日本文法覚え書き①

 とりあえず今年度の大学生活動は全て終了したのですが、今年度取りこぼした単位(上限オーバーのため)について覚え書き。これを取ると私は高校の国語もゲットできるのだ。まあ、来年度も大学行ってるかは分からないけど。なんかいつの間にかライフワークになってる感あるよな。人生は何もしないには長すぎ、何かをなすには短すぎるのだ。
 あ、あと今月中にこしさんから依頼されたイラストも仕上げます。私のお絵かきが社会貢献できる珍しい例だしね。

用言
具体的には動詞、形容詞、形容動詞の3つの品詞が該当する。
条件としては、①自立語で、②活用することができ、③単独で述語になることができる。

①自立語とは文章を文節や単語で細かく区切ったときに、それ一語で意味が分かる「咲い(た)」「チューリップ」「花」などである。
「は」「が」「だ」「である」などは、単独では意味不明なので自立語ではない。
②活用とはその語に続く言葉によって、語尾が規則的に変化することを言う。
③述語とは事物の動作、存在、性質、状態を叙述する言葉である。したがって「咲いた」は述語であるが、「花」「チューリップ」は述語に含まれない。

次に用言に含まれる各品詞について説明する。

動詞
動作や存在を表す語で、「する」「やる」「咲く」など、最後の言い切りは「ウ段」で終わる。
基本的な活用には、四段活用、上二段活用、下二段活用、上一段活用、下一段活用がある。

例えば「咲く」は、未然形:咲か(ず)、連用形:咲き(けり)、終止形:咲く(。)、連体形:咲く(こと)、仮定形:咲け(ば)、命令形:咲け(。)と活用する。

活用しても変化が無い部分を語幹と言い、「咲く」の場合は「咲(さ)」であるが、語幹に続く活用する部分が(か)(き)(く)(け)と、ア段からエ段まで4種類に変化する。
このタイプの活用を、活用するア段、イ段、ウ段、エ段の4つから四段活用という。

次に、終止形であるウ段を基準に、ウ段とイ段のふたつだけ活用する動詞を上二段活用と呼ぶ。例えば「生く」が挙げられる。活用は順番に、生き(ず)、生き(けり)、生く(。)、生くる(こと)、生くれ(ば)、生きよ(。)と活用する。

同様に、ウ段とエ段だけの活用を下二段活用と呼ぶ。

上一段活用と下一段活用は、それぞれイ段とエ段のひとつだけしか活用を持たない場合である。前者は「起(きる)」など、後者は「終(える)」が該当する。
語幹は活用しない部分であるというルールがここでは成り立たないので(活用が1種類しかないので)、語幹の部分に注意する(「起き・る」ではなく「起・きる」)。

以上の活用は、まずウ段が基準になっていることを強調し、また個別の語を用いて実際に活用させてみると知識が定着すると思われる。

変格活用とは、例外的な活用をする動詞のことであり、カ行変格活用「来(く)」、サ行変格活用「す」「おはす」、ナ行変格活用「死ぬ」「往ぬ」、ラ行変格活用「あり」「をり」「はべり」「いまそがり」と4種類ある。

形容詞
「赤い」「美しい」など「~い」で終わる。
活用の仕方には「ク活用(く・く・し・き・けれ)」と「シク活用(から・かり・し・かる・かれ)」の2パターンがあり、助詞の「て」や動詞の「なる」を後ろに接続させると判別が可能である。

例えば「白い」の場合では「白くて」「白くなる」と活用するのでク活用である。

これが「美しい」の場合は「美しくて」「美しくなる」と活用するのでシク活用である。

さらに、補助的な活用としてカリ活用(補助活用)というものもある。これは、「多からず」「多かりけり」「多かるべし」といったように、「ず」「けり」「べし」等の助動詞に接続させるための活用である。

形容動詞
形容動詞は形容詞と同じく、性質や状態を表す単語である。
具体例として「きれいだ」「おだやかだ」「さわやかだ」などが該当する。
形容詞との違いとして、「~い」では終わらない。
形容動詞の連用形は副詞と似ているが、語幹に「~だ」「~な」をつけることができると、形容動詞である(※副詞は活用させることができない)。

古文では、終止形が「~だ」ではなく「~なり」、「~たり」となる。
活用には「ナリ活用」と「タリ活用」がある。
「ナリ活用」「タリ活用」は未然形から順に「なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ」「たら/たり・と/たり/たる/たれ/たれ」と活用する。

