政治学覚え書き⑫(国際政治)

 今回は国際政治を。そろそろ政治経済の勉強はクライマックス。いや~詰め込んだ。だんだん問題も解けるようになってきて7割くらいはわかる。でも、最終的にはコンスタントに8割以上は取りたい。あわよくば9割。それくらい頑張ってもダメなら、私は理科に逃げます!逃げは戦いの内。

グロティウス
コナミのシューティングゲームではない。17世紀のオランダの法学者で国際法の父と言われる。
17世紀、神聖ローマ帝国は宗教上の対立が続き、オーストリア領のボヘミア(ベーメン)の王となったハプスブルグ家のフェルディナント2世は新教徒を弾圧。新教徒の方は反乱を起こし、ほっときゃいいのに周辺国は旧教、新教それぞれの勢力を支援、その結果ヨーロッパ全土を巻き込む泥沼の戦争となった(ドイツ三十年戦争)。
この戦争の戦後処理のために1648年に開かれた講和会議で締結されたウェストファリア条約は世界初の国際法と言われている。
一定の領土と一体感のある国民が作る国民国家の概念が誕生し、各国家は互いに平等で独立した主権を持つことが確認されたのだ。
グロティウスは、この三十年戦争の悲惨な経験を踏まえて『戦争と平和の法』を著し、国際社会においても国家が服すべき自然法があると論じた。
彼の業績を記念して、オランダのハーグには国際司法裁判所(ICJ)が置かれている。
ちなみによく似た組織に、2002年にできた国際刑事裁判所(ICC)があるが、こちらは国家ではなく国際犯罪を犯した個人を裁く裁判所。

外交使節
大使や公使は受け入れ国の合意(アグレマン※フランス語)を得て着任。治外法権免税特権が与えられ、身体、名誉および公館や文書の不可侵権を持つ。
『アウトレイジ』の一作目では、このルールを逆手にとってヤクザが大使館でカジノを経営していた。たけしさんによれば実際にある話らしい。

国際会議
ナポレオン戦争後のウィーン会議(1814~15年。王政復古や市民革命の再発防止など)、ベルリン会議(1878年。ロシアとトルコの露土戦争後、なんとか両国の対立を丸く収めようとビスマルクが主催した会議)などが有名。
オランダで行われたハーグ平和会議(1899、1907)では、紛争の平和的解決にあたる常設仲裁裁判所(平和宮。国際司法裁判所の前身)が創設。
また、毒ガスなどの非人道的兵器(人道的な兵器ってあるのか?)の使用を禁止する戦争のルールを定めるハーグ陸戦条約を制定。

国際法の性格
①統一立法機関の欠如
国際法は当事国間の文書による合意である成文国際法(条約など)と、国際社会の慣習が積み重ねられて形成された国際慣習法(公海自由の原則など)の二つがあるが、法のように議会で制定はされていない。
②強制力の欠如
国際法を破っても、それに対する制裁規定に欠ける。国際連盟がいまいち上手くいかなかったのは、この制裁手段がなかったからという説がある(もうひとつは全会一致制により、なかなか重要な決定が決められなかった)。
さらに国際司法裁判所も、対立する一方の国が裁判を拒むと裁判は起こせない(強制管轄権がない)。例えば日本と韓国が争う竹島をめぐる領土問題では、日本は国際司法裁判を持ちかけたが、義務的管轄権を受託していない韓国はそれを拒否した。

国内社会と国際関係
国内社会には、中央集権的な政府が存在するが、国際関係においてはそのような各国家の上位に中央集権的な権力(超国家、世界連邦)が存在しない。それぞれの国家が平等に並立している分権状態となっているのだ。
また国際連合も、加盟国の上位にある権力ではないとされている(国際法は国家間の合意によって法的拘束力が生じる)。このような状態をアナーキーという。
アナーキーな状態をどのように考えるかは、リアリズムとリベラリズムによって相違がある。
リアリズムはホッブスの悲観的な人間観を受け継いでおり、アナーキーな状態では常に対立が発生し(権力闘争)、国家同士が協調関係を築くのは困難であると考える。
国家は自分の国の安全保障を第一に考え、利己的に行動するというのだ。よって各国家は自国の安全保障のためにより大きなパワーを保持しようとする。
これに対してリベラリズムは、各国の国境を越えた経済的、社会的な交流や、それに伴う国民の認識の変化などに注目し、国家の行動は軍事的な安全保障のみで成り立っているわけではないと考える。
国際関係においても相互利益や共同体意識が存在し、それに基づく協調は可能であり、リアリストが考えるような権力闘争は定常化しないとする。
この考え方は人間は自然状態では平和であるというロックの流れを汲み、国際関係と国内社会のアナロジー(類推)を支持するという点でもリアリズムとは異なっている。

ナショナリズム
国民主義、国家主義、民族主義・・・全部ナショナリズム。フランス革命で始まった国民主義は、やがて国家主義に発展。さらに植民地ナショナリズムは独立運動(民族自決)として燃え上がることに。
エスニック・ナショナリズムは、国民を言語、文化、外形的同一性を長期に共有してきたものであると定義し、その歴史的一体性を強調するタイプのナショナリズム。
シビック・ナショナリズムは、国家を構成するメンバーが、その政治的原理に賛同し自らそこに所属したいと希望することが重要であると考えるタイプのナショナリズム。
ちなみにナショナル・インタレストといった場合は国益を指す。

コスモポリタリズム
国家を超えて平和共存のための制度や条件を探求する思想。
もともとは古代ローマのストア派の哲学者が、ポリスを超える人類全体の共同体をコスモポリスと言ったことに始まる。
この思想の一つの完成形が、私が大学一年生の頃に買わされ&読まさせられたカントの『永遠平和のために』で、ここですでに国際連合的なアイディアが書かれている。
この元ネタになったのがサン=ピエールの『永久平和論』で、この人はカントだけでなくルソーにも影響を与えている。
現在のインターナショナリズム(国際主義)に近い。

サミット(主要国首脳会議)
1973年の石油危機による世界経済の打撃を受けて、1975年に開始された。
最初は経済問題をテーマにしていたが、80年代にはソ連のアフガニスタン侵攻を受けて政治問題も取り上げるようになった。
冷戦が終わった90年代にはロシアも参加し、2001年のジェノヴァサミットではグローバル化に反対する大規模な抗議デモが起きた。
2008年の洞爺湖サミットでは環境問題が話し合われている。
参加国は、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、カナダ、日本、ロシアの8ヵ国(G8=グループ・オブ・エイト)だったが、2014年にロシアは参加を停止されている(ウクライナに強引に軍事介入したため)。

