教員採用試験過去問分析

 この前見た『幕が上がる』の吉岡先生に触発されて、教員採用試験の過去問をやってみたんですが、これがまあムゴイ。大学の知識じゃ全然歯が立たねえ(互換性ほぼなし)。
 しかも、うちの県って高校の採用試験よりも中学校の採用試験の方が難易度が高いという。いや、厳密にはちょっと違っていて、高校も中学も同じ問題が出るんだ。全く。使い回し。
 で、中学校は理科だったら物理化学生物地学、社会だったら地歴公民全て教えるから、そのすべての分野の高校の問題が出題されるという。結果として中学校の試験の方がルネサンスの万能人テストと化しているという。Ohボーイ。
 じゃあ高校で受ければいいじゃんってなるけれど、美術も社会も高校は毎年一人くらいしか取らないからすげえ賢い奴があとひとりでもいたら落ちてしまうという、小選挙区制。
 なら、とりあえず中学校で受けて、そのあと高校にチャレンジするっていう方がリスクマネジメントとしてアリだなと。でも万能人テスト。Ohボーイ。
 それに中学校は複数人採用するとは言え、倍率で言えば高校より倍率が高いのだ。ヘル。

 まあ、今後どっちで受けるかは置いておいて、各分野が現状でどれくらい解けるのか、また出題範囲はどんな感じなのか、を分析してみました。まず敵を知る。

一般教養&教職教養
うちの県は割と簡単で8割以上はコンスタントに取れる。一度9割越えた。何とかなると思う。

高校美術
衝撃の事実。
そもそも採用試験の過去問が存在しない。よって対処のしようがない。かつて一度だけ受けたがジェームズ・タレルというよく知らない現代アーティストのインスタレーションや、大工の木の組み方など、教科書や資料集から逸脱した地獄問題続出で6割くらいしか取れなかった。
美術の試験には実技もあるのだが、これも紙と割り箸で「緊張」を現せなどという常人には到底理解不能なコンテンポラリーぶりで、私にはちょっと無理だなと2年前に諦めた。吉岡先生はすごい。どこの県か知らないが。どこだっけ?神奈川?
 
高校公民
毎年一人しか取らない小選挙区制を実施。
高校~センター、公務員試験レベルの政治、経済、倫理をバランスよく出題。
うちの県の高校なんて倫理はほとんど開講しないくせにしっかり出題するのが歯がゆい。なら教えさせてくれよ。
最初は全く歯が立たなかったが、色んな出版社のテキストを20冊くらい買いあさり、一番分厚いテキストを何度も読んで、9割は取れるようになった。
いや、正確には1、2問落とすくらいで、ほぼ解ける。
一度他県の試験を受けて、9割に届かず落ちたことがある。他県は学習指導要領の文章を丸暗記しなきゃいけない問題があって、そいつがアキレス腱になったが(中央銀行を日本銀行と書いてバツとか)うちの県はそういう問題がまったく出ないのが嬉しい。だが出題の難易度は圧倒的にうちの県。
現状では最も点数が取れるが、何度も言うように小選挙区制なので自分よりも解ける人がひとりでもいたら落ちるし、仮に満点をたたき出しても面接という不確定要素もある。マジどうしよう。

中学校社会
高校の地歴公民の全てを出題する地獄テスト。でも出題傾向に偏りがあることを発見しました。

人文地理学:まあまあ。出ない。
自然地理学:まあまあ。出る。
地誌学:できないし嫌い。マニアック。めちゃくちゃ出る。

政治学:結構できる。普通に出る。
経済学:かなりできる。普通に出る。
倫理学:日本の倫理がちょい弱いがなんとかなる。出ない。

世界史:割と好き。全く出ない。
日本史(古代~近世):苦手。歴史分野のほとんどを占める。
日本史(近現代):デリケートな時代なのか出題されてもごくわずか。

 ということで、公民分野はともかく、地理と歴史がてんでできないので事実上3割くらいしか取れない。割と好きな世界史が全く出ないのが痛い。確かに中学校の歴史ってほぼ日本史だけどさ。
 日本史の問題もマニアックというよりは範囲としては割とベタなところを出すんだけど、出題の仕方が深いんだよね。史料読み解き問題とか。通史的に大雑把に把握しているだけじゃ無理で、史料の文言をしっかり暗記していないと難しい。
 他の問題にしても、なんか重箱の隅つつき的な。飛鳥時代に起こった出来事を年代順に並び替えろとか。半分位知らない出来事だしな。

 まあ、日本史はまだ物語があるから、公民の時みたいに、いいテキストを探して読めばいいと思うんだけど、問題は地誌学よ。大学で学んだことがこれほどまでに役に立たないとは。
 大学で地理学という学問をちょっと見直したのに、結局学校教育ではクソつまらない暗記科目だもんな。統計覚えて何が楽しいんだかな。
 地誌学に関しては物語とか、自然科学みたいなロジックじゃないじゃん。因果関係で覚えられないってこと。だから世界地図と統計を丸暗記するしかない。
 一応「水持ちのいい土地は水田として利用されがち」とかロジックみたいなのはあるけど、結局どこが水もちいいかは地質図丸暗記だもんな。
 あと大陸の「断面」の形や、外国の経度と緯度を覚えてないとできない問題ね。

 ・・・出来てなんなん??

