学校図書館の情報アプローチ覚え書き②

デジタル資料の意義
現在の学校教育では、子どもの生きる力を育てる一環として、「情報環境におかれた児童・生徒に対して適切な情報に対する態度を育てること」「高度情報社会を生きぬいていく力をつけること」など、情報活用能力の育成が重要視されている。

そのため、学校図書館には情報センターとしての役割が期待されており、デジタル資料の整備、および推進が求められている。
これに加えて、これを活用するための情報機器や、図書館の情報や書籍を活用するためのレファレンスサービス(学校司書の配備やネットによる資料検索機能など、調べ物を探し出すサポート)の充実、生徒の調べ学習に対応した資料の整備と整理なども重要な課題となっている。

デジタルの資料の特徴には以下の5つが挙げられる。
①検索が容易にできる。
②通信ネットワークを接続すれば、どこからでもアクセスができる。
③再生機器に表示された情報の加工が容易にできる。
④音声や動画を組み合わせるなど、理解を深めるための新しい表現が可能。
⑤資料のデータが劣化しないこと。

次にデジタル資料の例には、視聴覚メディア、デジタル録音メディア、教育用ソフトウェアなどがある。

まず、ラジオやテレビ、映画、ネットなどの視聴覚メディアである。これは活字と異なり、思考よりも感性に直接刺激を与えるため、強い情報伝達力があり、一度に複雑かつ高度な情報内容を表現・発信できると共に、利用者の反応に合わせて時間や内容を変更できるなど、インタラクティブ性の高い教材作成が容易である。

次にデジタル録音メディアである。これは、プレーヤーを操作すれば任意の箇所だけ飛ばし聴きすることができ、また圧縮した形で保存することができる。また、視覚に障害がある人も、音声データに活字を起こせば、読書に親しむことができる。

教育用ソフトウェアは、利用者がソフトの情報やサービスを主体的に利用でき、利用者の興味関心に応じた学習に役立つリソースを提供できる。また、学習活動に必要な資料の作成や、授業準備をすることができる。

このように、デジタル資料は、情報教育だけではなく、教科目標を達成するための教育もになっている。つまり、子どもの主体的な探究心や問題解決能力を育成する場を期待されている現在の学校図書館にとって、デジタル資料の整備は非常に重要であり、また、それを有効に利用するためにも、情報収集の指導(検索の仕方の指導など)が不可欠なのである。

学校図書館におけるインターネットの導入
インターネットはもはや、学校図書館に限らず、現在社会の基盤をなすインフラとなっている。現在の子どもは生まれた時からネット環境に触れているデジタルネイティブ世代と呼ばれているが、その反面、活字離れが進んでいるというデータもあり、学校図書館が、本などのアナログ媒体と、ネットなどのデジタル媒体をつなぐ場となるためにも、インターネットの配備・導入は非常に重要である。

学校図書館におけるインターネットの利用法としては、レファレンスサービスと、情報活用能力育成のふたつが挙げられる。

まず、レファレンスサービスである。インターネットをレファレンスサービスに活用すれば、図書館の蔵書の検索が容易になる他、図書館だよりやイベント案内などの広報活動や利用者の読書指導もネット(ホームページやウェブログ、SNSなど)を介して行うことができる。
インターネットの利点は、時間や場所、距離などに制約されないことと、インタラクティブ性である。つまり、情報発信をするだけではなく、ホームページの閲覧者のカウンターやコメントなどの反響をフィードバックすることができる。具体的には、利用者数、利用時間、人気のある本などのデータ収集と分析、読書感想文や評論文、ブックトークの動画などの公開である。

次に情報活用能力育成である。児童生徒と教職員のインターネット活用能力の育成において中心的な役割を果たすことが、学校図書館の職員には期待されている。
図書館のレファレンスサービスとしてのネット活用についてのスキルを児童生徒や教職員に伝え、彼らが図書館を利用する際に、主体的にインターネットを活用できるようにサポートをする。そのために、学校図書館員はインターネットの活用方法に熟知し、それを啓蒙・普及するための様々な提案を行っていくことが求められる。

インターネットを情報ツール、レファレンスツールとして使いこなすスキルは図書館利用者にとって重要であり、また主体的な情報発信や、他者との情報交換など、コミュニケーションツールとして、インターネットとの付き合い方を考えることも同様に大切である。

学校図書館メディアとサービスの多様化
日本の教育はPISA調査の結果によると、読解力、特に情報活用能力に課題があるという。現代の子どもは電子機器の使用に抵抗がなく、インターネットにも日常的に触れてはいるものの、決してメディアリテラシーの能力が高いわけではないのである。

