『荒れには必ずルールがある』

 結局、荒れている学校というのは、生徒の自浄力もなく、教師の指導も入らなくなった状態を言う。

 著者は、37年間横浜の公立小中学校で勤務した(うち、生徒指導16年の)元教員、吉田順先生。現在は、その豊富な経験から生徒指導コンサルタントとして全国の荒れた学校を行脚している。すごい。
 本書は、教育現場の資料でも引用されるくらいで、それは机上の空論ではないことを意味するのだろうと。『オレ様化する子どもたち』の諏訪哲二先生同様、事件は現場で起きてるんだ的なパッションが頼もしい。
 この本のテーゼはいたってシンプルで、荒れた学校(および荒れそうな学校)の生徒指導は、荒れた生徒ではなく、むしろ状況次第でどっちにもなびくような多数派――中間的集団にターゲットを絞って戦略をねるべきだという、政治力学的なものだ。
 なんだよ、荒れて手に負えない子は切り捨てて最大多数の最大幸福かよっていう批判も当然あるんだろうけれど、我らがウォーダディ、吉田先輩はこう言う。理想は平和だが歴史が残酷だ。(言ってない)実際はこんなふうに答えています。

 教育というのは全ての子に平等でなければならないし、全ての子を健全に成長させるのが仕事ではないのか。
 もちろんそのとおりである。しかし、荒れを克服した学校に共通しているのは、「中間的集団」をどう育てたかである。実現不可能な目標を何年掲げても、どんなに声高に叫んでも、どんなに抽象的な美辞麗句を並べても意味はない。
 たとえは悪いが、大火事が起きたとする。しかし、水には限りがあり、消防自動車も1台しかない。このままでは周囲への拡大が避けられないというとき(略)私は燃え盛っている家ではなく、その周囲の家に躊躇なく水をかけることだろう。(44ページ)


 戦前的な名誉ある玉砕を吉田ティーチャーは礼賛しないという。以下は本書で勉強になったポイントです。

 第一に、思春期の生徒が起こす多くの問題行動は、大人の犯罪とはまったく違う。大人の犯罪には金銭問題や男女の問題、怨恨などと明確な動機があるが、思春期の生徒には明確な動機がなく、本人すらもわからないことが多い。
(略)
 第二に、言うまでもなく、実は起こしている生徒自身も「オレはここまでやっているのに誰も止めないのか」「いつかは立ち直らなければ」などという迷いを持ちながらやっているのである。ここが大人の犯罪とは決定的に違うところであり、実際、中学校時代に非行・問題行動を起こした生徒の大半は、その後まっとうな人生を歩んでいる。もし、非行生徒がみな犯罪者になっていったら、国中に犯罪者が溢れていることになる。(20ページ)
 
※五つの「壁」をつくる。

①生徒集団の壁(自浄作用)
②教師集団の壁
③親の壁
④地域の世論の壁
⑤法の壁


①と④は最近はあまり期待できない。⑤は①~④すべての壁がダメだった時のリーサルウェポン。

 不可欠な壁は教師集団の壁である。これ以上は許さないという断固たる壁である。「これ以上」のこれはどこまでを基準にしているかは、当然、学校によって違ってくるだろうし、日本中の学校が同じ必要もない。誰もが一致するものの一つとして、「暴力を使って解決してはいけない」「授業妨害をしてはいけない」などがあるだろう。(24ページ) 

 「壁」のある学校が管理的で冷たい学校だと勘違いしてはいけない。荒れを克服した学校の共通点の一つは、いかにこの壁をぶ厚く、より高くつくったかにある。壁を破ろうとしないものには、これらの壁は何の障害にもならないし、むしろ壁の中では自由ですらある。(25ページ)

 今日の学校はむしろ管理しようにも「勝手・きまま」が横行し、競争どころか「全く学ばない」生徒に困り果てているのが本当の実態である。(55ページ)

 もし、教師集団が一致して毅然と“瑣末な”校則を守らせることに血道をあげるならば、子どもたちは息苦しくなるかもしれない。しかし、“授業妨害や暴力”などの問題に一致して毅然と対応した教師に、一般の子どもたちが息苦しさを感じたという例を知らない。(131ページ)

 (服装の乱れは心の乱れといった生徒指導の伝説の“名言”)に共通しているのは、服装や体、床などの外側に見えることを重視していることだ。確かに一利ある言葉ではあるが、そのことが目的化してしまうととんでもない弊害を生むことになる。服装がきちんとしていても、健全に育っているとは言えないし、床がピカピカになっている学校の生徒の心がはならずしもみんな健全だとも言えない。
(略)
 「服装の乱れは心の乱れ(から生じる)」「服装の乱れは心の乱れ(を表している)」という意味ならば、その原因となっている「心の乱れ」に取り組むのが本当だろう。(28~30ページ)

 腐ったリンゴは取り除かなくてよい(31ページ)

 深い理由がなく思春期特有のおしゃれか、一度してみたかったという程度の生徒もいる。そういう生徒は一過性で終わり、意外と広まらないという事実がある。
 一過性で終わらない理由は、親子関係であったり、両親の問題であったり、家庭内に起因することがほとんどである。(略)乱れた服装や髪がその代償であり、サインでもある。そもそも乱れた心が乱れた服や髪を生むのだから、いくら外見を指導しても無理なのである。(32ページ)

