デッサンの密度について

 お前のデッサンはデッサンじゃない。対象の抽象だけを描いたスケッチだ。

 こういう絵画の先生のダメだしの最も厄介で腹が立つ点は言っている意味が分からないということ。
 なんとなくこいつのデッサンが未熟なのは分かるけど、それをどう説明していいか語彙力がないからよく分からないことを口走る。時に「絵が腐っている」と不適切な発言をする。教員辞めちまえ。
 このコメントを推理するに私は本質主義で絵を描いていて、この先生は実存主義的にものを見ているのかね?まあどうでもいいけど。

 私はさすがに「絵が腐っている」とは言われたことはないですが、上に挙げたコメントは実際に私が言われたありがたいお言葉。この後に「だから漫画を描いている奴は・・・」と続くのですがそれは割愛。
 この指摘をした教員はデッサンは密度を上げなければデッサンじゃないと思っているところがあって、非常につまらないものの見方をしていると思う。
 まあこれは私の面倒くさがりの正当化とも言えるんですが、でも密度の荒いスケッチだって良い絵はあるし、実際その絵を完成させようと密度を上げて描き込んでいくとかえってつまらない絵になることは結構ある。
 特に私は木炭ではなくデッサンには鉛筆を多用する方で(恐竜の絵はシャーペンも併用)これは描き込むのに非常に時間がかかる上に、重ねすぎるとタッチが消滅し、滑らかなグラデーションはつくけど全体的にボソボソとした感触の絵になってしまう。
 こういうデッサンが好きな人はいいけど、その表現だけがすべてではないはず。勢い任せで短時間で描き切る「習作」にだって魅力のある絵はあるはず。

 というか私が大好きな恐竜の中にはすごい小顔な奴がいて(何十等身もある奴)竜脚類やステゴサウルス、スケリドサウルスなんかはせっかく顔を描き込んでも、ネットで公開する時に圧縮するので見事につぶれてしまう。目とか一生懸命表情だしているのに・・・
 だからただひたすら書き込めばいいってもんじゃない。絵なんて紙にぐっと目を近づけてみるもんじゃないしね。油絵なんてアップで見たら絵具ぶちまけたように見えるもん(絵によるけど)。

 「原石を磨きすぎるとかえってつまらないものになってしまうんだ」とは『耳をすませば』のお爺さんのセリフですが、本当にそう。でもだからと言って磨いてもしょうがねえと諦めてしまうのはニヒリズム。磨いてつまらなくなったら今度は別の原石を磨き直せばいいわけで。

 絵を描くことにおける本当に大切な点は書き手の自己満足度だと思う。「読み手を楽しませたいと思うのがプロ」とか「作家主義的映画が嫌い」とか素人の分際で(だから?)偉そうに言っている私ですが、まずは描いている本人が楽しくなければそのステップには進めないと思う。自分の楽しい気持ちを他の人にもおすそ分けしたいな、というのが表現だと思っています。
 だから書き手が自分で満足できる絵が描ければそれは幸せなこと。なかなか自分が満足いくものって作れないから。
 そしてできればその自分が自信を持って見せれるような絵を他者に評価してほしい。せっかく納得のいく作品が出来たのだから。つまり絵ではなく煎じ詰めれば「自分を認めてほしい」ということ。
 実際「死んでから評価されればいい」なんて私には強がりにしか思えない。生きてる時に絶賛された方がいいに決まってるじゃん。そういった絵を描く「自分」を認めてほしいの!

 だからぶっちゃけそれでいいんだ。絵なんて。楽しければ何でもいい。どうせ小難しいこと考えて凄い作品作ったって、ルーブル美術館だってメトロポリタン美術館だっていつかは消滅するんだから。エントロピーには逆らえないんだから。
 そう考えれば、学校行ってよくわかんねえ先生に余計な事言われる必要なんてない。ああいう先生って結局生徒を指導しているふりしながら「自分語り」をしたいだけ。
 絵は教わるものじゃない。確かに小手先の技術は学べるかもしれないけど(学んだって没個性的だけど)、そもそも自分が楽しいから絵を描いているんじゃなかったのか?
 人から厳しく指導されて泣きながら絵を描くなんて私が思うに馬鹿馬鹿しい。出発点はみんな絵を描くのを楽しんでやっていたはず。
 そして周りから見て凄いストイックに努力を重ねている人は、意外と本人は楽しんで努力をしていたりする。

 あれ・・・なにが言いたかったんだっけ??・・・ともかくスケリドサウルスのイラストの顔が圧縮したらつぶれちゃったの!

