ロスト・ワールド ジュラシック・パーク

 「面白い度☆☆ 好き度☆☆☆☆☆ 曲☆☆☆☆☆」

 ハモンドと同じだ。

 ・・・とはいえ、映画の内容は前作と同じレベルには達しなかったよう。典型的なハリウッドの続編映画。
 そもそもあれだけ濃い内容の一作目を作っちゃったら、続編がそのレベルを維持するのはハリウッドのシステム上不可能なんだよね。
 どういうことかと言うと、一作目は正直あれほどまでヒットするとはプロデューサー側も想定していなかったと思うんだ。
 「え~今更恐竜映画~?ふる~い。ださ~い」って感じで制作陣は映画会社の重役どもにけっこうバカにされたのだ(・・・と勝手に妄想)。

 その証拠に『ジュラシック・パーク』には有名なスター俳優が出ていない。これにはスピルバーグが「ネームバリューではなくしっかりと演技ができる俳優を厳選した」って言ってるけど(なんか取りようによってどっちにも失礼なコメント)正直、キャストに予算がさけなかったんだろう。
 もしハリウッドが本気でヒット映画を狙うなら絶対主演はハリソン・フォードだったに違いない。んでハリソン・フォードのグラント博士は素手でティラノサウルスを殴り殺していた。
  
 そういう意味でハリウッドが本気にならなかったからこそ一作目は質の高いSFスリラーとして完成したんだけど、二作目は事情が違う。
 恐竜モノは売れると分かったドナルド・ジェナーロ並の強欲な映画会社は、金を出す代わりにいろいろと制作サイドに要求を通してきたに違いない。
 つまり誰もが楽しめる典型的なハリウッド映画にしろってこと。
 その為には前作の難解すぎて頭の悪い観客がついていけなかった「カオス理論」やら「遺伝子工学」やらの理系的要素は一切カット!あの前作で脚本を担当していたインテリでいろいろうるさそうな原作者は降板!
 そしてエメリッヒが制作中の「ハリウッド版ゴジラ」に対抗して、こっちも早めに手を打とう!よし、ラストに予定していたプテラノドンのシーンは全部没!ラプトルのシーンも大幅カット!あいつはちっこくて華がない!

 こちとらサンディエゴでティラノサウルス大暴走じゃ~!これで大ヒット間違いなしでっせ~!

 ・・・こんな感じで出来た映画と言ってもそれほど間違いじゃないと思う。ハリウッドの映画業界おそろしっこ~。そんなわけだからうっすい映画なわけですよ。濃い前作が二倍に希釈された感じ。やっぱり物足りなさは否めない。

 当時中学生の私も「ジュラシック・パークは続編やらない方がいいと思うんだけどな~。もう新しさもないだろうし・・・」って子どもながらにけっこう的確に予想していて、でも映画版公開前に発売された原作小説の出来が前作よりも良かったのでそれで期待しちゃったんだよな・・・えええ~!?消えるカルノタウルス超見てぇ!って。
 まあ後は『アリス・イン・ワンダーランド』を観た時と同じですよ。期待した私がバカだったって。ハリウッドの大作映画に過度な期待は禁物だよね。

 しかし・・・ここまで言ってあれだけど、この映画・・・決して面白くはない。面白くはないけどすっごい好きなの。ちょうど『ジュラシック・パークⅢ』と逆。
 
 例えばこの映画には、マルカム率いる(?)恐竜保護派(メンバーには元グリーンピースもいる)と、インジェン社の次期CEOルドロー率いる恐竜ハンターが、恐竜の孵化工場があった「サイトB」っていう島にいて、それぞれ「恐竜の環境を壊すな!」「恐竜は我が社の所有物だ。捕まえて何が悪い」って対立するんだけど、結局どっちも問答無用で恐竜に食べられだして、仕方なく思想の壁を越えお互いに協力するんだよね。
 ここはすっごい好き。自然界にとって人間の思想なんてまったくどうでもいいっていうのが見事に解る展開だよね。

 そして相変わらずキャラがいい。厳密に言うとキャラデザインがいい。それはすなわち俳優さんを選んでオファーした人のセンスと、衣装を担当した人のセンスがいい。
 とはいえ前作と比べて今回はちょっと無駄に人数出し過ぎかなとも思うけど(あと某古生物学者に謝れ)、それでもマルカムを演じるジェフ・ゴールドブラムさんはさらに渋くかっこよくなっているし、サラ・ハーディング役のジュリアン・ムーアさんもハマっていた。
 まあサラに関しては、キャラ設定が映画版は最悪で、ただのトラブルを呼ぶ不吉な女って感じだったけど、原作版はフィールド経験豊富なタフな動物行動学者だからね。絶対vicさんは見た方がいいと思う。男の私でもほれぼれするほどカッコいい女性だから。
 
