政治学覚え書き⑯(国際連合)

 あの政治学覚え書きが二年ぶりにまさかの復活。なんか国連がすっぽり抜けていて(覚え書き⑫に入っていると思い込んでいた)、改めてここにアップしておきました。
 しかし、なんか最近は政治的な話題に興味なくしちゃって、なんというか政治の場にさらに知性がなくなっちゃった感じがするよね。
 在りし日のパキPさんがよく言ってた最終的には殴り合いっていうのを、本当にニュースで噛み締めてんなあっていうwまあプロデューサーも比喩として言ってるんだろうけど、やっぱどんな種類のステートメントでも(それこそ暴力反対でも)政治的な戦いに勝つにはイデオロギーにするしかないからね。

 んでさ、ここまでひどいのっていつだったかなって振り返ってみると、小泉政権の時なんだよね。つまり圧倒的な力で野党を蹴散らしちゃうような長期政権になっちゃうと、為政者にもゆるみというか奢りみたいなのが出てきて、もう国会でいちいち対話するのもめんどくせ~みたいなゴリ押しをしだすんだろうね。
 まあ内幕はもっと複雑で、安倍さんは安倍さんで人知れず苦労してたり、共謀罪法案もなんか事情があるのかもしれないけどさ。
 ほいでさ、この前プライムニュースで、安倍さん肝いりの憲法改正について討論してたんだけどさ、東大の法哲学者の井上達夫さんっているじゃん。あの人がめちゃめちゃキレッキレで知的に面白かった。久々にディベートで勝てそうもない人も見たっていうw本では存じ上げてたんだけど、あんな凄まじい人だったんだっていう。

 あ、あとあれだ。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』やっと観た。すげ~よく出来てた(『アントマン』とタイ)。しかも『ゴーン・ガール』以来の劇場貸切で観れたんだけど、本当贅沢な経験させてもらったよ。
 情報過多とか不穏な事前情報あったけど(確かに前作はゴチャゴチャしすぎてた)、描かれるテーマがたった一つで、しかもそれがちゃんと収斂してるから、全然そんなこと感じなかった。というか、私がこの映画のあまりある小ネタの元ネタを知らないから、ほとんどスルーしててノイズにならなかったっていうのがあるんじゃないかってプロデューサー言ってたよ。
 確かに、そう言う意味では純粋にプロットの骨格だけ追えて、それはそれでよかったんじゃないかなっていう。それに私は、あまりデーターベース消費っていうのが好きじゃないんだよね。あくまでもストーリー、つまり人間ドラマを追求すべきだろっていうさ。で、山田洋次監督じゃないけど家族をテーマにするとやっぱり物語は締まるんだよね。見事!

 俺が矢を飛ばすとき頭は使っちゃいない。俺が使うのは心。

国際連合(UN)
地球上のほぼすべての国家(193カ国)が加盟する国際組織。主な非加盟国はバチカン市国。本部はニューヨーク。

主要機関は

①総会
全加盟国により構成される最高議決機関。
重要事項は3分の2以上の国の賛成、それ以外は過半数の賛成で決定されるが、法的拘束力のない勧告に限られる。
総会によって設立された期間には、国連環境計画(UNEP)や国連児童基金(UNICEF)、国連難民弁務官事務所(UNHCR)などがある。

②安全保障理事会
国際平和と安全に責任を負い、決定事項は総会とは違って法的拘束力を持つ。経済制裁だけではなく、軍事的措置も行える。
アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の常任理事国と、任期2年の持ち回りの非常任理事国で構成される。議決は9理事国以上の賛成で決まるが、重要な実質事項では常任理事国すべての賛成が必要になる(5大国一致の法則)。
そのため、常任理事国は一国でも反対すれば議決を拒否できる拒否権を持つ。
ちなみに冷戦時代はアメリカとソ連の仲が悪かったため、拒否権が乱発、安全保障理事会の機能は麻痺した。
また、安保理の常任理事国のメンバーは戦後から全く変わっておらず、国連分担金負担額2位の日本と、3位のドイツ(どちらも旧敵国条項によって未だに差別的に扱われている)や、地域大国のブラジル、インドを加える必要性も取りざたされているが、実現はしていない。

③経済社会理事会
国際協力を推進する機関。任期3年の54理事国で構成。
国連教育科学文化機関(UNESCO)、国際労働機関(ILO)、国連食糧農業機関(FAO)、世界保健機関(WHO)、国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD)、国連開発協会(IDA)など多くの専門機関と連携する。

④信託統治理事会
独立や自治が自国だけではできない信託統治地域を保護する機関。最後の信託統治地域パラオが無事独立したため、現在任務は終了している。

⑤国際司法裁判所(ICJ)
任期9年の15人の裁判官で構成。国家を当事者とし個人は当事者にはなれない。
また強制的に裁判に出廷させる強制管轄権がないため、裁判を始めるには紛争当事国同士の同意が必要となり、紛争解決機能は不十分である(違法なことをした国が裁判に同意するはずがないから)。
96年の、核兵器の使用は国際法違反だという勧告的意見が有名。

⑥事務局
事務処理機関で、リーダーは任期5年の国連事務総長。事務総長は国連平和維持活動(PKO)の指揮権を持つ。現在は9代目でポルトガルのグテーレス事務総長。

の計6つ。

国連平和維持活動(PKO)
ピース・キープ・オペレーション。
軍人が非武装、または軽武装でおこなう停戦監視や兵力引き離しなどの活動。
冷戦時に本来の国連軍が編成できない中でオルタナティブ的に確立された。
そのため国連憲章にはPKOについての定めがないが、国連憲章第6章の紛争の平和的解決と、第7章の紛争の強制的解決の中間的な活動なので、憲章6章半の活動と呼ばれている。
冷戦が終結すると、PKOの任務はさらに拡大・多様化し、軍人による停戦監視、兵力引き離しに加え、文民による選挙監視、復興支援活動も行うようになった。このような現在の形は、多機能型・複合型PKOと呼ばれている。
国際平和に大きく貢献したことから1988年にノーベル平和賞を受賞している。

PKOは、以下の原則によっておこなわれる。

①任意原則
活動してくれる要員は、強制ではなく、加盟国の自発的意志によるものとする。

②同意原則
当事国がPKOの受け入れに同意した上でおこなわれる。

③中立原則
どちらか一方に加担せず、活動は中立を保つ。

④自衛原則
武器の使用は自衛の場合に限る。

国連軍(UNF)
国連憲章第7章に規定。安保理が決定した軍事的措置を実行する軍隊で、各国が兵力提供などの特別協定を結ぶことで結成される。
しかし大国の思惑などもあり、実際に組織されたことは一度もない。SFの地球連邦軍的存在になっている。
※朝鮮戦争(1950~53)における国連軍、湾岸戦争(1991)における多国籍軍、アフガニスタン紛争(2001)における国際治安支援部隊(ISAF)といった国連軍的なものはあったが、これは安保理の決議に基づいて各国が自発的に派遣したもので、本来の意味での国連軍ではない。

