大統領の執事の涙

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 お前の持つすべてはその執事が与えたの。

 や~っと観れた!こんなに公開日が楽しみだった映画は『ミニオン危機一発』以来だったんですが、ここんところの前代未聞の大雪でおあずけ食らってて、このままズルズル引き伸ばすと上映終了しちゃいそうだったので、ちょっと遠い初めて行く映画館までドライブして見ました。
 で案の定、道がよくわからずギリギリアウトで、着いたらセシルのお父さん死んでた(^_^;)なんでもご主人様に奥さんレイプされて、その抗議に行ったら射殺されちゃったらしい。
 つまり主人公セシルのその後の生き方にすごい影響を与えるトラウマ的経験だったわけで、そこを逃したのは痛かったかな。まあ、でもおそらくDVD買いそうな気がするからよし。

 アイゼンハワー~オバマさんまで歴代閣下全員集合かと思ったら、実はそうではなかった。でもアメリカの歴史としてはなかなかいい教材にはなると思う。
 ジョンソンとレーガン(※似てる)はどっちもポピュリズム政治家として有名だけど、この二人が一番キャラが立っていたというか、人間くさく葛藤してた(^_^;)
 つまり大衆人気で大統領になっちゃったタイプの方が、グラウンドデザインを描けなかったり、大衆に迎合する癖がぬけずに強いリーダーシップが発揮できないってことなのかなあ。
 でもジョンソン大統領は、黒人問題に対してアファーマティブアクションを起こした人だよね。機会の平等じゃなくて結果の平等を保障しなきゃダメだって。
 また、元軍人で悲惨な戦場を実際に経験したアイゼンハワー大統領が軍産複合体を批判し続けたっていうのは教訓にしたほうがいいかもしれない。ちなみにロビン・ウィリアムズさんがやってます。油絵描いてます。

 さて、今日の昼間も考えたことだけど「弱者」とは一体なんなんだろう。社会を変えようと戦った、彼ら黒人は弱者だったのか。
 私『スイミー』の見過ぎで、ずっと弱者=多数派、強者=少数派で、弱者が団結して数の力で強大な敵をやっつけるという市民革命モデルがインプリンティングされてたんだけど、最近はどうもそうじゃないぞって思ってるんだ。
 あの映画の黒人は不当に抑圧されただけで決して弱者じゃないぞ。強者だぞって。勇気がなきゃ公民権運動なんてやれないぞって。

 これは社会学でも度々議論されることで、つまりキング牧師や確執があった息子のルイスくんみたいに、自分たちの未来のために自分は死んじゃってもいいっていう行動は、果たして合理的戦略と言えるのだろうかっていうやつで。で、そこまで覚悟決めて行動ができる人は、やっぱり弱者・・・ではないよなあって。
 逆に、恐怖に支配されちゃっているかわいそうな弱者は、KKKとか南部のレイシストとかなんだよね。誰よりも繊細で傷つきやすく弱いから、そのフラストレーションを攻撃性に転化させる。
 これは恐ろしいことで、ミルグラムっていう学者がイェール大学で行った実験によると、人は誰でも周囲の環境によって簡単にサディストに転向しちゃうらしいんだ。
 被験者集団の誰か一人に先生役をやらせて、生徒役の人たちに電流を流すスイッチを渡す。で、生徒役の人が問題に間違うとバツゲームとして先生から電流を流されるというブラック金八先生ごっこ的なロールプレイをやらせると、どんなにリベラルで「暴力反対!」とか言っている人でもブラック金八をやったら、最終的に『ぷっ』すまの草彅くんみたいに嬉々としてみんなに電流流しているらしいんだ。(※ただ草彅くんは自分にも電気を流す。謎。)
 その人の信条や政治文化よりも、その場の環境の影響力が想像以上に強いわけだ。だからこそそういう状況に陥らないように、意志の弱い私たちは社会のことを考えないといけない。

 闇は闇を追い払えない。

 そしてそのためには、クリエイターはこういう作品を作り続けて、みんなに啓蒙し続けなきゃいけないんだよね。
 日本の漫画やアニメといった大衆文化も素晴らしいと思うけど、エロとかグロとかあまりに煽情的な作品ばかりで、こういう人間の恐ろしい部分をメタ認識させてブレーキをかけるような作品がもっとあってもいいと思うんだよな。
 こればっかりは市場の原理とは相容れないところだよ。なんでも売上で還元できるなら、なんでネオリべのやり方で、こんなにみんなが不安でウジウジしているかの説明がつかないし。
 つまり、深刻な人種差別があったアメリカだからこそ、去年の『42~世界を変えた男~』といいコンスタントに黒人差別を題材にした映画を作り続けているんだろう。
 こういうレイシズムを取り上げたお話が、日本ではなんとなく自主規制になりそうなのが表現者の端くれとして心苦しい。
 在日朝鮮や韓国の人が日本人にいじめられて、でも最終的にそう言う人が日本で総理大臣になったよ、めでたしめでたしみたいな作品を作ったら「非国民」とか言われて社会的に抹殺されそうなのが今の日本。

 とどのつまり、弱者の弱者たる所以は団結できないこと(=自分と同じ境遇の人に手を差し伸べる余裕すらないこと)なんじゃないかって、この映画でつくづく思った次第であります。
 そして、そこまで追い込まれちゃった人って、実は社会の多数派ではないような気もしている。
 ここは私がリアルスイミーを描くしかないのだろうか・・・

 セシル二つの顔を持て。本当の顔と白人に見せる顔だ。

漫画と小説の違い

 ひさびさに、社会の勉強と関係のない記事いやっほう。そう、終わったのです、『80日間宇宙一周』小説版の第3章ギャラクシーミネルヴァが。

 いや~~~長かった~~~~!!

 なんでこんなに時間がかかったんだか自分でもわからん。いや、イマイチ気分がのらなかったり、スランプに陥って途中で中断していたなら、時間がかかったってのは分かるんですが、謎なのは、ほとんど毎日サボらずにちびちび進めていたんですよ。なのにこんなにかかってしまった。
 信じられない、だって第1章なんて5日で書いちゃったからね。私のバーストモードはてんで持続性がないやね。
 
 ホント、なんでこんなにかかったんだろう。言い回しのネタがなくなってきたのか・・・というかたけしさんも言ってたけど、小説って地の文がめんどくさいというか、その部分をどれだけセンス良く組んでいけるかだよね。
 映画や漫画の脚本では画で見せちゃう部分も、小説では全部言語化しなきゃいけないわけで、だんだん限界を感じてくるというか、絵で見せたほうが早いだろというかw
 だからこそライトノベルなんかは挿絵を豊富に入れてて、つーかもはや挿絵で売れ行きが決まっているような気もするけどオレたち小説書きとしてはあんまり挿絵に頼るのも活字の敗北というか・・・悔しいじゃない。※いつからオレは活字の味方に・・・

