国語科教育法覚え書き②

 評論や思想に、正解や不正解という二元論的な判断基準を設け、そして成績を点数化するという学校の授業や大学受験は、本当にもうバカバカしくて、まあそのバカバカしさを反面教師的に伝えようとしているのかな、とも思ったり。
 でも、やっぱりこういうの勉強させたいなら、自由記述だと思うんだけどな。白か黒かという二元論的デジタル思考って、最近いよいよやべえな、大衆の反逆だなって思うしね。
 やはり憲法19条、思想&表現の自由よ。最近の学生は自分の考えを主体的に表現できないとか嘆いている奴いるけどさ、てめーらが検閲してんだろって思うよね。
 こう言うと多分、いや、そういったプレッシャーにも打ち勝つ根性のある奴がいなくなったとか返すんだろうけど、じゃあ打ち負かされる覚悟はあるんだなっていう。

『無常ということ』
文芸評論家の小林秀雄の評論文で、1946年の『無常といふ事』に収録。

そうかもしれぬ。そんな気もする。

の言い回しがキャッチー過ぎて高校の頃ふざけて多用したが、それしか覚えていない。
ちなみに本文は、2400字足らずの短い文章で、出てくる語句もとりたてて難しいものはないが、内容が絶望的になんとなくしかわからない。まさに、そうかもしれぬ。そんな気もする。レベル。おめー伝える気ねえだろみたいなw
だいたい本文で、小林先生自身が言っているように、言語化できない感覚をどうしたものかね~と、悩みながら見切り発車で筆をとっちゃっているから、文章も洗練もされてないし、ただ、そういった、たった今一回こっきりの身体的感覚を、なんとかああでもないこうでもないと書き残したかったのだろう。
ほいで、そうやって言語の限界を自覚したヒデちゃんがもがいて書いたもの――ほかに選択肢がないから、しゃあないと仕方なく言語を用いて書いたものを、音読し、読解し、設問に答え、さらには考察するという、高校の授業には、何とも言えない、強い違和感を感じざるを得ない。
つーか、思い返せばこの文章も、というか私のブログの記事はいつも、小林的にその瞬間想起された感覚を実況中継的にタイプしているわけであり、そういう洗練されてないがゆえの危うい面白さはあるんだけど、それはもう、煩わしいレイヤー、他者に伝えるためにしょうがなく使っているレイヤーなわけで、そのレイヤーで解釈されちゃうと、レイヤーにレイヤーを重ねることになり、ヒデちゃんが伝えたかった感覚から遠のくし、それをヒデちゃんは本当に望んでいたのかっていうことにもなりかねない。
これは、試験問題を作るでも、分析でも、考察でも、評論でも、美学でも、鑑賞でもなんでも構わない。そういった頭でっかちなたぐいは、全部アウトなわけだ。
そこに自覚的に気づけるかどうかが、『無常ということ』を読む上で一番重要な点であり、そういった文章を、皮肉にも大学受験に使われている時点で、ヒデちゃんは読み手に自分の思想を伝えられていないし、文学部だかどこだか知らないけど、入試問題にしている方もバカだよっていう。

誤解されない人間など、毒にも薬にもならない。

叙述と注釈
改めて読むと、なんとなく内田樹的な内容である。そのうち武道における体のさばき方とは・・・とか言い出しそうなw

『一言芳談抄』
ある人が言った。
比叡の神社で、偽ってかんなぎの真似をした若い女性が、十禅師(知徳に優れた十人のお坊さん)の前で、夜もふけて、人も寝静まったあと、鼓を打って、心澄んだ声で、どうあってもよろしゅうございます、ねえねえ、と歌っていた。
その心を人に無理に問われると、生死無常のありさまを思えば、この世のことはどうでもよいでしょう、ならば、あの世で助けて下さいと申したのです、うんぬん。

坂本でそばを食っている間も、あやしい思いがしつづけた。
比叡山で『一言芳談抄』の一文が鮮明に心に浮かんだとき、自分は何を感じ、何を考えていたのだろうかということが、しきりに気にかかったということ。今は蕎麦に集中するんだ、秀雄・・・!

そんなつまらぬことと
『一言芳談抄』の一文を、吉田兼好の『徒然草』のうちにおいても少しも違和感がないということ。

子どもらしい疑問
『一言芳談抄』の美しさが消えたのか、それともそれをつかむための自分の心身の状態が消え去ったのかという疑問。原因はオブジェクトにあるのかサブジェクトにあるのかという。

だが、ぼくは決して美学には行き着かない。
美学の萌芽は体験に基づくが、それが美学になってしまうと理論になってしまうので、本文で言及している感動から遠のいてしまうと考えたから。

そういう具合な考え方
『一言芳談抄』の一文が鮮明に浮き上がったとき、どのような自然の諸条件に、自分の精神のどのような性質が順応したのだろうかという、頭でっかちな思考。

そのようなもの
歴史に対する新しい見方や解釈のこと。

死んでしまった人間というものはたいしたものだ。
人間の死とは、歴史同様、解釈を拒絶して動じない、動かしがたいものであるから。
こんな話を聞かされた川端康成先生はただ笑うしかなかったのであった。