これを受けて、中学校の学習指導要領には「生徒が情報モラルを身に付け」、「コンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段を適切かつ主体的、積極的に活用できるようにするための学習活動を充実する」こと、「これらの情報手段に加え視聴覚機器や教育機器など教材・教具の適切な活用を図る」ことなどが盛り込まれることになった。

この目標を実現するために、学校図書館において視聴覚メディアの充実が考えられる。
視聴覚メディアは紙媒体に対して以下のメリットがある。
まず、学習者の印象に残る資料の提示、次に、授業の説明だけでは伝えにくいリアリティのある場面の提示、さらに、対面授業との相乗的な学習効果などである。
総じて、子どもの意欲とイメージを強く引き出すような学習環境を実現できるので、学校図書館の視聴覚メディアの充実は喫緊の課題である。

また、学習図書館のサービスの多様化として、学校図書館や公立図書館が所蔵する書籍情報をネット上にデータベース化し、それをコンピュータによる調べ学習で利用するという試みがある。例えば、国会図書館では「国立国会図書館デジタルコレクション」と題して、国立国会図書館で収集・保存しているデジタル資料をネットで検索・閲覧できるサービスがある。これは、昭和43年(1968年)までに受け入れた図書、議会資料、法令資料及び児童書のうちの約90万点、雑誌1.2万タイトル、古典籍資料、官報(明治16年7月2日~昭和27年4月30日)、博士論文などを収録しており、わざわざ東京の国会図書館に足を運ばなくても、貴重な資料が自宅で閲覧出来るようになった。

それとともに、公立図書館のサイトなどでも、新しく購入された書籍や、おすすめの書籍などがあらかじめ収蔵書籍リストからピックアップされおり、利用者が実際に図書館に脚を運ぶ工夫もされている。
このサービスは学校図書館にも積極的に取り入れたい。これは、学校図書館にはスペースと予算に限りがあり収蔵冊数も不十分な場合が多いためで、学校図書館と公立図書館や国会図書館の書籍データベースとリンクさせることで、学校図書館の収蔵数の不足をカバーするのである。

これらのメディアやサービスを取り入れ、多様化させることで、司書教諭はそれぞれの利用者の興味・関心に合わせたメディアや情報を紹介したり提供したりする事ができる。
また、利用者は、基礎的な情報活用能力さえ身に付ければ、ストレスを感じることなく、調べたい資料を調べたい時、調べたい場所で調べる事ができるのである。

著作権教育の重要性
著作権は、著作物(思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの)に関する財産権であり、それと同時に著作者の人格的な利益を保護するものであるが、詳しい法的内容を理解している人は少ないのが現状である。

しかし、図書館やレンタルビデオ店での貸出や複写に加え、インターネットなど情報技術の急激な進歩により、子どもが知らないうちに著作権を侵害する可能性は増大しており、正しい知識を学校教育の中で学ばなければならなくなった。
特にインターネットが扱うデジタルデータは、複製や加工、発信・共有が容易で、法的にもグレーゾーンとなっている部分も多く、書籍などのアナログなデータよりも注意が必要である。

今の子どもは電子機器を扱うことに抵抗がなく、インターネットに関しても、オンラインゲームやSNSを切り口に日常的に扱っているが、インターネット上の著作権についての知識を事前に学んでから扱っているわけではない。
つまり、調べ学習でインターネット上の著作物をそのままコピー&ペーストしてしまったり、欲しい音楽や動画のデータを違法ダウンロードしてしまったりと、それらが著作権に違反する行為だと認識せずに行なってしまうことが度々起きてしまう可能性があるのである。
こういった著作権トラブルの問題に対しては、そのまま教材として使える啓蒙ビデオなどもあり、積極的に授業で視聴させていきたい。

一方で、児童生徒に混乱を生じさせている原因となっているのが、学校教育では権利者の許可がなくても著作物の利用が認められるケース(教育目的による著作権の制限:著作権法第33、34、36条)があるという点である。
これについても、法律でどのように決まっているかを明確に指導することで、児童生徒が調べ学習で学校図書館の資料を効果的に活用できるようにしたい。
具体的な方法としては、定期テストの問題に使用されている画像や、市販のドリルのコピー、学級通信に載せる生徒の写真など、子どもたちが日常の学校生活で見かける著作物を例に、それらが著作権法に抵触するかどうかを話し合わせる。また、その際には、法的な問題だけではなく、マナーやエチケットなど道徳的な問題としても扱うことが大切である。