平和維持軍(PKF)
PKO実施のために派遣される軽武装の部隊。これも自衛のために武装しているだけなので国連軍とは見なされない。
2001年のPKO協力法改正により、日本の自衛隊も参加できるようになった。

平和執行部隊(PEU)
ピース・エンフォースメント・ユニット。平和強制部隊とも言う。
伝統的なPKOの原則(同意原則と自衛原則)を変更し、当事国の同意がないまま(もしくは一方の国の要請だけでも)武力行使を前提に派遣される重武装の部隊。
本来の国連軍にかなり近く、93年にソマリアに派遣されたことがあるが、現地勢力との武力衝突が拡大し、強い反発を受けて失敗した。

人権の国際化
フランクリン・ルーズベルト大統領の4つの自由がきっかけで、人権保障を一国ではなく世界規模に拡大する流れが生まれた。

世界人権宣言(1848)
国連総会で採択。すべての国が達成すべき人権の共通の基準として宣言されたが、法的な拘束力はなかった。内容は自由権、社会権、参政権。

国際人権規約(1966)
世界人権宣言の内容を具体化し、条約として法的拘束力があるようにしたもの。
A規約(社会権規約)、B規約(自由権規約)、B規約選択議定書(人権を侵害された個人が国連の規約人権委員会に申し立てられることを規定)の3つがある。またA規約、B規約もその前提として、民族自決権を規定している。
日本は、79年に一部を批准したが、A規約の3つの点(公務員のスト権、中・高教育無償化、祝祭日の給与)を留保し、B規約の選択議定書は批准しなかった。
また89年のB規約第二選択議定書(死刑廃止条約)にも批准しておらず、死刑や拷問の廃止を訴えるNGOのアムネスティ・インターナショナルは、日本は国際的な流れに反していると非難している。
ちなみに選択議定書とは、ある条約に新しい内容を追加したり、補強したりする際に作られる文書のことで、条約と同じ効力を持つ。

難民の地位に関する条約(1951)
迫害や拷問が予想される難民を本国に送り返してはいけない(安全な第三国へ送る)というノン=ルフールマンの原則が定められた。
日本は81年に批准、その翌年に出入国管理及び難民認定法を制定し、難民認定制度を発足させた。
しかし5000人の申請者に対して在留を許可された人は100人ほどと(※14年度)、日本の難民認定は非常に厳しく、認定申請者をたびたび成田空港から強制送還している。
ちなみに政治的信条があって国から逃れる人を亡命者、政治的信条が希薄な人(戦災や災害から避難した人)を難民と言うことが多いが、日本政府のいう“難民”は政治的難民、つまり亡命者に限っており、これが日本の難民受入数が今なお低い原因となっている。
とはいえ広義の難民は全世界で6000万人近くいるとされ、特に内戦が続くシリアやアフガニスタン、ソマリアで多い。

人種差別撤廃条約(1965)
日本は95年に批准し、97年に北海道旧土人保護法を廃止し、アイヌ文化振興法を施行した。08年には、アイヌ民族は北海道の先住民族だと国会で認められた。

女子差別撤廃条約(1979)
日本は85年に批准し、国籍法を改正、父親が日本人でないと日本国籍を取得できないという父系優先血統主義から、父か母のどちらかが日本人なら日本国籍が取得できるという父母両系血統主義に変更した。
また85年には、職場での男女平等を目指し、男女雇用機会均等法が、さらに99年には男女共同参画社会基本法が成立した。

子どもの権利条約(1989)
子どもの①生きる権利、②守られる権利、③育つ権利、④(コミュニティに)参加する権利を保障した条約。
さらに、子どもの買春および児童ポルノ、少年兵、権利を迫害された子どもの通報手続きなどに関する選択議定書がある。
日本は94年に批准した。

英語科教育法覚え書き③

 英語教科書に歴史あり。伊村さんの熱い語り口がかなり面白い。教科書でここまで語れる人はなかなかいないと思う。

参考文献:伊村元道著『日本の英語教育200年』

戦前のリーダー(読本)

『ウィルソン・リーダー』
明治6年に師範学校が編集し、文部省が刊行した『小学読本』の原著。アメリカでは小学生向けの国語のテキストだが慶應義塾でも採用された。
antやboy、cow、dogなど1音節でスペルが4文字までの単語がほとんどで初心者に学びやすい。しかもABC順にbat とboy、catとcowと頭韻を踏んでいる。
文字や挿絵が綺麗で、明治20年ころまで英語リーダーの代表格だったが、内容があまりに子ども向けだったり、旧約聖書を取り上げるなど宗教色が強かったりしたため、次第に使われなくなった。

『ナショナル・リーダー』
『ウィルソン・リーダー』に次いでロングセラーとなったアメリカの教科書。
明治20年~大正4年まで東京高等師範の附属中学校などで使い続けられた。
ページの半分が写実的なイラスト(※上手い)で、題材も動物や自然が多く(機械文明など登場しない)、ちびっ子向けな印象を受けるが、内容についてはV+O+原型不定詞など高校の内容まで扱っており、第1巻ですでに受動態、関係代名詞、仮定法が登場するなど、かなりハイペースな教材配列となっている(第3巻から突然難しくなる)。
さらに第5巻になるとシェイクスピア、ディケンズ、ホーソーン、トウェインなど英米文学が目白押しで、英文科の学生でも難しいレベルになっている。
幕府の留学生の外山正一(そとやままさかず)は、これは初学者向けの教科書としては採用すべきではないと批判している。

『正則文部省英語読本』
そんな外山が理想とする教科書が、彼が明治22~23年に出したこの教科書である。文部省からでているが、国定教科書ではなく、あくまでもひとつの検定教科書である。
外山は本書の目的で「Short sentences to be committed to memory(短い文の記憶)」や「very simple dialogues(とても単純な会話)」を取り上げることで生徒の切実な要求である英語で思考すること(Think in English)を成し遂げると、述べている。
この教科書の特徴は、英語を正則で学ぶためのもので訳読のためではないこと、教科書を閉じて会話するのも大事であるが機械的な暗唱は無用であること、念入りな反復練習が重視されていることである。文法の提示のペースも外国の教科書に比べるとずっとゆっくりで、長文もたった二つという、初心者に寄り添った難易度設定となっている。
しかし、当時の訳読中心の英語の授業において、口頭練習中心のこの教科書の人気は低く、面白くないという不名誉な烙印を押された。
彼が作ろうとした、読解力要請のための「リーダー(読本)」から、外国語学習のための「コース(教本)」へという流れは、現在でこそ多くの支持を得ているが、当時は日本はおろか海外でも取り入れられておらず、理解されなかったのである。