 おまけ:原画よりもかなり拡大したスケリドサウルスの顔。圧縮しても表情が分かるように目を少し大きく描き直しました。ここまで絵を拡大すると確かにタッチが荒いけど、けっこう萌えな感じの目で自分は満足です。シカをイメージ。
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クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ

「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆」

 本当に一番怖いことは、いろんなことを忘れていくのに、それが気にならなくなっていくことなんです。

 カフカやサルトルといった哲学書を読むならこっちの方がいいですよ!この映画って笑いながら実存主義について色々と考えさせてくれるとんでもないアニメです。

 この映画のテーマは、自己の存在を全く疑わず無意識的に日々を生きているということを、私たちは実は薄々知っているという実存の恐怖。
 サルトルの『嘔吐』では、マロニエの樹を見ている男の「マロニエの樹」という意味が崩れたとき男の前にある“それ”は枝や幹がグロテスクに伸びる不気味な存在となり、思わず男は吐いてしまったのですが、これはつまり私たちは普段うわべの“意味”で全てを見た気になっているということ。
 しかし己の死のように自分が無意識的に信じていた前提が崩壊する時に「えええ?自分ってなに?」と恐れ戦くのです。自分のこともこの世界のことも何も分からずに生きて死ぬだけなんだと。
 これは「ひろし」と「みさえ」の「“ここ”は一体何なんだ?」「どうやったら帰れるの?」というセリフに端的に現れていて、かなり怖い。

 本作では野原一家をはじめとする春日部の市民が映画の世界に迷い込むというシュールな設定で、なんで映画の中に閉じ込められたか、明確な理由が意図的に作られていないんです。
 クレヨンしんちゃんなんてSF、ファンタジーなんでもアリのおバカ映画なんだから、適当な理由なんていくらでもこじつけられるのに、やらないというのは絶対に確信犯。
 
 もちろんこの映画を見るちびっこにこのテーマは伝わるわけはないから、一応しんちゃんと薄幸の美少女「椿」ちゃんとの切ない恋も描かれていて、それがこの映画の恐ろしい哲学的テーゼにカーテンをかけてくれているのはかなり上手い。
 さらにノープランな「内村プロデュース」御一行をゲストで登場させれば、サルトルの隠ぺい工作は完璧!

 「NO PLAN」といえば、ED曲「○あげよう」いいですよね。結局作中では映画のキャラクターだった椿ちゃんはしんちゃんといっしょに春日部に戻れなかったけど、EDで2人がありえない身長差の社交ダンスをしているのは、ちょっと切なすぎる。
 椿ちゃんっておそらく最後の方で「ただの映画のキャラクターである自分」と「実際の人間であるしんちゃん」との「存在の違い」を薄々気づいてるんですよね。自分は映画から出られずに映画が終わると消滅してしまうと・・・
 そして同じ「映画のキャラ」だという実存に気付きながらも、椿ちゃんと対極の位置にいるのが「映画を終わらせまい」と襲いかかるジャスティスラブ知事。
 映画さえ終わらなければ彼は永遠に生きていけるわけで、この世界の秘密を必死に隠そうとする横暴な知事と、臆病ながらも知事とは異なる選択をする椿ちゃんの対比は印象的でした。

キング・コング

 「面白い度☆ 好き度☆」

 長いし悪趣味。

 これ(2005年版)、なぜかDVD持ってるんだけど、あまり好きじゃない。むしろ嫌い。しかも上映時間がとにかく長い!三時間近くある。大きいゴリラの話でそこまで大風呂敷広げる必要あるか?

 『キング・コング』は誰もが知っている子ども向け名作冒険小説で、ピーター・ジャクソン監督も子どもの頃好きだったんでしょう。『ジュラシック・パーク』のスピルバーグ監督もこの映画のファンで、それが足を引っ張り『ロスト・ワールド ジュラシック・パーク』のラストはドチャメチャに・・・

 まあとにかく『キング・コング』は題材がレトロ。かつてゴリラは人間の女性をレイプするという噂が実しやかに囁かれた時代があって、そんなゴリラに対する当時の偏見丸出しの設定の映画が『キングコング』。
 実際のゴリラはけっしてむやみに暴力をふるうような動物ではなく、とっても優しく穏やか。それが本当の強さって言うもんだぜダロウさん。
 人間を殺して食ってしまうほど凶暴なのは実はチンパンジーだったりする・・・