 まあでも、とりあえずデータを丸暗記するのが好きなタイプいるしな。ここは心を殺して、地図と統計オタクになってもいいかもしんない。データをシコシコ整理して鉱物資源や農作物や工業製品のランキングを作って「ゲヘヘ」ってするのも、やってみたらやってみたで、意外と面白いかもしれないしな。
 まあ来年度どうなるかはよくわからないんだけどね。大学の方も心理学と中国史の試験がまだ残っているし。となると5月6月の二ヶ月ちょいで、日本史と地誌学をある程度マスターする必要があるな。最も、その時まで公民や教職教養の知識が忘却されていなければ、だけど。

30代最初の一年の終わり

 レベルが31になりました。

 昨年のバースデーにおいて、長いモラトリアムから決別し(※けっこう遅い)、もうちょい地に足着いたことを考えたり、いろいろチャレンジしようと宣言してたんだけど、この一年なにがあったかなあ。
 とりあえず20代の頃よりはやっぱりイライラはしなくなった。が、不思議なことに焦りみたいなのは出てきた。
 おそらくこれから肉体的な老化が始まっていって、ベストなコンディションでいろんなことをやれる時間は限られているぞって、薄々感じているからだと思う。だから、いろいろやれるうちにいろいろやっとかないと絶対にダメだな、もったいないなって。

 それに去年は、うちの屈強なおじいちゃんが亡くなっちゃって、なんだかんだで30まで誰一人家族の死を経験してなかった自分にとっては、かなり思うところがあった。
 老化の究極系が「死」だもんな。やっぱり、どんな人も、自分も含めて最期は死んじゃうんだって実感したと同時に、なんだろ今まで観念的に不安だったり怖がってた死も、割と普通に社会に組み込まれているんだなあ、人間って最後まで社会的存在なんだなあって思った。
 仕事終わって毎日看病に行ったり、看護婦さん、葬儀屋さん、納棺師さん、お坊さんとか、死に関わる職業の人たちの仕事を自分の目で見れたのは、すごいいい経験になった。
 なんか亡くなったあともああやって丁寧に人として扱ってもらえるなら、そこまで死ぬのも怖くないかもなって思ったけど、最後棺ごと焼かれちゃったのはやっぱり衝撃映像だったな。
 まあ仕方がないんだけどね。いずれ自分もああやって火葬されんのかって想像したら超怖いけど、その時には死んでるもんね。ジャンヌ・ダルクみたいに生きたまま焼かれたら地獄だよ。
 で、科学的には物質としてのおじいちゃんは消滅しちゃったんだけど、火葬当日はちょっと凹んだとは言え、そこまで悲しくもないんだよな。
 なんか、本当に死んじゃったんだ、と思えなくて。よくドラマのセリフで「心の中に生きている」みたいなセリフあってさ、「嘘つけよ、生きてねえよ」みたいに思ってたんだけど、あれって本当にあるんだって。もともとおじいちゃんって馬主会の会長とかやってて色んな知り合いがいてさ(ブレーメンの議員とか)、生きている時もあまり実家にいなかったっていうのもあって、そのうちまたフラリと帰ってきそうなんだよねw
 ちょっと遠いところに出かけちゃったんだなって感じで。人間の心って不思議だよなあ。親しい人の死にはそうやって都合よく折り合いをつけちゃうんだっていう。
 これから歳をとっていくと、どんどんこういった「お別れ」の方が多くなっていくのもちょっと切ないけどね。しょうがない。自然の摂理だ。
 でも、ほんのちょっとの病理的原因で、人体の健康ってガタタって秩序がなくなっちゃうんだね。めっちゃ連動してんだ、複雑系なんだって思った。生きていること自体がミラクルなんだな。
 
 だから、そのミラクルが続いているうちに、ちょっとでも「やろうかな」「やりたいな」って思ったことはどんどんやったほうがいい。
 おじいちゃんには最期「死ぬまで漫画描けよ」って言われて、もちろん描くだろうけど、漫画以外にもいろいろ楽しいことあるしね。
 例えば、去年から始めた通信教育で中学社会と政治経済の教員免許を取るとか。あれは、運転免許みたいにわりとスムーズに取得できんだろって思ったら、世の中そう簡単じゃなくて、いや、ほとんどの単位は半年くらいで取得はできたんだけど、某単位のレポートが謎の合否判定で一年以上も苦戦しているというね。
 これは想定外だったよ。で、期間が延びちゃったついでに、高校の地歴の単位も取っているというね。オレは何回課金すんだっていうね。まさか30超えて未だに勉強しているとは思わなんだよ。でもいいの。割と楽しいから。
 というのも、大学生の頃は講義とかきつかったんだけど(ゼミやディスカッションは好きだった)、通信教育って送られてくる本を自分のペースで読んで、その感想をレポートに書いて、大学に送って、合格したら試験受けて、単位もらえるとか、そういう感じだから、マイペースな私にはすっごい合ってるんだ。
 実際、本読んで感想書くのは、このブログでも前から趣味でやってることだしね。出席さえしてれば割と簡単に単位をもらえる(泣き落とせる)通学と違って、実は通信教育のが自分で管理して勉強しなきゃいけない分、結構大変で(仕事しながらでは特に)ちゃんと最後まで単位取っているのは全体の6割くらいって説明会で聞いたけど、私は某単位がなんとかなれば、とりあえず中学社会と高校政経倫理、高校地歴の三つはゲットできそう。