 あと、映画オリジナルキャラ、百戦錬磨の猛獣ハンター「ローランド・テンボ」は外せないでしょう。このキャラは、前作でティラノサウルスをロケットランチャーで仕留めた、原作小説の恐竜監視員マルドゥーンって感じもするけど、演じるピート・ポスルスウェイトさん(『インセプション』にも出ていたとか!←気付けよ)がまたかっこいいんだ。
 そして冒険嫌いなメカニック「エディ・カー」役のリチャード・シフ兄貴は最高。もうとにかく出ている俳優がいい味出している。JPシリーズはスター俳優のネームバリューに頼らないってところだけは継承されてよかったなあ。

 世界観もなかなかいいのよ。ロストワールドはロストワールドでちゃんと世界観がある。やっぱりスピルバーグって映画内の世界観の構築にかけては天才だと思う。
 ジョー・ジョンストンのJPⅢの世界観はやっぱり前二作に比べて見劣りしちゃったもんな。なぜだか。すっごい巧いけどスピルバーグの模倣だよなって。
 
 というわけで好きながらも文句の残る二作目だったのでした(kenkoさんの口調がうつってるぞ)。もし私が二作目をいじれるならこうしますね。
 
①ラストのサンディエゴのシーンはまるまる没
 ああいう円谷的シーンはティラノ如きではなくもっとドバーンと巨大なハリウッド版ゴジラに任せましょう。

②映画『プレデター』のような光学迷彩恐竜カルノタウルスは絶対出す
 前作のディロフォサウルスに当たるポジションです。サンディエゴやるくらいならカルノのシーンに回しましょう。そこまで長尺のシーンじゃないし。

③草食恐竜の観察シーンを大幅増
 ひどいのが物語最初の『ハタリ!』のような恐竜捕獲シーンしか草食恐竜が出ないこと。せっかくハイ・ハイド(観察小屋)を作ったんだから、そこからヴェロキラプトルVSトリケラトプスの団体戦を見せてほしかった。これ絶対絵になったシーンだって!
 それに草食恐竜だって肉食恐竜以上に危険な奴はいたはずだ。原作ではそれがパキケファロサウルスだったんだけど、とにかくもっと草食恐竜出してほしいよ。出した方が絶対子ども受けした。

④やっぱりヴェロキラプトルの話にする
 JPといったらやっぱり最大の恐怖の対象はティラノサウルスじゃなくて、あくまでもヴェロキラプトル。ティラノサウルスの親子愛を描くなら、それと同じだけラプトルの臨界点寸前の共同体も描いて欲しかった(仲間同士でもすぐにカッとなって殺し合う)。ティラノ様よりも知能の高いラプトルが育児放棄しているのはすっごい興味深い設定だし。

⑤カオスの縁理論ちょっとだけでもいいからマルカムに言わせてやろうよ
 じゃないと主人公が数学者って意味がないじゃん!
 ちなみに小説のマルカムは「サイトBでの観察から恐竜絶滅の原因はすでに分かった」ってうそぶくんだけど(下巻26ページ)この仮説があまりに強引ですごい。
 一部の恐竜が内陸海岸沿いの湿原を掘り起こしたことで、水の流れが変わって、そこに生える植物のラインナップが変わって、前の植物に依存していた草食恐竜が死んで、それを餌にしていた肉食恐竜が死んで、草食恐竜が増えて・・・そんな連鎖反応によって今までの秩序が崩壊してあっという間にハイ絶滅!ザッツオール!ってすごいでしょ。これが真実ならサバンナの哺乳類はとっくに滅びさってるぜ。

 ウィキペディアの記事には「マルカムはサイトBのクローン恐竜の絶滅を説明した」とか別の人の指摘が書いてあるけど、あれ違うから(こういうことがあるからウィキペディアはやめたんだよな)。原作小説の下巻176ページを参照してください。

ジュラシック・パーク

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆ 曲☆☆☆☆☆」

 だがカリブの海賊は例え壊れたとしても人間を喰ったりはしないぞ。

 ついに満を持してこの映画の投入。なにしろこの映画って小学校の頃から通算500回以上は見ていて、この映画を語り出したら一冊の本が出来ちゃう危険性があるので、ブログ記事としては敬遠していたのです。
 でも一番好きな映画を語らないわけにはいかないし、インディ・ジョーンズファンで、すっごい楽しそうに『クリスタル・スカルの王国』を語るkenkoさんの記事を読んでたら、自分も語りたくなっちゃった。

