こんばんは。年内に全ての単位にケリを付ける大作戦開始です。そしたらオレは漫画と恐竜のお絵かきに生きるぜ。
参考文献:小川環樹、西田太一郎著『漢文入門』
「可」のふたつの意味
「許可」を表す助辞、「してもよい」「してもかまわぬ」「するがよい」、また「可能」の意味で、「することができる」と訳してもよい場合がある。
「民は之によらしむ可(べ)し、之を知らしむ可からず。」は「人民は政府の方針に従わせるのがよい。これ(政府の方針に従わせていること)を知らせてはいけない。」と「人民は政府の方針に従わせることができるが、これをみなに知らせることはできない。」のふたつの意味に翻訳することができる。
訓読の利害
漢文はもともと外国語の文であるから、一般に外国語を学ぶときのように、まず音読し、それによって意味を考えるのが正常な方法であり、訓読の方法は変則である。
すべての言語は、それぞれに特有のリズムがあり、音と意味の間にある関係もそれぞれである。
また訓読には次のような欠点がある。
訓読の方法とそれに用いられる言葉は平安朝時代に大体定まり、その内いくつかは変化したものの、ほとんどはそのまま継承されたので、訓読された漢文は日本語としても一種の古典語であって現代語ではなく、原文の意味を分かりやすくとらえようとすれば、もう一度現代語に置き換えなければならない。
しかしながら、漢文を音読のみで学ぼうとすれば、中国語の発音をまず学ばなければならず、それには特別の練習が必要となる。
また、日本人の祖先は訓読した形でのみ漢文を知っており、漢文学が日本文学に与えた影響も、直接原文からではなく、訓読を通したものである。
日本で復刻された中国の古典も、そのほとんどが訓点をつけて出版されているため、訓読の方法を知ることによって、それらの意味を理解し、利用することができるのである。
蛇足
出典は『戦国策』で著者は不明。これを編集したのは漢の劉向(りゅうきょう)。
司馬遷が『史記』を書く際、戦国時代についてはこの本によったと言われている。
そのためかつては歴史書のジャンルとされていたが、そのタイトルが示すように戦国時代の外交に関する策略が多く掲載されているので、のちに縦横家(戦国時代の外交上の策略を説いた学派のこと)に分類された。
現代語訳
昭陽は、楚のために魏を討ち、軍をくつがえし、将を殺し、八城を得て、兵を移動させて、今度は斉を攻めた。
楚出身の縦横家(しょうおうか)の陳軫は、斉王のために使者として昭陽に会見し、再拝して戦勝を祝い、立ち上がって問うた。
「楚の国の法では、軍を破り、将を殺した場合は、その官爵は何でしょうか?」と。
昭陽は「官は上柱国であり、爵は上執珪である。」と答えた。
陳軫は言った。
「それ以外に、これより貴いものは何でしょうか。」
(昭陽は) 「これ以上は、令尹(※今で言う総理大臣に当たるポスト)しかない。」と答えた。
陳軫は言った。
「令尹は貴い地位です。楚の王は二人の令尹をお置きになることはありません。私は、あなたのためにたとえ話をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
楚の国に、祭祀を司る人がいた。
あるとき、自分の使用人たちに大杯の酒を与えた。
使用人たちは、数人でこの量のお酒を飲むには少なく、逆に一人で飲むには余りあるほどだと考え、地面に蛇の絵を描いて、最初に描きあげた者がこの酒を飲むことになった。
やがて一人がまず蛇を描きあげた。
その人は、左手で酒を引き寄せて今にも飲もうとし、同時に右手で蛇を描きながら言った。
「オレは蛇の足を描き足せるほど、まだまだ余裕があるぞ。」
すると、その人が蛇の足をまだ描いているうちに、他の人が蛇を完成させてしまった。
二番目に蛇を描きあげた人が、その酒を奪って言った。
「蛇にはもともと足がない。 お前はどうやってその足を描けるというのか?」
そしてそのまま酒を飲んでしまった。
蛇の足を描いた者は、とうとうその酒を飲み損ねてしまったのでった。
「――今あなたは、楚の大臣となって、魏の国を攻撃し、軍を破り、将軍を殺して、八城を得、兵力を弱めることなく、斉を攻めようとしています。
斉はあなたを甚だしく恐れています。
あなたは、これだけでも十分に名を成しています。
官位の上に、重ねて官を得るべきではありません。
戦いに負けることなく、とどまることを知らざる者は、自ら死に向かっているようなもので、あなたの爵位は、後任の人の手になろうとしています。
つまり、ちょうど蛇の足を描くようなものであります。」と言った。
昭陽はしかりと思い、軍を解いて斉から引き揚げた。
杞憂
出典は『列子』の「天瑞編」。『列子』は春秋戦国時代の道家の学者である列禦寇(れつぎょこう)による著作だとされている(というか、この学者が実在したことも実は怪しい)。
『列子』に収録されている寓話は「杞憂」の他に「朝三暮四」「疑心暗鬼」「男尊女卑」など。
現代語訳
(周の時代の)杞という国に、とある人がいた。