 おのれ某単位。
 
 ほいで、これからどうするかだよな。なんか修士課程をやっぱりやってみようかなっていうのもあるんだけど、中学高校の理科の教員免許もいっそのこと欲しくて(そもそも当初は理科を取る予定だったのだが、時期的にすぐに履修できなかったので、「カツ丼終わったの?じゃ、いいや生姜焼きで!」みたいなノリで社会にしてしまった)、ちょっと迷い中。
 お金が無尽蔵にあれば、どっちもやっちまえってできるんだけどね。実際社会の野郎が、他の教科の2倍弱単位が必要で、予想外の出費をしちゃったからな。
 それに昨日も思ったんだけど、大学の先生もなんか大変らしいもんね。アルファベット書けない大学生とかいるらしいし。そんなのにどうやって論文書かせるんだっていう、高等教育には高等教育の苦悩がありそうでさ。
 だから、小保方さんを叩いている人には、学生時代大変立派な論文を書いて卒業なさったのですねって皮肉も言いたいくらいだぜ。
 普通の学校の教員と違って、研究者と教育者を兼ねているのが大学の先生の厳しいところだよ。理系の教授なんかは予算も取ってこなきゃならないし。
 そう言う意味で、おそらく修士や博士課程よりは、まずは理科の教員免許かなって思っている。博士課程への道は、今度こしさんにいろいろ教えてもらおう。私は理系じゃないけど。ではまた来年。

幕が上がる

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 こんなレベル目指してたんだね、みんな。

 弱小演劇部が、元天才演劇部員だった美術の先生の指導のもと全国制覇(っていうのか?)を目指す映画。本日公開だったらしく、ほぼ半額で見れた。
 設定からして、『タイピスト!』を彷彿とさせるスポ根ものの文化部版というか。つまり所さんの笑ってこらえて一億分の富士ヶ丘高校演劇部みたいな話だろ?と思って、出かける前に「絶対所さんの笑ってこらえてみたいな映画だった」って見たあと呟くよな~ってツイートしてたんだけど、ところがどすこい、めっちゃ身につまされる映画でした。『アオイホノオ』と『塀の中の中学校』を足したようなインパクト。ムロツヨシ出るしな。
 一般的にはももいろクローバーの初主演映画ってことで、アイドル映画的な認知のされ方をされているんだけど、一部のファンが見るだけじゃもったいないクオリティではある。
 ももいろクローバーっつっても私『ドラゴンクライシス!』と『モーレツ宇宙海賊』のうた歌った人達くらいしか知らなくて、誰がどれだか、そもそもクローバーが何人いるかすらわからなかった。結局五人組?ユッコとガルルと部長はなんとか判別。ふ・・・二人足りない・・・転入生の子か。

 ほいで、私はあんまり邦画を観ないんだけど、ノラネコさんにクリエイター気質の人と教育に携わる人は見ろって言われて、どっちも該当しちゃった以上見てしまったんだが、これアイドルマスターの映画がやりたかったことをめちゃくちゃ上手に実写でやった感じなんだよね。
 アイドルマスターのファン、ももいろクローバーのファンへのサービスシーンは、まあ私どっちもニュートラルだから、別にいらないんだけど(鍋焼きうどん出てくる謎のシーンとか)、そういうシーンを抜いて、脚本の完成度がどっちが高いかって言ったら断然こっち。
 アイマス映画での「キラキラしてない」が、こちらの『幕が上がる』では「光」になっているだけで伝えたいことは驚くほど一緒。ちょっと小太りな後輩の子が中盤スランプに陥るのも一緒。
 しかし、この映画にあってアイマスになかったのは「不安」だな。アイマスはマーチャンダイジング上、ガチな不安は構築できないもんな。
 十代の青春ってなにが特徴かって言えば、将来自分が一体どんな方向に進むかわからない、まだ何者でないがゆえの不安だよね。何者でもないっていうのは辛いっちゃ辛いんだけど、裏を返せば、何にでもなれる可能性も残されていると言えるから、十代を華麗に通過した大人は「きゅん」ってなるんだろうけど。
 まあ、これも過去の美化にすぎないとは思うけどね。現実は、十代だろうが、いくつだろうが、選択の余地なんてそんなにないって私は思うんだけどね。ねえよ、無限の可能性なんかって。人間なるようにしかならないよって。おさまるところにちゃんとおさまるよって。
 ただ、そういった自分の能力に対しての残酷な判決が先送りされているがゆえに、十代は悩み葛藤し、時に調子に乗る、と。
 これは、なにも意地悪でそう言っているんじゃなくて、さ。それはそれで人生楽しいよっていう。知らぬがパラダイスっていうのあるじゃん。将来どうなるかなんて、いくつになっても実はよくわからないし、だからこそ突き詰めれば死ぬまで不安なんだけど、だからこそ終わりじゃないと。
 十代が過ぎたくらいで「自分の人生はもう決まった」ってウジウジいうこともなかろうて。今とそんな変わんねえよって。まあ、十代は今後の人生をどう生きていくかのベースになるから、そう言う意味では悔いのない学生生活を送ったほうがいいかもね。じゃないと「学生時代に戻りたい」と過去を美化する大人になっちゃうぞって。

