高等学校学習指導要領解説公民編覚え書き

改訂の要点
習得した知識、概念や理論などを活用し、持続可能な社会の形成という観点から課題を探究させ、政治や経済についての見方や考え方を身に付けさせるという従前の構成を引き継ぎ、一層の充実を図ることとした。
その際、グローバル化や規制緩和の進展、司法の役割の増大などに対応して、法や金融などに関する内容の充実を図るとともに、国際政治において文化や宗教の多様性についても理解させることとした。

公民科の目標
広い視野に立って、現代の社会について主体的に考察させ、理解を深めさせるとともに、人間としての在り方生き方についての自覚を育て、平和で民主的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民としての資質を養う。

政治・経済

基本的性格
現代の政治、経済、国際関係の動向や本質を把握させ、それらに関する客観的な見方や考え方を深めさせて、平和で民主的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民としての資質を養うことを基本的性格としている。

今回の改訂では、グローバル化や規制緩和が進展し一層の変化が予想される社会において、日本人としての自覚をもって国際社会で主体的に生きること、持続可能な社会の実現を目指すなど、公共的な事柄に自ら参画していく資質や能力の育成が求められていることに留意した。

目 標
広い視野に立って、民主主義の本質に関する理解を深めさせ、現代における政治、経済、国際関係などについて客観的に理解させるとともに、それらに関する諸課題について主体的に考察させ、公正な判断力を養い、良識ある公民として必要な能力と態度を育てる。

内容とその取扱い

現代の政治
現代の日本の政治及び国際政治の動向について関心を高め、基本的人権と議会制民主主義を尊重し擁護することの意義を理解させるとともに、民主政治の本質について把握させ、政治についての基本的な見方や考え方を身に付けさせる。

民主政治の基本原理と日本国憲法
日本国憲法における基本的人権の尊重、国民主権、天皇の地位と役割、国会、内閣、裁判所などの政治機構を概観させるとともに、政治と法の意義と機能、基本的人権の保障と法の支配、権利と義務の関係、議会制民主主義、地方自治などについて理解させ、民主政治の本質や現代政治の特質について把握させ、政党政治や選挙などに着目して、望ましい政治の在り方及び主権者としての政治参加の在り方について考察させる。

法の意義と機能
紛争の防止や利害対立の調整や解決。

民主政治の本質
世界の主な政治体制と関連させて扱う。比較政治の観点。

現代政治の特質
国民世論の形成がマスメディアによって大きな影響を受けていることや、政党政治や選挙、国民の政治意識や政治行動の特徴などの具体的事例を取り上げる。

日本国憲法における政治機構の概観
・日本国憲法が、基本的人権の尊重、国民主権を基本原則とする点で国民国家の枠を超えた普遍性をもっていることに気付かせる。
・公正な裁判のためには司法権の独立が必要であることを理解させる。

政治の意義と機能
・個人あるいは集団の考え方や意見、利害の対立や衝突を調整したり解決したりすることにより、社会の秩序を維持し統合を図る機能があり、普遍的に存在するもの。
・政治には強制力があること、国家は一定の領土内において物理的な強制力を合法的に独占していることを理解させる。

法の意義と機能
・人間の行動を規律する社会規範の一つであり、国家による強制を伴う点で道徳や慣習など他の社会規範と異なる。
・個人あるいは集団の権利を擁護するとともに社会の秩序を維持する機能を有している。
・国民の代表者からなる議会が社会の統一的な意思決定として法を定めている。
・国民には法を遵守する義務がある。

基本的人権
・人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果として確立されてきた。
・人間が生まれながらにしてもつ権利として現代の普遍的価値となっている。
・自由・権利はその内容について不断に吟味しつつこれを保持していく必要がある。

現代政治の特質
・全世界で民主主義がほとんど唯一の正統な政治原理として承認されるようになった。
・価値観の多様化、利害対立の複雑化により政府による利害調整に対する国民の期待が増大。
・民主主義の下で政治参加が重視。
・行政国家(福祉国家)、官僚制
・大衆民主主義、マスメディアの役割、政治的無関心
・議会政治は、対話を通して相反する意見や利害を調整し、共存の可能性を見いだす。
・民主主義(多数決の原理)は、少数者の権利や意見の尊重が必要。

・憲法改正手続における国民投票や地方自治における直接請求権など、投票以外にも多様な政治参加の道があることを理解させる。

現代の国際政治
国際社会の変遷、人権、国家主権、領土などに関する国際法の意義、国際連合をはじめと
する国際機構の役割、我が国の安全保障と防衛及び国際貢献について理解させ、国際政治の特質や国際紛争の諸要因について把握させ、国際平和と人類の福祉に寄与する日本の役割について考察させる。

・文化や宗教の多様性

・軍縮や核兵器廃絶などに関する国際的な取組

現代の経済
現代の日本経済及び世界経済の動向について関心を高め、日本経済のグローバル化をはじめとする経済生活の変化、現代経済の仕組みや機能について理解させるとともに、その特質を把握させ、経済についての基本的な見方や考え方を身に付けさせる。

現代経済の仕組みと特質
経済活動の意義、国民経済における家計、企業、政府の役割、市場経済の機能と限界、物
価の動き、経済成長と景気変動、財政の仕組みと働き及び租税の意義と役割、金融の仕組みと働きについて理解させ、現代経済の特質について把握させ、経済活動の在り方と福祉の向上との関連を考察させる。
マクロ経済の観点を中心に扱うこと。「市場経済の機能と限界」については、公害防止と環境保全、消費者に関する問題も扱うこと。また、「金融の仕組みと働き」については、金融に関する環境の変化にも触れること。

経済活動の意義
・経済活動は分業と交換に基づき人間生活の維持・向上のために行われるもの。
・「何をどれだけ」、「どのような方法で」、「誰のために」生産すべきか。

国民経済と国際経済
貿易の意義、為替相場や国際収支の仕組み、国際協調の必要性や国際経済機関の役割について理解させ、グローバル化が進む国際経済の特質について把握させ、国際経済における日本の役割について考察させる。

現代社会の諸課題
政治や経済などに関する基本的な理解を踏まえ、持続可能な社会の形成が求められる現代社会の諸課題を探究する活動を通して、望ましい解決の在り方について考察を深めさせる。

現代日本の政治や経済の諸課題
・少子高齢社会と社会保障
・地域社会の変貌と住民生活
・雇用と労働を巡る問題
・産業構造の変化と中小企業
・農業と食料問題

国際社会の政治や経済の諸課題
・地球環境問題
・資源・エネルギー問題
・国際経済格差の是正と国際協力
・人種・民族問題と地域紛争
・国際社会における日本の立場と役割

政治学覚え書き⑭(戦後の政治史)

 もはや趣味の記事。ラララ言えるかな~歴代の総理~♪

昭和(戦後)