その人は、もしも天地が崩墜したら、自分の身を寄せる場所がなくなってしまうと憂い、寝食ができないほどであった。さらに、その人が心配しているのを、心配する人すらいた。
なので、(別の人が)出かけていってこれを諭そうとして言った。
「天は空気が積もっただけである。
どこにも空気のない所なんてない。
からだの屈げ伸ばしや呼吸は、終日天の中で行っている。
どうして天の崩墜を憂うのか。」
すると、その人は答えた。
「天が空気の積もっただけのものならば、太陽や月、星宿(中国で言うところのうみへび座)も(支えがないので)落ちてくるだろう。」
これを諭す人は言った。
「太陽、月、星座も積もった空気の中を光り輝いているだけで、仮に(光が)落ちてきてぶつかっても怪我なんてしない。」
その人は言った。
「では、大地が崩れるのはいかが答える?」
諭す人は言った。
「大地は土の塊が積もっただけである。
それが四方に充足し、どこにも土のない所なんかない。
地面を踏むのは、終日大地の上で行なっている。
どうして大地の崩壊を憂うのか。」
その人、釈然として大いに喜び、これを諭した人も釈然として大いに喜んだ。
長廬子はこれを聞いて笑って言った。
「虹や、雲霧や、風雨や、四季は、空気が積もった天に成るものである。
山岳や、河海や、金石や、水火は、土の塊が積もった地に成るものである。
天地の積気や積塊を知りながら、なぜ崩れないといえようか。
天地は、この世界の一つの細物であるが、有形物の中では最も巨大なものであるため、これを突き詰めることは決して出来ない。これは、もとより当然の話である。
つまり、天地が壊れることを憂う者は、甚だ先の長い話をしていることになるし、これが壊れぬと断言する者も、同様に正しくないのである。
天地が(半永久的に)崩壊しないということは、すなわち必ずいつかは崩壊することに帰結する(壊れる時まで壊れないため)。
その壊れる時に遭遇したと考えたら、どうして憂えずにいられようか。」と。
列子はこれを聞いて笑って言った。
「天地が崩壊すると言う者も誤りであれば、天地は崩壊しないと言う者も誤りである。
崩壊するか否かは、我々が知ることのできるレベルの話ではない。
崩壊するという考えも、崩壊しないという考えも、それぞれが独立した一つの見解であり、この両者は全く別な範疇に属するのだ。
故に、生きても死を知ることはできず、死んでも生を知ることはできず、未来からは過去を知ることはできず、過去から未来を知ることはできない。
天地が崩壊しようがしまいが、なぜ我々はそんなことを気にかける必要があろうか。」と。
国語科教育法覚え書き④
2017-11-06 20:19:57 (7 years ago)
先日の試験勉強の残骸です。早いもので、今年度の単位も残るは書道と漢文学とイギリス文学の3つで終了。作家と作品名の英語の綴りを覚えないといけないイギリス文学が取れるか怪しいが、まあできれば年内に全て片付けてすっきり年を越したいものです。
森鴎外(1862~1922)
本名は林太郎。島根県出身の小説家、医学者。
東京大学医学部卒業後、陸軍に入り、1884年にはドイツ留学する。
軍医関係の要職を歴任した後、帝室博物館長や帝国美術院長などを勤めエリート街道を突き進んだ。
作家としてはドイツ留学の後に、訳詩集『於母影』を発表、「しがらみ草紙」を創刊し、90年に処女作『舞姫』を発表した。以後、創作、翻訳(アンデルセン、ゲーテなど)、評論(坪内逍遙との没理想論争が有名)と多方面の活躍をした。
ちなみに『舞姫』は、留学期の鴎外の青春の断面が伺える作品である。文体の典雅な和文調と、適度に用いられたヨーロッパ的感触は、それまでの戯作小説的文体とは全く異なる清新な芳香を放ち、当時の青年を魅了した。
斎藤茂吉(1882~1953)
本名は「もきち」ではなく「しげよし」。読み方だけを変えるという珍しいペンネームのタイプ。山形県出身の歌人、医師。東京大学医学部卒業。
1913年、歌集『赤光』によって認められ、その語『あらたま』『寒雲』『暁紅』『つゆじも』など多くの歌集を発表した。歌論に『短歌写生の説』『小歌論』など、随筆に『念珠集』『不断経』などがある。
また『万葉集』や柿本人麿等の古典や、正岡子規作品などに関する研究や評論も高く評価された。『死にたまふ母』は母危篤の知らせを受けてから、葬儀後までの作者の心境の変化を歌った歌である。
芥川龍之介(1892~1927)
東京出身の小説家。東京大学英文学科在学中に、雑誌「新思潮」の創刊に加わり、そこで『鼻』を発表、これが夏目漱石に大絶賛され、作家として認められる。こうして夏目は芥川にとっての生涯の師となった。
以後、平安時代の説話やキリシタンの世界を取材して、『芋粥』『地獄変』『奉教人の死』など、技巧を凝らした構成、格調高い文体、理知的な鋭さを持つ優れた短編作品を発表する(しかし長編小説は得意ではなかったらしい)。
人生に対して傍観的な芸術至上主義者であった芥川だが、晩年には時代の流れの中で自分の態度に疑問を感じるものの、結局そこから抜け出すことができず、自ら命を絶つことになった。35歳没。
宮沢賢治(1896~1933)