戦争法規
戦争開始に関する条約(1907)では宣戦布告なしの開戦は違法とされ、戦争の放棄に関する条約=不戦条約(1928)では侵略戦争を否定している。でも現実ではしばしば無視されている。
例えば、第一次世界大戦の反省で、世界はワシントン会議やロンドン会議を開き、軍縮に向けて頑張ったが(ワシントン体制)、結局ドイツが宣戦布告なしでポーランドに侵攻、もう一度世界大戦が起きてしまった。
その後、兵器の性能がすごいことになり(オーバーキル)、次に世界大戦が起きたら本当に人類は全滅する可能性があるので、国際社会は国際連盟をパワーアップさせた国際連合を組織し、二度とファシズムの侵略を許さないことを誓った。
ちなみに国際連盟はウィルソン大統領の呼びかけでできたけど、国際連合を名づけたのはルーズベルト大統領だ。
大西洋憲章(1941)ダンバートン=オークス会議(1944)の成果(国連作ろうぜ?)から、米英ソの首脳はヤルタ会談を行ない、国際連合の運営の方針や原則を話し合った。
全会一致でないと何も決められなかった国際連盟の失敗を踏まえて、国際連合では、安全保障理事会の機能が拡大(五大国一致の原則)、また、勧告や経済制裁だけでなく軍事的制裁も可能になった。
ただ基本的には内政問題は不干渉で(内政不干渉の原則)、アフリカの紛争にどれほど介入したらいいのかが議論になっている。

安全保障のディレンマ
安全保障のディレンマとは、国際関係がアナーキーである場合、国家が自分の国の安全保障を高めようとして行なう防衛力の増強が、他国の安全保障を相対的に低下させ、国家間の軍備拡張戦争が激化、結局どの国も安全保障が高められないことを言う。
国際関係において、安全保障のジレンマを回避するための主なアプローチには「パワーの配分による安定」と「国際規範や国内要因を重視する」アプローチの二つがある。
「パワーの配分による安定」とは、各国が勢力的な均衡状態になれば、国際関係と各国の安全保障を両立できるという考え方であり(勢力均衡)、国際関係の中核にパワー(国力)を考えるリアリズムの立場とも言える。
もうひとつの「国際規範や国内要因を重視する」アプローチとは、国際的な規範や各国共通の利益によって安全保障を達成しようとする考え方で、国際関係の中核に対話を置くリベラリズムがこれにあたる。
そのひとつが集団安全保障で、国家間の問題を戦争によって解決しないと合意した複数の国家が、他国を武力攻撃した国家に対して制裁を加えることで、集団的な安全を保障するという考え方である。
また核軍縮条約といった国際制度による安全保障や、経済的相互依存論のような協力関係の構築を通じて紛争を回避するという協調的安全保障などもある。

核軍縮問題
第二次大戦後すぐに仲違いしたアメリカとソ連は冷戦に突入、アメリカのトルーマン大統領はトルーマン・ドクトリンという共産主義国と徹底的に戦う軍事原則を打ち出し、その一環として西側諸国に経済的な援助を行なった。これがマーシャル・プランである。
ソ連の方も西側陣営と戦うためにワルシャワ条約機構やコミンフォルム(国際共産党情報局)、COMECON(東欧経済相互援助会議)を結んで対抗する。

米ソは核抑止という恐怖の均衡状態を作るためにせっせと新型核兵器を開発する。
45年:アメリカ原爆開発&投下。
49年:ソ連原爆開発。
50年:ストックホルム=アピール採択(核兵器の製造と使用の禁止)。
52年:アメリカ水爆開発。
53年:ソ連水爆開発。
54年:第五福竜丸事件(アメリカの水爆実験で日本の漁船が被爆)。
55年:第一回原水爆禁止世界大会(広島)。
アメリカ、ロシア、イギリス、フランスのジュネーブ4巨頭会談(1955))が実現。
57年:パグウォッシュ会議(著名な科学者が核兵器に反対)。

それと同時に世界の覇権を争い、朝鮮戦争(1950~53)、ベトナム戦争(1965~73)、中東戦争やアフリカ諸国の民族紛争介入など、世界各地に争いの火種をまいた。これを米ソの代理戦争という。

60年代に入ると、核保有国は米ソ以外にも増え、イギリス、フランス、中国も保有するようになる。これを受けて、核保有国は核の管理を目指すようになった。
63年の部分的核実験禁止条約(PTBT)では地下核実験を除く大気圏内、宇宙空間、水中での核実験を禁止。
68年の核兵器不拡散条約(NPT)では、採択時に既に核兵器を保有していたアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国以外の国が核兵器を新たに保有することを禁じた(非保有国は国際原子力機関(IAEA)の核査察を受ける)。この要約は米ソに有利な条約だとフランスと中国は長いあいだ加盟しなかった(冷戦後の92年に加盟)。
全面核戦争の危機は、米ソを平和共存へと向かわせ、1962年にキューバ危機が起きると、米ソにはホットラインが結ばれるようになった。

さらに日本やドイツ(特に西。そのため、西ドイツへの亡命を防ぐベルリンの壁が61年に建設される)が大きく経済発展をし、アメリカの地位は相対的に低下、冷戦構造は多極化の時代になる。
その上、同じ社会主義国であるはずのソ連と中国も対立、欧米の植民地だったアジア、アフリカの国もどんどん独立し、米ソどちらの勢力にも属さない第三世界を形成するようになる。
第三世界は、インドネシアのバンドンでアジア=アフリカ会議(1955)や、旧ユーゴスラビアのベオグラードで非同盟諸国首脳会議(1961)を開いて結束し、国際連合においても発言力を強めた。
ちなみにアフリカで17の新興国が生まれ、国連で植民地主義の集結(植民地独立付与宣言)がうたわれた1960年はアフリカの年と呼ばれた。

ヨーロッパでは1975年に全ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)が開かれ、東西対話路線を示したヘルシンキ宣言を採択した。

80年代になると、懲りないアメリカ(レーガン政権)は、宇宙に監視衛星をばらまき、飛んできた核ミサイルを早急に察知、地上で迎撃するという戦略防衛構想=スター・ウォーズ計画(SDI)を実現しようと再び軍拡を始め、ソ連もこれに対抗しようとしたため新冷戦が始まった。
しかし軍拡競争はとんでもなくお金がかかり、ソ連は国民生活を犠牲にしてミサイルを作った(バターより銃)。また1979~89年のアフガニスタン侵攻も出費がひどく、85年に誕生したゴルバチョフ政権はペレストロイカ(=改革)を実施、軍縮へ舵を切った。ゴルビー(馴れ馴れしい)は、外交でもデタント(緊張緩和)を進め、ブッシュパパ&ゴルビーのマルタ会談(1989)で冷戦の集結を宣言した。
この間、アメリカとソ連は戦略兵器制限交渉(SALT)、中距離核戦力(INF)全廃条約を結んでいる。