45代:吉田茂(第1次)1946~1947
民主自由党。
元は外交官で、鳩山一郎がGHQからの横槍(公職追放処分)で自由党の党首になれなかったことから、鳩山一郎の友人だった吉田茂に白羽の矢が立った。
政治家としての後ろ盾がないため、吉田学校を作り、官僚を政治家に育てた。教え子には池田勇人、佐藤栄作、田中角栄など。
マッカーサーと駆け引きしたくらい度胸のある人で、記者に水をかけたり、やりたい放題。「ワンマン宰相」と呼ばれた。
しかしその強引な実行力がサンフランシスコ平和条約、日米安保条約の調印を可能にし、日本の早期復興を実現させたのだ。

46代:片山哲1947~1948
日本社会党の初代委員長(戦前に社会民衆党を結成)。
片山さんは熱心なクリスチャンでマッカーサーの推薦もあった。
保守政党(自由党→自民党)の最大のライバルである社会党政権。
しかし単独過半数の議席は持っておらず、自由党と民主党の二つの保守政党が連立すれば自由党の政権は維持できたのだが、吉田さんの「第一党の党首が総理になるべきだ」という憲政の常道論によって政権を譲り渡した。
この展開(政権交代)に大慌てしたのが、ほかでもない社会党で、内部対立(特に公共料金値上げの是非)が相次ぎ、あっさり総辞職。中道政党ゆえの悲劇であった。

47代:芦田均1948
民主党&社会党&国民共同党の3党連立内閣を発足。
昭和電工事件(贈収賄)の責任を取る形で総辞職。『総理と呼ばないで』並みの短期政権で(7ヶ月)「戦後最も影の薄い総理大臣」と呼ばれた。

48~51代:吉田茂(第2~5次)1948~1954
民主自由党。
鳩山さんの代役だったはずが権力の座が気に入ってしまったのか再び総理に。しかも長期政権。GHQに働きかけて鳩山さんの復活を遅らせるなどの裏工作をし、それがバレて鳩山さんの闘士に火をつけることになる。
インフレに喘ぐ日本をなんとかディスインフレ傾向に誘導させる。
社会党右派の西村栄一議員のねちっこい質問に対して「馬鹿野郎」とつぶやいたのをマイクが拾ってしまい議会を解散。

55年体制開始(保守合同)

52~54代:鳩山一郎(第1~3次)1954~1956
日本民主党→自由民主党
55年、西側陣営入りを主張する社会党右派と、東側陣営入りを主張する社会党左派が統一し、日本が社会主義になるんじゃないかという危機感から、財界からの要請を受けて民主党と自由党の保守政党が合体した。これを保守合同という。
これにより自由民主党が誕生。総裁は吉田茂の妨害をなんとかはねのけて病床から復活した鳩山一郎、幹事長は岸信介だった。
これにより改憲、保守、安保護持の自民党VS護憲、革新、反安保の社会党の二大政党制になったが、議席数を見る限り、社会党の議席数は自民党の半分で1と1/2政党と言われた。でも憲法改正は総議員数の3分の2の賛成が必要な特別多数決なので、別にこの状況でも憲法は改正できないし、まあいいか、と社会党は満足してしまった。
この野党の現状維持路線が55年体制が長く続く原因にもなった。
鳩山首相は日ソ共同宣言でソ連との国交を回復すると内閣を総辞職し、政治の世界から引退。
以降自民党内部の派閥争い(宰相ゲーム)によって総理が変わっていくことに。

55代:石橋湛山1956~1957
自由民主党。
日本中を回って有権者の声を聞いて回ったが、それがたたったのか、在任してわずか二ヶ月で病気になり退陣。総理の座を岸信介に譲るが、その後病気は回復。ハト派の重鎮として活躍する。

56~57代:岸信介(第1~2次)1957~1960
自由民主党。
日米安保条約を改定。「昭和の妖怪」と恐れられ、時に強硬な手段で満州を開発した天才だったが、日本では国会を国民に取り囲まれるという散々な目にあった。

58~60代:池田勇人(第1~3次)1960~1964
自由民主党。
頭は切れるが冷徹なイメージがあった岸総理に代わって、苦労人で軽いイメージの池田総理は、税の専門家で「所得を10年で2倍にします。私は嘘を申しません」と、所得倍増計画をコマーシャルで公言した。実際公共事業が増え、雇用は拡大、給料は上がり、税率は下がり、貯蓄は増え、消費は活発化した。日本を経済大国にしたのはこの人である。
しかしエンジニアの人材育成のため学校現場では詰め込み授業が行われ、落ちこぼれ、校内暴力などの問題が起きる原因になった。
さらに九州で勃発した労働運動に対して斡旋を受け入れるように働きかけている。これはエネルギーのメインが石炭から石油に変わったことが原因だった。

61~63代:佐藤栄作(第1~3次)1964~1972
自由民主党。
岸信介の弟である。沖縄問題に力をいれ、「沖縄の復帰がなければ戦争が終わったことにはならない」と宣言。ジョンソン大統領に返還を要求する。国民やマスコミの反応は冷ややかだったが、天才を兄に持つ弟持ち前の粘り強さで沖縄返還を有言実行した。
「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を国会で明らかにし、ノーベル平和賞も受賞しているが、日本に残ったアメリカの核兵器について密約があったことが、後の民主党政権で公開された(撤去した核兵器を日本に再び持ち込みたいとアメリカが事前協議をしてきたら、日本政府はそれを必ず受け入れるという内容)。
また、パク・クネ大統領のお父さん(パク・チョンヒ)と日韓基本条約も結んでいる。

64~65代:田中角栄(第1~2次)1972~1974
自由民主党。
とにかく人気のあった政治家で、「庶民宰相」「今太閤」「越後のコンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた。建設会社社長を経て、戦後最年少で総理に就任、高等小学校(中学校)卒の学歴で日本のトップにのし上がる。
田中角栄の持論を秘書や記者、官僚がまとめた『日本列島改造論』は91万部のベストセラーになり、その理念(拠点都市の分散、国土のバランスのとれた発展)はアベノミクスにも影響を与えている。
さらに、周恩来と日中国交正常化をわずか二ヶ月で成し遂げてしまった(台湾とは国交断絶)。
73年の第一次石油危機の際には、アラブ諸国から石油を買いたいがためにイスラエルの占領政策を非難、これに怒ったアメリカのユダヤ勢力にロッキードスキャンダルを暴露されて退陣するはめになった。
その後、竹下登が自分の派閥を結成したことに怒って脳溢血で倒れ引退。娘の田中真紀子が後を継いだ。
小沢さんを可愛がったが、小沢さんのリーダーのイメージは角栄とは結構違う。

66代:三木武夫1974~1976
自由民主党。
田中角栄に「政治のプロ」と言わしめた人物で、永田町で生き残るために敵味方をどんどん変えていく「バルカン政治家」と呼ばれた。田中内閣時代は副総理だったが、金にものを言わす角栄と、クリーンな政治を信条とする三木は対立していく。
ロッキード事件の徹底的解明を約束したが、これが一部の自民党議員から反感を買い、三木おろしが始まってしまった。
政治資金規正法、公職選挙法を改正。

