外国史概説覚え書き②

 ひいい範囲が広すぎて泣ける・・・世の高校生すごいよなあ・・・ほかの教科もやりながら、こんな量を覚えなきゃいけないんでしょ??は~リニアモーターカー授業。

仏教の成立時代からヴァルダナ朝にいたるインドの歴史
紀元前2000年に中央アジアから北インド(パンジャーブ地方)にやってきたアーリア人はバラモンという聖職者を頂点とする部族国家を作った。この時のヴァルナという階級制度(バラモン(聖職者)>クシャトリヤ(王族、貴族、軍人)>ヴァイシャ(農民、牧畜民。後に商人)>シュードラ(自由のない底辺労働者。後に一般庶民)が今日のカースト制の基礎となった。
儀式を重んじるバラモン教に対して、世界の心理を追求しようとした人々がまとめた書がウパニシャッド(奥義書)であり、インド哲学の源流となる。

紀元前600~500年頃になるとヴァルナを否定する勢力が現れ、ひとつがクシャトリヤのヴァルダマーナが開いたジャイナ教(禁欲&苦行。徹底した不殺生)、もう一つが釈迦族の王子ガウタマ=シッダールタが開いた仏教である。どちらも身分の高い王子が開いているのが興味深い。
仏教は、諸行無常をモットーに欲望を捨てれば誰でも心の平穏が得られるという教義が、クシャトリヤやヴァイシャの間で受けて広まっていった。

紀元前4世紀にアレクサンドロス大王の軍隊をインダス河で追い払ったチャンドラグプタはマガタ国などガンジス川流域の国家を滅ぼしマウリヤ朝を起こす。
マウリヤ朝は王が仏教を心の拠り所にし(帰依という)、紀元前3世紀アショーカ王の頃に全盛を迎えるが、アショーカ王が死ぬと衰退し分裂する。
こうして北インドは混乱、南インドはドラヴィダ族のサータヴァーハナ朝が成立する。

1世紀になるとイラン系の遊牧民月氏が北インドでクシャーナ朝を起こしアフガニスタン~西北インドを支配する。
クシャナ朝は2世紀半ばのカニシカ王の時代が全盛だった。カニシカ王も仏教の熱心な信者で、この頃、出家や修行をした人だけが救われるのではなく、すべての人間が救われるという大乗仏教が生まれている(ナーガルジュナが確立)。
大乗仏教は菩薩(仏になるため修行中の人のこと)を信仰する。
クシャーナ朝の領土のアフガニスタンや中央アジアはギリシャ文化が根付いていて、ギリシャ彫刻のエッセンスが仏教彫刻に利用された。これをガンダーラ美術という。

クシャーナ朝はカニシカ王の後に分裂し、チャンドラグプタ1世(※チャンドラグプタとは別人!)がグプタ朝を成立。チャンドラグプタ2世は北インドを統一しグプタ朝の領土を最大にする。
グプタ朝ではインド人の民族意識とインド文化が高まりを見せて、サンスクリット語で書かれたインド文学が黄金時代を迎える。十進法やゼロもこの時できている。
美術はガンダーラ様式とは異なる、インド的なグプタ美術が生まれた。これは寺院の石像や壁画として残っている。
ヒンドゥー教は、バラモン教をベースに仏教と民族信仰を取り入れて、この頃に広まった。シヴァ(創造と破壊)、ヴィシュヌ(維持)、ブラフマー(実在)を主神とする多神教。開祖や教義はない。ヒンドゥー教が出来た正確な年代がわからないのはこのため。

グプタ朝はエフタルという遊牧騎馬民族によって衰え、606年にハルシャ=ヴァルダナがヴァルダナ朝を開く。三蔵法師はこの時代に唐からインドを訪れナーランダー僧院という仏教の研究機関で仏教を学んでいる。

イスラーム教世界の成立
イスラム教は預言者ムハンマドによって610年頃に創始された一神教。
ムハンマドは富の独占を批判したため、裕福な商人から危険視、少数の信者と共にメッカから北のヤスリブに移住(聖遷=ヒジュラと言う)し、ウンマという共同体を作った。
この時ムハンマドと共に移住した人たちのことをムハージルーン、移住先で彼らを受け入れて支援してくれた人たちのことをアンサールと言う。
8年後の630年、ムハンマドは一万人に増えたムスリム軍を率いてメッカに戻り無血征服をする。カーバ神殿の偶像を破壊し、イスラム教の聖殿にした。
ちなみにキリスト教がイエス・キリストを神聖視するのとは対照的にムハンマド自体はあくまでも預言者で普通の人間に過ぎないとされている。

ムハンマドの後継者カリフ(政治的指導者というポスト)によってイスラム教徒は、本格的に征服活動(ジハード)を開始し、8世紀初めに古代オリエントに変わる大帝国を築いた。
古代オリエント、ギリシャ、インド、中国といった古代文明の成果を融合した高度な都市文明を発展させ、年にはモスクを中心に市場(スーク)や学校が作られた。
ウラマーと呼ばれる知識人によるコーランの解釈学、法学、神学、歴史学(アラブの学問)の他、医学、哲学、地理学、数学、化学なども発展し、近代ヨーロッパの形成に大きな影響を与えた。
共通語はアラビア語で、イスラム教徒の商人はイスラム教をアフリカ、インド、アジアに伝えた。

