18.1835年9月15日 エクアドル ガラパゴス諸島

 そしてビーグル号はあの島にイカリを下ろす。スペイン語で「カメの島」を意味する「イスラス・ガラパゴス」・・・ガラパゴス諸島だ。

 絶海の諸島ガラパゴスの動物はそのほとんどが、この島オリジナルの固有種だということにダーウィンは目をつけた。
 そして固有種ではあるものの、それらが南米(=大陸)の動物とどことなく似ていることも彼は気付いていたが、特に生きて草をはむ、体長1.5メートル体重250キロのガラパゴスゾウガメにはさすがのダーウィンもたまげた。
 アルゼンチンを探検中に見つけた巨大哺乳類の化石メガテリウムにも驚かされたが、メガテリウムは所詮ただの鉱物。それに対してこのバカでかいカメは目の前で生きている。「まるでノアの大洪水(=大絶滅)の前の動物のようだ」とダーウィンは心奪われた。

 当時のガラパゴスのローソン副知事はダーウィンに「私はカメの甲羅の形を見るだけで、そのカメがどの島のカメか解りますよ」と言った。
 ガラパゴスゾウガメはぱっと見どの島のものも一緒に見える。しかし甲羅の形の細かいところに注意すれば、それらは確実に異なっていた。
 ビーグル号の乗組員はガラパゴスゾウガメを、ほんの700匹ほど持ち帰った。これは飲まず食わずでも長期間平気(=死なないので腐らない)なゾウガメが、航海での保存食として非常に適していたからだ。
 それと同時にゾウガメのしぶとさは、現在では彼らが流木に乗って大陸から1000キロも離れているこの火山島にたどり着いた根拠にもされている。

 さて「ガラパゴスゾウガメの島ごとの甲羅の微妙な差異」と全く同じ現象が「フィンチ」という小鳥のくちばしにも起こっていた。
 このくちばしの差異は、ガラパゴスゾウガメの甲羅の形よりも露骨だったため、ダーウィンはこれらのくちばしの異なるフィンチたちが互いに近縁だとは、当初は思っていなかったという。
 この小鳥は後にダーウィン・フィンチと名づけられるが、地上で生活するフィンチは植物の種子やサボテンを食べ、樹上性のフィンチは主に昆虫を食べていたが、そのくちばしは食性にかかわらず、種によって様々で、下に曲がっていたり、細かったり、種子を割るためにちょうどペンチのように丈夫なくちばしの者もいた。

 そもそもガラパゴス諸島には多くの種がいない。アザラシを除けば哺乳類がいない。両生類はまったくいない。
 それをふまえてダーウィンは、ガラパゴスのフィンチがかつては同じ形のくちばしをしていた同一種だと仮定。

 生息環境が隔離される(別々の島に暮らす)ことで、かつて同じ形だった生物は微妙に形を変えていく・・・?

 そんな種分化の概念にダーウィンはたどり着く。これが後に進化のモデル「自然選択説」を考える上で重要なヒントとなるのだ。

 10月20日。5週間ガラパゴスに滞在したビーグル号は、さらに西・・・タヒチに向かって出発した。

 ビーグル号がイギリスに帰還したのはそれから1年後、1836年10月2日だった。22歳の頼りない青年だったダーウィンは、27歳の立派な海のオッサンになっていた・・・

17.1831年12月27日 イギリス デボンポート

 さてフィッツロイ艦長はダーウィンの利発さに好感をもち、「ちょっと心配だけど、なんとかなるだろ」と彼を航海に同行する博物学者として採用する。
 ダーウィンは艦長と共に航海に必要な物資を買出し、1831年9月14日デボンポートの港で、初めて自分が乗り込む「ビーグル号」を目にする。
 ダーウィンはビーグル号を見て即座に思った。

 想像よりちっちゃ!!