 あ~もうなにから喋っていいか分からない!全部好き!一時期最初から最後までセリフ覚えていて、アクション・フィギュアを使って、とおしで映画どおりにジュラシック・パーク(以下JP)ごっこしていましたからね。
 また映画に出てくる弁護士がティラノサウルスに食われるトイレも、工作に強く資金もあるM氏の協力で、映画を一時停止してディティールを確認しながら木の板などで模型を制作。洋式トイレはシルバニア・ファミリーの陶器でできた便器を流用し、あのドリフのコントのような爆笑シーンを再現していました。本当にバカだったよな~。

 ・・・え~とじゃあ、この映画の最初の出会いから話したいと思います。この映画が公開された時私は小学校高学年だったんですが、なんと私JPって映画館に観にいってないんです。驚愕の事実。

 なんて野郎だ!って批判されるのは当然だけど、当時の私は恐竜映画で出来のいいものなんて作れるはずがないってタカをくくって、さらに知り合いの人があまり楽しい映画じゃなかったって言っていたので、「ああ、どうせちゃっちい人形が動くゴーモーションアニメ(当初JPもこの手法で行く予定だった)か、またはゴジラのような着ぐるみか」って感じで観ずに馬鹿にしてスルーしちゃったんです。

 しかも当時はJPの影響で世は恐竜ブーム。基本的にブームになるとアンチになるのがマニアだったりするので、今よりもずっと恐竜に詳しかった小学生の私は、このにわか恐竜ブームが大嫌いで、てめえら庶民に恐竜愛なんてあるわけねえだろ。それに便乗してクオリティの低いだっせえ恐竜グッズを売る連中も気に食わん!と金子節全開。本当に嫌な子ども・・・

 とにかくそれくらい悪態つくほどJP以前の恐竜映画はひどかった。もう怪獣映画と一緒で、ハリーハウゼンのストップモーションアニメの恐竜映画も、あの名作と言われる藤子先生の『のび太の恐竜』もティラノサウルスがゴジラみたくて嫌いだったし(藤子先生が描くティラノサウルスって頭がイボのついたティッシュ箱みたくて、これがまたダサいんだ)、世間の恐竜のイメージが怪獣と混同されているのが我慢ならなかった。

 よくオタク第一世代?の金子隆一さんが、恐竜マニアはまずSFや特撮が好きでゴジラの延長線上で恐竜に興味がむいたって言うけど、あんなの私から言えば恐竜マニアじゃない。
 金子さんが子どもの頃は日本の恐竜事情は最悪で、怪獣図鑑の巻末におまけとして恐竜の紹介ページがあっただけかもしれないけど、でも私は恐竜と怪獣を同列に語るマニアも大嫌いだった。
 怪獣は架空。でも恐竜の魅力は実在した動物と言う点であって、別の文脈で語らなければいけない!って本当に小学生の私は熱く語っていたんだよ。とにかくすごかったんだ。オレ基準の絶対視が。今振り返ると本当に痛々しいよね。
 
 で、結局どの恐竜映画も見ては失望していたんだ。あ~あ・・・って。これじゃ怪獣じゃんって。だから映画などのエンターテイメントに実在した動物としての恐竜を求めちゃいけないんだなって諦めてたから、JPも単なる怪獣映画だと思って観なかったんです。

 で、恐竜ブームはその後あっさり終わって、私とJPは潰れかけのおもちゃ屋で偶然再会する。そのおもちゃ屋は、恐竜ブームで大量入荷した恐竜のおもちゃの売れ残りを格安で売りさばいていたんだけど、そこのワゴンセールにジュラシック・パークのフィギュアがまじっていたんだ。
 その時の衝撃は今でも忘れられない。げええええええ!なんてクオリティなんだ!って。
 今まで日本で売っていたどんな恐竜のおもちゃよりも、それはリアルでカッコ良かった。大体皮膚の質感を出すためにゴムでできているなんて発想がすごい!
 日本のウルトラ怪獣のオモチャなどは基本ソフトビニール製で、ゴムで出来たフィギュア、しかも動いたり吠えたりするギミックが私にはすっごい新鮮だった。アメリカのおもちゃってかっこいいい!って。
 もうあっちのアクションフィギュアって箱からしてかっこいいんだよね。箱から出さずに飾っているコレクターがいるのも分かる。

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 ほら、かっこいいでしょ?映画版のJPにステゴサウルスは出ないけど。原作小説には映画のトリケラトプスの役どころとして出るんだけど。でも本当は映画でも核移植室のシーンで冷凍胚のサンプルとして名前だけ出るんだけど。しかもスペルミスでstegasaurusってなってるんだけど。