67代:福田赳夫1976~1978
自由民主党。
田中角栄のライバルで角福戦争を繰り広げた。
経済政策(70年代の経済危機はこの人が回避)と外交(日中平和友好条約)で手腕を発揮したが、なぜか次の総裁選(大福戦争)の予備選で敗北。
「国民の声は天の声というが、たまに変な声もある」と負け惜しみのセリフを述べた。
福田語録と呼ばれるほど名言を数多く残しており、「狂乱物価」「人命は地球より重い」などが有名。

68~69代:大平正芳(第1~2次)1978~1980
自由民主党。
「アーウー」が口癖で「讃岐の鈍牛」と呼ばれたが、実際は政界きっての知性派。
失言をしないように気をつけていただけだった。
外務大臣の経験が長く外交のプロでもある(日韓交渉や日中国交正常化交渉など)。
角栄に接近し党内でのし上がり大福戦争に勝利。総理大臣になるが、解散総選挙の際に心不全で亡くなる。戦後初の現職総理の死だったが、選挙は歴史的な大勝をした。
「政治とは明日枯れる花にも水をやることだ」
「政治は甘い幻想を振りまいてはいけない、国民も過大な期待を政治に寄せてはならない」
などの名言がある。

70代:鈴木善幸1980~1982
自由民主党。
大平総理の急死を受けて大抜擢。温厚な性格で党内融和路線を取る、調整のプロ。
外交に関しては「日米関係は同盟関係じゃない」と発言し、アメリカの不信を買ってしまう。ちなみに海外メディアは、当時無名だった鈴木総理を「ゼンコー?WHO?」との見出しをつけて紹介した。
またこの頃あたりから赤字国債の返済がもう不可能なんじゃないかって薄々気付きだす。
政権自体は安定していたが次期総裁選には出馬せずに辞任した。
「もとより私は総裁としての力量に欠けることを十分自覚している」が彼の性格をよく表しれいる。

71~73代:中曽根康弘(第1~3次)1982~1987
自由民主党。
反吉田の急先鋒だったが吉田学校の佐藤栄作政権の時に態度を一変させて閣僚入り。
このため「風見鶏」と呼ばれる。
レーガン大統領とすごい仲良しで(そのため大統領型首相と言われた)、プラザ合意により日本のバブル景気のきっかけを作り、「戦後政治の総決算」を掲げて、国鉄や電電公社を民営化した。官から民へ、アメリカ大統領と親密、ということで小泉総理と似ている。

74代:竹下登1987~1989
自由民主党。
中曽根前総理の強い後押しで総理大臣になる。中曽根内閣で失敗した売上税問題を決着させるために消費税導入で強行採決。その後リクルート事件が発覚し、消費税導入で反感を買っていた国民にNOを突きつけられてしまった。
気配りの人で「汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう」と言っていた。確かにどう考えても貧乏くじ確実の消費税導入はこの人じゃないとできなかったのかもしれない。

平成

75代:宇野宗佑1989
自由民主党。
リクルート事件を受けて、クリーンなイメージを出すために無名の宇野さんを総理にしたが女性スキャンダルで退陣。
芸術文化の才能に恵まれ、さらに完璧な国会答弁をこなすなど勉強家だった。

76~77代:海部俊樹(第1~2次)1989~1991
自由民主党。
三木派の秘蔵っ子。三木武夫を尊敬し、自民党総裁選で田中角栄に敗れたときは号泣したという。三木さん同様クリーンな政治家だった。女性を中心に国民の人気はとても高かったが、党内の人気は今一つで竹下派の反発を買って、不完全燃焼的に総理の座を譲った。

78代:宮澤喜一1991~1993
自由民主党。
PKO協力法を成立、自衛隊をカンボジアに派遣した。
政治改革関連法案(小選挙区制導入)を廃案にしたことから、離党者を大量に出すことになる。これにより羽田孜の新生党、武村正義(ムーミンパパ)の新党さきがけが誕生。
ハト派の政治家と知られ見た目も温厚そうだが、割と毒舌で酒好きだった。

55年体制崩壊

79代:細川護煕1993~1994
日本新党&新生党&社会党&公明党&民社党&社会民主連合&新党さきがけ&民主改革連合の7党1会派政権。
自民党の議席数が過半数を割ったので、自民党以外のすべての政権が合体すれば政権を取れるんじゃね?と小沢さんが持ちかけて、本当に実現させてしまった。
細川内閣は大政党に有利だった中選挙区制を小選挙区比例代表並立制に変える選挙制度改革を行なったが、その目標が達成されると求心力は低下、政治資金の不正疑惑が決定打になって細川内閣はあっけなく崩壊した。

80代:羽田孜1994
自民党以外の連立政権は、小沢さんの支配を嫌う社民党が離脱し少数与党になってしまう。今度は新生党の羽田さんをリーダーにするが、少数では政権は維持できなかった。
『総理と呼ばないで』に出てきたFAX目安箱をやった人。ろくな意見は届いたのだろうか。田中角栄からは「政務の羽田」と呼ばれ、同じ竹下派七奉行の小沢さんなどと親交がある。
「アレする」「~というふうに」が口癖。

81代:村山富市1994~1996
日本社会党&自民党(&新党さきがけ)という衝撃的な連立政権。反小沢というキーワードで冷戦時代のライバルが手を組んでしまった。
リーダーは社会党の村山さんで、これは47年の片山内閣以来のことだった。
社会党政権のまさかの「自衛隊は憲法違反じゃない&日米安保賛成」発言に国民は「今までの対立は何だったんだ」と政治に失望。
ラスウェルで言う「脱政治的無関心」が増えることになった。
村山さんは「とんちゃん」と親しまれたが、70歳で首相になったため疲れてしまい、連立政権のリーダーの座を自民党に譲ることにした。
このような自社さ連立政権の動きを批判した鳩山由紀夫は菅直人と共に民主党を結成する。
ちなみに村山総理は、左の日教組と右の文科省を強調させた人物である。

82代:橋本龍太郎(第1~2次)1996~1998
自由民主党&社民党(社会党が名称変更)&新党さきがけの連立政権だったが、途中で連立解消があり自民党の単独内閣になる。
小渕、小沢、羽田などの竹下派七奉行の一人であり政策通だった。
あとイケメンでおばさんからアイドル的人気があった。
行財政改革により省庁を再編、数を半減させた。
しかしバブル崩壊後の対策として消費税を5%に上げたら選挙で惨敗。
消費増税は政治家にとって鬼門なのだ。