Think in English
ところが、この36年後、文部省英語教授顧問として来日したパーマーが外山の『正則文部省英語読本』を再評価することになる。
パーマーは外山の哲学をそのままに『Think in English』というタイトルの教科書を作り、これは今日の英語教科書の原型となった。
彼の教科書の編集のポイントは、中学生の精神年齢に合わせること、現在使われている英語の語彙や文体を採用すること、易から難へスムーズに配列すること、教材の範囲を偏りのない物にすること(文学だけではなく社会的、科学的な題材も取り上げる)、全体のカラーを統一することなどである。
しかし、この全5巻の教科書は、第1巻は超簡単だが、2巻になると突然難しくなり、第5巻に至っては『ナショナル・リーダー』を遙かに上回る難易度になっている。具体的にいうと、最初の1年で現在の中学校3年分の学習内容を、2年目で高校3年までの文法をすべてやってしまうというすさまじい物だった。
また、3巻よりも2巻の方が難しいなど、難易度に安定性がない。これはこの教科書が編集者の勘と経験で作られたことを物語っている。
しかし、パーマーは生徒用、教師用に贅沢なほど付属教材を用意した(Reader System)。これは現在最も完備された教師のマニュアルでも足下に及ばないレベルであった。

戦中・戦後のコース(教本)

『英語』
戦中は英語教育が禁止されていたというのは大変な誤解で、戦時中でも外国語科は健在だったし、国定の英語教科書も発行されていた。
英語の検定教科書は戦前、2000種以上もあり、その中から500種程度が採用されていたが、戦争が長期化すると資源が不足するようになり、昭和15年には各科目5種類だけとなり、とうとう1種類に限られるようになった。
当時文部省から示された要望事項は以下のような内容だった。
①親英気分を醸し出す文章はダメ。
②西洋暦の乱用はダメ。
③英米の物質文明を謳歌させる文はダメ。
④英米を偉大と思わせる文はダメ。
⑤日本を侮辱している感じの文章はダメ。
⑥JapanはNipponにしなきゃダメ。
こうしてできた国定教科書『英語』は、表紙が富士山のイラストで、大東亜共栄圏(War of Greater East Asia)の地図や皇居への遙拝、日章旗、山本五十六、「we pray for our success in war.」「all Japanese boys are to become brave and strong soldiers in future.」など右翼きわまりなかったが、イギリスの食事やクリスマス、イソップ童話など欧米事情を取り上げた章もないわけではなかった。
実際、全体的に見ると軍事色のある部分は2割ほどで(そこが戦後黒塗りされた)、さらに日本人の書いた原稿をアメリカ人にネイティブチェックもさせていた。

Let’s Learn English
戦後初めての国定教科書。親しみやすいタイトルと体裁で、いかにも平和な香りがする本。
タイトルにリーダーとはないものの、かなりリーダー的で、教授法的にはむしろ戦時中よりも後退したが、登場人物の統一や、話題中心の単元構成は、のちの英語教科書に大きな影響を与えた。しかしこの教科書の寿命は3,4年だった。

Jack and Betty(開隆堂)
主人公のジャックとベティのアメリカンな会話が脚本のト書きのようになっている教科書で、生徒はこの2人になりきって台詞を読むことで英会話の練習をする。
著者の3人は皆熱心なパーマーの支持者で、訳読抜きの直接教授法で教えられるような教科書を目指したのである。

The Globe Readers(研究社)
教養派福原麟太郎による最後のリーダー。アメリカ一辺倒だったジャック・アンド・ベティ全盛の時代にイギリス色を敢然と打ち出した異色の教科書。
ハード・カバーの地味な表紙の堅牢な造本はリーダーの貫禄十分で、内容もレッスン1が「Adog. A big dog.」(+イギリスの少女がボクサー犬と向かい合っている写真)だけと、かなり硬派である。たったこれだけ(ピリオド入れても13文字)で何をどう教えたらよいか謎だが、イギリスにとってのイヌは、犬ではなくやはり“dog”であり、国によって各々違った感覚で読まなければならないことを伝えたかったらしい(イギリス人は非常にdogが好きで、ロンドンなどの公園のdogのsitは社会問題となっている)。
こんな感じでレッスン2はCountryだけ。レッスン3でやっとThis is a tree.というセンテンスが出てくる。またOne,one,oneやA cat in the sun.などの数え歌が取り上げられ、文章がリズミカルなのも特徴であった。

The Junior Crown English Course(三省堂)
福島の短大で英語を教えていたクラークによる教科書(ボーイズビーアンビシャスの人ではない)。ほとんど彼一人の書き下ろしで、良くも悪くも編集者の体臭が文章構成のすみずみまでしみわたり、最も個性的と評された。
主人公のトムとブラウン(2巻では日本人画家ヒロシ・カトーが登場)が日本を始め、インド、アフリカなど世界各地を旅行するという内容で、当時の英語教科書には珍しく西洋=アングロサクソン一辺倒ではなく、多言語・多文化主義のイデオロギー色が強いその内容は賛否両論があった。
表紙も従来の日本人の感覚にはないビビッドな派手な物で、二色刷のコミック風のイラスト、カラー写真、しっかりした装丁などデラックス感がすごかった。とりあえずデラックスボンバーでいいか。
レッスン1ではthis is a pen.から始まる謎の伝統を打ち破り、I have a book.というhave 動詞が先に登場し、当時は話題になった。
これは、be動詞は人称の変化が複雑な上、否定や疑問の作り方も例外的、またSVCよりもSVOの文型の方が日本語にもあるので親しみやすいだろうというクラークのねらいがあったが、そもそもthis is a pen.と話すシチュエーションがリアルにはまずないというのが最大の理由だった。
教師用の指導書の類(マニュアル、ガイド)も充実しており、これを教室に持っていけば予習無しで先生は授業ができた。