アラブ人は最初は特権階級だったが、8世紀にアッバース朝ができイスラム法(シャリーア)が整備されると、アラブ人の特権は否定され、すべてのイスラム教徒が平等の権利を保障されるようになった。ちなみにほかの宗教からの改宗者をマワーリーと言うが、彼らも等しい税がかけられた。
しかし多数派のスンニ派の影響力は大きく、ウマイヤ朝を倒す革命運動に協力してくれたシーア派の期待を裏切り、アッバース朝は彼らを弾圧することになった。
アッバース朝の基礎を作ったのは二代目カリフのマンスールで、アラブ人のホラーサーン軍を重用した。

アッバース朝に敗れたウマイヤ家は756年にイベリア半島で後ウマイヤ朝を築く。
後ウマイヤ朝の学者たちは東方イスラム世界の文化を積極的に導入し、10世紀のアブド=アッラフマーン3世の時代に最盛期を迎える。
東方イスラム世界では9世紀のハールーン=アッラシードの頃に黄金時代を迎え、首都バグダッドは「世界で並ぶものがない都市」と呼ばれた。
しかしカリフのラシードが亡くなるとタヒール朝、サッファール朝、サーマーン朝などの独立王朝が出現、帝国は内部から分裂し、カリフの権威が及ぶ範囲は小さくなった。

10世紀以降はエジプトのトルコ人が西に移住、トゥールーン朝という国家を作る。
さらに北アフリカのチュニジアではファティマ朝ができ首都カイロを作った。ファティマ朝はシーア派の中でも過激なイスマイル派に属し、建国時からアッバース朝のカリフと真っ向勝負した。
またアッバース朝の親衛隊を形成するトルコ人奴隷(マムルーク。奴隷を育てたエリート軍人みたいなもので騎馬戦士)が勢力を拡大、カリフの改廃を自由に行なうまでになった。
この混乱に乗じてイラン人の軍事政権ブワイフ朝がバグダッドに入城、1055年にはそのブワイフ朝をトルコ人のセルジューク朝が駆逐、彼らはアッバース朝カリフからスルタン(支配者=君主)の称号を授けられた。しかしそのセルジューク朝も12世紀半ばを過ぎると衰え滅ぼされた。

シリアからエジプトに派遣されたクルド人将軍サラディンはファティマ朝の宰相となって実権を握り、1169年にアイユーブ朝を開き、スンニ派の信仰を復活させてイスラム世界統一を図った。
また1187年のヒッティーンの戦いで十字軍を破り、エルサレムを奪還している。
ちなみにイギリスのリチャード一世は第三回十字軍で聖地を再征服しようとしたが失敗し、サラディンと和解している。サラディンは割といいやつで西洋人の記録でも「異教徒に寛大な人だった」と記されている。

中世ヨーロッパ、シャルルマーニュの時代
シャルルマーニュって誰やねんって思ったらカール大帝のフランス読みであった。
ピピンはローマ教皇の同意の元フランク王国を築いたメロヴィング家を廃し、751年にカロリング朝を開いた。
ピピンの死後、ピピンの息子カールとカールマンの兄弟がフランク王国を二つに分けて治めていたが、771年にカールマンが死ぬと、カールが王国を統一支配することになった。
カール大帝は領土を拡大させるため、王国の南にあるイタリアのランゴバルド王国を滅ぼし、イタリアの北部を併合、中部イタリアを教皇領として確認、さらに王国北のザクセン人を征服、王国東のバイエルン公国も併合する。さらにドナウ川中流のスラヴ人やアジア系のアヴァール族にも勝利し、その土地を併合。王国西にあるイベリア半島のイスラム教徒の進行を食いとめ、8世紀末までにヨーロッパの主要部分はほとんど統一してしまった。こうしてフランク王国はビザンツ帝国と双璧をなす強国になった。
カール大帝は800年のクリスマスにローマのサンピエトロ大聖堂で教皇レオ3世に皇帝の帝冠を受け西ローマ帝国の復興を担うことになった。
カール大帝はビザンツ帝国との関係が悪化すると、アッバース朝のハールーン=アッラシードと手を組み圧力をかけてビザンツ帝国にもにしローマ皇帝を承認させた。

カール大帝は、人口数万人ごとに管理区域を設定し、そこに国王直属の伯(グラーフ)をおいて軍事と政治を担当させた。グラーフは世襲禁止で土着化を防止、さらに巡察使を臨時で派遣して、その仕事ぶりを監視させた。
このように中央集権化に努めたが、ゲルマン部族には根強い慣習法があり、分権的動きを完全に抑えることはできなかった。そのためカール大帝は絶えず王国領内を移動して、グラーフとの個人的関係を築く必要があった。

カール大帝は道路の改修、交易の保護、銀を通貨とする貨幣制度を定めたが、最も有名なのが文教政策で、聖職者を育成するために各地の修道院や教会に附属学校を設置させ、一般的教養を高めるため周りの国から有名な学者を招待しラテン語と古典文化の研究をさせた。この一連の古典文化の興隆はカロリング=ルネサンスと呼ばれる。ちなみに文化人を保護したカール大帝自身は読み書きができなかった(水泳が得意な体育会系だった)。

しかし西ヨーロッパはカール大帝が死ぬと分裂を始め、帝国は崩壊。843年のヴェルダン条約で西、中部、東フランク王国の三つに分かれた。これらは後にそれぞれフランス、イタリア、ドイツ(神聖ローマ帝国)になる(870年のメルセン条約)。