90年代に入ると、アメリカとロシア(ソ連崩壊)のあいだで戦略兵器削減条約(START)が調印(Ⅰが91年、Ⅱが93年)。95年に核拡散防止条約(NPT)を無期限延長、その翌年には包括的核実験禁止条約(CTBT)を国連で採択した。これにより地下核実験もアウトになった。
ちなみに93年には化学兵器禁止条約、97年には対人地雷全面禁止条約が調印されたが、これは日本の防衛庁(現防衛省)がすごい嫌がったという(島国ジャパンの海岸線を守るために役に立つため)。

00年代では、アメリカの同時多発テロなどの国際情勢の変化を受けて、93年に結ばれた第二次戦略兵器削減条約(STARTⅡ)が未発行となり、その代わりに2002年に戦略攻撃兵器削減条約(モスクワ条約)が結ばれた。
さらに2010年、STARTⅠの光景となる包括的な核軍縮条約として新STARTが結ばれた。

ちなみに、核兵器は射程距離で以下の3つに分類される。
戦略核兵器:長距離。攻撃規模も広域。広島や長崎に落とした原爆や、大陸間弾道ミサイル(ICBM)など。
戦域核兵器:中距離核兵器。法の網の目をかいくぐる形で主にヨーロッパに配備されたが、87年のINF全廃条約によって陸上のものは91年までに全廃。博物館の冷戦コーナーに飾られている。
戦術核兵器:短距離。攻撃規模は特定のターゲット(歩兵や戦車など)。

地域紛争問題
ロシアは現在、周辺諸国と独立国家共同体(CIS)という体制を敷いているが、チェチェンやグルジア、ウクライナと情勢が不安定な地域が多く、今なおテロが起きている(というか、ついこないだも起きた)。
ヨーロッパでは1990年にヨーロッパ通常戦力条約(CFE)を調印、70年代のCSCEを発展させた全ヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)を作った。
さらに92年にはマーストリヒト条約を結び、欧州連合を結成している。

しかし2000年に入っても紛争は無くならず、というか根強いやつが長期化しており、イスラエルVSアラブ諸国は第四次中東戦争が終わってもパレスチナ問題として未だに深刻な状態が続いているし、イラクではブッシュ親子による湾岸戦争とイラク戦争が起きた。
多民族国家であった旧ユーゴスラビアは5つに分裂、ボスニア・ヘルツェゴビナでは武力紛争、セルビア人が多い新ユーゴではコソボ問題が起きて2000年にNATO軍による空爆が行われた。
中南米でも政権が不安定な国があり、アフリカでは民族よりも小さな単位である、部族レベルで虐殺が起きている。
これらの紛争により、世界中で多くの人が難民になり、深刻な国際問題になっている。
こうした難民を保護しているのが緒方貞子さんで有名な国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)であるが、難民の数があまりに多すぎて十分な活動は行なえていない。

経済学覚え書き⑧

 久々に経済学覚え書き。帰ってきたぜー!やろうやろうと思っていて、ずっとやってなかった、日本経済の発展や世界的金融システムの流れをまとめます。

インフレーション
物価が継続的に上昇する現象を言う。逆がデフレなんだけど、一口にインフレと言っても色んな種類のインフレがいてややこしい。まずはそこから。

ディマンド・プル・インフレーション
総需要(ディマンド)が総供給(サプライ)よりも大きくなったことで起きるインフレ。

コスト・プッシュ・インフレーション
金銀や原材料費といった生産コストの上昇が物価を上げるインフレ。

ハイパー・インフレーション
物価が短期間に数十倍にも上昇するインフレ(インフレ率20~100%※年率)。
第一次世界大戦後のドイツでは、貨幣価値が大暴落。卵一個の価格が3200億マルクになった。
こうなると、ちょっとした買い物でいちいち札束を持ち歩かないといけないので、政府は通貨の価値を切り下げしてしまうことがある。これをデノミネーションという。北朝鮮が何年か前に実行して、でも、うまくいかず責任者が処刑されちゃった。

ギャロッピング・インフレーション
インフレ率10~20%。

クリーピング・インフレーション
忍び寄るインフレという意味。インフレ率5~10%

ちなみに、インフレ率が低下していくのをディスインスレーションという(※デフレではない!)

景気循環
景気変動とも言う。資本主義経済は、経済が拡大する時期と縮小する時期を交互に繰り返してきた。このパルス状の現象は、均衡点はひとつに決まると考えていた経済学にとっては謎だったが、スウェーデン学派を作った経済学者ヴィクセルは均衡点から利子率が乖離しているのが原因だと考え不均衡分析を試みた。
ファンダメンタル(経済成長、景気変動、物価といった実際の経済を決定する根本的な条件)とは乖離した人々の期待と、不適切な利子率が経済を不安定にし、景気の波を形成しているという。景気の気は気持ちの気だったらしい。
ちなみにヴィクセルのライバルは、経済は長期的にはだいたい安定すると説いたアメリカの経済学者フィッシャーだった。新古典学派の最初期のメンバーであるフィッシャーは、あの物価指数を考案し、フィリップス曲線や無差別曲線の研究に貢献した。
しかし、景気は放っておけば自然に良くなるというフィッシャーの楽観論は、世界恐慌に対してアメリカ政府が有効な手を打たなかった一因にもなった。
そこでマーシャルやピグーなどのケンブリッジ学派が、新古典学派を批判することになる。

ちなみに景気循環の波はフラクタル構造になっていて、サイズごとにそれぞれ名前が付いている。
キチンの波(40ヶ月周期)原因:企業の在庫循環
ジュグラーの波(7~10年周期)原因:企業の設備投資循環
クズネッツの波(20年周期)原因:建造物の建て替え
コンドラチェフの波(50年周期)原因:技術革新



日本経済の発展

戦後復興期(1945~55)
経済の民主化(農地改革、財閥解体、労働改革)
アメリカによる復興援助(ガリオア・エロア資金)
日本政府は、限られた労働力と資金を、石炭、鉄鋼、肥料などの基幹産業に重点的に投入する傾斜生産方式をとった。
当時の日本は100%を超えるハイパー・インフレが起こり、その後も経済復興のために復興金融金庫が紙幣を大量に投入し、それがまたインフレを呼ぶ悪循環となった(復金インフレ)。
これを解決するために49年ドッジ=ラインという、復興金もアメリカの援助も断って、1ドル=360円の単一為替レートでやっていこうという、超均衡財政が組まれたが、今度は逆にデフレになり不況(安定恐慌)を招いてしまう。ちなみにドッジというのは占領軍の顧問銀行家(ドッジさん)の名前。
踏んだり蹴ったりだったが、50年に朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍の需要が上がり特需景気となって好景気を迎えることになる。
1956年での経済白書においてもはや戦後ではないという名言が誕生するほどに経済は回復した。