『外来種のウソ・ホントを科学する』

 最近はあれだけど、自分は結構本を読むのが好きで、読書の醍醐味ってのはやっぱり自分だけでは気づかないような新しい視点、違ったものの見方、尺度を知ることができるっていうのがあると思う。
 で、子どもの頃は、読む本読む本、衝撃の連続で楽しかったけど、ある程度の数を読んじゃうと「これもう知ってるよ」みたいに、なかなか新鮮な驚きを与えてくれる本に当たる打率が下がってきて、本当にいい本って限られてるなっていう。

 そんな中、近年のヒットがこの本(もうひとつがこれ)。まあ、新鮮な驚きというよりは、前々から保全生態学のファナティックな運動にちょっと胡散臭さを感じていて、ホントなのかなあっていうもやもやを、英国の生物学者が見事に晴らしてくれたという爽快さがこの本にはある。
 よくよく考えてみるとさ、根拠がちょっと弱いんだよね。だから、私にとってはこの分野って江戸しぐさとかEM菌とかと一緒でさ。別に私は、それで心が安らぐなら、他人が目くじら立てることないと思うし、いちいち立ててる奴もバカだと思うんだけどね。
 まあ、おせっかいに啓蒙してきたら嫌だけどね。勝手にやってくれる分にはいいんだ。

 でさ、そもそも運動って時点でさ、科学じゃないじゃん。運動をしなきゃダメって時点で。だって重力の法則とか相対性理論は正しい運動なんて歴史上やってないわけじゃん。まあ、進化論に関してはアメリカでは宗教上の問題もあって、ドーキンスみたいに啓蒙頑張っている人がいるけどさ。
 だから、とどのつまりその分野で飯を食っている人がいるってことだよね。生活がかかっているからやっぱりコンスタントかつ過激に宣伝をし続けなきゃいけないという。血を吐く悲しいマラソンですよ。そんなバイアスについても慎重に考えなきゃいけないという、メディアリテラシーを考えるきっかけにもなる。

 ただ、悲しいかな。動物が好きな人が読んでないんだよね。結局ダーウィン進化論を生物種に対しては受け入れられても、生態系全体になるとなぜかスタティックかつ排他的なものと捉えちゃうんだよね。
 マニアって結局、自然界を博物館の標本が並ぶショーケースなようなものだと勘違いしているみたくて、流動的なものだと捉えるのが苦手なんだよな。
 で、結局こういう部分に抵抗がないニュートラルな人って、まず、短期間にドラスティックに個体数が増えたり、形態が変化する昆虫や、遷移という視点がある植物が好きな人(この本の著者の専門は植物)だったり、逆にタイムスパンがかなりマクロな地質が好きな人だったりする。これが鳥や魚になるとちょっと在来種原理主義者が出てきて、おっかねえなっていう。

 TOKIOの鉄腕ダッシュとか、テレ東の池の水全部抜いてみたとか、外来種バスター的なバラエティ番組が最近増えているけど(ジャパンはスゴイ系の番組とともに)、幸いなのはこういう特定のイデオロギーを植え付けかねない分野を義務教育の理科ではあまり深くは取り扱わないってことだよね。
 教科書作っている人はやっぱり慎重というか、例えば今理科で気象学やってるけど、エルニーニョ現象までは載ってるんだけど、地球温暖化問題は載ってないんだよ。このバランス感覚というか、めんどくさい部分は知らぬ存ぜぬの事なかれ主義というか。
 ネットでアジテーションしてる人たちよか、現場の方が責任と立場がある以上ちゃんとしてるのかもね。下手なこと言えないじゃん。

 てことで以下は、この本で重要だと私が感じた箇所。興味を持ったらぜひ読んでみてほしい。まあ、読むべき人は絶対読まないであろうことはわかるんだけどさ。

 エルトン(※侵入生物学のパイオニア)の遺したものが新しい科学分野ではなく、旧来のある思考体系――ヴェーゲナーのプレート・テクトニクス以前、そればかりかダーウィン以前にさえ遡れる原理の残滓の上に培われた体系であるのは明らかだ。植物も動物も静止して動かず、不変の世界に生息しているという原理だ。(58ページ)