 荒れを克服した学校に共通していることの一つは、生徒の起こした問題が人権やプライバシーに関わることでなければ、隠さずに公表してしまうということである。
 やり方もド派手である。(略)
 例えば大きな落書きがあった場合である。内容から考えて生徒も職員も、やった生徒が誰なのか大体は想像がついている。しかし、やったことを認めないことも知っている。かなり荒れている学校なのである。そこで教師側が作戦を立てて生徒たちに取り組ませる。
 まず、休み時間に落書きの前で、落書き消しボランティアを募る。休み時間に何があったのかを訴えて、「あと何人!」などと募るのだから、当然話題にもなる。落書きの場所が別の場所だと、写真に撮って廊下に貼り付け、その前で募るという念の入りようである。休み時間になると、何人かが楽しそうに消すのだから、当然、やった生徒も通りかかることになる。多分、次回からは落書きもしにくくなるだろう。
 別の学校では、破損が起きると「破損修理隊」というのがあって、放課後や休み時間などに直すそうだ。直し方がうまいと、修理一級免許がもらえるそうだから、勉強は全くダメでもこの一級が欲しくて頑張る子もいたようだ。さらにこの生徒の親も「我が子が役に立った」と喜んでくれたらしい。ここまでくると、壊した生徒の“意欲”はかなり削がれる。(34、37ページ)

 人間は大人でも群れる。一人が好きだという人も、ロビンソンクルーソーのような完全な孤独に耐えられる者はいない。学校や社会などに所属している集団があればこその孤独に過ぎない。昨今の「無縁社会」がやがて我が身にもやって来るかもしれないと、多くの年配者に不安や絶望感をもたらしているように、人は基本的に群れてしか生きていけない動物である。
 このことは、学級の子どもたちを見ているとよくわかる。必ず群れる。最近は、ますますその傾向が強くなってきた。その群れからはじき出されたら、別の群れを探さなければならない。もし探せなかったら、不登校になるかも知れないほどの大事件だ。(41ページ)

 非行集団は非行集団のルールに則って、その集団は維持されることになる。だから、かなり反社会的なことであっても平気で実行する。いくら教師が説教しても、あまり効き目がないのは、荒れている生徒にとっては自分を認めてくれる集団が、非行集団しかないからである。(42ページ)

 よく知られているように、逸脱集団の「団結力」や「行動力」「組織力」「指示する能力」「企画する能力」などは、ある意味でほかの集団よりもはるかに優っているのだから、中間的集団は放置すると逸脱集団に飲み込まれるだろう。(46ページ)

 親は、我が子の非をわかっているが困り果てているのだから、追い打ちをかけるようなことをしては共同する関係はつくれない。教師と親の間に、まず信頼関係が生まれなければいけない。(57ページ)

 では、最後に残った本当に荒れていて、親は学校に協力しないし、批判的であるという数人の場合はどうすればいいのだろうか。もし、親の協力も得られないのであれば、もはや打つ手はないだろう。学校教育には限界があり、学校は非行を矯正する自立支援施設ではない。どんな子も中学3年間で立ち直らせることができると考えるのは、“空想的”生徒指導で私の生徒指導ではない。(60ページ)

 警察力に頼らないことの方が、ある意味では無責任と言える。(67ページ)

 (法的な対応は)本当は教育の放棄ではないかという迷いであり 、もっと正確に言うと「教育の放棄と批難されるのではないか」という「批難」への恐れであることが実際のところである。(71ページ)

 悪戦苦闘している教師は、本当はもう「教育の力」では限界であることを実感している。それでも「法の力」に頼れないのは、もちろん教師特有の“良心的”迷いもあるが、主として最終的に判断を委ねられている管理職が決断できないことが多いからである。

 生徒が死に至った事件に対して、マスコミや評論家はこぞって「なぜ警察に出さなかったのだ」と学校の対応の甘さを批判してきた。
 しかし死に至らなかった事件に法的な対応をすると、「なぜ教師は向き合わないのか」「なぜ生徒(加害者)の心に寄り添わなかったのか」などと批判する。これはご都合主義だ。(72ページ)

 誰もが「政治」や「経済」には限界を認めるのに、教育だけには限界がないという論理が私には理解できない。「心に寄り添う」「心の闇の解明」も同様だ。もともと専門家でも何年もかけて1対1で進めることを、専門家でもない一教員に求めること自体が不可能な要求ではないか。(73ページ)

 では、多くの先生たちの眼で見た、“生きた情報”はどうやって集めればいいのか。おそらく、情報を集めるシステムをどんなに作っても、限界があってうまく機能しないだろう。文書報告やメールでの伝達はもちろん論外であり、朝の打ち合わせや職員会議などでよく報告するケースが多いが、これも生きた情報からはまだ遠い。一方的な報告になりがちだ。三つの無駄があると、生きた情報は自然とよく集まる。三つの無駄とは
○無駄な空間(例えば、職員室の後ろにあるスペース)
○無駄な時間(会議も何もない拘束されない時間)
○無駄な世間話(井戸端会議のようなもの)

のことである。指導部は「三つの無駄」を活かすといい。(101ページ)

 悪を理解し共感することと、認めることは違うからである。
 生徒の悪を理解しても、その行為を認めてしまってはいけない。認めてしまったのでは、生徒は自立の挑戦をしているのに、これでは自立ができなくなってしまう。(136ページ)

 どこに座るか、誰と座るかという座席配置が、刺傷事件のきっかけとなるのはまれだが、不登校やいじめなどの問題を深刻化させることは、よくあることをまず確認しておこう。(169ページ)

 故・家本芳郎氏は「“荒れ”とは、定位置につかないこと」(「ザ・席替え」学事出版)と言った。彼らしいうまい言い方だ。その典型は集会である。(173ページ)