聖職叙任権闘争
中世ヨーロッパで精神的権威を得たローマ=カトリック教会は政治的にも強大な勢力となり聖界諸侯と呼ばれた。彼らはローマ教皇を頂点とするヒエラルキー(教皇>大司教>司教>司祭>修道院長)を作り、教会の規律などの問題は聖職者たちの公会議が最高の意思決定機関になった。
教皇が聖職者の叙任や罷免の権利を持つとされていたものの、実際には多くの教会がその土地を私有する領主に支配されていた。これを私有教会制(アイゲンキルヘ)と言う。

もともと諸侯勢力が強いドイツは王権の維持・強化のために帝国教会は重要な政策であったが、そこにも世俗権力が介入し教会の腐敗化をもたらした。
910年、この教会の世俗化、腐敗化を内部から改革するためにフランス東南部のクリュニー修道院は初期修道院精神の復活を目指す。
ベネディクトゥス戒律(祈り&労働)の厳格な励行、それまで日常的に横行していた聖職の売買(シモニア)や妻帯を批判、領主の私闘(フェーデ)を戒め、女性や子ども、巡礼者などを暴力から保護する神の平和運動も推進された。
この改革運動はヨーロッパ各地に波及、教皇レオ9世は改革派の人物を集めて積極的に教皇庁改革(グレゴリウス改革)に乗り出した。

1075年には教皇グレゴリウス7世が教皇教書により教皇権の至上性と優越を宣言、教会勢力を帝国統治に利用するドイツ国王ハインリヒ4世と対立した。グレゴリウス4世がハインリヒ4世を破門&廃位すると、彼は世俗諸侯にも反旗を翻され孤立、1077年にカノッサ事件(ハインリヒ4世がカノッサ城のグレゴリウス7世に雪のなか謝りに行った事件)が起きた。
カノッサ事件は教皇権の優越を示すものであったが、ドイツ国王の勢力は再び回復し、諸侯勢力を抑え、その後も教皇と国王の対立構造は続いた。

聖職叙任権闘争を集結させたのは、1122年に結ばれた教皇カリストゥス2世とハインリヒ5世のヴォルムス協約で、司教や修道院長は教会法によって選出、指輪と杖(霊的権威)の授与は教皇が、笏(教会領などの世俗的権利)の授与は皇帝が行うことなどが決められた。
ドイツでは皇帝の笏の授与が教皇よりも先立つとされ、ドイツ皇帝は教会に対する実質的影響力を維持した。
しかし教皇の権力は11世紀末から13世紀初めにかけて絶頂に達し、インノケンティウス3世(在位1198~1216)は、ドイツの国王選任問題に介入しオットー4世を破門、離婚問題でフランス国王フィリップ2世を破門、カンタベリ大司教選任問題でジョン王を破門している。

外国史概説覚え書き①

 来月の試験でなにげに試験範囲が広くて厄介なのがこれ。

古代四大文明の類似点と相違点
古代四大文明の共通点
①青銅器などの金属の使用
②言語を記述する文字の発明
③貴族階級と平民、奴隷階級によって構成される巨大な統合集落および都市国家の成立
④大きな河川の流域に発生している

文明が発達する以前の旧石器時代は、人類は石器を用いて獣や魚を捕らえる狩猟や、森の木の実などを集める採集を行なっていたが、氷河期が終わり、新石器時代に突入すると、人類は安定的に食料が確保できる農耕や牧畜を行ない、一箇所に定住するようになった。
その後、農業技術が進歩し、灌漑農業が始められると、農作物の収穫量は増え、共同作業を営む小集落は、やがて大集落となり、社会的地位や身分が発生した。
また、水路を引くのに必要な大量の水が必要になると、大河の流域に人口が集中するようになる。
チグリス・ユーフラテス川やナイル川の季節的な氾濫を感慨農業に利用したメソポタミア文明やエジプト文明はもちろん、インダス文明や黄河文明も、それぞれインダス河、黄河といった大河川の付近で誕生している。
また、農業技術の発達に不可欠なも古代四大文明の共通点に挙げられる。
厳密にはタイムラグがあるが、河川の氾濫に合わせて農業を始める必要があったメソポタミア文明やエジプト文明では、すでに暦の研究が発達しており、インダス文明もその後のグプタ朝で、黄河文明も殷の時代には、暦が確認されている。

四大文明のそれぞれの特徴
メソポタミア文明
現在のイラク辺りにあった古代文明。肥沃な大地が広がり、古代から様々な遊牧民族によって奪い合いが起きた。
紀元前3千年ほど前に都市国家をこの地で築いたシュメール人は、楔形文字を用い、それを粘土版に刻み込んだ。また月を基準にした太陰暦を用い、60進法を発明した。

エジプト文明
ナイルのたまものと言われるほど、ナイル川の恩恵を受けた文明で、こちらも農業に適した肥沃な土壌を有する。
ナイル川が氾濫する時期や面積を予測することが農業にって不可欠だったため、太陽暦や測量技術が発達した。
また、石材が豊富で王の権力を示すためにピラミッドやオベリスクなどが建設された。