 ・・・で、こんなかっこいい恐竜が出る映画だったのか!うわ~観ればよかった!って感じでレンタルビデオ屋で借りてみたのが私とJPの最初の出会いだったりする。

 前置きが長かったけど、ここからが本題。JPは本当に恐竜映画として新しかった。それは恐竜をCGで表現したって言うのも確かにある。CGで動物そのものを描写するなんて当時は考えられなかったから。これを観たジョージ・ルーカスは「いいな~!俺もスターウォーズでCGやりたい!」って言ったそうな。
 無論JPのCGは、映画史のエポックメイキングとして充分すごいけど、CG使用はフィル・ティペット担当のゴーモーションアニメからの急な路線変更のため、合計十数分しか使ってないし、JPはシリーズ通してCG以上に「スタン・ウィストンスタジオ」制作の実物大のアニマトロニクスの恐竜を撮影に(本当に苦労して)使っているから、JPの恐竜のリアルさはCGのすごさだけではないんだよね。
 だからJPはCG映画の金字塔である以上に、これまでの恐竜映画の、恐竜のミニチュア模型がぎこちなく動くダサいイメージどころか、一般人の恐竜のイメージすらも変えてしまったところが一番すごいところだと思う。啓蒙しちゃったのだ。

 恐竜って「愚鈍だったから滅びた」って言う進歩主義史観に基づくイメージをなかなか払しょくできなかったんだけど、60年代に群で狩りをする活発な小型肉食恐竜が発掘されて、そこから恐竜は現在の動物と同じく社会性があって、その一部はとても敏捷で鳥のように賢く、爬虫類なのに温血動物だったのかもしれないっていう学説が出てくることになる。
 この一連の恐竜に対する価値観の転換を恐竜ルネサンスって言うらしいんだけど、この恐竜ルネサンスは学会や一部のマニア以外はあまり知られてなくて、未だに一般向けの図鑑はのろまな恐竜像が描かれ続けていた。

 この恐竜ルネサンスをいち早く創作に取り入れたのが、常に時代の半歩先を感じ取るアンテナを持つJPの原作者マイクル・クライトンだ。
 この人は決して恐竜が好きなオタクではない。クライトンは学究精神にあふれた人で、自分の作品のテーマに選んだものは、何年もかけて真面目に先行研究するSF作家なんだ。
 だからクライトンが恐竜を取り上げる時に、未だ一般認知度の低い恐竜ルネサンスをフューチャーするのは当然だった。

 クライトンは、自身の小説に恐竜ルネサンスを代表する、賢い小型肉食竜ドロマエオサウルスの仲間の「ヴェロキラプトル」を登場させ、今まで恐竜の代名詞だったティラノサウルスを凌ぐ大活躍をさせた。
 これがもう怖いのなんのって。今までは「でかくて強力無比だが頭は弱いのが恐竜」って感じで、その代名詞がティラノサウルスのような大きな肉食竜だったんだけど、その恐竜のイメージは本書のヴェロキラプトルでことごとく覆される。
 彼らは小柄ですばしっこく、知能が高く人間の行動すら出しぬいてしまう。誰かが言ってたけど、まったくもって一番たちの悪い現代型の恐怖の象徴なんだ。
 映画でも最も最悪で恐ろしい恐竜としてヴェロキラプトルを置いてくれて(とはいえ映画ではこの演出は一作目だけなんだけど)、それがあの映画の“新しさ”になったんだ。

 思えばJPは“新しさ”にあふれていた映画だった。ついこないだも『アバター』っていう3DCG映画が新しい映画の代名詞だって言われていたけど、正直映像表現以外はすっごい古くさいSF映画だった。特に物語が。
 JPは映像表現(=CG)も新しかったけど、それ以上にJPの恐竜そのものが新しかったし、脚本のテーマ性も新しかったと思う。
 もう新しさを箇条書きするよ。