 まず定義からして、外来種は数がおびただしく、最もよく目立ち、とことん人の手が加えられた環境――つまり街や都市に生息することになっている。日々の生活で外来種に出くわすのは日常茶飯事なので、誰しも一家言あり、しかも外来種といえば在来種をせっせと押しのけるというのがもはや「自明」になってしまっている――現実にはその限りでないとしても。同様に「自明」とされているのが、対策として何かしなければならないことだ。対策がどうあるべきかは必ずしも自明ではなく、そのうえ誤った対応は事態をかえって厄介なものにしかねないにもかかわらず。
 そこで、ジャーナリストが電話をかけてきて、その場で答えを欲しがる。「アジア原産のオオスズメバチが英国を席巻してわが国のミツバチを全滅させるってほんとうですか?」。訊かれた科学者が、個人的には席巻も全滅もありそうにないと考えていたとしても、そういう脅威でもなければ、南フランスまで出かけて行ってハチの生態を調べる費用を誰が出してくれようか。いずれにせよ、導入種の多くは定着に失敗していること、稀に成功する種があっても、まず問題を引き起こすには至らないこと、また、仮に害をなす生物がいたとしても、それが事前に目をつけて用心していた種であるケースはめったにないということを根気よく説明しているうちに、電話は切れてしまっているだろう。(64ページ)


 わたしたち人間という生物の心の奥底にひそむ願望の問題なのだ。自分たちの視野が狭く、環境を適切に管理できないことを、誰かの、何かのせいにせずにはいられない願望の。(68ページ)

 Bに引き続いてAが起こったから、AはBが原因であると仮定するのは、科学では初歩的な誤りだ。ただの偶然かもしれないし、ギョリュウの場合のように、AもBも、両方とも何かの原因で引き起こされたとも考えられる。
 ギョリュウは土壌の塩分を高めて在来種との競争に勝ち、在来種を排除すると非難される。だが簡単に結論に飛びつく前に、もっと単純な別の可能性を考えてみてはどうだろうか。ギョリュウは新しい環境によりよく適応したのである。その新しい環境は、ダム建設、人間が利用するための利水、消火体制の改変、家畜の放牧の増大などによって作り出されたものだ。(97ページ)


 例えば、野生のアナウサギ(導入種。ただし最も最近の氷期の前から英国にいた)を好む英国人はまずいないが、茶色いヤブノウサギ(これもこの前の間氷期には英国にいて、今回の間氷期になってまた導入された)となるとどうも甘い。それどころかノウサギは、現在独自の生物多様性アクション・プラン(BAP)ができているほどだ。(略)ノウサギが在来種ではないことは問題ではないのか――どうやらそうらしい。
 一般的に言って、わたしたちは、愛らしくてわれわれに厄介をかけない動物や植物が好きだ。さらに言えば、生息数が減少している生き物が好きで、彼らになりかわって頑張ってしまうことさえしばしばある。(略)
 愛情の対象は在来種であってほしいという願望があまりにも強力なために、そもそもその生物が在来種がどうかという判断まで左右されることがある。(118ページ)


 ここまでくると、「在来」とはいったい何かといささか混乱してくるだろうし、もししていないなら、多少は混乱したほうがいい。(120ページ)

 ディンゴはおよそ四〇〇〇年前、東南アジアから海を渡ってきた人々に連れられてオーストラリアにやってきた。外国生まれの渡来者であるにもかかわらず、ディンゴこそ、オーストラリアで絶滅の危機に瀕している小型有袋類を救うカギなのだ。ヴィクトリア州はようやくにしてその事態に気づき――いささか遅きに失したが――、ディンゴを絶滅危惧種のリスト入りさせることにした。(略)
 遅まきながらもヴィクトリア州がこう決断したことは、稀にみる常識の発露と考えていいだろう。(125~127ページ)


 限界に達している群集/群落では、定義からして新たな生物種が足場を作るのは難しい。だがもし新たな生物種が足場を確保したとしたら、それはすでに存在している生物種の利用できる資源が減り、遅かれ早かれ、その生息地内の既往生物が死に至ることを意味する。
 だがほぼ普遍的をいってもいいくらいに、実験的に得られるデータでは、群集/群落が限界に達することはなく、地域の生物多様性はやすやすと増大する。(141ページ)


 現実世界の実証例は、ほとんどすべてが反対方向を向いていて、多様性に富んだ生態系ほど実際には侵入されやすいように思える。論理的にはおそらくこれが当然なのだ――生態系内部の力関係というものを考えてみれば。植物の群落でも動物の群集でも、およそ生物の集団は多くの個体からなっていて、いずれも永遠に生き続けるわけではない。したがってそこには必然的に入れ替わりが起こる。もしも新しい個体が定着することでその種が集団の中で存続していくことが可能なのであれば、集団はその新しい個体に「侵入されうる」ものになっていなければならない。(略)つまり、群集/群落は、多様になるためにはそもそも「侵入されうる」場でなければならなかったのだし、引き続いて多様であり続けるためには、やはり侵入可能な場であり続ける必要がある。(144ページ)