 叱る対象を区別することは、とても重要なことだ。(略)何から何まで全力では叱らない。これは教師が楽をするという意味ではなく、何から何まで同じ比重で叱っていたのでは、生徒のほうが息苦しくなってしまうということである。(185ページ)

電磁気学の歴史

 いつかやろうと思っていた企画。というのも、電磁気学の恩恵を現代人はこれほどまで受けているのに、そのいきさつについて全く知らないのは、以下の科学者さんがあまりにも浮かばれねえだろってことで登場順でまとめてみました。

参考文献:山田克哉著『光と電気のからくり』『真空のからくり』ほか

古代
古代ギリシャのタレスが琥珀を毛皮でこすって静電気を発生させる。電気の語源がギリシャ語の「琥珀」に由来するのはこのため。

16~17世紀
大航海時代。

ギルバート(イギリス)
方位コンパスが北を指す理由を地球が巨大な磁石であるとして説明。医者でもあった。

18世紀
産業革命によって電気の研究も始まる。

フランクリン(アメリカ)
1752年に雷の日に凧あげをするという命懸けの実験を敢行し、雷の正体が電気であることを突き止め、避雷針を発明する。
フランクリンはもともと電気科学者ではなく、印刷、出版業出身の政治家だったが(しかもフランスと交渉しアメリカの独立を成し遂げたやり手)、ヨーロッパからの研究者がアメリカで見せてくれた電気実験とそのメカニズムの説明(電気は物質とは別に独立に存在している)に納得がいかず、電気とは物質に付随したものだと考えた。
さらにフランクリンは、電流は電気の粒から成り立ち、この粒が過剰になるとプラスに、不足するとマイナスに帯電すると考え、電気に正負の符号をつけている。電気は物体に付随する性質だと考えていたため、電気を与える方(琥珀)をマイナス極、与えられる方(羽毛)をプラス極とした。
フランクリンはこの他にも消防や郵便事業を始めたり、ストーブを発明しており、万能人間と呼ばれた。

ガルバーニ(イタリア)
1780年、カエルの実験でメスを入れたら脚の筋肉が痙攣することに気づき、動物が電気で動いていることを発見する。この発見はフランケンシュタインの着想になった。
また検流計(電気の量を測定するのではなく電気が微弱でも何でも流れているかどうかをチェックする装置)は、彼にちなんでガルバノメーターと呼ばれている。
ちなみに彼はナポレオン政権時にナポに忠誠を誓わなかったために全財産を没収されてしまった。

スタージャン(イギリス)
1783年に電磁石を発明。また、イギリス初の電動機を開発したことでも知られる。

1784年・・・蒸気機関の発明

クーロン(フランス)
もともとは陸軍のエンジニア(要塞を作っていた)だったが、1785年に、電荷を帯びた棒を糸で吊るし、それを別の電荷で引きつけ、その糸のねじれ具合を調べることで静電気の電荷を測定、クーロンの法則を発表する。
ふたつの荷電粒子の間に作用する電気の力(引力や斥力)は、ふたつの電荷の積に比例し、二つの電荷間の距離の二乗に反比例する。つまり、距離が2倍になると電気力は1/4に、3倍になると1/9にと減っていく。
ちなみに電流の1アンペアは1秒あたりに1クーロンの電荷が流れるという意味。

ボルタ(イタリア)
1799年に、ガルバーニの生体電気説(電気は生物だけが持っている)に対抗するかたちで、金属だけで電気を取り出せるボルタ電池を発明。
電池とは化学反応によるエネルギーで電位差を作る装置のこと。つまり電池が自由電子を回路に支給しているというわけではなく、あくまでも坂道を作ってあらかじめあった電子を循環させているということ。

ハーシェル(イギリス)
1800年に赤外線を発見。

19世紀
電気と磁石が関係していることがわかり電磁気学の研究が飛躍的に進む。

リッター(ドイツ)
1801年に紫外線を発見。
助成金でドイツにやってきたエルステッドに、電気と磁石は何か関係があると自説を論じた。これが後に大きな伏線となる。

1803年・・・ドルトンが原子説を提唱。

エルステッド(デンマーク)
コペンハーゲン大学の先生で、1820年に電流によって方位磁針の針が回ってしまうことを大学の講義中に偶然発見。
これにより磁場は永久磁石だけではなく、電流からも発生することがわかった。
そもそも磁石の力は、どういう了見で発生するんだということを理科の授業ではスルーしてしまうが、山田克哉さんによれば、そのメカニズムは量子力学に由来し極めて複雑である。
大雑把に言うと、永久磁石になぜ磁力があるかといえば、それを構成している原子が永久磁石であるからで、またその原因は、原子核の周りを回っている電子の運動によるというよりは、電子自身の自転(スピン)によるもので、したがって電子自身が永久磁石だということらしい。
このスピンの向きが揃っているため永久磁石は永久に磁石…うん、これは小学校の理科の手には負えない!