1970年代以降の教科書
56年に教科書調査官が設置されて検定が強化されると、63年には義務教育の教科書無償法と抱き合わせに広域採択制度が始まった。それまで学校ごとに採択を決めていた中学校の教科書が、地域ブロック単位となり、採択権が現場の教師から教育委員会に移った。
72年からは出版社1社に付き一種類の教科書しか出せなくなった。こうして小中学校の教科書の種類は激減し、戦争直前の5種選定(5種類の教科書候補から選ぶ)の時代に戻り、国定教科書に近い状況になった。
広域採択のために、県全体が同一教科書という県も13県あったこともあり、検定ではなく県定だというボヤキも聞かれた。
その上、5種あっても結局は営業力の強い3社のものが全体の8割以上を占めるという寡占状態で、「表紙さえあれば中身が白紙でも売れる」とうそぶく営業担当者もいたらしい(同人誌か)。
編集者も全国各地の様々な要望と、学習指導要領の縛りに応えようとしたため、教科書から個性が消えた。その上での熾烈な売り込み合戦は30年ちかくも続いた。
その中での勝ち組は、New Horizonの東京書籍、New Princeの開隆堂、New Crownの三省堂で(これがビッグスリー)、他にOne worldの教育出版、Total Englishの学校図書、Columbusの光村出版などの後発組がある。

21世紀の教科書
受信型から発信型へ、読む英語から話す英語という流れの中で、学習指導要領が学年指定を外し、重点を言語材料から言語活動に移し、実戦的コミュニケーション能力の養成を目標とした結果、教科書も従来の文法シラバスから場面シラバスへと移行せざるを得なくなった。学習指導要領の掲げる理想と実情との狭間に立って、それにどう対応していくかが、教科書関係者の今後の課題である。(172ページ)

英語学概論覚え書き⑥

 昨日の試験が撃沈したので、まさかの第6弾。今回はコミュニケーションについて。
 しかし、こういう会話の了解事項って、無意識的かつ感覚的に普段こなしてるから、改めてメタ的に考えたこともねえというか、自分の歯を噛むようなウロボロス的な難しさがあるよね。
 で、こういう言語学的な研究ってさ、いわゆるコミュニケーションに難があるような人のほうが、なんでこういう風になってんだろうとか、納得いかねえとか、対人関係のもやもやしたファジーなものの存在の輪郭を明確化してくれるというか、苦手だからこそメタ的に研究できるというか、まあ、向いていると思うよね。学者って得てしてそういうアスペ的な特性あるからね。

参考文献:長谷川瑞穂著『はじめての英語学』

法助動詞(modal auxiliary)
物事の必然性や可能性を表す助動詞。具体的にはmustやmayなどで、使い方によって以下のように区別される。

①認識様態に関わる意味
事態の現実性について話者がどのように認識しているかを表す。
He must be the youngest.(彼が一番年下のはずだ)
They may know her.(彼らは彼女を知っているかもしれない)
Alfred must be unmarried.(アフルレドは未婚のはずだ)


②拘束性に関わる意味
義務や許可を表す。
All passengers must wear seatbelts.(乗客全員シートベルトを締めなければいけない)
You may go now.(もう行っていいですよ)
Alfred must be unmarried.(アルフレドは未婚でなければならない)


また認識様態や拘束性の区別とは別に、主観的な意味と客観的な意味に分けられることもある。

③主観的な意味
あくまで主観的に推測や許可をしているに過ぎないため、(本来強い義務を表すmustが許可を表すために使われるなど)意味の強化や弱化が起きる。

認識様態タイプ
A:What has happened to Ed?(エドはどうしたんだ?)
B:He must have overslept.(寝坊したに違いない)


拘束性タイプ
You may join us with pleasure.(もちろん私たちに加わっていただいて構いません)

④客観的な意味
理論的な必然を意味する。

認識様態タイプ
If I’m older than Ed and Ed is older than Jo,I must be older than Jo.
(もし自分がエドよりも年上で、エドはジョーよりも年上なら、自分はジョーよりも年上のはずだ)


拘束性タイプ
We may borrow up to six books at a time.(一回に6冊まで本を借りることができます)

主観的移動表現(subjective motion)
主語が指している物を認識する際に、認識者の心に想起される移動のこと。

A:Your camera is upstairs, in the bedroom, in the closet, on the top shelf.
B:Your camera is on the top shelf, in the closet, in the bedroom, upstairs.
どちらも、カメラが上の階の寝室の押し入れの中の一番上の棚にあることを伝えているが、Aが徐々に視野を絞り込んでいくかたちでカメラの位置を特定していく(ズームイン)のに対して、Bでは徐々に視野を広げていく形でカメラの位置が特定されていく(ズームアウト)。

The road runs along the coast.(その道路は海岸沿いを走っている)
The road runs along the coast for two hours.(その道路は海岸沿いを二時間走る)

これは「その道」は海岸沿いを実際に走っているわけではなく、また具体的な移動物(車など)による実際の移動も表していない。しかし、これも主語を認識する者(ここでは話者)の心に移動が想起されているために、移動を意味する表現が用いられている。

また、移動は方向が違えば同じ移動とは見なされないため、同じ対象でも認識の際に方向の違う移動が想起されると、違う移動となる。
The road goes from Las Vegas to Los Angels.
(その道路はラスベガスからロサンゼルスに通っている)
The road goes from Los Angels to Las Vegas.
(その道路はロサンゼルスからラスベガスに通っている)


スピーカー・ミーニング(speaker meaning)
言語のやりとりによって話者が伝えようと意図している意味のこと。

A:誰か来たぞ。
B:今お風呂に入っているの。

では、字面通りに意味を取ると会話がかみ合ってないが、会話のシチュエーションを踏まえるとBはAに今は戸口に出られないことを伝えようとしている。
これは、文の意味そのものを発展させたわけではなく、全く別の物として導き出されるため(暗意)、こういったコミュニケーションが難しい人もいる。

他にも
A:まだランチを食べてない。
B:まだウンチを食べてない。

では、目的語の部分を差し替えただけだが、Aは今日まだランチを食べていないと解釈されるが、Bではこれまで一度もウンチは食べたことがないと解釈されるのが普通である。
こちらはコンテキストに合わせて文の意味をさらに発展させた物で明意と呼ばれる。
明意を作り出す際には、言葉の意味はコンテキストに合わせてその場限りで調整される場合があり、これはアドホック概念の形成と呼ばれる。
たとえば、I have a temperature.(私が熱がある)と、入院中の友人に言われた際も、人間に体温があるのは当たり前じゃん、とならずに、お見舞い客の相手が出来ないほど辛いんだな、自重しようと理解される。

多義性の解消(disambiguation)
複数の意味にとれる文章から、話者が意図する意味だけを選び出すこと。

たとえば、Refuse to admit them.は

A:白状してはいけない
B:入場させてはいけない


の二つの意味があるが、このあとに

What should I do with the people whose tickets have expired?
(チケットが期限切れの人はどうすべきですか?)


