社会・地理歴史科教育法覚え書き

来月の試験は教育法が多いので、戦後の社会科教育の歴史を覚え書き。

1947年:社会科の誕生
戦後アメリカによる教育改革が行なわれ、アメリカで実践されているシチズンエデュケーション(公民教育)を輸入するかたちで「社会科」が日本で生まれた。
社会科はよき公民的資質を育成することを目標としており、それはつまり民主社会を成立させるための主権者としての自覚を、将来の社会を支える学生たちに促すというものである。
つまり社会科が我が国で誕生した1947年では、子どもの主体性を育むことを第一に、アメリカ型のプラグマティックな問題解決学習や経験主義に基づいてカリキュラムが組まれていたのである。

1951年:問題解決学習を堅持(第1次改訂)
伝統の軽視、道徳性の希薄、無国籍的性格などが批判されるが路線はほとんど変わらない。

1952年~?:地域教育運動
これは旧来の中央集権型の教育行政への反動であり、その象徴が地域教育運動(各自治体や学校が主体的に考案したカリキュラムに基づいて教育を実践するという、全国的な取り組み)だった。中でも埼玉県川口市の川口プランは、「社会科は他教科に分化・発展する前段階の生活教科と位置づけられ、その学習は子どもの日常生活の体系と構造づけられなければならないとされた」(テキスト37ページ)。

1956年・1958年:系統主義への移行(第2~3次改訂)
1950年代に冷戦が深刻化すると、アメリカは民主化から再軍備へ対日政策を修正し、文部省も教育行政の中央集権化に再び乗り出した。
社会科を解体して、地理科、歴史科、修身科を復活させようという動きが出てきたのもこの頃である(第2~3次改訂。中学校社会科の解体)。
また現場の教育関係者も、「子どもの主体性を重視するあまり、社会の批判的視座を欠落させた適応主義に陥っている」(39ページ)、と社会科批判を行なった。
これにより、社会科は経験主義から系統主義(教科内容の系統を重視する科学的なメソッド)へと転換を迫られることになる。

※ちなみに1年生で地理、2年生で歴史、3年生で公民というザブトン型が導入されたのは第3次改訂。

この流れの中、日本生活教育連盟は社会科解体に対抗するカリキュラム研究を行い、現在の日本が抱える社会問題を構造的に整理し、「子どもに身近な問題」から「社会の問題」への転換を図るとともに、経験主義教育論を継承しようと試みた。

1969年:科学的学習理論の導入(第4次改訂)
60年代に入ると、社会科はさらに科学的なアプローチを重視していく。米ソの宇宙開発競争により、アメリカが経験主義教育を見直し科学教育に舵を切ったことを受けて、高度経済成長期の日本の教育界も、経済成長を担う人材の育成という観点から科学教育の拡充に力を入れだした。
社会科教育においても、発見学習や探求学習といった科学的な学習理論や、課題の設定、仮説の提案、実験、応用という科学的なプロセスが導入された(第4次改訂)。
このような学習理論は、学習内容の増加と高度化をエスカレートさせ、教育現場では膨大な学習内容を消化するため、原因と結果のみを学生に機械的に暗記させる、科学的なプロセスとはかけ離れた授業が行われることになる(新幹線授業)。
このような詰め込み授業は、70年代に入ると受験競争の激化と落ちこぼれ、校内暴力といった社会問題が噴出する一因となった。

1977年:ゆとり教育導入(第5次改訂)
これを受けて政府は「ゆとり」や「人間性」をキーワードに教育改革を試みる(第5次改訂。授業時数の削減)。また地域共同体の再生を目指す取り組み(地域に根ざす社会科)も活発化した。
さらに中学校社会科の分野性の導入は、系統性が高まる一方各分野の相互関連や一体化を追求する動きも進展した(テキスト43ページ)。
一年は地理、二年は歴史、三年は公民というように、各学年ごとに異なる分野を学習するザブトン型を修正するかたちで導入された、1、2年においては地理と歴史を同時に学習するパイ型は、現在も継承されている。

1989年:4観点導入(第6次改訂)
80年代に入ると子どもの学習意欲の低下は深刻な問題となる。生まれた時から社会が平和で豊かである世代に、社会問題に対する当事者意識(=よき公民的資質)を持たせることが困難になってきたのである。
そのため、どのように子どもの学習意欲を刺激するかが教師の課題になった。第6時改訂では、「新しい学力観」として「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」「知識・理解」という4観点を学習指導要領に導入され、小学校では、低学年の社会と理科を統合するかたちで生活科が登場、小学校と高校の社会科は解体され、選択教科の履修幅が拡大された。