 仮にそこにたどり着いても、そこは“どこでもないどこか”なんだよ。

 そういや、ずいぶん前に、専門学校かなんかで映像教えている(詳しくは知らない)ノラネコさんと、クリエイターを目指す学生をどう教育するかやり取りしたことがあったんだよ。
 ノラネコさんいわく、義務教育の美術とかじゃなくて、専門的な学校でも、表現したいものがないのに表現者を目指す人が割といるんだって。つまり、映画やアニメを見るのが好きなだけなのに、自分がクリエイターだと錯覚しちゃっている人がいる、と。まあ、漫画研究部とかでたくさんいる「読む専」ってタイプなんだろうけれど。漫研だけど漫画の原稿は描かないっていう。
 で、こういう人たちは、課題は真面目に作ってくれるらしいんだが(まあ自分から通っているから当たり前か)、自由に作っていいよって言っても何もアイディアが出てこないんだって。
 これは、図工や美術の授業でも度々取りざたされる自由に作れって言ってもどうやりゃいいんだコノヤロー問題なんだけど、カリキュラム上ある程度強制されて美術を受けている中学生ならともかく、ノラネコさんはある種プロのクリエイターの卵を育てる立場だから、このタイプどうしてんだろうなあって思って、自分に描きたいものがないことを素直に認められない人に対してはそっと引導を渡しているんですか?って尋ねたんだよ。
 そしたら、そうじゃなくて、映画って集団で作るものだからそれこそいろんな仕事があるじゃん。つまりみんながみんな「作家」である必要はないわけで、でも映画業界をあまり知らないと「映画を仕事にする=映画監督になる」くらいしか思いつかない。これが悲劇なんだ、と。
 映画監督にはなれなくても、映画に携われることは他にもたくさんあるよ、といろいろな可能性を紹介してあげるのが、クリエイター学校の先生の仕事なんだみたいなこと言われて、なるほどなあ、と。

 さて、この映画には二人の先生が出てくるんだ(作劇上重要な先生は実は三人だけど)。一人がムロツヨシ先生で、この先生はもともと理科の先生で、正直演劇のことなんてさっぱりわからないけれど、文化部の顧問って運動部に比べてゆるくて楽かなくらいのノリでやっている、かなりリアルなタイプの顧問。当然、部員からは軽く侮辱の憂き目にあっている。
 部員たちに偉そうに演劇を教えれるほど詳しくないから、とりあえず「芸術は自由だ。好きなようになりなさい」とそれらしいことを言って部員の周りをウロウロしているだけなんだけど、意外なのはノラネコさんは教育者としてムロツヨシタイプなんだってこと。あんな待遇を学生から受けているのだろうか(^_^;)
 でも、勘弁して欲しいよね。演劇部のある学校には必ず演劇を専門とする教員がいるとは限らないからね。だから、学校の部活ってその競技の素人が顧問を受け持つ悲劇が度々繰り返されていて、部活動は外部の専門家に任せてもいいんじゃないかって話も最近あるんだけど。
 だから、若い男の先生ってだけで「よし!運動部!」って白羽の矢が刺さる場合があるので、私も近い将来アメフト部顧問とかやっているかもしれません。そんときは木村くん(※現役のアメフト選手の友達)に泣きつきます。でも、これも不思議だよな。教える方も教わる方も悲劇だと思うぜ。部活って指導者が変わるとぜんっぜん違うらしいからね。
 
 空気が変わった――ヤバい。楽しい。

 んで、もう一人がかつて「演劇部の女王」とかちょっと恥ずかしい二つ名を持っていた新任の美術教師吉岡先生。配属早々生徒にググられてしまう展開は私も一緒だったんだけど、演劇部顧問のムロツヨシ先生を差し置いて、演劇部員の心をがっちし掴み、バシバシ専門的な指導で彼女らのレベルを上げていく。
 しかし、ガチで演劇の道へ行くということは、結局はローリスク&ローリターンのカタギの道から、太く短いヤクザロードへのポイント切り替えを意味する。だから吉岡先生は念を押して部員の言質を取ろうとする。私は責任取れないよ?と。で、部員の「大丈夫です。これは私たちの人生ですから」というコメントを受けた後、この人はとんでもない決断をしてしまう。
 そこらへんの急展開から、私はこの映画にやられちゃって。うわ~おっそろしい映画だなって。「芸術は麻薬」と語った北野武作品かよって。吉岡先生は裏を返せばメフィストフェレスっていう悪魔だよなあってw
 で、私はムロツヨシよりは、吉岡先生だなあって思っちゃった。実行するかどうかはわからんが、気持ちはすごいわかるよ。学生ですごい才能のある子に出会ったら触発されて「わしも若いもんには負けんわい」ってやりたくなっちゃうから(単純)。
 しかし凄いのは、あの先生初任者研修受けているんだよ(ムロツヨシをいなす為の嘘じゃなかったら)。私も2年前惜しくも落ちたから知ってるんだけど、「高校美術」という一年に一人くらいしか受からないような超難関の採用試験を受かっているのに“あの選択”はロックすぎるぜ。
 まあ実技教科って実践ができて初めて学生に「お~」って尊敬されるようなところもあるしなあ。でもそれくらいスキルあったらプロも射程に入っちゃうんだよな。そのジレンマね。

 つまりさ、ここに呪いの構造があってさ。プロになれなかった芸術家は、自分より若くて才能のある子達を育てる側に行くしかないらしいんだ。美大生に聞いたところ、この業界はそういう構造らしいんだよ。
 東京芸大なんて学歴としちゃすごいけど、そこからプロの作家になれる人なんてひと握りだし、そういうプロも作品だけじゃ食ってけないから芸大に行くための予備校を経営したりして、んで、その予備校で泣きながら石膏像を描いた夢とガッツある学生が芸大に受かって、でもやっぱりほとんどの芸大生が挫折して、また将来の挫折予備軍の学生たちの指導に回るという、円環の理(懐かしいな、これ)。
 私なんかは学校で美術教えているとは言え、専門のクリエイターを育てているわけじゃないからまだ罪悪感はないんだけど、あ~でもどうなんだろう。私もA級戦犯なのかなあ。
 でもさ、言い訳するわけじゃないんだけどさ。高校3年間演劇に夢中になるくらい、人生長いし別によくね?とも思うな。演劇や芸術表現系の道は確かに生涯年収激減するルートかもしれんが、この前の映画みたいに地獄の戦場に送り込まれるわけじゃねえし。
 ちょっと大学受験失敗して一浪するくらいじゃん。普通に大学受験するよりは、普通じゃないルートを勢い任せに選んでも、まだ取り返せるのが若者のいいところな気もする。
 実際私なんて、あれだぜ。高校時代、生徒会と漫画描くことしかやってなかったからね(あとデザーテッドアイランド)。大学受験も受験日忘れていかなかったという前代未聞の失敗をして浪人しちゃったけど、今もなんとか生きているし、楽しいし。
 逆に部員と全国とか目指せて羨ましいよって。漫画って個人競技だからさ、割と孤独だったぜ。紙とインクだけがと~もだ~ちさ~♪