学校図書館の情報アプローチ覚え書き①

 また、新しいジャンルの記事が登場してしまったぞ・・・カテゴリタグはいっそのこと「資格全般」とかなのだろうか・・・でも、まあ資格バカにはなりたくないので、今回だけってことで。学芸員資格も当面取るつもりはないですし・・・
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学校図書館メディアの概要
まず、学校図書館メディアという言葉が生まれた経緯について簡単に説明したい。学校図書館が提供していた各種メディアはこれまで学校図書館資料と呼ばれていた。
学校図書館資料の定義は、「図書・視聴覚教育の資料、その他学校教育に必要な資料」であり、視聴覚資料や児童生徒の作品などを含むと定められている。
しかし、現在の高度情報化社会の進展により、学校図書館には学習情報センターとしての役割がこれまで以上に期待されるようになり、学校図書館がが提供する情報の種類は多様化、既存のメディアに、視聴覚資料、教育用ソフトウェア、インターネットなどデジタルデータなどを加えて、学校図書館メディアと総称するようになったのである。

さて、学校図書館メディアは、紙に印刷されている印刷メディア(書籍や新聞、雑誌、ファイル資料)と、磁気テープや磁気ディスクに記録された非印刷メディアに分けることができる。
非印刷メディアの中でも、主に音声や映像を記録しているものは視聴覚メディアと呼ばれ、インターネットやCDーROMなど主にコンピュータを使って利用するものは電子メディアもしくはコンピュータメディアと呼ばれる。
また、それ以外のメディアとして、テレビやラジオ、電話などの放送通信メディアなどもある。

では、こういった各種メディアを学校図書館がどのように収集・構成するかについて述べる。
まず、学校図書館の蔵書を、意図的かつ計画的に形成、維持、発展させていく蔵書構成である。蔵書構成で重視されるポイントは、蔵書数と配分比率であり、特にメディア間の配分比率と、分野間の配分比率のバランスである。
これを実現するためには、選択の一貫性と長期的な視点を意識し、これを成文化するとよい。具体的には、「日本全国書誌」や「日本書籍総目録」などを用いながら、現在流通しているメディアを把握し、各メディアが選択基準を満たしているかを判断する。
また、蔵書構成の実行には、親機関である学校、児童生徒、教職員などの利用者、予算、メディア、担当者の相互教育などに留意しなければならない。

文科省が推進する「主体的、対話的な深い学び」の一環として、調べ学習やデータ分析、プレゼンテーションなど、情報活用教育が多くの教科において重視されるようになり、学校図書館には情報活用センターとしての役割がますます期待されるようになった。そのため、学校図書館メディアの一層の整備が各学校には求められるのである。

学校図書館メディアの組織化の意義
学校図書館メディアを組織化する意義について論じる。学校図書館のメディアを利用者がスムーズに利用できるようにするためには、メディアの質と量を高い水準に保つこと、そして運営側が行う準備作業である、学校図書館メディアの組織化が重要である。
学校図書館メディアの組織化において考慮すべき事項は、以下の四点がある。
学習形態の多様化に対応すること、図書館メディアにシステム化と標準化を施すこと、一貫性のある組織化をすること、図書館メディアをネットワーク化することである。
これらを踏まえて、メディアの調査、選択、発注、搬入、分類、目録作成、貸出と利用などを行なっている。

学校図書館メディアを組織化するための具体的な作業には、まず、メディアの分類作業がある。各メディアの主題やジャンルを分析し、それを件名として表示させる作業である。
次に、目録作業である。メディアのタイトルや作成者、形態、出版に関わるデータや分類、件名を記録する作業である。
みっつめはメディアの装備と排架である。メディアを分類ごとに物理的に並べていく。

次に学校図書館メディアの組織化において重要な、資料のアクセス方法についてである。利用者が任意の方法でスムーズに資料にアクセスできるように、複数の資料へのアクセス方法を用意しなければならない。
例えば、蔵書検索の有効な手がかりとされる図書館目録では、キーワードから探せる件名目録や、主題やジャンルなどから検索できる分類目録などを備える。
また、学校図書館のメディアを、授業などの学習指導にスムーズに活用できるようにするために、目録だけではなくインターネットや情報端末にも対応した、学習単元ごとの索引の作成や、課題に役立つ文献や記事の提供も望ましい。
以上のように、学校図書館メディアへのシンプルかつ豊富な検索手段を提供することで、メディアと利用者を結びつけることができるため、その組織化は非常に意義があるのである。

日本十進分類法(NDC)を適用する意義
図書館は多数の図書やメディアを収蔵しているため、これを利用者にスムーズに提供するためには、図書館メディアを分類するなどの準備作業が必要となる。
これを学校図書館メディアの組織化という。分類とは、主題などの特性に基づいて資料を分けていくことで、これにより利用者は資料の検索がしやすくなる。