 わたしたち人間が、うっかりにせよわざとにせよ、以前にもまして多くの生物を地球上のあちこちに連れまわしていくと、地球の状態は三億年前、大陸が全部、パンゲアと呼ばれる超大陸にまとまっていた頃とよく似てくる。わたしたちが日に日にパンゲアらしくなっていくのは、陸地を突き動かしてくっつけるのも、生物種のほうを動かすのも、どちらも、いつもならカンガルーがラクダに出会わないようにしている分散の障壁を取り除く行為の、両面に過ぎないからだ。(149ページ)

 ニッチ理論が何らかの成果を出すほどの長い間、外的な干渉を一切受けずにいられる生態系がほとんどないこと。生物集団のほとんどは、はた目にはいくら不変に見えようと、現実には常に何らかの災害からの回復途上にある。(略)生態学の教科書にあるような整然としたニッチで生物集団の説明がつけられると考えていては、正解よりも間違いに近づくだけだと如実に示してくれる実例だろう、(154ページ)

 なぜある種の生物は巧みに定着し、ある種の生物は定着できないのか、生物はいかにして集団に溶けこみ、その集団はどのようにふるまうのか、理解できていないことはすでに数多く列挙されている(略)(170ページ)

 本来の姿からあまりにも改変が進んでしまった土地は、原初の、その土地固有の植物には見知らぬ場所なのではないか。そうした環境では、うまく適応する外来種(どんなに頑張ってもどのみちなくならない)を目の敵にするのではなく、むしろ味方に取り込むことでしか前へ進めないのではないか。(186ページ)

 わたしたちには、何が在来種で何が外来種かわからないことが多い。そしてその両者をどう定義するかは、わたしたちの好き嫌いに呼応してしばしば捻じ曲げられる。たしかに有害な外来種は締め出しておきたいが、害を測定するのには長けていない。また、栄えている外来種のほとんどが、単に人間が生み出した隙間をうまいこと利用しているだけで、たいてい彼らもまた、人間が与える恩恵の受け手に過ぎないという事実を認めたがらない。(198ページ)

 わたしたち人間にはどうも時間を適切な尺度で捉えるのが苦手なようだということだ。プエルトリコの耕作放棄地が事実上単一の外来樹に席巻され、一面の外来種が二〇年、三〇年、ひょっとすると四〇年も占有種を主張してくると、これはなにか手を打たなければ、と逸る気持ちを抑えかねる。(略)だが待ち続けることが正しい方針なのだ。なぜなら地方行政や自然保護基金とは違って、森林が成熟する過程では、三〇年や四〇年はほんの一瞬にすぎないのだから。最終的にできる、在来種と外来種の混生林(とはいえ、在来種が過半数を占める)という形態は、もしかしたらみんなが望む理想形ではないかもしれないが、横から人間が手を出した時に起こりうる結果よりははるかにいいものだ。(202ページ)

 園芸は長きにわたって、植物を地球のあちこちに動かす最大の原動力である。かつては作物として有用な植物が大勢を占めていたが、近年では主として観賞用の植物が多く動く。栽培されるようになると、やがて自然界に脱走していく可能性が高まることは、幾多の研究で明らかにされている。(222ページ)

 現代の物資や人間の流通量は圧倒的だから、ホモ・サピエンスのそばが好きな、あるいは人間の造る建物や乗り物、ペット、庭、家畜や畑を好む生物は、やがては新天地にばらまいてもらえる。そういう種を私は、人間愛好種(アンスロポフィル)と呼びたい。(230ページ)

 わたしたち人間は、今や空前絶後の数で生物をばらまいているが、わたしたち自身のせいでそうして拡散が前にもまして必要になっているとも言える。生物にとっては新たな生息地に拡散できることはいつだって有益なのだが、生息地が破壊されたり分断されたりすれば、効果的に分散できることは、有益という以前に生存に不可欠になってくる。加えて、温暖化の脅威も増しており、だからこそあらゆる生物がどのみち移動しなければならなくなる。(231ページ)

