『大衆の反逆』

 そのことの善し悪しは別として、今日のヨーロッパ社会において最も重要な一つの事実がある。それは、大衆が社会的権力の座に登ったという事実である。大衆というものは、その性質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかないことである。したがってこの事実は、ヨーロッパが今日、民族や文化が遭遇しうる最大の危機に直面していることを意味しているわけである。こうした危機は、歴史上すでに幾度か襲来しており、その様相も、それがもたらす結果も、またその名称も周知のところである。つまり、大衆の反逆がそれである。

 良識ある大人が控えたほうがいい話題がこの社会にはある。野球、宗教、そして政治だ。
 でも、そういったリアルにはあった“タガ”がネットでは匿名性が強いということで容易に外される。それどころか、ネット上の“彼ら”は選挙が近づくと、積極的に政治的なアクターたれとご親切にも呼びかけてくるのだ。投票に行かない奴は非国民だ、などと。
 参政権は義務ではなくあくまでも権利であって、行くも行かないも個人の自由なわけだし、また、今回の参議院選挙もなんだかんだで新たに選挙権を得た高校生はよく投票に行ったほうだと思う。半分弱はわざわざ投票したわけじゃん。えらいよ。
 もし自分が高校生だったら絶対に投票に行かなかっただろうよ。それは政治に興味がないというよりは、ネット上で繰り広げられる政治的発言の応酬が、あまりに低次元で「うんこチンコば~か」と同レベルであり、また、一生懸命運動している人たちが、実は政治学的な素養が大してなく、不勉強であることの後ろめたさも、知的好奇心もなく、なんとなくの正義感で動いていることを私は知ってしまったからだ。理屈じゃなくて情で動く人たち。これが私には怖すぎる。
 さらに、学生の分際で偉そうに政治について語るのは、差し控えたほうがいいんじゃないかという後ろめたさが、学生時代のあだ名が「バカ」だった自分にはあるからだ。つまりバカが政治に目覚めるとロクなことにならないという。もちろん、賢い高校生はどんどん選挙に行ってもらって、つーか立候補もしてもらって全然いいんだけど、普段大して政治なんかに興味のない人が無理して行く意味ってあるのかなってすごい思う。投票率の低さが、世論のアンサーだっていうことだってあるしな。
 よく、ケンドーコバヤシさんみたいなよしもとの芸人が「(政治的な話題は)オレたちには分を越えた問題っす」みたいな、謙虚で上手ないなし方するじゃん。あれが、政治に対するたった一つの冴えたやり方に思えるくらいに、デモクラシーがとんでもない衆愚制で、ヘタに関わるとしちめんどくさいことになっちゃうという現実をネット社会は露呈した。

 国家(ステート)とは、つまるところ世論の状態(ステート)、一つの均衡状態、静態なのである。
 ところで、応々にして世論が存在しない場合もありうる。一つの社会が意見を異にする集団に分裂していて、それぞれの意見が相殺されるような場合には、支配権が構成される余地はない。そして、自然は真空を忌み嫌うものだから、その世論の力の不在がもたらす空白を凶暴な力が埋めることになる。そして最悪の場合には、その暴力が世論の代用品となるにいたるのである。(『大衆の反逆』183ページ)


 そんな悲観論を、こんなふうに、100年ほど前に指摘した人がいた。それが、スペインのジャーナリストのオルテガ・イ・ガセットだ。
 この本は何年か前に購入して、途中まで読んで長らく紛失していたんだけど、この度ベッドの下から発掘され、ついに読了した。このタイミングで、この本を再び読めたのも何かの縁だなってことで、ここにまとめることにしました。
 ちなみに、ムシのいい話だけど、私の現代政治に対する悲観論、また、社会の構造についての考え方は、このオルテガのものにかなり近い。これはただの偶然で、例えば私はこの世界を、小さなツリーとその何倍もある巨大なリゾームで構成されているという、二段構成で考えているんだけれど(三中さんから着想を得た世界樹の理論)、これはオルテガで言う、貴族と大衆の考え方とほとんど一緒だ。

 人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な欲求をもたない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮漂のような人々である。(19ページ)