岩手県の詩人、児童文学者。
法華経に生涯傾倒し、農学校教師・農業技師として農民生活の向上に尽くすかたわら、東北地方の自然と生活を題材に、詩や童話を書いたが、急性肺炎のため37歳で夭折した。
生前は無名に近く、自身が発表(自費出版)した作品も童話集『注文の多い料理店』および詩集『春と修羅』のみである。
没後、生前に書かれた多くの作品が発掘、評価され、その豊かな空想性とユーモア、宗教性、土着性、科学精神などの交錯する世界が注目を浴びた。
坂口安吾(1906~1955)
新潟県の小説家。東洋大学インド哲学科卒業。
虚無的な、あるいは逆説的な発想と、その底にある強い合理主義の精神によって特徴付けられる多くの作品を残した。
『吹雪物語』『白痴』『道鏡』等の小説、『日本文化私観』『青春論』『堕落論』等の評論がある。
ドリンクのラムネは「ラムネさん」という人が開発したんじゃないか?という「さまぁ~ず×さまぁ~ず」のトークテーマのような評論『ラムネ氏のこと』は、それが書かれた時期がアヴァンギャルドな絵画を描いただけで逮捕された戦中であることを踏まえると、芸術抵抗派の屈せざる仕事として後世に記憶されるものである。
太宰治(1909~1948)
本名は津島修治(つしましゅうじ)。
青森県出身の小説家。戦前~戦後にかけて無頼派、戯作派と称される作品を残す。
父親は地元の名士で、いわゆるブルジョア階級だった。
学生時代は成績優秀で、井伏鱒二や芥川龍之介の小説に没頭、小説家を目指すようになる。
またこの時同人活動もしているが(プロレタリア文学っぽい作品を書いていた)、なかなか評価されず人生最初の自殺未遂もしている。ちなみに芥川が自殺したときは、あまりのショックでひきこもりになっている。
高校卒業後は、あまりに人気がないので試験無しで入学できるという理由だけで東京帝國大学文学部フランス文学科を受験するが、その年だけなぜか試験があり、フランス語など全く知らない太宰は事情を話してなんとか入学する(もちろん授業にはついていけなかった)。
井伏鱒二に弟子入りした後、バーのウエイトレスと服毒自殺を図るが、ウエイトレスだけ亡くなり、太宰は一命を取り留めた(『人間失格』ではこの経験を書いている)。
その後、芸者の妻と駆け落ちする形で結婚もしている。
大学5年生になった太宰は仕送り打ち切りに備えて、新聞社などに就活するが失敗、今度は首つり自殺をはかるが、結局授業料が払えず大学は除籍になった。
また、芥川賞に何度もチャレンジするが落選。選考委員の川端康成をディスったり、自分の作品に注目してくれていた佐藤春夫に入選をお願いしたりと、とにかく芥川賞(というか芥川龍之介)に固執した。
このころになると薬物中毒がひどく(麻薬性のある鎮痛剤であるパビナールにハマった)、芸者の妻と温泉でまたまた薬物自殺をして失敗。
その後、芸者の妻とは離婚するが、井伏鱒二の紹介で二人目の奥さんと結婚。これがきっかけとなったのか、今までの乱れた生活を反省した太宰は、精神的にも安定し『走れメロス』『富岳百景』など優れた作品を残した。
戦後になると、美容師など様々な女性と関係を持ちつつ、華族の没落を描きベストセラーとなった『斜陽』といった退廃的な作品を発表。
そして愛人の美容師と玉川上水でついに入水自殺を成功させる。39歳であった。
中島敦(1909~1942)
東京出身の小説家。東京大学国文学科卒。
私立横浜高等女学校、続いてパラオの南洋庁に勤務したが、持病のぜんそくのために短い一生を終えた。そのため、作品の大部分は死語に発表されたものであるが、作者の豊かな古典的教養と優れた知性、格調高い文体は高く評価されている。
才能のある詩人志望が陥る不条理を描いた『山月記』は、中国の『人虎伝』を引用した作品だが、作者の詩人的な自意識を燃焼させた独自の世界を形成しており、『李陵』と並んで代表作となっている。
丸山真男(1914~1996)
大阪府出身の政治学者。東京大学法学部卒。
マックス・ヴェーバーなど政治思想史を専攻し、現代の社会・政治や、文化・文学などの問題についても、多くの論考や評論を発表している。
著書に『日本政治思想史研究』『政治の世界』『現代政治の思想と行動』『日本の思想』などがある。
『「である」ことと「する」こと』は、法的な権利をはじめとする様々な権利、それこそ自然権や基本的人権も永久不可侵なのは建前であって、自分で主体的に主張したり行動しないとその維持はできないよという、政治に無関心な割に権利に執着するオレ達日本人への警句である。
そのわりにはかなりアクティブに活動した学生運動については距離を置いていた。これには「丸山さん!なぜ動かない・・・!」と同僚の教授の失望を買ったらしいが、なんでもかんでも「する」ゃいいもんでもないらしい。
谷川俊太郎(1931~)
東京生まれの詩人。戦後、知的で清新な感受性に富んだ叙情で注目される。
父は法政大学学長で哲学者。
85歳の現在もツイッターなどのSNSを用いて精力的に活動中。
詩集に『二十億光年の孤独』『六十二のソネット』『愛について』『絵本』などがある。