 問題は、生物を移していいかどうかではなく、移すべきはどの生物か、ということになる。「一切の移転を認めない」方針は、アライグマや迷惑雑草、アブラムシ、コナカイガラムシなどなどといった、あまねく容易に分散する人間愛好種にさらに有利に働くだけだ。絶滅が懸念される生物の移住に手を貸すのは、そうした生物が少なくとも同じ競技場で競争できるように、そこへ向かって小さな一歩を踏み出す手伝いをすることだ。(略)生物を動かすのは「神様ぶる」ことだと批判する向きもあるが、人間はさんざん神様ぶってしまっている。それもどちらかといえば旧約聖書的神様で、「主は自ら助くる者を助く」の原則を貫いて、自分を助けられる立場にないものはまったく支援に値しないと解釈している神様だ。(236ページ)

 科学は、調査結果に主観的な道徳価値を付与したりはしない。(244ページ)

 外来種のコストはアメリカ合衆国全体で、年間一〇〇〇億~二〇〇〇億ドルにのぼるという主張である。この数字には表がついていて、それを見たところ、少なくとも半分は人間がかかる病気に関連する莫大な費用で、そのほとんどはインフルエンザだ。インフルエンザウィルスを侵入的外来種と呼ぶのはいくらなんでも飛躍しすぎではないだろうか。(251ページ)

 「民族的出自にかかわらず、誰もが環境保護、文化的遺産保護活動に完全参加」できるようにすることを目標に掲げる団体、UKブラック・エンヴァイロメント・ネットワークが、外来生物排斥が外来人間排斥へと転化する境界線の微妙さを懸念して、両者にもっと寛容にと盛んにキャンペーンを張っていることは、注目していいだろう。なるほど、見た目はほとんど同じカエルやビーバーを何とか区別しようとする話を読めば、人間世界での似たような話――人間を、肌の色や人種で区分けしようとして歴史を、思い起こさずにいられないところがある。(269ページ)

 侵入的な在来種は見すごされ、わたしたちのアンテナには引っかからない。(274ページ)

西部邁さんについて

 思想家の西部邁さんが今月21日に自殺されたらしい。あの人の本は何冊か持っていて、どれも面白かっただけに非常にショックで残念だけど、なんというか最後まであの人らしかったなとも思う。
 西部さんの本で勉強になったのは、経済学を学び、それに辟易とした経験からか、人間の合理性とか思弁的なものってけっこう的はずれなことが多くて、ぶっちゃけあてにならない、だから過去の歴史に学び、その国が蓄積してきた伝統とか慣習と、現在突き当たっている問題とをコミットさせて、慎重に検討を重ねていく、それが保守的な態度なんだっていう。
 この人の本を初めて読んだのは、中学生か高校生の頃で、その時は浅田彰の本よくわからねー(今もよくわからんけど※読めるようにそもそも書いてない)みたいな感じで、もちろんエドマンド・バークや、ハーバート・サイモンとかも知らなかったんだけど、ああ、なるほどなって、保守派っていうのは過激な右翼の人とかとは違うんだって納得した記憶があります。
 
 で、この人の経歴ってかなり波乱万丈で、若い頃は左翼運動に傾倒してて、そのスネの傷をなんか生涯引きずっていたような気がする。
 そこが、西部さんの素直さというか誠実さというか、魅力の一つだと私は思ってた。ネットとかだとすごいファナティックにAの思想をうそぶいてたやつが、来年になると何があったのか、コロッとBの思想をやっぱりファナティックにうそぶいてたりするけど、その、転向するのは別に悪かないんだけど、どういういきさつでそうなったのかだったり、なんか気まずいな、後ろめたいなっていう部分がないと絶対ダメだっていうのはある。ダメだというか、普通の人ならそれは当然あるわけで、そこを居直られちゃうと、ああすげえなっていうか。実は表面的に熱狂してただけじゃんっていうか。にわかじゃんっていうか。
 そういう後ろめたさだったり、ここまでオレは言っちゃうけど、実はそれって天に唾する感じになっちゃってないかなあとか、そういうメタな、内省的な部分があるかどうかって、私は人を判断する大きな基準になってるんだよね。そう言う人っていうのは、たいてい排他的じゃないから。言い返せないような立場の人の事情も察することができるから。
 で、西部さんはその魅力がとうとうアダとなったかはわからないけど、自決にまで至ってしまったという。
 誰しもそれくらいの失敗はあるんだけど、やっぱり純粋だったんだなあって。