と答えた場合は、admitは入場を許すという意味に絞られ、Bの意味が選ばれる。

直示表現(deictic expressions)
this、that、here、I、youなど発話の場面を参照しないと、それが何を指しているか決まらない表現。
ただ、言語表現は不足する内容について完全に無指定ではなく、どういう種類の内容を補うべきかある程度は決めてくれるため、その指定に合う内容を推論により埋めることができる。このプロセスを飽和(saturation)という。

自由拡充(free enrichment)
明意を特定する際に、言語表現によってはまったく指定されていない内容がコンテキストに基づいて推定され、付け加えられること。

たとえば、
Mary took out the key from her coat pocket and opened the door.
(メアリーはポケットから鍵を出し、ドアを開けた)

Mary took out the key from her coat pocket and then opened the door with the key.
(メアリーはポケットから鍵を出し、“それから、その鍵で”ドアを開けた)

と、“”の部分を推論によって付け足すことができる。

 そういえばさ、去るゴールデンウィークにネットで『秘密結社鷹の爪』の動画をシコシコ見てたんだけどさ、悪の秘密結社と正義のヒーローがマンネリの果てに馴れ合いになっちゃって、どうにかしようってエピソードがあってさ、これがめちゃめちゃ面白くてさ。
 悪の秘密基地にヒーローがスプーン持参でカレー食べに来るんだけど、「ふ~食った食った。じゃあとりあえずデラックスボンバーでいいか」って言うんだよ。このセリフがツボに入っちゃってさ。ぜひ動画を見て欲しいんだけど、このセリフってよく考えると、二通りの意味があるよなっていう。
 ひとつめは、自分自身に対する内言として、(めんどくせえからデラックスボンバーで済ましちゃえ)みたいに言ってるっていうパターン。
 もうひとつが、鷹の爪団に対して「とりあえずデラックスボンバーでいいか?」って尋ねているっていうパターンで、個人的にはこっちのほうがずっと面白いんだけど、アテレコの感じだと判断がつかないんだよね。でも、私はこっちの意味でとって大爆笑したんだけど。だって、「必殺技撃っていいか?」って聞いて、敵が「うん、いいよ」っていうわけないじゃんw(しかもカレーご馳走になっておいて)
 こういうセリフ回しの面白さっていうのが、漫画なんかの醍醐味で、それこそ小さいフキダシのセリフを何十回も訂正したりするんだけどね。これはね、とどのつまり作り手のセンスで、ない人にはないんだよね。

英語科教育法覚え書き②

 明日の試験やべえ。もはや戦後ではない!

参考文献:岡秀夫編著『グローバル時代の英語教育―新しい英語科教育法―』

ESLとEFLの違い
ESLはEnglish as a Second Languageの略称で英語を母語(第一言語)ではなく、第二言語として習得することである。世界に10億人いるといわれる。
これに対してEFLはEnglish as a Foreign Languageの略称で外国語である英語を国際コミュニケーションにおけるツールとして習得することである。世界に7億人いるといわれる。
ESLが、話者が所属する社会で英語が実際に使われ、豊富なインプット・アウトプットの機会があるのに対し、EFLでは、日常生活で英語を使用する場面は少なく、学校の一教科にとどまるという相違点がある。そのためEFLで扱う英語は、実用的な形というよりは世界的に標準化された形の目標言語であることが多い。

語彙を増やすための活動
語彙に関する知識は単語力といわれ、語学力最大の源とされる。文法をいくら学んでも、英単語の知識を一定量持っていなければメッセージを伝えることはできない。
一般に、使用頻度の高い2000語程度を知っていると、普通の英文や対話で接する英語の85%以上が理解できるといわれている。
とはいえ、語彙指導の重要性が見直されたのはつい最近のことであり、現在でも語彙指導は英語学習の中心にはならず、英日対照の語彙リスト(フラッシュカードなど)を使った反復学習、記憶学習にとどまっている。この背景には、個々の語に関する知識を深める前に、まずは知っている語彙の量を単純に増やすことが優先されるという現状がある。
しかし、語彙を理解し実戦的に活用するためには、語形(発音やスペル、接辞の区別など)、意味、使用方法など、知っている語の数(語彙サイズ)だけでなく、その知識の深さも要求されることはいうまでもない。
したがって、ある語をイメージ(画像)や和訳、他の語に関連づけたり、意味地図を作ったり、実際に会話で用いたり、英英辞書の要領で定義付けしたり、語形成の情報や文脈から語の意味を推測したりするなど、様々な活動やアプローチが必要になる。
教師に求められるのは、生徒の実情に合わせて単語の覚え方の工夫(新語の効果的な導入方法や、語彙の再利用などを含めた言語活動など)を考え、それを学生に教える事なのである。

フラッシュカード
フラッシュカードは英単語を覚えるために用いる、表に英単語、裏にその日本語訳が書かれた、縦15センチ、横40センチほどの厚紙である。
フラッシュカードは新出単語の導入時だけでなく、復習や整理でも使え、また、日本語を見せて英語を答えさせたり、提示時間を変更することもできる。この提示時間を短くすればするほど、生徒が求められる反応速度は上がる。単語を見て意味へのアクセスが素早くできることは、リーディング力の基礎とされているので、授業で効果的に活用したい。
だがフラッシュカードは、比較的単純な情報を、信号刺激的にたくさん記憶する教具であり、一度やっただけではその情報は短期的にしか記できず、すぐに忘れてしまう。
そのため、授業時間以外でも、生徒それぞれに個人用の小さなフラッシュカード(単語カード)を用意させ、それを使って継続的に単語を反復学習させることが望ましい。

スキミングとスキャニングの違い
skimmingは「すくい読み」という意味で、英文(初めて読む物であることが多い)全体の大まかな内容を短時間で読みとる活動である。その文章の主題や、5W1Hといった情報、物語であれば登場人物やストーリーに注意して読みとる。
これに対して、scanningは「探し読み」という意味で、特定の短いテキストを何度も繰り返し読み取り、必要な情報を探し出す活動である。
英語で質問を与え、それに答えるために読ませたり、内容に関する文の真偽テスト(True/False)や、表を完成させるために行う場合もある。

GTM(グラマー・トランスレーション・メソッド)
15世紀頃までヨーロッパの知識階級の間では古典ラテン語が共通語(リンガ・フランカ)として用いられていた。16世紀に入っても学校では知的鍛錬の目的でラテン語が教育され、そこでは内容を解読することが目標とされ、文法法則の理解と忠実に母国語に翻訳する技術が磨かれた。
日本においても江戸時代まで漢学や蘭学の学習が解読中心でこの教授法に似る。また明治期の欧化政策においても取り入れられた。