森鴎外(1862~1922)
本名は林太郎。島根県出身の小説家、医学者。
東京大学医学部卒業後、陸軍に入り、1884年にはドイツ留学する。
軍医関係の要職を歴任した後、帝室博物館長や帝国美術院長などを勤めエリート街道を突き進んだ。
作家としてはドイツ留学の後に、訳詩集『於母影』を発表、「しがらみ草紙」を創刊し、90年に処女作『舞姫』を発表した。以後、創作、翻訳(アンデルセン、ゲーテなど)、評論(坪内逍遙との没理想論争が有名)と多方面の活躍をした。
ちなみに『舞姫』は、留学期の鴎外の青春の断面が伺える作品である。文体の典雅な和文調と、適度に用いられたヨーロッパ的感触は、それまでの戯作小説的文体とは全く異なる清新な芳香を放ち、当時の青年を魅了した。
斎藤茂吉(1882~1953)
本名は「もきち」ではなく「しげよし」。読み方だけを変えるという珍しいペンネームのタイプ。山形県出身の歌人、医師。東京大学医学部卒業。
1913年、歌集『赤光』によって認められ、その語『あらたま』『寒雲』『暁紅』『つゆじも』など多くの歌集を発表した。歌論に『短歌写生の説』『小歌論』など、随筆に『念珠集』『不断経』などがある。
また『万葉集』や柿本人麿等の古典や、正岡子規作品などに関する研究や評論も高く評価された。『死にたまふ母』は母危篤の知らせを受けてから、葬儀後までの作者の心境の変化を歌った歌である。
芥川龍之介(1892~1927)
東京出身の小説家。東京大学英文学科在学中に、雑誌「新思潮」の創刊に加わり、そこで『鼻』を発表、これが夏目漱石に大絶賛され、作家として認められる。こうして夏目は芥川にとっての生涯の師となった。
以後、平安時代の説話やキリシタンの世界を取材して、『芋粥』『地獄変』『奉教人の死』など、技巧を凝らした構成、格調高い文体、理知的な鋭さを持つ優れた短編作品を発表する(しかし長編小説は得意ではなかったらしい)。
人生に対して傍観的な芸術至上主義者であった芥川だが、晩年には時代の流れの中で自分の態度に疑問を感じるものの、結局そこから抜け出すことができず、自ら命を絶つことになった。35歳没。
宮沢賢治(1896~1933)
岩手県の詩人、児童文学者。
法華経に生涯傾倒し、農学校教師・農業技師として農民生活の向上に尽くすかたわら、東北地方の自然と生活を題材に、詩や童話を書いたが、急性肺炎のため37歳で夭折した。
生前は無名に近く、自身が発表(自費出版)した作品も童話集『注文の多い料理店』および詩集『春と修羅』のみである。
没後、生前に書かれた多くの作品が発掘、評価され、その豊かな空想性とユーモア、宗教性、土着性、科学精神などの交錯する世界が注目を浴びた。
坂口安吾(1906~1955)
新潟県の小説家。東洋大学インド哲学科卒業。
虚無的な、あるいは逆説的な発想と、その底にある強い合理主義の精神によって特徴付けられる多くの作品を残した。
『吹雪物語』『白痴』『道鏡』等の小説、『日本文化私観』『青春論』『堕落論』等の評論がある。
ドリンクのラムネは「ラムネさん」という人が開発したんじゃないか?という「さまぁ~ず×さまぁ~ず」のトークテーマのような評論『ラムネ氏のこと』は、それが書かれた時期がアヴァンギャルドな絵画を描いただけで逮捕された戦中であることを踏まえると、芸術抵抗派の屈せざる仕事として後世に記憶されるものである。
太宰治(1909~1948)
本名は津島修治(つしましゅうじ)。
青森県出身の小説家。戦前~戦後にかけて無頼派、戯作派と称される作品を残す。
父親は地元の名士で、いわゆるブルジョア階級だった。
学生時代は成績優秀で、井伏鱒二や芥川龍之介の小説に没頭、小説家を目指すようになる。
またこの時同人活動もしているが(プロレタリア文学っぽい作品を書いていた)、なかなか評価されず人生最初の自殺未遂もしている。ちなみに芥川が自殺したときは、あまりのショックでひきこもりになっている。
高校卒業後は、あまりに人気がないので試験無しで入学できるという理由だけで東京帝國大学文学部フランス文学科を受験するが、その年だけなぜか試験があり、フランス語など全く知らない太宰は事情を話してなんとか入学する(もちろん授業にはついていけなかった)。
井伏鱒二に弟子入りした後、バーのウエイトレスと服毒自殺を図るが、ウエイトレスだけ亡くなり、太宰は一命を取り留めた(『人間失格』ではこの経験を書いている)。
その後、芸者の妻と駆け落ちする形で結婚もしている。
大学5年生になった太宰は仕送り打ち切りに備えて、新聞社などに就活するが失敗、今度は首つり自殺をはかるが、結局授業料が払えず大学は除籍になった。
また、芥川賞に何度もチャレンジするが落選。選考委員の川端康成をディスったり、自分の作品に注目してくれていた佐藤春夫に入選をお願いしたりと、とにかく芥川賞(というか芥川龍之介)に固執した。
このころになると薬物中毒がひどく(麻薬性のある鎮痛剤であるパビナールにハマった)、芸者の妻と温泉でまたまた薬物自殺をして失敗。