IMF加盟(1952)
国際通貨基金。IMFは加盟国の中央銀行の取りまとめ役で、経済的にヤバそうな国に融資を行う。
貿易の促進、加盟国の経済成長、為替の安定を目標とするが、内政不干渉の原則を守るので、国によっては融資を踏み倒したりもした。
日本は世界第二位の出資国。
設立当初は、各国に対して金1オンス(28g)=35ドルでの交換をアメリカが保障する固定相場制だった(IMF体制)。基軸通貨ドルの誕生である。

GATT加盟(1955)
関税及び貿易に関する一般協定。
自由貿易の推進、世界貿易の拡大を目指す。IMFと世界銀行IBRDと共に戦後経済を支えるブレトンウッズ体制の三本柱として設立された。
基本的には、第二次世界大戦の原因にもなった関税障壁を徐々に切り崩していくのが目標で、8回関税交渉が行われ(ラストは94年のウルグアイ・ラウンド)、その業務は95年にWTO世界貿易機関に引き継がれた。

高度成長期(1955~73)
年率10%前後の高水準の実質経済成長率を達成した時期。
その理由はいくつかある。
・海外からの技術革新
・国民の高い貯蓄率
・投資が投資を呼ぶ積極的な企業の設備投資
・消費革命と言われた耐久消費財ブーム
・安価で質の高い労働力
・輸出に有利な円安固定相場
・国民所得倍増計画(1960年、池田勇人)などの政府の産業育成政策
・企業グループ間の激しいシェア拡大競争
・アメリカを中心とする世界経済の拡大
・平和憲法による軍事費の低い負担
など。
高度経済成長により、産業構造は高度化、重化学工業が進展した。
このような産業構造の移行(第一次産業から第二次産業、第二次産業から第三次産業へと比重が移っていくこと)をペティ=クラークの法則と言う。
また所得倍増計画によって、主な働き手である男性が出稼ぎに行き、農家はじいちゃん、ばあちゃん(お年寄り)、かあちゃん(主婦)の3ちゃん農業と言われるようになった。

神武景気(1955~57)
日本最初の天皇のことで、それくらいかつて例をみない爆発的好景気

岩戸景気(59~61)
天照大神が隠れた天の岩戸のことで、それくらいかつて例をみない爆発的好景気

オリンピック景気(63~64)

と好景気が続いたが、好況により輸入が増えると国際収支が赤字になり(当時の日本は輸出をあまりしていない超内需国だったから)、そのため仕方なく金融を引き締めると不況になるという国際収支の天井による景気変動を繰り返すようになった。

OECD加盟(1964)
経済協力開発機構。
もともとは戦争でメチャメチャになったヨーロッパを復興するためにアメリカが推進した計画(マーシャル・プラン)で、1948年に前身機関OECCが誕生、本部はパリに置かれた。
その後ヨーロッパが復興すると、アメリカとヨーロッパが対等に自由主義経済の発展のために協力する機関になった・・・って外務省のサイトが言ってるw

OECDは国際マクロ経済動向、貿易、開発援助といった分野に加え、最近では持続可能な開発、ガバナンスといった新たな分野についても加盟国間の分析・検討を行っています。

こちらは経産省のサイト。ちなみにOECDにはDAC開発援助委員会という子分がいる。

さて、1964~65年の景気後退では昭和40年不況と言われ、需要不足に対して戦後初めて赤字国債が発行された。
その後、経済は持ち直し、65~70年のいざなぎ景気は、57ヶ月という戦後最長の好況となり1968年にはGDPがドイツを抜いて世界第二位になった。

ニクソン・ショック(1971)
戦後のアメリカは、世界各地にドルを流出させ、国際収支を悪化させ、さらにヨーロッパや日本が経済的に復興しアメリカの地位は相対的に低下、これらの要因でドルの価値に不信が募ると、1967年フランスは持っているドルを金に交換してもらおうと動いた。
こうしてアメリカの金保有高に不安が生じ、1968年には加盟国で金の高騰を抑えるために結成された金プール制を廃止、金の二重価格(法定価格と市場価格が独立)を実施した。
だが、これでもダメだったらしく、1971年、金とドルの交換停止をいきなりニクソン大統領が発表。ニクソン早まるな、とスミソニアン博物館に集まったG10各国は、ドルの価値を下げることに合意したが(スミソニアン協定)、これもやっぱりダメで、ブレトンウッズ体制は崩壊、外国為替市場は大混乱。
さらなるドルの切り下げが行われ、世界は変動相場制に移行した。
78年のキングストン協定では、変動相場制を再確認、SDR(IMFの準備資産から外貨を引き出す権利。最初は金だったが現在は各国の様々な通貨が集められているバスケット方式)重視で合意した。

安定成長期(1973~80年代)
高度経済成長は73年の第一次オイルショックによって終わりを迎える。
石油危機の前には1%ほどだった失業率は2%になり、インフレと景気の後退が同時に起こるスタグフレーションが起きた。
これに対抗するため、政府は厳しい総需要抑制政策を実施、二度目の石油危機が1979年に起きた時には物価は上昇しなかった。石油に依存しないエネルギーの転換、省エネルギーの技術開発が行われたからである。
その後は、年率3~5%の安定成長を続けることになった。
78年のボン・サミットでは、景気のいい西ドイツと日本が世界経済を牽引する機関車の両輪として頑張ってくれとカーター大統領に頼まれたが、ドイツは嫌がった。でも日本は同意した。

80年代には、企業は合理化を進め(省資源、省エネ)、強い国際競争力を備えた電気製品や自動車が集中豪雨的に輸出された。
これにより、欧米との経済摩擦が発生、内需を拡大する経済構造への転換を求められた。
1985年にはプラザ合意で(NYのプラザホテルでのG5の合意)によって、円高ドル安誘導が図られ、輸出で稼いでいた日本は一時、円高不況となる。
その結果、企業は外国への直接投資を行うようになり、国内産業の空洞化や、投資摩擦が起きた。
不況で落ち込んだ需要を刺激するため、政府と日銀が低金利政策を行うと、余った資金が株と土地に投機的に流れ込み、資産価格が実態(ファンダメンタル)以上に膨れ上がるバブルが起きた。
ちなみにドルの方はプラザ合意の影響で安くなりすぎてしまい、87年のルーブル合意で今度はドル高に誘導しようとしたがドルの下落は止められなかった。