 日本の頭脳の損失。ご冥福をお祈りします。

融雪剤について

 超豪雪。おのれ南岸低気圧。

 で、融雪剤の効果がある塩化カルシウムのフレークをまいたんだけど、なんでこいつを地面にまくと雪が溶けるのか、塩化カルシウムについてまとめてみました。

①潮解
塩化カルシウムはとても水に溶けやすく、吸湿性があるため空気中の水分を奪って勝手に水溶液になってしまう。この性質を潮解という。したがって乾燥剤としても使われている。

②水和反応
石膏やセメントみたいに水に溶けると熱を発生させる。これにより雪を溶かす。塩化カルシウムでは1モルあたり20000カロリーほどの熱が生じるので、濡れた素手でさわってはいけない(さわったら肌がサメになりました)。

③凝固点降下
純粋な水よりも、水溶液の方が沸点は上がり(沸点上昇=その物質の蒸気圧降下)、融点(凝固点)は下がる現象。電離して粒子の数が増えた溶質が不純物となり、溶媒(水)同士の結合を阻害するために起こる。
つまり、塩化カルシウム水溶液は、ただの水(雪)よりも融点が下がるので、雪の日の地面を凍りにくくする。しかし、どれくらい融点下げるんだろう。気温よりも下げないと結局凍っちゃうしな。
…てことで調べたら、塩化カルシウムは濃度が30%ほどで飽和水溶液になるんだけど、その時に融点を-50℃にまで下げてしまうらしいので、彼氏が凍ったジオストームでもまずイケルと思う。

 まあなんにせよ、吸湿性があり、水に溶けやすく、そのとき熱を出す物質なら、別に塩化カルシウムじゃなくても、塩化マグネシウムでも塩化ナトリウムでも水酸化ナトリウムでもいいのかもしれない。いや、水酸化ナトリウムは危険か。環境に優しくなさそうだし。
 あと、塩化ナトリウムは水に溶ける際に冷たくなるから、ダメなのかなって思ったら、エンカルよりも持続力があることを買われて凍結防止剤として使われているらしい。
 ちなみにこれら塩化~シリーズは自動車を腐食もさせるらしいので、道路で飛び散らせるとラスティーズになる(塩害)。

『お〜い!竜馬』

 K氏が中学生の頃ドハマりし(切腹ごっこが当時流行ったという)、34になった今なお私に熱く語りおすすめされた漫画。原作はあの龍馬フリーク武田鉄矢さんで全23巻!なげえ!
 マンガ喫茶に半日いて15巻くらいまで読了。ちょうど薩摩に接近してカンパニーつくるところ。しかし感想が今のところおのれ容堂しか出てこない恐ろしい展開。
 あと武市半平太は『竜馬におまかせ!』だといけ好かないやつだったけど、この作品だと、なんか、もう、すごい悲しい。クレヨンしんちゃんで言うならば風間くん的な哀愁があるよね。勉強は凄いできるんだけど大局的にものを見られないというか・・・(´;ω;`)おのれ容堂。
 岡田以蔵は『竜馬におまかせ!』で背の高いイメージがついちゃったけど、なんか藤子漫画に出てくる友達キャラみたくてこれはこれでいい。この人もなんか、もう、すごい悲しい。ただ、救いなのは、武市先生も以蔵さんも大人になって社会に揉まれて根が変わっちゃったとか、そういう展開じゃなかったことだよね。子どものまま大きくなって、お互いちゃんと親友として認めてて、でみんな死んじゃうっていうね。おのれ容堂(´;ω;`)
 ちなみに一番好きなシーンは、高校生くらいに成長した竜馬が昔の友達がやっている魚屋さんに黙って一両のお代をチャリーンって入れるところです。

 あと、ついでにマロさんがはまっている『ゴールデンカムイ』もちょっとだけ読んだ。これは、あれだね、コンテキストがテレビゲームだよね。もっと言えばRPGのシナリオ。
 だから自分はあんまりストーリーにのめりこめなかったけど、これがコントローラー持っててクマと戦う展開になったらまた違うんだろうな。あれだよね、あのクマはマザー2でいうスターマンの息子だよね。
 なんか学習まんがみたいに情報量が多いのも、ストーリーの流れをスポイルしている気がする。すごい調べてますアピールすげえなっていう。逆に、自分みたいに北海道の歴史や文化に疎いのが読んだら、どこまでが創作でどこまでが取材に基づくものかもわからないから、アイヌ学びたかったら専門書を読むだろうしね。
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