デッドプール

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆」

 なんというか、アボカドと腐ったアボカドがヤったような顔だな。

 う~ん(^_^;)ポスターがけっこうキャッチーで期待値が上がりすぎてしまったようだ。もっとメチャクチャな内容かと思ってたので拍子抜け。普通じゃんか!っていう。
 これまでにないアメコミヒーロー映画という触れ込みだったけれど、わりとこれまでにあるアクション映画。
 つーか、どことなく『アントマン』とキャラや物語構成がかぶるんだよな(個人的にはアントマンの脚本の構成の方がずっとうまい)。ほいで、『マチェーテ』とか『キックアス』的な最近流行りのバイオレンスを加えたんだろうけれど。
 だから、新しかった部分って、せいぜい冒頭のキャストとスタッフ紹介かな。「出演:イギリス人の悪役」「ティーンエイジャー」「監督:ギャラが高いだけの役たたず」みたいな。
 たとえばさ、第4の壁を破壊できる能力とかいうけれど、これって古畑任三郎もできるし、日本のコンテンツではそんなに目新しいものでもないわけじゃん。
 さらに、このメタ的なギャグをやる以上はさ、もう全力でコメディ映画に振り切るしかないわけよ。
 だって『鏡の国のアリス』のアリスや、『ソフィーの世界』のソフィーよろしく、自分がコミックのキャラって認識しているなら、もうその世界の出来事は“劇”に過ぎないわけで、そしたら最後、どうやってもハラハラドキドキはないわけじゃん。ああ、結局みんな演技なんだねっていう。
 だから、これをやるなら、シリアス要素は全て捨てる、全編ギャグで行くんだ!という覚悟がないと、単にしらけるだけなわけです。
 それなのにこの映画は、中途半端にラブロマンスとかシリアスな葛藤とかを中盤の回想でダラダラとやっているから、どっちつかずというか、あちゃ~振り切れなかったなあっていう印象。

 他のXメンを出す予算がないんだろ。

 まだいたの?もう帰りなよ、眼帯つけたサミュエル・L・ジャクソンとか出てこないからさ。


 こういうネタ嫌いじゃないんだけどさw
 結局、こういうネタの扱い方って日本の方が慣れているよね。とんねるずのタカさんやノリさんが「ダーイシ」とか「湊部長」とか、視聴者には第4の壁で隠されていた番組制作陣の真似をしたりさ、漫画だったらガモウひろしさんや小栗かずまたさんといった同じ雑誌の連載陣をネタにした少年ジャンプの『幕張』とかさ。ちょっとオタクくさくなる上、かなり諸刃の刃だから私自身はこういうメタで毒のあるやつは漫画ではやらないんだけど。
 それに、実際、この前やってたアベンジャーズのアニメあったじゃん(ディスクウォーズ)。あれでたまたまデッドプールが出てくる回を見たんだけど、あっちのほうがずっとくだらなくて面白いんだよ。で、それを期待しちゃったっていうのもあるんだよな。
 つまりさ、デッドプールって、主演より脇役として扱ったほうが全然いいっていうね。『みどりのマキバオー』のベアナックルみたいなやつじゃん(笑)
 主演になりたいんだけど、メインキャラに「お前うざいよ、あっちいけよ」とか「お前が出てきちゃうと段取りがおかしくなっちゃうから困る」とか、邪険に扱われてこそ輝くキャラなんじゃないかって。
 それが、この映画だと逆にXメンサイドに「仲間になれ」って勧誘されているもんね。いったいコイツのどこがよくて勧誘してんだってことで、Xメンの銀色タンクトップおじさんの方がキャラが立っちゃってたもんなw
 だから、本編のデッドプールにそういったうざさがなかったってことが残念だったな(ちなみにポスターにはあった)。普通に悩める二枚目っていうかさ、そういうの違うだろっていう。