思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなまちがえている。
思い出す人が過去の思い出を美しく飾っているのではなく、むしろ逆に過去がそういった余計な解釈を拒絶するから。

思い出が、ぼくらを一種の動物であることから救うのだ。
小林曰く、生きている人間とは、あれやこれや余計な思考をして不確定な存在であり、人間になりつつある“一種の動物”であるが、思い出を上手に思い出すときは、ただ満ち足りた時間と自分が生きている証拠だけが充満しており、その状態から逃れられるということ。

青ざめた思想
歴史は過去から未来に向かってびよーんと単調に続いていくという思想。単調だからこそ、さまざまな解釈がトッピングされるのである。

現代人は、鎌倉時代のなま女房ほどにも無常ということがわかっていない。
人間は無常(一種の動物的状態)であるということに自覚的ではないということ。

国語科教育法覚え書き①

 夏目漱石の単位。

 本編はともかく、そのあとに載っている解説みたいなのが偉そうでムカつく。文章も衒学的でさ、普通よ~、本編が難解なら、解説は初見の人にもわかりやすいように平易な表現で、その作家の魅力を紹介するもんだろ、『ソフィーの世界』の解説本とか見習えよ!あれ、ぶっちゃけゴルデルの書いた本編よりも面白かったからな!
 だいたい自分が書いたわけでもねえのに、漱石が理解できるオレは崇高だぜ、良さがわからない奴はそのレベルに達していない馬鹿だぜ、鎌を振りかざす姿わくわくするほど決まってるぜ、みたいなスノビズムぷんぷんで、少なくとも私はこんな国語教師には教わりたくない。

 夏目漱石は、講演で

「学者はわかったことをわかりにくく言うもので、しろうとはわからないことをわかったようにのみこんだ顔をするものだから、非難は五分五分である。」

とか言ったらしいけど、今のご時世それは通用しねえよ。民主主義は成り立たねーよ。つーか、こいつは意外と自分がわからないものをわかりにくく言ってんじゃねーのっていう気もする。

 それに文学なんて読んだやつがどう感じるかなんだから、つまんねーって思ったらそれがそいつの中で正解なんだよ。で、夏目漱石といえども、わかんねーもんはわかんねーし、つまんねーものはつまんねーよ。この人だって人間なんだから、たまには駄作もあろうよ。
 そういう、放送コードがない深夜番組的なユルい雰囲気がクラスにないと、誰もアクティブに発言しないし、現代文をラーニングしねえよ。
 で、十中八九、高校の国語の先生なんかは、ちょっとこじらせた文学マニアに決まってるじゃん。困った困った!!

 ちなみに、自分が高校の頃の現代文の先生は、慶応大卒で器が大きい人で、好き勝手に評論したけど通知表で10くれた。美術でも生物でも取れなかった10・・・(´;ω;`)
 さすが学生も教授もフラットに君付けで呼び合う学校だな。そういう環境じゃないとアクティブラーニングはどだい無理だよ。

『夢十夜』
書き出しが「こんな夢を見た」と、夢オチを冒頭で暴露した上で始まる異色のドリームノベル。
夏目漱石自身が実際にこういう夢を見たかどうかは謎だが、作品っていうのは意識的にしろ無意識的にしろ、その人の深層心理が表出しちゃうものだから、言ってみれば夢日記みたいなようなものなのかもしれない。
ちなみに第七夜みたいな夢は私も見たことがあって、その夢をもとにこんな漫画を描いたことがある。
以下は各チャプターごとの叙述と注釈である。

第一夜
ロマンチックを通り過ぎて、ちょっと読んでて恥ずかしいエピソード。リリカルなつめ。
女が死に、生き返って、再び会いに来ることを百年待ち続けるという物語である。
登場人物は「女」と「自分」のふたりだけで、構成は極めて単純で、前半は死んでいく女の様子、後半で百年待ち続ける自分の心情を述べている。一青窈か。アクエリオンか。

うりざね顔
浮世絵などに描かれる、色白で目鼻立ちがはっきりしている面長な顔のこと。
美人な顔の典型とされていた。漱石のタイプだったらしい。

大きな潤いのある目で、長いまつげに包まれた中は、ただ一面に真っ黒であった。
血色もよく、見た感じ死ぬ感じには見えないが、目が真っ黒ということは、瞳孔が開いているので、彼女の明確な死を暗示しているともとれる。

大きな真珠貝
ルネサンス期のボッティチェリの作品『ヴィーナスの誕生』の引用かもしれない。
真珠貝から美の女神が生まれる様子を描いた作品だが、その象徴的な貝殻で墓穴を掘らせることで女の死を対極的な美と生に重ねて暗示している。

星の破片
燃え尽きて地球に落ちてきた恒星の成れの果てなわけであり、逆に死(=女)を暗示させるアイテム。
拾って、軽く土の上に乗せたという記述とともに、抱き上げてという表現も用いられており、星の破片の大きさに矛盾が生じるが(抱き上げなければ持ち上がらない隕石はおそらく重い)、これはむしろ星の欠片を死んだ女の象徴と描いているがゆえの表現だろう。