1998年:生きる力、総合的学習の時間(第7次改訂)
しかし、子どもたちの学習意欲の減退は90年代に入っても続く。第7次改訂で「生きる力」をキーワードに、ゆとり教育はさらに進み、変化の激しい社会で生きる子どもの主体性と問題意識を育成するということで「総合的な学習の時間」が導入された。

2008年:確かな学力(第8次改訂)
00年代に入ると、これまでのゆとり教育が批判されるようになり(2003年に学習指導要領が一部改正)「確かな学力」を身につけさせるため、学習内容が増加した(第8次改訂)。
今回の学習指導要領改正のポイントは以下の7つである。

①改正教育基本法を踏まえた学習指導要領改訂
②「生きる力」という理念の継承
③基礎的・基本的な知識・技能の習得
④思考力・判断力・表現力等の育成
⑤確かな学力を確立するために必要な時間の確保
⑥学習意欲の向上や学習習慣の確立
⑦豊かな心や健やかな体の育成のための指導の充実。

これらのポイントを受けて、他教科と関連するようなジェネラリズム的な学習内容や、社会の当事者意識を持たせるシチズンシップ教育といった広域的な教育課題に取り組む必要がある。

試験へGO

 試験に行ってきました!前日オピストコエリカウディアなんか描いて、アップしたけど全く反響がなくて、さらにふむなさんのバトンを受けたり、やけっぱちで遊び倒しちゃったんですが、結論から言って試験の方は割とできた。多分、単位取れるでしょ。
 ダメならダメで一度経験したから対策が立てられるし。以下、今日受けた試験の感想。一度に4教科8単位分しか受けられないのが残念。時間的にはかなり余裕があったんだけど。ブログやツイッターで駄文を大量生産しているのが、意外と役に立ったというw

「政治学概論1(国際経済を含む)」
市場の失敗とは何か?という、経済学みたいな設問だった(^_^;)
あと全く同じ名前「政治学概論」って講義が教養科目の方にもあって最初間違えてそっちも解いちゃった。こっちはベンサムの功利主義についての説明。で、それを書き終えて気づいて「はにゃ~!」って感じで残り15分で本来の方を解いた。
すごいややこしい。同じタイトルの授業を複数生産するんじゃない!w・・・ということで一教科多く解いてきちゃった。間違えて解いた答案は試験監督に「じゃ、これはいりませんよね」って目の前で笑顔で真っ二つに破り捨てられたけど(^_^;)

「地理学入門(地誌を含む)」
ひどい。最も試験勉強をやったが、アンデスの植生なんて出ねえじゃねえか!!私、チャラ帯、ユンガ帯、キチュア帯、スニ帯、プーナ帯、ハンカ帯全て覚えたし、しかも農業形態や標高まで暗記したのに・・・(´;ω;`)まあ取り越し苦労でよかった。拍子抜けするほど簡単でした。

「経済学概論1(国際経済を含む)」
テキストで最初に出てくる、価格の弾力性についての問題だった。それが需要曲線であるか供給曲線であるかでグラフの傾斜の仕方がまるっきり逆になるのにギリギリまで気付かず、慌てて修正テープで全消し。テキストは供給曲線だったが試験では需要曲線。この先生はなかなか引っ掛けてくる。

「哲学概論」
ノー勉強で突入した科目(ヤケ)。アリストテレスの自然観と現代の自然観の違いは何かという内容だった。アリストテレスは合目的に自然を捉えていたんだけど(ピュシス)案の定脱線して余計なことをいろいろ書いてしまった…(^_^;)ガリレオとビュリダンの物理学あたりを対比させても良かったかもしれない。
レポートでも余計なことをいろいろ書いてダメ出しくらったのに、試験でもやらかしてしまった・・・(科学哲学のテストみたくなっちゃった)でも「知識じゃなくて受験者の考えを重視する」ということなので単位はもらえると思う。最後に解いた試験だったので、疲れもあったのだろう。できればもう一度書き直したい・・・あ、やっぱ合格でいいです。

 あと他の教科の試験問題も見れたんだけど、物理と化学は計算がやばいな。電子に秒速9.8メートルの加速度を与える電場の強さを求めよとか、コンクリートがプラスチックよりも硬いのは何故かとか、さっぱりだw
 また、地学の試験は「スノーボールアース仮説」についての説明、生物学は「形態の類似に基づいて行われていた生物の分類について近年修正を迫る場合も少なくない。その研究手法について解説せよ」だった。※めっちゃこしさんの分野!