84代:小渕恵三1998~2000
自由民主党の単独内閣だったが、その後公明党と今に至る連立を組む。
自民党は今まで公明党に対して「政教分離に反する!」と批判していたのだが、こういう節操のなさ、政権取れれば何でもやっちゃう主義は(マーベルか)今に至る自民党の強さとして逆説的に評価されている。
小渕さんは「凡人(C)田中真紀子」「冷めたピザ」「平成の借金王(これは自称)」と揶揄されながら、周辺事態法、通信傍受法、国旗・国歌法などの重要法案を通した人格者だったが、脳梗塞で突然死してしまった。現職総理の死は大平総理に続いて戦後では二例目。
地域振興券、ゼロ金利政策、ITバブル(ブッチフォン)、男女共同参画社会基本法・・・また平成おじさんとしても有名。

85~86代:森喜朗(第1~2次)2000~2001
自由民主党。
「サメの頭脳とノミの心臓」を持つと揶揄された。党内では今なおその名を轟かす実力者だが「日本は神の国」発言で退陣してしまった。

87~89代:小泉純一郎(第1~3次)2001~2006
自由民主党。
「永田町の変人」と田中真紀子さんに評される。自民党をぶっ壊すと宣言し、聖域なき構造改革(規制緩和)を実行した。
悲願の郵政民営化や日朝首脳会談も実現。最近ではウルトラファミリーになった。
フォーエバラブ。

90代:安倍晋三(第1次)2006~2007
自由民主党。
若くして総理大臣になったが閣僚の不祥事が相次ぎ支持率が急落。
体調を崩して辞任してしまった。
教育基本法を改正。

91代:福田康夫2007~2008
自由民主党。
「あなたとは違うんです」と記者に逆ギレしたのは覚えている。

92代:麻生太郎2008~2009
自由民主党。
漫画の殿堂を造った。リーマンショックのとばっちりで下野する羽目に。まあ今、楽しそうだからいいか。

政権交代

93代:鳩山由紀夫2009~2010
民主党&社会民主党&国民新党の連立政権。
政権交代がよほど嬉しかったのか、沖縄の基地問題について「最低でも県外」と適当な約束をしてしまい退陣。沖縄の人を失望させたばかりか、日米関係も冷え切った。
ちなみに奥さんは宇宙人とあったことがあるというすごい変わり者。

94代:菅直人2010~2011
民主党&国民新党の連立政権。
「イラ菅」と呼ばれ、東日本大震災が起きたとき役に立たないスタッフに怒鳴ってしまったという。菅さんはなんで失脚したのか未だに謎。誰か教えてw
ちなみに若い頃には全学闘争委員会の過激なやり方に疑問を持ち、「大学改革推進会議」を立ち上げたり、麻雀の自動計算機を発明したり、薬害エイズ問題に尽力している。

95代:野田佳彦2011~2012
民主党&国民新党の連立政権。
民主党の「官から民へ!(行政の民主化)」の変革がリアルではうまくいかないことを実感し、これまで自民党がやってきたことは問題もあったけれど、それはそれで意味があったんだなと、消費増税や官僚政治に再び路線変更をしてしまう。
もうマニフェスト違反丸出しで、消費増税に反対する小沢さんが「国民の生活が第一」という党を作って離脱。民主党は下野してしまうが、野田さん自身の評価は政治記者などからは高かった。

再び政権交代

96代:安倍晋三(第2次)2012~
自由民主党。
病気を克服し復活。アベノミクス、教育改革、憲法改正、集団的自衛権などいろいろやっている。一度退陣しながらも期間をおいて再び総理に返り咲くパターンはなんと吉田茂以来である。体調に気をつけて頑張れ安倍さん。

法律学概論覚え書き③

平和主義(憲法第9条)

①戦争放棄(第9条1項)
「永久にこれ(戦争と武力の行使)を放棄する」
自衛権も放棄したのかが争点。正当防衛=個別的自衛権(自然権)は放棄せず?
集団的自衛権は禁止。いろいろ今動いてるけど(憲法解釈を変更しようとしている)。

②戦力不保持(第9条2項前段)
「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」
戦力に自衛隊は含まれるのか?自衛のための必要最小限度の実力にすぎない?

③交戦権の否認(第9条後段)
「交戦権はこれを認めない」
92年のPKO協力法は合憲。停戦勧告・監視のみで交戦は含まれず。

統治行為論
国家の行為のうち国家統治の基本に関わるような極めて政治性の高い案件に関しては裁判所の司法審査対象にならないという考え。

日米安保問題

初代日米安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約)
51年にサンフランシスコ平和条約とセットで締結した。講和条約を結ぶとアメリカ軍は引き上げなければならないため、これにより契約更新となった。
ポイント
①日本が独立したあとも米軍が日本に駐留できる。
②自国を防衛する努力を日本に要請。
③駐留アメリカ軍は日本の安全に寄与するために使用できる。
④ただし③は特に確約はしてない。
⑤日本で内乱が起こったらアメリカは軍事介入できる(内乱条項)。

新安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)
岸信介首相が不平等だった日米安保条約を改訂しようと持ちかけた。
批准を強行採決したため「民主主義の破壊だ!」ということで60年代安保闘争に。
明治、中央、東京大学の学生が国会に突入、東大の女子学生が亡くなったことで全国に衝撃。
岸首相は自衛隊の出動を要請したが、防衛庁長官は拒否。
この混乱でアイゼンハワー大統領の来日は中止(警備体制に不安があったため)、74年のフォード大統領が初の訪日大統領になった。
ポイント
①アメリカの日本防衛義務が明確化。
②日米政府の事前協議の枠組みが設定。
③日米の政治的・経済的協力の促進。
④主権を侵害するとして内乱条項は削除。
⑤駐留アメリカ軍の行動はアメリカ議会の承認が必要。
⑥1970年までの期限付き条約(現在自動延長)

日米地位協定
アメリカ軍に基地を提供する取り決め。
アメリカ軍兵士への特権、税金免除。裁判権。
日本の警察は悪さをしたアメリカ軍兵士を基地内で逮捕できないなど、不平等性が指摘されているが、地位協定自体は日本の自衛隊が国外で活動する際にも保障されている特権である。

1989年冷戦終結

1990年湾岸戦争
日本は130億ドルもの資金を多国籍軍に提供したがクウェートに感謝もされず、やっぱり金だけ贈るんじゃダメで、自衛隊を国際貢献のために派遣させるべきだということになる。

1991年自衛隊ペルシャ派遣
自衛隊初の海外派遣。多国籍軍と共にペルシャ湾の機雷を処分した。

1992年PKO協力法
東南アジアのカンボジアにPKOとして初めて自衛隊を派遣。道路などインフラを整備した。
以降自衛隊はモザンビーク→ゴラン高原→東ティモール→ネパール→スーダン→ハイチなどに派遣されている。

1996年日米安保共同宣言&1997年日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)
橋本総理&クリントン大統領が発表。
冷戦終結後も日本でのアメリカ軍の水準を維持。日本周辺の有事の際には日米が協力。

1999年周辺事態法
新ガイドラインを具体化。アメリカ軍の活動への自衛隊の後方支援などを定める。
日本が直接武力攻撃を受けたときに限定されていた日米防衛協力の範囲が拡大。