 まあ、グダグダになっちゃったけど、アレだ。ムロツヨシよりは吉岡とはいえ、私は受験日が同じだった日本大学芸術学部脚本科よりも群馬大学教育学部を選択した人間だからな。
 これがもし、日大に進んでいたら、吉岡ルートだったかもしれないけど、どんな職業も結局尊いからね。十代の頃すごいキラキラしてる専門職だと思っていた漫画家や学者も、大人になればただの職業の一つって相対化されてしまったのが切ないよ(ツイッターのせいだ)。
 逆に超身近だった学校の先生がこんなに専門的な仕事だっていうのもわからなかった。歳はとるものである。とりあえず美術部の指導気を付けよう。

 どうやっても宇宙の果てにはたどり着けない。けれど切符だけは持っている。

アメリカン・スナイパー

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆」

 人間は三種類いる。羊、狼、番犬だ。

 アメリカと言ったら映画とミリタリーというだけあって、戦争映画はそれこそ星の数ほど制作されていると思うんですが、クリント・イーストウッド監督のこの最新作は、なんとまあ、あまたある戦争映画の中で『プライベート・ライアン』を抜き、過去最高の興行収入を叩き出したという。
 となれば、いろんな立場や思想の人が見ているわけで、例のごとく「ヒット作&流行作あるある」の泥仕合が発生中だとか。
 ライトな人は戦争万歳、愛国心万歳のヒーロー映画として、レフトな人はイラク戦争はどう考えてもバッドウォーだったのに、こともあろうに後ろからこっそり攻撃する卑怯な狙撃兵を英雄視するなんて!と論戦が起こっているらしい。
 悔しいかな、ヒット作って結局、いろんな人が好きなように自分で自由に解釈できる“幅”があることが多い。つまり作り手の手を離れて、作り手が本来伝えたかったものとは違う、もしくは、それ以上の解釈をされて、受け手側に勝手にテキストを構築されていってしまう。
 そう言う意味で、ロランバルトは本質をついている。『エヴァンゲリオン』然り。『風立ちぬ』然り。結局これらの作品って何が言いたいのかさっぱりわからない。さっぱりわからないから、受け手が好き勝手に誤解できる。
 勿論イーストウッド監督は、そこまで難解な作品を描いちゃいない。むしろ極めてシンプルな構成の映画を作っている。でもシンプルであるが故、この伝説の狙撃兵が実在の人物で、彼が巻き込まれた事件で、たった今裁判が起きているという話題性があるが故、この映画は重層的な解釈――誤解を許してしまう。
 これを私は観客主権と呼ぼう。作品が一旦発表されてしまえば、あとの問題は作り手ではなく、受け手に行ってしまう。これが、クリエイター業の表現や伝達の悲しいところでもあり、面白いところでもある。
 じゃあ、私はどう解釈したかって? 

 『ゴルゴはつらいよ』みたいな感じだった。

 つまらなくはないんだけど、イラク戦争を題材にした映画って多くて、どれも出来がいいからインフレしちゃっている感じがするんだよなあ。『ローンレンジャー』とか『ハートロッカー』とか『ゼロダークサーティ』とか『フェアゲーム』とか『グリーンゾーン』とか。
 作劇としては『フューリー』とかに近くて、メタな視点を極力排除して、一人の狙撃手の苦悩や半生を一人称視点で描いている感じ。
 こっちのほうが全然展開は熱くはなるんだけど、この映画別にそういう少年漫画的、西部劇的「バキューン!ヒーハー」な映画じゃないんだよね。『フューリー』同様、鑑賞後(´Д` )となるような、まあ後味はあまりよくない映画なんだ。
 だから、戦争を賛美する映画だ!ってこの映画を批判するのは違うだろっていう人の意見もわかるんだけど、でも戦争賛美まではいかないにしても、悲しい戦場に送られる兵士の犠牲心や愛国心自体は、わりと肯定的に描いているから、そういうふうに取られちゃうのも仕方がないと思う。
 
 作中で具体例を出すならば、転載狙撃兵のクリス・カイルさんのお父さんがめっちゃテキサスの保守派っぽい人で、人間は三種類いる!羊、狼、番犬だ!って、ギリシャ4元徳みたいなこと言うんだ。羊は抵抗できない人たち。狼はそんな羊を食い物にする悪者、番犬は狼から命懸けで羊を守るデューティーのある人。
 ほいで、父さんは羊は育てない。狼になったら許さない。番犬になれ息子たちよ!みたいな教育をして、クリスはお父さんの期待通りに立派な国家の番犬になるんだけど、戦場から帰ってきたクリスは深刻なPTSDを患ってしまう。
 家族に囲まれて安全な日常生活を送っているのに、心の中はいつも非常時モードになっちゃったクリスは、あるとき家で飼っている番犬が子どもを襲っていると勘違いして、その犬をぶん殴ろうとしてしまう。
 この演出は割と意図してんだろうなあって思った。つまり「狼」と「番犬」の違いってなんなんだっていう。今まで自分のロールモデルとしてきた番犬――シープドッグ(だから犬種はちゃんとボーダーコリー)を物語後半でバッサリ否定してしまうという。
 自分が今までやってきたことは、本当に番犬だったのか?敵の視点から見れば、実は自分は狼と変わらなかったんじゃないのか?
 イラクのテロリストを「蛮族」と呼んで、一生懸命、命懸けで戦ったのに、そのモチベーションを紙一重で支えてくれた信念が信じられなくなってしまう。これは辛い。