 というかさ、ちょっと意地悪な拷問をされたとは言え、末期ガンで死ぬしかなかった俺ちゃんの命を、あの悪役のドクターは助けたとも考えられるから、「オレの顔をこんなにしやがって」みたいな恨みがちょっと弱いんだよね。もっと不死の存在になったことによる恐ろしさや狂気を描いても説得力が増しただろうし、むしろ、もう一度彼女に会えたんだから感謝しろよっていうか。感謝した上でバキューンって殺しちゃっても面白いわけじゃん。
 とにかくもっと突き抜けて欲しかった。なんかキャラが消化不良だったよ。あ~あ、もったいないというか。宣伝負けだなというか。
 いやいや、確かに笑えるところもあったんだけどさ、思い返すと、それって大体デッドプールのギャグじゃなくて、同居人の婆さんとか、バーのマスターとか脇役が発したギャグなんだよね。でも、それってダメだろうっていう。
 不謹慎路線なら、『ブラックアダー』とか、ローワンアトキンソンのブラックコメディの方がずっとハラハラするもんな。もっとデッドプールはミスタービーンのように悪気がなく無関係の市民を殺しちゃっても良かったと思う。

 惚れればあばたもえくぼ。

 あばただらけだ。


 こんな弱音を吐いてないで、デッドプールよイギリスへ行け!子どもや老人、身体障害者をいじめてこそのクソ無責任ヒーローなのだ。

障害者教育総論覚え書き①

 昨年度の経験で興味関心を持った分野。イギリスの教育業界では、「障害(ディスアビリティ)のある子ども」って言うとネガティブなイメージが大きいからか、特別な教育的ニーズを有する子ども(チルドレン・ウィズ・スペシャルエデュケーショナルニーズ:SEN)と呼んでいるらしい。
 ニーズか・・・なるほど。これぞポリティカルコレクトネス。鳥は空を飛べるけど、空を飛べない人間はディスアビリティなのかっていう話だよね。いやいやニーズが違うんだという。

国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。――教育基本法

参考文献:石部元雄、柳本雄次編著『特別支援教育―理解と推進のために―』

特別支援教育の基本的視点
 特別支援教育とは、障害の特性に応じた専門性の継承だけではなく、障害のある子が障害のない子とともに学ぶことができる統合性と、生活の拠点であるコミュニティに根ざした地域性を重視した教育である。また同時に、通常学校の抱える教育問題の解決とも深く関わっているといえる。
 さて、07年の文部科学省「特別支援教育の推進について」において、特別支援教育の理念が改めて示されている。

「特別支援教育は、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取り組みを支援するという視点に立ち、一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うものである。
 また、特別支援教育は、これまでの特殊教育の対象の障害だけでなく、知的な遅れのない発達障害も含めて、特別な支援を必要とする幼児児童生徒が在籍する全ての学校において実施されるものである。
 さらに、特別支援教育は、障害のある幼児児童生徒への教育にとどまらず、障害の有無やその他の個々の違いを認識しつつ様々な人々が生き生きと活躍できる共生社会の形式の基礎となるものであり、我が国の現在及び将来の社会にとって重要な意味を持っている。」( 『特別支援教育―理解と推進のために―』22ページ)

 こうした状況の中、特別支援教育には新たな課題が現れた。一つは、支援を行なう対象が広がったことによる知的障害特別支援学校の在学者の急増対策、もう一つが国連の「障害者の権利条約」への批准に向けた条件整備である。
 この課題に取り組む一環として、障害のある子どもが障害のない子どもと共に教育を受けるというインクルーシブ(包括的)教育の理念や、個別の教育的ニーズのある子どもに対して、そのニーズに的確に応える指導を提供できる多様で柔軟な仕組みを整備することの重要性が主張されている。
 この他、就学相談・就学先決定のありかた、インクルーシブ教育システム構築のための人的・物的な環境整備、教職員の確保及び専門性向上のための方策について意見が交わされている。

特別支援教育における学校内外の連携体制
特別支援教育は、学校の教職員全体の特別支援教育に対する理解の下に、学校内の協力体制を構築するだけでなく、学校外の関係機関との協力が不可欠である。
小中学校においては、学級担任や児童生徒に対する支援を行うための校内委員会の設置、また、外部の専門家チームや巡回相談との連携体制の構築が進められている。