2001年テロ対策特別措置法
同時多発テロを受けて、自衛隊が初めて戦時に海外派遣。インド洋でアメリカ軍に給油活動。

2003年イラク復興支援特別措置法
内戦状態のイラクに非戦闘地域があるのか?という質問に、小泉総理が「自衛隊が派遣されるところが非戦闘地域」というよくわからない答弁をしたことはあまりにも有名。

砂川事件
1957年、立川基地拡張に反対する砂川町の住民がデモを起こし、基地の柵を壊して中に入ってきてしまった事件。学生運動、安保闘争、全共闘運動の先駆けとなった。

東京地裁第一審(1959年3月:伊達判決)
伊達秋雄裁判長が駐留米軍に違憲判決。検察側が飛躍上告(控訴飛び越し)。

最高裁(1959年12月:飛躍上告審)
統治行為論に基づき憲法判断回避。デモ隊の7人に逆転有罪判決。

東京地裁差し戻し審(1961年)
罰金2000円の有罪判決。

自衛隊問題

1950年朝鮮戦争がきっかけでアメリカの要請(ポツダム政令)で警察予備隊が結成。

1952年に保安隊に。
警察予備隊と海上警備隊が合体。

1954年航空自衛隊新設。
保安隊を陸上自衛隊、海上自衛隊と改称し自衛隊が誕生。

軍隊ではないということなので呼称がややこしいことになっている。
戦力→実力
軍事費→防衛費
戦車→特車
爆撃機→対地支援戦闘機
戦艦・巡洋艦→護衛艦
軽空母→輸送艦

※ただ海外にセルフディフェンスフォースと言っても伝わらないのでジャパンネイビーとおもいっきし言ってる。

芦田修正
1946年、芦田均日本政府憲法改正小委員会委員長が第9条第二項に「前項の目的(国際紛争を解決する手段としては)を達成するため」という文言を付け足した。
これにより国際紛争を解決する手段としては戦力を放棄したが、自国を守るためなら保持してもいいと解釈できるようになった。

憲法変遷論(解釈改憲)
自衛隊は第9条解釈ではどう考えても違憲だが、存在の必要から国民の合意が得られたとして、事実上認めようとする学説。

長沼ナイキ基地訴訟
夕張郡長沼町に航空自衛隊のナイキハーキュリーズ地対空ミサイルの基地を建設するため、1969年に政府が保安林の指定を解除したことに対し、住民が取り消しを求めた行政訴訟。

札幌地裁第一審(1973年:福島判決)
福島重雄裁判長は憲法第9条2項前段「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」に違反するとして違憲判決。また住民の平和生存権を侵害するものであるとした(ミサイル基地が敵国の攻撃目標になる可能性が高いため)。

札幌高裁第二審(1976年)
統治行為論に基づき憲法判断回避。森林を失うことによる洪水の危険は代わりにダムを作るから勘弁してということになった。

最高裁(1982年)
住民側の訴えを利益がないものであるとして棄却。違憲審査には言及すらしなかった。

下級裁判所では日米安保条約、自衛隊に対してそれぞれ一度だけ違憲判決を出している!
最高裁は日米安保条約、自衛隊に対して一度も違憲判決は出していない!


恵庭事件
北海道千歳郡恵庭町に住む酪農家兄弟が近くの自衛隊の演習場の銃声がうるさいとして電話線を切断しちゃった事件。
射撃訓練をする時には事前に酪農家に連絡するという約束を自衛隊が破ったため。

札幌地裁第一審(1967年)
検察が訴える防衛器物の破損に電話線は当たらないとして酪農家に無罪判決。
自衛隊の合憲性には言及されなかったため肩透かし判決と言われた。

百里基地訴訟
茨城県で航空自衛隊の百里基地の建設予定地を所有していた住民が、基地反対派の住民にその土地を一度売ったが、その契約を後に解除して防衛庁に売ってしまった事件。
土地の所有権と自衛隊の合憲性が争点になった。

水戸地裁第一審(1977年)
統治行為論に基づき憲法判断回避。建設反対派住民は敗訴。
東京高裁第二審(1981年)
建設反対派住民は敗訴。

最高裁(1989年)
憲法判断なし。基地反対派住民の上告を棄却。

集団的自衛権問題

国連憲章の第51条において明文化された権利。
どこかの国が武力攻撃を受けた場合、直接攻撃を受けていない第三国も、攻撃を受けた国と協力して防衛に当たること。
日本で言うならば、同盟国アメリカへの攻撃を自国への攻撃とみなして、アメリカを襲った勢力に反撃することができる。これは日本が攻められなくても、積極的に戦争の当事者になるということであり、慎重論も根強い。
理屈は政治学覚え書き⑫に。

72年見解
自衛権の行使が許されるのは「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される急迫、不正の事態」のみだという解釈。
集団的自衛権の行使は憲法に反するとして認めていない。

高村私案
現自民党副総裁高村正彦さんの考えた案。
72年見解の「事態」を「おそれ」に置き換えた。実際にその事態に陥らなくても、「おそれがある」と政府が判断すれば、集団的自衛権を使えるようにしたいらしい。

シーレーン防衛強化
シーレーンとは海上交通路のこと。政府は戦闘下の機雷の除去も可能にしたいという。
ASEANやインドと共にシーレーンを守ることで中国を牽制する。

駆け付け警護
自衛隊が武装集団に襲われた国連職員らを救出すること。

公明党の動き
自民党と連立する公明党は集団的自衛権行使にはかなり慎重な立場で、公明党の北側一雄副代表は、その行使を「国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される急迫、不正の事態」に限定するよう求めていたが、自民党に押し切られてしまう可能性が高いという。

日本思想覚え書き②

 日本思想の歴史、残り。

明治時代

明六社
近代西洋の思想文化を紹介するために明治6年に結成された学術団体。
森有礼(初代文部大臣):明六社発起人で男女同権の一夫一婦制を主張。
西周(にしあまね):フィロソフィを哲学と翻訳。他にも「概念」「主観」「客観」など
中村正直:スマイルズ『西国立志編』(欧米人の成功談集)やミルの『自由の理』を翻訳。
加藤弘之:社会進化論。国家の利益を優先する黒鍵論。
西村茂樹:『日本道徳論』が忠君愛国の教育勅語が発布される要因になる。

福沢諭吉(天賦人権論)
明六社のメンバーで唯一民間人だった思想家。慶応大学創設者。
緒方洪庵の適塾で学ぶ。
自然権や自然法思想の影響から人権は天から与えられたとする天賦人権論を唱え、自由で平等な個人には、独立心(独立自尊の精神)と実学が必要だと説いた。
「一身独立して一国独立す」
儒学を「世の中を停滞させるもの」と批判。近代的な西洋諸国の仲間入りを果たすべきだとする脱亜論を主張した。