 しかし、小説って漫画に比べて絵がない分描写をファジーにできるのが面白そう(=楽そう)だなあって思っていたんですが、冗談じゃない。
 書いててわかったけど、小説の方が言葉だけで伝える分、すごい直接的で読者の想像の幅を確定させちゃうんだよね。
 言葉の力ってなんというか・・・制御が難しい。SNSが度々揉めるのが分かるわ。ソシュール的に言うならば、言語っていうのは「表情的意味」が全くない。
 例えば、今回の第3章を今朝読み返してみたんだ。誤字とか絶対あるから。というかあったから。そしたら、「え?この話ってこんなに哀しい話だっけ??」ってゾッとしちゃった。

 これを初見で読んだ人絶対うつになるだろって。

 小池一夫先生はツイッターで、優れたクリエイターは読者に日常の嫌な部分を忘れさせることができるとか言ってたけど、これじゃあ読者は日常の嫌な部分を思い出すぜって。
 私がアイドルマスターやると、こうなるっていうねwこれこそ美少女とミリタリーの本当のコラボだぜって。
 で、結局漫画の脚本として書いていた時は、自分の頭の中に漫画の絵のイメージがあったんだよね。本来ならシリアスで悲しいシーンとかでも、絵の描き方でいくらでもコミカルにできるじゃん。
 石森章太郎先生の『サイボーグ009』が内容は深刻な割に、あの可愛い画風で助けられたように(この前の映画版は助かんなかったけど)。
 だから私も、かなり絵で助けられていたんだなあって。絵を引きはがすと、自分の作品ってこんなにおぞましい内容だったんだって・・・

 それに、漫画ではキャラの内面って表情を描けばなんとなくファジーに出来るじゃないですか。あれ?この人はなんでこういう表情をしたんだろう?何を考えているんだろう?みたいな、リアルなライブ感が漫画にはあるけど、小説ではパーソナリティの壁がぶち破れちゃうんだよね。これってリアルじゃ絶対ありえないからね。
 まるでテレパシーみたいに、みんなのモノローグが筒抜けで、活字で「彼女はこう思った」って説明できちゃうから、読者の方は「ああそうでござんすか」としか言えないしね。
 したがって、すごい悲しいシーンとかは、キャラのすごい悲しい感情が絵というオブラートなしで読者に直接突き刺さってしまうのが辛い。
 とにかく、意外と解釈の幅が漫画よりも限定されちゃうんだって言うのは勉強になった。

 漫画と小説の違いをまとめると以下の通り。

視覚的描写 漫画:限定 小説:曖昧
心情的描写 漫画:曖昧 小説:限定
没入感 漫画:肉体的 小説:精神的


 まあ、なんにせよ小説の方は折り返しに差し掛かり、連載のストックもおそらく数ヶ月分は出来たから、私は古巣の漫画に戻ることにします。
 やっぱ、あんたはマイルドでいいよ。読み返すのも楽だし(※これが意外と大切)。ただ、とにかく作業の工数が多い!

政治学覚え書き⑬(選挙制度と投票行動)

 なんか急に40年ぶりとかいう大雪が降って、見事に体調が悪いんですが(エンドレス鼻水)、今日は東京都知事選の投票日ってことで、選挙をまとめるのにこれ以上の機会はないってことで、頑張ります。

 マイケル・ムーア監督の『キャピタリズム~マネーは踊る~』では(もう何回観たんだろうか)、資本主義が民主主義と対立する概念だと描かれていた。これに町山さんをはじめ、多くのにわか社会派評論家は突っついた。
 つまり、資本主義はひとつの経済の仕組みであって、政治形態である民主主義の対立概念にはならないということだ。もちろん私もそうだと思ってたから「むむ?」(C)川平慈英って思ったんだけど、実を言うとムーア監督はこれを意図的にやってたどころか、政治経済の歴史をしっかり勉強すれば、この対立モデルは正しいことがわかった。
 つまり知ったかぶりをして恥をかいたのは町山と私だったのだ。
 どういうことか説明しよう。作中ムーア監督はしきりに「資本主義とは自由競争制」という定義を強調していた。つまり資本主義とは自由主義に基づく経済システムであることが分かる。
 そして、歴史を振り返るに、この自由主義と民主主義は対立概念であった時代があるのだ!今では当然のようにセットで語られることが多い、自由主義と民主主義。
 では、この二つは何が異なり、どういった事情で戦っていたのか。まずはそこから。

自由主義と身分制議会
古代のギリシャやローマで行われていたデモクラティアと、近代以降のデモクラシーには大きな違いがある。前者は限られた人口と有権者(女性と奴隷、外国人に投票権なし)による直接民主制であったのに対して、後者では国家の規模が大きいため代表制民主主義にならざるを得ない。
そもそも、この代表制の起源は中世~近世の、厳しい制限選挙によって議員が選出される身分制議会であり、特にこの機能が拡大したのがイングランドで、議会が最高立法機関になった。
したがって、議会に自分の代表を送ることができたのは、たくさん税金を納めているような金持ち(貴族や平民の財産所有者)だけで、言ってみれば財産を持つ者こそが自由人にふさわしい経済的、精神的独立を維持し、健全な政治的判断ができるということで、制限選挙が正当化されていたのだ。
18世紀にバークが提唱した国民代表の観念(政治家は自分に投票してくれた人の召使ではなく、優れた政治的判断力はまずもって国家全体の利益のために使われるべきだという考え)、このようなエリート支配を支えるものになった。
こういった考え方は、すでに古代ギリシャからあって、プラトンは「民主制とは貧しく無知な民衆とそれを操る扇動者による堕落した形態」であると認識していた。そもそもデモクラティアとは衆愚政治のことだし。
よって経済的に自立した自由人が行う政治体制が自由主義的な代議制ならば、それはすぐに民主主義と結びつくものでなかったことが言える。

民主主義と人民主権論
近代で民主主義的な思想が復活したのは、16世紀の宗教戦争で「神の前では一切の人間は平等」というイエスの教えをリアルな社会にまで適用しようとプロテスタントが主張したからだ。
ユグノー(新教徒)急進派は、カトリック支配への武力抵抗を呼びかけるために、人民こそが政治的権威の究極的な源という人民主権論を展開、ピューリタン革命でもっともラディカルな思想を持った水平派は、この考えを下に国王なんてなくして、男子普通選挙法を実施しろと要求をした。
このような議論は、宗教戦争の混乱が終わると、それと一緒に収束してしまうが、18世紀に入り、この考え方を制度論的にしっかりと考えたのがルソーだった。
ルソーは古代ギリシャの直接民主制といった古典的な民主主義に影響を受けていて、この考え方はアメリカの独立やフランス革命の原動力となったが、革命後の体制はルソーの言うような直接民主制ではなく、制限選挙による代表制を採用した。
それくらい民主主義は急進的だったのである。