 案の定というか、この本は当時のエリート階級に売れに売れてベストセラーになった。そして当然ながら、エリート支配を正当化すると多くの批判も起きた。当然だろう。最後まで読んでみると、最後の最後、たった6ページの最終15章で、いろいろとすごいこと言ってる(オルテガの言う慢心しきったお坊ちゃんは、ニーチェの畜群や、西部邁のピュエリリズム※文化的小児病、諏訪哲二のオレ様化に近い)。
 だから、ネット上でも何人かの知識人は本書を時代遅れのブーメランだと論じているんだけど、私が思うに、むしろ時代遅れどころか、現代の状況にそのまま当てはまるだろという。
 だいたい、こういうテーゼが何故SNSで炎上してしまうのか、どうしてネットと相性が悪いのかを考えてみればいいわけであってさ。
 そもそもネットというのは、ウルトラ均質社会なわけであって、どんな著名人であろうが、それこそ大統領であろうが、立場はフラットでなければならないという強烈なピアプレッシャー(理想的な前提といってもいい)がある。
 したがって、オルテガのような一段上からのメタ的な評論は、ネットムラ社会には重大なルール違反と認識され、彼らの自尊心を大きく傷つけ、「何様だ」「天つばだろ」と怒りにイグニッションというわけだ。
 ここで私が強調しておきたいのは、彼らは論の内容から袋たたきをしているのではないってこと。彼らにとって最も重要なのは、発言者の姿勢が自分たちと対等な、フラットな立場かどうかなのだ。その時点で、オルテガの論が的を射ていることが明白ではないか!

 大衆とは、良い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。(17ページ)

 実際、エリート支配の肯定という批判については、オルテガの主張したいこととポイントがずれているように思える。彼は「選ばれた少数者」(エリートでも貴族でも哲人でも良い)と「大衆」を、格差社会や階級社会のようにスタティックに対比はさせていない(18ページ)。
 オルテガの言うエリートとは地位や立場、権力の有無ではなく、心的態度――世の中に対する向き合い方を指しているわけであって、身分や地位がエリートだからエリートというわけではない。したがって、かなり流動的なモデルを想定しており、例えばエリートでもコンスタントに努力し、苦しみもがくことをやめ、「めんどくせえや」と思考停止してしまえば、大衆に二軍オチするし、その逆も然りというわけだ。
 とはいえ、その比率はパレートの法則のように、ある程度決まっていて、8:2か9:1かはわからないけれど、多数の大衆が少数の貴族によって駆動されるという構造自体は変わらない。まさにツリー・オブ・ワールド。

 オルテガはさらに大衆を以下のように定義する。

①文明社会が飛躍的に進歩したことで初めて大量に現れるタイプの人間である。つまり原始的なふるまいをするものの、その起源は極めて新しいものに由来する。自由主義しかり、デモクラシーしかり、工業化しかり、科学技術しかり。つまりオルテガによれば、大衆社会は決して社会の没落を意味しない。むしろ史上最も進んだ社会でこそ初めて大衆というパラサイトは出現するわけだ。

②そして大衆は、自身を生み出し、また、成立させてくれている、これらの政治哲学や科学技術の原理にまったく興味関心を持たず、もっと言えば、それらが、空気や自然などと同様にあらかじめ存在し自動的に機能しているものだと考えている。人工的なものだという認識すらないわけだ(=歴史の素養がない)。
オルテガによれば、これは科学者においても同じであると言っているのが面白い。今日の科学は複雑化、細分化が著しく、自分の専門分野以外はまるで無知だという点で、たとえ科学者であっても大衆とメンタルは変わらないのだという(専門主義の野蛮性)。

③したがって、大衆の唯一の関心事は自分の安楽な生活(デカダンス)だけであり、社会的な責任感はない。

④さらに、便利な生活に慣れてしまったため、大衆は自分自身を万能のチートキャラだと思っている(現代の消費社会はコンシューマーが私は神だと勘違いするほど無限の選択肢が与えられている)。つまり彼らの辞書に反省はない。神だから。ゼロ距離のパトス。

⑥となれば、責任は全て自分以外ということになり、安楽な生活が脅かされると、一転して他人に八つ当たりする。

 まとめるならば、オルテガは、それがたとえ優れた自由民主主義であれ、マルクス主義であれ、何も行動しないで外部から必然的に提供されるものが未来だと思っている人が嫌いなのだ。オルテガが理想とするのは、運命を自分で切り開こうと地道に努力する人だ。

 進歩主義者は立派な未来主義の仮面をかぶりながら、そのじつ未来には無関心である。(62ページ)

 現代社会は人類史上多くの甘ったれを養うことを可能にしたが、となれば相対的にエリートと大衆の比率は変わり、大衆の面倒を見る物好きなおせっかいは足りなくなってしまう。
 つーか、そんなおせっかいなどもうすでにいないんじゃないか、また、いなくてもテクノロジーでなんとかカバーできてるんじゃないか、そういう楽観論もあるだろう。
 さらに、そういうおせっかいはどんなに時代が変わろうが一定の割合で存在し続けるという考えもあるだろう(私はこっち)。
 いずれにせよ、オルテガはこの大衆の反逆社会を分析こそしたが、解決方法を示さなかった。この状況は桃鉄で桃太郎ランドを最大限増資したような、社会の発展が行くところまで行ったら遷移的に現れるクライマックスとも考えられるから、解決するようなことでもないのかもしれない。
 しかし、ひとつだけオルテガは気になることを指摘している。このクライマックスは陰樹林のように安定した状態を維持するものではなく、本質的な不安定さを持つというのだ。
 それは、自民党が選挙で大勝(なのか?)し、憲法改正(=明治憲法の復活?)がいよいよ現実味を帯びたことに大きく関係する。ちょっと長いけれど、自分が読んでてゾッとしたので、引用。
 