福地源一郎
幕末~明治のジャーナリスト、劇作家。
ソサエティの訳語「社会」という言葉を作った人。

自由民権運動
板垣退助の「民選議院設立の建白書」をきっかけに始まる。
明六社がミルやスペンサーなどのイギリスの思想に影響を受けたことに対して、自由民権思想はルソーなどフランスの思想に影響を受けている。
植木枝盛は私擬憲法案(私的な憲法の草案)で主権在民と抵抗権を取り入れた。

中江兆民(東洋のルソー)
ルソーの『社会契約説』を翻訳。欧米の民権は市民革命によって民衆自らが勝ち取った権利(恢復的民権)であるとし、これに対して日本の民権は政府により与えられた民権(恩賜的民権)であって民衆自らが勝ち取ったものではないと考えた。
また国会開設と憲法制定を主張。

内村鑑三(二つのJ)
アメリカの道徳的退廃に失望し、武士道精神の根付く日本でこそ真のキリスト教が実現すると考えたクリスチャン。エヴァンゲリズムによる無教会主義を取る。
キリストとジャパンという二つのJのために生涯を捧げ、日露戦争に反対し、非戦論を説いた。

新渡戸稲造(国連の良心、武士道)
旧5千円札。「太平洋の橋たらん」と日本と欧米の架け橋になる夢を持っていた。
国際連盟事務次長となり「国連の良心」と称えられ、日本の文化を広く海外に紹介した。代表作は世界的ベストセラーになった『武士道』。彼もクリスチャンだった。

森鴎外(諦念)
自らの立場を諦念(レジグナチオン)と呼び、不本意な批評をいちいち気にしないことにした。

夏目漱石(個人主義)
近代的自我の確立を求め、日本の近代化は外国の働きかけで起こった外発的開化であると指摘した。他人に迎合する他人本位や、他人を自分のために犠牲にするエゴイズムを批判。
強い主体性(自己本位)を重視する個人主義を主張した。
個人主義とは「他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬する」立場である。
また小さなこだわりを捨て天に則る境地、則天去私を理想とした。

大正デモクラシー

吉野作造(民本主義)
民本主義はデモクラシーの訳語だが、民主主義と訳してしまうと、国民主権を意味することになり、天皇主権に反してしまうので、民本主義という新しい訳語を作った。
でも民主主義とほとんど一緒で、主権者は天皇であっても政策決定者は国民でなければならないと、普通選挙制と政党内閣の実現を主張した。
大阪朝日新聞が右翼の攻撃を受けた白虹事件では、暴力を持って思想の自由を抑圧しようとする右翼と対決、彼らを論破した。

美濃部達吉(天皇機関説)
ドイツの法学者イェリネックの国家法人説に影響を受け、君主は法人である国の機関であるという天皇機関説を主張し、大正デモクラシーの代表的理論となった。
日中戦争が勃発すると、彼の天皇機関説は国体(天皇を神とみなす政治体制)に反すると避難されて、著書は発禁処分になる。

平塚雷鳥(女性解放運動)
青鞜社を設立。女性だけの文芸雑誌を出版した。「元始女性は実に太陽であった」

大杉栄(アナーキズム)
政府や政党など全ての権力を否定。

河上肇(貧乏物語)
貧乏を20世紀の大病とし、マルクスの思想を広めた。

昭和

北一輝(超国家主義)
個人よりも国家、外国に対しては侵略主義という極端な国家主義思想のことで、これに影響を受けた青年将校が二・二六事件を起こしたため、事件の首謀者とみなされて処刑されてしまった。

柳田国男(日本民俗学)
日本の歴史でフューチャーされるのは貴族や武士といった特権階級、そしてそれを記録するのは知識人であるが、柳田国男は陰で歴史を支える名も無い多くの庶民(常民)に注目した。つまり知識人の書き残した文献ではなく、無名の庶民のあいだで受け継がれてきた生活の知恵や習慣・伝説、信仰などに日本文化の基層を求めたのである。
代表作に岩手県遠野地方の伝承をまとめた『遠野物語』がある。

折口信夫(まれびと)
民俗学者、国文学者、そして歌人。
日本の神の正体は村落の外部からやってくる客人(まれびと)だったのではないかと考えた。つまり折口信夫はまれびとを迎える側の解釈によってそれは神にでも祖霊にでもなると考えた。
柳田国男と交流があり、このまれびとの是非をめぐって論戦も交わされている。

柳宗悦(民芸運動)
民芸という言葉を作った人。民芸とは無名の職人が作った民衆のための日用品のこと。
この民芸品に柳宗悦は美を見出し、その芸術的価値を認めた。
また朝鮮の美術に深い理解を示し、日本の植民地政策を批判した。

南方熊楠(神社合祀反対)
粘菌(ムラサキホコリカビ)の研究で活躍した博物学者。神社の周りにある鎮守の森を生態系の宝庫であると考えて、神社を統廃合する神社合祀令に反対した。

西田幾多郎(純粋経験)
『善の研究』において純粋経験の立場を確立。東洋の伝統的思考を、主体と客体を区別して論じる西洋哲学(観念論VS唯物論)と対比させた。
自我の最も直接的な経験である純粋経験のレベルでは、知・情・意の作用は未分化で、自我と世界、主観・客観の対立は存在しない。この純粋経験は個人としての自我に先立って存在する。「個人あって経験があるのではなく、経験あって個人があるのである」
これはジェームズのプラグマティズムの応用である。例えばピアノを演奏しているとき音楽家は次の音のことをいちいち考えず、夢中で指を動かしている。これが純粋経験である。

和辻哲郎(人間の学としての倫理学、風土論)
人間は孤立した存在でもなければ、社会や全体にうもれた機械の部品のような存在でもないとし(個人的であると同時に社会的)、人間とは本来、人と人との間柄において生きる存在なのだと考えた。
ヨーロッパ旅行の経験に基づいて『風土』を執筆。風土の類型を三つに分類した。
①モンスーン型 受容的・忍従的態度、汎神論的宗教(アニミズム)
②砂漠型 自然に対する対抗的・戦闘的態度、一神教(強力な人格神)
③牧場型 合理的態度(自然を支配する)
日本はさらに突発的な台風と大雪に出会うことから、激情と淡白な諦めが入り混じった国民感情が形成されているという。しめやかな激情・戦闘的な恬淡(てんたん=物事に執着せず諦めがいい)。
このように和辻倫理学は西洋近代の個人主義と、伝統的な日本の心情的共同体の関係を考察した。

現代日本思想

小林秀雄
日本の近代的批評を確立した文芸評論家。『様々なる意匠』でデビュー。
ドストエフスキー、モーツァルトなどヨーロッパの研究を経て最終的に日本の文化、とりわけ本居宣長に到達する。
母国語とその文化はそこで生まれた人間を運命的に規定していて、アイデンティティと切っても切り離せないものだと主張。しかし、その文化の伝統は普段は隠されていて、自己を知ろうと努力する人にのみ明らかになるとした。