「百年、わたくしの墓のそばにすわって待っていてください」
人間の寿命的にかなり無茶な年月だが、それを意を決した様子で要求することで、永遠の愛を切実に求めていることがわかる。
人間の寿命と比較したら永遠と思える程の長い時間を生きる恒星の欠片を墓標としておかせるのも、これに通じる。


『君が代』にも出てくるように悠久の年月のメタファー。

唐紅の天道
からくれないとは濃く美しい真紅を指す。つまり、美しい日の出の表現。

白い百合
生の象徴。自分が接吻したことから、死んだ女の生まれ替わりの可能性もある。
彼女が年後にいましょうとこだわっていたのがフリであったのもわかる。
また、花弁に落ちた露は死ぬ間際に流した涙と重なる。

暁の星
明けの明星ということで、金星である可能性があるが、むしろ墓標として置いた星の欠片が輪廻転生し再び輝いているのかもしれない。
星が再生しているのを見て「百年はもう来ていたんだな。」と「自分」は確信したのだろう。

第四夜
第四夜の「自分」は子供であり、茶屋で出会ったふしぎな「じいさん」が、手ぬぐいを蛇にしてみせると笛をふくのにさそわれて、後についていくが、じいさんは河に消えていき、期待が裏切られた話。なんだそりゃ。
前半で、じいさんの様子を描き、後半で、手ぬぐいを蛇にしてみせるというじいさんの動作と、その後についていく自分の心情を描いている。
こういう胡散臭いおじさん昔小学校周辺によくいたよなwこういう人に裏切られることで無垢な少年はまた一つ社会の厳しさを知るっていうw

床几(しょうぎ)
映画のロケなどで使っているアウトドア用の簡易的な折りたたみ椅子のこと。

煮しめ
汁が残らないほど長い時間に詰めた煮物。よく、おせち料理に入っている。

茶屋
『草枕』や『道草』にも出てくる漱石の幼少時代の原風景と思われる。

顔中つやつやして
このじいさんが年齢不詳であることが分かる。案外じいさんじゃないのかもしれない。

へその奥だよ。
どんなじいさんも生まれる前は母親とへその緒でつながっていたわけで、とんちの効いたうまい返しである。これも年齢そのものを相対化する演出となっている。

浅葱色
薄い青色。じいさんは蛇になるという手ぬぐいと同じカラーコーディネートをしていることが分かる。アオダイショウのような青い蛇の化身である可能性もある。

真鍮でこしらえた飴屋の笛
真鍮は銅と亜鉛の合金。当時の飴屋は唐人の格好をし、チャルメラのような笛(ラッパ)を吹いていた。

かんじんより
和紙を細く切ったものを合わせたもの。鼻に突っ込んでくしゃみさせるやつ。こより。

柳の下を抜けて、細い道を真っすぐ降りていった。
なかなか蛇に変わらない手ぬぐいを箱に入れてじいさんが歩いて行ったルート。
冒頭でじいさんが吐いた息が流れていった先と同じなのが興味深い。

第六夜
夢ならでは、よく考えると時系列のつじつま合ってない系。
鎌倉時代の彫師である運慶が、護国寺の山門で明治の世の人々が見物する中で仁王を彫っている。その無造作なノミの使い方は木の中に埋まっているのを掘り出すかのように思われたので、「自分」も家に帰って仁王を彫ってみたが、明治の木には仁王は埋まっていないものだと悟る話。作者の芸術観や心情を夢に託している。

護国寺
東京のお寺。運慶が奈良の東大寺南大門の金剛力士像を掘った史実と食い違っているが、東京に住んでいた漱石が散歩しながら気軽に見に行ける場所ということで、場所がチェンジされたのだろう。
冒頭の描写がかなり写実的で詳細なのも、漱石にとっては何度も見慣れた風景だったからなのかもしれない。

下馬評
第三者があれやこれやということ。

甍(いらか)
屋根瓦のこと。

辻待ち
客を待つこと。

委細とんじゃくなく
委細構わず。事情がどうであろうと関係なく。

どうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。
夢を見ている最中はこういう矛盾は気づかないものなので、護国寺同様、夢から醒めて改めて考えてみるとおかしいというメタ的な描写である。
鎌倉時代に生きた芸術家の仕事ぶりとその作品を、明治時代の人々と一緒に鑑賞しているという、このシチュエーションは、作者が現代(明治時代)の尺度で運慶の真髄に迫ろうとしていることのメタファーである。

あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。
ルネサンス期のミケランジェロも同じような感覚で石彫を掘り出したらしいが、それも現代の研究者が考えるひとつの仮説である。
このセリフを経験ではなく知識として、批評家気取りの若い男に言わせているのがうまい。

不幸にして、仁王は見当らなかった。
明治時代には、運慶のような芸術家や作品は現れないというオチだが、表現が巧みで皮肉も効いている。また、運系の仁王像が歴史的存在になってしまった以上、それらは永遠に追いつけない“完全な芸術”として後世の追従者に認識されるという、作家漱石の創作に対する苦渋も見て取れる。