校内委員会は、学習や生活で特別な支援を必要としている児童生徒に対しての支援の中心であり、学級担任に対して助言やサポートを行う中核組織であり、この校内委員会の円滑な運営、活動なしでは特別支援教育の進展は期待できない。

専門家チームは、障害の評価、判断、望ましい教育的対応についての意見の提供、学校の支援体制への指導、助言、本人および保護者への説明、校内研修への協力などを行う。

巡回相談員は、児童生徒や学校のニーズの把握と、指導内容・方法といった校内の支援体制づくりへの助言、個別の指導計画の作成への協力などを行う。

地域の支援体制としては、広域特別支援連携協議会の設置が提言されている。専門性の高い機関が中心となり、関係機関に対する支援やこれらの機関との連携協力の調整を図るなど指導的な役割を果たしていくことで、支援地域に効果的な教育的支援体制を構築する。

特別支援コーディネーター
 特別支援コーディネーターとは、校内の特別支援教育の推進役であり、校内の特別なニーズのある子どもを把握するため、諸検査を実施したり、情報交換のための校内委員会を(月一回、最低でも学期に一回)開催し、個別の教育支援計画や個別の支援計画を作成する。

 それと同時に特別支援コーディネーターは、外部の関係機関に対する「学校の顔」でもある。

 巡回相談員との連携では、学校から市町村教育委員会へ巡回相談を依頼し、市町村教育委員会から巡回相談員へ個票を送付してもらう。そして、巡回相談員に観察してもらう子どもの座席表を作成したり、相談を受ける部屋を用意し、巡回相談当日は同席のうえで情報提供を行う。
 その際には、保護者に対する心理検査や医療機関への受診を専門家である巡回相談員から勧めてもらうようにする。ここで注意する点は、あくまで学校での子どものよりよい成長や発達を支援するための方針を得るために検査を受けることが必要であることを保護者に話すことである。

 保護者との連携では、担任教師と保護者との関係がうまくいかない際に、コーディネーターがその間の調整役になって学校への信頼関係の構築に努める。

 その他、関係機関との連携では、特別支援学校はその地域の特別支援教育の中心として位置づけられ、地域の小中学校などから支援の要請があれば、特別支援学校の教師が直接学校や園を訪問し支援を行うのだが、その際に校内のコーディネーターが知的特別支援学校と小中学校のパイプ役になって支援の要請を行う。

 また子どもが医療機関やリハビリテーション機関に通っている場合は、それらの機関との信頼関係を築くと共に、児童生徒などのさまざまな教育情報を収集して指導や支援に生かす。

 以上を踏まえると、特別支援コーディネーターの役割は以下の5つにまとめることができる。

①校内の関係者や医療、福祉等の関係機関との連絡調整、保護者との関係作りを行う。
②保護者に対する学校の相談窓口となり、保護者を支援する。
③担任の教師に対して、相談に応じたり、助言したりするなどの支援を行う。
④校内での適切な教育的支援につながるよう教育委員会に設置されている巡回相談や専門家チームとの連携を図ること。
⑤校内委員会の適切で円滑な運営がなされるよう推進役を担うこと。

特別支援教育の指導

特別支援学校
かつての盲学校、聾学校、養護学校が合体してできた、複数の障害種(視覚障害、聴覚障害、知的障害、肢体不自由、病弱)および重複障害に対応可能な学校制度である。

特別支援学級
小学校、中学校だけに設置されているが、学校教育法(第81条)には高等学校にも置いて良いとされている。
在籍する児童生徒の障害や能力、適性が多様であるため、1学級あたりの児童生徒の数は8人が標準となっている。
知的障害学級(IQ75以下)、情緒障害学級(高機能自閉症や緘黙など)、聴覚障害学級といった感じで障害種別にクラス分けがされている。これらをまとめて特別支援学級という。