 やっぱり理科の二分野は数字がなくていいやね。

地理学入門覚え書き

 地理学入門(地誌を含む)の試験対策。現実逃避で恐竜描いてたけど、もういい加減向き合わなくてはなるまい。試験落ちたらそっとしといてあげてね!

 しかし「笑っていいとも」終わっちゃったよな~・・・最終的に全然見てなかったけれど、やっぱり自分が生まれる前からやっていた番組が終わるっていうのは切ない。Y氏が言うように諸行無常だ。私、永遠に続くと思ってたからね(^_^;)
 32年を締めくくる最終回なのに「明日も見てくれるかな?」で終わったのが印象的だったんだけど、笑っていいとものテーマって歌詞が「いいトモロー」だもんね。タモさん「何も考えてない」とか言ってたけど、ずいぶん前から考えていたんじゃないかなあ。
 なんにせよ何かひとつの時代が終わった感じ。というかここに来ていよいよ近未来に生きているって時間し出したよ。
 なにせ四月バカの嘘じゃなく、リアルに笑っていいともが終わっている世界だからね!ダウンタウンととんねるずの共演なんて、冷戦集結みたいなもんだよ。マルタ会談ですよ。ノストラダムスやアトムや2001年宇宙の旅よりも、なんか、こうゾッとするもんがあるよね。
 うおさっそく脱線してる。現実から逃げちゃダメだ。

人間と自然の相互作用
ジョーダンによれば、以下の四つに分類ができると言う。

環境決定論は、自然環境が文化を形成する要因として最も重要であるとし、人間の気質すら住む環境によって決まってしまうと論じた(山地の人は引っ込み思案、保守的、想像力欠如、自由主義とか、砂漠の人は意思が強固、道徳的、非情緒的、芸術や文化が育たないなど)。
これはダーウィンの自然淘汰の影響を受けたドイツの地理学者ラッツェルが提唱した。塔の上にいる人ではない。

環境決定論は人間に与える環境の役割を過大視しているように思われる。むしろ自然環境は重要であるにしても、人間の文化に影響を及ぼす様々な要因のうちの一つであると考えるべきと見なされるようになってきた。(『自然環境と文化』5ページ)

これに対して環境可能論は、自然環境の影響を全く無視しないものの、文化的伝統が自然環境と同じくらい人間に影響を与えていると考える。フランスの地理学者ブラーシュが提唱。
ある地域を人間がどのように利用するかは、人々がもつ文化の技術水準によって決まり、それが高くなればなるほど、人間の選択の可能性は広がり、逆に自然が人間に及ぼす影響力は小さくなる。

環境認知論は人間は頭の中に抱いている環境に対するイメージに従って行動をしているというもの。例えば、自然災害を受け入れるべき神の天罰的なものと考えるか、科学技術によって回避できるものと考えるかで、人間の対処の仕方は変わってくる。

地表の改変者は、環境決定論と最も対極的な考えで、人間が自然環境にもたらせてきた変化を強調する。自然が人間を形成するのではなく、人間が自然を形成すると言うわけ。
19世紀の産業革命以降、人間の自然に対する影響力は甚大で、その反動で様々な環境問題が起こっている。クライトン先生が『ジュラシック・パーク』で指摘したように、人間は船は作れても海は作れないし、飛行機は作れても空は作れないのだ。

森林破壊
レバノン山地の森林破壊が有名で、カシ、マツ、ヒマラヤスギ、西洋ネズといった樹木の森は紀元前2600年頃からフェニキア人(アルファベットの原型作ったやつ)が船を作ったり、木材をエジプトやメソポタミアに輸出したことでハゲ山と化してしまった。
現在では東南アジア、中央アフリカ、南アフリカの熱帯地域で顕著。熱帯地域の森林は既に40%が消失している。国別にみるとコートジボワールやガーナがすごいという。アジアではマレーシア、フィリピン、タイ、インドネシアが目立っていて、タイは木材輸出国だったのが今では木材輸入国になっている有様。
原因としては、焼畑、牧畜の農業開発、商業用木材の伐採、薪などの燃料材の伐採、道路やダムの建設、鉱物資源の採掘など。
社会的背景としては、貧困、不均衡な土地配分、土地所有制度、低い農業技術、インフラの未整備など。