 だが、しかし。主人公に重い十字架を背負わせ、苦しみもがく様子をいくら描いていても、クリント・イーストウッド監督は結局クリス・カイルさんをかっこいい男に描いちゃってるんだよね。
 そこで、やっぱり『スターシップ・トゥルーパーズ』的倒錯(※反戦のために描いた描写が皮肉にもかっこよく見えちゃうこと)が起こって、戦争は残酷でよくないけれど、それでも戦場で戦う男たちはかっこいい!と葛藤込みで戦争万歳な消費のされ方をされちゃっているんだろうなあって。
 だから、私はなんか大絶賛まではいかなかったんだよな。ちょっと前に見た『フューリー』が衝撃的だったのは、主人公側の戦車兵たちを救いようもないクズ野郎(目玉焼きペロペロマン)として描いていたからであってね。あれは、すごいチャレンジだよなって。
 一般的に第二次世界大戦って、悪の枢軸国を撃退したグッドウォーって言われているのに、結局連合国軍もみんなイカれてたんだっていう、戦争を美化する風潮を徹底的に突き放した描き方がビックリしちゃったんだ。
 そう言う意味じゃ、この映画のクリスはよくあるアメリカの戦争映画のすごいかっこいい軍人さんなんだよなあって。これは、まあ、実際のクリス・カイルさんがそういうハードボイルドなかっこいい人だった以上は、もうしょうがないんだけどね。自分が戦場にいて、クリスさんみたいな狙撃手が味方にいたら頼もしいったらないもんな。

 戦争(政治的な開戦などに関する問題)と戦場(で戦い苦しむ兵士)の話は分けて考えるべきだという意見もあるだろう。映画の話と現実の社会問題の議論は分けて考えるべきという人もいるだろう。
 それは、それでひとつの考え方なんだが(客観的な考察ではなく利害関係者の“戦略”に近い)、私はやっぱり、こういった問題は厳密には不可分なんだと思っている。もし、創作物がリアルに何も影響を与えられないのだとしたら、そして、それを作り手が信じられないのだったら、創作のモチベーションはどこに求めればいいのだろうか。
 限定効果説だ、いやいや強力効果説だ、のお馴染みの進学論争は繰り返さないけれど、それはもう、受け手の閾値によるんじゃないか。
 観客は自分が見たいものがすでに心の中にあって、それに適合するように主体的かつ無意識的に、作品のコードを解釈してしまうのかもしれない。それでも適合しないものを「つまらない」と言っているのかもしれない。だから、どんなふうにも解釈できるコンテンツは強い。
 ライトの人はライトに、レフトの人はレフトに、コンサバの人はコンサバに、リベラルの人はリベラルに・・・
 そして、時に“たかが創作物”がその人のリアルに大きな影響を与えてしまうこともある。幸か不幸か私には、この映画の効果はかなり限定的だった。それだけ。

 しかし超映画批評の人には効果はバツグンだったようだ。

日本史各論2覚え書き③

参考文献:小林一岳著『元寇と南北朝の動乱』

南北朝戦争の実態
南北朝戦争下では、隣り合う村の小さな紛争が、朝敵追討といった大きな戦争に発展する、いわば私戦と公戦が結びついている状態だった。
そこでは掠奪行為が繰り返され、戦場は戦争商人と結びついた“稼ぎ場”になっていた。実際、楠木正成の軍隊はそういった掠奪者の集団であり、兵士たちは戦況よりも財宝の方を優先したため、一箇所に集まろうとせず、これでは敵が反撃してきた場合手の打ちようがないと、楠木正成は嘆いている。彼らにとっては、京都への攻撃も、朝敵足利尊氏がどうとかではなく、掠奪で一財産築きたかっただけだったのだ。
この状況に対して、後醍醐天皇は三カ条の軍法を出し、戦争のどさくさに紛れた掠奪行為を禁じ、現場においても、新田義貞が「一粒でも刈り取り、民屋のひとつでも追補したものは、速やかに誅する」と掠奪の禁止を兵たちに命じたが、部下が青麦を刈り取ってしまった際には「多分敵陣と間違えて掠奪してしまったのか、あまりに腹ペコで法を忘れちゃったんだろう」と罪を許している。
このコメントに従えば味方領域では掠奪は禁止だが、敵方領域では掠奪を許可していたということになる。つまり、戦場での掠奪は当然のことだと考え、掠奪行為をコントロールすることで戦争を遂行していたのだ。
このような掠奪の主体となっていたのが野伏で、村や地域から離れて戦時掠奪を生業にしていた。
彼らは単なる盗賊ではなく、交通の要所を拠点とし、運輸や流通に関わる特殊技能集団であった。ある時は掠奪集団、ある時は傭兵、ある時は運輸業者、ある時は戦争商人と戦時下で多彩な活動をしていたらしい。
また村と深い関わりを持つ野伏も存在し、彼らは掠奪を許可されるのと引き換えに戦争に動員された近隣荘園の荘民だった。
またこのような村の武力は、掠奪を目的とするだけではなく、逆に他の集団からの掠奪を防ぐ地域防衛システムとしても使われた。