通級による指導
小中学校の通常学級に在籍している軽度の障害のある児童生徒に対し、障害の改善・克服を目的として、通常学級の教科の指導を特別な指導とともに行うことである。
在籍校内で実施される場合と、在籍校以外の学校において実施される場合がある。
後者の場合、当該児童生徒の在籍校の校長は他の学校での指導を特別の教育課程に関わる授業とみなすことができる。

領域・教科を合わせた指導
日常生活の指導、遊びの指導、生活単元学習及び作業学習を指す。
通常指導は領域別、教科別に行われ、学問的に分化した内容を系統的に教えるのに対し、領域・教科を合わせた指導では、領域、教科に分けず学習内容を包含的に取り上げ、実際の子どもの生活に即した具体的な活動を重視する。

特別支援学校の教育課程と編成上の特例
 特別支援学校における教育課程は、「学校教育の目的や目標を達成するために、教育の内容を児童生徒の心身の発達に応じ、授業時数との関連において総合的に組織した学校の教育計画である」と定義され、その教育内容は、子どもの学習や心理的発達という観点から分類(スコープ)や系統化(シークエンス)が図られている。

 特別支援学校には独自の教育領域として自立活動が、幼稚部、小学部、中学部、高等部のすべてに設定され、現在では健康の保持、心理的安定、人間関係の形成、環境の把握、身体の動き、コミュニケーションの6つに区分されている。自立活動の内容は学年や障害の種別によって自動的に決まるのではなく、一人ひとりに応じて個別に指導計画を立てなければならない。

 特別支援学校の教育課程は、基本的に幼稚園、小学校、中学校、高等学校に準ずる(同じことをやるということ)とされているが、知的障害の場合はその障害の性質上、教育課程の枠組みが例外的に特有のものとなっている。以下に記す。

小学部
小学部全体が小学校低学年のスコープになっており、外国語と総合的学習の時間は設定されていない。

中学部
教科編成が中学校と異なり技術・家庭が職業・家庭に、また中学校で必修の外国語が選択科目になっている(ただ設定する場合は授業時数の点では必修扱い)。

高等部
高等学校にはない道徳が設置されており、また、各教科(国語、数学など)・各科目(現代文・古典、数学Ⅰ、数学Ⅱなど)の構成ではなく、すべて教科のみで構成されている。さらに知的障害特別支援学校の高等部は修了認定を単位ではなく、授業時数で規定している。

 なお、知的障害の教科は高等部の専門教科を除いて、学年別ではなくすべて段階別として示され、小学部に3段階、中学部に1段階、高等部に2段階の計6段階で構成されている。

 さらに、障害の重度・重複化に伴い、特別支援学校では教育課程を組むにあたって以下のような特例が認められている。

①各教科の目標・内容の一部を取り扱わないことができる。
②各教科の各学年の目標・内容の全部または一部を、前学年や前学部のものに取り替えることができる。
③知的障害を除く特別支援学校の外国語については、小学部の外国語活動の目標・内容の一部を取り入れることができる。
④小学部・中学部では幼稚部教育要領のねらい・内容の一部を取り入れることができる。
⑤重複障害児教育において各教科の一部または各教科に替わって自立活動を主に指導できる。

減法が加法として計算できるのは何故か

 小学校の算数では、+は足し算のマークで「たす」と読み、-は引き算のマークで「ひく」と読んでいたというのに、中学校に入ると+は「プラス」、-は「マイナス」と読み、正負の符号として理解し直さなければならない。これが数が苦手な子は混乱してしまう。
 だいたいまったく同じマークなのに別概念を追加させるから、わけがわからなくなるわけで、でも数学なんて理屈じゃねえ、スポーツのルールみたいなもんだ!みたいに割り切って考えられる人は・・・

プラスを増やすことと、マイナスを減らすことはいっしょ!
+(+1)=-(-1)

プラスを減らすことと、マイナスを増やすことはいっしょ!
-(+1)=+(-1)


よって引き算は足し算に変えることができる!