①恐竜ルネサンスを一般に広めた。

②恐竜を遺伝子工学でクローニングさせた。
 これは80年代のアメリカがバイテクブームだった時代性を取り入れているし、これまであった恐竜時代にタイムスリップするパターンや、現代に恐竜が生き残っている島があるコナン・ドイルの『失われた世界』のパターンとも全く違う、恐竜モノの新しいジャンルとなった。
 また「タイムスリップもの」だとジュラ紀と白亜紀の恐竜を一度に登場させられないという問題がある。これは詳しくない人には瑣末な問題だけど、これを適当にやるとマニアがサーってひいてしまう。
 ジュラ紀と白亜紀って時期によっては一億年近く離れているんだ。つまり戦国時代に人工衛星やミサイルを出すくらい、いやそれ以上にめちゃくちゃな話なんだよ。
 この「タイムスリップもの」を恐竜マニアも納得するように忠実にやったのがNHKのアニメ「恐竜惑星」で、いろんな恐竜に会うために、いちいちいろんな時代と場所に萌ちゃんが行ったり来たりするからすっげえつまらなかった。
 あのアニメは結局「萌え」の語源になっただけで、作品自体は恐竜マニアの支持を取ってエンターテイメントを犠牲にしちゃった様な代物なんだ。
 さてこの問題はJPではまったくスルーできる。JPの恐竜は現代によみがえったクローンなんだから、ティラノサウルスとステゴサウルスが同じ動物園に共存できるんだ!
 まあJPの恐竜は、そのほとんどが白亜紀後期の恐竜だから、そこまで気にしなくても良かったかもしれないけど、地質年代を「マーストリヒト期」とかのレベルまで知っている人にはやっぱり駄目なんだろうな。

③ジュラシック・パークというテーマパークがリアル。
 「恐竜サファリ」って言うアイディアはJP以前にもあった。でも自動車型タイムマシンでジュラ紀に行って野生の恐竜を見て回るとかそんなのだった。
 重要なのは、恐竜をよみがえらせたインジェン社がジュラシックパークを建設した理由がちゃんとあること。
 もともとクライトンは「のび太の恐竜」のように大学生が恐竜の卵を復活させる話を考えていたそうだ。でもその恐竜復活にかかる予算が莫大で、どうしても小説にリアリティがなくなってしまうとその設定を断念した。
 そこでクライトンはベンチャー企業が金もうけのために恐竜を復活させるというアイディアに路線変更。クライトン曰く「これはがんの治療じゃない」・・・つまり恐竜復活にかかった資金をパークの入場料で回収しようとしたわけ。
 クライトンはこのような金もうけしか考えない“公”の意識が欠如した、市場原理主義の暗黒面をこの小説で批判したんだけど、この部分は映画ではかなり薄められていたよね。空気読んだよねスピルバーグ。
 原作ではウォルト・ディズニーのあくどさを「ジュラシック・パーク」の創始者ジョン・ハモンドに重ねて間接的に叩いているんだけど、これってアメリカ文化そのものを批判するようなものだからなあ・・・

 しっかし映画では見事にこの「ジュラシック・パーク」っていうテーマパークを映像化したよね。ロゴマークといい、いちいちカッコいいじゃん。私はこの映画が一番好きなのはここかもしれない。この映画に出てくる架空のテーマパーク「ジュラシックパーク」自体がカッコいいんだよ。
 レストランの横の売店で売っているジュラシックパークのグッズとかやたらリアルじゃん。マグカップとか。ああいう小さなこだわりが映画内世界にリアリティを与えるわけだ。ファンタジーで架空の世界を作るときにこれは基本なんだけど、この映画もハードなSFながらも架空の世界を作るという上では同じだったんだ。いやあすごい!
 
 ・・・と、まあこのように「恐竜ルネサンス」+「クローン技術(数年後本当に実現)」+「テーマパークで飼育されている動物」というファクターが見事に融合してジュラシックパークの恐竜がキャラクタライズされているのだ。
 私はこれ以降恐竜ではなく、このカッチョイイSFを作ったマイクル・クライトンにはまってしまう。新しさってこんなにかっこいいんだ!と。
 いくら恐竜ルネサンスだ!って言っても、太古の生物であることに変わりのない恐竜ですら表現の仕方によってここまでクールでスタイリッシュに描ける。それがすごいと思った。
 
 そして恐竜モノに「複雑系数学」や「スーパーコンピューターによるネットワーク管理」「資本主義、科学主義への警鐘」を盛り込むって言うのがすごすぎ!クライトンさん盛り込み過ぎ!

 また見どころはほかにもたくさん。JPはとにかくキャラがいい!登場人物。アーノルドといい、ネドリーといい、どいつもこいつも立ってやがるw
 基本的にこの映画って孤島に取り残された登場人物が一人ずつ殺されていく、クローズドサークルタイプのミステリー小説に似ているんだけど、そのサスペンスフルな状況とキャラの濃さが巧くマッチしているというか。
 キャラについてはウィキペディアで私が細かく整理してまとめたから、当該記事を見てほしいんだけど、やっぱこの映画で一番いいのはマルカム博士だよね。覚えてないと思うけど、中学校の頃はK氏も同意していたんだ。「田代、マルカムカッコいいよな」って。