特徴
英文テキストを日本語に訳することが活動の中心になるため、授業は主に日本語でおこなわれる。
教師は和訳しながら英文を読み進め、その過程で文法や語句の解説をし、忠実な和訳を求める。
生徒は教師の解説をノートに取る。一通り読み終えると、文法規則の定着を図るため、和訳、もしくは英訳の演習がおこなわれる。

長所
複雑な文法構造の理解や、翻訳が難しい意味内容の解説など、高度な教材を扱うことができる。またふたつの言語を比較対照できるので、言語に対する分析力を高めることができる。教師中心の指導法なので大人数のクラスでも実施しやすい。

問題点
音声指導、あるいは英語を使った言語活動が軽視されがちである。
文法、書き換え、語句の丸暗記の是非が学習評価になるので、英語そのものを使う能力が育たず、自分が言いたいことや書きたいことを英語で表現できない。
文法訳読法一辺倒であるため、リスニングやスピーチングの育成が不十分となり、実際に外国語を使ってコミュニケーションをとる能力を要求する場面では、批判を受けることが多い。
文法の理解と和訳、語句の定着が同時並行で進められるため認知的に負荷が重い。よって基礎学力と動機付けが高い学習者と、そうでない学習者の間で学力差が広がる。

実際の授業においてどのように展開すべきか
授業の指導手順の中で、読みながら文法指導をおこなうのではなく、あらかじめ意味を理解した上で文法指導をおこなうことで、認知的な負荷を軽減させる。
また読解指導では、和訳によって内容理解をするのではなく、英文の理解の補助として母国語を使うと考えた方が建設的である。
全訳を前もって生徒に渡し、内容理解を手早く確認した上で、残りの時間を言語活動や文法指導にあてることも一案である。また、書き言葉だけではなく、口頭作業を絡めると活動が生き生きとする。

CLT(コミュニケ-ティブ・ラングエージ・ティーチング)
EU設立による外国語教育の統一化と、「すべてのヨーロッパ人をバイリンガルに」というスローガンのもと、主要な言語を実際的なレベルにまで教える必要性が生まれたことで登場した学習法。

特徴
コミュニケーション能力を身に付けることを目的におこなわれる授業の総称。
文法項目の習熟よりも、目標言語の積極的活用に重きを置く。また、言葉の正確さよりも流ちょうさが重視される。
指導手順は①教材提示②内容理解③限定的基礎学習④発展練習⑤教材の枠を超えた応用練習、という流れをとる。
その為の手法として、ロールプレイや、プラスワン・ダイアローグ(モデル対話文にない一文を加えさせる)、インフォメーション・ギャップ(話者双方の知っている情報に差異をつけてやりとりさせる)、問題解決型練習などが挙げられる。

長所
流ちょうな発話能力が伸ばせる可能性がある。

問題点
語彙や文法の正確さに弱点があり、バランスの取れた運用能力が育てにくい。
コミュニケーションの内容面の評価が一貫しない。

実際の授業においてどのように展開すべきか
教室内で展開する上で、概念・機能シラバスが有効である。これは、機能によって使われる状況と共に提示されるので、練習したことが実際の状況に転移しやすい。

直接教授法(ダイレクト・メソッド)
動作や実物、イラストなどを駆使しながら英語のみで生徒とコミュニケーションをおこない、英語で考えることができるようになることを目指す。
教師が目標言語において優れた運用能力を持っている必要があり、教科書の内容よりも教師のスキルに負う部分が大きい。
短所としては、日本語を使用しないので、生徒がせっかく持っている日本語力と認知力を利用しないことになる。その結果、生徒の理解の範囲が極めて限定的になりがちで、非効率な授業展開になる可能性がある。
これは、夏目漱石の『語学養成法』(1911年)においても「学問普及という点から考えると、やはり生まれてから使い慣れている日本語を用いるのに越したことはない。たとえ翻訳でも西洋語そのままよりは良いに決まっている」と同様の指摘がされている。

音声変化とプロソディー
音声変化は英語らしい自然な滑らかさを出すため、単音の正確な発音に加え、文全体がひとつの流れのなって伝わるための調子の変化である。
ゲッタウェイ(get away)など複数の語が結びつく連結(リンキング)、ある音が隣接する別の音の影響を受けて性質が変わる同化(アシミレーション)、同じ音や類似の音が続いた場合の脱落(エリション)、内容的にそれほど重要じゃない機能語が弱く発音される弱化(ウィークニング)などがある。
プロソディーは超文節音素と呼ばれ、母音や子音を超えたところで作用し、文全体の滑らかさに影響を与えるだけでなく、意味内容にも影響を与え、それによって文のニュアンスや話しての感情が表出される。
一つの語を構成するいくつかの音節の中で、ほかよりも強く発音される音節である強勢(ストレス)、強音節が時間的に規則的な間隔をおいて繰り返されるリズム(これは俳句のように音節の数がリズムを作る日本語のリズムとは大きく違う)、音の高低で話し手の気持ちを表現するイントネーションなどがある。

テストの問題形式
以下のように、用途ごとに区別される。

①到達度テスト
定期テストのように、日常学習してきたこと(既習事項)の到達度を測定するもの。
範囲は限定的で、教材は既知のものである。

②熟達度テスト
入学試験のように全般的な熟達度を測定するもの。目的は実力の判定で、範囲は広く、教材は初見である。

③プレースメント・テスト
学期始めのクラス分けを行うためにおこなうテスト。習熟度別クラス編成などで用いられるため、学習コースの対象分野に特化している。

④診断テスト
学習者の弱点を明らかにするためのテスト。どの分野が苦手なのかをはっきりさせるために、語彙、文法、読解など、分野ごとに問題群が分かれている。

学習ストラテジー
従来、外国語学習の研究は教授法を中心に行われてきたが、1970年代に入ると学習者の視点に立った研究へと移行し、優れた学習者はどのようなストラテジーを立てているのかに焦点が当てられるようになった(学習成功者分析)。
これを理論化したものが学習ストラテジーである。オックスフォードは、言語学習のストラテジーを直接的なものと間接的なものに分け、さらにそれを下位区分しシステム化した。
直接的方略には、知的連鎖を作ったり、イメージや音を結びつけたり、繰り返し練習する記憶ストラテジー、インプットやアウトプットをしたり、分析したり推論したりする認知ストラテジー、話すことと書くことの限界を克服する補償ストラテジーがある。
間接的方略には、自分の学習の位置づけや計画、評価をするメタ認知ストラテジー、不安を軽くしたり勇気づけるといった自分のメンタルをコントロールする情意ストラテジー、質問をしたり、他の人と協力する社会的ストラテジーがある。
これらのストラテジーは相互依存関係にあり、学習者の総合的な自律学習を促すものである。最近では、学習者が自らポートフォリオ(学習記録帳)を作成することが推奨されている。