 いっさいの過去を自己のうちに縮図的に蔵することこそ、いっさいの過去を超克するための不可避的な条件である。過去と戦う場合、われわれはとっ組み合いをすることはできない。未来が過去に勝つのは、未来が過去を呑み込むからである。過去のうち何かを呑み込みえないままで残すとなれば、それは未来の敗北である。
 この両者――ポルシェヴィズムとファシズム――は、ともに似て非なる夜明けである。それらはいずれも明日の朝をもたらすものではなく、すでに一度ならず何度も何度も使い古された古風な一日の夜明けをふたたびもたらしたにすぎないのである。要するに両運動とも野蛮性への後退なのだ。過去を消化吸収する方向を取らずに、過去のこの部分あるいはあの部分というふうに過去の一部と単純に格闘を演ずるという愚かさを犯す運動は、すべて野蛮性への後退なのである。
 一九世紀の自由主義が超克されなければならないことに疑問の余地はない。ところが、これは、ファシズムのように反自由主義を宣言するものがなしえないことなのである。なぜならば、そうした態度――つまり反自由主義的態度、あるいは非自由主義的態度――こそ、自由主義以前の人間がとっていた態度だからである。そして、一度自由主義が反あるいは非自由主義に勝利を収めたのであるから、自由主義の勝利が今後も数限りなく繰り返されていくか、さもなくば、すべてが――つまり自由主義も反自由主義も――ヨーロッパの破壊に終わってしまうかのいずれである。生には仮借なき年代記がある。その年代記において、自由主義は反自由主義よりも新しいのである。(132ページ)

(略)

 いっさいのアンティは、単純で空虚なノーに他ならないのである。

(略)

 したがって、過去を克服する唯一の方法は、それを放り捨てることではなく、過去を考慮に入れ、常に目前に置いて、これを避けるようにふるまうことである。(134ページ)


 つまり、大衆社会で度々取りざたされる近視眼的で短絡的な反対運動は、歴史観の無い人々にはキラキラした新しいものに映るけれど、実際は過去のNG例への先祖返りに過ぎないというのだ。安倍さんがよく言ってた、戦後レジームからの脱却!とかも聞こえはいいけど、じゃあ戦前に戻るってことかいっていう(^_^;)
 実際、世界各地で歴史的に懸命に勝ち取ったものが投げ売りされようとしている。立憲主義、自由権、平等権、社会保障、人種差別の撤廃、平和主義・・・これこそが大衆の反逆の恐るべき本質なのだろう。ハリウッド映画もリメイクばっかりだもんな。

マイケル・ムーアの世界侵略のススメ

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 僕は国防総省にアドバイスを求められた。ほとほと困っている。第二次大戦以降勝てないのだ。

 昨年度お世話になった学校に顔出した帰りに『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』を鑑賞してきました。
 軍の依頼で、世界を侵略するために空母で海を越えたムーア監督。その目的は、アメリカをさらに強い国家にするために、他国の素晴らしいアイディアをリサーチし、持ち帰ること。そして、みごと侵略を完了した(=暖かく冗談だと受け取ってくれた)国には星条旗を掲揚!
 そんなあらすじもあってか、今作は軍産複合体がテーマだと聞いていたんだけど、実際はヨーロッパ各国の社会保障や公共サービスのお話だった。スパイ映画っぽいの冒頭だけねww

 作中の侵略順で行くと・・・

イタリア
軍事的驚異は軍艦2隻。著名人はイエスとドン・コルレオーネとマリオ。有給休暇が年に八週間も取れる国。ムーア監督が、アメリカに憧れを抱くイタリア人の旦那さんに、アメリカの有給休暇の日数(=0)を言ったら絶句してました。
また、縫製工場とバイクで有名なドゥカティに突撃取材。イタリアの企業では労働組合が強いし、むしろ組合の要求が結果的に生産性を上げることがわかったため、CEOは積極的に労使交渉において歩み寄りを見せている。工場に直接足を運ぶCEOなんてアメリカにはいない!とムーア感激。