平成不況(90年代~)
公定歩合の引き上げや、地価税の導入により、あっさり弾けたバブルは、銀行やノンバンク(預金業務は行わず、資金の貸し出しだけを行う金融機関。住宅金融やクレジット会社)に大量の不良債権を残した。
銀行は資金を貸し渋りし(信用収縮)、企業の設備投資は減少、所得の減少により、個人消費も落ち込み、深刻な不況が続くことになる。
これにやべえと思った日本銀行は、今度は公定歩合(現・基準貸し出し利率。94年に金利自由化が行われ政策金利としての意味合いが薄れたから名称が変更された)を下げたが、見事に流動性の罠にはまって、ついにはコールレート(銀行間金利)をゼロにする、ゼロ金利政策(98~)までやったが、大した効果は現れなかった。
現在は3回目のゼロ金利政策を実施中。

ペイオフ解禁(1995~段階的に実施)
政府によって全額保護されていた銀行預金が、金融機関が潰れた場合1000万円とその利息分しか保護されなくなった。
これにより破綻した銀行の預金を預金保険機構が肩代わりすることになった。預金保険機構は破綻した銀行の合併に関して、資金援助や不良債権の買い取りも行うことができる。

金融ビッグバン(1996~2001)
金融システムの大改革。サッチャーの証券制度改革ビッグバンにちなむ。
フリー・フェア・グローバルをスローガンに実施。
平たく言うと東京市場をウォール街みたいにするってこと。
日本(旧大蔵省)はこれまで弱い金融機関に足並みを合わせる護送船団方式をとっていたが、これからは弱い者の面倒は見ないよ~んって感じ。
自由に競争する時代になり、外国の金融機関が破綻した日本の金融機関を買収することも可能になった。
2001年には金融庁が設立している。

政治学覚え書き⑪(地方自治)

 政治学覚え書きシリーズ、今回は地方自治体。

地方自治は民主主義の学校である。
イギリスの政治家ジェームズ・ブライスの言葉。住民が身近な地域の政治に参加することで、民主主義を運用する能力が学べるから。
地方行政を地域住民自らが行う考え方を住民自治と言い、イギリスで発展した。
また、中央政府から独立した地方公共団体が自主的に行政事務を行う考え方を団体自治と言い、こちらはドイツで発展した。

地方自治の民主化
戦前の大日本帝国憲法には、地方自治に関する規定はなく、地方は中央政府の指揮、監督下にあった。知事は天皇に任命される官選知事で、内務大臣によって監督される官吏だった。
日本国憲法によって、地方自治が制度的に保障。地方自治法が憲法とともに施行された。
①住民自治の保障
地方議会議員、首長が直接選挙で選ばれるように。
住民投票(レファレンダム)、条例の制定・改廃請求(イニシアティブ)、議会の解散請求、首長、議員の解職請求(リコール)などの直接請求権も認められる。
②地方分権の進展
内務省が廃止。地方議会が中央政府から干渉されずに条例を制定できるように(条例制定権)。

地方公共団体の種類
普通地方公共団体:都道府県と市町村
特別地方公共団体:特別区(東京23区)地方公共団体の事務組合(事業の共同処理をするために結成)、財産区(公の施設や財産の運営処分のために結成)、地方開発事業団など。

政令指定都市
人口50万人以上の大都市のこと。人が多いため、市をさらに区に分けて行政サービスを行うことができる。桃太郎電鉄的に紹介すると・・・
北海道の札幌!
宮城県の仙台!
埼玉県のさいたま!
千葉県の千葉!
神奈川県の横浜、川崎、相模原!
新潟県の新潟!
静岡県の静岡、浜松!
愛知県の名古屋!
京都府の京都!
大阪府の大阪、堺!
兵庫県の神戸!
岡山県の岡山!
広島県の広島!
福岡県の福岡、北九州!
熊本県の熊本!

議事機関
教科書によっては議決機関。都道府県議会と、市町村議会がそれで、ともに一院制。
議員は住民の直接選挙。任期は4年で、解散やリコールがある。
主な仕事
・条例の制定、改廃、予算・地方税・使用料の決定
・議長、副議長、選挙管理委員の選挙
・副知事、副市町村長、監査委員、公安委員を知事が任命する際の同意
・住民の請願の受理

不信任決議
議員の3分の2以上が出席し、その4分の3以上が賛成すれば可決。
不信任決議が通ると、首長は10日以内に議会を解散、もしくは辞職しなければならない。
また解散後最初に召集された議会で、再び不信任の議決をされた場合は、首長は辞職しなければならない(首長選挙やり直し)。

執行機関
大統領制と一緒で首長制を取るので、首長が単独で執行機関になる(機関なのか?w)。
任期は大統領と一緒で4年で、議会の不信任決議による辞職やリコールがある。
首長の下には副知事や副市町村長、地方公務員の会計管理人がつく(改正地方自治法が施行される2007年までは出納長や収入役が、その仕事を担当していた)。
主な仕事
・地方税の徴収
・議案の提出、予算の調整・執行、決算の議会提出
・治山治水、社会資本の建設
・教育、保健・衛生、社会保障、警察・消防の仕事
・戸籍・外国人登録の事務

拒否権
首長は、議会の議決が気に入らないときは、大統領のように10日以内に拒否権を行使して、再審議を議会に要求できる。
しかし議会が出席議員の3分の2以上のの賛成で再議決すれば、その条例や予算はそのまま成立する。

行政委員会
首長の独断や党派的支配を避けるために首長の下に設けられた独立機関。
以下いろいろある。

教育委員会
首長が任命。メンバーは5人(都道府県)、3~5人(市町村)。学校など教育機関の管理。
大津いじめ事件などで、教育委員会を独立機関ではなく、首長の指揮監督下においてしまったらどうか?という話もあり、今最も目が離せない行政委員会になっている。

公安委員会
市町村には存在しない。3~5人を知事が任命。警察の管理、運営。

選挙管理委員会
都道府県、市町村、ともにメンバーは4人で議会が選挙で選出。選挙に関する事務を管理。

人事委員会
都道府県、市町村、ともにメンバーは3人で首長が任命。地方公務員の人事行政を行う。

農業委員会
都道府県、市町村、ともにメンバーは約20人ほどで、首長に選ばれる選任委員と、選挙で選ばれる公選委員がいる。自治体によって人員の数は違う。

監査委員
首長が任命。メンバーは4人(都道府県)、3~1人(市町村)。地方公共団体の行政、会計監査が仕事で、彼らは委員会を作らない。

直接請求権
住民が署名を集めることで、条例の制定や改廃、監査請求、議会解散、リコールなどを要求することができる。
必要署名数は、イニシアティブと監査は有権者の50分の1だが、それ以外は3分の1も署名を集める必要がある。さらに有権者が40万人を超える大都市で3分の1の署名を集めるのは、現実的にかなり難しいので、40万人をオーバーした人数に6分の1をかけて出た数と、40万人の3分の1を足した数だけの署名となる。
署名が受理されても、今度は議会の同意や、住民投票にかけなければ実行はされない。自治体によっては中学生にも住民投票をさせたりしている。まさに民主主義のスクール。
①イニシアティブ(必要署名数50分の1)
首長に署名を提出。首長が議会にかけて結果を公表。