 あのニヒルなスタンスはまさに現代人。実際あれからコンピューターがものすごく社会に普及して、マルカムの予言通りに世の中はなったから(マルカムよりもニヒルな東浩紀なんてプロの評論家が登場する始末!)その反面マルカムがJPで言っていた言説に新しさはなくなっちゃったんだけど、それでも彼の意見が科学の本質を突いていたのには変わりがない。

 マルカムは基本的に進歩主義(=科学主義)を批判するから、それはSFそのものを批判していることにもなる。実際今SFが衰退しているのは日本において「科学の進歩がみんなの幸せをもたらすに違いない」という幻想が消滅したから。そんな幻想はウルトラマンの時代、高度成長期で終わってしまった。

 マルカムがかっこいいのは最新の科学(彼は常にコンピューターで複雑系の数理モデルを作成する)にふれながら、その最新の科学にきわめてドライで懐疑的だという点だ。
 最新の科学は科学の限界を突きつけるという。確かにゲーデルの不完全定理もハイゼンベルグ不確定性原理もそうだ。
 そもそも科学の基礎をなす数学自体が人間が勝手に考えた抽象概念にすぎない。数学とはただの了解事項、スポーツのルールと同じ性質のものなんだ。だから数式を解いて正しい答えが出るのは当たり前なんだ。人が考えたルールの上で遊ぶものなんだから。

 そしてマルカムのカオス理論は、一般人のロゴス――理解や感情移入の限界を超えたところにあると思う。だから彼の言説がニヒリズムとしてしか考えられない。
 だが待ってほしい。本来科学と言う学問は「客観的再現性」を重んじる。つまり人間の主観と無関係であるはずだ。
 しかしそれは科学の歴史において全くの虚構だったことも実はすぐに解る。世界の真理の探究という動機自体が宗教と密接に関係していたわけだし、科学の理念はともかく、事実としては科学は人間の為にあったことは間違いないはず。

 ただ、そんな人類のための科学(また科学の発展そのもの)が、いつの間にか科学が人間個人の主観のキャパを超えだした。だからほとんどの人は科学や哲学を嫌う。
 人間は自分たちが数万年しか歴史のないタダのサルだとは思いたくないし、最新の科学理論がつきつける人類の絶滅、地球や太陽、宇宙の死を受け入れられるほど、精神的に強くはない。人はそこまでニヒルには生きれないのだ。
 多くの人はつねに未来はきっとよくなるはずという無根拠な希望がないとやっていけない。だからマルカムは嫌われる。「お前の意見なんてまったくの無意味だ。ニヒリストだ」と。
 
 科学はいまや、何百年もの歴史を持つ信仰になってしまっている。そして、それ以前の中世のシステムがそうであったように、もはやこの世界に適合しなくなりつつある。
 しかし科学は、この世界とどう付き合うか、この世界でどう生きていけばいいのか、判断する助けとなってはくれない。汚染物質を造っても、それを使うなとはいえない。それもこれも、誰にも制御できない科学というものの責任だ。


『ジュラシック・パーク』の関連記事です。
クライトンもアリス好き?
過去を使って未来を中和

ウィキペディア問題の本質

 すいません。資料用のミリタリーフィギュアが紛失したので、ウィキペディアの写真資料を真似して描きます(画力の鍛錬の為にトレースはしないです)。
 さんざん「ウィキペディアは胡散臭い」とか言っておきながらのこの始末。だってウィキペディアは著作権が無いから安心して参考にできるんだもの。
 特にウィキペディアに掲載されている写真“自体”は写っている中身は写真である以上真実だし。※この場合「油まみれの海鳥」のようなプロパガンダ的写真からメッセージ性を受け取るのではなく、ただ迫撃砲はこんな形っていうのを調べるだけだから。

 しかし一時期うちの大学ではレポート課題にウィキペディアを引用したら単位はく奪とか厳しく取り締まっていた時があって、その理由は一体何だったんだろう?と思います。
 確かにウィキペディアは、執筆者が匿名で素人が執筆している可能性もあって、記事内容の信ぴょう性はかなり危ういけれど、かといって書籍にしたって正しい情報が書いてあるとは限らないし・・・
 つまり情報ソースは、プロの学者が監修した世界百科事典とかにしろってことなのか・・・ただウィキペディアも、実は辞書的な意味合いだけを調べるならそこまで危険でもない。
 どこにでも載っているような事が書かれているだけ。みんなが知っているような基本情報はほとんど安全なんだ。
 つまりウィキペディアの問題というのは、込み入った情報(政治問題や歴史問題など)の正確性であって、その部分の信ぴょう性って、ウィキペディア以外の本でも著者の主観が大いに関係しているもの。
 まあ大学教授が書いた本の方が一般人が書いたやも知れぬウィキペディアよりは全然ましなんだけど、それでも主観であることには変わりはない。