インダス文明
計画的に設計された都市が特徴で、道路は碁盤目状に舗装され、住宅には上下水道が整備されていた。建造物は焼きレンガで建てられ、都市の中央には沐浴用の浴場があった。
インダス文字が解読されていないため、どういった統治構造が存在したのか、何故このような高度な文明が滅びたかなどは、分かっていない。

黄河文明
黄河流域の黄土地帯では降水量が少ないため、麦やあわなどの畑作が行われていた。
中国の古代文明の特徴は、美術的にも優れた高度な土器の文化である。
文字は甲骨文字で、獣の骨を使って占いをしていた。

古代アテネにおける民主化の過程とその民主政の特質
紀元前8世紀のギリシャにはポリスと呼ばれる小さな独立国家のようなものがあった。
ギリシャは国土が狭く、最大のポリス、スパルタも広島県程度しか面積がなかった。
よってそれぞれのポリスは人口が密集し、地中海沿岸には多数の植民市が存在した。
また各ポリスは、統治構造が異なり、互いに争っていたが、経済的文化的交流は盛んだった。
ポリスはもともと王政だったが、その後貴族が力を握り、土地や家畜や奴隷を所有し戦争の時は主力として戦った。

その後、植民市が増え経済活動が盛んになると、平民の中にも社会的に成功し裕福なものが現れ、政治や裁判の実権を握っている貴族に不満を募らせるようになる。
これに対しソロンは財産を持つ平民に参政権を与え、その程度に応じて4身分に分けた。
しかし一番下の労働者級は役人になれなかったことから、ソロンの改革は貴族と平民の対立を解消することができず、やがて、貴族による非合法な独裁政治が行われた。

このような僭主政治(アリストテレスの政体論で最悪)は弊害が多く、クレイステネスが僭主政治を防止する投票制度(陶片追放)を実施、それとともに市民を各居住区(デーモス)ごとに登録させ、アテネを10の部族に分割、それぞれの部族から50名の議員を選出する評議会制度を創設した。
これによりアテネの平民が積極的に政治参加できる基盤ができた。

その後アテネは、さらに民主政治を徹底させる。市民による議決機関である民会は月に4回行なわれ、裁判には市民が広く参加した。
政治的な役職は公平にくじで選ばれ、一部の位の高い身分だけが務めていた役人や軍の指揮者は農民級まで解放された。しかし将軍だけはくじではなく、民会で選出された。

アテネの民主制は現在のような代表者を通じて民意を反映させる間接民主制ではなく、直接民主制で、政党は存在せず、成人男性市民にしか参政権はなかった。
よって女性と奴隷は参政権がなく、ポリスに住む外国人は土地も所有することができなかった。
すなわちアテネの民主制は極めて排他的だった。

古代ローマの政治の変遷(共和制、身分闘争、帝政など)
紀元前7世紀に先住民族エトルリア人と同化して出来たローマはラテン人の集落として始まる。エトルリアが信じた神話や、卜占(動物占い)、標識、凱旋式や剣闘士競技はそのままローマに受け継がれた。
初期は王が支配する部族国家で、貴族(パトリキ)と平民(プレブス。奴隷的農民ではない)の階級があった。
紀元前509年に専制君主のエトルリア王を追い出しローマは貴族共和制国家になる。

コンスル
執政官。軍民の最高官で任期1年。定員2名。貴族から選挙で選ばれる。

セナトゥス
元老院。役職経験者の終身議員から構成。コンスルを裏で操り実権を握る。
戦争や属州統治によって大儲け、公有地占領や農民からの土地の買い占めで大土地経営(ラティフンディア)を行った。
議員たちは民会の選挙で当選するため、自分の財産を使って競技を開催し、平民の支持を集めようとした。

プレブス
平民。彼らは奴隷ではなく一部のものは重装歩兵として戦争で戦ったことから、政治に参加できない現状に不満を持つようになった。これが身分闘争に発展し、紀元前5世紀初めに平民会が設立された。
平民がつくことができる公職である護民官(トゥリブヌス・プレビス)もこの時出来た。平民の保護が任務で元老院の議決に対する拒否権があった。また身体不可侵権も与えられた。
紀元前450年ごろには12表法が制定され平民の権利が法によって守られるようになった。

リキニウス・セクスティウス法
紀元前367年制定。
有力者による公有地専有を禁止する法律。また執政官の一人は平民から出さなければいけないと定めた。
これを適用して、セレブが占有している土地を没収しようとしたのが平民派議員のグラックス兄弟。結局元老院の反発にあって殺害されちゃう。

ホルテンシウス法
紀元前287年制定。平民会が国家の正式な民会として認められ、元老院の承認なしで議案が国法になることが定められた。これにより身分闘争は集結したが、新たな問題(以下)もあった。

ノビレス
平民派出身の新貴族のこと。彼らは執政官になり、そのキャリアを活かして元老院に入るという出世コースを繰り返したため、元老院の実権(貴族寡頭制)は維持され古代ギリシャのような直接民主制は実現しなかった。
ちなみにパトリキやノビレスなど元老院の伝統的権威を重んじる保守的な派閥は閥族派、護民官制度を利用して平民の権利を拡大しようとしたグラックス兄弟やカエサルのような議員は平民派と呼ばれた。