第七夜
スティーブン・キングの『グリーン・マイル』的な人生について考えさせる哲学的なエピソード。
茫洋とした海を行くあてもなくさまよう船の上に乗っている「自分」がその心細さと退屈さのあまり、船の上から飛び降りようとするが、いざ飛び降りたらやっぱり飛び降りるんじゃなかったと後悔し、さらに足が永遠に水につかないという無限の恐怖を味わうというナイトメアである。
人間の存在そのものに対する本質的不安感、そしてそれを画一化する文明社会に対する批評が見て取れる・・・が、単純に留学時での船旅が単調で死ぬほど退屈なものだったという経験から書きたくなったのかもしれない。そんなもんである。

何でも大きな船に乗っている。
人生のメタファー。

蘇枋の色
黒味を帯びた赤。

乗合はたくさんいた。たいていは異人のようであった。
人生の孤独感を強調させるシチュエーション。西洋に対する劣等感、拒絶感のようなものもあるのかもしれない。

更紗
花や鳥、幾何学模様をプリントした木綿、もしくは絹の布。

一人の異人
宣教師風で、自然科学(天文学)や、キリスト教といった西洋文明を親切に、かつ、押し付けがましく教えてくれる。
戦後、政治学者のリチャード・ホフスタッターが『アメリカの反知性主義』という本を著したが、これは知識階級やエリート階級の啓蒙活動そのものの独善性に対する大衆の反発を分析したもので、この偉人に対する「自分」のリアクションは、これに当たるように思われる。
しかし、「自分」すなわち夏目漱石は、まごうことなく知識人であり、また、近代的な個人主義者でもあった。つまり合理性をつきつめるがゆえに孤独で、神への信仰によりかかることができないのである。言い換えれば、彼はいちはやく西洋を消化したからこそ、西洋を拒絶するのである。

二人は二人以外の事にはまるで頓着していない様子であった。
人生の意味とか目的とかそんな考えても埒があかないことは考えず、日々のデカダンスに溺れる人たちのメタファー。そういった無知蒙昧な大衆には「自分」はなれず、さらにこの世に絶望するのである。

思い切って海の中へ飛び込んだ。
自殺をタブーとするキリスト教に反発するがごとく、意識的に船から飛び降りたのであるが、その結果、無意識的な生への執着が生まれ、死に対する恐怖と強い後悔に襲われるのである。

足は容易に水に着かない。
脳の機能が落ちるとすべてがスローモーションになるというが、死ぬ刹那はその速度が∞にスローなるのかもしれない。つまり、死の本質とは、死の永遠の留保なのかもしれない。

水の色は黒かった。
バッドエンドを象徴する色である。合理主義で捉えようとすればするほど、死は不条理であり、その解釈を拒むのである。
生が虚無に過ぎないのと同時に、死も虚無なのである。
ならば生が虚無であることに絶望して、死を選ぶ合理的な理由はないということになる。
これは、第一夜の死に対する楽観的で耽美的なロマンチシズムを徹底的に破壊する結末であると言える。

書道覚え書き②

参考文献:全国大学書道学会編『書の古典と理論』

仮名の成立と書風の変遷
今度は日本の書道史。

弥生時代
日本の書の歴史は、大陸からの漢字伝来に始まるが、その伝来の痕跡はわずかに残された金石文(金属や石に刻印された文章のこと)や木簡に限られる。
『貨泉』(青銅製の貨幣)と『金印』は日本への漢字伝来を示す最古の出土品である。

古墳時代
『石上神宮七支刀銘』や『隅田八幡宮神社人物画象鏡銘』などの金石文には、すでに漢字の音を借りて日本語を表記する万葉仮名的な使用例が見られ、国文学や書道史の上で重要な資料となっている。
稲荷山古墳の鉄剣に記された銘文は、線が細く太さも均質でネームペンで書いたような可愛い古朴な書体である。

飛鳥時代
『法隆寺金堂釈迦造像銘』に見事な中国南北朝の文字が見られる。この格調高い書風の広がりは、聖徳太子直筆と言われる『法華義疏(ほっけぎしょ)』にも見られる。『法華義疏』の書体は、横に潰れた漢隷の流れを組み、さらにそれを行書的に崩したような印象を与えるものである。
しかし、飛鳥時代には、これらの書体とは別に、非常に洗練された楷書である『金剛場陀羅尼経(こんごうじょうだらにきょう)』など、隋風書風も見え始め、飛鳥時代の書道は、この二つの影響下に置かれていた。

奈良時代
仏教の興隆によって写経が国家的事業になり、数々の名筆が生まれた。
その白眉といわれる国分寺経の『金光明最勝王経』は、潤いを帯びた線質、唐経には見られない筆致を醸している。
写経の誤字脱字には罰金があったらしく、一行17字詰めの厳正な楷書は筆力に溢れ、隙がなく、やや扁平な字形が特徴である。