アンペール(フランス)
エルステッドの発見に刺激され、1820年に電流と磁界の強さには関係があるというアンペールの法則と、電流と磁界の向きには関係があるという右ねじの法則を発見。

アラゴ(フランス)
1824年に、磁石にくっつかないはずの銅でできた円盤が、磁石に引っ張られて回転するアラゴの円盤現象を発見。
のちに電磁誘導によるものだと解明される(磁石を動かすことで円盤内に誘導電流が発生し、この誘導電流によってモーターのように円盤が回転する)。

オーム(ドイツ)
1826年に電圧と電流の強さは比例するというオームの法則を発見。

ヘンリー(アメリカ)
1829年に、導線に絹を巻くことで絶縁しコイルの巻数を増加させる(導線同士が接触しても大丈夫なようにした)ことで電磁石を改良する。
人格者だった彼は、自身の発見、発明を独占しようとはしなかった(人類の財産だと考えたため特許を取らなかった)。その例の一つがファラデーに先駆けて発見した電磁誘導だった。その後、業績を譲ったファラデーとは友人になった。
ちなみに電磁誘導の度合いを表すインダクタンスの単位は彼をたたえてヘンリーという。

ファラデー(イギリス)
1831年に、一本の鉄の棒に互いに接触しないように二つのコイルを巻き付け、一方のコイルには電源装置、もう一方のコイルには検流計を取り付け、電源のスイッチをカチャカチャやると検流計の針が振れることを発見し、この現象を電磁誘導と名付けた。
この時、磁場の強弱の切り替えギャップが大きいほど誘導電流は大きくなる(ファラデーの電磁誘導の法則)。これが発電機の発明につながった。
彼は電磁誘導の他にも磁力線の概念やイオンなどの用語も考案している。
このように数々の偉業と遂げたファラデーは、貧しい鍛冶屋のせがれで小学校レベルの学校教育しか受けていなかった。田中角栄級のロマンのある逸話である。
ちなみに中学校で習うフレミング左手の法則は、フレミングが大学の講義で学生に分かりやすくファラデーの電磁誘導を説明するために考えたもの。フレミング自身の発明としては世界初の真空管がある。

レンツ(ロシア)
1834年にレンツの法則(電磁誘導における起電力の向きは電磁誘導の原因を妨げる向きである)を発見。

モールス(アメリカ)
1837年に有線電信機を発明した画家。

ジュール(イギリス)
1840年に、ジュールの法則(電流による発熱)を発見。

ヘルムホルツ(ドイツ)
1847年にエネルギー保存の法則を発見。

プリュッカー(ドイツ)
1858年に陰極線の蛍光作用を発見。
彼の弟子のヒットルフは真空管の中に金属板を入れ、その影ができる方向から真空放電の向きがマイナスからプラスであることを突き止めた。

1859年・・・ダーウィンが『種の起源』を発表。

メンデレーエフ(ロシア)
1869年に元素の周期表を発表。
つまり山田克哉さんによれば、電気の研究は、原子の概念を考慮しないで別個に行われた。

マクスウェル(イギリス)
1873年にこれまでの電磁気学の集大成的ルールであるマクスウェル方程式を発表する。
マクスウェルはファラデーとは対照的に高等教育を受けたエリートで、ファラデーの電磁誘導作用(磁場が電場を作る)の逆(電場が磁場を作る)もいけるんじゃないかと考えた。
マクスウェル方程式は4つの式で構成され、そこから以下の5つのルールが導き出せる。
➀磁場を時間的に変化させると、時間的に変化する電場ができる。
②電場を時間的に変化させると、時間的に変化する磁場ができる。
③電荷は電場を作る。電荷なしでは電気力線の数は変化しない。
④磁場は電流によって作られる。
⑤時間的な変化によらず磁力線は絶対に輪っか状に閉じている。

これにより電場と磁場は統一されて電磁場となった。
さらに➀と②からマクスウェルは、電場と磁場が交互に波のように伝わっていく電磁波の存在を予言したが、実際に電磁波が観測されたのは彼が亡くなって8年後の1887年のヘルツの実験だった。
ちなみにマクスウェル方程式(から得られる波動方程式)でマクスウェルが電磁波の速度を計算したところ、光の速度と一致した。これにより光の正体は電磁波だということが突き止められた。

ベル(アメリカ)
1876年に電話機を発明。優秀な教育者でもあった。

エジソン(アメリカ)
1879年に白熱電球を発明(厳密にはフィラメントに京都の竹を使って改良した)。
ちなみに同じ年にファーブルが昆虫記を出している。
また、直流を用いた送電方法に固執し、交流を支持したニコラ・テスラとは電流戦争を繰り広げた。

アレニウス(スウェーデン)
1887年に電解質溶液の電離説を発見。

1889年・・・ガソリン自動車の発明

レントゲン(ドイツ)
1895年にX線を発見。

マルコーニ(イタリア)
1895年に無線電信に成功。

ベクレル(フランス)
1896年にウランの放射能を発見。

JJトムソン(イギリス)
キャベンディッシュ研究所に所属していた物理学者。1897年に電子が存在することを確認。
ちょっとガスが入っている“ほぼ真空”の放電管に発生させた陰極線の道すじが、それと垂直な電極によって曲げられることから、陰極線の正体は光ではなく(※光に電荷はない)マイナスの電荷を持ったたくさんの粒(電子)であると結論づけた。
トムソンはこの実験を発展させ質量分析器を作り、電子の電荷と質量の比率である質量電荷比が、どんな種類のガスをガラス管に入れても、どんな種類の金属を電極に使っても変わらないことを突き止め、電子の発見者として1906年にノーベル賞を受賞した。
ちなみに質量電荷比は、陰極線が磁場の強さに応じてどれだけ曲がるか(質量が大きいほど曲がりにくい)、また陰極線が当たった物体がどれだけ暖かくなるかを調べて求められた。

キュリー夫妻(フランス)
1898年にラジウム、ポロニウムを発見。
夫人の方が有名だが、旦那もなかなかで、強磁性体の磁気は「キュリー温度」まで熱するとなくなることを突き止めた。
が、放射能でボロボロになった体でフラフラになって馬車にひかれて若くして死んでしまった。