 おそらく大学側は、バカな学生どもが簡単にコピー&ペーストで調べ物学習を完了してしまうこと=つまり参考資料を読みもしないことを危惧しているんだろうけど、これってもう時代遅れだよ。
 なにしろこれからは紙の書籍すらデジタル化するわけで、それはウィキペディアのようにコピー&ペーストが可能になることを意味する。本を引用する際にまずはその参考文献を読解してからレポート用紙に手で写本するなんて、ルネサンス以前のキリスト教の人たちみたいな古臭いことはする必要がなくなっちゃうわけ。

 まあこれによってますます大学生がバカになることは否めないけど、もう仕方がないよ。だから大学側も「これこれを調べなさい」なんてつまらない課題を出すんじゃなくて、「調べたのちあなたの見解を自分なりに述べなさい」って課題にすればいいんだ。
 そうなると多様な意見を相対化できる器の大きな採点者=先生が必要になってくるけど、ウチの大学でも、自分の見解と異なる学生の意見もちゃんと受け入れてくれて、ガチで議論をしてくれる素晴らしい先生もちゃんといたから、どうにかなると楽観している。
 もちろん器の小さなバカもいたことは事実だが。

 大体「本に書いてある内容をまとめろ」なんてしょうもない課題を出す方がおかしいんだよ。それは教養を深める前段階の話であって、議論の前提となる基礎知識は自分の意見を構築する際に必要にかられて能動的に積み上げていくものなんだから、最初っから「君の意見は?」って課題にすれば、自ずと調べるんじゃないかな?

 自分の見解と言うのは、ウィキぺディアの情報だけをコピー&ペーストするだけでは組み立てられない。
 逆に基礎的な情報のソースはウィキペディアだろうが、電子書籍だろうがなんでもいいから、その代りに数を読んで情報の相対化をするしかないと思う。
 ウィキペディアは百科事典だから基本的に「情報」しか書いてない。いや偏った見解も書いてあるけど。じゃあその見解に対して賛成でも否定でもいい、なぜ自分がそう考えるのかを考えるためにはウィキペディアだけではどうにもならないということ。自分自身で考えざるを得ない。

 だから一言で言ってウィキペディアで単位はく奪は、時代遅れかつ頭の悪い対応だ(私はもう言いたいことをズバズバ言うようになるぞ!)。
 あとミリタリーは興味がないとか言ってたけど、迫撃砲はカッコいい!

おまけ:ウィキペディアで自分が執筆したページ
記事を開設&執筆
学者「ハーバート・リード」
ゲーム「デザーテッドアイランド」「美食戦隊薔薇野郎」
恐竜「ブラキオサウルス」「ステゴサウルス」「スピノサウルス」など

執筆のみ
映画「ジュラシック・パーク」「ジュラシック・パーク3」「スターシップ・トゥルーパーズ」「アイスエイジ3」
小説「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク2(原作小説)」
テレビドラマ「アルフ」「総理と呼ばないで」「合い言葉は勇気」

ウィキペディアが流行る寸前あたりで飽きてきちゃったから「アイスエイジ3」以降もう執筆はしていません。
自分のサイトの方が好き勝手に書けるしね。

パンチラ職人論

 私はよくまあこんなどうでもいいこと(漫画)をこだわっていやっているよなって言われます。主に親に。

 どうでもいいって言われちゃうと、もう文化のレーゾンデートルそのものがガラガラ崩れちゃって、「どうでもいい」とは、なんてモチベーションを奪う言葉なんだって気がしますが、実際今日も耳の上に髪の毛がかかる表現の仕方についてずっと悩んでいて、ああ我ながら読者の人にはどうでもいいような自己満足的なことを悩んでしまったな、と反省してます。
 あ~塾の仕事の前に漫画描いちゃダメだな。別の次元にワープしちゃってみんなの中間試験の結果なんてどうでもよくなる(暴言)。

 クリエイターって受け手を意識して面白いものを割り切って作る商売人的側面と、自分の表現手法にとことん追及していくような芸術家的側面があって、そのバランスが超難しいと思っています。
 この二つは時に対立するものの、実際にはかなり相補的なものであり、芸術家的こだわりを全放棄したものが果たして、受け手を喜ばせる商品としていいものになるのだろうか?という問題があります。

 たとえば少年漫画では男のスケベ心を食い物にして「パンチラ」などのエロ描写を盛り込みますが、そのパンチラを書くときにその漫画家の画力が幼稚園児並みであったら、いくらみんな大好きパンチラでも人気はとれないと思うのです。
 パンチラが商品足り得るパンチラになるには、パンチラ描写を極めなければならず作家の修行が必要で、その矜持にはただ「読者が喜ぶからパンチラを練習してみよう」という単純な動機だけでは決していきつけません!(断言)その程度で男のスケベ心が動かされると思うか!