写経以外では、知識階級の日常の書体や書風を伺える、正倉院文書と木簡を忘れてはならない。光明皇后の『楽毅論』は、唐代に流行した王羲之の書を臨書したものである。
木簡では習字木簡や万葉仮名木簡が各地で発掘されており、公文書の記録は漢文、また和文でも男手(万葉仮名の楷書)だったことがわかる。

この男手は早書きされていくうちに、やがて草書体の草がなに発展する。草仮名は時間短縮のために、字と字をつなげるといった工夫(連綿)が見られ、その結果である繊細な線質は、筆の流れの美しさを表現する芸術的な技法にもなった。

平安時代
日本書道の確立期にあたり、その基本的書風は現代に根強く生きている。
また、漢字の草書を極度に省略化した仮名という独自の書体が生まれた。

ただし遣唐使の派遣が中止されるまでは、引き続いて中国の書法が継承された。その頂点には、嵯峨天皇、空海、橘逸勢の三筆が君臨し、王羲之を主流とした伝統的書風の中に温雅な風韻をかもした。
嵯峨天皇が、最長の弟子の光定が比叡山の戒壇の設立に奔走したことを讃え、したためた書である『光定戒牒』は、字によって線の太さ、墨の乾湿を意図的に変化させており、「為」などの向勢(縦線が互いに膨らみ合うこと)と、「立」などの背勢(縦線が互いに反ること)の見事な調和が取られている。
そんな嵯峨天皇が、唐人の手によるものだと勘違いし、書の腕前に脱帽したのが空海である。
空海が、当時はまだ仲が良かった最澄に宛てた手紙である『風信帖(ふうしんじょう)』は、重厚で落ち着きがある王羲之の書法をよく学んだ上で、充分に自己のものへと消化し、そこに日本的な情趣をも醸し出している。収筆を上に跳ね上げることで、筆の流れにスピード感を感じさせている。
橘逸勢(たちばなのはやなり)は、筆の性能を活かしきり、自由奔放でありながら格調高い書をしたためた。そこには緩急抑揚のついた強い筆力と躍動感が感じられる。

やがて三跡(小野道風、藤原佐理、藤原行成)の時代になると、小野道風が和様の滑らかな線質で唐風の鋭利な感触を払拭し、仮名の隆盛とともに日本書道独自の流麗な筆運びのきっかけを作った。
ついで藤原行成が道風を範とし、穏やかな線に緩急の速度と抑揚を加え、和様の姿を確立させた。彼の書は、「世尊寺流」と呼ばれ、曲麗優雅な宮廷文化を代表する名跡を残した。
また、清少納言とも親交があった行成は『関戸本古今和歌集』を、リズミカルで生きの長い連綿の女手で書いており、この時代は、紫式部が『源氏物語』を、清少納言が『枕草子』を著す、女手の黄金時代であった。

平安時代末期になると、従来の艶かしい美から転じて、個性的な書風が見え始め、仮名の完成美を示した。特に10世紀中頃から、書写の速度やリズムに種々の変容が現れて、能書家では、行成の孫の藤原伊房(これふさ)が、鋭さと速さ、秀麗にして気迫に満ちたユニークな書風を残している。

鎌倉時代
まず、藤原俊成と定家父子が活躍した。
藤原定家の書風は、父俊成の角張って鋭い書風と異なり、扁平な字形が多く、筆圧の強弱も極端で、ふにゃふにゃ、総じてくせの強いものであったが(自身も悪筆と認めていた)、当時の歌学の権威でもあったため、そのくせは個性と捉えられ、大いに尊ばれ、後世は定家流と呼ばれて広がった。
また、著名な歌人である西行にも魅力ある書風が見られるなど、個性的な書が書かれた一方で、画一的な亜流が生じたのも、この時代の特徴である。
一方、平安時代末期からの日宋貿易で、禅宗とともに新しい宋風の書が輸入され、これは禅宗様と呼ばれた。

室町時代
書道史的には見るべきものは多くない。明からの影響も乏しく、型にはまった保守的傾向の強い書風が多く見られた。
その中でも一休宗純は、筆を紙面にこすりつけるような鋭く激しい特異な筆勢と、大胆にディフォルメされた奔放な書風で気を吐いた。

安土桃山時代
室町時代の沈滞した空気を排除し、新風が吹き込まれた。
後陽成天皇は雄大な書風を見せた。
公家の近衛信尹は大字のかなに異色の書風を見せた。

江戸時代
初期に大陸からやってきた禅宗の黄檗僧(おうばくそう)たちが中国明代の書をもたらした。彼らの雄渾な筆致の新書法は、やがて唐様と呼ばれ大いに広まった。
江戸中期には近衛家煕によって、平安時代のかなに光が当てられた。
この時代の一般庶民の文字教育は、特に目立った能書家がいない草書の御家流が幕府公認の書体に規定されていたため、実用を旨にして形式化、低俗化の一途をたどった。しかし識字率の向上には一定の役割を果たした。