その後、芸者の妻とは離婚するが、井伏鱒二の紹介で二人目の奥さんと結婚。これがきっかけとなったのか、今までの乱れた生活を反省した太宰は、精神的にも安定し『走れメロス』『富岳百景』など優れた作品を残した。
戦後になると、美容師など様々な女性と関係を持ちつつ、華族の没落を描きベストセラーとなった『斜陽』といった退廃的な作品を発表。
そして愛人の美容師と玉川上水でついに入水自殺を成功させる。39歳であった。
中島敦(1909~1942)
東京出身の小説家。東京大学国文学科卒。
私立横浜高等女学校、続いてパラオの南洋庁に勤務したが、持病のぜんそくのために短い一生を終えた。そのため、作品の大部分は死語に発表されたものであるが、作者の豊かな古典的教養と優れた知性、格調高い文体は高く評価されている。
才能のある詩人志望が陥る不条理を描いた『山月記』は、中国の『人虎伝』を引用した作品だが、作者の詩人的な自意識を燃焼させた独自の世界を形成しており、『李陵』と並んで代表作となっている。
丸山真男(1914~1996)
大阪府出身の政治学者。東京大学法学部卒。
マックス・ヴェーバーなど政治思想史を専攻し、現代の社会・政治や、文化・文学などの問題についても、多くの論考や評論を発表している。
著書に『日本政治思想史研究』『政治の世界』『現代政治の思想と行動』『日本の思想』などがある。
『「である」ことと「する」こと』は、法的な権利をはじめとする様々な権利、それこそ自然権や基本的人権も永久不可侵なのは建前であって、自分で主体的に主張したり行動しないとその維持はできないよという、政治に無関心な割に権利に執着するオレ達日本人への警句である。
そのわりにはかなりアクティブに活動した学生運動については距離を置いていた。これには「丸山さん!なぜ動かない・・・!」と同僚の教授の失望を買ったらしいが、なんでもかんでも「する」ゃいいもんでもないらしい。
谷川俊太郎(1931~)
東京生まれの詩人。戦後、知的で清新な感受性に富んだ叙情で注目される。
父は法政大学学長で哲学者。
85歳の現在もツイッターなどのSNSを用いて精力的に活動中。
詩集に『二十億光年の孤独』『六十二のソネット』『愛について』『絵本』などがある。
東武動物公園への旅
2017-10-29 10:46:52 (7 years ago)
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カテゴリタグ:
- 雑記

まさかの貸し切り・・・!
私って人ごみや情報量が多い場所が苦手で、祭りとかディズニーとか新海誠アニメとか厳しい部分があるんだけど、入場者よりも飼育員さんの方が多いとなると、いくらなんでもいたたまれない。
まあでも、バイトみたいな人は「今日は仕事が楽だわ~」とか思っているのかもしれないけどね。しかし無人遊園地って夜の学校的な虚無感があるというか、まあ普段は賑わっているところだからな。
なんにせよ動物はすごい見れた。

ヒクイドリのガルベスくん。

獰猛ではあるらしいw

こんなところに浸かりたくねえ・・・!

某アニメの影響でフンボルトペンギンのコーナーだけ異様だった。個人的には船でも城でも動物でも美少女にしちゃうの好きじゃないのでな。その時点でそれは別のものだろう。

芸能界から姿を消して、こんなところでひっそりとポップコーンを売っていた某キャラ。デザインに関してはかなり洗練されていて決して現代でも色あせてはいない。チョコレート菓子としての復活を望む!
あと、東武動物公園ってすごいのは、まあどんな動物園にも家畜系の動物のふれあいコーナーってあるんだけど、その規模がおそらくトップクラスにでかいよね。
ヤギ、イヌ、カンガルー、エミュー、ヒヨコ、モルモット、リクガメ、ミーアキャット、ウサギ、ワオキツネザル、アルパカ、ポニー、ふれあい放題よ。幕張のもふもふカフェをはるかに凌駕するので動物触りたい勢はぜひ。
あとエリア毎に、例えばキツネザルのエリアはバオバブの木があしらわれていたり、カンガルーではアボリジニの集落、ポニーでは西部開拓時代と世界観を作り込んでいるのは、飼育員さんのこだわりを感じる。


見ちゃいけなかった気がするカンガルーステップの看板の裏。

で、もう4時半を過ぎる頃には暗くなって、動物も控え室に戻っちゃったから、ただでさえ少なかったお客もぼちぼち帰り始めたんだけど、まさかの5時からイルミネーション点灯で、いったい誰に向けて光らせてんだがわからなくて、さらに切なくなったというね。
よく、アラブの金持ちがテーマパーク貸し切ったりするけど、ちょっとこれ実際には楽しいのか??って思った。アラブの金持ち、お前もまた孤独。
もちろんハロウィーンパレードは雨のため(むなしい)中止になりました。この人数でやりだしたらどうしようと思った(^_^;)
というわけで、この日だけ見ると東武動物公園の経営に一抹の不安を感じるけれど、これはまあ、あれだ、台風のせいだってことで。東武動物公園のポテンシャルはこんなもんじゃないだろっていう。
アフリカゾウを見ながら天ぷらうどん食べれるのも東武動物公園だけだよ!