分類の方法には大きく二種類の方法がある。ひとつめが列挙型分類法である。
これは図書の主題に基づいた分類項目(例えば社会科学や自然科学、芸術などのジャンル)を事前に分類表として作成しておき、その表に基づいて、画集だったら芸術の項目に、というように、各資料を選別していく方法である。
メリットは、分類表が階層を持ったツリー構造なので、分類のルールが明確である点である。
デメリットは、資料の主題を必ず分類表のいずれかの項目に該当させなければならず、例えば複数の項目に該当するような資料や、既存の項目に当てはまらない資料が出てくるなど、精密な分類を行うことが困難であるという点である。列挙型分類法の代表的なものが、日本十進法分類(Nippon Decimal Classification)である。

ふたつめが分析合成型分類法である。列挙型分類法では対応しきれない複合主題をもつ資料の増加を受けて、これを補うものとして考案された新しい分類法である。
「アメリカの文学」「SF小説」「マイクル・クライトン」「量子力学」「歴史」「2000年代」など、資料が持つ様々な属性やジャンル、キーワードを複数抽出し、それ(ファセットという)を合成することで分類記号を作る。
メリットは、複合主題を持つ資料でも、主題の要素を柔軟に反映する分類記号が作れること。
デメリットは分類記号が複雑になり、複数の主題にまたがってしまうため、実際の排架には用いられないという点である。

現在、学校図書館では、実際に本棚に排架できる列挙型分類法が採用され、その中でも1948年に『学校図書館の手引き』において推奨されたNDCが主に用いられている。
NDCは、学校図書館に関わらず、どの図書館でも共通して利用が可能な「標準分類表」であり、分類の仕方もシンプルなので児童生徒にも理解しやすい。
また、蔵書規模によって分類体系の修正ができることから、分析合成型分類法のように分類番号の複雑化を防ぐことができる。例えばNDCの分類番号は3次区分が基準なので3桁で表示ができる。仮に蔵書数が多い分類の資料があった場合は、4次区分を使って地域や言語によって分類する。

別の検索ツールとしては、分類目録の他に、主題を表すキーワードで検索することができる便利な件名目録がある。しかし、抽出する主題語を一意的に決定する必要があること(タイトル順か作家順か、など)、階層ではなく50音順に並べられるため、関連する主題が別の場所に排架されるなどの注意点がある。

 こういったメディアの組織化(=分類法)についての知識を児童生徒に授けることは、児童生徒の主体的な情報リテラシーの育成につながるため、非常に意義が大きい。
例えば、NDCについての知識があれば、調べ学習の際などに学校の内外を問わず自分の力で目的の資料を見つけることができるようになる。そのため、学校図書館における環境整備の際には、収蔵メディアをNDCの原理に従って排架するのはもちろんのこと、分類表やメディアの配置図を掲示したり、リーフレットやポップを使ってわかりやすく伝えるような工夫が重要になってくる。

目録の意義
学校図書館の資料はNDCの分類表に沿って配架されるので、その分類記号を手がかりに必要な資料を探すことになるのだが、一部の蔵書は書庫の中にしまってあるので、館内の書架(開架)を探しても見つからない場合がある。また、タイトルや著者名ははっきりしている場合でも、分類表の知識がなければ、どの書架にあるのかわからないということもある。さらに、図書館の資料が貸出や修理で書架にない場合もあるため、書架を見ただけでは図書館を有効活用できないのである。

このような問題を解消するための検索手段として目録が作成されている。目録とは、図書館の所蔵資料について、タイトル、著作者、外見(大きさ、ページ数)などの特徴、出版に関する事項などを一定の規則と順序に従って記し、検索できるように作成されたデータカードのようなものであり、書誌と近いが、目録には、前述の収蔵資料のデータに加え、本図書館が保有している冊数、配架場所、資料番号、受入番号など、その図書館独自のローカルデータがあるという相違点がある。

これまでは、この目録は紙のカードによって作成されていたが、これを電子化することによって、場所をとらず自動的に配列することができるようになり、また、豊富な検察キーワードに対応できるようになった。
こういった電子目録はOPAC(オンライン・パブリック・アクセス・カタログ)と呼ばれており、特別な訓練を受けることなく、利用者が直接、端末を操作して任意の書誌を検索できるようになっている。
また、これをインターネットに公開すれば、図書館の外部からでも直接検索が可能になり、いつでも好きな場所で目録を扱えるようになるのである。

学校図書館の利用指導においても、児童生徒に目録について学習を積極的に取り上げることが望ましい。
例えば、書誌を実際に引かせたり、図書館運営者のロールプレイとして目録を作成させたりする。こういった体験をさせることで、児童生徒は受動的な利用者から、能動的な図書館のプロモーターになり、主体的な学校図書館の利用と、その発展が期待できるのである。

ミケランジェロ展への旅(すみだ水族館付き)