暖流と寒流
なんと、海流は北半球では右回り、南半球では左回りだという。あれかコリオリ的なあれなのか・・・!
海流の水温が周りの水温よりも高ければ暖流。冷たければ寒流で、高気圧、低気圧みたいなもので相対的なものらしい。
一般的に低緯度から高緯度に流れる海流は暖流、逆は寒流。赤道直下(緯度ゼロ)はあったかいからね。
ヨーロッパ西岸は、メキシコ湾流から北大西洋海流になって流れている暖流の影響で、緯度の割には温暖。西岸海洋性気候だ。北極圏内にあるスカンジナビア半島北のハンメルフェストでは冬季でも凍結しないけれど、そこよりも緯度が10度も低いバルト海のボスニア湾(スウェーデンのほう)は冬季に凍結してしまう。
日本でも、暖流の対馬海流の影響で北陸地方は太平洋沿岸よりも実はあったかい。しかし冬は冷たく乾いたシベリア気団に対馬海流が水分を与えてしまうので、大雪になってしまう。ポール星人の仕業ではない。

カルスト地形
カルスト地形は、雨に含まれる二酸化炭素が石灰岩と反応し重炭酸塩になって溶けて、穴があいて、凹んで、ドリーネ→ウバーレ→ポリエに・・・出世魚か!

中央アンデスの植生
中央アンデスの植生は海抜が低い順から・・・
チャラ帯(500m以下。砂漠)
ユンガ帯(500~2300。熱帯亜熱帯。サトウキビ、コーヒー)
キチュア帯(2300~3500。温帯広葉樹。とうもろこし)
スニ帯(3500~4000。森林限界。草原。とうもろこしの栽培無理。じゃがいも)
プーナ帯(4000~4800。高原地帯。わずかにじゃがいも。リャマ。アルパカ、羊の放牧)
ハンカ帯(4800m以上。万年雪。)
うん、絶対覚えられない。

ベドウィン
サハラ砂漠やアラビア半島に住むアラブ系の遊牧民のこと。
ヒツジ、ヤギ、ラクダを家畜とし、砂漠のわずかな草地を求めて部族ごとに定期的に移動する。
家畜からは乳、チーズ、バター、毛皮を得る。ちなみにチーズやバターといった乳加工は遊牧民がパイオニアらしい。乳製品は近くの町でナツメヤシや野菜を買うための収入源になり、家畜の糞は農耕民の肥料や遊牧民の燃料になり、家畜の毛皮は移動式テントや衣服になる。つまり遊牧民の生活は家畜に大きく依存している。
ベドウィンは客人に対してすごい手厚いおもてなしをする。普段は食べることのできないお肉も客に対してはふんだんに振舞ってしまう。超寛大。滝川クリステル顔負け。
しかし、移動手段として自動車が用いられるようになったり、深井戸によって遊牧民の定着化が図られるなど、伝統的な遊牧民は激減している。

モンゴルの遊牧民
一方モンゴルの遊牧民はヒツジ、ヤギ、ラクダに加え、ウシ、そしてなによりウマがいる。椎名さんヤッホーである。
モンゴルは季節による温度変化が厳しく(8月下旬にもう雪が降り出す!)、季節ごとに宿営地(のゲルという円形テント)を移動させる。夏では風通しの良い丘陵の尾根や湖畔、冬になると厳しい北西風を避けることができる山陰に移る。
もう少し詳しく言うと、春はヒツジやヤギが生まれ、夏は搾乳&加工、秋には冬に備えて家畜をまとめて殺し、冬には自然の地形を活かして家畜の囲いを作る。こんな感じでモンゴルの遊牧民は年に4回宿営地を移動している。
また一部のものが一部の家畜を連れて一時的に移動することをオトルと言う。
モンゴルでは遊牧民の定住に対する強い抵抗感と、そもそも定住が難しい厳しい自然環境のために、むしろ遊牧を活性化させ現在の牧畜を効果的に発展させようとしている。

シンガポールの都市発展
シンガポールは淡路島ほどの広さの国でマレー半島の南端に位置する。高温多湿の熱帯雨林気候で、かつては緑の魔境と呼ばれた。海賊の隠れ家の一つだったくらい。
しかしイギリスの植民都市として、そしてアジアNIESの一国へと転身し、ジャングルのほとんどは伐採、森林は総面積の4.5%しか残っていないという。50%近くは工業団地を含む市街地になっている。確かにシンガポールってビルとマーライオンのイメージで魔境的印象がない・・・!
シンガポールは海上交通の要衝として絶好の位置にある上、自由貿易港にされたため、ヨーロッパやインドから様々な貿易品が流入、それに伴い人口も増加した。
シンガポールが大発展をするきっかけはイギリスがマレー半島を本格的に植民した19世紀末である。ゴムのプランテーション開発と、スズ鉱山開発がその理由だった。
鉱山労働者として大量の中国人が流入、20世紀初頭には華人を中心にした多民族社会になっていた。なんと国民の4分の3が中国人らしい。マレー人自体は14%にとどまっている。
戦後は、天然資源も国内市場もなかったため、積極的に外国資本を導入し工業化が推進された。シンガポールは現在、ヒューストン、ロッテルダムに次ぐ石油精製基地があり、造船、電機など各種の工業が盛ん。
アジアドルを中心とする国際金融や保健センターとしても注目されている。