 という、わりとざっくりとした説明だけで、あっさりこのことわりを受け入れちゃうんだけど、一部にはやっぱり「いやいや、なんでプラスを減らすことと、マイナスを増やすことはいっしょなんだよ???」って納得しない人もいる。
 これは理屈どうこうじゃなくて、実際にこのルールが実感できるような生活経験がイメージできないからピンと来ないんだろうなあって気はする。かたぎの中学生で金融とか株式をやっている子ってあまりいないじゃん。まさか学校の授業でみんなで桃太郎電鉄をやらせるわけにもいかないし。
 例えば、マイナスのつく負の数っていうのは、0より小さい数って考えちゃうと、もう国語的に矛盾するわけで、0の概念(=数が何もない)自体を「0はただの基準(数のスタート地点)」みたいな感じで修正させたほうがいいんだよな。
 そのスタート位置から右に進むことをプラス、逆に左に進むことをマイナスって言うんだよってすれば、絶対値の概念もなんとなくわかるし。ああ、スタート地点からどれだけ離れているかが絶対値なのか、と(物理学で言うスカラー)。
 で、そうやって考えれば、小学校では絶対できなかった、1-5みたいなインポッシブルな計算もできるようになるぞっていう。
 
カッコ外しのルール
1+(+1)は+1
1-(-1)は-1

1+(-1)は-1
1-(+1)は-1


 私は、今まで学習塾で数学を教えているときは、こんなふうにカッコの前後で同じ符号が二個続くと、カッコはずしてプラスに、カッコの前後で違う符号が二個続くと、カッコはずしてマイナスって考えればいいよって、正負の加減法の概念に全く触れずに、とっととカッコをはずさせていたんだけど、文科省の教科書はやっぱり、数学の研究者が書いているわけで、そういう学問性を無視した教え方はアンタッチャブルらしく、一応足し算引き算とプラスマイナスの概念の違いに果敢に言及しようとしていて、つまり、引き算である減法は厳密には、全部加法に変換するんだって説明してるんだよな。
 で、これがすっごいややこしいんだ。数学の先天的センスがある人や、数学が好きな人なら「オラ、ワクワクすっぞ」なんだろうけど、私みたいな数に愛されていない頭脳の人は、かえって混乱しちゃって、つーか正直私自身も、この教科書の説明じゃ良くわからない。結局のところ、当たり前だけど、数学の教科書って数学が好きで、数学が得意な人が書いているから、私みたいな想定外のバカがいることを考慮してないんだよね。
 なんというか、一年の2学期で教える方程式的な考え方をしていて、最初からそんな高度な思考ができたら、そもそもこんなところつまずかねえよっていう不条理を感じる記述なんですよ(^_^;)

Q:東西にのびる道路をP地点から□km進み、そこからさらに東へ2km進んだら、P地点から5kmの場所にいました。はじめにP地点から何km進んだでしょう?

 みたいな問題があって、これを数直線で考え加法にすると・・・

□+(+2)=5

 この□に当てはまる数は

□=(+5)-(+2)・・・①

 に式を変えれば求められるので・・・

 とか、書いてあるんだよ!これってもはや等式変形で方程式なわけじゃないですか!というか脱ゆとりで小学校の時点でここら辺のレベルまでやってるのかもしれないけれど、だとしてもこの考え方できるような子どもだったら、そもそもこの教科書いらねえよっていう。
 ほいで、□に入る数は、P地点から最初に5km移動して、そこから-2km移動した結果とも考えられるので

□=(+5)+(-2)・・・②

 ①式と②式より、引き算は加法に直せます。

 ・・・う~ん、何度読んでもわかりづらい・・・orz
 これなら、概念すっとばしてルールだけ教えちゃったほうが、計算自体はできるようになると思ったんだけど、やっぱり学校は学習塾と違って学術的概念を軽視するわけにはいかないので、自分なりにどうやったら、この引き算が足し算に変化できるということを、みんなに理解させられるのかなと悩んだ挙句、こんな感じのヴァンガードファイト的なゲームを考案しました。

ルール
①二人ひと組のペアを作って、ひとり5枚ずつトランプのカードを配る。

②黒札はそのカードの数を足して、赤札はそのカードの数を引いて、5枚のカードの合計得点を計算し、その点数をお互いに言う。(カードは見せない!)