第一回三頭政治
ポンペイウス&クラッスス&カエサルで紀元前60年に密約を結んで国政を分割して行なった政治体制。
ポンペイウスはスパルタクスを鎮圧した軍人で東方でともに戦った部下の兵士に土地を分配した。大富豪のクラッススも優秀な軍人で奴隷反乱をポンペイウスと共に鎮圧している。しかしパルティア(中東にあった王国)との戦争で戦死してしまった。
一方カエサルはガリアを征服し名声を得た。

カエサルの独裁政治
カエサルは、とにかく兵士と大衆の人気があった人で(寛大)、その人気を危険視した元老院はポンペイウスと手を組みカエサルを倒そうとしたが、カエサルはローマを制服、東方やアフリカの元老院派も抑えて独裁者となった。
カエサルは当初任期10年の期限付き独裁者だったが、紀元前44年に終身独裁者になると共和制支持者の反感を買い暗殺されてしまった。
人気者カエサルの死は多くの人を悲しませ、アントニウスはカエサルを神格化、暗殺したブルータスは追放された。

第二回三頭政治
アントニウス&レピドゥス&オクタウィアヌス(カエサルの養子)が行なったが、失敗して内乱状態になってしまった。
オーキー(C)ナイトミュージアムはアクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラを倒すとエジプトを併合、ローマの内乱を終わらせた。
オーキーは戦後は自分が非常時に得た権力を国家に返還するつもりだったが、元老院は最高司令官の称号を彼に与え、アウグストゥス(尊厳者)となった。
これにより帝政ローマになるが、オーキー自身はカエサルみたいに殺されちゃったらたまらないと、共和制を尊重し、独裁者を名乗らずプリンケプス(第一人者)という地位を好んで使った。でも実質は皇帝でローマは以後二度と共和制に戻ることはなかった。

唐の国家・社会制度(土地制度、税制、兵制など)
唐と、その前の王朝である隋は、ともに律令体制で社会を運営していた。律令体制とは、成文法典である律令に基づいて中央集権的に政治を行うシステムのことで、均田制、租庸調制、府兵制といった唐以前から伝わる社会制度が重要な意味を持っていた。

均田制
一定の基準に基づき農民に土地を貸出し、自作農を育成する制度。この制度は北魏の時代から行われていたが、唐では21~59歳の成人男性(丁男)に対し、亡くなるか60歳まで貸し出される口分田や、世襲が許される永業田が与えられた。
しかしこの制度は全国一律に行われたのではなく、人口が多く土地が少ない地方では規定通りには実施されず、主に畑作が盛んだった華北地方において施行された。
均田制は、農民に土地を貸し出すことで、その土地がまずもって国有地であることを示し、貸出の代償として、税や兵役を課すという民衆支配の意味合いが強かった。

租庸調制
いわゆる税制で、租は丁男あたり穀物60リットル、庸は年間20日の労役(ただし決められた量の絹や布で代納ができる)、調は綾、絹、綿などを決まった量納めるというものである。これは均田制が維持されるまで続けられた。
また雑徭という地方官庁での労役も存在した。

府兵制
農民に武器を持たせて、兵役に付かせるという兵農一致の制度で、成人男性から3人に一人の割合で府兵を選び徴兵し、3年に一回、農閑期に訓練をさせた。
府兵は都の警備(衛士)や辺境の防衛(防人)などを行い、その服務期間中は租庸調を免除されたが、武器や衣類、交通費は自分で賄わなければならなかった。
府兵制は、唐の領土が巨大になるにつれ、遠方の任務を嫌がる農民たちが任務を投げ出して逃げ出すことが多くなり、最終的には唐は常備軍を設立(募兵制)するようになる。

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ 6万キロのテープ☆☆☆☆☆」

 兵士は信頼し合う。銃を向け合う集団じゃない。

 アベンジャーズで私が最も好きなキャップが帰って来た!愛国的で勇気と優しさがあって、自由のためには自己犠牲も厭わない!そしてなにより女にモテない!ここ重要な!
 いや、実際はモテるのかもしれないけど、この人すごい奥手というか、超うぶじゃん。私最近、自分のモテなさを真剣に分析してるんだけど、周りは恋人どころか、結婚したり、子どもがいたり、中にはすでに離婚しているのもいて、それに生徒には「恋人いるんですか?」って聞かれることよりも「奥さんどんな人?」って聞かれることが多くなりつつあってさ。
 本当もうちょいどうにかならないのかって思うんだけど、キャップ見てると安心するよね。今年も相変わらずモテてないぞってwあんなイケメンでいいやつで、世界を救うヒーローなのに恋人がいないって、もうモテないやつの希望の星なわけよ。
 そしてもう一つ、キャップの素敵なところは同性にモテることね!モテるというか人気あるよね。私もこれに関しちゃ自信があるよ。すっごい女にモテモテな・・・男に好かれる。冗談じゃないよ、お前の女ひとりレンタルしろって感じなんだけど、そういうゲスイ真似をしないのがキャップ。
 キャップこそ私のお手本。やっぱ昔の男は気質が草食性でも、何かにおもねらないよね。なにがメンズビューティだって。女にモテるために流行りのファッションに夢中な野郎とはわけが違うよ。まずあのコスチュームを着ない。
 まあ、つまり女なんぞにキャップのかっこよさなんて分かってたまるかっていうね。そういう話・・・
 