②監査請求(必要署名数50分の1)
監査委員に提出。監査結果を公表、議会、首長にも報告。割と実現しやすいので、時々本当に問題が発覚したりする。

③議会の解散請求、リコール(必要署名数3分の1)
この人たちは選挙によって選ばれているので、選挙管理委員会に提出。その後住民投票が行われ、過半数の同意があれば解散、解職。

三割自治問題
国税収入:地方税収入=7:3
でも地方の10割自治を目指すと国税収入がゼロにするしかなくなる。
依存財源:自主財源=7:3
これも地方の仕事をすべて地方税で賄えば10割自治ということになる。
『補訂版政治学』の地方自治(第13章)担当、真渕勝氏によれば、税収レベルでは中央:地方の比はおよそ2:1なのに、歳出レベルで見ると1:2に逆転しており、日本の地方自治体は非常に多くの仕事をしていることになると言う。
特に地方が中央から委託されている仕事を団体委任事務、機関委任事務といい(前者は地方政府全体に委任、後者は地方政府の特定の役職者に委任。現在は廃止されて法定受託事務に)、この仕事を中央や民間にどれだけ明け渡すかも、地方分権の大きな問題と言える。
主な法定受託事務には、戸籍事務、旅券の交付、生活保護の決定と実施、国政選挙などがある。

地方分権の推進
1999年に地方分権一括法が制定され、これまでの中央集権から、地方の独自性を打ち出した地方分権をさらに進めていく流れになった。
これは日本だけでなく世界的な流れであり、冷戦の終結によって地方自治体が中央政府とは異なるイデオロギーを打ち出すような危険性がなくなったことが大きいという。
さらに日本では自民党の55年体制が崩壊、自民党が長期的に与党を担うことが不確実になり、分権改革を進める動機が自民党側にも生まれた(中央から地方へ補助金を誘導するという“利権”が、流動的な政局ではいつライバル政党にの手に落ちるかもわからないから)。

三位一体の改革
2000年の地方分権改革は、国と地方の事務配分や、関与の仕方をめぐって争われていたが、2001年では放置されていた財政問題をいよいよ取り上げた。
「聖域なき構造改革」の一環として小泉さんが打ち出したのが三位一体の改革で

①地方交付税の縮減
②国庫補助金(使い道を国から指定されるお金)の廃止削減
③国税の基幹税目(所得税)を地方自治体(住民税)に移譲

という3つの改革を同時に実行しようとした。

財務相は国税を確保したいので①と②には賛成したが、③には反対。
総務省は全国知事会の支援を受けて、②と③は賛成したが、①には反対した。
事業省庁は族議員の支持を受け①と③には賛成したが、②には反対した。

見事に三すくみになってしまったが、事業省庁の補助金削減を共通目的とし、財務省と総務省が取引(財源移譲の規模と税目を調整、一時的な交付金制度を導入)をし、財務・総務のタッグVS事業省庁のバトルとなった。
結局①は削減額5.1兆円、②は削減額4.7兆円、③は移譲額3兆円となった。
この改革は、第一次安倍内閣になると「地方自治体に疲労感が蔓延している」と、地方税制改革を取り止め、地方分権の推進は中央省庁の出先機関を整理することで進めようとしたが、2007年に自民党が政権から下野し、この改革も頓挫した。
その後、民主党の原口一博議員が総務大臣になり「父権主義との戦い」を高らかに宣言したが、結局どうなったんだべか。

政治学覚え書き⑩(司法府)

 三権分立ラストは司法!な・・・長かった・・・

司法府(裁判所)

すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される(憲法76条)。

司法権の独立
・・・ということで司法権は独立していることになっているが、システム上やっぱり圧力をかけることは原理的には可能。
国会:国政調査権で裁判の内容に圧力
上級裁判所:最高裁判所が下級裁判官を指名するので、その作成名簿で圧力
内閣:最高裁判所の裁判官を任命するので、圧力
世論:マスコミや大衆の裁判批判で圧力

大津事件
1891年、大津市の警察官がロシアのニコライ2世を切りつけた暗殺未遂事件。
ロシアを恐れた日本政府は、その警官を死刑にしちゃえ!と超法規的措置を取ろうとしたが、司法が法律と判例にのっとって、無期懲役を命じ、政府の求刑を退けた。尽力したのは大審院院長、児島惟謙(こじまこれかた)
近代日本法学史上重要な事件と言われる。
そういえば、中国の漁船衝突事故も似たようなケースだった気がするけど、あっちは司法は負けちまった(^_^;)

裁判官の任免
最高裁判所長官:内閣が指名、天皇が任命
最高裁判所裁判官:内閣が任命、天皇が認証※指名なし!
下級裁判所裁判官:最高裁判所が指名、内閣が任命

裁判所の種類
裁判所は最高裁判所と、それ以外の下級裁判所の2種類のみ。
戦前には、行政裁判所や、皇室裁判所、軍法会議があったがすべて廃止。
現在の裁判所は4階級あり、その中で三回まで裁判が受けられるので、四級三審制と言われる。

①最高裁判所
設置数は1(東京)。
違憲立法審査の終審裁判所=憲法の番人
長官と、判事の計15人体制。

②高等裁判所
設置数は8。控訴・上告審。内乱罪だけはここで第一審。3~5人の裁判官による合議制。

③地方裁判所、家庭裁判所
設置数は共に50。一般的な事件の第一審。
地方裁判所は、裁判官一人の単独裁判だが、特別な場合は合議制。
家庭裁判所は家事審判、家事調停、少年事件を担当、単独裁判だが、特別な場合は3人の合議制。

④簡易裁判所
全国に438。
民事では140万円を超えない請求、刑事では罰金以下の刑に当たる罪を担当。単独裁判。

上訴
一回目を控訴、二回目を上告という。

再審制度
判決が確定したあとに、判決を覆すような重大な欠陥が出たとき、裁判をやり直すこと。
無実なのに長期にわたって被告人にされたことを冤罪という。

民事裁判
市民同士の争いを民法、民事訴訟法などによって裁く。

刑事裁判
国が公益の代表として犯罪の処罰を求める。刑法、刑事訴訟法による。

行政裁判
民事裁判の一種。
行政官庁と市民のあいだの紛争に関する裁判。
行政事件訴訟法による。『合い言葉は勇気』のフナムシ開発の裁判はこれ(県を訴えた)。

分限裁判
裁判官は行政機関が懲戒処分を行えないので、司法部内で行う裁判。

公の弾劾
国民は職務怠慢、職務義務違反の極悪裁判官を、国会の訴追委員会にかけることができる。
心優しきシャバレラ判事。

最高裁判所裁判官の国民審査
その人が最高裁判所裁判官に任命されて初めて行われる衆議院選挙の際に実施され、その後は最初の国民審査から10年経過して初めて行われる衆議院選挙の際に再び国民審査が行われる。
国民の投票で過半数が罷免を可とした場合は、その裁判官は罷免されるが、私の経験上これほど形骸化しているものもなく(10年以上経過しないとやらないとか)、いままで罷免された裁判官は一人もいない。

