い帽子のおじさんに捕まえられたおさるがニューヨークに連れてこられて騒動を起こし、最終的に動物園で平和に暮らしましたというあらすじ。
 土着性の伝統や文化を否定し近代主義を刷り込ませてしまうアメリカニズムを象徴する内容の絵本だ!と深読みした人もいたんだけど、単純にキングコングニューヨーク襲来を可愛くしただけな気もする。

 で、この『マダガスカル』はそんな『ひとまねこざる』と逆パターンで話が展開される。つまり動物園で安全に飼いならされたアフリカの動物が野生に憧れ脱走するというお話。
 そう考えるとこの映画はアメリカニズムの否定なのか?と思うけれど、案外そうでもない。野生に憧れて動物園から逃げ出すのは好奇心の強いシマウマ「マーティ」(…とペンギンズw)で、他のメインキャラ3頭は生粋のニューヨーカー。
 特にライオンの「アレックス」は動物園のお客を楽しませることに生きがいを感じているプロのエンターティナー、ニューヨークの外で暮らすなんて彼にとってはありえない。
 また病弱なキリンの「メルマン」は、専属の医療スタッフやCTスキャンまで持っていて、なんだか知らないけれどここ、動物の待遇がやたらいいんだ(笑)
 こりゃあ動物園から出たくないわけなんだけど、それでもマーティは未知の世界が気になって仕方がない。

 そしてひょんなことから・・・というか半分以上ペンギンズのせいでニューヨーカーの4頭はマダガスカルに取り残されてしまう。
 夢にまで見た野生の王国にマーティは大喜び、都会派のアレックスは冗談じゃないと島からの脱出を試みるが・・・
 しかしマーティが夢見た理想と違い、自然界は甘くない。弱肉強食の世界はアレックスとマーティとの関係を本来の捕食者被食者の関係に変えていく。
 極限状態に立たされたアレックスとマーティは本能の壁を乗り越え、友情を選ぶことができるのだろうか?

 うおなんてまともなストーリー!

 私『マダガスカル』ってノリが馬鹿だから、食物連鎖とかそんな面倒な設定ほん投げて踊るのスキスキ!ってやってるだけかと思ってたら、それが結構しっかり食う食われるをやってて、あのキングジュリアンですら、ちゃんと自分たちの種族が被食者だって自覚があったってのに驚いた。
 で、島のフォッサという肉食動物(マングースみたいの)から群れを守る用心棒としてアレックスを迎え入れるところとか初期のジュリアンって馬鹿なように見えてちゃんと王様してたんだ~っとほっこりw

 で、話を戻す。それで結局この映画は『ひとまねこざる』のようにアメリカニズム――近代合理主義の肯定なのか?・・・ってそこまで深く考えてないよ小林先生!

 終わらせ方ひどいもん。

 ちなみに彼らが動物園(近代合理主義)を選ぶかどうかは3のラストで描かれる。彼らが最終的に選択するのは、安全で快適だけれど人間に管理された家畜のような生活か、はたまた自由だけれど自分の責任は自分の命で支払う危険な自然界か?
 そう考えると3の結末はなかなかのらりくらりって感じで、マダガスカルシリーズらしいいいところ突いたんじゃないかと思うなあw

『マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論』

 著者はスコット・マクラウド氏。19日の『アベンジャーズ』オフ会の際に、パキPさんに貸していただいた絶版本。

 漫画についての本は日本にもそれこそたくさんあるけれど、この本は漫画家志望者が読むような漫画の描き方本ではない。漫画表現の構造を学術的に考察した研究本なのだ。
 漫画を連続性の芸術とし、コマとコマの非連続的な構成に対して、読者が連続的な意味性を能動的に補完するような、漫画特有のコンテキストについて言及するところとか、まるでエイゼンシュテインの映画論のよう(カットがコマになったような感じ)。

 というわけで「漫画文化は日本が世界一。アメリカごときに漫画が分かるのかよ」と馬鹿にしていた岡田斗司夫さんも、どっぷりハマってしまい監訳までやってしまったという、とってもインテリジェンスで読み応えのある本なのです。
 