 で、なんだっけ?そうそう昨日早速『ウィンター・ソルジャー』見てきたんだけど、まあよく出来てた。つーかアメコミは多かれ少なかれ社会問題をストーリーに盛り込むけど、今回はことさらすごくて政治哲学の教材みたかったw
 マキャベリ、ホッブス、バクラック&バラッツ、スティーブン・ルークス、エーリッヒ・フロム・・・まあ何世紀も前から議論されている問題なんだ。
 つまり社会秩序のためにどれだけ人々の自由を奪っちゃっていいのかっていう。もっと言えば秩序を乱す一部の人をどれだけ排除していいのかっていう。
 マキャベリは王様は人に愛されるよりも恐怖されたほうがいいと考え、ホッブスは愚かな人間どもはほっとくとエゴをむき出しに互いに殺し合い、その後そういったバトルロイヤルや死の恐怖にうんざりして、絶対君主を社会契約的に認め、自分たちを支配させると考えた。
 今回の映画はこの『リヴァイアサン』に近い・・・気もするが、人々の社会的同意をシールズがとっていない点で、もうちょい話は複雑だ。
 バクラック&バラッツ、スティーブン・ルークスは権力論の人なんだけど、前者は非決定の決定、後者は黙示的権力という、まさに秘密結社やゴースト的な権力構造を考察した。つまり争点が一部の統治者によって意図的に隠蔽され、民衆は知らず知らずのあいだに重大な意思決定から排除されているという。
 現代の間接民主制、代表制民主主義では多かれ少なかれ発生してしまう、この構造を我らがハイル・ヒドラーはうまく利用した。つーか信じられないほど荒削りで魅力的な展開に私は膝を打った。アベンジャーズなんでもアリだな!!
 
 エーリッヒ・フロムの著作に『自由からの逃走』という本がある。戦中に書かれた本なんだけど、なんでドイツやイタリアの人々がファシズムに夢中になっちゃったのかを、フロムは人々が自由を持て余し(場合によっちゃ「私幸せすぎて怖い」みたいな感じで恐怖し)自ら権威への従属を望んでしまったからだと分析した。
 なにしろナチスは最初は民主的な選挙で、ちゃんとした合法的手続きをとって政権を獲得している。その後ちょっと大衆人気に乗じて、他の政党を議会から追い出したりしたんだけど、こういうルールクラッシャーはなんか今の安倍政権もやりかねない気がするから怖い(^_^;)憲法96条改正とか。
 まあいいや。キャプテン・アメリカ(とトミー・リー・ジョーンズ)が前作で戦った悪の秘密結社ヒュドラは、このナチスから派生した過激派みたいな連中で、「人々は自由を持つに値しない」と断言し、武力を盾に人々から強制的に自由を奪おうとした。
 そんなことやって、お前らその後どんなグランドデザインを描くつもりだったんだ?って前作ではいろいろ謎だったんだけど、今回の映画を見てそれがわかった。

 ヒュドラ党はどうやら真剣に世界に秩序をもたらそうとしていたらしい。物語中盤で、もうとんでもない人が、とんでもないあられもない姿で復活再登場するんだけど、この人が、また『スター・トレック』のカーン様以来の知能指数の高さを見せつけてくれて、インテリキャラが大好きな私は超満足だったんですが(つーか、ここが私のハイライトで以下はちょっと飽きちゃったw)ま~確かに、よくよく考えてみれば悪の秘密結社っていうけど、それは時と場合によるよなって。
 例えば悪の秘密結社に参加している戦闘員を想像してみよう。「イー!」とか言う奴。あいつもただの人間なわけで、家族も奥さんもいるかもしれない。まあ、悪の秘密結社に入るくらいのやつだからちょっと犯罪歴があるかもだけど、まず巨悪じゃないし、サイコパスみたいなヤバい奴だったら秘密結社側もめんどくさくて採用しないだろうから、やっぱり戦闘員は割とまともな奴だと思うんだ。
 なにしろ秘密結社にも(こそ?)秩序だった命令系統が必要なわけで、あんなチート的強さの大尉とやりあうには軍人みたいに忠実じゃないと困るわけ。
 すると、戦闘員にはその秘密結社に入るインセンティブが必要じゃん。すごいギャラが高額か、もしくはすごい自分を納得させるスローガンがあるか、まあその両方かもしれないけど、例えばそのスローガンが「核戦争を起こして人類根絶です」とかだと、いくらギャラが高くてもそんなエキセントリックな集団に絶対入らないと思うんだよ。核戦争起こったら金どころじゃないじゃんwなんだその集団自殺はってw
 そうなると、悪の秘密結社っていうけれど、実は、そのスローガンは割とまともなんじゃないかって私は思ったんだよ。

 悪さをする前に罰を与えると?

 キャプテンやアメリカ合衆国が「自由」のために戦うならば、それと対抗するヒュドラは自由の対極「平等」のために戦っているんじゃないかって。まあ共産主義だよね。
 よって、悪の秘密結社に入っている構成員は、自分たちの組織のテーゼを決して悪だとは思ってないのかもしれない。
 悪を自覚してない分、意識が高いから真剣度がすごいぜっていう。バイキンマンみたいに自分の悪さを自覚して悪いことやってる奴ってまだ可愛いもんなんだけどっていうw
 こういうのを社会学では「党派性」の問題という。だからレーガン大統領に「悪の帝国!」と呼ばれたソ連は心外だったろうし、ブッシュジュニアに「悪の枢軸!」と呼ばれたイランや北朝鮮も冗談じゃないってことなんだと思う。俺らは俺らで必死なんだって。
 つまり、自分たちの掲げる正義を、他のタイプの正義を掲げる国や集団にまで適用しようとする、その行為自体、アメリカもハイル・ヒドラも変わらねえよっていう。作中でも出てくるように、結局コインの表裏の関係なんだよね。