プランク(ドイツ)
1900年に、レイリーやウィーンの数式を継承&改良するかたちで、電磁波の持つエネルギー量は連続的に変化できず、不連続的(デジタル)に変化し、また、物体が光を吸収したり放射する値は、必ずプランク定数h×電磁波の振動数ν(ニュー)の整数倍であるというプランクの黒体放射理論(エネルギー量子仮説)を発見。これが量子力学の誕生となった。マジで新世紀の始まりである。

20世紀
アインシュタインに象徴される核物理学の時代が始まった。

1901年・・・スウェーデンでノーベル賞が制定。

ラザフォード(イギリス)
1903年に放射性元素の崩壊を提唱する。

アインシュタイン(ドイツ)
1905年に『動く物体の電気力学について』で特殊相対性理論(重力を考慮しないやさしい方の相対論)を提唱する。
素朴な疑問を大切にするアインシュタインは、動く電荷によって磁場が発生するというなら、観測者がその電荷と一緒に動いたら、その磁場は観測できないんじゃないかと考えた。
この相対的な関係は電場も同様で、だから磁石にコイルを通過させるだけで電流が流れるのだと考えた。
このアイディアを発展させると、動いている定規の目盛りを静止している観測者が読むと、長さは縮んでしまうことになってしまう。
こうして、これまで絶対的な尺度と思われていた長さや質量や時間は相対的な尺度に過ぎないと、アインシュタインの理論は各界に波紋を起こした。
さらに事態をややこしくしたのが、光の速度で、これは例外的に絶対的だった。つまり仮に光の速さで光と併走しても光はやっぱり秒速30万キロメートルで進んでいるように見えるのだという。
ちなみにE=mc2という有名な式だが、これは質量に光速度の二乗というとんでもなくでかい数をかけた値がエネルギーの合計と言うことなので、とっても小さい原子ですらとんでもないエネルギーを持っているということになる。これこそアトミックパワーである。
実は、アインシュタインは同じ年にもう一つの偉業をなしている。
それが光量子仮説で、光を真空中の金属に当てて電子をはじき飛ばす光電効果の実験結果(光が金属に当たった瞬間に電子ははじき飛ばされる。金属の種類と光の色の組み合わせによっては、どんなに光を強くして長い時間当てても電子ははじき出されない、など)が、光を波と考えるとつじつまが合わないことから、光には粒的側面(一発勝負的性質)もあると考えた。
この時の光は光子(フォトン)と呼ばれ、こういうダブルスタンダードも光が小悪魔的な所以になっている。
ちなみに光子のエネルギーの量は、その光のによって決まり(E=hf)、金属の中の自由電子にぶつかると自分が持っていたエネルギーを気前よくすべて与えて消滅してしまう。

ラザフォード(イギリス)
1911年に原子核の存在を確認。

ミリカン(アメリカ)
1911年に行なった油滴実験で、電子一個分の電荷を測定。その値は、だいたい1.6×10-19クーロン(自然定数)。
油滴実験とは、上下に電極がある装置の中に霧吹きで油を噴射し、その粒を、電極の電気力と油滴にかかる重力を釣り合わせることで空中に静止させ、この時の電場の強さから油滴の電荷を測定する実験。
このとき測定された電荷の値が、必ずある定数の整数倍になっていることから、電子一個分の電荷が求められ、この数値とJJトムソンが出していた、電荷/質量の割合から、電子一個分の質量も算出された。

ボーア(デンマーク)
1913年に原子構造をモデル化する。
プラスの電荷を持つ原子核と、マイナスの電荷を持つ電子が互いに引き寄せられて水素原子がつぶれてしまわないのはなぜか?という考えてみれば不思議な問題に真剣に取り組み、陽子の周りにある電子の軌道は複数あり、そこを回る電子の角運動量は飛び飛びの値を持つ(電子は勝手気ままな軌道を取れない)と考えた。
熱エネルギーが与えられた電子は外側の軌道に移り不安定になるため、電子は軌道を内側に移しながらクオンタムジャンプを繰り返す。この時に光が発せられるから、熱された物は光るのである。

1919年・・・野口英世が黄熱病を研究。

コンプトン(アメリカ)
1923年に、光(光子)が電子と衝突し電子を吹っ飛ばすとき、その分のエネルギーを消費させる(=振動数を減らす)コンプトン散乱を発見。

パウリ(オーストリア)
師匠はボーア。1924年にスピンまでを考慮に入れた同一の物理状態は一つの粒子が独占してしまうと言う排他律を発表した。
これによれば、1番内側の軌道(n=1)は2席、次の軌道(n=2)では8席、その次(n=3)では18席・・・と電子が座る席の数はあらかじめ決まっており、原子の周期はこのルール(席の数は2n2)に基づくとされている。

ド・ブロイ(フランス)
1924年に、質量のない光(電磁波)が粒子としてふるまうことがあるなら、逆に質量のある電子などの粒子も波として振舞うんじゃないかというド・ブロイ波(物質波)を提唱。
ド・ブロイの式は「波長=プランク定数/運動量」と表され、この式を波の性質と粒子の性質(運動量は粒子の性質)に置き換えれば、「波動性=プランク定数/粒子性」となり、プランク定数が波動性と粒子性の橋渡しをしていることがわかる。
ちなみにプランク定数は6.6×10-34J・sと極めて小さい。そのため、電子のような小さな粒子(=運動量が小さい)の波動性は観測され、野球ボールのような大きな粒子(=運動量が大きい)の波動性は観測できない。