 かくいう私も、後半の「美術史において絵画表現が再び意味性を重視しだした」っていうところあたりからすっごい面白くなってきちゃって、あとはもうあとがきまで一直線!
 漫画は恥じることのない日本の文化だ!というなら、私たち日本の読み手もこれくらいまで学術的に漫画を理解しても楽しいと思う。
 ※でもこの本、漫画で書かれている割には前述したとおりかなり内容が硬派で、正直一気読みはすっごい疲れます(経験者は語る)。

 まあそんな感じで本書は、美学的文脈から漫画という表現手法を1から定義していく。例えば、中世以降まで優れた美術作品はないと言われていた英国ロマン主義の画家ホガースを漫画の文脈で紹介するあたり、すっごい新鮮。
 漫画を取り巻く状況は日本よりもアメリカのほうがアゲンストなのかも。だからこそ著者は、古代~現代に至る全ての美術を振り返って、漫画の文脈が美術史にどのようにコミットしていたかを丁寧に論じていく。漫画だって立派な芸術なのだ、と。

 また『マンガ学』170ページからの「作家の6つのステップ」は私たちワナビ必読の章。
 6つのステップとは「1発想と動機」「2表現形式」「3文法」「4構成」「5技術」「6外観」なんだけど、著者のスコット・マクラウド氏曰く大体の漫画家志望者は6⇒1に進んでいくらしい。
 でも私の場合はストーリーから作っていくからこの6つのステップは全く逆で1⇒6に進んでいくんだよなあ。
 ・・・というか、6⇒1って優れた鑑賞者(受け手)が歩むステップじゃないか?とも思う。作家の精神性に他者が接近するときこの順序で紐解かれるような。大体は6どまりか、よくて5。

 またこの章でとりわけ印象的な「見てくれだけ良くても齧ってみると…からっぽだ(179ページ)」というちょっと毒のあるアナロジーは、粗造乱造されている「ゆる萌え漫画」に近いのかもしれない。
 私が思うに、この手の漫画は、その空っぽの空間に読者がアイデンティティを能動的に補完しているから意味(面白さ)が発生しているのであって、あのジャンルにあるのは器(場)だけのような気がする。
 だからこそこの手のジャンルにちょっとでも批判的な意見があると、ファンは脊髄反射的に反論してしまう。自分のアイデンティティを批判されたと勘違いしてしまうから。

 しかしアメリカっていうのは宗教のせいか、文化や歴史のせいかわからないけれど、どんな分野でもリアルにしっかりコミットするようなところがある。サブカルチャーと揶揄される漫画や映画の世界でもそう。
 リアルからの逃避のための文化というよりは、人がリアルに直面するためのきっかけになるような文化を作っているところがかっこいい。

 アメコミの方が日本も漫画よりも全面的に優れているとは思わないけれど、日本の漫画にはない勉強になるところはいっぱいある。
 そのひとつがこの「リアルを主題にすることから逃げない」という点だ。お説教臭くなくエンタメの形をとりながら、それでもできることはある気がする。最初から空気読んで諦めちゃなあ。表現者なんだから。

 そんなわけで『80日間宇宙一周』アイドル編を公開に踏み切った。もうなにも怖くない。いや怖いけど。すっごい怖いけど。

あの夏、いちばん静かな海。

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆」

 あの~すいません。9万8千円の奴、1万円になりませんか?

 なるわけないだろバカヤロウ、お前らなめてんのか。


 マロさんおすすめのたけし映画。実は私たけしさんかなり好きだけど、たけし映画ってそんなに見てない。深夜テレビでやってたらちょっと見るくらいで。
 で、この映画は1991年に撮られたたけし映画の第三弾。91年だけあって、作中でチキンタツタ食べてたりいろいろ懐かしい。あの箱・・・!

