『芸術による教育』の要約⑤

5.「第5章 子どもの芸術」要約
 第5章においてリードは、はじめは観察、その後ユングの心理類型に基づいて子どもの絵を分類している。
 まずリードは子どもの遊びについて注目し、それを子どもの自由な表現の最も明確な形式とした上で、マーガレット・ローウェンフェルドが芸術は遊びの一形式としたのに対し、リードは遊びは芸術の一形式と定義している。その上で子どもの絵は自発的なインスピレーションに基づく、遊びである可能性を述べ、自由な絵とは自由な子どもによってのみ可能であるというモンテッソーリの理論を引用しながらも、子どもが自発的に絵を描き始める時のメカニズムや理由が不明確であることを指摘している。そこで、子どもの描画の発達段階の研究の基礎となったイギリスの教師クック、心理学者のサリーによる研究や、シリル・バートの子どもの描画の発達段階を紹介している。
 リードは子どもの描画活動とは大人とは異なるもので、対象を再現しようとする意図も、模倣の本能も欠いており、目的や意図が自分でも不明確な独立した活動と捉えている。この活動は子どもが直感像的な鮮明な視覚イメージから逃れようとすることで、自分自身で望んだわけではないイメージとは違うものを作りたいと願うことで行われ、そこで行われることはイメージを視覚的、あるいは造形的な形式へと翻訳しようとする試みではなく、子どもによる視覚的な象徴、線による言語の創造なのだという。「子どもは自分の意味すること、思うこと、知っている事を描くのであって、見たものを描くのではない」(1)という一文に子どもの描画活動の独自性が集約されている。
 しかしこのような独自性あふれる子どもの絵の形式は年齢を重ねるにつれて変化していく。その理由は二つあり、ひとつは外界に対処する必要(知覚世界の客観視)によって変化するというもので、もうひとつは、親や教師が行なっている自然主義的な再現の形式を模倣したいという衝動によって変化するというものである。

 リードは子どもの絵を分類する際に一つの概念的誤りを挙げている。それは子どもの描画活動とは、自分の概念を表現しようとする試みであるというものである。そうではなく子どもは考えたことを描くのでも、実際に見たと思われるものを描くのでもない。対象における、その子どもの全感覚による反応の残りとして、その心の中に徐々に沈澱してきた記号あるいは象徴を描いているということなのである。
 リードは子どもの絵を観察によって最終的に、1有機的、2感情移入的、3リズミカルなパターン、4構造的形態、5列挙的、6触覚的、7装飾的、8想像的の8つに分類し、さらにユングによる思考内向型、思考外向型、感情内向型、感情外向型、感覚内向型、感覚外向型、直観内向型、直感外向型の8つの心理類型にそれぞれの子どもの絵のパターンをあてはめている。
1.思考内向型・・・有機的
2.思考外向型・・・列挙的
3.感情内向型・・・想像的
4.感情外向型・・・装飾的
5.感覚内向型・・・表現主義的(触覚的)
6.感覚外向型・・・感情移入的
7.直感内向型・・・構造的形態
8.直感外向型・・・リズミカルなパターン
 ちなみにリードは、ブローの四つの類型(客観、生理、連想、性格)にも自身の子どもの絵の分類をあてはめている。
 これらの子どもの絵の類型が、どの程度の年齢によって現れるか、リードはサリーの実践を引用している。それは三歳以上の子供たちの絵を観察すると、ある種の類型が優勢であっても表現の方式には広い変化の幅があり定まってはいないということ。そして幼い子どもに典型的な「図式」があるというよりも、それぞれの子どもが自分なりの図式を持っているということである。

 またリードは子どもの遊びの活動は、幼年期の子どもに心の安定をもたらすとともに、子どもの社会的適応も促すと述べ、それは遊び仲間との協調によって養われるのだという。子どもの成長を決定する要素は二つあり、それは、生命それ自身の力、つまり身体と精神の成熟と、個人独自の形(個性)である。それは、生命の力に、一般的な発達の法則から逸脱するように仕向けるものである。この二つの要素をふまえた上で、社会心理学は、個人心理学によって常に修正され拡充されるべきであり、一般的な教育制度は、子どもの多様な類型の持つ特別な要求に応えられるよう、十分な柔軟性を持ったものでなければならないと論じている。これは第1章でも述べられており、教育すべき特定の子どもにとって、どの成長の形態が適切であるか決定しなければならない。教育の目的は、実際の類型から対応する(職業的)機能へと導くことなのである。
 最後にリードは表現とは社会的なコミュニケーションであると述べた上で、「芸術は、気質や人格の自然の多様性を考慮した教育制度を導く、最も優れた案内役である」(2)と第5章をまとめている。


1.ハーバート・リード著 宮脇理 岩崎清 直江俊雄訳『芸術による教育』(フィルムアート社2001年)「第5章 子どもの芸術」158ページ
2.同上書「第5章 子どもの芸術」193ページ