③ジャンケンをする。ジャンケンに勝った人は、相手からカードを一枚取るか、相手にカードを一枚取ってもらうかを選ぶ。

④カードのやり取りをしたら、自分のカードの合計得点をあらためて計算する。 

⑤このように3回ジャンケンをしてカードをやり取りして、合計得点の多い人が勝ち。
      
つまり・・・黒札を増やし、赤札を減らすゲーム!

たとえば
・黒札の10のカードを相手から取った場合
 +(とった)(+10ポイント)

・赤札の10のカードを相手に取られた場合
 -(とられた)(-10ポイント)

→どっちも10ポイント増える!+10

・黒札の10のカードを相手に取られた場合
 -(とられた)(+10ポイント)

・赤札の10のカードを相手から取った場合
 +(とった)(-10ポイント)

→どっちも10ポイント減る!-10

よって
プラスを増やすことと、マイナスを減らすことはいっしょ!
+(+10)=-(-10)

プラスを減らすことと、マイナスを増やすことはいっしょ!
-(+10)=+(-10)

引き算は足し算に変えることができる!

得点表.jpg

 ちなみに計算が苦手な人のために得点計算表も作りました。これでうまく納得してくれるかどうかはわからないけれど(かなり苦し紛れなゲームであることは認めます)、一番最悪なのは、この時点でパージしちゃう人を出しちゃうことだよね。
 ここでくじけられちゃうと、今後の数学が誇張表現でもなんでもなく全て計算できなくなっちゃうから、得意な人にとっちゃ出てくる数も桁が小さくて簡単すぎる前哨戦なんだけど、だからこそ基礎工事として超重要で、誰も落としちゃいけない、教える側にとっては責任重大な単元だという。
 他にこう教えるといいんじゃないかってアイディアがあったらぜひご教示ください!

キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 こういう意見もある。ただの“自警団”だと。

 よくウルトラマンなどの特撮を見てて、街めっちゃ破壊されてるけど住民の人は大丈夫なのだろうか?と思ったことがある人は多いはずだ。
 でも、そこに言及しちゃうと、ぼくらのヒーローウルトラマンが、よその星からやってきた恐怖の加害者になっちゃうから、それは言わないお約束ってなっていた。
 ここらへんが気になり出すと、いよいよこういう子ども向けのコンテンツは卒業なんだなってって感じていたんだけど、その問題についに言及する作品が出てきた。それがこれ。

 私は、この『シビル・ウォー』って作品、原作漫画をあらかじめパキPさんに貸してもらってて、けっこう陰惨でちょっと後味が悪い社会派作品だなあ、と。だから、これを実写化してもエンターテイメントという形では評価されないんじゃないかって思ってた。
 いや、ピストルに代表されるような武力をどこまで法で規制すべきかという、すごい考えさせられるテーマで、そのような政治的なイシューの是非でアベンジャーズが二つに分断されてしまうっていう展開は、この国でも原発問題や基地問題に伴う利害関係で住民(と無関係なネット市民)が二つに分かれてしまい、両者のあいだで不毛で切ない罵り合いが起きている以上、無関係ではないから、やるべき作品だなとは思ってたんだけど。

 我々は、あの名作『ウォッチメン』の実写映画が一般受けしなかった現実を受け入れなければならないわけじゃん。
 
 そしたら、さすが最近は妙に手堅いディズニー。めっちゃ脚色してきたっていう。もはや別作品。
 スーパーヒーローを国連の監督下に置くというソコヴィア協定(原作では超人登録法でマイナンバー制度みたいなやつ)が物語のコアかと思ったら、それは前半サラっと流されるだけで、市民の安全や公共の福祉はどこへやら(このプロット上の路線変更で多少ストーリー進行がダラつく)、結局はいつものようにかなり個人的な動機で暴れまわるみなさん。
 しかも、内戦ってことでスパイダーマンやアントマンなども参戦、なんでもありの楽しいコスプレパーティーに。