ベアード(イギリス)
1925年にテレビジョンを発明。

ディラック(イギリス)
1928年に電子のスピンを盛り込んだ『相対論的量子力学』の論文を発表。これによれば電子のスピンはたった二つの回転方向(座標軸から必ず上向きか下向きに54.7°)しか存在しなかったり、スピンの強さも(√3/2)×プランク定数÷2πという値で確定していることから、地球の自転やコマの回転とはメカニズムが本質的に違うらしい(というかよくわかっていない)。

クノールとルスカ(ドイツ)
1931年に電子顕微鏡を発明。
可視光線の代わりに電子線を当てるタイプの顕微鏡。電子線を観察したいものに正確に当てるには、真空と高い電圧を作らなければならないので、光学顕微鏡よりはるかに大掛かりな装置が必要になる。しかし光より波長が短い電子線を使うため分解能はずば抜けて高く、またピントの合うエリア(焦点深度)も広いため、ウィルスも立体的に見える。

チャドウィック(イギリス)
1932年に中性子を発見。

1947年・・・電子計算機が実用化される。

1948年・・・トランジスタが開発される。

1954年・・・ソ連で原子力発電が開始される。

1957年・・・スプートニク1号の打ち上げ。

1963年・・・衛星中継放送に成功(第一報はケネディ大統領暗殺)。

1969年・・・アポロ11号が月面着陸。

SNSでモラルは形成されない

 アメリカで人工知能にSNSをやらせたら、たった一日で差別主義者になっちゃったっていうニュースには久々に大爆笑したなあ。
 実はトランプさんも人工知能なんじゃないかって。だって、あの人突然現れたじゃん。数十年後、機密指定が解けたんで今なら話せますけど、実はあれってシンクタンクがSNSを分析して作った大統領AIだったんです、みたいな。
 そんな感じでいろいろイマジネーションを刺激される話だったんだけど、つまり、なんのリスクもない第三者の立場では、モラルは形成されないってことだよね。観察者はアダム=スミスの言う、公平な観察者には成り得ないっていう。不確定性原理だっていう。

 じゃあ、人工知能にモラルをどのように形成させるかと言ったら、やっぱりリスクと、その自覚、つまりは当事者意識(=状況把握能力)なんだよな。まあこれは人工知能に限らず、人間でもできないことがあって大変なんだけど。
 とはいえ、ホッブスじゃないけど、ほとんどの人は自分が死んじゃうのを嫌がるから、みんなと折り合いをつけて暮らすしかねえかってことで、自分の権利を制限するんだけど、逆を言えばそういうタガが外れちゃった人はどうにもなんねえぞって。だから自爆テロの対処は難しいし、カタギの社会においては恐怖なわけだ。
 この人工知能の設計上の盲点は、そういう発言を繰り返すと自分が消されちゃう可能性があることをメタ認知できなかったことだよね。

 それに、このニュースの人工知能はSNSだけやってればいいのかもしれないけれど、世の中には私たち同様、リアルにコミットして折り合いをつけなきゃいけない人工知能もいて、グーグルカーとかは複雑な現実にも適応しなきゃいけないから大変だよな。この前事故っちゃったらしいけど、まあ、頑張れ。
 でも、現実での運転を繰り返しながら、ネットでいろいろなドライバーの情報や知恵(ビッグデータ)を集めれば、すごい成長は遂げる可能性があるという。
 ほんで、タクシードライバーなんかは運転技術だけがサービスじゃないって学習してさ、お客さんに気い効かせたつもりで、芸能人やスターの家の場所教えちゃったり、「この前ね、深夜に女性乗せて、気づいたらいなくなってたんですよ」とか稲川的な小噺言いだしたら、いよいよAIドライバーの時代やってきたなって思うよな。うるせえよっていう。
 なんにせよ、人工知能がリアルとバーチャルのバランスをうまくとれたとき、確実に一つの仕事は奪われるよね。人工知能もやっぱりヘーゲルなわけだよね。

 だから、人工知能がネットのやりすぎに変になっちゃったのは環境が原因になるのに、なんで人間だと環境じゃなくて個人のせいにするんだっていう意見がツイッターであったけど、まあ、それもそういうことだよ。
 たとえ、ネット環境が原因でも、環境が原因であることを自分で自覚できないってことは、結局その人が原因なわけで。この人、ネットと距離感取れてねえよっていう。
 そして、そういう自覚っていうのは、やっぱり現実とネットの立場を乖離させすぎると薄れていっちゃうんじゃないかって気がする。
 それに自覚は薄れても、本音と建前って完全に分断できないし。やっぱネットの言動がリアルでにじみ出ちゃうこともあるだろうし。

 だから、ネットを断てって言いたいわけじゃなくて、ネットを利用しても、ネットに支配されるなってことなんだなって思った。
 むしろ、リアルが精神的な逃げ場になることだってあるだろうしね。ネットは情報の更新速度があまりにも速くて、動物として適応できるレベルじゃねえって。そして、モラルは歴史的な大きなタイムスケールでゆっくりと形成されるエートスだから、ネットに転がっているようなもんじゃないんだよね。
 例えば、朝の通勤とかでよく、なんでこんなに道路でネコがひかれてるんだろうって思うけど、にゃんこも自動車の速度に適応できないから、ひかれちゃってるわけで。
 渡るなら渡りきれよ、お前って動体視力よくて敏捷なはずなのに、なんであとちょっとの位置でトラック二度見しちゃうんだよって思うことあるんだけど、野生の世界であの大きさの動物があの速度で動くことってないもんな。
 だからオレ達も定期的にネットというトラックにひかれているわけだ。無理して付き合うことはない。適応できないものはできない。それでいいんだよ(なぜか水谷