『芸術による教育』の要約④

4.「第4章 気質と表現」要約
 第4章では子どもの気質と表現の関連について論じている。これは第5章によって展開される子どもの芸術における議論の基礎となっている。
 教育は気質の相違に関する理解に基づくべきであるという主張から、子どもの造形活動や造形表現の仕方は、子どもに固有の傾向を知るための最良の鍵であるとし、人間の気質を類型化する様々な研究を列挙している。
 例えばクレッチマーは、生理学的な根拠から人間の気質をタイプ分けし、体格や気質は先天的なものであり、性格は先天的な要因と後天的な要因の相互作用によって形成されるものであると考えた。そして個人の体格や気質は内分泌液によって決定されるとした。またイエンシュは、イメージの知覚の個人の差異は、精神の類型に対応しているとし、類型分けに直観像を用いた。さらに自分の直観像を再現するか、逃れようとするかで、感情移入型か、抽象型か分類するヴォリンガー、視覚型か触覚型かで分類する(しかしこれは目が見えるかどうかでは決まらない)ヴィクター・ローウェンフェルド、色彩鑑賞による類型分類を行なったエドワード・ブローなどの研究の紹介が続く。
 しかしリードがもっとも影響を受けている研究者はユングであることは明白であろう。第1章では教育内容、第2章では芸術の表現様式、そして第5章においてもユングの心理類型に基づいて子どもの絵を分類している。ここでリードは第2章で行ったユングの類型論に基づく美的活動の分類をもう一度振り返りながら、芸術教師の第一目的は子どもの気質と、その表現様式の最高度の相互関連をもたらすことであると結論付け、本章を締めくくっている。

『芸術による教育』の要約③

3.「第3章 知覚と想像力」要約
 第3章では、表現における主体と客体の問題について触れている。主体とは感覚を備えた人間であるということは言うまでもないが、興味深いのはリードが客体を主体から離れて外部にあるものとしながらも、心(主体)に備わったものの一部であるかもしれないと定義している点である。リードは「私たちは、孤立した客体と、人格を持たない鏡のような心しか存在しないような真空状態に生きているわけではない」(1)とし、主体は受動的なだけではなく能動的な感受性を持つと述べている。さらにリードは、知覚や感覚によって引き起こされる精神の反応、この一連の過程は美的なパターンを有するとしている。

 イメージについてリードは一つの客観的現象と定義し、イメージを記憶によるもの、赤いものを数十秒見た後で、中間色の背景を見ると補色の緑が見えると言った生理的残像、鮮明な視覚イメージを記憶する直観像、夢の4つに分類している。直観像記憶についてリードは、直観像記憶があったと思われる詩人のシェリ-、モチーフを見ながら絵を描くのではなく、その形態の特徴や構造を心の中に記憶して描くべきだというホガースの絵画技術のトレーニング法、時に直観像記憶を自由にコントロールできたというウィリアム・ブレイクなどの例を挙げ、作家のイメージについて考察している。
 ここでリードは教育における二つの重要な問題を挙げている。ひとつは教育的発達に対する視覚的イメージの関連性であり、もうひとつは「感覚主義」と、知性や理性を重視する「主知主義」の相対的価値の模索である。リードは思考に対するイメージの関連に対して、いくつかの研究者の主張を挙げている。
 エイヴリングは、イメージは思考の連想、あるいは図解として関連している可能性があるとし、リードはそれらの主張をふまえて、イメージとは思考の視覚的援助であるとともに、抽象的思考の大部分にも関係していると結論付けている。つまり想像と思考という、独自性の強い二つの精神活動のどちらにもイメージが影響を与えているということなのである。

 第3章の後半に入ると、リードは本格的に教育を議論の対象に持ってくる。まずイエンシュの「子どもの人格構造に最も近いものは論理学者ではなく芸術家の精神構造である」という主張を引用し、どのようにすれば芸術の教育が学校教育において重要な役割を担えるか考察を始めている。ゲシュタルト心理学では、人間は物事をパターン化することで認識するという。この事実は、美的な基準が人間の精神活動において大きな役割を果たしていることを示唆しており、それは学習や経験の基礎的要因なのであると論じている。
 このような美的基準をふまえた芸術を基礎とする教育方法の実践例として、リードは、リトミックのダルクローズを挙げている。そして主知主義のみに基づく教育では、子どもは創造的活動や感覚を楽しむことができなくなるとし、抽象概念を早期に発達させようと強制する教育は自然に反すると結論付けている。リードが考える芸術教育の目的とは、人とその精神活動の有機的な全体性を保持することであり、それは、イメージと概念、感覚と思考、さらに自然法則に関する知識と、自然に調和する習慣や行動さえも子どもたちに身につけさせることができるのである。