オーストリアチロル州の観光発展
アルプスは世界的保養地で、なかでもオーストリアのチロル州は、スキーをしに年間4000万人を超える宿泊客がやってくる(9割が外国人でチロル州自体の人口は70万人)。
オーストリアなどの山岳地帯は、古代は神々が住む畏敬の場所、中世では悪魔の住む恐ろしい場所だと考えられていたが、近代に入ると山に美が見出されることになる(ルソーのせい)。このようなポジティブな見方は19世紀になるとさらに進み、ロマン主義と合体して詩人や哲学者、画家を魅了するテーマになった。登山家も生まれ、山は健康的なイメージになった。

ウォルト・ディズニーの約束

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆ ブーメラン注意☆☆☆☆☆」

 泣かないで。ミスターバンクスは大丈夫。

 そうじゃないの。アニメが耐えられなくて…


 最近特に多いんだけど、長いこと漫画を描いていると、よくサブカルチャーにすごい詳しい人だって思われてしまう。
 私が「いや、あまり見ない」と言っても、そういう質問をする人って「またまた~w」みたいな感じで取り合ってくれないんだけど、つまり好きじゃなかったら漫画なんて描いていないだろってことなんだろう。
 確かに漫画を描くこと自体は好きだけど、それと漫画やアニメといったサブカル全般が好きで読んだり見たりするのは別の話だ。しかし、この釈然としない感じは何なんだろう。
 見ず知らずの人に「漫画を描いている=漫画やアニメファン」と決めつけられるのが納得いかないのだろうか。
 もちろん私だって漫画やアニメに全く興味がないわけじゃない。アメリカのカートゥーンとかピクサーとか好きだし。ただ「アニメ好き=日本の美少女が出てくるやつが好き」みたいなイメージが引っかかるのかな。よくわからなかった。

 そんな作り手のモヤモヤをかつてないほどにリアルに描いたのが、この『ウォルト・ディズニーの約束』だろう。
 作り手自身ですら合理で割り切れていない感情に、振り回されるウォルト以下ディズニースタッフ。傍から見れば、この原作者のトラバース夫人は、気難しくて超わがままに見えるんだけど、一つのシンプルかつプリミティブな疑問に突き当たる。なぜ作者は自分の作品に桎梏とも言えるほどの思い入れを持ってしまうのか。
 私はUstreamの放送の最終回で、自分が漫画を描く理由について喋ったんだけど、確かこんな内容だった。
 どんなに現実で嫌なこと、悲しいことがあっても、「いつかその思い出を漫画に使おう」と思えれば乗り越えられるって。それが自分が創作を続けている理由なんだって。
 我ながらいいこと言っているけれど(自分で言う人)、この映画のテーマがまさにそれだったんだ。もちろん作り手は、読んでくれる人を楽しませるためにも作品を作っているんだけど、もっと根本的な理由は、おそらく自分自身への救済なんじゃないかって。

 私、この映画、予告編を見るにてっきり、トラバース「脚本通りにやってください~!」みたいな『ラヂオの時間』的な映画だと思ったんですよ。
 でも、想像以上に重い映画で、しかもすごいメタ。だからこの映画を語るっていうことはメタをメタで論じることになり、自分の歯を噛めないように不可能なわけだ。
 普通の作品なら、人が一生懸命作った作品を、偉そうに一段上から俯瞰して「こういう見方ができるよな」とか「ここは上手いけどここは下手だな」とか考察できるんだけど、この映画の構造自体が、それを既に試みているので、作品と同じ地平に降りて論じるしかない。超越者の超越者にはなれない。
 私が、この映画を恐ろしい映画だと思ったのはそこなんだ。こんなブーメラン映画、天つば映画はないよ。全国のクリエイター震撼の映画であることは間違いないと思う。
 この映画を語ることは、すなわち自分の作り手としての手の内を語ることにほかならない。それは、すごいバツが悪いことなんだ(^_^;)