建武式目
後醍醐天皇から三種の神器(※ニセ)が光明天皇に渡された5日後、足利尊氏は建武式目という室町幕府の施政方針を打ち出す。
建武式目は全体で二つの部分に分けられ、前半部では幕府の所在地を鎌倉と京都のどちらに置くかという問題が述べられるが、結論は明確に記されていない。
これは鎌倉で武家政治の理想を求める直義と(鎌倉は武士にとっては本来、“吉”な土地で、北条氏が鎌倉で滅んだのは、悪い政治を行ったからだと考えた)、畿内勢力に配慮して京都を考えていた尊氏の間に見解の相違があったためだと言われる。
後半部では政策方針が述べられていて、聖徳太子の十七条憲法を意識しており、全十七カ条からなる。

1条:倹約の奨励とバサラの禁止
2条:集まって飲んだりギャンブルの禁止
3条:狼藉対応策
4条:市中における戦時下の住宅利用(差し押さえ)の禁止
5条:戦時没収された市中の空き地の返還
6条:無尽銭・土倉(どちらも金融業)の奨励
7条:守護職は政務能力のある人を選ぼう
8条:権力者、女性、お坊さんの口出しを受けちゃダメ
9条:公務員は怠けちゃダメ
10条:賄賂の禁止
11条:進物(贈り物)の禁止
12条:部下の選び方は慎重に
13条:礼節の奨励
14条:良いことをしたら褒め、悪いことをしたら戒めてあげよう
15条:貧しい人の訴訟を聞き入れる
16条:強訴に訴えがちな寺社の訴訟に対する適切な対応
17条:裁判の日にち、時刻はあらかじめ決めること

この法令は、公家・武家両方の法律に詳しい法律解釈の専門家、是円(中原章賢)ら、政策立案と実務運営のプロフェッショナル集団を結成させて作ったものだが、慌ただしく出されたので、室町幕府の基本方針としては不十分であり、幕府の基本法は御成敗式目が鎌倉時代から引き続き使われることになった。

二頭政治
室町初期の幕府政治は尊氏と直義が二人で政務を分担しながら政治を行う体制だった。
文書も二人の名で発行されたため、当時の人は「ダブル将軍」と認識していた。
兄の尊氏は、恩賞の授与や守護職の補任などの武士に対する主従制的な支配権、軍事指揮権を掌握し、弟の直義は民事裁判権などの一般的な行政権を担当していた。
なぜ、一人がこれらの権限を一体化させて掌握せず、このように兄弟で権限を分担させたのかという点については、南北朝期の武士の家では兄弟惣領という長男と次男が連帯して惣領権(跡取りの権利)を共有し、分業しながら家の運営を行っていたからだとされている。この兄弟惣領は、一族の合意に基づいて推薦された家督を中心に結集した家督制へと移行していく。
このような二頭政治は、お互いが協力している時は公正な政治が行われるが、両者が対立したり、どちらかがこの体制をやめようとすれば、その対立は政治過程に大きな影響を及ぼし深刻化してしまう。
実際、足利兄弟も、武士の権限をより拡大させ、新しい武家政権を作ろうとする革新派――尊氏&高師直(足利家の執事→バトラーではなく将軍を補佐する行政機関の最高官職)と、鎌倉幕府の体制を引き継いで、専制的な徳治政治を行おうとする保守派――直義の間で政権争いが起きてしまう。
さらに直義の養子で、尊氏の実子、足利直冬も参戦し、三つ巴の戦いに発展(観応の擾乱)。
それぞれの勢力が旗色が悪くなると南朝に降参して味方を増やそうとしたため、政局は大混乱になる(擾乱とは秩序を乱して騒ぐこと)。

観応の擾乱
二頭政治の崩壊は、まず、保守派の足利直義が、革新派の高師直の執事職をクビにすることから始まった。高師直は優秀な執事かつ百戦錬磨の軍人であったが、戦争を早急に集結させ、旧来的な秩序を目指す直義と(直義の政治は安達泰盛の弘安徳政に似ていた)、戦争を継続させ、そこから新たな秩序を作ろうとする高師直では、方向性に大きな相違があった。
これを受けて、高師直は軍事クーデターを起こし、京都を占領、直義の側近の上杉重能を殺す。これに身の危険を感じた直義は、尊氏の屋敷に逃げ込む。
尊氏と師直のあいだで交渉が行われ、直義は出家して引退することになった。自分の地位は尊氏の息子で、鎌倉公方(関東地方の政務大臣的役職)の足利義詮(あしかがよしあきら)に譲ったが、しばらくして直義の反撃が始まる。
京都を出た直義は南朝に降参し、味方を増やすという奇策に打って出る。これにより、師直に勝利した直義は尊氏と講和。師直は直義派の上杉能憲(上杉重能の養子)に殺される。
ちなみに、このエピソードは『忠臣蔵』の設定そのまま歌舞伎の演目になっていて(仮名手本忠臣蔵)、仇討ちされちゃう悪役の吉良上野介は高師直に置き換えられている。まさに『忠臣蔵 太平記ver.』と言えよう。
さて、これで終わりと思いきや、今度は尊氏と直義のあいだで兄弟喧嘩が起こり、直義は再び京都から出て軍隊を組織する。すると、今度は尊氏が南朝に降参して、東海道や鎌倉で直義軍を退け、撃破(正平の一統)。
さてさて、これでほんとに終わり…と思いきや今度は、九州で尊氏の名前を利用して急成長した足利直冬が幕府に弓を引き、尊氏と講和したはずの南朝も「尊氏が戦争で留守のあいだに…」と京都に侵攻、尊氏と新たな二頭政治を担っていた足利義詮を追い出してしまう。
弟直義を倒した尊氏は、もう南朝の後ろ盾なんていらねえ、むしろ戦う意義ができてラッキーとばかりに南朝と戦い、京都を奪還。北朝を復活させた。
終わってみると、直義は急死(毒殺?)、直冬は行方不明、結局のところ尊氏が漁夫の利を得たわけだが、この争乱は武士だけではなく、公家や民衆も巻き込み、農民では惣を基盤とした農民の成長、天皇や公家の権威失墜による荘園公領制の崩壊をもたらすことになる。