英語科教育法覚え書き①

 超五月病。世界の中心で助けてくださいと叫ぶ(ふるい)。毎回、教科の教育法で失速するんだよな(^_^;)

参考文献:伊村元道著『日本の英語教育200年』(※意外と文章がべらんめえで面白い。)

 日本の英語教育にさまざまの問題があるのは事実ですが、それにはそれなりの理由があるのです。目先の現象にばかりとらわれないで、少し歴史を調べてごらんになれば納得できることもあるはずですが、それもしないで世間の人は勝手な熱ばかり吹いているように思われてしかたがありません。(はしがきより)

日本における英語教育の歴史
日本に英語を初めて伝えたのは、江戸時代初期に来日(漂着)したイギリス人のウィリアム・アダムズ(三浦按針)だとされているが、英語学習そのものは、江戸時代後期のフェートン号事件をきっかけに、幕府が長崎通詞数名に英語の兼習を命じたことが始まりであるとされている。
そのため、蘭学者がオランダの学問を学ぶ為に行なっていた訳読(外国の文章を日本語に翻訳すること)が、日本における英語教育の原型となっている。
そこでは、素読(意味は先送りしてとりあえず声に出して読むこと)が行われていたものの、正確な発音などはあまり重視されていなかった。

このような状況を変えたのが、来日した外国人教師だった。彼らの影響で日本の英語教育は、ネイティブの教師が正しい発音や会話表現を教える正則英語と、日本人教師による訳読中心の変則英語という二つの教授法に分かれることになった。
しかし旧制中学などの多くの日本の学校では、江戸時代から続く精読、訳読、文字言語、書き言葉中心の教授法が採用された。
これは英語による日常会話の習得よりも、まずもって西洋の進んだ学問の内容を理解、吸収することが優先されたためである。
そこでは品詞や文型といった文法から出発して和訳と多少の音読が行われていた。この形態の教授法は、現在の学校の授業でもさほど変わらず続いている。

大正時代になると、イギリスから来日した文部省英語教授顧問ハロルド・パーマーのオーディオ・リンガリズムの影響を受けるようになる。
訳読中心の従来の教授法では、英語をコミュニケーションツールとして用いる能力が十分に育たないという批判があったため、新しい教授法が求められたのである。
日本に英語教授研究所を設立したパーマーは、意味理解だけにとどめず、会話の練習を繰り返すことによって実際に英語を使えるようにすることを目標に掲げ、文章ではなく、まず音声から英語に触れ、さらに授業ではなるべく日本語を使わないオーラル・メソッドを提唱した。
これは外国人教師だけではなく、日本の教師も巻き込んだ実践的な運動だったため、日本の英語教育に大きな影響を与えた。

太平洋戦争時には、英語教育を全廃する中等学校も存在したが(※とはいえ中学校の外国語は必修科目で、英語はドイツ語、フランス語、支那語、マレー語とともに終始選択科目として許可されていた。『日本の英語教育200年』p91)、戦後になると、来日した英語教育委員会顧問のチャールズ・フリーズが再びオーラル・メソッドを展開した。その後56年になると、全国の高等学校の入試に英語が出題されるようになり、英語教師の需要は増加していった。

現在では、視聴覚機器の発達、グローバル化などの影響で、コミュニカティブ・アプローチをはじめとする次世代の教授法が数多く生まれているが、いずれの教授法も、理論や形式よりも、コミュニケーションを重視し、また教師主導から学習者中心へという共通点がある。
具体的な流れとしては、94年に英語運用能力の一層の向上を目的に高等学校の科目でオーラル・コミュニケーションが新設、08年度には小学校で英語教育が実施され、さらに20年には小学3年生から必修化することが決まっている。

学習英和辞典
日本の中学生、高校生を対象とした学習英和辞典は、親切な説明、詳しい語法解説など、アメリカのそれよりもはるかにレベルが高いものである。
日本最初の英和辞典は江戸時代後期に長崎通詞によって作られた『アンゲリア語林大成』と、文久二年に開成所(幕府の洋学教育機関)が出した『英和対訳袖珍(しゅうちん。ポケットサイズという意味)辞書』であるとされるが、前者は単語集の域を出ず、辞書の条件(アクセントや用例、例文の解説など)を満たしているとは言い難いものだった。
『英和対訳袖珍辞書』は、開成所教授方でペリーの通訳も務めた堀達之助が責任編集をした辞書で、わが国初のハードカバーの洋装本である。洋装に必要な紙やレザーの輸入が限られたため200部しか印刷できず、定価の10倍(20両)というプレミアがついた。この辞書の需要は高かったため幕府は再販を刊行し、なんと明治20年までシリーズ化された。
明治時代の代表的な和英辞典が、医師でアメリカ人宣教師だったヘボンの『和英語林集成』である。明治維新の激動期に版を重ねたため、今では国語学の重要な研究資料となっている。この辞書で初登場した言葉には、銀行、郵便、巡査、国会、民権、日曜日、女学校、授業、ペン、ポンプなどがある。

さて、初学者を対象とした、いわゆる学習辞典は、すでに明治18年に『学校用英和辞典』というタイトルの辞書があるが、内容は大人向けの辞書の語数と訳語を減らしただけの縮約版に過ぎなかった。
20世紀に、すみずみまで神経の行き届いた優れた学習英和辞典を送り出したのが、『クラウン』の河村重治郎と、『アンカー』の柴田徹士である。
英語名人という二つ名がある河村が作った『クラウン英和』は、用例中心主義のもと、語数や語義数、注釈をあえて限定し、またほかの辞書がこぞって採用した文型表示や加算・不加算の表示も、語義の流れを妨げる恐れがあるとして採用しなかった。
一方の『アンカー英和辞典』は、きめ細かい語義記述、誤りのない生きた用例、適切な語法解説など、戦後出た様々な辞書の中で最も玄人筋に好評だった辞書である。
主幹の柴田は「今までの英和辞典は見るな」をモットーに、辞書すべてに目を通し、英英辞典をもとに徹底的に手を入れて統一化を図った。
その結果、個々の単語よりも、その単語の文法での機能(統語的側面)を重視した、英作文にも役立つ辞書となった。