 ミケちゃんの彫刻『ダビデ=アポロ』が来日ということで、国立西洋美術館へ行きました。ここって前にも何回か来てるんだけど、展示数がものすごくて、初見時はペース配分を間違えて後半脱落し(ルネサンス、マニエリスム、バロック、ロココ、古典、ロマンくらいまでは見れた)、今回は後半の近現代~現代アートの常設展も見るべくリベンジしました。つーかラファエル前派もあったし、多分ないのはプレ・ルネサンスくらいじゃないかなあ(現代アートもちょっとだけある)。国立だけあってすげえ網羅してる。

 で、特別展の『ミケランジェロと理想の身体』なんだけど、要はミケをはじめとするルネサンス期の作家が影響を受けた古代ギリシャやローマの発掘された彫刻作品を豊富に集めて、ミケの彫刻のルーツを紹介するような構成だった(特に支脚と遊脚の区別、コントラポストの影響を強調していた)。
 写真は当然アウトで、『ラオコーン』のレプリカというかリメイク彫刻だけは撮影可能だったんだけど、まあここまで来たらそういう気持ちも消えたよ。というか、ラオコーンはやっぱり石膏デッサンでも描く元祖の人物配置の方がやっぱり上手だよな。動きがあって。まあ、私はラオコーン描いたことないけど。石膏好きじゃなくての。好きな美大生いないと思うけど。
 で、ミケランジェロの彫刻は二点来てて、『ダビデ=アポロ』(ダビデかアポロかの判断がアトリビュートの欠如=未完成によってできないため、こういう風に呼ばれているらしい)と『若き日の洗礼者ヨハネ』なんだけど、どちらも男性の彫刻なんだけどすごいふくよかで、中性的というか、セックスやジェンダーを感じさせない表現になってて、やはり神話や聖人のモチーフだし、性別を超越した感じにしたかったのかな、とか。
 私のイメージだとミケランジェロってマッチョな筋肉表現が好きな感じするけど、確かに言われてみれば、あの有名なダビデ像も、巨人ゴリアテに石ぶつけて殺したとは思えないほどの細マッチョで、そういう線の細い路線も行けたのかもしれない。絵画だと『最後の審判』とか北斗の拳っぽいんだけどね。

 つーかさ、日本の美術館がやっぱり遅れてんなって思ったのはさ、静かに鑑賞しなきゃダメっていう、このジャップのマナー大好き加減だよね。イギリス人は、料理は舌ではなくマナーで食べるって言われているけど、日本の美術鑑賞もそれでさ、目ではなくマナーで見てるから、門外漢の人たちが「オレたちには崇高でわからねえ」って敬遠して、結局保護しないと維持できなくなってんだよな。
 ヨーロッパのミュージアムなんかは、作品の前で普通に議論したり、キュレーターが解説してくれて、すごい面白いんだけどね。これは、こいつらに美術の素養があるためで、向こうでは高校までに必ず美術史をガッツリ学ぶからなんだけど、だから日本でもちゃんとやったほうがいいよな。まあ、強いて言うなら日本史の授業で一通りさらうんだけど、別にアートを重点化している授業ではないしね。
 ここを、けっこう理解してくれているのが、小規模な地方の美術館で(お客が国立に比べて少ないってのもあるかもしれないが)わりと鑑賞中のおしゃべりはOKで、やっぱり国民の税金で運営できる国立の傲慢さってあるよなw
 でも、最近は映画館でも喋りながらファンが見ていい上映もあるって言うじゃん。だから日にちを決めておしゃべり解禁デーをつくってもいいよな。
 そもそも、同じミュージアムである動物園や博物館は喋っていいのに、美術館だけは怒られるってよくよく考えると謎だよ。明治初期の頃、鑑賞の仕方がわからない無教養な客が来ちゃって、飽きて退屈になって騒ぎ出して、運営側がひどい目にあったとかそういうことがあったりしたのかな。

 あと、東京観光二日目には、ついに初スカイツリーも叶いました。まあ、展望台には登らなかったんだけど、すみだ水族館にはいった。ここも、あれだね、入場料がすげえ高くて、しかもなんつーか学術的というよりはアートに寄ってて、こじゃれてんな~(C)菅原文太って感じだったな。
 中にいるのは若いカップルだらけだしな。海洋生物マニアのオフ会とかで絶対来ないような、このオシャレ感。そもそも、魚の生態を紹介するキャプションがほとんどないのが驚いたし、まあこういうアプローチの水族館があってもいいと思うけど、なにしろ、『ダビデ=アポロ』と違って、あいつらは生きているからね。それをアート的な展示として「どうだい、美しいだろ?」とかやっているコンセプトにちょっと抵抗は感じた。
 だいたい、こういうのに美術やってるアートバカが絡むとろくなことならないからな。すごいキザっていうか、偏差値は20は落ちるよ。まあ、それがいいのか。
 あと、なんで細田守のアニメとコラボしているのかがさっぱり分からん。ただでさえ狭い水族館のフロアにアニメの原画を置くんじゃねえよっていう。
 これが、ニモとか、ポニョとか、遠い海から来たクーとか、七つの海のティコとかなら、ギリギリ許すけど、『未来のミライ』って海洋アニメだったのか??