 たけしさんが今も仏壇で毎日手を合わせている人で映画評論家の淀川長治さんがいる。なんと淀川さんはこの映画を日本映画史の中でもトップクラスの出来と賞賛。
 おそらく当時は「なに芸人ふぜいが気まぐれで映画撮ってんだ、甘くねえぞバカやろう」くらいの風当たりはあったと思うんだけど、淀川さんの評価で本当に風向きが変わったのかもしれない(サーフィンの映画だしね)。
 私の好きな映画で『レミーのおいしいレストラン』ってのがあって、そこに出てくる料理評論家アントン・イーゴー先生は「評論家とは新しい才能を見つけ守ること」と述べている。
 そう言う意味では「世界のキタノ」と呼ばれる映画監督北野武が今いるのも淀川さんのおかげなのかもしれない。

 昨今ネットの進歩で誰もが評論家気取りで、他人の作った作品に偉そうに審判ができるようになった。しかし私たち素人の評論もどきと、評論家の評論ってひとつ違うことがある。
 それは評論家の評論は、評論だけで独立したひとつの作品であるということ。つまりそう言う意味で評論家もクリエイターなのだ。
 だからこそクリエイトするものへの敬意っていうのがあるんじゃなかろうか、と。いい作家はいい評価をしてくれる支援者がいて初めて成功する・・・ええと、そこらへんは『レミー』の記事で言ったかw最近話す内容がかぶってきたなあ、ブログの記事もそろそろ700に登るしね。

 キタノブルーと言われる映像美と、どこか不思議で物悲しい音楽は秀逸。特に音楽は冒頭からこの映画の独特なテンポや雰囲気を象徴し・・・ちょっと眠くなったけど、あれ?この音楽なんかラピュタっぽいな?と思ったらやはり久石譲さんだったw
 あとたけしさんってあまりカメラを動かさずに引きとよりのメリハリを付けるよね。そして画をほぼ真横からぶち抜く。それもひとつの絵画のような構図で。
 この映画は特にそんな傾向が顕著に現れていて、この手法はアウトレイジの冒頭のシーンとかでも効果的に使われている。あれは真横じゃなくて真上なんだけど、それでも俯瞰とアオリをあまり使わないのは印象的だ。

 ぶっちゃけ作中セリフはほとんどない。おしゃれなサイレント映画を見ている感じ。主人公とヒロインがまったく喋らず(というか喋れないんだが)、二人を取り巻く脇役にセリフがあるというのはかなり実験的。
 哲学的な話だけど、実はこれってルビンの壺(知らない人は検索して)みたいなもので、背景を描けば、おのずと背景の中にいる絵の主題って浮き上がってくるもんなんだよね。
 つまり主人公を喋らせなくても、その周りにいる舞台、人物、間を固めれば、主人公は切り取られてキャラだちしてしまう。私たちは白い紙の上に生きているわけじゃない。主体は客体なしでは存在できない。
 最近書いた『80日間宇宙一周』の脚本も実は一番先に決めるのは、どの惑星を舞台にして、その惑星がどんな社会構造かを決めること。社会を決めれば、そこに生きる人って大体決まってくる。それを究極的に突き詰めれば、こういう映画の形になるのかもしれない。

 雰囲気を感じるというこの手の映画といえば、やっぱりこの前見た『おおかみこどもの雨と雪』だけど、あれからあざとさを引いてかなり抽象化させればこれになる気がする。
 『おおかみこども』はこれと同じようなことがやりたいのだろうけれど、かなりわかりやすく作っちゃったって感じだ。その点、岡田斗司夫さんが言うように水戸黄門のような大衆娯楽作品なのだろう。
 私はこういう言葉で語れないような、考えるのではなく感じさせる映画って個人的にはあまり好みではないのだけど、この映画の方がアートに近いのは何かわかる。
 ある種、一切の情念性を排除し淡々と構成されたオプティカルアートというか。それなのに情念が醸し出されるあたり…やっぱり、たけし監督只者じゃないですね。

 しかし、本当たったこれだけの要素で恋愛映画が作れちゃうってことだよな。安部公房が水嶋ヒロと同じようなことをたった数ページでもっと上手に作ってたのと一緒かも。

 さて物議を醸したというラストシーン。黒澤監督は蛇足と言ったそうだけど、確かに「蛇足」とも言えるし、たけしさんが言うように「サービス」とも取れる。
 そして・・・本当におこがましいのだけどソニックブレイドのラストに似てる。
 だからあの意味が結構わかる(その解釈で合ってるかどうかは知らない)。う~ん、この前見たロボットSF映画『アイアンマン』といい、ソニックブレイドを描かねばならんぞ。つーか締切りがあるんだけど。

 あとアウトレイジ ビヨンドが楽しみでたまらない!

 誰がまたヤクザやるって言ったんだよ!?
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