エリートVS大衆
結局、カトリック教会や絶対王政、身分制という共通の敵を倒すために、自由主義と民主主義はそれぞれ独立して戦ったのだが、自由主義(エリート支配)は民主主義に、民主主義は自由主義にそれぞれ脅威を感じるようになった。
19世紀になり産業革命とそれに伴う労働者の増加は、選挙権拡大運動へとつながり、さらに私有財産権すら廃止しろという社会主義思想が加わることになった。
民主主義化された社会に警鐘を鳴らしたのがトクヴィルで、民主主義は、多数派が数の論理で少数派の権利を踏みにじる多数の暴政をもたらす危険性があるとした。
さらに、平等な社会とその画一化は、社会から孤立し、私的な世界に閉じこもる自己中心的な個人を生み、そのような個人は簡単に多数派の意向に同調、利益誘導でちょちょいと人間の自由を抑圧する穏和な専制ができてしまうと考えた。
とはいえトクヴィルによれば、民主主義の発展は歴史の必然、不可抗力なのだという。
さて、こんな感じで始まった民主主義だったが、新たに選挙権を得た労働者階級が、一部の論者が恐れていたほどのラディカルな改革を求めず、既存の自由主義的体制の範疇で行動することが判明(※)、ここでやっと自由主義と民主主義は合体した。

※:この前読んだオルテガの『大衆の反逆』でまさにそういった部分があったのだが、紛失してしまった!

その後、参政権は女性や異なる人種に拡大され、エリートVS大衆というわかりやすい二元的モデルはダールのポリアーキー論(少数のエリートではなく複数の少数集団によって政治が行われているという考え方)などによって棄却されるに至った。
つまり、多元的民主主義という時代が始まったわけで、異なる見解を持つ人々がどのように合意形成を図るべきか、つーか図れるのかはいまだに議論がある。
ロウィは『自由主義の終焉』で、多元主義の実態は、利益集団間のインフォーマルな交渉で政治的決定が行われる利益集団民主主義だと批判した。
こういった多元的民主主義を打破する、ひとつのアイディアとして国民投票を積極的に導入したり、地方自治体、職場、学校にも民主主義システムを入れるという参加型民主主義という考え方がある。
これにより、みんなが偏狭な自己中心性から脱して、公民的資質を持つ成熟した存在に成長していけばいいんだよ、と考えたのが、ハンナ・アーレント(労働レイバー、仕事ワーク、活動アクションの三段論法)をはじめとする思想家だ。
なんにせよ、デモクラシーをどう捉え、どうやって運営していくかは未だに決着がついていない。まあ、選挙戦のゴタゴタ見てればわかるよね。

選挙制度の分類
①選挙区制②投票方式③代表制の3つの側面からそれぞれ類型化ができる。
選挙区制では選挙区の定数が一人の小選挙区、定数が複数の大選挙区(実態では10~20)、大選挙区の一種で定数が2~6の中選挙区の3つに分類できる。
次に投票方式で類型化すると、一人の候補者名を書く単記投票制と、複数の候補者名を書く連記投票制に分類できる。
前者は小選挙区制、後者は大選挙区制に対応する。
連記投票制は、選挙区の定数と同じ数の候補者名を連記する完全連記投票制と、定数よりも少ない制限連記投票制に分けられる。
ちなみに日本の中選挙区制は、単記非移譲式(単記制で落選者の票が第二希望の有権者に移譲ができない)という独特な投票方式をとっている。
最後に代表制の側面で分類すると、多数代表制と、比例代表制に分けられる。
多数代表制は相対多数制(投票数に関わらず最も多く得票した候補者が当選)と絶対多数制(過半数の投票を得ないと当選できない)に分けられる。
比例代表制は選挙区全体の議席数を各党の得票率に比例するように配分する制度で、日本ではドント方式(各党の得票数をあらかじめ1、2、3…と整数で割り、その商の大きい順に議席を割り当てていく方式)が採用されている。ちなみに商が同じになった場合はクジで決めるらしい。足利義教か(^_^;)

日本の選挙制度
日本の選挙では衆議院選挙が小選挙区比例代表並立制を実施。
全国に小選挙区が300箇所。比例区は地方ブロックごと(拘束名簿)。定員480人…だったが議員定数削減で475議席に減った。0増5減(小選挙区が5議席減った)。
ちなみに小選挙区と比例代表の両方に重複立候補ができるため、ある政党が大勝すると杉村太蔵的に泡沫候補が棚ぼた当選することもある。
参議院選挙の選挙区は都道府県ごとで議席数は選挙区によって違う(1~5人区)、比例区は全国統一である(非拘束名簿)。定員は242人…だったが2018年の自民党の強引な6増法案で248人になった。さらに特定枠という選挙運動を行わなくても拘束名簿方式で当選させることができる制度が比例区に追加された。
6増法案が通ったため、その半数の124人が3年ごとに改選される(選挙区で74人、比例区で50人)。
また、公職選挙法の改正により、2000年から外国にいる有権者が投票できる在外選挙、2003年から期日前投票制度が導入、さらに2016年から選挙年齢が18歳に引下げられた。

一票の格差問題
現在では、どの都道府県でもとりあえず一議席は与えてやろうという1人別枠方式が取られているが、都道府県によって人口のギャップがありすぎるため、例えば神奈川県の有権者の一票に対する島根県の有権者の一票の影響力が2倍以上になり、違憲状態となっている。
これを解消するために、現在取り沙汰されているのが、単純に都道府県ごとの人口をある決まった定数で割って、適切な定数を決めるというアダムズ方式だが、これだと議員定数の削減になる反面、定数ゼロの県もできてしまうため、賛否両論となっている。
ちなみにアダムズとはこれを考案したアメリカの第6代大統領ジョン・クインシー・アダムズのこと。詳しくは映画『アミスタッド』を観よう。
6増法案も建前としては、この一票の格差が参議院で3倍になるのを防ぐために採決された(埼玉の選挙区を6から8に増やした)。

投票行動の分析
一般大衆が政治に参加する時代になったわけだけど、その政治的行動を分析する方法は大きく二つある。ひとつが集計データ分析で、各選挙区ごとのそれぞれの政党の得票数を調べることで、その国の政治を分析する。
もうひとつが個人レベル・データ分析で、世論調査みたいに、人々の意識をひとりひとりに質問することで、個人レベルのデータを集め、それを分析する。
最近はこっちが主流だが、それは20世紀半ばのアメリカで、有権者の投票行動を行動主義心理学的なアプローチで研究することが増えたからである(行動科学的政治学)。つまり、集計データだけでは有権者の心理学的傾向と実際の行動との結び付きが分からないのだ。
例えば、集計データ分析で「黒人が多い地域では識字率が低い。よって黒人は識字率が低い」という調査結果が出たとして、個人レベル・データ分析をしてみると、その地域で識字率を下げていたのはもっぱら白人だった、なんてこともあるのだ。