国語学概論覚え書き⑥
2017-10-18 20:34:07 (7 years ago)
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カテゴリタグ:
- 語学
参考文献:伊坂淳一著『ここからはじまる日本語学』
日本語において主語をどのように扱うのが適切か
学校文法において主語は以下のように説明される。
①文の中で「何が」「誰が」に当たる文節。
②「―が」のほかにも「―は」「―も」「―こそ」「-さえ」「―だって」などがついて主語になることもある。
③主語を省略した文や、もともと主語がない文もある。
しかし、「-が」「―は」に当たる文節がない文章や、「―が」「-は」の文節がふたつあり、どれが主語か分からない文章、「―は」の次に来る述語部分が主語を説明していない文章(例:新聞を読みたい人は、ここにありますよ)などがあり、主語が必ずしも文章において絶対的に存在しているわけではないことが分かる。
また、格助詞の「が」と、副助詞の「は」では文章での役割がそもそも異なっている。
「○○が」が、述語によって示される出来事において、助詞が付く名詞(※○○)がどういう論理的役割を果たしているかという、事実関係を示す一方、「△△は」は、文の中の要素の一つ(※△△)を特に取り立てて、その要素を話題の中心に据えるという、話し手の述べ方を示す助詞であり、格助詞と副助詞の区別は、この基本的な機能の差に由来していることが分かる。
こういった文中の特定の要素を特別扱いする、格助詞的な機能は、「も」「だけ」「さえ」といった副助詞も担っている。
さらに、文の構造を主語ではなく述語を中心にしてとらえ、その述語に対する必須の要素である補語と、状況などを説明する修飾語とに分ける見方もある(主語不要論)。
この場合は「AがBにCで紹介した」のAやBは述語「紹介した」に対する補語ということになる(※Cは修飾語)。
主語不要論は、日本語には主語がないと言っているのではなく、日本語の分析に主語の概念は必要ないと言っているのである。
日本語の動詞の活用の体系化
動詞や形容詞・形容動詞が用法の違いに応じて語形を変えることを活用といい、個々の語形を活用形、活用形を整理して表の形に体系化したものを活用表という。
活用形の整理の観点や具体的な処理が異なれば、結果として示される活用表は違ったものとなる。
たとえば、学校文法で使われる活用表と、外国人向けの日本語教育で使われる活用表では、活用形の認定単位とその種類の相違が目に付く。
「読まない・読まれる・読ませる・・・」という語形は、学校文法では、未然形(ヨマ-)として一つの活用に含まれるが、日本語教育では、否定形、受身尊敬形、使役形と3つの活用に分けられている。結果として、日本語教育の活用の数は学校文法のそれよりも圧倒的に多くなっている。
しかし、形式が同じものは同じ活用形だとする学校文法は、形式の整理は進んでいるが、そのために異質な意味の形式を一つの形式にまとめているという結果にもなっている。
もっとも学校文法、日本語教育どちらにせよ、各活用形のレッテルの付け方に、意味、文法機能、連接関係など、複数の基準が混在していることは変わりがなく、またすべての活用形を網羅することが可能なのかという問題もある。
なお、学校文法が6種の活用形を立てるのは、古代語の「死ぬ」「去ぬ」などのナ行変格活用動詞が6種の活用があるからで、江戸時代にこの動詞を基準に文法が研究された名残である。
また、学校文法と日本語教育の活用表では、活用型の認定基準にも違いがあり、前者では拍のレベルで単位を切っているのに対し、後者では語幹と活用語尾を隔てる単位を音素のレベルにまで下げているので、語幹が子音で終わる場合もある(yom-anaiなど)。
以上のように、活用表には様々な考え方があり、その規則はあくまでもそれを記述した個人や集団の目的や理念、手法が反映された解釈にすぎないのである。
日本語におけるヴォイスと自動詞・他動詞の関係性
ヴォイス(態)とは、動詞によって表される事象が、能動的か受動的かを表す述語の構成要素である。「片付けさせられていた」という文では「させ」と「られ」がヴォイスに当たる。
また、動詞には、「公園に行く」といった場合の「行く」に当たる自動詞と、「本を読む」の「読む」に当たる他動詞が存在する。
他動詞は動作の対象が主語以外の他の物に及ぶため「~~を」と目的語をとるが、目的語が場所の場合(例えば「駅を通過する」といった場合)は「通過する」は自動詞となる(駅を通過させているわけではないから)。
ヴォイスと自動詞・他動詞の関係性は以下のようにまとめられる。
自動詞(自らの動作を表す)
能動態:公園に“行く”。公園を“歩く”。
受動態:誰かに“呼ばれた”。雨に“降られた”※あまりないパターン
使役態:子どもに“描かせた”。
尊敬態:閣下は“言われた”。
他動詞(動作の対象が他の物に及ぶ)
能動態:本を“読む”。
受動態:ページが“めくられた”。
使役態:絵を“描かせた”。
尊敬態:本を“読まれた”。
これを踏まえると、他動詞はその性質上、全て受動態を作ることができるが、自動詞で受動態は限られた場合しかないことがわかる。また「赤ちゃんに夜泣かれた」「女に振られた」などネガティブなケースが多い。
日本語において主語をどのように扱うのが適切か
学校文法において主語は以下のように説明される。
①文の中で「何が」「誰が」に当たる文節。
②「―が」のほかにも「―は」「―も」「―こそ」「-さえ」「―だって」などがついて主語になることもある。
③主語を省略した文や、もともと主語がない文もある。