 協定は選択の権利すら奪う。
 
 とか、朝まで生テレビ!的なこと言いながら、なんだよ~結局てめえらは、身近な人しか見えてねえじゃねえかっていう。
 いや、人間ってたった一人の大切な人を守るのにも必死なのはわかるけど、キミらは超人であって人の何倍もの力があるんだから、精神年齢もそれに伴って高潔であってくれよっていう。
 ぶっちゃければ、ソコヴィア協定じゃなくてウィンターソルジャーをめぐって戦ってるもんな。だから、協定がまだ施行もしていないうちに、キャップはなんかこの法律、性に合わないと駄々をこねているように見えてしまうというw
 じゃあ、協定賛成派のアイアンマンはどうかっていうと、やっぱり個人的なうしろめたさでネガティブにただよっているだけだから、いつものように言動はブレブレ。
 というか、キャップは基本的に生真面目なキャラクターだから、この人をブレブレにしないと物語は動かないっていうのはあるんだけどね。
 でもまあ、こういう風に思い切った脚色をすることで、今回も愉快なヒーローたちにガッツリ感情移入はできるようになったと。相変わらずキャラを立たせるのうまいなあと。商業的にはこのやり方が正解だったよな。
 テロの恐怖や復讐の連鎖、そして、その象徴であるアメリカ愛国者法より、キャプテン、スターク、ウィンターソルジャーのドキドキ三角関係のほうが食いつくもんな。観客はスーパーヒーローじゃないからね。国際問題よりも来クールのアニメだもんね。

 でも、待ってくれ。私たちはやっぱり、ウルトラマンに壊された街のがれきに一般市民が埋まってるんじゃないか、ということに気づいてしまった、大きなお友達ではないか。これで満足しちゃっていいのか??
 私がこの映画で最も好きで、高く評価したいのは、ヒーロー同士のお涙頂戴の友情ではなく、このあとのクライマックスなのである。
 アメコミの武力格差社会(1%の超人が残り99%の一般人よりも高い武力を独占する世界)において、身勝手な超人たちの乱闘の犠牲になった一般市民が――アフリカゾウに復讐しようにも絶対に適わない小さなアリが――健気に知恵を振り絞って、このバカどもに一太刀浴びせるのである。おごるな、と。
 
 私はアベンジャーズを殺せない。だが殺し合わせることができれば・・・

ズートピア

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆」

 ちゃんと消すよ。48時間後に。

 観る予定はなかったんですけど、SGA屋さんに「私が好きそうな話」って言われたので、急遽観に行ってみた。というか、あらすじの段階でも確かに自分が考えそうな話だなとは思ってたんだよな(黒幕即行分かった)。私はイソップ童話の形式がかなり好きだし。
 ということで、この『ズートピア』、内容はなかなかの社会派で、脚本の完成度も非常に高かったんですけど、このテーマって現在のハリウッド映画ではかなり繰り返されていて、贅沢を言わせてもらえば、ちょっと食傷気味(自分も作品で取り扱ったし)。
 とはいえ、ディズニーの子ども向けアニメ(だよね?ドン・コルレオーネとかパロってたけど)の形式でも、こういった池上的なテーマをやりだしたっていうのが、やっぱりそういう国際情勢なんだなあって。イソップ童話2.0というか。
 例えば『バグズ・ライフ』のころは強者は少数派ということに言及はしながらも、やっぱり強者は敵であることには変わりはないって感じで物語を着地させてたんですけど、それはやっぱりある種のファンタジーであって、最善策ではないという事実にディズニーアニメも向き合わざるを得ないという、そういう時代になっちゃったって事なんだよね。
 もはや共存するしかないという。『シッコ』のマイケル・ムーア監督じゃないけど、同じ船に乗る乗客であって運命共同体なんだっていう。