エリー調査
1940年にコロンビア大学で実施された大統領選挙における世論調査で、行動科学的政治学を大きく発展させた調査として有名。
一般的な有権者が大統領選でどの候補に投票するかは、各候補者の公約によってではなく、有権者自身の社会的、経済的地位、居住地域、宗教などの社会学的要因によって決まるというのだ。
また、有権者が誰に投票するかは、あらかじめ早い時期から決まっていて、選挙運動の影響は大して受けていないらしい。
さらにエリー調査は、一般の人々はマスメディアから直接情報を得るよりも、オピニオンリーダーから情報を得るという仮説も示した。これによれば、マスメディアによって投票を変えた人(改変効果)はわずか全体の8%だったという。
しかし50年代からテレビという幸せな箱が登場、マスメディアが有権者に与える影響はずっと大きくなっていく。

ミシガンモデル
ミシガン大学では、1948年以降、大統領選になると全国世論調査を行っているのだが、それによるとアメリカの有権者の多くは、候補者が打ち出す政策よりも、子どもの頃に家庭や地域の人に受け継いだ政治支持態度(政党帰属意識)に基づいて投票を決める場合が最も多いと言う。
さらに、政策争点で判断するよりは、各候補者の見た目やイメージで投票を決めていると言うのだ。この結果は、アメリカの有権者が近代民主主義理論が掲げた合理的有権者像とあまりにかけ離れており、あれ?もしかして衆愚政治やってない?という可能性を示唆するものになったのだ。

政治的無関心(アパシー)層
ミシガンモデルを踏まえるならば、支持政党がない人は政治にあまり関心がないのでは?ということになるのだが、日本で考えると支持政党なしの有権者(無党派層)が急激に増えるのは、自民党の55年体制が崩壊した93年頃、すなわち政局が流動的になったことに関係がありそうで、支持政党なし=政治に興味なしとは直ちに言えない状況になっている。
これは、自民党、民主党どちらの人気も衰えた2010年以降、特に顕著である。テキストによれば、政党によって候補者を決めるのは、情報コスト的にこれまで最も合理的だったが、現在はどの政党もだいたい同じことを言っていて差別化が難しくなったことが、無党派層の拡大の原因に挙げられるという。
確かに、他の政党と全く独自の公約打ち出してるの日本共産党くらいのものだわ(^_^;)

ハロルド・ラスウェル
シカゴ学派の大物政治学者ラスウェルは現代の政治的無関心(アパシー)を無政治的無関心、反政治的無関心、脱政治的無関心の3つに分類した。
①無政治的無関心:政治以外のものを優先
②反政治的無関心:宗教上の理由などで積極的に政治との関わりを避ける
③脱政治的無関心:政治に絶望し離脱

争点投票から業績投票へ
ちなみに、アメリカ本国でもミシガンモデルの批判はあって、つまり、ミシガンモデルはわりと政局が安定して穏やかな時に調査したから、そういう傾向が見られただけであって、国論が二分された60年代後半~70年代半ば(ベトナム戦争や公民権運動)で見れば、政策争点は明確化していたよ、という。
そして現在では、有権者は候補者の過去の業績に基づいて投票を判断しているという研究もある。つまり有権者が、政党や争点に基づく投票をしていなくても、合理的な行動をしている可能性があるのだ。

マスメディアの強力効果理論
言うまでもなく、現在の政治(有権者)にマスメディアが与える影響は大きい。では具体的にはどういった影響を与えているのか、いくつか紹介。

フレーミング効果
情報の送り手が報道内容をどういった枠組みで伝えるかによって、受け手の意見や態度が変わってしまうという効果。編集の仕方で同じ内容のニュースが、なんとでもなっちゃう!

プライミング効果
プライミングとは焦点報道という意味。ニュースは課題設定だけでなく、どの政治争点が重要か判断する基準の形成にも影響を与えるという効果。例えばブッシュ大統領は、911の際にテロに対して強靭な姿勢をマスコミによって流されたことで、支持率が急上昇した。

沈黙の螺旋
マスメディアが世論調査の分布を報道すると、自分の意見が少数派なんだと感じた人はどんどん沈黙し、その結果、多数派の意見がますます強く報道されてしまう現象。

涵養効果論
マスメディアが与える影響は短期的ではなく、長期的なものであるという理論。
長期にわたって長時間テレビを見ていると、ある一定の価値観を身につけてしまう。
面白いのは、暴力的なドラマを長期的に見ている人の方が、リアルでも実際に暴力に巻き込まれる可能性が高かったというのだ。

デシベルメーター
マスメディアが国民に代わって、代理人である政治家がちゃんと仕事をしているか監視(モニタリング)する機能のこと。

アナウンスメント効果
マスメディアが選挙戦の前に各政党の有利、不利の予測を報道すると、その予測が有権者の投票行動に影響を与えてしまうこと。
有権者が、勝ちそうな政党に入れてしまうのをバンドワゴン効果、逆に不利な政党に入れたくなるのが判官びいき効果で、こちらは日本が中選挙区制をやっていた頃よく見られた。
しかし小選挙区制では、負けそうな候補者に入れるということは自分の1票を死票として無駄にすることになるので、自分が応援する候補者に勝つ見込みがない場合は、投票を棄権することが最も合理的な戦略になる(選挙の代わりに遊びに行ったほうが効用が高くなるから)。
ちなみに負けそうな方にあえて票を入れて、特定政党に権限が集中することを防ぎ、全体のバランスを取ろうとするメタな人はバッファー・プレイヤーと呼ばれている。

ダウンズの合理的選択モデル
個々の有権者は、与党と野党のどちらに投票するかという判断をどうやって決めているのか?それを表した方程式。

B=E(UA)-E(UB)

利益(政党間の期待効用差)=A党が勝つことで得られる効用-B党が勝つことで得られる効用

よって有権者は、この結果BがプラスになればA党に、マイナスになればB党に投票する。

この考え方を、有権者が投票するか棄権するかに応用したのが、ライカーとオーデシュックの二人。

R=PB-C+D

投票したことによる見返り(リワード)=有権者が自分の投票をどれだけ有効と見ているかの度合い(プロバビリティ)×政党間の期待効用差(ベネフィット)-投票に行くためのコスト(機会費用)+投票への義務感(デューティ)

つまりRがマイナスになると、その人は投票にいかないのが最も合理的な判断になるのだ。
だいたい今日は雪だったしね。

政治学覚え書き⑫(国際政治)

 今回は国際政治を。そろそろ政治経済の勉強はクライマックス。いや~詰め込んだ。だんだん問題も解けるようになってきて7割くらいはわかる。でも、最終的にはコンスタントに8割以上は取りたい。あわよくば9割。それくらい頑張ってもダメなら、私は理科に逃げます!逃げは戦いの内。