しかし、「-が」「―は」に当たる文節がない文章や、「―が」「-は」の文節がふたつあり、どれが主語か分からない文章、「―は」の次に来る述語部分が主語を説明していない文章(例:新聞を読みたい人は、ここにありますよ)などがあり、主語が必ずしも文章において絶対的に存在しているわけではないことが分かる。
また、格助詞の「が」と、副助詞の「は」では文章での役割がそもそも異なっている。
「○○が」が、述語によって示される出来事において、助詞が付く名詞(※○○)がどういう論理的役割を果たしているかという、事実関係を示す一方、「△△は」は、文の中の要素の一つ(※△△)を特に取り立てて、その要素を話題の中心に据えるという、話し手の述べ方を示す助詞であり、格助詞と副助詞の区別は、この基本的な機能の差に由来していることが分かる。
こういった文中の特定の要素を特別扱いする、格助詞的な機能は、「も」「だけ」「さえ」といった副助詞も担っている。
さらに、文の構造を主語ではなく述語を中心にしてとらえ、その述語に対する必須の要素である補語と、状況などを説明する修飾語とに分ける見方もある(主語不要論)。
この場合は「AがBにCで紹介した」のAやBは述語「紹介した」に対する補語ということになる(※Cは修飾語)。
主語不要論は、日本語には主語がないと言っているのではなく、日本語の分析に主語の概念は必要ないと言っているのである。
日本語の動詞の活用の体系化
動詞や形容詞・形容動詞が用法の違いに応じて語形を変えることを活用といい、個々の語形を活用形、活用形を整理して表の形に体系化したものを活用表という。
活用形の整理の観点や具体的な処理が異なれば、結果として示される活用表は違ったものとなる。
たとえば、学校文法で使われる活用表と、外国人向けの日本語教育で使われる活用表では、活用形の認定単位とその種類の相違が目に付く。
「読まない・読まれる・読ませる・・・」という語形は、学校文法では、未然形(ヨマ-)として一つの活用に含まれるが、日本語教育では、否定形、受身尊敬形、使役形と3つの活用に分けられている。結果として、日本語教育の活用の数は学校文法のそれよりも圧倒的に多くなっている。
しかし、形式が同じものは同じ活用形だとする学校文法は、形式の整理は進んでいるが、そのために異質な意味の形式を一つの形式にまとめているという結果にもなっている。
もっとも学校文法、日本語教育どちらにせよ、各活用形のレッテルの付け方に、意味、文法機能、連接関係など、複数の基準が混在していることは変わりがなく、またすべての活用形を網羅することが可能なのかという問題もある。
なお、学校文法が6種の活用形を立てるのは、古代語の「死ぬ」「去ぬ」などのナ行変格活用動詞が6種の活用があるからで、江戸時代にこの動詞を基準に文法が研究された名残である。
また、学校文法と日本語教育の活用表では、活用型の認定基準にも違いがあり、前者では拍のレベルで単位を切っているのに対し、後者では語幹と活用語尾を隔てる単位を音素のレベルにまで下げているので、語幹が子音で終わる場合もある(yom-anaiなど)。
以上のように、活用表には様々な考え方があり、その規則はあくまでもそれを記述した個人や集団の目的や理念、手法が反映された解釈にすぎないのである。
日本語におけるヴォイスと自動詞・他動詞の関係性
ヴォイス(態)とは、動詞によって表される事象が、能動的か受動的かを表す述語の構成要素である。「片付けさせられていた」という文では「させ」と「られ」がヴォイスに当たる。
また、動詞には、「公園に行く」といった場合の「行く」に当たる自動詞と、「本を読む」の「読む」に当たる他動詞が存在する。
他動詞は動作の対象が主語以外の他の物に及ぶため「~~を」と目的語をとるが、目的語が場所の場合(例えば「駅を通過する」といった場合)は「通過する」は自動詞となる(駅を通過させているわけではないから)。
ヴォイスと自動詞・他動詞の関係性は以下のようにまとめられる。
自動詞(自らの動作を表す)
能動態:公園に“行く”。公園を“歩く”。
受動態:誰かに“呼ばれた”。雨に“降られた”※あまりないパターン
使役態:子どもに“描かせた”。
尊敬態:閣下は“言われた”。
他動詞(動作の対象が他の物に及ぶ)
能動態:本を“読む”。
受動態:ページが“めくられた”。
使役態:絵を“描かせた”。
尊敬態:本を“読まれた”。
これを踏まえると、他動詞はその性質上、全て受動態を作ることができるが、自動詞で受動態は限られた場合しかないことがわかる。また「赤ちゃんに夜泣かれた」「女に振られた」などネガティブなケースが多い。
国語学概論覚え書き⑤
2017-10-17 19:17:13 (7 years ago)
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カテゴリタグ:
- 語学
参考文献:伊坂淳一著『ここからはじまる日本語学』
日本語における文の基本的構造
言語は何段階かの構成レベルの積み重ねによって成り立っている。
通常ではそれは、音→単語→文、なのだが日本語の場合は単語と文の間に「文節」や「文の成分」というレベルを想定することがある(学校文法)。
単語:夏子/は/家/で/白い/大きな/犬/を/飼っ/て/いる。
文節:夏子は/家で/白い/大きな/犬を/飼って/いる。
文の成分:夏子は/家で/白い大きな犬を/飼っている。
文:夏子は家で白い大きな犬を飼っている。
しかし、学校文法では、文を構成する単位を文節とすることから、いくつかの不具合が生じる。
きれいな チョウが 花壇の 花に ゆっくりと とまった。
上の文章では、「きれいな」という文節が「チョウが」に、「花壇の」という文節が「花を」という文節を修飾すると見なければならない。
しかし、「きれいなチョウ」「が」、「花壇の花」「に」、という区切りの方が、母語話者の直観にあっている。