丸山眞男
まるやままさお。マックス・ヴェーバーの影響を受けた政治学者。
明治時代の政体を民権と国権のバランスがちょうどいいとして評価。福沢諭吉を敬愛。
日本文化を、異なる思想や文化が雑居している状態と捉え、多様な思想が内面レベルにまで交わる雑種という新しい個性を理想とした。それには様々な思想と対峙する近代的主体性が必要であると説く。
また戦前の天皇の権威が軍国主義と結びついた政体を無責任の体系であると批判。
この近代意識の背景には近世の儒教思想が影響を与えていたと分析している。
戦後の日本ではGHQの指導の下に民主主義が確立したとされているが、丸山眞男によれば近代的思惟の芽はすでに明治維新以前の封建思想の内部に見られると言う。
法制度が自然にできたものではなく、先王の作為の所産によるものであるという儒学者荻生徂徠の考え方は、国家を人工的なものとみなすホッブスなどの社会契約説に通じるものがあるという。
しかし日本社会には作為の論理が根付きにくく、度々自然の論理へ引き戻される傾向があると丸山は指摘した。これこそが日本の民主政治の確立を阻害する要因なのだと言う。

日本思想覚え書き①

 日本思想の歴史、江戸時代まで。

古代

記紀神話
『古事記』『日本書紀』に伝えられる日本の神話。
日本の国土や神々はイザナギとイザナミという夫婦の神によって生み出された。
イザナミは火の神を出産する際に命を落とし、悲しんだ夫のイザナギはイザナミに会いに死後の世界に向かうが、醜い妻の姿を見て地上に逃げ帰り穢れを落とす禊を行った。
この時誕生したのが天照大神と弟のスサノオ。アマテラスは神々の世界(高天原)のリーダー的存在だが、アマテラス自身も他の神様を祀る存在なので、キリスト教やイスラム教のような唯一絶対的な神は日本神話の世界には存在しない。
アマテラスの弟のスサノオは乱暴者で水田をメチャクチャにした挙句、はた織の神様を成り行きで殺してしまった。これを天つ罪といい、国つ罪(殺生、性的タブー、病気、災害)と共に秩序を破壊する行為とみなされた。
ちなみに初代天皇の神武天皇は、ニニギノミコト(天照大神の孫)のひ孫に当たる。日本の皇室は遡ると神話につながってしまうくらい古いのだ。

清明心(→正直→誠)
古代日本が理想とした自然のように清らかで明るい心。
他人に対して嘘をつかず、わがままな心が一切ない。
この心は中世になると正直、近世には誠と呼ばれる。

飛鳥時代

聖徳太子
最初に仏教思想を理解した思想家。
仏教・儒教の精神に基づいて一七条の憲法を制定した。
第二条では仏・法・僧への三宝への帰依が説かれている。
第十条では欲望にとらわれて迷う凡夫の自覚が説かれている。
上下ともに親和的関係を築いた上で話し合いを続ければ自然と道理が通るといして、和を尊重した。「和をもって尊しとなす」
聖徳太子は世間は虚しい仮の世界で、仏だけが真実だという言葉を残して亡くなった。
これはそれまでの日本の死生観を根底から覆すものだった。

奈良仏教

鑑真
5回にわたる渡航失敗で失明をしてしまった唐の僧侶。
6回目でなんとか来日し、戒律や経典をもたらした。
戒:自分で自分に誓う
律:集団の規則
これにより日本は授戒(戒を誓う儀式)の重要性が認識された。
奈良時代になると仏教は国家の安全を守る鎮護国家の役割を担うようになり、支配者層のあいだで急速に広まった。

平安仏教

最澄(天台宗)
それまでの仏教に疑問を抱き比叡山にこもって修行。桓武天皇に認められ遣唐使として唐で天台宗と密教と禅を学んだ。
帰国後は比叡山に延暦寺を建て天台宗の教えを広めた。以後比叡山は仏教を学ぶエリートの登竜門的存在になった。
最澄は全ての人が仏になる素質があると修行の重要性を説いた。
本山は滋賀県の比叡山延暦寺。

空海(真言密教)
空海は最澄とともに遣唐使として唐に留学、インドで発達した大乗仏教である密教を学ぶ。
本尊は万物を照らす太陽に由来する大日如来。
真言とは仏の真実の言葉である呪文。
空海は、現世で大日如来と一体化できると主張し(即身成仏)、これは煩悩にまみれた人間は死後でないと仏になれない考えと対極的なものだった。
すべての仏や神が大日如来の分身であるという世界を図式したものがマンダラである。
本山は和歌山県の高野山金剛峯寺。

鎌倉新仏教
貴族など一部の階級のためのものだった仏教が庶民にも広まった。
難しい教学の学習や、厳しい戒律を守ることは庶民には難しいので、誰でも実践できる簡単な教えが特徴。

法然(浄土宗)
中国浄土宗を大成した善導に影響。無許可で浄土宗を開いた。
ほかの一切の修行を捨てて、念仏に専念せよという専修念仏を説いた。
「南無阿弥陀仏」と念仏に専念すれば、仏の力によって救われるとした、法然の浄土宗は他力(仏の力)の中の自力(念仏)の行いである。
この他力救済の教えは当時の仏教界では大変革新的なものだった。

親鸞(浄土真宗)
法然を生涯の師とリスペクト、法然が念仏停止の迫害を受けたときには抗議し、僧籍を剥奪、流刑された。
流刑の地では、結婚し子どもを設け、日常生活を営みながら仏教を信仰(在家仏教)、僧侶は生涯独身という常識を覆した。
自分の弱さを自覚し仏にすがろうとする悪人こそが阿弥陀仏の救いの対象だという悪人正機説を主張した親鸞は、すべての人間は悪人だと考え、一切の自力を排除し仏にすべてを委ねるべきだと考えた(絶対他力=他力の中の他力。
浄土真宗は室町時代に蓮如によって急速に民衆に伝わった。

一遍(時宗)
全国をまわり踊念仏を広めた(遊行上人)。
一遍は死ぬ前に煩悩があっては極楽に往生できないので、常に一瞬一瞬を臨終の時と心得るように説いた。ちなみに踊念仏は今の盆踊りだったりする。

栄西(禅宗:臨済宗)
自分が生まれる前の自分について考えることで真理に接近。下級武士を中心に広まる。
茶道や絵画、建築、書道などの日本文化に影響を与える。
悟りは手段。

道元(禅宗:曹洞宗)
この世に生きているうちに悟りを開け。日常生活すべてが座禅の修行に通じる。
悟り自体が目的。一切の自我への執着を捨てた状態を身心脱落という。
本山は福井県の永平寺。

日蓮(法華宗)
法華教こそが唯一の正しい教えだと主張。真言宗を始め他宗派を徹底的に批判(折伏)。
法華宗以外を排除しないと災いや外国からの侵略を受けると予言した。
この過激な主張から、幕府は日蓮と法華教を迫害、弾圧するが、その後元寇が起こり予言は的中、支持者は急速に増えることになった。