『俺ルール!自閉は急に止まれない』

 著者は翻訳家のニキ・リンコさん。「自閉っ子の行動にはこんなに“浅いワケ”があるのです!深読みをやめれば、わかりあうヒントになる」の帯が秀逸w

 本書では「自閉っ子」と書いてあるけれど、ここで取り上げられているのは、自閉症の中でも知的な遅れを伴わないタイプ、いわゆるアスペルガーで、ニキさんも30代でアスペルガーだと診断され、この本はその実体験を綴ったもの。
 アスペさんの苦労や葛藤、認識傾向が、まるでさくらももこエッセイ的に、さっくり読めてしまうが、意外と自閉症の人の見えている世界を深く考察したチャプターもあって、勉強になる。脱力系の文章&イラストに騙されてはならない。
 小学校の頃に水やり係に任命されて、雨の日にも外で律儀に花に水をやっていたエピソードは、微笑ましいようにも思えるが、当事者にとっては深刻な問題なのかもしれない。とにかく、支持や命令を額面通りに受け取って例外に臨機応変に対応できないアスペルガーの大変さがわかる。
 しかも当人の気質は、決して真面目に仕事に取り組むタチじゃないっていう。気質(なまけもの)と障害の特性(マジメ)が一致していないという。これは辛いよな。

 こちとら、好きでりちぎに行動とってんじゃないやい。
 応用力がないおかげで、しかたなく、ハイパーりちぎな行動パターンに閉じ込められているだけなんだからね。
 それに、私はちょっともりちぎ者じゃないもん。(53ページ)


 しかし、これって周囲の人も大変だよな。ファジーじゃないことのほうが現実では少ないわけで、となれば、アスペさんがすべてのファジーに適応できないというわけでは決してないということになる。
 したがって、ニキさんは雨の日に水やりに行っちゃったけど、別のアスペさんは「水やりは基本的には毎日するんだけど、雨の日はしなくていいよ」ってあらかじめ指示したら「当たり前だろ、バカにしてんのか!」って怒り出す可能性もあるってわけだ(今のニキさんにそういう指示をしても失笑されるか、気を悪くされるだろう)。
 つまり、相手や事例によって、このファジーは大丈夫、このファジーは無理って違うわけで、これは正直かなりめんどくさい。まさに俺ルール!!
 だから、この人はアスペルガーだからと、一括りの対応はできないってことを肝に命じる必要がある。でも、これ対人コミュニケーションにおいてとっても重要なことなのかもしれないな。理解し合うということ。相手の俺ルールを。

 以下は興味深かった箇所。

 私はけっこういろんなことを知っていたと思う。自慢じゃないが、虫の名前と、会社のロゴなら、同級生に負けなかったはずだ。
 でも、「知ってること」と「知ってること」をつないでみることが少なかった。
 それで、応用がきかなかったんじゃなかろうか。(37ページ)


 きっと、自閉じゃないひとたちは、複雑な日常生活に能率よく対応するため、よく似たものどうしをざっくりとまとめたり、よく似たものをついでに思い出したりして、かしこく手抜きをしているんだろうと思う。(83ページ)

 本当はわかっていないのに、わかっていない状態をふつうだと思っているから、
 わかっていないことがわからなかった。
 これでは、「教えてください」とも言えない。
 (略)
 自分なりに考えて選んで、結果が思わしくなくても、
 「もっとじょうずな選択ができたのかも」という発想はわいてこなかった。
 自分なりに精いっぱい考えたんだから、これがベストの選択肢に決まっていると思っていた。
 「ベストの選択肢でもこの程度にしかならなかったってことは、選択肢のすべてがショボかったにちがいない」と思うか、
 「ベストの選択肢でもこの程度にしかならなかったってことは、私なんてどうせ、どんないいチャンスを与えられてもダメなのにちがいない」と思うか、
 解釈が両極端になってしまう。
 「本当はよくわからないまま選んでしまったのかもしれない」という可能性には、なかなか気がつかなった。(139ページ)


 そんな執着が生まれるのも、イチゴのいっこずつが「別のもの」に見えているからである。
 フランス料理のコースで、前菜のあとにいきなりデザートが出てきたら、だれだって怒ると思う。
 居酒屋で、ビールや枝豆のほかにいろいろおつまみを頼んで、おつまみがたくさん運ばれてきたのにビールがいつまでも来なかったら、やっぱり怒ると思う。
 イチゴは食べればどれもイチゴの味がするんだから、
 実質的には「前菜の次にデザート」「ビールが最後」みたいな損害は起こらない。
 それなのに、「順番がめちゃくちゃになった」かのように感じてしまう。(196ページ)


 現実では、そう簡単にはいかない。
 私の正面で同級生がふたり、けんかをしているとしよう。そこへ、後ろから別の同級生が近づいてきたとしよう。 
 後ろから来た同級生は、正面で進行しているけんかに関心があるかもしれないし、ないかもしれない。なんらかの反応をするかもしれないし、しないかもしれない。けんかしているふたりだって、もうひとりが来たことで、ふるまいを変えるかもしれないし、変えないかもしれない。
 これがけんかしているのが生身の同級生ではなく、テレビの中の艦隊士官とクリンゴン人であったならどうだろう?
 後ろから近づいてきたひとは、テレビの中のけんかの進行に影響を与える心配はない。「テレビの画面の外にいる」というだけで、「このけんかには没交渉の第三者である」ということが、たちどころに、かつ、確実にわかるのである。
 (略)
 テレビはわかりやすい。(242ページ)