桜と 梅が 一緒に 咲いた。
という並列の関係でも、「桜と」が「梅が」が並列であると学校では教えるが、助詞の「が」が付いているのは「桜と梅」であると考えた方が、やはり母語話者の直観に合致する。
これは、学校文法が誤りだという短絡的な結論を言いたいのではなく、「文」がどのように構造化されているのかについては諸説あり、文のとらえ方自体が難解なのだということである。
日本語における表記の規範性
言語の規範性とは、たとえば漢字テストやテレビのクイズ番組に出てくる日本語の問題に見られるものである。何が規範の根拠になっているのかは曖昧なまま、結果として正誤が明確に出る。
また、日本語には表記法について成文化されたいくつかのルール(常用漢字表や正書法、人名用漢字など)があるが、その決められ方や一般社会への浸透度はまちまちである。
実際、常用漢字表はそれ以外の漢字の使用を厳しく禁止するものではない。国語辞書も国語辞書に書かれているから正しいのではなく、まずもって社会的な暗黙の了解があって国語辞書はそれを忠実に再現しているのである。
日本語の表記の多様性は高く、それはすなわち制約がゆるく許容度が高いことを表している。いかにその具体例を示す。
①表意文字である漢字と、表音文字であるひらがな・カタカナの複数の文字体系が併用される。部分的であるがローマ字も使われる。
その上で、ある語の表記を一つの文字体系によってしなければならないという絶対的制約がない。
②ある語の表記を一つの文字体系の中で行うにしても、異なる文字列が可能性としてある。
意味の似ている同音・同訓の漢字の存在(湧く・沸くなど)、仮名遣いや送り仮名の許容度の高さ(行う・行なうなど)、ふりがなの任意性と自由度の高さ(キラキラネームなど)、ある程度の略字の容認、外来語・固有名詞などの表記のバリエーションなどが挙げられる。
③漢字には、もともとの中国語の段階で備わっていた形・音・義に、日本独自の訓が加わった結果、多くの漢字に読みとしての音と訓が併存している。しかも複数の音・訓をもつ漢字が少なくない。また、一つの漢字に複数の字形があることも珍しくない。
④句読点や、反復記号、かっこ等の表記記号の使い方には大まかな指針があるだけで、絶対的決まりはない。段落構成や書式についても同様である。
⑤縦書きでも横書きでもOK。
日本語における文の基本的構造
言語は何段階かの構成レベルの積み重ねによって成り立っている。
通常ではそれは、音→単語→文、なのだが日本語の場合は単語と文の間に「文節」や「文の成分」というレベルを想定することがある(学校文法)。
単語:夏子/は/家/で/白い/大きな/犬/を/飼っ/て/いる。
文節:夏子は/家で/白い/大きな/犬を/飼って/いる。
文の成分:夏子は/家で/白い大きな犬を/飼っている。
文:夏子は家で白い大きな犬を飼っている。
しかし、学校文法では、文を構成する単位を文節とすることから、いくつかの不具合が生じる。
きれいな チョウが 花壇の 花に ゆっくりと とまった。
上の文章では、「きれいな」という文節が「チョウが」に、「花壇の」という文節が「花を」という文節を修飾すると見なければならない。
しかし、「きれいなチョウ」「が」、「花壇の花」「に」、という区切りの方が、母語話者の直観にあっている。
桜と 梅が 一緒に 咲いた。
という並列の関係でも、「桜と」が「梅が」が並列であると学校では教えるが、助詞の「が」が付いているのは「桜と梅」であると考えた方が、やはり母語話者の直観に合致する。
これは、学校文法が誤りだという短絡的な結論を言いたいのではなく、「文」がどのように構造化されているのかについては諸説あり、文のとらえ方自体が難解なのだということである。
日本語における表記の規範性
言語の規範性とは、たとえば漢字テストやテレビのクイズ番組に出てくる日本語の問題に見られるものである。何が規範の根拠になっているのかは曖昧なまま、結果として正誤が明確に出る。
また、日本語には表記法について成文化されたいくつかのルール(常用漢字表や正書法、人名用漢字など)があるが、その決められ方や一般社会への浸透度はまちまちである。
実際、常用漢字表はそれ以外の漢字の使用を厳しく禁止するものではない。国語辞書も国語辞書に書かれているから正しいのではなく、まずもって社会的な暗黙の了解があって国語辞書はそれを忠実に再現しているのである。
日本語の表記の多様性は高く、それはすなわち制約がゆるく許容度が高いことを表している。いかにその具体例を示す。
①表意文字である漢字と、表音文字であるひらがな・カタカナの複数の文字体系が併用される。部分的であるがローマ字も使われる。
その上で、ある語の表記を一つの文字体系によってしなければならないという絶対的制約がない。
②ある語の表記を一つの文字体系の中で行うにしても、異なる文字列が可能性としてある。
意味の似ている同音・同訓の漢字の存在(湧く・沸くなど)、仮名遣いや送り仮名の許容度の高さ(行う・行なうなど)、ふりがなの任意性と自由度の高さ(キラキラネームなど)、ある程度の略字の容認、外来語・固有名詞などの表記のバリエーションなどが挙げられる。
③漢字には、もともとの中国語の段階で備わっていた形・音・義に、日本独自の訓が加わった結果、多くの漢字に読みとしての音と訓が併存している。しかも複数の音・訓をもつ漢字が少なくない。また、一つの漢字に複数の字形があることも珍しくない。
④句読点や、反復記号、かっこ等の表記記号の使い方には大まかな指針があるだけで、絶対的決まりはない。段落構成や書式についても同様である。
⑤縦書きでも横書きでもOK。
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