 ダーウィンはヘンズローへ手紙で「先生!74人乗りこむにはこの船は狭すぎます!」と書いている。
 ビーグル号は木造帆船で全長27メートル、大砲が10門装備された軍艦だ。前回の航海で船体は相当痛み、それを補修するのに予想以上の時間がかかった。この時マストの数も二本から三本にグレードアップさせている。
 修理に時間がかかったため、当初の出港予定10月を二カ月もオーバーし12月10日にいよいよ出港・・・・・・と思ったら天候に恵まれずすぐに港に帰還。
 その後12月21日にも出港したがこれもやっぱり駄目で結局12月27日の午後、船出に適した風が吹き、4年10カ月に及ぶ大冒険の旅が始まった。

16.1831年9月5日 イギリス ロンドン

 「・・・君がチャールズ・ダーウィンかね?」

 測量軍艦「ビーグル号」艦長ロバート・フィッツロイは、乗組員面接にやってきたチャールズ・ダーウィンという22歳の青年の顔を見つめてこう思ったという。

 とてもじゃないけど、海の冒険に耐えられるタイプじゃない・・・

 ダーウィンは苦労知らずの良家のお坊ちゃん、百戦錬磨の艦長にはそう見えたに違いない。そしてその所見は正しかった。ダーウィンは著名な医師ロバート・ダーウィンの息子、またダーウィンの祖父は博物学者のエラスムス・ダーウィン・・・エラスムスはあのジョルジュ・ビュフォンの学説に影響を受け、生物は進化するのではないか?とかなり初期に考えていた学者のひとりだった。
 ダーウィン家はまごうことなき優秀なエリート一族であったが、肝心のチャールズ・ダーウィン自体は優等生タイプでは決してなかった、親泣かせのバカ息子と言うイメージの方が近い。

 チャールズ・ダーウィンは1809年生まれ。少年時代は植物や昆虫を集めることに没頭し、学校の語学の勉強を放棄。
 息子チャールズに法律家になってほしかった父は、勉強そっちのけで外で遊びまわる息子を見てそれを断念。

 語学の才能がないなら・・・と、今度は医学を学ばせたが、ダーウィンは医学にも興味がなく、外科のオペに立ち会った際にはあまりの恐怖に手術室から脱走。
 しかも自分の家が金持ちで、一生遊んで暮らせる財産がダーウィン家にあることを知ったダーウィンは「なら一生ニートでいいじゃん♪」と医学の勉強も投げ出した。

 そこで父は語学も医学もダメなら、次は牧師にさせようと息子をケンブリッジ大学に入学させる。しかしここでもダーウィンは牧師の道など進まず、植物学のジョン・ヘンズロー教授に心酔。ヘンズローの金魚のフンと言われたほど博物学に熱中した。
 そう考えるとダーウィンは少年時代からぶれていなかったと言える。つまりこの人ははなから生物学しかやりたくなかったんだと思う。

 このケンブリッジ時代にダーウィンはラマルクの著作や、祖父の『ズーノミア』を読みこみ動物について学んでいる。
 そして大好きな先生ヘンズローが勧めることはなんでもやった。彼がライエルの『地質学原理』にハマったのも、ヘンズローがこの本を紹介したからだし、なによりダーウィンがビーグル号に乗って航海の旅に出たのも、「今さあイギリス海軍の測量船ビーグル号が航海に同行する博物学者を募集してるんだけどダーウィン君やってみない?」と手紙でもちかけたからだ。
 この話にダーウィンは「やるやる~♪」と二つ返事だったが、父がそれに大反対。

 困ったダーウィンは母方の叔父ジョサイア・ウェッジウッドに相談。有名陶器ブランドの創始者であったジョサイアはダーウィンの父ロバートの説得を引き受け、晴れてダーウィンはビーグル号で旅に出ることを許可される。

15.大きな変化は小さな変化の積み重ね

 さてラマルク説はワイズマンによって反証されたわけだが、次にキュヴィエの「神による天変地異モデル」の末路を見ていこう。

 キュヴィエの天変地異説に待ったをかけたのはチャールズ・ライエル(1797~1875)である。スコットランド生まれのライエルは、「イギリスの東大」オックスフォード大学(ちなみに京大はケンブリッジ)に入学、その頃に学者であった父の書斎で一冊の本と運命的な出会いをする。『地質学』。この本にハマったライエルは、オックスフォード大学の地質学部長だったウィリアム・バックランド(メガロサウルスの命名者でも有名)に弟子入りする。

 バックランドの指示によってスコットランドの地質を研究したライエルは、地質学に革命をもたらすある重要な説にたどり着く。
 それが斉一説である。つまり山や川といった地形の変化は、キュヴィエの言うような「神の裁きの大洪水」といった突発的な現象ではなく、日常的に繰り返される目には見えないほどの、ごく小さな変化の積み重ねによって起きているという説である。