法曹三者
裁判官、検察官、弁護士。みんな司法試験をクリアしないとなれないが、日本ではその人数があまりに少ないので、法科大学院を作って法律家の養成制度を充実させようと試みられている。
検察官は、検察庁に属し、検察の不起訴処分が適正だったか審査するのが検察審査会。

司法制度改革
・刑事裁判の迅速化
・被疑者(起訴される前の人)に対する国選弁護人制度(2004年導入、2006年施行)※被告人じゃない
・法テラス(司法支援センター)の設置

裁判員制度
司法制度改革で最も大きかったのがこれ。
2009年5月から始まり、一般市民が刑事裁判に参加。
11月ごろ選挙権のある人から、翌年の裁判員候補者を抽選で選び、裁判所ごとに裁判官の名簿が作成される。この名簿に載った人には通知が届き、特別な事情でどうしてもやれない人は同封の調査票に辞退理由を書いて送り返すことができる。
その後、2ヶ月前後裁判がかかるであろう事件(それも凶悪殺人事件が多い)ごとに、候補者名簿から、裁判員候補者が抽選で選ばれて、裁判所に集められる。そこで裁判長と面接の後、最終的にもう一度くじをして、6人の裁判員が決定される。
アメリカなどの陪審員性と違う点は、陪審員が裁判官から独立して有罪、無罪の評決をするのに対して、裁判員制度では裁判員はプロの裁判官と一緒に審理にあたり(裁判員6人と裁判官3人の合議制)、5人以上の多数決で評決が決まる点(多数決には必ずプロの裁判官が一人入る)。
この制度はアメリカよりは、ドイツやフランスの参審制に近い。

政治学覚え書き⑨(行政府)

三権分立、第2弾は行政やります。

行政府(内閣)

行政権は、内閣に属する(憲法65条)。

行政国家
行政府が中心的な位置を占めている国家。20世紀から福祉国家が主流となり、国家機能が拡大(および複雑化)して政治化の時代となり、行政国家化が進んだ(行政権の優越)。これにより、立法部の役割は相対的に低下した。

ちなみに国会に提出されている法案の8割が内閣提出法案(閣法)で、成立した法律では、なんと9割になる。

内閣の主な仕事
・予算の作成
・条約の締結(承認は国会!)
・法律の執行
・国務の総理
・法令の制定
・天皇の国事行為に助言と承認
・臨時国会の召集の決定
・参議院の緊急集会の要求

立法に対して
・連帯責任
・国会の召集
・衆議院解散

司法に対して
・最高裁判所長官の指名(天皇が任命)
・下級裁判所の裁判官の任命(指名は最高裁判所!)


シビリアンコントロール
いわゆる文民統制。自衛隊(軍隊)を文民が指揮する。
内閣総理大臣と国務大臣は自衛隊制服組はなれない(現職はもちろん過去やってた人もダメ)。
逆に言えば、防衛省の官僚といった背広組は大丈夫。
でもヒゲの隊長とかがいるので、国会議員にはなれるらしい(自衛官をやめれば被選挙権はある)。
ちなみに2013年から自衛隊は官僚(背広組)ではなく、すべて制服組(統合幕僚監部)の管轄になった。

憲政の常道
大正時代の原敬内閣(1918~1921)で、立憲政友会中心の本格的な政党内閣ができ、以降、立憲政友会と立憲民政党の二大政党の党首が総理大臣になって組閣をするようになる。
この有力政党間の政権交代を憲政の常道と言う。

閣議
全大臣と、内閣官房副長官×3、内閣法制局長官だけが参加できる全会一致の会議。
毎週火曜と金曜に開かれる。
ニュースで映るのは閣議室の様子ではなくて、閣僚応接室。閣議は非公開なのだ。
ちなみに硯と筆を使ってトラディショナルに署名している(花押)。
全会一致なので、閣内不一致が起きそうな場合、総理大臣は閣僚を罷免できる。
まさに『総理と呼ばないで』。「あなたには尊敬できるところが何もない。」

内閣総辞職
内閣は任意に総辞職ができるが、必ず総辞職しなければならないのは以下の3つの場合。
①内閣総理大臣が欠けた時(大平正芳さんや小渕さんなど)。
②衆議院で不信任決議が通り、10日以内に衆議院が解散されない時。
③総選挙後初めて国会の召集があった時(それまでは前の内閣が残りの職務を続ける)。

行政委員会
政治的中立性が要求される行政において、内閣から独立して設けられる組織。
人事院、公正取引員会、国家公安委員会など。

行政指導
行政目標を達成するために個人、法人、団体に協力を求めること。
法的根拠はなく、相手の自発的な同意が必要だが、すごい圧力だと思う。
行政機関は、広範な許認可権を持つため、行政運営の公平性、透明性を確保する目的で、行政手続法(1993~)や情報公開法(1999~)などが制定された。

オンブズマン制度
行政の違法、不当な活動を中立な立場で調査し、是正措置を勧告する行政監察官のこと。日本では地方自治体には認められているが、国政にはない。
オンブズマンに当たるのが総務省行政評価局になるけど、行政機関の一部であり独立性に欠ける。ちなみにEUにはある(もともとスウェーデンの言葉で「代理人」という意味)。

行政改革
機能的で合理的な組織にするために、行政機構の整理と中央省庁の行政権限が縮小された。
省庁再編(2001)では、1府12省庁体制になった。
各省庁と深いパイプを持っている特殊法人のあり方についても改革が求められ、国立大学の独立行政法人化や、道路公団、郵政民営化などがそれ。官から民へ。中央集権方地方分権へ。
ちなみに首相を補佐するスタッフの数は増強され、国会議員から選ばれる副大臣大臣政務官のポストが増えた。
これにより政務次官政府委員制度(国務大臣に代わり官僚が国会で答弁できた)が廃止された(官僚政治からの脱却=政治主導)。

ニューパブリックマネジメント(NPM)
民間の効率的な経営手法を、行政組織の運営に積極的に活かそうとする考え方。
早い話、民間に学べ!という実践の理論。以下三つある。