フランス
アメリカの給食事情は、栄養士学会などにもジャンクフードの資本がガンガン入ってて「ピザは野菜」などとのたまうくらいにひどいことになっている。
そのため、アメリカの子どもは肥満なのに栄養失調になっているのだが、欧州一の農業国フランスの学校給食は、なんとシェフがコース料理を作ってくれる。しかも給仕つき。
フランスの学校では1時間かけてゆっくりと食事を楽しみ、マナーを勉強するのだという。食事は社交でもあるもんね。
そんなお上品なおフランスの給食指導に、ムーア監督がアメリカ名物コカコーラを密輸!フランスの子どもにどうしても、この黒い液体を飲ませたかったらしい。「15分後に体調を教えて」
で、フランスの学校にアメリカの給食の写真を見せたら「犯罪現場みたい」「こんなもん食わされている子どもたちが可愛そう」などと言われた。

 フランス人の同情はきつい。

フィンランド
個人的には一番興味深かった。子どもの学力トップクラスの教育先進国として知られるフィンランドだが、その機密情報が遂に解禁!
それはなんと、授業時数削減&宿題廃止&統一テスト廃止だった!
つまり、昨今失敗だったと批判される“ゆとり教育”が北欧の国では大成功、エアギターや携帯投げ大会、妻運びレースといった素晴らしい文化を生んだという。
さらに、フィンランドはアメリカや日本と違って、詩や美術や音楽といった芸術教科もちゃんと確保しているそうだ。受験に出ないから、とか、将来役に立たないから、などというつまらない屁理屈で削減はしない。
ちなみにフィンランドには私立校がないそうだ。しかも公立校は、どの学校も同じレベルの教育サービスを提供しているため、バウチャーなどの問題はない。
子どもはお受験など無い世界で、地域の様々なバックボーンを持つ子たちとふれあうことで、異なる立場の人と理解し合うことを学べる。つまり教育の共産化がうまくできている。

スロヴェニア
ラプンツェルや眠り姫を生んだおとぎの国スロヴェニア。この国には伝説上の生き物がいる。借金なしの大学生だ。スロヴェニアは大学の学費がすべてタダで、しかも海外の留学生もタダなので、奨学金返済問題に悩むアメリカの学生も留学しているという。

ドイツ
面白みゼロの国。ドイツ人は勤勉だと知られているが、実はその労働時間は、あのギリシャよりも低いというのは、この本でも言及されていたとおり。
ドイツ人は、勤務時間中はきっちり真面目に働くが、終業したら残業など一切せずにとっとと帰ってプライベートを楽しむ。このロボットのような切り替えが凄い。
ほいで、キリスト教の影響なのか、ドイツ人は労働=ストレスと割り切っているところがあって、仕事のしすぎで疲れた人にはホテル三日月的なスパをタダで利用させているという。
さらに、ドイツの歴史教育にも言及。ドイツの石畳の地面には自分の祖先が虐殺したユダヤ人の名前が刻印されており、また、迫害時代の看板もあえて残しているという。まさにヴァイツゼッカイズム。
日本だとこういうの自虐史観とか批判されかねないけれど、ドイツでは当事者でもない若い世代も、しっかりと自分の国がしでかしちゃった歴史的な事実に向き合っている。それに対してアメリカは奴隷博物館ができたのはつい二年ほど前だそうだ。

ポルトガル
ポルトガルでは麻薬は自己責任ってことでポルノやネット同様規制されてない!その分、中毒者などを治療するサービスを充実させた。すると面白いことに、麻薬の利用者数はかなり減ったという。禁止するとかえって好奇心が・・・ってやつなのか(^_^;)

ノルウェー
ノルウェーの刑務所はめちゃ快適。囚人は自分の個室の鍵を自分で管理している。刑務所はあくまでも更生施設であって、シャバで不遇だった犯罪者に社会人としての自信や希望を与えている。
そして入所の際に刑務所側が見せるVTRが凄い(We Are The World を所員みんなで熱唱)。
看守は囚人を守るための存在なんだそうだ。看守が囚人をタコ殴りにする某刑務所と大違い。
これは何十人も罪のない人を殺したネオナチに対してもそうで、あくまでも公平・公正に裁判を行い、懲役21年の実験判決をした(ノルウェーに死刑制度はない)。
ポルトガル警察も、ノルウェーの犯罪被害者の遺族も、同じように主張していたのが、死刑は人間の尊厳を踏みにじるということ。
これは今の日本じゃちょっと考えられないよな。私は個人的に死刑は反対なんだけど、そんなこと言うと、お前は被害者の苦痛がわからないのか!って袋たたきに合うもんね。そういう問題じゃないだろっていう。実際加害者の家族が自殺しているという事実はあまりマスコミは流さないしな。
でもさ、ノルウェーの犯罪者の再犯率って世界最低なんだよ。一度犯罪した人を社会がつまはじきにしてりゃ、そりゃまた犯罪やっちゃうよな。社会に居場所がないんだもん。
犯罪者に限らず日本って社会から事情があってリタイアした人にすごい厳しいし、しかも手に負えないのが、リタイアしちゃって不遇な立場な人が、そういう同じ立場の人に対して優しい言葉をかけるのではなく、社会から隔離しろ~!って叫んでいることが多いっていうね。泥仕合だよね。