ALT
アシスタント・ラングエージ・ティーチャー。外国語指導助手のこと。
昭和61年に自治省が発表した国際交流プロジェクト及び、翌年の語学指導を行う外国青年招致事業(JETプログラム)により、これまで文部省の補助金で実施されていた英語指導助手(MEF)や英国人英語指導教員(BETS)が発展解消し、地方交付金による地方公共団体の単独事業になったもの。
このJETプログラムは、英語教育の振興策というよりは、日本の対米貿易黒字の解消の一環として計画され、海外での広報と募集・選考を外務省が、ALTの活用方法の指導や助言を文部省が担当するという、三省にまたがる国家的プロジェクトだった。これは明治期のお雇い外国人(先進国の学芸・技術・制度を学ぶために官庁や学校に特別待遇で招いた欧米人。ボアソナードやフェノロサなど)に匹敵する規模だった。
また、これまでのMEFは各県に一人か二人しかおらず、そのため学校を巡回訪問していたのに対して、ALTは学校を勤務場所とすることができ(常勤講師)、日本人教師とティーム・ティーチング(TT)という教授形式を取るようになった。これは、教員免許状を持たないALTは教壇に立てないという制度的な事情のほかに、コミュニケーション活動を活性化する役割をALTに期待したいという狙いがあった。
このTTの導入は現場の日本人教師に大きな衝撃を与えた。外国人教師に授業をすべて丸投げするなら簡単だが、一緒に授業をするとなると事前の打ち合わせが必要で、そのための時間も英語力も日本人教師には乏しかったのである。
しかし、全体的には日本人教師もALTも熱心に授業に取り組み、英語の授業における言語活動の確立、日本人教師の英語発話能力の向上など、大きな効果が上がった。また日本と世界の英語教育の接点ができ、日本の英語教育が世界的コンテキストで論じられるようになった。
ちなみにALTの選考は、一次選考が書類審査で、二次選考が提携国の日本大使館で行われる面接である。初年度の倍率はだいたい5倍で(オーストラリアは難関で10倍弱)、給料は月に30万円ほど。

学習指導要領の変遷
文部省が英語教育に関して定めた法規は、戦前では学校令とその施行規則、教授要目があったが、戦後になるとアメリカから教育使節団を迎え、日本政府は彼らの報告書に基づいて教科過程の改正にとりかかった。こうして生まれたものが、学習指導要領である。この名称は、アメリカの教育界の用語(Course of Study=学習過程)を翻訳したものだが、ナショナル・スタンダード・フォー・スクール・カリキュラム(国家基準の学校のカリキュラム)のほうが意味合いは通じやすいだろう。

最初の学習指導要領は1947年(昭和22年)に制定された“試案”で、これをたたき台にして、実際の経験に基づいた意見を現場から本省に送ってもらい、年々改正をしてより良いものにしていきたいという意向があった。そのため法令くささがなく、親しみやすい文章で書かれている。
しかし、そこに掲げられている目標は「英語で考える習慣を作ること」「われわれの心を英語を話す人々の心と同じように働かせる」といったように、戦前のパーマーを思わせる英米一辺倒のものとなっている。授業時数は中学校で週に1~4時間で、高等学校では指定されていない。

続く昭和26年度(1951年)の『中学校・高等学校学習指導要領 外国語科英語編Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ(試案)』では、中央省庁としての権威を捨てた文部省が、サービス機関に徹して、本が手に入りにくかった当時の教師のための参考書として作ったものである。
原本は759ページ全三巻で、史上最大のボリュームの学習指導要領である。
この指導要領は、英語教育がなにに寄与するかを①知的発達、②文化の伝達、③品性の発達、④社会的能力の発達、⑤職業的能力の5項目にまとめている。
授業時数は、中学校で週4~6時間、高校で週5時間である。

占領が終わって文部行政が独立を取り戻すと、学習指導要領から“試案”の文字が消え、学校教育法に基づき法的拘束力を持つようになった。
昭和33年版(1958年)の学習指導要領には実用主義への転換ということで、目標が具体目標に絞られ、このほかに各学年の目標が設定されている。
また高等学校においては「英語A」と「英語B」の2つの科目に分かれた。
授業時数は中1と中2で3時間、中3で3~5時間、高校生では英語Aがそれぞれ3時間で英語Bが5時間である。

昭和44年(1969年)の『中学校学習指導要領』の改訂では、「言語に対する意識を深める」といった3つの柱の総括目標という前置きが追加されただけで、内容はほとんど同じである。
授業時数は中学校で若干増加し、中1で4時間、中2で3~4時間、中3で4時間である。
高等学校においては、授業時数は変わらずに初級英語と英会話が科目として加わり、それぞれ6時間と3時間を高校3年間のどこかで履修する形となっている。

昭和52年版(1977年)では、目標を項目別に分けずに一括提示するようになった。高校の目標も中学校のそれとほぼ同様である。
中学校は一貫して週3時間、高等学校は科目編成が行われ、英語Ⅰ週4時間、英語Ⅱ週4時間、英語ⅡA(英語会話)・B(リーディング)・C(ライティング)が各3時間となった。さらに集中した英語学習を行うコースである英語科が新設された。

平成元年版(1989年)では、新しい学力観や観点別評価の影響から、「外国語で積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育てる」と、目標が態度にまで言及するようになった。
また、今までひとまとめだった「聞く・話す」がリスニング重視で分離独立、高校ではオーラルコミュニケーションが新設された。
授業時数は、中学校が3時間で選択の時間を利用して+1、2時間、高校が英語ⅠとⅡ、リーディング、ライティングが週4時間、オーラルコミュニケーションA・B・Cが各2時間となった。

平成10年版(1998年)からは中・高ともに外国語(英語とは限らない)が必修となり、「実践的コミュニケーション能力」という目新しい表現に象徴されるように、いっそう実用性が重視された。
授業時数は中学では変化がないが、高校では英語Ⅰが3時間に減り、オーラルコミュニケーションⅠが2時間、Ⅱが4時間になった。

最新の学習指導要領が平成24年度(2012年)から施行された平成20年改訂版である。
目標は「外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方を働かせ,外国語による聞くこと,読むこと,話すこと,書くことの言語活動を通して,簡単な情報や 考えなどを理解したり表現したり伝え合ったりするコミュニケーションを図る資質・能力を育成することを目指す。」と、実用的なコミュニケーション能力をかなり重視した内容になっている。
授業時数は、中学において週3コマから4コマに増加された(3割増)。高校においては科目編成がなされ、コミュニケーション英語基礎週2時間、コミュニケーション英語Ⅰ週3時間、コミュニケーション英語Ⅱ・Ⅲ週4時間、英語表現Ⅰ週2時間、英語表現Ⅱ週4時間、英語会話週2時間と、科目数および時数が大幅に増えている。
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