グロティウス
コナミのシューティングゲームではない。17世紀のオランダの法学者で国際法の父と言われる。
17世紀、神聖ローマ帝国は宗教上の対立が続き、オーストリア領のボヘミア(ベーメン)の王となったハプスブルグ家のフェルディナント2世は新教徒を弾圧。新教徒の方は反乱を起こし、ほっときゃいいのに周辺国は旧教、新教それぞれの勢力を支援、その結果ヨーロッパ全土を巻き込む泥沼の戦争となった(ドイツ三十年戦争)。
この戦争の戦後処理のために1648年に開かれた講和会議で締結されたウェストファリア条約は世界初の国際法と言われている。
一定の領土と一体感のある国民が作る国民国家の概念が誕生し、各国家は互いに平等で独立した主権を持つことが確認されたのだ。
グロティウスは、この三十年戦争の悲惨な経験を踏まえて『戦争と平和の法』を著し、国際社会においても国家が服すべき自然法があると論じた。
彼の業績を記念して、オランダのハーグには国際司法裁判所(ICJ)が置かれている。
ちなみによく似た組織に、2002年にできた国際刑事裁判所(ICC)があるが、こちらは国家ではなく国際犯罪を犯した個人を裁く裁判所。

外交使節
大使や公使は受け入れ国の合意(アグレマン※フランス語)を得て着任。治外法権免税特権が与えられ、身体、名誉および公館や文書の不可侵権を持つ。
『アウトレイジ』の一作目では、このルールを逆手にとってヤクザが大使館でカジノを経営していた。たけしさんによれば実際にある話らしい。

国際会議
ナポレオン戦争後のウィーン会議(1814~15年。王政復古や市民革命の再発防止など)、ベルリン会議(1878年。ロシアとトルコの露土戦争後、なんとか両国の対立を丸く収めようとビスマルクが主催した会議)などが有名。
オランダで行われたハーグ平和会議(1899、1907)では、紛争の平和的解決にあたる常設仲裁裁判所(平和宮。国際司法裁判所の前身)が創設。
また、毒ガスなどの非人道的兵器(人道的な兵器ってあるのか?)の使用を禁止する戦争のルールを定めるハーグ陸戦条約を制定。

国際法の性格
①統一立法機関の欠如
国際法は当事国間の文書による合意である成文国際法(条約など)と、国際社会の慣習が積み重ねられて形成された国際慣習法(公海自由の原則など)の二つがあるが、法のように議会で制定はされていない。
②強制力の欠如
国際法を破っても、それに対する制裁規定に欠ける。国際連盟がいまいち上手くいかなかったのは、この制裁手段がなかったからという説がある(もうひとつは全会一致制により、なかなか重要な決定が決められなかった)。
さらに国際司法裁判所も、対立する一方の国が裁判を拒むと裁判は起こせない(強制管轄権がない)。例えば日本と韓国が争う竹島をめぐる領土問題では、日本は国際司法裁判を持ちかけたが、義務的管轄権を受託していない韓国はそれを拒否した。

国内社会と国際関係
国内社会には、中央集権的な政府が存在するが、国際関係においてはそのような各国家の上位に中央集権的な権力(超国家、世界連邦)が存在しない。それぞれの国家が平等に並立している分権状態となっているのだ。
また国際連合も、加盟国の上位にある権力ではないとされている(国際法は国家間の合意によって法的拘束力が生じる)。このような状態をアナーキーという。
アナーキーな状態をどのように考えるかは、リアリズムとリベラリズムによって相違がある。
リアリズムはホッブスの悲観的な人間観を受け継いでおり、アナーキーな状態では常に対立が発生し(権力闘争)、国家同士が協調関係を築くのは困難であると考える。
国家は自分の国の安全保障を第一に考え、利己的に行動するというのだ。よって各国家は自国の安全保障のためにより大きなパワーを保持しようとする。
これに対してリベラリズムは、各国の国境を越えた経済的、社会的な交流や、それに伴う国民の認識の変化などに注目し、国家の行動は軍事的な安全保障のみで成り立っているわけではないと考える。
国際関係においても相互利益や共同体意識が存在し、それに基づく協調は可能であり、リアリストが考えるような権力闘争は定常化しないとする。
この考え方は人間は自然状態では平和であるというロックの流れを汲み、国際関係と国内社会のアナロジー(類推)を支持するという点でもリアリズムとは異なっている。

ナショナリズム
国民主義、国家主義、民族主義・・・全部ナショナリズム。フランス革命で始まった国民主義は、やがて国家主義に発展。さらに植民地ナショナリズムは独立運動(民族自決)として燃え上がることに。
エスニック・ナショナリズムは、国民を言語、文化、外形的同一性を長期に共有してきたものであると定義し、その歴史的一体性を強調するタイプのナショナリズム。
シビック・ナショナリズムは、国家を構成するメンバーが、その政治的原理に賛同し自らそこに所属したいと希望することが重要であると考えるタイプのナショナリズム。
ちなみにナショナル・インタレストといった場合は国益を指す。

コスモポリタリズム
国家を超えて平和共存のための制度や条件を探求する思想。
もともとは古代ローマのストア派の哲学者が、ポリスを超える人類全体の共同体をコスモポリスと言ったことに始まる。
この思想の一つの完成形が、私が大学一年生の頃に買わされ&読まさせられたカントの『永遠平和のために』で、ここですでに国際連合的なアイディアが書かれている。
この元ネタになったのがサン=ピエールの『永久平和論』で、この人はカントだけでなくルソーにも影響を与えている。
現在のインターナショナリズム(国際主義)に近い。

サミット(主要国首脳会議)
1973年の石油危機による世界経済の打撃を受けて、1975年に開始された。
最初は経済問題をテーマにしていたが、80年代にはソ連のアフガニスタン侵攻を受けて政治問題も取り上げるようになった。
冷戦が終わった90年代にはロシアも参加し、2001年のジェノヴァサミットではグローバル化に反対する大規模な抗議デモが起きた。
2008年の洞爺湖サミットでは環境問題が話し合われている。
参加国は、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、カナダ、日本、ロシアの8ヵ国(G8=グループ・オブ・エイト)だったが、2014年にロシアは参加を停止されている(ウクライナに強引に軍事介入したため)。

戦争法規
戦争開始に関する条約(1907)では宣戦布告なしの開戦は違法とされ、戦争の放棄に関する条約=不戦条約(1928)では侵略戦争を否定している。でも現実ではしばしば無視されている。
例えば、第一次世界大戦の反省で、世界はワシントン会議やロンドン会議を開き、軍縮に向けて頑張ったが(ワシントン体制)、結局ドイツが宣戦布告なしでポーランドに侵攻、もう一度世界大戦が起きてしまった。
その後、兵器の性能がすごいことになり(オーバーキル)、次に世界大戦が起きたら本当に人類は全滅する可能性があるので、国際社会は国際連盟をパワーアップさせた国際連合を組織し、二度とファシズムの侵略を許さないことを誓った。
ちなみに国際連盟はウィルソン大統領の呼びかけでできたけど、国際連合を名づけたのはルーズベルト大統領だ。
大西洋憲章(1941)ダンバートン=オークス会議(1944)の成果(国連作ろうぜ?)から、米英ソの首脳はヤルタ会談を行ない、国際連合の運営の方針や原則を話し合った。
全会一致でないと何も決められなかった国際連盟の失敗を踏まえて、国際連合では、安全保障理事会の機能が拡大(五大国一致の原則)、また、勧告や経済制裁だけでなく軍事的制裁も可能になった。
ただ基本的には内政問題は不干渉で(内政不干渉の原則)、アフリカの紛争にどれほど介入したらいいのかが議論になっている。