チュニジア
作中で唯一のアフリカの国。宮田律さんの『現代イスラムの潮流』にも書いてあったけど、この国って、イスラム国家の中でもかなり西欧化(政教分離)が進んでいる。
だから、保守政党も国民の世論を受けて潔く退陣し、女性のスカーフは国家がとやかく言うことじゃないということにした。

アイスランド
ラストが女性の社会進出著しいアイスランド。アイスランドって何年か前に、ほとんどの銀行が潰れて大変なことになったんだけど、その時に唯一黒字を出したのが女性が頭取をやってた銀行なんだって。
女性は慎重で、競争が好きな男性のように実体のない危ない取引はしないからなんだという。もしあの投資銀行がリーマン・シスターズだったらニューヨークで金融恐慌は起きなかったっていうのは笑ったw
しかし、ここでアイスランドの悪徳銀行家をしょっぴいた“マイティ・ソー”が出てきて、リーマンショックの時のアメリカの銀行家はみんなちゃっかり罪を逃れたのに、アイスランドにはこんなヒーローがいんのか、みたいな流れになるんだけど、この人が助言を仰いだ師匠がなんと『キャピタリズム~マネーは踊る~』で、サブプライムの欺瞞を追求したウィリアム・ブラックだったのだ!

 アメリカ以外にアメリカンドリームを見るようだった。

 そっから、実はムーア監督がアメリカに持ち帰ろうとしていた世界各国の素敵なアイディアは、実は全部アメリカ発祥のものだったと畳み掛ける。さすがアメリカが超大好きな愛国者ムーア!この展開はなんとなく読めたけど、ラストは割とほっこり。ムーア監督もなんつーか年取って刺が取れたよね(^_^;)
 『ボーリング・フォー・コロンバイン』とか『華氏911』とか、以前はかなりショッキングな題材のドキュメンタリーをとってたけど、そういう、うお、これ見せちゃっていいのか、みたいな衝撃映像は、この映画ほとんどなかったもん。強いて言うなら、ドイツのスパのシーンでモザイクなしでアベックの性器が映ってたところくらいかなあ・・・ってそれはそれですごいのかw裏シネマ。

 フランス人「我が国は民主主義と実存主義を生んだ。それとフェラ。」

 アメリカ人「完敗だな。」

ファインディング・ドリー

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ 八代亜紀さん☆☆☆☆☆」

 忘れたってまた見つけられる。

 ここんところアリス、エメリッヒと大変懐かしい続編が続いてるんですが、とうとう大トリがやってきた感じ。
 なんと一作目は13年前!私もずいぶん遠いところまで来ちゃったなあ・・・大学時代この育児あるある映画を一緒に見に行ったクラスメイト、みんな結婚して子ども産んでるもんな(^_^;)
 しかし魚の世界で実際に13年も時間を経過させちゃうと、おそらく健在なのがウミガメのクラッシュだけになってタートルトークになっちゃうので、前作の1年後ということにしたらしい。
 そういや、なんか公開前日にテレビで一作目が放送していたようだけど、これは私は見なくて正解だった。この映画で一作目と全く同じシーンが出てくるんだけど、その瞬間のフラッシュバックの感動がすごくて、うおおおお!こうつながったのか~~~!!と。ド・・・ドリーの過去少ね~~~!!!!!!!!って大爆笑www

 しかし、バディ物の『トイ・ストーリー』は除いて、『カーズ』や『モンスターズ・インク』などのピクサーの続編って前作の割と冴えないタイプの準主役を主役に差し替えてくるんだけど、今回もそのパティーンを断行したようだ。
 これって日本のサブカルチャーじゃなかなか考えられないんだよな。やっぱり日本って美男美女じゃなきゃ主役はダメみたいな暗黙のイケメン至上主義があるからさ。だって、『魔法使いサリーTHEムービー』でよし子ちゃんは絶対主役にならないじゃんw
 そこが、ピクサーが持たざる者、欠落した者に優しいアニメ会社と呼ばれる所以よ。ほいで、おんぼろレッカー車や、全く怖くないオバケで主役の映画を作ったという自信が、とうとうアニメ史上最も主役で動かすのが難しいであろう、健忘症のナンヨウハギのロードムービーを生み出した。