 まあ、水族館は大衆的なデートスポットとして消費されている面はあるから仕方がないんだろうけどね。やはり、男は黙って科学博物館だな!ここは閉館時間が延長されていて、人生初のナイトミュージアムが堪能できて、ちょっと満足だった。
 今回は物理学のところを中心に見たんだけど、なんか今回の記事は文句ばっかだけど、ここもよく見てみると、キャプションの説明不足なところあるよね(キュリー温度の説明とか)。限られたスペースでできるだけ正しくわかりやすく原理を説明するっていうのは至難の業なんだろうけど。だから、やっぱり学芸員なりキュレーターなりが、フロアに常駐していて、疑問のある人がすぐに聞けるといいよね。
 美術館なんかはフロアにたくさんスタッフがいるけど、あれは見張りなだけで、専門家ではないと思うしね。でも、ちょっと展示物に疑問があって質問したら親切に答えてくれたけど。
 科学博物館はすごい来館者を信頼しているのか、見張り全然いないよな。
 で、こんなこと思ったのはさ、普段はこしさんとかと自分らが詳しい恐竜のコーナーとかに行っているから、キャプション以上のことをこしさんとか知ってるからさ、展示解説に不満とかを今まで感じなかったわけで(そもそもキャプションを大して見ていない)、やっぱり全く詳しくない人からしたら、恐竜コーナーの解説も不十分だったり不親切だったりするのかも分からないよね。

 本来はこういう施設って、真剣に学問を学びたいというニーズを受け入れる社会教育施設であるべきなんだけど、不特定多数の人を相手にするってことで、いろんなアプローチや工夫を試行錯誤して独自性を出してるんだろうね。まずは、興味を持つきっかけを持ってもらいたいって感じなんだろうな。
 そんな運営側の事情も知らず、いろいろ消費者の分際で文句を言って許してくれ。私はクズです。クズ人間です。さて次回は、四暗刻単騎、純正九蓮宝燈、国士無双十三面待ちの3本です。

『優等生学』制作裏話

 とはいうものの、忘れちまったよそんな昔(07年)のことはよ。すごい記憶を搾り出すと、この漫画・・・タイトルから思いついたっていう珍しいパターンだったような気がする。自分で言うのもアレだけど、タイトルがいいよね。この漫画。

 この当時・・・というか今もだけど、お受験が過熱してて、その背景にあるイデオロギーって優生学だよな、とか。
 まあ、経団連とか財界の要請で、日本の公教育の目的(学習指導要領)もコロコロ変わっちゃうんだけど、結局一貫しているのは「企業の即戦力になるような人材を学校は作れ」ってことで、そうなると、この前の自民党の議員さんが、性的マイノリティの人を子ども作れないから生産性なしとか失言したのと一緒で、それは恐ろしい殺伐とした教育現場になるっていうのは、もう、『崩壊するアメリカの公教育』を直ちに読んでくれとしか言い様がないね(ちなみに、この漫画では07年の厚労大臣による「女性は産む機械」発言を取り上げているけど似たようなもんだろ)。
 まあ、だから最近不祥事が多すぎだけど、文科省とか教育委員会とかを経て、学校現場に降りてくるまでに、財界の要請をうま~くいなしているというか、カルピスのように徐々に薄めていって静かな抵抗をしているっていうね。

 というか、この漫画描いててなんか思っていたのはさ、まだ自分も若かったからっていうのがあるんだろうけど、学歴コンプレクスとかじゃなくてさ、学歴でも年収でもいいけど、そういう一元的な尺度だけで人間を評価するという感性の乏しさが嫌だったっていうのがあるよね。
 SNSで繰り広げられる白黒思想も嫌いだし。世の中の問題ってもっと多面的で複雑だろっていうね。俳句の文脈で、議論やディベートをすんじゃねーよっていう。
 さらに言えば、多様性を認めよう!とか、生きる力の育成!とか、アクティブラーニング!とか、そういう、思考の柔軟性だったり主体性を、政府が強制するのが、私はすっごい矛盾だと思うよ。精神の自由に抵触しかねないしね。
 で、なんで戦時中でもないのに政府がそんなこと強制するはめになったんだっていうと、結局キャピタリズムを社会が無警戒に受け入れているからだと思う。市場主義を推し進めると個人主義が蔓延して、保守思想だか全体主義だかのイデオロギーで国家をまとめるしかないからね。
 そういう、構造的なダブルスタンダードが露骨になっちゃっているから、主体的かつ対話的な深い学びをすればするほど、どう考えてもおかしいだろってストレスだけは溜まるのです。
 まあだから、主体的に考えて、今の時代は主体性をなくしたほうがいいんだろうなって空気を読む人材育成なんだろうな。ひでー話だよ。