 ライエルは伝説の武器「オッカムの剃刀」を持っていたので、キュヴィエの「ノアの洪水のような神の手による天変地異で地質現象を説明するのは、科学的ではない」とバッサリ。
 その後ライエルは斉一説の根拠を見つけるために、地質学者の同志とフランスの火山地帯オーヴェルニュへ調査に向かう。そこで川を堰きとめている溶岩を川の水が少しずつ削り取っていること(侵食)を発見した。
 しかしこの旅での観察結果を学会で報告したライエルは尽くバカにされてしまった。「ただの川の水が渓谷を作るはずないだろ~(笑)」と。ライエルに対する批判は一説には相当ひどかったらしく、これを聞いた師匠のバックランドもさすがに怒ったと言う。

 ただ、この出来事がライエルに火をつけた。ライエルはイギリスにイタリア、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、アメリカとこの時代の人には珍しく世界中を駆け回り、斉一説を裏付けるデータ集めに奔走した。
 そして彼の全三巻にわたる超大作『地質学原理』(1830~1833)を愛読し、世界周航の際「ビーグル号」にその本を持ち込んだ大ファンがいた。チャールズ・ダーウィンである。

14.ワイズマン博士の異常な実験

 ラマルクが唱えた「進化」は実際に起きている事実だ。彼が間違えたのはそのメカニズムの説明「獲得形質の遺伝」の部分である。

 ではなぜラマルクはこのようなモデルを考えてしまったのだろうか?答えは簡単だ。この当時に遺伝子と言う概念がなかったからである。世界が水、火、風、土という四大エレメントで出来ているとか公然と言われていた当時のフランスの科学を考えれば、逆によくまあそこまで頑張ったと思う。
 一世代の努力と言うスピリットが子どもに受け継がれてもいいじゃないか・・・?

 この獲得形質の遺伝が本当に起こるのか奇想天外な実験で検証した人がいる。それが医学者のオーギュスト・ワイズマン(1834~1914)だ。
 ワイズマンはハツカネズミの尻尾を何代にもわたってちょん切り続けた人で、尻尾を必ず失う環境にネズミを置けば、尻尾がないという獲得形質が子どもに伝わり、いずれ生まれつき尻尾のないネズミが誕生するのではないかと確かめた。
 しかし結果はそんなネズミは生まれなかった。この実験には、「ネズミが尻尾を失って何か利点があるのか・・・?そんな獲得形質はデメリットだったから親は子に遺伝させなかったんじゃない?」というような突っ込みもあったものの、ワイズマンが突っ込みどころ満載の実験で辿り着いた結論は、まさしく真理であった。

 ワイズマンは生物の情報は生殖細胞(子どもを作るときに使う細胞。精子や卵など)を経由して遺伝するという生殖質連続説を主張したのである。
 今考えれば、これは中学生でも知っている当たり前の話かもしれないが(生殖細胞は遺伝子の量が体細胞に比べて半分になるという「減数分裂」の名付け親もこの人)、遺伝について謎だらけだった時代においてワイズマンの功績はやはり大きい。大きすぎる。
 ワイズマンは生殖細胞は体細胞とはまったく情報が切り離されていて、世代から世代へ連続しているのは生殖細胞だけだと言いきった。
 つまり親の体の細胞がどんなに環境から影響を受けようと、それは決して生殖細胞には伝わらない(これをワイズマンバリアーという。必殺技みたいだが)。
 私たちが親から受け継ぐ形質についての情報は生まれる前から決定されている。
そう生殖細胞の中に・・・
 現在用いられているダーウィンの進化論のモデル「ネオ・ダーウィニズム」を正しく理解する上でこのワイズマンの主張は超重要事項。今のうちに要チェック。

 進化と言う現象はラマルクの言うような努力という意思の力によってではなく、生殖細胞の中にある遺伝情報がなにかのきっかけで変化し、そこで新しい形質が生まれている。これこそかの有名な突然変異である。
 オランダの植物学者ド・フリースがオオマツヨイグサの花のなかでひときわビッグな奴が混じっているのを見つけ、それを突然変異体と読んだのは1901年・・・20世紀に入ってからだった。
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