 これほど時代を感じさせる古臭い題材(どくろ島って・・・w)の映画なら、それにあった恐竜を出してほしかった。つまり前にも書いたけどレトロ復元。中盤出てくるブロントサウルス(アパトサウルスの体にカマラサウルスの頭部をつけた恐竜。当時アパトサウルスの頭が見つかっていなかったので、適当にカマラサウルスのものをつけていた)はレトロ恐竜の代表格でとてもうれしかった。
 でもその後、ブロントサウルスを恐竜温血説で有名なドロマエオサウルスの仲間が群で追いかけるのがなんとも『ジュラシック・パーク』でげんなり・・・
 ポスト『ジュラシック・パーク』の恐竜像はこの映画にはミスマッチ!ステゴザウルス(あえてサウルスではなくザウルス)VSキングコングをやってほしかったなあ・・・(アン・ダロウを救うため巨大な肉食恐竜を叩き潰すシーンはちょっとカッコ良かったけどさ)
 あとテラノドンのシーンがなんで気持ち悪い巨大コウモリに・・・?この人(監督)の感覚はブロントサウルス以外私にあまり合わないなあ・・・

 一番腹が立つのが「コングを殺さないで~」ってほざくアン・ダロウ。ぶっちゃけてめえのせいで大勢の人間がコングに殺されているのに、それでもコングの味方をするならてめえは島に残ってコングと籍入れちまえ。なのにみんなとアメリカに帰るって・・・こいつの脳内どうなってるの?悪趣味な島で孤立したから錯乱したのか?
 ダロウのコングへの感情って決して純粋な愛じゃないよね。愛玩動物とか言う場合の「愛」だよね。『ザ・コーブ』(ポスターが無駄にかっこいいw)を見て「イルカが可哀想」とか言っている感情だよ。
 コングの為に自己犠牲的なことをするわけでもないのに、ただ情が移っただけで動物愛護を叫ぶ自分勝手な女・・・それがアン・ダロウ。
 そしてコングは知能が足りず彼女の薄っぺらな愛を理解できないから、必死に恐竜からダロウを救ってやっている。コングよ・・・こんな女命を懸ける価値すらないぜ。
 つまり『キング・コング』は馬鹿な女と馬鹿な男によるけったくそ悪い「愛は盲目」的な恋愛バカ映画。本物のゴリラ・ゴリラさんに謝れ。
 
 この映画の救いは、ジャック・ブラック演じる映画監督「カール・デナム」がかなり面白かったこと。どんな状況でもカメラ片手に映画を撮影する監督魂は本物。
 この映画って脇役はなかなかキャラ立ちしていて、デナムや、デナムに翻弄される映画の主演俳優、動物捕獲のエキスパートの船長とかはかなり魅力的。
 でも肝心のダロウとコングが私は最悪にダメでした。鑑賞後は『世界の中心で愛を叫ぶ』とかを見た感じ(見たことないけど)。

 結論:レトロな恐竜が出て、アン・ダロウが嫌いじゃなかったらこの映画も評価が変わったかもしれない。ちなみに「人間による自然界への干渉」とかそういう深いテーマ性はおそらくないと思う。これは中学生が妄想するような自己中心的な恋愛映画。

ハウルの動く城

 「面白い度☆ 好き度☆」

 監督は崩れる城を描きたかっただけなんだと思う。

 今日は中学校の数学なのに高校の∑的問題が出てきて驚いた。んで、塾から帰ったら今週もジブリ映画がやっててまた驚いた。

 ・・・この映画説明できる人教えてください。それくらい筋がない。内容がないよう~(C)所ジョージ
 この映画の脚本をもし私が書いてプロデューサーの人に提出したら絶対ぶっ飛ばされる。世の中って不公平だよなあ・・・

 私の家庭は崇高な芸術をたしなむような人がいないので、昔は「絵なんか描いてる奴は馬鹿だ」と言われ続けて反骨精神で漫画を描いていましたが、最近そっちの方が芸術や文化を客観的に見られるから結果的によかったと思っています。逆に芸術は素晴らしいと育てられていた方が狂っていたかもしれない・・・
 私は芸術家って社会的に不適格な人だと思っているし、それはなぜかと言えばベクトルが社会や他者でなく、自己の追求に向いているからで、言ってみればブルーカラー労働者の方が百倍偉い。なのにテレビとかで偉そうなのが分からないんだけど・・・

 で、この映画もなんかスタッフの自己満足を見せつけられているようで、なんとも気分が悪い。普通エンターテイメント作品ってサービス精神を感じさせてくれるシーンとか演出ってあるけれど、思えばジブリアニメってそういうのってほとんどなかった気もする。いやあの異常な動画枚数がサービスだよって言われれば返す言葉はありませんが・・・

 動く城が炎の悪魔カルシファーが抜けたことによって崩れていくシーンは確かに圧巻。このような破壊にカタルシスを見出す気持ちはとてもよく分かる。
 小さい頃「ウルトラマン」の怪獣が、せっかく苦労して作った町並みのジオラマを遠慮なくぶっ壊すシーンを見た時の、あのなんとも言えない気持ち・・・そしてプラレールや「ウルトラバトルシート(ソフビで遊ぶ用の街のジオラマでウルトラマンと単体では買えなかったレアなジラースのソフビがついていた)」で街を作っては、私も怪獣でぶっ壊したものです。中学三年生の秋だった・・・

 でも、すごいのは正直それくらいで(あとテーマ曲かな)、気になったのはキャラクターに影を何段も付けるような事をしないジブリが珍しく服にハイライトを入れていたこと。これが見事に服をビニールのように安っぽくさせてしまい逆効果だったと思う。本当あれってなんか意味があったのだろうか?