 あれ、全然本編の裏話をしてないぞ。え~と、でも、こういう技術っていよいよ現実味を帯びてきたよね。
 東京医大による受験の不正も、女性が出産をして医師をやめちゃうだろうからとかいう方便で、逆アファーマティブアクション(ってそれはただの差別か)をやってたわけで、機械に代わりに出産してもらえるなら、それはそれで助かるって言う忙しいキャリアウーマンもいるのかな。あとは不妊症の人には福音かも(世良先生は不妊症という設定だったけど重いのでやめた)。
 さらには、遺伝子操作を商業的サービスとして提供する企業も現れたし。悪いけど、この漫画のビジネスが実際にあったら、けっこうな数の教育ママが飛びついちゃうんじゃないかなあ。つまり、これは遺伝病の出生前診断の延長線なだけで。
 社会が高い学力の子どもに高い収入を与え続ける限り、もしその学力がテクノロジーで与えられるなら、やらないわけがないっていう。そうなるとさ、多分、こういうデザイナーズベビーは金持ちを対象にした高額なサービスになって、結局金のある奴が何世代にもわたって勝ち続けるという、恒例の格差の固定化になりそうだよな。

 でもさ、仮にすべての子どもを優秀にしたら、本当に社会は進展するのかっていうと絶対しないよね。だって東大卒の官僚が集まっている中央省庁があの体たらくというか、もうどう考えても嘘ばっか言ってるわけじゃん。
 つまり、合成の誤謬ってやつで、巨人軍とかもそうだけど、個人で優秀な人を単純に集めても組織としてのパフォーマンスが上がるとは限らないっていうね。アベンジャーズ(=仲が悪くいつまでたっても足並みの揃わない組織のこと)になるだけっていうね。
 あとさ、オタクって『シン・ゴジラ』みたいな組織を理想化するけど、あんなん絶対うまくいかないからね。とどのつまり、『ギフテッド』でも書いたけど、人間という種族に生まれた以上は天才といってもたかが知れてるわけよ。数学がすごいって言っても、じゃあ人間全てにおいて優れているかっていうと違うわけじゃん。

 結論を言えばね、理想っていうのは大切なんだけど、個人の範疇の中にとどめておけってことなんだ。理想や目標って自分自身を向上したりする上ではいいんだけど、他人や社会に対してもそれを強要しようとすると、結局それは無理だし、むしろ逆効果でもあるよっていう。
 花輪くんじゃないけど、自分と出自が大きく異なる人(はまじ)たちと、どうやってコミットしていくか、それが社会だと大切で、かつ最も頭を使うことであって、IQは10違うと会話が成り立たないとか言って、自分と学力水準が近い人とばかりくっついていると、それがメンサみたいな集団であってもバカになっていくと思うんだよね。

インクレディブル・ファミリー

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆ アメコミ愛☆☆☆☆☆」

 ちゃんとできれば子育てはスーパーヒーロー並みの偉業よ。

 実は、ピクサーの長編アニメの中で前作の『ミスター・インクレディブル』だけは感想の記事がない。これは、なんでかっていうとあんまり好きじゃないんだよ(ただし超面白いが)。
 あまりに当時のピクサーアニメとは異色で、けっこう人が死ぬんだよね。特にスーパーヒーローに憧れるオタク少年が黒幕だったとか皮肉が効いてて上手いんだけど、けっこう残酷な形で死んじゃうし。え、死んじゃうんだっていうね。
 これは、結局前作が『ウォッチメン』をベースに作っているからで、で、すごい上手にあの深い内容の作品を子供向けに解釈し直しているからこその、隠しきれないダークさが、私にはちょっと受け入れ難かった。まあ、今は『カーズ2』とかもけっこう悪役死んでるし、ピクサー作品で描ける作風の幅を広げたって意味では重要な作品だったんだろうな、と今では思う。
 曲もビックバンド的ですごいいいしね。アメコミの黄金時代である60年代(だっけ?)あたりを明らかに狙って時代設定してるしね。今回の映画もカメラのデザインが古くて、ああ、そこらへんなんだっていうね。家具のデザインとかもそうだよな。