明治時代以降
明治時代以降、文学作品の多くが、漢字仮名交じりの表記による口語文で書かれるようになった。一方、書道の作品では、漢詩や漢文、和歌や俳句を、伝統的な手法によって表現する作品が主流を占め続けていた。
その後、昭和に入ると、漢字仮名交じりで書かれた同時代の文学作品を新たな書表現で作品化しようという動きが生まれる。
戦後、1954年に毎日書道展で近代詩部門が設けられると、翌年には日展の書の部門において調和体と称する漢字仮名交じり作品の出展区分が設けられた。
また、従来は小さく書かれ、展覧会の片隅の机に並べられるという地味なイメージがあったかなの書を、屏風、軸、額にして絵画作品のように壁に飾って鑑賞するという、大字かな運動が全国的に展開された。

書道覚え書き①

参考文献:全国大学書道学会編『書の古典と理論』

漢字の成立と書体の変化
字が恐ろしく下手な私には異世界の単位。文字が綺麗ってだけで、なんか育ちが良さそうに見えるもんな。前にも書いたかもしれなけど、個人的には筆圧が強い人は、筋肉や神経でちゃんと腕の動きを制御していて、上手な字が書けるイメージがある。
私なんて非力だから、ボーリングのように腕を持ってかれて、たいていの横棒は勢いを失って下にさがっていく。筆跡鑑定が宇宙一容易な男だという自負があります。

新石器時代(紀元前1万年~)
新石器時代に広く用いられた陶製の容器には、符号や略号、図象の類が描かれていた。これは陶文または刻画符号と呼ばれる。

殷~周時代(紀元前17世紀~紀元前3世紀)
現在最も古いとされる漢字は殷(商)時代の甲骨文である。
甲骨文とは、亀の甲羅や獣の骨などに刻まれた文字で、鋭利な小刀で刻むことから契文とも言い、また文章の内容がト占(相手に何かを選ばせて占うタイプの占い。タロットやおみくじなど)に関することから卜辞(ぼくじ)とも言う。

甲骨文の発見は、19世紀末に王懿栄(おういえい)と劉鶚(りゅうがく)が薬局から買った龍骨に符号らしきものを見つけたことによる。現在では相当数の文字が解読され、当時すでに厳密な文字体系を備えていたことがわかる。
甲骨文字の線は単調な直線で、文字というよりは記号や絵に近い様相のものが多い。

殷・周は青銅器の時代である。
青銅器でできた釣鐘状の楽器(鐘しょう)や食器の(鼎てい)に施された文字は金文(鐘鼎文字)と呼ばれる。
殷中期の遺跡から出土された青銅器からすでに銘文(金属や石に刻まれた文章のこと)と思しきものが現れている。これらの文字は、溶けた金属を鋳型に流し込み、鋳込まれて制作された。

周の時代になると、祭祀に使われた青銅器が王の権威を示すものに変わり、文字の書風は整って装飾性と多様性が強くなった。
書写材料は、甲骨、金属だけではなく、石、玉、竹木など様々なものが用いられた。また、殷の時代で、すでに筆が使用されていたことが分かっている。
書体は、縦に長く書かれ、文字の大きさにも変化がつけられるようになった。
また、細く単調で直線的だった線も、太さに変化がつき、曲線を多用している。しかし、甲骨文字同様、線の先が尖っているものが多い。

春秋時代~戦国時代(紀元前8世紀~紀元前3世紀)
戦国時代になると金文にあった象形文字のテイストは薄れ、左右相称の整った字形となった。篆字体の原型とされる。
書体は多様化し、複雑な書体の籀文(ちゅうぶん)と、簡略化された書体の古文との差別化も進んだ。

秦~漢時代(紀元前8世紀~3世紀)
周の封建制度に対し、秦は中央集権体制を樹立し、その一環として文字の統一が試みられた。これにより文書行政が施行され、小篆が公式書体として用いられるようになった。
小篆は、線が水平・垂直で、等分割の荘厳な趣が特徴である。文字は左右対称でやや縦長、線の太さは均一であった。
日常の記録には、篆書が簡略化され実用的なものになった隷書(秦隷)が用いられた。これを隷変という。
その特徴は、カーブを尖らせる、曲線を直線に変える、線を連続させる、筆画を短くしたり省いたりする、よく似た複雑な形をひとつの符号で代表させまとめる、などである。
こういった簡略化は当時の文書行政の広がりと無縁ではなかった。

前漢時代になると、毛筆が発達し、これに適した隷書は、次第に準公用体として認められるようになり、他の書体を駆逐するまでに広まった。
楷書・行書や草書は、すべてこの隷書が発展したものであると考えられている。
この時代の隷書には、横線や右払いの終わりにつける三角形のうろこである波磔(はたく)が芽生え、線の抑揚と筆の穂先の意図的な開閉が見られる。

後漢時代になると横に潰れた字体、上下左右等間隔の字の並びなどが特徴である漢隷(八分)が確立した。
小篆は印鑑という特殊な用途にのみ使われるようになった(篆刻)。

三国~西晋時代(3~4世紀)
後漢が滅亡すると、魏・呉・蜀の三つの国が天下を三分した。
この時代の特徴は、曹操によって立碑が禁止されたことで墓に納める墓誌が制作されるようになったこと、楷書(隷書)が定式化したこと、字を巧みに書く芸術である能書が出現したことなどが挙げられる。
北魏の楷書の名品とされる『張猛龍碑』では、字体が左下がり(右上がり)で、不等分割、点描の疎密に工夫が見られる。線は強靭で絶妙な均衡美が表現されている。