 いちばん素敵なことは偶然起こるの。それが人生。

 私って、アニメ映画を見るときは特にそうなんだけど、脚本家目線で鑑賞しちゃう癖があって、こんな厄介な設定のキャラは自分には動かせねえなって思うもの。
 普通主人公って、理想や目的があって、その壁を乗り越えることで成長、勝利し一件落着みたいな動きをするんだけど、室井滋はその目的が定期的にリセットされちゃうから、自分で物語を動かせないんだよ。星のカービィスーパーデラックスかっていう。
 実際スタッフもかなり難しかったようで、物語の前半部のエンジン始動がいつもよりもちょっとスムーズじゃないというか、軽くエンストしてた感じはしたよwあの手練ぞろいのピクサーにしては珍しいというか。
 これは『シビルウォー』や『ズートピア』など、最近のディズニー作品でちょっと気になるところなんだけど。ちょっともたつくというか。方向性を見せあぐねてるというか。情報量が多くて洗練できてないんだよね。個人的には私は冒頭はシンプルなのが好きだからね。
 
 話を戻そう。じゃあどうやってこの問題を克服したかって言うと、やっぱり頭いいんだよね。主役が主役として無力なら、主役の頼りなさを見かねた周囲の魚介類が善意で助けてくれるという、ハートウォーミングな構造にしたわけ。
 このテーマを見せられてさ、私は昨年度お世話になった特別支援の有名な先生が言っていたことを思い出したんだよね。

 できないものはできないでいい。できる人が代わりにやってあげればいい。

 だから、ハンディキャップを持つ子ども(SEN)を育てる上で一番大切なことは、困っていたら周りの人が手を差し伸べてくれるような、そして、自分からも素直に助けを求められるような、そういう人に育てること、みたいな。
 つまり愛されキャラになれっていう。これは一見、温かい言葉な気もするけれど(まあ実際自分なんかもこの言葉に助けられたんだけど)、一面ではすごいシビアな現実を見越して言ってるよね。ハンディキャップもあって、なおかつ嫌な奴だと、ホントにもうどうにもならないぞっていう。
 だから、人に対する親切だとか感謝とかは結構厳しく指導していた気がする。世の中が善意で成り立ってないことは事実であって、事実だからこそ善意を信じて生きていくしか道はないんだよっていう。

 こういう優しいながらもシビアなところを付いてくるのが、やっぱりピクサーだよなあって。これが『ズートピア』だと、その部分が良くも悪くもメタ的なんだよね。だからオタクとか社会問題が好きな人は面白いんだろうけど、そして人種差別というナイーブなテーマだけにメタにやるしかなかったっていうのはあるんだけど、やっぱり私は身につまされるのが好きなんだ。
 泣いて感動して「あ~いい話だった」で終わっちゃうのは、自分と関係がないからなんだよね。アメリカの移民問題なんかも正直、日常的に興味を持って考えたりしないわけじゃん。
 でも、そういう大きな物語じゃなくてさ、どこかで困っている人を見かけたら、気兼ねなく声をかけて助けてあげたり、その逆に自分が困っていたら、つまらない見栄を張らずに誰かに助けを求めるっていうシチュエーションは、けっこう身近にあることだし、意外と恥ずかしかったりして、できないもんなんだよね。
 でも、それが社会を成立させる上で一番大事な基礎の部分なんじゃないかって思うんだよね。作中でも言ってたけど、難しいことを考えずに、私が出会った人はきっといい人って根拠もなく信じる心。
 そんなもん、弱肉強食の競争社会じゃ絶対にいの一番にやられちゃうはずなのに、そういう人がダーウィン的に淘汰されずに存在するという事実。アメリカやイギリスやフランスやトルコのことは大きすぎて分からないけど、そこから考えていくしかないんだと思う。

 海には壁はないんだよ。

主要三教科について

 現在私は、小学校と、中学校の社会、理科、美術、高校の地歴、公民、理科、美術、あと特別支援教育の資格を持っている、もしくは取得見込みなんですが、ここまできたら主要三教科も攻略したいというか、行くとこまで行ってみっかって思ってて、じゃあその三教科からどれを選ぼうかなって考えると、こんな感じになります。