①強制競争入札&市場化テスト
行政組織にも民間の競争原理を持ち込む。イギリスの地方自治体が実施。
つまり地方公共団体が入札を行い、民間企業だけではなく、自治体の担当部局も入札に参加する。落札できなければ、その仕事は民間に奪われる。入札対象は、道路、下水道、ゴミ収集、学校給食、公園の維持管理、さらには法律関係事務、建設設計、情報処理、人事、財政!にまで拡大された。
地方自治体だけでなく中央省庁も、市場化テストということで92年に導入。半分以上の業務が民間に落札されている。
これにより経費節減屋、目標やサービス範囲が明確化された。

②エージェンシーの設置
政府の行政執行機能を独立した機関(エージェンシー)に移譲すること。
政策の企画立案は政府がやり、具体的な実施の方はエージェンシーに担当させることで、
企画立案部門が実施部門の仕事を客観的に評価することが目的。
エージェンシーは「刑務所庁は重罪犯の脱獄をゼロにします!」みたいに、努力目標を数値化し、業績を所管の大臣だけでなく議会に報告する。
日本では独立行政法人がこれに近いが、実施機能の分断という面では疑問が残る。

③プライベート・ファイナンス・イニシアティブ(PFI)
民間企業のノウハウを社会資本整備に活用させるため、公共資本を民間所有にする。
つまり民間委託ではなく、さらに進んで公共施設の所有まで民間に任せてしまう。
効率化という点では合理的だが、これのNG例として『キャピタリズム~マネーは踊る~』ではPAチャイルドケア社の事件を取り上げていた。

NPMには問題がある。それは、行政の活動は一元的な尺度で測れないからだ。
例えば警察が数値目標に固執しすぎて、法の執行を厳格にしすぎると、かえって秩序が悪くなるというディレンマが発生する。
学校だって、校内の平均点を上げるために、勉強が苦手な子は全国テストを受けさせないようにするかもしれない。行政全てに、このような成果指標も持ち込むのは、ムーア監督が言うように危険なことでもあるのだ。

内閣総理大臣
日本の総理は、強力なリーダーシップを発揮するトップダウン型ではなく、調整型の政治指導を行なう受動的リーダーシップが特徴であるとされている。
受動的リーダーシップとは、自分自身の明確なビジョンを実現させようとするのではなく、その時々に起こる問題に対処するために行動を起こすタイプのリーダーを指す。
もちろん中には、強力なリーダー(政治的リーダーシップ)もいて、ワンマン宰相吉田茂、昭和の妖怪岸信介、永田町の変人小泉純一郎あたりは、これに当てはまらないが、気配り一番と言われた竹下登首相(汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう)などはまさにこのタイプ。でも10年かかっても誰も導入できなかった消費税を実現したんだけどね。
また、受動的リーダーシップは必ずしも悪いものではなく、ドイツやイタリアにも見られるし、実際、日本の政治に一番似ていると言われるのはイタリアの政界らしい。

PM理論
リーダーシップのスタイルを分類する理論の一つで、社会心理学者の三隅二不二が提唱。
目的志向型の総理をP(パフォーマンスファンクション目標達成能力)型、組織配慮型の総理をM(メンテナンスファンクション集団維持能力)型としている。

エリス・クラウス
日本の戦後政治が専門の政治学者エリス・クラウス博士は、総理大臣の指導力を決める要因を次の三つにまとめた。

①制度的コンテクスト
②マスコミに対するイメージ管理
③国際関係と外交舞台


欧米よりも一歩遅れて近代化をしてきた日本では、官僚の影響力が大きくなりがちで、各大臣は首相の代理人ではなく官僚の代理人になる「官僚内閣制」であった。
また族議員の影響力が大きかった自民党では、彼らの論理が広範な利益を考える首相の障害になることもあった。
二つ目に、ぶっちゃけ日本のマスコミはこれまであまり首相に注目してこなかった。記者クラブでは、首相がテレビで直接国民に語りかけることに抵抗を示したのだ。
最後に、外交は首相のリーダーシップを示す絶好の機会であるものの、反面ここで失敗をすると政権にとっては致命的な打撃になってしまう。
この3つが複雑に作用しあって、総理大臣の指導力は決定されているらしい。

とはいえ、21世紀に入ってから、総理を取り巻く状況は変化している。
まず衆議院選挙が中選挙区制から小選挙区制になったことで、族議員とそれに伴う派閥の影響力が衰退した。また、2001年の省庁再編によって少数だった首相スタッフは飛躍的に増加し強化された。
さらにマスメディアの報道姿勢に変化が起き、テレビに政治家が出演し公的な問題を討論するようになった(ニュースステーションとか)。
小泉首相時代には、「首相の大統領化」なども言われたが(首相公選制)、反面ポピュリズム政治に陥る懸念もある。

官僚制(ビューロクラシー)
まあいろいろ叩かれている官僚制。
マックス・ヴェーバーは「最も合理的な組織形態である」と評し、もちろん良い面だってたくさんあるけれど、システム上どうしてもつきまとう問題がある。

①繁文縟礼
規則を強調しすぎて、官僚の行動が硬直化すること。ミスタースポック化。
つまり規則に従うことが自己目的化されてしまう。
この柔軟性のなさが国民に不満を抱かせ、これに対処するためにまた規則ができて・・・の悪循環。

②セクショナリズム
専門性を高める分業方式によって(テクノクラート)官僚制全体の利益よりも、自分が所属する組織の利益を優先させるようになってしまう。
さらに分業による能力向上を維持すると、人事異動が減るので、さらに下部組織独自のイデオロギーができてしまう。なんか封建制度みたいだなw
その結果、下部組織同士に利害の対立が生まれてしまう(派閥争い)。

③管理化
上司が規則を強化しすぎると、部下の反発を招く。
そして部下は規則に抵触しない範囲で職務をサボる。その結果さらに規則が強化され・・・の悪循環。

官僚の類型
これが学校の先生にも置き換えられて楽しいw

①国士型官僚
政治の上に立ち、社会(利益集団)とは距離を置くタイプ。
オレ達官僚だけが国益を考えているんだ!という熱いオラオラ系。
1960年代まではほとんどがこれ。責任感が強いが独善的になりやすい。

②調整型官僚
政治も社会も見下さず、どちらの意見も取り入れ、利害の調整を行うタイプ。官民協調。
1970年以降現れ、90年代では最も主流。
柔軟でバランスが取れているが、妥協案(落としどころ)を見つけるために、当事者の(とても公表できないような)、かなりプライベートな情報を知る必要があり、人との交際において公私の区別がつかなくなってしまう。90年代に相次いだ官僚の不祥事は、このタイプが引き起こした。

③吏員型官僚
政治の下につき、社会とは距離を置くタイプ。
自分の与えられた仕事だけを機械的にこなす。公務員のイメージ。
利害調整は政治家の仕事だろって。
命令には忠実だが杓子定規になりやすい。
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