 こんな感じで、アスペルガーの知識(だけ)オタクぶりや、常同性(同じパターンが繰り返されることを好む)、当事者意識のなさ(第三者的発言をしたがる)などの特徴が、的確かつ個性的な表現で、わかりやすく書かれている。
 そういや、東大生ってかなりの割合(4人にひとり)でアスペルガーが多いって話があるんだけど、どうだろう。とんでもない情報の丸暗記をしないと試験にパスできないわけだから、そういう人がたくさんいるっていうのはなんとなく納得はしちゃうよな。

ポスターの歴史

 もう二度と美術は教えることはないと思っていたら、いや~人生は全く先が読めない・・・!かつての美術の授業で用いたレジュメとかいろいろ処分しちゃったので、急遽作り直すことにしました。やっぱ、大学の講義のようにレジュメをここにアップロードしておくべきであった。
 というわけで今回はポスターというものがどうのように発展してきたか。そもそもポスターの定義ってなんだっていう話はあるんだけど、ここでは「絵と文字を使った商業的な宣伝」くらいに考えてください。

古代
モーゼの十戒など。法や協約を板に刻む。

古代ギリシャ(紀元前700年前~)・ローマ(1世紀~)
政治商業などの広告メッセージがすでに存在していた(ポンペイの壁画など)。

ルネサンス(14世紀~16世紀)
15世紀に活版印刷、製紙術の発明などによって書家の職が衰退。
それまでは羊皮紙に人が手作業で書き写していた。

アンシャンレジーム期
16~18世紀のフランスの絶対君主制の時代。
ポスターの掲示には国王の許可が必要になる。

フランソワ一世
「法は板に掲示される。法は紙に大きな文字で書かれ、それらの提出物は保持され撤去については体罰が課せられる」(1539年)

この頃のポスターはほとんど文字だけだった。
芸術的なイラストが入るのは、18世紀に公示された兵隊募集用ポスターなどから。

ポスター広告は教会や金融業者、王の庇護を受けた芸人(観劇)なども利用するようになる。
1679年東インド会社設立もポスターによって公示された。

18世紀
木版(凸版印刷)から石版(平板印刷)へ。

1798年作曲家アロイス・ゼネフェルダー(ドイツ)が石版術(リトグラフ)を発明、弟子のエンゲルマンによって完成。(リトカラー印刷で特許)
違った石に違った色を使って刷る多色石版。

石版術(リトグラフ)の利点
①石の上にじかに描ける(早い!)
②彫らなくていい(簡単!)
③石を磨けば再利用できる(安い!)


19世紀
フランス革命のあとに石版術がポスターに本格的に利用。
香水、医薬品、馬車、時計屋の広告など。
色の付いた絵が全面にひろがるポスターが主流に。
ただ色(いろどり)や転写が不完全だった。三原色を重ねるので色彩が濁ってしまう。

19世紀後半~第一次世界大戦
ポスター黄金時代と呼ばれる。
産業革命によって自由経済が発達。ライバル企業に負けないために宣伝の重要性が高まった。

1865年にブリセ石版印刷工房がエンゲルマンの技術を改良。
簡単に完全な色の転写が可能になる。安く大量の図版が生産できるように。

ジュール・シェレ
多色石版を使った芸術ポスターの父。
女性をモチーフにした陽気で色鮮やかなポスターを1000以上も制作した。

1881年フランス
壁にポスターを貼るのに市の許可が必要になる。
壁の品位を落とすようなポスター(えっちなの)もアウト。
年間使用料を徴収するように→広告掲示会社が設立。

1890年代
パリの芸術家たちが積極的にポスターを制作。
ベタと輪郭線という日本(ジャポニスム)の影響が現れる。

シェレの弟子ロートレックがポスターに作家性を主張する。
「誰が描いているのかわからない描き方は終わった」

アール・ヌーヴォー
「新しい芸術」の意味。これはフランス語で、イギリスでは「モダンスタイル」、ドイツやオーストリアでは「ユーゲントシュティール(青春様式)」と呼ばれる。
植物の蔦などをデザインに取り入れた曲線が印象的な様式。
新古典主義への反発から生まれ、芸術と工業とを結ぼうとした。

グラッセやミュシャといったポスター絵画の巨匠が登場。
どんどん芸術的に複雑化した。

ポスターブーム
ポスターがたくさん出来て収集家も登場、コレクションアイテム化する。

1900年以降
芸術ポスターの没落、ブームが終わる。

カピエッルロ
単純化された図像のポスターを制作(反リアリズム)。
「ポスターの基本は「読みやすさ」と「商標の推定」である」
簡潔で、明度対比で目立つものこそが最高のポスター。

カッサンドル
フランスのグラフィックデザイナー(1901~68)。
「絵画はそれ自体が一つの目標であるが、ポスターは商人と大衆のあいだのひとつの伝達手段に過ぎない。ちょうど電報配達人のようなものである。電報配達人は伝聞を発するのではなく、それを運び届けるだけなのである。誰も配達人にその意見を求めはしない
ポスターにおける幾何学的構成と純粋性を表現。

1904年アメリカ
オフセット印刷の発明。
亜鉛板の原版を一度ゴムの円筒に写し(オフ)、そのゴムが紙に印刷する(セット)手法。
極めて高速でしなやか、鮮明。原版もゴムのブランケットが大量に刷るので摩耗しない。
設備投資は高いが、大量印刷における単価はとても安い。

写真製版
赤青黄黒の四色の密度を調整することで様々な色が表現できる(四回の印刷工程でOk)

色調節の熟練工が消える。

第二次世界大戦後
宣伝手段の多様化(ラジオ、映画、テレビ、インターネット)によってポスターはその一つの手段に過ぎなくなる。
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