江戸時代

藤原惺窩&林羅山(朱子学)
藤原惺窩は、初代将軍徳川家康に文官を依頼された朱子学者で、自他共に偽らず上下の差別を超えて和睦する重要性を説いた。彼は元は禅宗の僧侶だったが、世間の対人関係を重視しない仏教に疑問を持って儒学に転向している。
藤原惺窩は家康の依頼を断り、代わりに弟子の林羅山を推薦した。林羅山は家康から家綱までの4代の将軍に仕え朱子学の基礎を固めた。
林羅山は天が上にあり地が下にあるように人間の身分にも上下の区別があるという上下定分の理を中心思想とし、江戸の身分制度を正当化した。
朱子学は松平定信の寛政の改革(寛政異学の禁)によって正学とされ、圧倒的影響力を持つようになった。

その他の朱子学者
山崎闇斎:敬内義外(心の内につつしみ、正しさを自己と他者に)、垂加神道(神道+儒教)
木下順庵:徳川綱吉の家庭教師。新井白石ら多くの朱子学者の師匠。
新井白石:徳川家宣の家庭教師。歴史研究書『読史与論』『西洋紀聞』など深い西洋理解。
雨森芳洲:対馬藩で朝鮮外交担当。外交は誠実と信頼。文化相対主義。
貝原益軒:本草学(薬学)実証主義的態度。

中江藤樹(陽明学)
日本の陽明学のパイオニア。滋賀県出身であることから近江聖人と呼ばれる。
人を愛し敬うこと(孝)を教えの中心とし、それを親子関係だけでなくすべての対人関係の原理にした。
孝の実践(知行合一)は人間に先天的に備わっている善の心に従い(良知)、その時の状況に応じてなされるべきだとした。

山鹿素行(古学)
感情や欲望を抑え、慎みを保つことを説く朱子学に対して、感情や欲望を否定するのは間違いであると批判。抑えても内から沸き上がるものが誠であると考え、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の4書を直接研究する古学を提唱した。
また武士は指導者としての倫理的自覚を持ち、日常の生活に忙しい農・工・商の人々に道徳を教えるのが役割であると考えた。

伊藤仁斎(古義学)
直接『論語』『孟子』を読み解き、儒教そもそもの意味(古義)を明らかにしようとした。
仁斎もまた、朱子学の慎みを独善的な態度であると批判し、寛容な心の重要性を説いた。
仁とは自己と他者が互いの誤りを許し合い愛によって一つになる事だと考え、その根本が誠の心だとした。

荻生徂徠(古文辞学)
江戸中期の儒学者で、古代中国語を研究。
中国古代の先王が定めた、儀式、音楽、刑罰、政治(礼楽刑政)こそが世の中を平和にする安天下の道であるとし、経世済民を説く(経世論)。これが経済という言葉の由来になった。
また人間のあり方を決めるのは社会のあり方だという考えから、内面的なものと考えられていた道徳(道)を具体的社会制度に捉え直した。

賀茂真淵(古道)
日本に儒教や仏教が伝来する前の純粋な日本人の精神を明らかにしようとした。
奈良時代末の『万葉集』に勇壮で高貴な古代日本人の心を見て、「高く直き心」、「ますらをぶり」と表現。
これが平安時代になると女々しい、「たをやめぶり」になってしまったと指摘する。
そして日本人の精神が、女々しくなってしまった原因は儒教や仏教(からくにぶり)の理屈ばった考えのせいだとした。
人間は純粋に心のままに振る舞うべきだという賀茂真淵の考え方は、老子や荘子(道家思想)に似ている。

本居宣長(国学)
『古事記』から、古代日本人の自然な感情(真心)を見出し、これこそが中国の影響を受ける前の日本人の精神であるとした。
真心とは「良くも悪くも生まれつきたるままの心」「もののあわれを知る心」である。
また賀茂真淵が否定した「たをやめぶり」を真心の表れであると評価している。
儒教や仏教がなかった古代日本は神の御心のままに自然に統治されていたと考えた(惟神の道かんながらのみち)。

平田篤胤(復古神道)
ひらたあつたね。
仏教や儒教の影響を受ける前の神道(復古神道)を体系化。神の子孫である天皇への絶対服従を説く。いわゆる「神の国」思想。
国粋主義的傾向のある復古神道は、幕末の尊王攘夷運動や以後の大日本帝国に大きな影響を与え、カルト的色彩を帯びるようになった。
著書は『霊能真柱』(たまのみはしら)で、亡くなった人間は大国主命(おおくにぬしのみこと)が主催する幽冥界に赴き、生前の行いを元に賞罰を受けた後、幽冥界から地上界を見守り続けることができると論じた。死後の世界は生前の世界とつながっているので、仏教のような偽りの救済に走ってはいけない。

石田梅岩(石門心学)
商人の営利活動を「侍の録に同じ」と肯定、身分とは上下の区別ではなく対等な分業だと考えた。石田梅岩は独学で仏教・儒教・神道を学び、それを融合した町人道徳、心学を創始し、正直・倹約・知足安分(自分の身分や職業に満足すること)が説かれた

安藤昌益(忘れられた思想家)
第二次世界大戦後カナダの外交官ハーバード・ノーマンによって取り上げられた人物で、江戸時代で身分制度や封建制度を批判した唯一の思想家である。
武士を不耕貪食の徒(タダ飯ぐらい)と批判し、身分の差別がなくすべての人々が農業に従事する万人直耕の自然世を説いた。

二宮尊徳(報徳思想)
小田原藩に使え農村復興に貢献した農政指導家。
幼くして両親を亡くし伯父に引き取られたが、伯父は読書家の尊徳が気に入らず、彼は山に薪を取りに行きながら本を読んで勉強した。
天道と人道によって成り立つ農業こそが人間の営みの根本だと考えた尊徳のおかげで、天保の大飢饉の際には、小田原藩だけ餓死者が出なかったという。
また自分が今ここに生きているのは、自然を始め、親や祖先、君主の徳のおかげであり、それに対して報いていくべきだと説いた。

幕末

吉田松陰(一君万民論)
長州藩士で松下村塾の先生。
日本国民すべてが天皇に忠義を尽くすべきだと主張。つまり天皇を敬うという意味で、将軍もみんな平等だということになり(大義名分論)、倒幕と明治維新に大きな影響を与える。
塾生には高杉晋作や伊藤博文などそうそうたるメンバーがいる。
ちなみに政治体制は天皇中心であり、日本の君主は天皇であるとする考え方を国体論という。
この考え方(国粋主義思想)は敗戦まで続いた。

佐久間象山(和魂洋才)
吉田松陰や勝海舟の先生で、まさに日本のレオナルド・ダビンチといった感じの天才だった。
西洋から国を守るためには西洋の技術が必要だと主張。
東洋には道徳、西洋には優れた科学技術(芸術)があるとして、儒教の精神を保ちつつ西洋の科学技術を積極的に取り入れ、日本の国力を充実させるべきだと考えた。
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