国語
現役時代最も得意。おそらく単位は無難に取れる。
でも出来るのと教えられるのは違うというか、正直もっとも教えるのが難しいと思う。
実際、国語の成績なんて中学校までなら小手先の受験テクでどうにかなるかもしれないけれど、高校以降は、もうそういったルーティーンワークじゃ通用しないし、ぶっちゃけどれだけコンスタントに本を読んでいるかで決まるところがあるので、「本を読め!」としか言えない。
自分の経験で言えば、ある程度いろんな本を読むと、論説文なんかはお決まりの展開というか、パターンが何種類かに収斂してくるっていうのを、感覚的に感じ取れるようになるんだけど、これは意外と言語化して一般的な法則に落とし込むことが難しいので、やっぱり読書の習慣がない人には厳しい。
ここらへんはスポーツと一緒で、いくら逆上がりの原理を物理的な式で頭で理解しても、実際に練習してみないとできるようにはならないじゃん。体で覚えようっていう。
あと、教える側になって辛いなって思うのが、記述問題の採点。こんなん数値化できるようなもんじゃないじゃんね。明らかに文法が間違っているならやりやすいんだけど、解答者のテーゼをどこまで汲んでやるかっていう、芸術教科的な採点者の主観が入るんじゃないかっていうやるせなさ。
実際、定期テストで最も採点に時間がかかるのが国語だという。

数学
自然科学の言語と呼ばれる分野。現役時代は理解が遅く、むしろ苦手教科だったが、数学者藤原正彦さんの「数学のテキストは一日で1~2ページ分理解できれば上出来」という言葉に勇気をもらう。自分は、ただ公式を丸暗記する授業に抵抗があったので、こうなったら独学で一から理解していこうかな、と。
しかも、今年度は何の因果か臨時免許状を発行してもらって数学の授業を担当しているんですが(未だになんで自分が数学を教えているかわからない)、これがなかなか面白い。
数学って抽象的な学問なので、相手の理解できていない箇所がほかの科目に比べて露骨に分かるんだけど、それが、まるで人間の思考や認識のプログラムコードを覗いているような感じで新鮮。ちょっと特別支援で教えてた感覚と似ている。
実際、自分も抽象化しすぎると、まったくイメージが追いつかずチンプンカンプンなので、文字式なんかもXをグリコに置き換えたりしてます。
しかし、予備校時代に最初に受けた全国模試で高得点を一度だけとっただけで、基本的に自分の数学力は良くて高校一年生レベルなので、代数学とか解析学とかの単位が取れるかかなり不安。
でも教えてみたいのは国語よりは数学。まあ今も合法的に教えてはいるんですが。正直、私の専攻は美術だからね。

英語
最も苦手。でも最終的に学問の世界を目指すなら、やっぱり論文は英語で書けなきゃダメなわけじゃん。そう言う意味でいずれは立ち向かわなきゃいけないよなあって。
あと英語って本当世界をつなぐというか、外国の人としゃべりたい時は英語できないとどうしょうもないからね。で、私は基本的に会話が好きだから、英語しか喋れない人ですごい会話してみたい人さえできれば英語しゃべれるようにはなるんじゃないかって気がする。オーラルコミュニケーション。
でもさ、本家のアメリカ人ですらなかなかできないと言われる、文法やライティングはやっぱり辛い。あっちって読書したり文章書けるだけでインテリ層ってところあるし。だから、日本みたいにあちこちに書店があるって、やっぱり日本人の知的水準が高いってことなんだよね。
ほいで、この教科に関しては教える自分は全くイメージがつきません。むしろ、純粋に自分のスキル向上のために学ぶって感じ。
そういや、この前、英語が得意な木村くんに「田代普通にできるから」という根拠のないお墨付きをもらったんだけど、私はこういうことを言われると本気で受け取る得な性格をしているので、いけるのかもしれない。実際、家にドイツのブレーメン市議会議員さんが遊びに来たとき、ある程度英語がしゃべれた・・・気がする。
ちなみに、大学の英語は大きく英文学か言語学に分かれるらしい。出来る出来ないは置いといて、どっちも面白そうではある。バーナード・ショーとか、テニスンとか、キーツとか。

 ・・・で熟考を重ねた結果(※5分間)、なんとなく今年度は理科を学んでいるので、理科に最も近い数学を選んでみました。で、今なんとなく後悔してるんだけどね。
 でもまあ、長い夏休みが始まることだし、勉強と思わずにある種のパズルゲームだと思って苦しみもがきます。途中で挫折したらすいません。群論とか得意な人、連絡お待ちしてます。
 今後は数式をキーボードで打ち込むことが多くなるだろうから、新しいワードをボーナスで買わないとなあ。未だに2003年使ってるんだけど、コイツ数式ツールがないんだよw