 そもそも自分に超自信(とコミュ力)があれば、自分を表現する媒体として創作なんて回りくどいことはしないのだ。
 ツイッターなどを眺めていて痛々しいなって思うのは、思いのほかたくさんの人がプライベートな感情をそのまま吐き出せば、本当の自分を受け入れてくれる人がいる、もしくは本当の自分を自分自身が受け入れられると思っていることだ。
 しかし、私はそれは違うと思う。ネットが公的な場所だよとか言う以前に、ありのままの(私的な)自分なんて素晴らしいわけないのだ。
 今、自分がどう思っているかを、まったくの建前なしでつぶやけば、えげつない欲望と、恨みや嫉妬や憎しみ、そういった動物的な感情だけになる。そんな自分を、果たして素晴らしい存在であると肯定できるのだろうか。

 この前『怒り新党』でマツコDXが、巷のモテテクニックについてこんなことを言っていた。

 身だしなみに気をつけるのは、モテ技なんかじゃなくて、社会人として最低限のマナーじゃない?

 よく自然体とか言うけれど、あれも何もしていないわけじゃない。人間は努力して人間になるのだろう。ありのままでは個性も自分らしさもない。ただの「ヒト」ってことなのだろう。
 我々モテない男は、そこをすぐに勘違いする。モテるやつは生まれつき顔がいいから、なにもしなくてもモテるんだ、と。馬鹿である。モテる男は、あ~これはモテて当然だよ、というくらいマメに相手のことを気遣っているし、努力を重ねている。
 誰かに自分のことを受け入れてもらうのは(マズローでいう他者承認欲求)それくらい高度で難しいことなのだ。

 そして、そのための手段としてクリエイターは作品を作り、そのままさらけ出すと確実にドン引きされるであろう、私的な欲求や感情を表現する。
 作品は意識しようとしなかろうと、作者自身のアイデンティティとは切っても切り離せないのだ。その証拠に自分の作品も、十代の頃描いたものと、二十代のころ描いたものでは、作中のテーマやメッセージにおいて、明らかな“変化”が見られる。ある部分は伸び、ある部分は消えてなくなってしまった。
 歳を重ねるということは、それだけ現実に対する視座が広がり、豊かになり、そして相対化されてしまうということなのだ。

 あなたのやっていることは無責任よ。無防備なまま子どもを社会に送り出す。

 私は、トラバース夫人同様、全部主人公の思い通りになり、お気楽で何も葛藤がないアニメや漫画があまり好きじゃない。あれは「作り話ですから」と、創作と現実をわけて考えられないのだ。野暮だと思っていてもダメ。
 現実はそんな都合のいいものじゃない。だから嫌な現実を忘れるために、ああいう作品を見て癒されるという言い分も頭ではわかる。でも共感が致命的にできない。
 リアルと作品が断絶しているなんて考えられないし、それは創作に対する侮辱にも思える。だからトラバース夫人は、ディズニースタジオのやり方や、アニメ、さらにはノー天気なアメリカ人とその文化に対しても徹底的に拒絶反応を示した。
 正直、私が戦艦やクリミアの女性検事を萌えイラストにして遊んでいるのを、馬鹿げているとうんざりしているように。
 彼らは、幸か不幸か創作と現実の“断絶ができる”人なのだ。
  
 約束する。なにがあってもあなたの愛する物語を汚しはしない。

 メリー・ポピンズが子どもたちを救いにやって来たですって?


 この際だから言うけれど、私、あのディズニーランドのCMがダメなんだ。日本のアニメみたいな女の子がディズニーランドでどんどん成長していくやつ。
 あんな人工的な虚構のテーマパークで、あの女の子は生涯を終えるのかっていうのに気持ち悪さを感じたわけで。
 だいたい東京ディズニーランドって私と同い年だからね。まあ本家のアメリカ合衆国も大して歴史がないけれど、ディズニーランドなんてそんなもんだからなあ。トラバース夫人も「あなたの金のなる木でしょう?」とバッサリ(本人に言うのがすごいw)。

 しかし、どんなに悪態をつかれても笑ってくれる運転手ラルフさんとの交流で、トラバース夫人のアメリカ人に対する偏見は少しずつ変わっていく。
 ヘラヘラしているからと言って、彼ら全てが大人になれない子ども、ピーターパンなわけではない。現実は辛く厳しいということは、大人である以上十二分に承知している。夢や魔法なんてありもしない空想だって分かっている。それでも“今を生きるために”必要なんだ。
 確かに夢だけでは食っていけない。つーか生活ができない。かといって、夢が全く無くても人は生きてはいけない。そこがこの世の中の難しいところだ。
 どんなに頭でっかちで、合理的な人にも必ず非合理的な側面がある。それは否定できないだろう。理系の人が美少女アニメのあのメガネザルみたいな眼球に突っ込まないように。
 