 そう言う意味で、これまでのイーブルやヴィランを、被食者からみた捕食者というポジションに置き換えて相対化しているのはうまいなあって。そうすることで、マイケル・サンデル的な、加害者の子孫は先祖がやった罪をどこまで謝罪すればいいのか的な問題も掘り下げられるしね。アメリカ白人のインディアン迫害や、日韓問題みたいな。
 さらに、か弱いウサギ、ずる賢いキツネとか、そういったイソップ的な動物のイメージを、私たちの人種や文化に対する偏見のメタファーにしているのも、わりと思いつくアイディアではあるんだろうけど、それをやるとどうしても物語が重くなりがちだから、仮に思いついても子ども向け作品として仕上げるのには、なかなか勇気が必要で、それで今まで実現しなかったんだろうなっていうのはある。
 そこをなんとか上手にクリアしたっていうのが、この映画の一番上手なところだよね。下手すると人間のすっごい嫌~なところを描いちゃう、極めて後味の悪いアニメになっちゃうもん。自分じゃ無理だな。このバランスはかなり調整するのが難しかったんじゃなかろうか。
 グローバル社会にこれから繰り出す子どもに向けてもちゃんと教訓があるし、やっぱり海外はえらいなって。ちゃんと教育しようとしてるよなってw

 すべてのキツネがそうとは限らない。意地悪なウサギもたくさんいる。

 ほいで、SGA屋さんはもうひとつ「この映画は今のピクサーよりもピクサーっぽい」ともおっしゃってたんだけど、この意見には半分同意するけど、半分違和感がある。
 この映画が“かつてのピクサーっぽい”(=脚本の完成度が高い)ってのはわかるんだけど、ピクサーって私の中では常に新しいチャレンジをするスタジオってイメージがあるから、そう言う意味ではやっぱり『ズートピア』よりも『アーロと少年』の方が、ずっとヘンテコでなんか引っかかるんだよね。こんなの見たことねえよっていう。
 つまり、かつての繰り返しを、ピクサーはやりたがらないわけで、そう言う意味で『シュガーラッシュ』も『ベイマックス』も、この『ズートピア』も完成度は高いんだけど、やっぱピクサーではないよなって思っちゃう。もう、そういうの一度見たよっていう。
 うまいなとは思うんだけど、超好きかっていうと「う~ん」っていう(^_^;)クリエイティブ業、難しいね。
 若い頃は、いやいや、『カリオストロの城』みたいな完成度が高いやつを繰り返せばいいじゃん、なに無茶なチャレンジして良くわからない作品作ってんだよジブリみたいに思ってたんだけど、歳をとるって恐ろしいね。
 今じゃ、宮崎駿さんの歩んだ道のりが、すっごい腑に落ちるというか。やっぱり同じものを二度はやりたくないよなっていう。もっと新しいことに挑戦したいよなっていう。
 そう言う意味でもピクサーはジブリをお手本にしているっていうのがわかるよ。結局アメリカのジブリなんだな。で、ラセターさんが引退したらやっぱり崩壊しちゃうのだろうか(^_^;)
 とりあえす今度の『ファインディング・ドリー』が『カーズ2』のような新しい驚きをさせてくれる映画であることを祈る!

 追記:完成度以外にもなんか自分がこの映画好きになれない理由あると思うんだよな。深読みするとやっぱりあのラスト自体に欺瞞を感じちゃうからかなあ。
 とにかく、この映画ってポリティカルコレクトネスに溢れてるじゃん。「ウサギがウサギをかわいいっていうのはいいけれど、ヒョウがウサギを可愛いっていうのは失礼なのよ」とか。
 そう言う意味で、正しい映画なのかもしれないけれど、すごい窮屈な映画なんだよね。デモリションマン的なw動物園のユートピアとはこの映画の本質を表す素晴らしいタイトルよ。まさにジェイルよ。
 だいたいキリがないからね。そういう配慮で神経使うことに、ほとほと疲れちゃった人たちの鬱積がトランプさんフィーバーにつながっているのかもしれないし。というか、とうとう共和党候補なってたよな、あの人。すごいな。
 で、グローバル化っていうのは結局のところ世界がアメリカ化(地球全体が移民国家化)するってことだからね。歌って踊ればみんなハッピーで終わってたけど、いやいやリアルではもっとシビアなバランスを取らないと危ないぜっていう。
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