インデペンデンス・デイ: リサージェンス

 「面白い度☆☆ 好き度☆☆☆ エメ度☆☆☆☆☆」

 なんだ、世界の終わりじゃないとお前に会えんのか。

 ということで、私もジェフ・ゴールドブラムさん目当て(だけ)で見に行ってきました。相変わらず背が高くてニヒルでかっこよかった。
 相変わらずといえば、エメリッヒ監督も良くも悪くも全く成長しておらず、薄い脚本、短絡的な展開、無駄に多い登場人物はいまだ健在!(いやダメだろ)もうここら辺は“あえて”やってるよね。なんつー自虐的続編w
 前作のダメなところをしっかり継承!「ダメじゃなかったらインデペンデンスデイじゃない!」って作り手がちゃんと認識!そして3作目作る気満々! あれ?ってことはコイツ認識してねーぞ!!wwwああ、楽しいww
 
 というわけで、こんな映画観させられてるのに、エメリッヒ監督の評価が下がらないのがすごい。そもそもエメリッヒ監督作品に作りこんだ脚本なんかハナから期待してないわけであって。苦節20年「エメリッヒ監督だからいいか」っていうポジションを獲得!みたいな。
 だから、この映画ホント、もう、アメリカ文化に対する偉そうな皮肉でもなんでもなく、純粋に完成度が失笑レベルなんだけど、あら不思議、そんなに腹が立たないっていう。
 むしろ見終わったあと、ちょっと清々しいっていうね。おせっかいな幼馴染キャラのように、「まったくもうエメくんったら~」みたいな、微笑ましい気分になれます。
 くっ、ローランド・エメリッヒめ、なんつー愛されキャラw忍城の野村萬斎か。
 
 とはいえ、もう、いい加減、『スターシップ・トゥルーパーズ』も『ヒックとドラゴン』も『オール・ユー・ニード・イズ・キル』もそうだったけど、敵が真社会性昆虫みたくて女王コケれば皆コケる的な倒し方やめようぜ!現代型の驚異って某テロ組織も半グレ犯罪集団もそうだけど、ヒエラルキー的な組織構造がないところが厄介なわけじゃん。
 そういう実態のない敵と戦うっていうのがほとほと嫌だから、せめてフィクションでは「こいつさえ叩けば戦争は終わる!」ってしたいんかな。そんなノリでブッシュさんやオバマさんはフセイン大統領やビン・ラディン師を処刑した感はあるけど・・・
 ニンテンドーウォーって言う言葉があったけど、現実の戦争に全クリはないからね。フセインさんラスボスじゃないからね。
 それにエメリッヒよ、続編を作るくらいなら別に作中で完全に駆除する必要もねえじゃねえかっていうwなんか夕方のニュース番組の特集でよくあるスズメバチハンターみたいな流れになっちゃってきてるから!!www

 そこらへん情勢をしっかり心得てるのが昨今のディズニー及びマーベルだよな。最近だと『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』の敵が“時間そのもの”で、やっぱり倒しようがないっていう(敵ですらなかったという)。マーベルと手を組んだディズニー最近調子いいんだよなwちょっとソツがなさすぎてムカつくけどねw
 やっぱり完璧な人よりも、手を差し伸べたくなるような愛されキャラのほうがいいのかもねw

「ジェイク・モリソン」
マイティ・ソーの弟。「うおー!」と叫べばどうにでもなってしまう系のパイロット。

「レガシー飛行隊のメンバーたち」
割とモブ。

「デヴィッド・レヴィンソン」
ほぼマルカム。声もマルカム。

「トーマス・ウィットモア元大統領」
今作では彼が「帰ってきたぜ~!」でお馴染みのID4名物カミカゼ・スーサイドアタックを決行した。でも誰も涙を流さなかった。

「ディケンベ・ウンブツ」
最強の一般人。

「ジャスミン・ヒラー」
ウィル・スミスの妻。落ちた。

「オーキン博士」
前作で絶対死んだと思ってたらまさかの今作大活躍!マルカム博士を食ってしまっていた。
マイティ・ソー(ダークワールド)のセルヴィク博士が絶対この路線を開拓したと思う。

「ランフォード大統領」
アイアンスカイから帰ってきたサラ・ペイリン。特に何も考えないで命令を下す。「正しい行動だったと祈りましょう」じゃねーしw

「キャサリン・マルソー博士」
林原。

「アダムス将軍」
棚ぼたで大統領に。声がデジタル所さんでお馴染みの立木さんだったんだけど、ちょっとこの人(プリズンブレイクのマホーン捜査官)には合わない。

 まあ、強いて言えば、登場人物の2/3はいらない。
 ホント、すごいよ。こんなに恐ろしげな大カタルシスをやってるのに、見ていて全然疲れないというwなんつー安心感。スピさんの『宇宙戦争』と同じ題材とは思えん程怖くない。
 これってすごいよ。薄い脚本は狙ってやってんだろうな。映像がこってりだから。

 観光名所は狙われる。
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