東晋時代(4~5世紀)
五胡の乱によって西晋が滅ぼされ、不安定な政治情勢の中、竹林の七賢(道教的な思想のもとに儒教的倫理の束縛を嫌い自由気ままに生きた賢者のこと)を理想とする貴族文化が花開いた。
能書家の王羲之(おうぎし)は、より洗練された芸術性の高い書を残し、後世書聖と称えられた。しかし、王羲之本人の書はひとつも現存せず、残っているのは全て臨書である。
王羲之の『喪乱帖』は筆運びのリズムが心地よく、字によって線の太さを変えメリハリをつけている。左右への振れ幅も大きく、字の上部と下部における重心の移動など、躍動的である。
王羲之の子の王献之(おうけんし)も能書として知られ、父と共に書の二王とされた。

南北朝時代(5~6世紀)
南朝では、豊かな経済力を背景に文学や芸術論が盛んになっただけでなく、仏教も栄えた。
北朝では、北魏の孝文帝が南朝文化の摂取に努めたが、とりわけ仏教関係の石窟造営が盛んに行われた。代表的な龍門石窟に記された『造像記』は方筆を主とする龍門様式の筆法である。

隋~唐時代(6~10世紀)
隋時代の書は、南北朝から唐への過渡期に当たるものと言われている。
三過折(起筆→送筆→収筆の3段階で線を引くこと)を備えた方正な字形である楷書はかなり洗練され、唐を待たずすでに完成期に近づいていた。王羲之七代目の子孫である智永は、中学校の美術のレタリングの授業で習う永字八法の創始者である。

隋の禅譲を受けて、統一王朝の唐ができると、大宗が宮中に弘文館を設立し文武官に書を学ばせた。大宗は王羲之の書を愛好し、また自身も書をたしなみ、行書の『晋祠銘』や『温泉銘』を残している。
草書(行書をさらに崩した筆記体のような字体。形を覚えないともはや読めない)では、則天武后が書いた『昇仙太子碑』などがある。

中唐の玄宗の治世には最も文化が爛熟し、文学では李白、杜甫が出た。
書では、張旭(ちょうきょく)、懐素(かいそ)が登場し、自由奔放な草書(狂草)が書かれた。
楷書は形骸化した。

宋~元時代(10~14世紀)
形骸化した唐代の書に対して、宋代では個人の精神性を尊重した。
蘇軾(そしょく)、黄庭堅(こうていけん)、米芾(べいふつ)、蔡襄(さいじょう)は宋の四大家と呼ばれる。

元時代になると趙孟頫(ちょうもうふ)が王羲之をリスペクトし、鮮于枢(せんうすう)とともに併称され、後半にはトルコ系の康里巙巙(こうりきき)が登場し、章草(隷書と草書のちょうど間の字体)を得意とした。

明~清時代(14~20世紀)
製墨技術が最高潮に達した時代。
明末期の書家は、連綿(つなげ字)を多用した行書体を追求し、特に長条幅(長い掛け軸状の半紙に書く)という新しい表現形式を生んだ。

清代前期は、名跡の模本や法帖を学ぶ帖学派の時代とされている。
清代末期は、趙之謙(ちょうしけん)や呉昌碩(ごしょうせき)のように、詩、書、画、篆刻をよくして独自の境地を築いた文人が輩出し、日本にも影響を与えている。
また1880年に来日した楊守敬(ようしゅけい)は北碑の書法を伝え、これにより日本の近代書道が始まった。

ギガ恐竜博への旅(もふカフェ付き)

 ここのところ再び毎年恒例になった感がある幕張メッセのイベント。スクーリングの帰りにコシサウルスさんと行ってきました。こしさんも相変わらず向学心旺盛で、なぜか発達心理学のピアジェとか学んでいるし、さらに政治ツイートをうそぶく人が誰も読んでくれない、政治学を基礎からしっかり学べ、不毛なやりとりを70%位カットできる本『補正版政治学』にも手を出してくれて、やっぱり学術系の本を読む人との会話は楽しいよなっていう。学歴あっても読まない人は読まないもんな。

 で、恐竜博の内容なんだけど、まあなんちゃらサウルスっていう(名前を覚えるのすら諦めた)、中国で割とよくいるタイプのでかマメンチ系の恐竜がメインで、あとはまあ一通りの恐竜のグループが網羅されててすごいんだけど、そのほとんどが福井県立恐竜博物館収蔵品で、福井県の幕張巡業みたかったというw
 あと、会場はいつものホール11で広さは一緒なんだけど、こしさんなんかは狭く感じたとか言ってて、それは多分、順路が今年はグネグネしてなくて、でかマメンチの周りをシンプルに一周するような感じだったから、会場の全体像がかなり早い段階で分かっちゃって、それで短く感じだのだろうと思われる。こういう感覚って面白いよね。空間の使い方っていうか。

