地理学入門覚え書き

 地理学入門(地誌を含む)の試験対策。現実逃避で恐竜描いてたけど、もういい加減向き合わなくてはなるまい。試験落ちたらそっとしといてあげてね!

 しかし「笑っていいとも」終わっちゃったよな~・・・最終的に全然見てなかったけれど、やっぱり自分が生まれる前からやっていた番組が終わるっていうのは切ない。Y氏が言うように諸行無常だ。私、永遠に続くと思ってたからね(^_^;)
 32年を締めくくる最終回なのに「明日も見てくれるかな?」で終わったのが印象的だったんだけど、笑っていいとものテーマって歌詞が「いいトモロー」だもんね。タモさん「何も考えてない」とか言ってたけど、ずいぶん前から考えていたんじゃないかなあ。
 なんにせよ何かひとつの時代が終わった感じ。というかここに来ていよいよ近未来に生きているって時間し出したよ。
 なにせ四月バカの嘘じゃなく、リアルに笑っていいともが終わっている世界だからね!ダウンタウンととんねるずの共演なんて、冷戦集結みたいなもんだよ。マルタ会談ですよ。ノストラダムスやアトムや2001年宇宙の旅よりも、なんか、こうゾッとするもんがあるよね。
 うおさっそく脱線してる。現実から逃げちゃダメだ。

人間と自然の相互作用
ジョーダンによれば、以下の四つに分類ができると言う。

環境決定論は、自然環境が文化を形成する要因として最も重要であるとし、人間の気質すら住む環境によって決まってしまうと論じた(山地の人は引っ込み思案、保守的、想像力欠如、自由主義とか、砂漠の人は意思が強固、道徳的、非情緒的、芸術や文化が育たないなど)。
これはダーウィンの自然淘汰の影響を受けたドイツの地理学者ラッツェルが提唱した。塔の上にいる人ではない。

環境決定論は人間に与える環境の役割を過大視しているように思われる。むしろ自然環境は重要であるにしても、人間の文化に影響を及ぼす様々な要因のうちの一つであると考えるべきと見なされるようになってきた。(『自然環境と文化』5ページ)

これに対して環境可能論は、自然環境の影響を全く無視しないものの、文化的伝統が自然環境と同じくらい人間に影響を与えていると考える。フランスの地理学者ブラーシュが提唱。
ある地域を人間がどのように利用するかは、人々がもつ文化の技術水準によって決まり、それが高くなればなるほど、人間の選択の可能性は広がり、逆に自然が人間に及ぼす影響力は小さくなる。

環境認知論は人間は頭の中に抱いている環境に対するイメージに従って行動をしているというもの。例えば、自然災害を受け入れるべき神の天罰的なものと考えるか、科学技術によって回避できるものと考えるかで、人間の対処の仕方は変わってくる。

地表の改変者は、環境決定論と最も対極的な考えで、人間が自然環境にもたらせてきた変化を強調する。自然が人間を形成するのではなく、人間が自然を形成すると言うわけ。
19世紀の産業革命以降、人間の自然に対する影響力は甚大で、その反動で様々な環境問題が起こっている。クライトン先生が『ジュラシック・パーク』で指摘したように、人間は船は作れても海は作れないし、飛行機は作れても空は作れないのだ。

森林破壊
レバノン山地の森林破壊が有名で、カシ、マツ、ヒマラヤスギ、西洋ネズといった樹木の森は紀元前2600年頃からフェニキア人(アルファベットの原型作ったやつ)が船を作ったり、木材をエジプトやメソポタミアに輸出したことでハゲ山と化してしまった。
現在では東南アジア、中央アフリカ、南アフリカの熱帯地域で顕著。熱帯地域の森林は既に40%が消失している。国別にみるとコートジボワールやガーナがすごいという。アジアではマレーシア、フィリピン、タイ、インドネシアが目立っていて、タイは木材輸出国だったのが今では木材輸入国になっている有様。
原因としては、焼畑、牧畜の農業開発、商業用木材の伐採、薪などの燃料材の伐採、道路やダムの建設、鉱物資源の採掘など。
社会的背景としては、貧困、不均衡な土地配分、土地所有制度、低い農業技術、インフラの未整備など。

暖流と寒流
なんと、海流は北半球では右回り、南半球では左回りだという。あれかコリオリ的なあれなのか・・・!
海流の水温が周りの水温よりも高ければ暖流。冷たければ寒流で、高気圧、低気圧みたいなもので相対的なものらしい。
一般的に低緯度から高緯度に流れる海流は暖流、逆は寒流。赤道直下(緯度ゼロ)はあったかいからね。
ヨーロッパ西岸は、メキシコ湾流から北大西洋海流になって流れている暖流の影響で、緯度の割には温暖。西岸海洋性気候だ。北極圏内にあるスカンジナビア半島北のハンメルフェストでは冬季でも凍結しないけれど、そこよりも緯度が10度も低いバルト海のボスニア湾(スウェーデンのほう)は冬季に凍結してしまう。
日本でも、暖流の対馬海流の影響で北陸地方は太平洋沿岸よりも実はあったかい。しかし冬は冷たく乾いたシベリア気団に対馬海流が水分を与えてしまうので、大雪になってしまう。ポール星人の仕業ではない。

カルスト地形
カルスト地形は、雨に含まれる二酸化炭素が石灰岩と反応し重炭酸塩になって溶けて、穴があいて、凹んで、ドリーネ→ウバーレ→ポリエに・・・出世魚か!