 まあ、でも私も一時期、こういう話を作ってたから、ちょっと最近は政治とかそういうものとは関係のないお話を作りたいかなって。
 もしくは、こういった一元的なセキュリティシステム(私の作品ではソニックブレイドや土星のミラージュ計画が当たる)の問題を超えたオルタナティブなアイディアが欲しいところだよね。
 最近、こういう展開やオチってパターン化してるから、次のステップに行きたいところだよなって。それともアメリカって始終こんなこと繰り返しているのかなあw
 だとしたら、私は押したり引いたりなんだと思う。自由を緩めたり規制したりをうまく繰り返すことで国民の怒りや不満をうまくいなしてるんじゃないか。そういう駆け引きそのものが大切なんじゃないかって。
 経済学と一緒で、これをやっておけば未来永劫ずっと安心なんていうシステムは幻想なんだっていうね。不均衡分析ですよ。イノベーションですよ。シュンペーターですよ。
 6万キロのテープの人も本当は「ふははは驚いたか、我々の計画なのだよ」ってネタばらししないのが、権力論的には一番冴えたやり方だったんだろうけど(発覚されない→対処されない→ずっと影で支配できる)、やっぱりネタばらしはマッドサイエンティストのロマンなんだろうな。

社会・地理歴史科教育法覚え書き

来月の試験は教育法が多いので、戦後の社会科教育の歴史を覚え書き。

1947年:社会科の誕生
戦後アメリカによる教育改革が行なわれ、アメリカで実践されているシチズンエデュケーション(公民教育)を輸入するかたちで「社会科」が日本で生まれた。
社会科はよき公民的資質を育成することを目標としており、それはつまり民主社会を成立させるための主権者としての自覚を、将来の社会を支える学生たちに促すというものである。
つまり社会科が我が国で誕生した1947年では、子どもの主体性を育むことを第一に、アメリカ型のプラグマティックな問題解決学習や経験主義に基づいてカリキュラムが組まれていたのである。

1951年:問題解決学習を堅持(第1次改訂)
伝統の軽視、道徳性の希薄、無国籍的性格などが批判されるが路線はほとんど変わらない。

1952年~?:地域教育運動
これは旧来の中央集権型の教育行政への反動であり、その象徴が地域教育運動(各自治体や学校が主体的に考案したカリキュラムに基づいて教育を実践するという、全国的な取り組み)だった。中でも埼玉県川口市の川口プランは、「社会科は他教科に分化・発展する前段階の生活教科と位置づけられ、その学習は子どもの日常生活の体系と構造づけられなければならないとされた」(テキスト37ページ)。

1956年・1958年:系統主義への移行(第2~3次改訂)
1950年代に冷戦が深刻化すると、アメリカは民主化から再軍備へ対日政策を修正し、文部省も教育行政の中央集権化に再び乗り出した。
社会科を解体して、地理科、歴史科、修身科を復活させようという動きが出てきたのもこの頃である(第2~3次改訂。中学校社会科の解体)。
また現場の教育関係者も、「子どもの主体性を重視するあまり、社会の批判的視座を欠落させた適応主義に陥っている」(39ページ)、と社会科批判を行なった。
これにより、社会科は経験主義から系統主義(教科内容の系統を重視する科学的なメソッド)へと転換を迫られることになる。

※ちなみに1年生で地理、2年生で歴史、3年生で公民というザブトン型が導入されたのは第3次改訂。

この流れの中、日本生活教育連盟は社会科解体に対抗するカリキュラム研究を行い、現在の日本が抱える社会問題を構造的に整理し、「子どもに身近な問題」から「社会の問題」への転換を図るとともに、経験主義教育論を継承しようと試みた。

1969年:科学的学習理論の導入(第4次改訂)
60年代に入ると、社会科はさらに科学的なアプローチを重視していく。米ソの宇宙開発競争により、アメリカが経験主義教育を見直し科学教育に舵を切ったことを受けて、高度経済成長期の日本の教育界も、経済成長を担う人材の育成という観点から科学教育の拡充に力を入れだした。
社会科教育においても、発見学習や探求学習といった科学的な学習理論や、課題の設定、仮説の提案、実験、応用という科学的なプロセスが導入された(第4次改訂)。
このような学習理論は、学習内容の増加と高度化をエスカレートさせ、教育現場では膨大な学習内容を消化するため、原因と結果のみを学生に機械的に暗記させる、科学的なプロセスとはかけ離れた授業が行われることになる(新幹線授業)。
このような詰め込み授業は、70年代に入ると受験競争の激化と落ちこぼれ、校内暴力といった社会問題が噴出する一因となった。

1977年:ゆとり教育導入(第5次改訂)
これを受けて政府は「ゆとり」や「人間性」をキーワードに教育改革を試みる(第5次改訂。授業時数の削減)。また地域共同体の再生を目指す取り組み(地域に根ざす社会科)も活発化した。
さらに中学校社会科の分野性の導入は、系統性が高まる一方各分野の相互関連や一体化を追求する動きも進展した(テキスト43ページ)。
一年は地理、二年は歴史、三年は公民というように、各学年ごとに異なる分野を学習するザブトン型を修正するかたちで導入された、1、2年においては地理と歴史を同時に学習するパイ型は、現在も継承されている。