 人は皆心の中に子どもがいる。
 
 私は、幼児の頃からすごい臆病な気質だったらしい。ちょっとした段差ですら、怖がってその場で立ち往生(ってまだハイハイの頃だけど)してしまうくらいのペシミスト。今も飛行機が怖いし。それ、この前も言ったか(^_^;)
 そんな昔のことを思い返して、ハッと繋がった。創作が現実とつながっていなければならないというのは、単なる作品を作る上でのモットーやスローガンではない。
 私は創作を通してでないと辛い現実を受け入れられないのだ。
 なんというコペルニクス的転回。そう言う意味で、私は断絶ができる人よりもずっとずっとずっと空想の世界に生きている。空想とは一種のフィルターであり、臆病な私が現実に向き合うための緩衝材なのだ。

 この映画を見て、後味の悪さを感じた人は多いはずだ。そしてそのほとんどが創作をしたことがあるクリエイター気質の人だろう。純粋に「いい映画だったね」と感動して清々しい気持ちで劇場から出ていく人とは違う世界に住んでいる人たち。これは踏み絵なのだ。
 スクリーンの中のウォルト・ディズニーはトラバース夫人ではなく、観客席の我々に向かってこう言っている。

 ・・・で、キミ自身の作品は?

LIFE!

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆」

 世界を見て、お互いを知ろう。それが人生(ライフ)の目的だから――

 ふむなさん超オススメ映画。正直観る予定なかった。だって予告見てもどんな内容かさっぱりわからないし、どうせリアルでは何も行動できない奴が「ネットでは最強なんだぞ~!」って妄想の世界で虚しい大冒険をする話かと思ってたから、自分の中でのこの映画のポジションは『レゴムービー』くらいのもんだったよw

・同じ生活をくり返していますか?
・仕事で失敗をしたことがありますか?
・空想することはありますか?
・大切な誰かのために、夢を諦めたことはありますか?
・自分を変えたいと思いますか?

 3つ以上YESと答えた方、これはあなたのための映画です!

 このキャッチコピーというか触れ込みがね(^_^;)・・・一時期流行った(そして内心バカにしていた)「海外旅行して自分探し」を推奨している感じで嫌だったんだよね。
 海外に出かけたって自分なんか見つからねえよって(お前は日本人だろ)、ここではないどこかってどこだよって、当時中学生の私は徹底的にバカにしていたんだ。
 今の自分の状況に不満があって、それでちょっと海外旅行に出かけて、世界を知った気になって、それで本当の自分に出会えましたとか、なんか逆にアイデンティティをすごい矮小化してないかって。

 だいたい最初の質問はなんだってw現代人なら「同じ生活繰り返して」なきゃやばいだろってwなんだよ、この不可避質問ww
 で、仕事で失敗したことがない奴もいないだろうし、空想できなきゃ漫画は描けないからね・・・
 ぎゃああああ3つ以上YESになっちまった!やめてくれ!オレをこいつらの仲間にしないでくれ!自分を変えたいとか思ったことないよ!!ww

 それに、私ってとにかく旅嫌い。どれくらいかって中学高校の頃にあった修学旅行が大嫌いで、学校の先生になっても一番不安なのが修学旅行をオレは乗り切れるのかってくらい嫌い。なんか、こう、悪魔的に嫌い。
 日帰り旅ならいいんだけど、とにかく自分の部屋じゃないと落ち着いて寝れないんだ。部屋にほかの人がいても緊張してダメ。あと『エアフレーム』のときにも言ったけど、飛行機が怖い。ベルヌーイの定理信じてない。

 よって、この映画が賛美していることを私は全否定しているわけだ・・・しかし、なんてことでしょう。これ、最近見た映画で一番好きw
 退屈な毎日を変えるために一世一代の冒険をするなんて、私とは対極的な話であって、全然感情移入できないのに。
 まず私は日常生活に退屈したことがあまりないんだよね。いつもの生活に特に不満がないから。
 でもさ、この映画の主人公って42歳独身でさ、もう人生の大まかな方向性とか先とか終わりとかだいたい見えててさ、「え?本当にオレこのままでいいの?このまま死んじゃっていいの?」ってゾッとするエイジだと思うんだよ。
 私も20代から30代にこの前レベルアップしたからね。で、このまま私ものんきにダラダラ流れのままに生きちゃって、40過ぎても彼女のひとりもいなかったらさ、やっぱりこのままでいいのか病にかかる可能性は無きにしも非ずなんだよね。