 で、まさかの続編なわけです。なんか15年ぶりくらいな気がするんだけど、前作の最後の最後に出てくるモグラっぽいヴィランがなんとそのまま15年ぶりに登場で、つまり前作の直後から始めてしまうという意表をついた展開で、うわ~そうきたか、そして『ドリー』の時同様なつかし~!っていうwあの最先端のアニメ会社だと思ってたピクサーがなつかし~レガシーを持ってるのがすごいよね。自分も歳をとったよ。
 ほいで、まあ、今回はね。すごいよ。これ作った人相当アメコミ読んでるよね。それも、『ジュラシック・ワールド』みたいにオタクっぽく読んでるんじゃなくてさ、先行研究的に、表面的なデータとかじゃなくて、本質的な部分、なんというか先人作家たち(スーパーゴッズ)のアメコミ魂とか、アメコミ愛をすごい勉強して、作品にふんだんに取り入れてるよね。よくできてるな~って。一作目は、まさかの『ウォッチメン』だったけどさ、今回はなんとなく、スタン・リー作品というか(凶暴なアライグマ出てくるしな)。あれだね。もっといえば『X-Men』によせてきたよね。抑圧されるスーパーヒーローを、性的少数のLGBTとか、発達障害とかの人のように解釈しているところとか『X-Men』っぽいな~っていう。

 で、前作で『ウォッチメン』を扱いながら、描ききれなかった「誰がウォッチメンのウォッチメンになるんだ」っていうテーマを、なんと、すごいですよ、男性社会に対する女性のフラストレーションとともに重層的に描くという、うわあああよくできてるな~!っていうね。
 だから、フェミニズムとか、ジェンダーとか、そういう女性問題の本質的な問題、大正デモクラシーとかで日本の女性運動が結果的にそこまで芳しくなかった、その痛いところ(男なしで自立するよりも男に従っといたほうが楽と考える女性がわりと多かった)をさ、ウォッチメン的な依頼心、もっと言えばル・ボンとかボードリヤールとかオルテガとか、マスメディアに追従する大衆社会の非民主性をも踏まえて、やっちゃうっていうね。すごいよ。
 こういう、西部劇の時代に逆行しかねない、でもアメリカ社会の本質を鮮明にしてくれるメッセージ(統治者にただ守られているだけでいいのか、当事者意識がないのは民主社会としてまずいんじゃないのか、など)はさ、アメコミはすごい好きで、マーベル映画とか超やるけど。メチャメチャうまいよ。本当にすごいよね、ピクサー。DCの『ワンダーウーマン』とか爪が甘いもんね。脚本二回読んでいるのかな、とか思うよね。

 だからさ、なんか怪しい兄妹が出てくるんだけどさ、この映画では徹底的に男は蚊帳の外にするよなって思ったからさ、まあ、黒幕は妹の方なんだろうけど。強いヒーローが弱い民衆を守ること自体を父権主義として解釈していて、それを女性キャラを活躍させることで相対化しているわけですから、今作ではその象徴の三浦友和さん、そしてあの気は優しいんだけど頼りにならなさそうなお兄さんは、ただ、ひたすら情けないっていう。

 前は何が正しいかはっきりわかっていたんだ。でも今は、何が何やらわからない。

 でもまあ、よく妹にお兄ちゃん殺されなかったなっていう、そういうドキドキはあったけど、前作は結構殺されてるからね、こいついうやつ。でも、ああいう形で決着させたのは、まあテーマ的にそうなるんだけど安心したよ。これがやっぱり、前作よりも後味がずっといい理由です。
 ただ、これ果たして女性の人にとっては後味いいのかな。気になる。結局、その路線(黒幕スクリーンスレイバーのイデオロギー)で女性が強くなるっていうのは、男性社会の基準をある意味において承認しかねず、野郎どもの土俵でのし上がることにほかならないんじゃないの?っていう難しい部分はあるよね。まあ、そのツッコミを保守的な右翼的なイデオロギーの正当化に使っちゃダメなんだけど。
 だから、重要なのは、女性の権利を向上させるために政治家がトップダウンで女性活躍社会!って強制するのはおかしくてさ、個人が判断できる選択肢を増やしてあげたり(もっといえば選択肢に関与しない)、自己決定権の保障なんだろうね。
 いわゆる、サザエさんのフネさん的にやっていきたい保守的な女性もいるし、男社会に入ってバリバリ活躍したい女性もいるし。もっといえば、そのどっちか選べ!じゃなくてさ、別にその中間のファジーさがあってもいいし、時と場合やその日の気分で変えたっていいわけじゃん。
 そういう柔軟な生き方を認めることが社会においても大切だよってことを、黒木瞳さんはあの柔軟なボディで教えてくれたのかもしれません。
 あと後味といえば、エンドロールのキャラソンは笑うよね。あれはフルバージョンをサントラに収録して欲しいね。『キャプテン・アメリカ』の戦時国債を買おう!のやつ以来のヒットです。

 ♪イラスティガ~ル!
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