 パンチラを描く奴は元来パンチラを描くことが大好きなのです!
 
 つまり彼らパンチラ職人は、自分の好みがたまたま市場のニーズに合致した幸せな奴らでして、そういう意味で漫画家は意外と平凡で普通の感性の人の方が成功すると言われているのでしょう。
 そんな私は恐竜の骨の数とかを数えて復元図を描くという、まったく市場のニーズを無視したこだわりばっかやっているので、かなりやばいことに・・・

 だからよく言われる「漫画は作品ではなく商品として割り切れ」は全くの詭弁なんです。クリエイターはそんなニヒルに創作活動なんて絶対にできないはずです。
 売れるからパンチラを描くのではない。ただ描きたい。これが真実でしょう。
 
 畜生、なにが商品だ。自分がエロいのをそうやってごまかしているだけだろ江川!


 追記:
ninkikiji.jpg

 人気記事ランキングはなにかがおかしい・・・どう考えても科学の記事でも恐竜の記事でもない・・・

インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国

 「面白い度☆☆(家でテレビで見ると☆☆☆☆☆) 好き度☆☆☆☆」

 冷蔵庫に入れば核爆発はセーフな世界観。

 この映画のタイトルって「東京ディズニーシー」の「ロストリバーデルタ」にあるアトラクションとかなり似ている。とはいえ細かい設定はちょっと違うから、どこまで関連性があるか分からないんだけど企画としては何年も前からあったんだろうな。「次はクリスタルスカルだ!」って。

 いや~しかしこの映画ってテレビ映画だな~って思った。この前テレビでやっててちょっと見たんだけど、家で寝っ転がってお菓子でも食べながら見る分にはとても楽しい映画。実際映画館で見た時よりも楽しかった。
 公開時に映画館で見た時は、脚本に緩急が無く全編クライマックスを言葉通りにやったような、この映画の詰め込み式的構成が、見ていてすっごい疲れちゃってどうでもよくなっちゃったんですよ。
 ・・・で、最後にやってくるのがあのどうしようもないラストでしょ?

 でもさ、よくよく考えれば「インディ・ジョーンズシリーズ」って、考古学者が主人公の話だけど、そこまで考古学の話じゃない。つーか『クリスタル・スカルの王国』は考古学的うんちくもかなり抑え目で、もっと言えばオカルトの話なんだよね。
 昔のシリーズだって、棺を開けたらオバケが出てきて悪役が溶けちゃったり、聖杯のはずれを飲んだら悪役が溶けちゃったり、で、今回も宇宙人の目を見つめたら悪役が溶けちゃったり・・・

 だから昔のシリーズも、もし仮に映画館で見てたら同じ感想だったと思う。「なんじゃあこの映画は。くだらない」って。
 でも私たちの世代になると、ジョーンズ博士とのファーストコンタクトが映画じゃなくてテレビになるから「ああ昔の面白い映画なんだな」ってイメージで見ていたんだと思う。
 大体、あんなの・・・って言っちゃひどいけど、あんなの映画館で高い金払って真剣に見る内容じゃないと思うんだ。

 と言うわけで、インディ・ジョーンズはしっかり昔のテイストのまま復活したんだ。昔トコッロのシーンが面白かったように、今回もジャングルをジープで疾走するシーンはとっても楽しいし、原住民といい、虫の大群といい、シリーズお決まりのパターンをちゃんとふまえるあたり、スピルバーグ監督もインディジョーンズシリーズがどういう映画だったかちゃんと覚えていたんだよね。
 決して昔よりも面白くはなっていないし、また昔よりもつまらなくもなっていない。所詮インディはインディ。

 しかしアメリカってインテリジェントデザイン説の支持が高いだけあって、ああいう知的生命体が地球の生命の歴史を作ったって言うの好きだよな~。
 仮に古代の人類は宇宙人によって農耕、牧畜を教わり文明を築いたとして、じゃあその宇宙人は誰から農耕、牧畜を教わったんだ?っていうパラドクスになっちゃうんだけど、人類の文明はともかく、秩序だった生命体がどういうプロセスで無生物から誕生したのかは、いまだに多くの謎があるんだよね。だからと言って宇宙人が生命を作ったとは全然思わないけどさ。
 この前発見された生命がいる(であろう)地球型惑星の研究が気になるなあ。
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