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でかマメンチ系のギガ恐竜。

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バックショット。でかい。

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陸上の人まで襲ってしまうアーウィーソウトルとは、いったいどんな怪物なのだろうか・・・(パキPさんにしかわからないネタ)

ピースケがいじめられてるよ!(マロさんしかわからないネタ)

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こしさんいわく、首長竜の手脚の付け根はウミガメのようにかなり骨の位置関係が変わっちゃっていて、発生学的も面白いらしい。熱弁してくれたんだけど、メモ持ってなかったから詳細は忘れた(^_^;)しかし深海魚みたいなすごい牙だな。

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プテラノドン。翼竜の顔として不動の地位を築いているだけあってすごい優美でかっこいい。しかしジュラシックワールドの翼竜はダサかったな。どうにかならなかったのかよ。ロストワールドジュラシックパークの使い回しで十分かっこいいのによ。

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近年の分子分類に基づく大胆な人事異動により、カミナリ竜の部署に一人左遷させられ話題となっているヘレラサウルス。これはあとでイラストを描きたい。確かにプラテオサウルスとかに近いようにも・・・見え・・・

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ない。

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この前たまたまイラストを描き直していたコンカベナトール。いい答え合わせになった。けっこう再現できたな。

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それとは逆に、イラストを描いているときはもっと大きい生き物だと思っていた福井べナトール。こんなにちっちゃいとは!!ベロキラプトルとサイズも変わらないわけね。でもポーズはだいたい一緒にしたし、顎の反ってるところとかうまく再現できたと思う。上顎と下顎で剃り方が逆で、口を閉じたとき隙間が出来そうなのがポイント。

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ただ、これはトロオドンとかもそうだった気がするけど、目の穴がスポーツカーのガルウィングみたいに上の方まで空いてて、目がどうやって入ってたのかすごい気になる。案外ジュラシックパークTHEゲームのトロオドンみたいに頭頂部を向いていたのかもしれない。

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今、ちょっと描き直しているのがステゴサウルスなんだけど、本当にこの恐竜が一番へんてこっていうか、現生動物にお手本がいなくて大変。だいたいあの板が背骨に沿う形で並んでいるのがすごい。胴体は、まあ構造上くねらせられなかっただろうからいいけど、首と尻尾はあの板が邪魔でほとんど曲げられない気がするんだけど。
こしさんにそれを言ったら、あの板は骨だからあの板自体がしなるっていうのは無理なので、意外と板は体にしっかりくっついてなかったんじゃないかとか言ってて、じゃあわりと頻繁に取れたんかなっていう。で、取れたら取れたで再生するのか、みたいな、新たな謎が生まれた。

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それとステゴサウルスって、くちばしの先が尖っているイメージがあって、そういう復元が多いんだけど、よくみるとカモみたいになってて口の先とがってない!
さっそく描き直したよwこれはトゥオジャンゴとかヘスペロもそうで、剣竜に共通するっぽい。

 あと、幕張に数年前現れたギガAEONのモフモフカフェにも寄ってきた。つーか、この施設、自分が幕張に住んでた時にはなくて、噂には聞いていたが本当にギガ。南船橋の巨大モールのららぽーとが噛ませ犬になっちゃうくらいでかい。
 ほいで、入場料払えばクリーチャーどもを触り放題なんだけど、こんなアニマルワールドの中で飲食をする勇気が私にはなかった(^_^;)コーヒーに上から尿酸投下されそうじゃん。

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モフモフ。可愛い。仰向けにして足を伸ばすとヒヨコは寝ちゃうらしいが、それは胸骨が肺を圧迫して落ちてんじゃないかという説もある(じゃ、ダメじゃん!)

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フトアゴヒゲトカゲ。あまりモフモフじゃないが、顔の幅が広くおめめが丸く、総じてベビーフェイスで結構可愛い。
初めて触ったけど、アンキロサウルスのようなこの脇腹のトゲトゲ、すごい見掛け倒しでゴムみたいに柔らかい。背中が多少逆なでするとざらつくけど、想像以上に皮膚が薄い。触ってみるもんだ。

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名前忘れた。ヒョウモントカゲモドキだっけかな。トカゲモドキの割に本家のトカゲ同様に尻尾を自切する。すごい触り心地がいい。しかし結局のところヤモリに過ぎない。

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グリーンイグアナ。脚が長くすごい活動的。目をつむって穏やかな表情だが、こしさんによれば爬虫類や鳥類はイラつているときに目をつむるらしい。ダメじゃん!

 あと、あたり構わずついばんでくる凶暴なコンゴウインコ(目がイっちゃってる)や、シューシュー唸って穏やかじゃないメンフクロウとかいろいろヤバそうな奴らがいました。こんな狭いところに閉じ込められ、人間どもの好奇の目で見つめられさぞストレスなのだろう。
 フクロウって昨今はフクロウカフェとかフクロウ女子とかで人になつくかわいいペットなのかなってイメージあったけど、とどのつまりプレデター。オレの目の前に立つな的に、目の前のものは攻撃対象にしてくるぞ。全然なつかねーよw
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