安全保障のディレンマ
安全保障のディレンマとは、国際関係がアナーキーである場合、国家が自分の国の安全保障を高めようとして行なう防衛力の増強が、他国の安全保障を相対的に低下させ、国家間の軍備拡張戦争が激化、結局どの国も安全保障が高められないことを言う。
国際関係において、安全保障のジレンマを回避するための主なアプローチには「パワーの配分による安定」と「国際規範や国内要因を重視する」アプローチの二つがある。
「パワーの配分による安定」とは、各国が勢力的な均衡状態になれば、国際関係と各国の安全保障を両立できるという考え方であり(勢力均衡)、国際関係の中核にパワー(国力)を考えるリアリズムの立場とも言える。
もうひとつの「国際規範や国内要因を重視する」アプローチとは、国際的な規範や各国共通の利益によって安全保障を達成しようとする考え方で、国際関係の中核に対話を置くリベラリズムがこれにあたる。
そのひとつが集団安全保障で、国家間の問題を戦争によって解決しないと合意した複数の国家が、他国を武力攻撃した国家に対して制裁を加えることで、集団的な安全を保障するという考え方である。
また核軍縮条約といった国際制度による安全保障や、経済的相互依存論のような協力関係の構築を通じて紛争を回避するという協調的安全保障などもある。

核軍縮問題
第二次大戦後すぐに仲違いしたアメリカとソ連は冷戦に突入、アメリカのトルーマン大統領はトルーマン・ドクトリンという共産主義国と徹底的に戦う軍事原則を打ち出し、その一環として西側諸国に経済的な援助を行なった。これがマーシャル・プランである。
ソ連の方も西側陣営と戦うためにワルシャワ条約機構やコミンフォルム(国際共産党情報局)、COMECON(東欧経済相互援助会議)を結んで対抗する。

米ソは核抑止という恐怖の均衡状態を作るためにせっせと新型核兵器を開発する。
45年:アメリカ原爆開発&投下。
49年:ソ連原爆開発。
50年:ストックホルム=アピール採択(核兵器の製造と使用の禁止)。
52年:アメリカ水爆開発。
53年:ソ連水爆開発。
54年:第五福竜丸事件(アメリカの水爆実験で日本の漁船が被爆)。
55年:第一回原水爆禁止世界大会(広島)。
アメリカ、ロシア、イギリス、フランスのジュネーブ4巨頭会談(1955))が実現。
57年:パグウォッシュ会議(著名な科学者が核兵器に反対)。

それと同時に世界の覇権を争い、朝鮮戦争(1950~53)、ベトナム戦争(1965~73)、中東戦争やアフリカ諸国の民族紛争介入など、世界各地に争いの火種をまいた。これを米ソの代理戦争という。

60年代に入ると、核保有国は米ソ以外にも増え、イギリス、フランス、中国も保有するようになる。これを受けて、核保有国は核の管理を目指すようになった。
63年の部分的核実験禁止条約(PTBT)では地下核実験を除く大気圏内、宇宙空間、水中での核実験を禁止。
68年の核兵器不拡散条約(NPT)では、採択時に既に核兵器を保有していたアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国以外の国が核兵器を新たに保有することを禁じた(非保有国は国際原子力機関(IAEA)の核査察を受ける)。この要約は米ソに有利な条約だとフランスと中国は長いあいだ加盟しなかった(冷戦後の92年に加盟)。
全面核戦争の危機は、米ソを平和共存へと向かわせ、1962年にキューバ危機が起きると、米ソにはホットラインが結ばれるようになった。

さらに日本やドイツ(特に西。そのため、西ドイツへの亡命を防ぐベルリンの壁が61年に建設される)が大きく経済発展をし、アメリカの地位は相対的に低下、冷戦構造は多極化の時代になる。
その上、同じ社会主義国であるはずのソ連と中国も対立、欧米の植民地だったアジア、アフリカの国もどんどん独立し、米ソどちらの勢力にも属さない第三世界を形成するようになる。
第三世界は、インドネシアのバンドンでアジア=アフリカ会議(1955)や、旧ユーゴスラビアのベオグラードで非同盟諸国首脳会議(1961)を開いて結束し、国際連合においても発言力を強めた。
ちなみにアフリカで17の新興国が生まれ、国連で植民地主義の集結(植民地独立付与宣言)がうたわれた1960年はアフリカの年と呼ばれた。

ヨーロッパでは1975年に全ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)が開かれ、東西対話路線を示したヘルシンキ宣言を採択した。

80年代になると、懲りないアメリカ(レーガン政権)は、宇宙に監視衛星をばらまき、飛んできた核ミサイルを早急に察知、地上で迎撃するという戦略防衛構想=スター・ウォーズ計画(SDI)を実現しようと再び軍拡を始め、ソ連もこれに対抗しようとしたため新冷戦が始まった。
しかし軍拡競争はとんでもなくお金がかかり、ソ連は国民生活を犠牲にしてミサイルを作った(バターより銃)。また1979~89年のアフガニスタン侵攻も出費がひどく、85年に誕生したゴルバチョフ政権はペレストロイカ(=改革)を実施、軍縮へ舵を切った。ゴルビー(馴れ馴れしい)は、外交でもデタント(緊張緩和)を進め、ブッシュパパ&ゴルビーのマルタ会談(1989)で冷戦の集結を宣言した。
この間、アメリカとソ連は戦略兵器制限交渉(SALT)、中距離核戦力(INF)全廃条約を結んでいる。

90年代に入ると、アメリカとロシア(ソ連崩壊)のあいだで戦略兵器削減条約(START)が調印(Ⅰが91年、Ⅱが93年)。95年に核拡散防止条約(NPT)を無期限延長、その翌年には包括的核実験禁止条約(CTBT)を国連で採択した。これにより地下核実験もアウトになった。
ちなみに93年には化学兵器禁止条約、97年には対人地雷全面禁止条約が調印されたが、これは日本の防衛庁(現防衛省)がすごい嫌がったという(島国ジャパンの海岸線を守るために役に立つため)。

00年代では、アメリカの同時多発テロなどの国際情勢の変化を受けて、93年に結ばれた第二次戦略兵器削減条約(STARTⅡ)が未発行となり、その代わりに2002年に戦略攻撃兵器削減条約(モスクワ条約)が結ばれた。
さらに2010年、STARTⅠの光景となる包括的な核軍縮条約として新STARTが結ばれた。