 そういえば、この映画と今年の『借りぐらしのアリエッティ』ってなんか同じ危険な香りがするんだけど何でだろう?原作が外国の童話(だっけ?)だからかな?

 最後に一言。魔法が解けて板と脚だけしか無くなった城がよろよろ歩くシーンがあるんですけど、ちゃんと板の裏に足を動かす小さな滑車みたいなのがついているのはなんとも宮崎駿っぽくて面白かった。ああいう実際構造的にあってるかどうか分からないけど、科学を感じさせるデザインはさすが監督。

絵画の教員と優等生は似ている

 「よい作家がよい教育者とは限らない。」とはうちの先生の口癖?でしたが、絵画の先生でよくいるタイプが視野の狭い熱血型。生徒にプロの作家としての意識を持てと強要し、生徒が制作に真摯に取り組まないと怒るタイプ。

 そりゃ「制作さぼっちゃ怒られるのは当たり前だろ」と思う人もいるかも知れません。それは全く持って正論ですけど私はこう思います。
 そういう態度の学生を、教員が叱責して無理に絵を描かせたって、それで出来る作品が本当にすごいものだと思っているのか?単なる教師面したストレスの発散じゃないのか?
 いくら美大生だってみんな自分のように絵を描くのが死ぬほど好きなわけないし(だからプロの概念があるんじゃないの?)・・・っていうか死ぬほど好きならあんた一人で死んでくれよって感じですが、別に実際死ぬまではやらないんだよな。
 そもそもそういうやる気のないバーンアウト学生は、モチベーションが起きるまで待ってやればいいだけの事で、起きなかったら「将来の自分のライバルが一人減ってラッキー♪」くらいに思っていればいいのに・・・
 
 あんたは教育者なのか?それとも芸術家なのか・・・?そもそも二足のわらじを履くんじゃねえよ。それが原因なんだよ。作家やりたいなら教員辞めろって。
 なんでこう思うかというと、教員やらずに作家だけの人は、けっこう己をメタ的に見れるできた人が多い気がするから(自分の経験上の話なので偏見かもしれませんが)。
 それに「私は弟子は取らない」とか言う人多いし・・・自分にはクリエイタ―としての才能はあるけれど、教育者としての才能は無いってちゃんと分かってるんだよ。

 あるブロガーさんが「今の若者はなんでも自由にやれるから、逆に何か一つのものを頑張りづらい」と言っていたけど、確かにそうかもしれない。
 本当は選択肢って歳をとると否応なしに収斂されていくようなところがあるけど、今は自分の将来は自分で選べってことになっていて、それって一見素晴らしい権利だって感じするけれど、みんながみんな特殊な才能があるわけじゃないから、ほとんどに人にはかなりのプレッシャーなんだと思う。

 なんかこの絵画の教員の話って、優等生の子が授業を真面目に受けてて、さぼっている奴を見つけると「みんな真面目に授業受けてるんだからお前もちゃんとしろよ」って怒るのと似ている。
 これって実は論理のすり替えで、本当にその授業が為になって素晴らしいと思うのならば、さぼっている奴に怒るはずがない。
 「こんな良い授業を聞かないなんてもったいないなあ・・・」ってなるはず。もしくは「この授業面白いからちゃんと聞いてみなよ」くらい。
 じゃあなんで授業真面目に受けない奴に腹が立つかと言ったら「自分はこんなつまらない授業無理して受けているのに、受けないあいつはずるい」ってこと。
 これって結局自分だって受けなくていいならこんな授業受けないって思っているんだよなあ・・・本当に勉学が楽しいのなら他の連中がどうなろうが知ったこっちゃない。

 ルールを鵜呑みにしたり、絵画の教員の言うことを素直に聞いて「はいはい授業の課題はちゃんと制作致します」なんて言ってる草食系美大生なんて、逆にたかが知れているような気もする。
 それよか絵画の先生の絵を「ヘタクソ」とか暴言はいたり「こんなつまらねえ課題やってられるかよ!」ってつっぱねる奴の方がもしかしたら凄いもの見せてくれるような気もする。

 だから絵画の教員って優等生タイプ。おそらく教室で目立っていたり、ヤンチャしている学生じゃなかっただろうな。大人しく絵を描いて自分の世界に浸り続けていたのだろう。
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