尊氏と直義
学校の歴史の教科書でお馴染みの源頼朝の肖像。あれは足利直義のものであるらしい。直義は高潔で生真面目、意志の強い性格で、穏和で人懐こく、優柔不断かつ思慮深い兄の尊氏とは正反対のキャラクターだった。
あるとき尊氏が「国を治めるからにはもっと重々しく振舞わないといけないなあ」と言ったところ、直義は「私は逆に自分の身を軽く振舞って、侍たちとの距離を縮めたいし、人々にも慕われたい」と言ったらしい。弟は、なかなか頭でっかちの優等生タイプだった。
また、尊氏は支援者にたくさんの贈答品を送ったのに対し(田中角栄みたいだ!)、直義はそういった慣習そのものが嫌いだった(三木武夫みたいだ!)。
後醍醐天皇という共通の相手と戦った時はあんなに仲良かったのに…理想は平和だが歴史は残酷だ。

南北朝時代の文化①バサラ
鎌倉時代の戦乱の物語『太平記』には従来の権威を気にせず自由気ままに傍若無人な振る舞いをする武士の姿が描かれる。
彼らは「バサラ」と呼ばれ、サンスクリット語の「バアジャラ(魔や鬼を打ち砕く力)」から派生し、日本では「派手」「贅沢」「遠慮しない」「放埒」という意味で使われるようになった。バサラはこの時代の流行であり、彼らは鉛でできた大きな刀を目立つように腰に差し、派手な奥義を見せびらかしながら、奇異なデザインの服や装身具を身に付け京都市中を闊歩した。
このバサラのファッションの中心にいたのが有力武士に仕え雑務を行った小者と武士の間にあたる中間(ちゅうげん)で、悪党や野伏が傭兵になったようなものであった。
幕府はバサラに対して分不相応な贅沢を厳しく取り締まるためバサラ禁止令を出したが、これには傭兵である彼らの自由な活動を抑止し、京都の治安維持を図る目的があった。とはいえ、当時の人々はバサラを支持し、彼らは新しい文化創造のニューカマーとして一般的に受け入れられるようになっていた。

南北朝時代の文化②寄合
バサラと同時にこの時代の文化を象徴するのが寄合で、人々は日々の鬱憤を晴らすため昼夜問わず舞い歌い、酒宴や茶会を開いていた。
バサラが主催するそれは特に派手で贅沢であり、幕府はこれも禁じた。その狙いは単なる倹約奨励だけではなく、寄合が政権転覆を目論む反体制派の密謀を行う場でもあったからである。実際、後醍醐天皇は豪勢な寄合の席で、鎌倉幕府倒幕の計画を練っていたのである。
寄合の文化として流行ったのが連歌であり、これはもともと平安時代に公家のあいだで嗜まれた上の句と下の句を別々の人間が対応して読む、高度に洗練された遊びであったが、この時代の寄合では貴賎、貧富、教養を問わず誰でも参加できる、京都風鎌倉風なんでもアリのゲームになった。そこでは誰もが歌の優劣を判断し差別や秩序のない自由な世界があった。
そして、連歌と共に寄合の文化の中心となったものが茶である。鎌倉時代には栄西によって抹茶が伝えられたが、寄合での茶は養生や学び、嗜みとは別の形で発展する。
それが闘茶であり、バサラ大名の寄合では味の違う4種類の茶を飲み比べ、正解者が景品を獲得するというギャンブルとして茶が消費されていたのである。ガキの使いでこんなのあったよね。

南北朝時代の文化③田楽と猿楽
田楽は、平安時代に成立した伝統芸能で、稲作で最も大変な田植えの際に、豊作を祈って楽器を演奏しながらリズミカルに踊りを踊ったのが起源である。
これを好んだのが鎌倉幕府最後の得宗北条高時で、京都の田楽座を鎌倉に読んで楽しんでいたという。この流行は各地に見られ、南北朝時代にも続いた。
四条橋着工セレモニーでは、大々的な田楽に観客が熱狂しすぎて将棋倒しになり100人以上の死者が出る大惨事となっている。
田楽と同時に、能につながる猿楽もこの時代に発展した。猿楽は神事の際に翁(宿神)の仮面をつけた演者が舞う芸能、翁猿楽をルーツとし田楽同様、座を持ち各地で公演をする集団もいた。
これらの座は自社の保護を受け、田楽と猿楽の座が芸を競う立会い能という催しもあった。
この勝負に勝ち上がるため大和猿楽の観阿弥は技を磨き、当時人気があったリズミカルな曲舞や、ライバルの田楽の良さも積極的に取り入れた。これが室町幕府将軍足利義満の目にとまり、猿楽は武家社会の上流文化を吸収、さらに芸を洗練させ、現在の能の原型になった。
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