ちなみに、核兵器は射程距離で以下の3つに分類される。
戦略核兵器:長距離。攻撃規模も広域。広島や長崎に落とした原爆や、大陸間弾道ミサイル(ICBM)など。
戦域核兵器:中距離核兵器。法の網の目をかいくぐる形で主にヨーロッパに配備されたが、87年のINF全廃条約によって陸上のものは91年までに全廃。博物館の冷戦コーナーに飾られている。
戦術核兵器:短距離。攻撃規模は特定のターゲット(歩兵や戦車など)。

地域紛争問題
ロシアは現在、周辺諸国と独立国家共同体(CIS)という体制を敷いているが、チェチェンやグルジア、ウクライナと情勢が不安定な地域が多く、今なおテロが起きている(というか、ついこないだも起きた)。
ヨーロッパでは1990年にヨーロッパ通常戦力条約(CFE)を調印、70年代のCSCEを発展させた全ヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)を作った。
さらに92年にはマーストリヒト条約を結び、欧州連合を結成している。

しかし2000年に入っても紛争は無くならず、というか根強いやつが長期化しており、イスラエルVSアラブ諸国は第四次中東戦争が終わってもパレスチナ問題として未だに深刻な状態が続いているし、イラクではブッシュ親子による湾岸戦争とイラク戦争が起きた。
多民族国家であった旧ユーゴスラビアは5つに分裂、ボスニア・ヘルツェゴビナでは武力紛争、セルビア人が多い新ユーゴではコソボ問題が起きて2000年にNATO軍による空爆が行われた。
中南米でも政権が不安定な国があり、アフリカでは民族よりも小さな単位である、部族レベルで虐殺が起きている。
これらの紛争により、世界中で多くの人が難民になり、深刻な国際問題になっている。
こうした難民を保護しているのが緒方貞子さんで有名な国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)であるが、難民の数があまりに多すぎて十分な活動は行なえていない。

経済学覚え書き⑧

 久々に経済学覚え書き。帰ってきたぜー!やろうやろうと思っていて、ずっとやってなかった、日本経済の発展や世界的金融システムの流れをまとめます。

インフレーション
物価が継続的に上昇する現象を言う。逆がデフレなんだけど、一口にインフレと言っても色んな種類のインフレがいてややこしい。まずはそこから。

ディマンド・プル・インフレーション
総需要(ディマンド)が総供給(サプライ)よりも大きくなったことで起きるインフレ。

コスト・プッシュ・インフレーション
金銀や原材料費といった生産コストの上昇が物価を上げるインフレ。

ハイパー・インフレーション
物価が短期間に数十倍にも上昇するインフレ(インフレ率20~100%※年率)。
第一次世界大戦後のドイツでは、貨幣価値が大暴落。卵一個の価格が3200億マルクになった。
こうなると、ちょっとした買い物でいちいち札束を持ち歩かないといけないので、政府は通貨の価値を切り下げしてしまうことがある。これをデノミネーションという。北朝鮮が何年か前に実行して、でも、うまくいかず責任者が処刑されちゃった。

ギャロッピング・インフレーション
インフレ率10~20%。

クリーピング・インフレーション
忍び寄るインフレという意味。インフレ率5~10%

ちなみに、インフレ率が低下していくのをディスインスレーションという(※デフレではない!)

景気循環
景気変動とも言う。資本主義経済は、経済が拡大する時期と縮小する時期を交互に繰り返してきた。このパルス状の現象は、均衡点はひとつに決まると考えていた経済学にとっては謎だったが、スウェーデン学派を作った経済学者ヴィクセルは均衡点から利子率が乖離しているのが原因だと考え不均衡分析を試みた。
ファンダメンタル(経済成長、景気変動、物価といった実際の経済を決定する根本的な条件)とは乖離した人々の期待と、不適切な利子率が経済を不安定にし、景気の波を形成しているという。景気の気は気持ちの気だったらしい。
ちなみにヴィクセルのライバルは、経済は長期的にはだいたい安定すると説いたアメリカの経済学者フィッシャーだった。新古典学派の最初期のメンバーであるフィッシャーは、あの物価指数を考案し、フィリップス曲線や無差別曲線の研究に貢献した。
しかし、景気は放っておけば自然に良くなるというフィッシャーの楽観論は、世界恐慌に対してアメリカ政府が有効な手を打たなかった一因にもなった。
そこでマーシャルやピグーなどのケンブリッジ学派が、新古典学派を批判することになる。

ちなみに景気循環の波はフラクタル構造になっていて、サイズごとにそれぞれ名前が付いている。
キチンの波(40ヶ月周期)原因:企業の在庫循環
ジュグラーの波(7~10年周期)原因:企業の設備投資循環
クズネッツの波(20年周期)原因:建造物の建て替え
コンドラチェフの波(50年周期)原因:技術革新



日本経済の発展

戦後復興期(1945~55)
経済の民主化(農地改革、財閥解体、労働改革)
アメリカによる復興援助(ガリオア・エロア資金)
日本政府は、限られた労働力と資金を、石炭、鉄鋼、肥料などの基幹産業に重点的に投入する傾斜生産方式をとった。
当時の日本は100%を超えるハイパー・インフレが起こり、その後も経済復興のために復興金融金庫が紙幣を大量に投入し、それがまたインフレを呼ぶ悪循環となった(復金インフレ)。
これを解決するために49年ドッジ=ラインという、復興金もアメリカの援助も断って、1ドル=360円の単一為替レートでやっていこうという、超均衡財政が組まれたが、今度は逆にデフレになり不況(安定恐慌)を招いてしまう。ちなみにドッジというのは占領軍の顧問銀行家(ドッジさん)の名前。
踏んだり蹴ったりだったが、50年に朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍の需要が上がり特需景気となって好景気を迎えることになる。
1956年での経済白書においてもはや戦後ではないという名言が誕生するほどに経済は回復した。

IMF加盟(1952)
国際通貨基金。IMFは加盟国の中央銀行の取りまとめ役で、経済的にヤバそうな国に融資を行う。
貿易の促進、加盟国の経済成長、為替の安定を目標とするが、内政不干渉の原則を守るので、国によっては融資を踏み倒したりもした。
日本は世界第二位の出資国。
設立当初は、各国に対して金1オンス(28g)=35ドルでの交換をアメリカが保障する固定相場制だった(IMF体制)。基軸通貨ドルの誕生である。

GATT加盟(1955)
関税及び貿易に関する一般協定。
自由貿易の推進、世界貿易の拡大を目指す。IMFと世界銀行IBRDと共に戦後経済を支えるブレトンウッズ体制の三本柱として設立された。
基本的には、第二次世界大戦の原因にもなった関税障壁を徐々に切り崩していくのが目標で、8回関税交渉が行われ(ラストは94年のウルグアイ・ラウンド)、その業務は95年にWTO世界貿易機関に引き継がれた。