1989年:4観点導入(第6次改訂)
80年代に入ると子どもの学習意欲の低下は深刻な問題となる。生まれた時から社会が平和で豊かである世代に、社会問題に対する当事者意識(=よき公民的資質)を持たせることが困難になってきたのである。
そのため、どのように子どもの学習意欲を刺激するかが教師の課題になった。第6時改訂では、「新しい学力観」として「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」「知識・理解」という4観点を学習指導要領に導入され、小学校では、低学年の社会と理科を統合するかたちで生活科が登場、小学校と高校の社会科は解体され、選択教科の履修幅が拡大された。

1998年:生きる力、総合的学習の時間(第7次改訂)
しかし、子どもたちの学習意欲の減退は90年代に入っても続く。第7次改訂で「生きる力」をキーワードに、ゆとり教育はさらに進み、変化の激しい社会で生きる子どもの主体性と問題意識を育成するということで「総合的な学習の時間」が導入された。

2008年:確かな学力(第8次改訂)
00年代に入ると、これまでのゆとり教育が批判されるようになり(2003年に学習指導要領が一部改正)「確かな学力」を身につけさせるため、学習内容が増加した(第8次改訂)。
今回の学習指導要領改正のポイントは以下の7つである。

①改正教育基本法を踏まえた学習指導要領改訂
②「生きる力」という理念の継承
③基礎的・基本的な知識・技能の習得
④思考力・判断力・表現力等の育成
⑤確かな学力を確立するために必要な時間の確保
⑥学習意欲の向上や学習習慣の確立
⑦豊かな心や健やかな体の育成のための指導の充実。

これらのポイントを受けて、他教科と関連するようなジェネラリズム的な学習内容や、社会の当事者意識を持たせるシチズンシップ教育といった広域的な教育課題に取り組む必要がある。

試験へGO

 試験に行ってきました!前日オピストコエリカウディアなんか描いて、アップしたけど全く反響がなくて、さらにふむなさんのバトンを受けたり、やけっぱちで遊び倒しちゃったんですが、結論から言って試験の方は割とできた。多分、単位取れるでしょ。
 ダメならダメで一度経験したから対策が立てられるし。以下、今日受けた試験の感想。一度に4教科8単位分しか受けられないのが残念。時間的にはかなり余裕があったんだけど。ブログやツイッターで駄文を大量生産しているのが、意外と役に立ったというw

「政治学概論1(国際経済を含む)」
市場の失敗とは何か?という、経済学みたいな設問だった(^_^;)
あと全く同じ名前「政治学概論」って講義が教養科目の方にもあって最初間違えてそっちも解いちゃった。こっちはベンサムの功利主義についての説明。で、それを書き終えて気づいて「はにゃ~!」って感じで残り15分で本来の方を解いた。
すごいややこしい。同じタイトルの授業を複数生産するんじゃない!w・・・ということで一教科多く解いてきちゃった。間違えて解いた答案は試験監督に「じゃ、これはいりませんよね」って目の前で笑顔で真っ二つに破り捨てられたけど(^_^;)

「地理学入門(地誌を含む)」
ひどい。最も試験勉強をやったが、アンデスの植生なんて出ねえじゃねえか!!私、チャラ帯、ユンガ帯、キチュア帯、スニ帯、プーナ帯、ハンカ帯全て覚えたし、しかも農業形態や標高まで暗記したのに・・・(´;ω;`)まあ取り越し苦労でよかった。拍子抜けするほど簡単でした。

「経済学概論1(国際経済を含む)」
テキストで最初に出てくる、価格の弾力性についての問題だった。それが需要曲線であるか供給曲線であるかでグラフの傾斜の仕方がまるっきり逆になるのにギリギリまで気付かず、慌てて修正テープで全消し。テキストは供給曲線だったが試験では需要曲線。この先生はなかなか引っ掛けてくる。

「哲学概論」
ノー勉強で突入した科目(ヤケ)。アリストテレスの自然観と現代の自然観の違いは何かという内容だった。アリストテレスは合目的に自然を捉えていたんだけど(ピュシス)案の定脱線して余計なことをいろいろ書いてしまった…(^_^;)ガリレオとビュリダンの物理学あたりを対比させても良かったかもしれない。
レポートでも余計なことをいろいろ書いてダメ出しくらったのに、試験でもやらかしてしまった・・・(科学哲学のテストみたくなっちゃった)でも「知識じゃなくて受験者の考えを重視する」ということなので単位はもらえると思う。最後に解いた試験だったので、疲れもあったのだろう。できればもう一度書き直したい・・・あ、やっぱ合格でいいです。

 あと他の教科の試験問題も見れたんだけど、物理と化学は計算がやばいな。電子に秒速9.8メートルの加速度を与える電場の強さを求めよとか、コンクリートがプラスチックよりも硬いのは何故かとか、さっぱりだw
 また、地学の試験は「スノーボールアース仮説」についての説明、生物学は「形態の類似に基づいて行われていた生物の分類について近年修正を迫る場合も少なくない。その研究手法について解説せよ」だった。※めっちゃこしさんの分野!

 やっぱり理科の二分野は数字がなくていいやね。
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