1.ハーバート・リード著 宮脇理 岩崎清 直江俊雄訳『芸術による教育』(フィルムアート社2001年)「第3章 知覚と想像力」58ページ

『芸術による教育』の要約②

「第2章 芸術の定義」要約
 第1章においてリードは、芸術教育における「教育」の部分を定義したのに対し、この章では「芸術」について基本的な定義を行なっている。
 リードは芸術の定義を、科学の領域から客観的に行なうとし、美を定義する上で重要な要素である形について、自然界に見られる形態には美的な秩序構造(数学的規則)があることを指摘している。リードによれば、自然とは人間の個人的特性の外部にある美の基準であり、自然と芸術の関係について、自然の形の内部構造についての無意識直観的な模倣であること、また自然の形の内部構造に由来する規則を十分理解していることという二つの点を挙げている。つまり模倣する対象(自然)の構造の理解が重要であり、それが人工的な芸術作品にしろ、自然物にしろ、美しい形とは収斂されるのだという。
 次にリードは色彩について、形の表面的な要素であるものの、感覚に大きな影響を与えるものであるとしている。色彩は「赤は怒りのイメージ」というように人間の無意識的な心理作用として働き、また色彩の視覚的特性を活かし、複数の色の調和によって、平面に三次元の形を暗示することができることも挙げている(色価)。
 芸術における色や形とは、そのものの物質的性質を強調し、またこれらを対比し組み合わせることで生まれるバランス、リズム、シンメトリーによってイメージや状態を暗示することを構成と定義している。
 三つ目にリードが取り上げるのは、科学的な芸術観ではなく、主観的な側面、鑑賞者の重要性である。リードは鑑賞者による感情移入を、鑑賞者が自分の主観的感情を芸術作品に投影するのではなく、鑑賞者が芸術作品の中に感情の要素を発見し、その気持ちを作品の要素と同一化することだと定義している。
また、主観的気質の心理学的類型に基づき、美的活動も四つに区別することができるとリードは論じ、全ての人間が従うべき唯一の芸術の類型はなく、人間の数だけ芸術も存在するとしている。
1.思考的美的活動・・・写実主義など。客観的対象の正確な描写をする
2.感情的美的活動・・・理想主義など。視覚イメージを駆使した一つの独立した現実を作り出す。
3.感覚的美的活動・・・表現主義など。感覚や経験を近くした時の反応を造形化する。
4.直感的美的活動・・・抽象的様式。個人の主観的要素をすべて排除し、空間、量、色彩、音などの純粋な形式に対する美的な回答を求める。
 しかしこのような芸術の主観的側面は個人の気質によるものだけなのか、という問いに対し、リードは芸術における主観的側面すべてに共通した要素である想像力の存在を挙げている。想像力とは、気質に基づく多様な主観的側面と、一定不変な客観的な美の法則とを調和する働きを持つとし、その上で自然の秩序構造を超えて、自分の感覚や感情を反映した独自の世界を創造しようとする自由意思の存在があると論じている。
 さらにリードは芸術の魅力は、無意識の精神レベルから引き出された原初的なイメージがその作品の中に存在していることによるとし、これは第6章の伏線となっている。
 この章の結論として、芸術には形と創作の二つの原理があり、形の原理とは客観的側面であり、知覚の働きによるものであり、創作の原理とは、想像力の働きによるもので、主に主観的であるが、形の原理によって普遍的で客観的な存在をあてはめることもできるとしている。また社会的側面と言った他の要素の存在も示唆している。リード曰く自然によって生み出された生命そのものは根源的に美的であり、美的かどうかの判断は具体的か超越的かではなく、規則性があるかどうかであると述べている。

『芸術による教育』の要約①

 この前の件でワードの保存機能を信用しなくなったので、ここにちょっとストックを置きます。
「第1章 教育の目的」要約
 この章は、リードが本書で論じる芸術教育の概要を説明するとともに、そもそも教育とはどういうものなのか定義づけを行なっている。
 リードは「芸術を教育の基礎とすべきである」というプラトンの主張を、議論の出発点としている。教育には相反する二つの考え方があり、ひとつは子どもの生まれながらの潜在能力を社会は許容し、それを発展させること。もうひとつは、その子どもが属する社会が求める理想の人格に順応させるということである。これは二つの社会概念から導き出されている。ひとつは複数の「個人」からなるもので、これは前者の教育的立場を取り、教育は特殊な個体の成長を励ます。もうひとつは「大衆」の集まりからなるもので、教育は奇抜なものを排除し、画一化された集団を生産する、後者の立場を取る。
 リードは、教育とは前者の「個別化」と、後者の「統合(個人の独自性が社会的に調和すること)」の過程であるとし、それを実現できるのは、民主主義的な社会と、あらゆる自己表現を内包する芸術教育だと論じている。
 リードによれば、個性を伸ばすことと社会への適応は矛盾しない。その下支えになるものが美的な感受性の育成と、ユングの心理学であり、子どもの心理類型をふまえ、個々にあった教育を行なうことが重要なのである。子どもによって異なる気質や心理類型、そしてそれをふまえた教育ついては第4、5、6、7章で詳しく論じられており、本書の中核をなしていることが解る。
 リードは芸術教育(本章では美的教育)はあらゆる自己表現を含むとし、ユングの四つの心理類型に基づきそれらを以下のように分類している。
1感覚に対応する教育・・・デザイン
2直観に対応する教育・・・音楽、ダンス
3感情に対応する教育・・・詩、演劇
4志向に対応する教育・・・工芸
 リードの主張は、教育とは表現の形式を養うことであり、美的教育こそ、社会に適応した情緒豊かな人間を育成するというものである。
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