 だいたい、せっかく地球に生まれたのに、ほとんど自分の生まれた街しか知らずに死んじゃうのは確かにもったいないなあって。どうせ死ぬならいろいろ見ておきたいかなって。仮に飛行機のリスクを踏まえても。
 つまり、42歳という設定がすごいリアルなんだよねwあれが22歳だったら「バッカじゃねーの」とか言えたんだけど、自分が42になったら、やっぱり本格的に衰えちゃう前に一度くらい海外を経験してみるかって思っちゃう気がする。
 私が敬愛するマイクル・クライトン先生も旅好きだったらしいからね。興味があったら世界中のどこでもためらわず出かけて、色々なものを実際にその目で見て、いろいろなものを聞いて、嗅いで、食べたらしい。本と空想だけで世界を知った気になっている私とは、やはり格が違うんだよね。

 美しいものは注目を求めない。

 で、なんでこの映画に心を奪われちゃったかって、多分「自分にはできない」からなんだろうなあって。まあ、そんなこと、どの映画もそうなんだろうけれど、この映画くらいのことは実際やっている人いそうじゃん。バックパッカーとか。
 まあ、一度の旅でヘリから落ちたり、サメに襲われたり、火山の噴火に巻き込まれたりした人はなかなかいないだろうけれど・・・でも旅が好きな人っていうのは珍しい存在じゃないからね。
 だから、私がスポーツが好きな人を「自分にはできない」と思うように、そしてスポーツに情熱をかける人を描いた映画を素敵だなあって思うように、この映画も旅を楽しむ人にちょっと惹かれちゃったのかもしれない。
 そして、本家の『LIFE』誌がフォトエッセイ誌だけあって、作中に映し出される世界は、どれもがすっごい美しい。なぜか駐車場ですら美しい(ナショナルジオグラフィックとかぶっているのは内緒だよ!)。

 この映画の素敵なところは、作中の旅が「一人旅」ってところだよね。人生初の旅にしちゃすごい難易度が高いことやってて、それを楽しめちゃうっていうのが、すごい清々しい。あんな誰もいないところでスケボー出来ねえってwとてもそんなテンションにはならねえってw
 でも人生って煎じ詰めれば、どこで何をして生きようが、結局、孤独なひとり旅だもんね。いろんな人と出会っては別れの繰り返し。一人で生まれて一人で死ぬ。
 そんな人生の本質を再確認するって意味では、一人旅って意味があるかもしれな・・・うお!なんか旅を肯定している・・・!いや、これはファッションやレジャーみたいな感覚で「自分探し」をしている奴らを肯定しているわけじゃないからね!
 一人でグリーンランドやアフガニスタン行った人は、ちょっとすごいぞって話ね!憧れたとかそういうわけじゃないからね・・・!(/ω\*)
 私はこれからもアンチ旅で生きていきます。少なくともナンバー42までは!
 
 ちなみに私は日本語吹替版で見たんだけど、なんかいろいろ叩かれているらしいナイナイ岡村さんの吹き替え・・・すごいよかったw

 アフンカ?フ↑ンカ?噴火?わ~火山やんけ、急げ急げ、あーあかん~(棒)

 大体、監督、制作、主演のベン・スティラーさん自身が岡村さんの演技を好評しているらしいし、実際ベン・スティラーさんと岡村さんって似てるからねwモンキー的と言うか(^_^;)
 さらに字幕版の予告を見てみたら、声質も似てるんだよね。だから私は全然不満どころか、むしろ吹き替えのほうが面白かったんじゃないかってくらい(ショーン・ペン以外、声の演技がみんなバカっぽいw)。
 なんでも吹き替えに芸能人を使うことに対して過剰に否定的な人がいてさ、例えば『トイ・ストーリー』のバズの声を当てた所さんも「あまりに所さん」って批判があったらしいんだけど、それってやっぱ先入観であって、本家のティム・アレンの声をよく聞くと、所さんと声がよく似てるんだよ。そう言う意味じゃ、オファーする方もちゃんと考えている・・・場合もあると思うよ。
 だいたい『風立ちぬ』の庵野でも『プロメテウス』のゴーリキでも全然大丈夫だった私に怖いものなどなかったのであった。

 残念だ。美しい写真なのに。
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