高度成長期(1955~73)
年率10%前後の高水準の実質経済成長率を達成した時期。
その理由はいくつかある。
・海外からの技術革新
・国民の高い貯蓄率
・投資が投資を呼ぶ積極的な企業の設備投資
・消費革命と言われた耐久消費財ブーム
・安価で質の高い労働力
・輸出に有利な円安固定相場
・国民所得倍増計画(1960年、池田勇人)などの政府の産業育成政策
・企業グループ間の激しいシェア拡大競争
・アメリカを中心とする世界経済の拡大
・平和憲法による軍事費の低い負担
など。
高度経済成長により、産業構造は高度化、重化学工業が進展した。
このような産業構造の移行(第一次産業から第二次産業、第二次産業から第三次産業へと比重が移っていくこと)をペティ=クラークの法則と言う。
また所得倍増計画によって、主な働き手である男性が出稼ぎに行き、農家はじいちゃん、ばあちゃん(お年寄り)、かあちゃん(主婦)の3ちゃん農業と言われるようになった。

神武景気(1955~57)
日本最初の天皇のことで、それくらいかつて例をみない爆発的好景気

岩戸景気(59~61)
天照大神が隠れた天の岩戸のことで、それくらいかつて例をみない爆発的好景気

オリンピック景気(63~64)

と好景気が続いたが、好況により輸入が増えると国際収支が赤字になり(当時の日本は輸出をあまりしていない超内需国だったから)、そのため仕方なく金融を引き締めると不況になるという国際収支の天井による景気変動を繰り返すようになった。

OECD加盟(1964)
経済協力開発機構。
もともとは戦争でメチャメチャになったヨーロッパを復興するためにアメリカが推進した計画(マーシャル・プラン)で、1948年に前身機関OECCが誕生、本部はパリに置かれた。
その後ヨーロッパが復興すると、アメリカとヨーロッパが対等に自由主義経済の発展のために協力する機関になった・・・って外務省のサイトが言ってるw

OECDは国際マクロ経済動向、貿易、開発援助といった分野に加え、最近では持続可能な開発、ガバナンスといった新たな分野についても加盟国間の分析・検討を行っています。

こちらは経産省のサイト。ちなみにOECDにはDAC開発援助委員会という子分がいる。

さて、1964~65年の景気後退では昭和40年不況と言われ、需要不足に対して戦後初めて赤字国債が発行された。
その後、経済は持ち直し、65~70年のいざなぎ景気は、57ヶ月という戦後最長の好況となり1968年にはGDPがドイツを抜いて世界第二位になった。

ニクソン・ショック(1971)
戦後のアメリカは、世界各地にドルを流出させ、国際収支を悪化させ、さらにヨーロッパや日本が経済的に復興しアメリカの地位は相対的に低下、これらの要因でドルの価値に不信が募ると、1967年フランスは持っているドルを金に交換してもらおうと動いた。
こうしてアメリカの金保有高に不安が生じ、1968年には加盟国で金の高騰を抑えるために結成された金プール制を廃止、金の二重価格(法定価格と市場価格が独立)を実施した。
だが、これでもダメだったらしく、1971年、金とドルの交換停止をいきなりニクソン大統領が発表。ニクソン早まるな、とスミソニアン博物館に集まったG10各国は、ドルの価値を下げることに合意したが(スミソニアン協定)、これもやっぱりダメで、ブレトンウッズ体制は崩壊、外国為替市場は大混乱。
さらなるドルの切り下げが行われ、世界は変動相場制に移行した。
78年のキングストン協定では、変動相場制を再確認、SDR(IMFの準備資産から外貨を引き出す権利。最初は金だったが現在は各国の様々な通貨が集められているバスケット方式)重視で合意した。

安定成長期(1973~80年代)
高度経済成長は73年の第一次オイルショックによって終わりを迎える。
石油危機の前には1%ほどだった失業率は2%になり、インフレと景気の後退が同時に起こるスタグフレーションが起きた。
これに対抗するため、政府は厳しい総需要抑制政策を実施、二度目の石油危機が1979年に起きた時には物価は上昇しなかった。石油に依存しないエネルギーの転換、省エネルギーの技術開発が行われたからである。
その後は、年率3~5%の安定成長を続けることになった。
78年のボン・サミットでは、景気のいい西ドイツと日本が世界経済を牽引する機関車の両輪として頑張ってくれとカーター大統領に頼まれたが、ドイツは嫌がった。でも日本は同意した。

80年代には、企業は合理化を進め(省資源、省エネ)、強い国際競争力を備えた電気製品や自動車が集中豪雨的に輸出された。
これにより、欧米との経済摩擦が発生、内需を拡大する経済構造への転換を求められた。
1985年にはプラザ合意で(NYのプラザホテルでのG5の合意)によって、円高ドル安誘導が図られ、輸出で稼いでいた日本は一時、円高不況となる。
その結果、企業は外国への直接投資を行うようになり、国内産業の空洞化や、投資摩擦が起きた。
不況で落ち込んだ需要を刺激するため、政府と日銀が低金利政策を行うと、余った資金が株と土地に投機的に流れ込み、資産価格が実態(ファンダメンタル)以上に膨れ上がるバブルが起きた。
ちなみにドルの方はプラザ合意の影響で安くなりすぎてしまい、87年のルーブル合意で今度はドル高に誘導しようとしたがドルの下落は止められなかった。

平成不況(90年代~)
公定歩合の引き上げや、地価税の導入により、あっさり弾けたバブルは、銀行やノンバンク(預金業務は行わず、資金の貸し出しだけを行う金融機関。住宅金融やクレジット会社)に大量の不良債権を残した。
銀行は資金を貸し渋りし(信用収縮)、企業の設備投資は減少、所得の減少により、個人消費も落ち込み、深刻な不況が続くことになる。
これにやべえと思った日本銀行は、今度は公定歩合(現・基準貸し出し利率。94年に金利自由化が行われ政策金利としての意味合いが薄れたから名称が変更された)を下げたが、見事に流動性の罠にはまって、ついにはコールレート(銀行間金利)をゼロにする、ゼロ金利政策(98~)までやったが、大した効果は現れなかった。
現在は3回目のゼロ金利政策を実施中。

ペイオフ解禁(1995~段階的に実施)
政府によって全額保護されていた銀行預金が、金融機関が潰れた場合1000万円とその利息分しか保護されなくなった。
これにより破綻した銀行の預金を預金保険機構が肩代わりすることになった。預金保険機構は破綻した銀行の合併に関して、資金援助や不良債権の買い取りも行うことができる。

金融ビッグバン(1996~2001)
金融システムの大改革。サッチャーの証券制度改革ビッグバンにちなむ。
フリー・フェア・グローバルをスローガンに実施。
平たく言うと東京市場をウォール街みたいにするってこと。
日本(旧大蔵省)はこれまで弱い金融機関に足並みを合わせる護送船団方式をとっていたが、これからは弱い者の面倒は見ないよ~んって感じ。
自由に競争する時代になり、外国の金融機関が破綻した日本の金融機関を買収することも可能になった。
2001年には金融庁が設立している。
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