中央アンデスの植生
中央アンデスの植生は海抜が低い順から・・・
チャラ帯(500m以下。砂漠)
ユンガ帯(500~2300。熱帯亜熱帯。サトウキビ、コーヒー)
キチュア帯(2300~3500。温帯広葉樹。とうもろこし)
スニ帯(3500~4000。森林限界。草原。とうもろこしの栽培無理。じゃがいも)
プーナ帯(4000~4800。高原地帯。わずかにじゃがいも。リャマ。アルパカ、羊の放牧)
ハンカ帯(4800m以上。万年雪。)
うん、絶対覚えられない。

ベドウィン
サハラ砂漠やアラビア半島に住むアラブ系の遊牧民のこと。
ヒツジ、ヤギ、ラクダを家畜とし、砂漠のわずかな草地を求めて部族ごとに定期的に移動する。
家畜からは乳、チーズ、バター、毛皮を得る。ちなみにチーズやバターといった乳加工は遊牧民がパイオニアらしい。乳製品は近くの町でナツメヤシや野菜を買うための収入源になり、家畜の糞は農耕民の肥料や遊牧民の燃料になり、家畜の毛皮は移動式テントや衣服になる。つまり遊牧民の生活は家畜に大きく依存している。
ベドウィンは客人に対してすごい手厚いおもてなしをする。普段は食べることのできないお肉も客に対してはふんだんに振舞ってしまう。超寛大。滝川クリステル顔負け。
しかし、移動手段として自動車が用いられるようになったり、深井戸によって遊牧民の定着化が図られるなど、伝統的な遊牧民は激減している。

モンゴルの遊牧民
一方モンゴルの遊牧民はヒツジ、ヤギ、ラクダに加え、ウシ、そしてなによりウマがいる。椎名さんヤッホーである。
モンゴルは季節による温度変化が厳しく(8月下旬にもう雪が降り出す!)、季節ごとに宿営地(のゲルという円形テント)を移動させる。夏では風通しの良い丘陵の尾根や湖畔、冬になると厳しい北西風を避けることができる山陰に移る。
もう少し詳しく言うと、春はヒツジやヤギが生まれ、夏は搾乳&加工、秋には冬に備えて家畜をまとめて殺し、冬には自然の地形を活かして家畜の囲いを作る。こんな感じでモンゴルの遊牧民は年に4回宿営地を移動している。
また一部のものが一部の家畜を連れて一時的に移動することをオトルと言う。
モンゴルでは遊牧民の定住に対する強い抵抗感と、そもそも定住が難しい厳しい自然環境のために、むしろ遊牧を活性化させ現在の牧畜を効果的に発展させようとしている。

シンガポールの都市発展
シンガポールは淡路島ほどの広さの国でマレー半島の南端に位置する。高温多湿の熱帯雨林気候で、かつては緑の魔境と呼ばれた。海賊の隠れ家の一つだったくらい。
しかしイギリスの植民都市として、そしてアジアNIESの一国へと転身し、ジャングルのほとんどは伐採、森林は総面積の4.5%しか残っていないという。50%近くは工業団地を含む市街地になっている。確かにシンガポールってビルとマーライオンのイメージで魔境的印象がない・・・!
シンガポールは海上交通の要衝として絶好の位置にある上、自由貿易港にされたため、ヨーロッパやインドから様々な貿易品が流入、それに伴い人口も増加した。
シンガポールが大発展をするきっかけはイギリスがマレー半島を本格的に植民した19世紀末である。ゴムのプランテーション開発と、スズ鉱山開発がその理由だった。
鉱山労働者として大量の中国人が流入、20世紀初頭には華人を中心にした多民族社会になっていた。なんと国民の4分の3が中国人らしい。マレー人自体は14%にとどまっている。
戦後は、天然資源も国内市場もなかったため、積極的に外国資本を導入し工業化が推進された。シンガポールは現在、ヒューストン、ロッテルダムに次ぐ石油精製基地があり、造船、電機など各種の工業が盛ん。
アジアドルを中心とする国際金融や保健センターとしても注目されている。

オーストリアチロル州の観光発展
アルプスは世界的保養地で、なかでもオーストリアのチロル州は、スキーをしに年間4000万人を超える宿泊客がやってくる(9割が外国人でチロル州自体の人口は70万人)。
オーストリアなどの山岳地帯は、古代は神々が住む畏敬の場所、中世では悪魔の住む恐ろしい場所だと考えられていたが、近代に入ると山に美が見出されることになる(ルソーのせい)。このようなポジティブな見方は19世紀になるとさらに進み、ロマン主義と合体して詩人や哲学者、画家を魅了するテーマになった。登山家も生まれ、山は健康的なイメージになった。

ウォルト・ディズニーの約束

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆ ブーメラン注意☆☆☆☆☆」

 泣かないで。ミスターバンクスは大丈夫。

 そうじゃないの。アニメが耐えられなくて…


 最近特に多いんだけど、長いこと漫画を描いていると、よくサブカルチャーにすごい詳しい人だって思われてしまう。
 私が「いや、あまり見ない」と言っても、そういう質問をする人って「またまた~w」みたいな感じで取り合ってくれないんだけど、つまり好きじゃなかったら漫画なんて描いていないだろってことなんだろう。
 確かに漫画を描くこと自体は好きだけど、それと漫画やアニメといったサブカル全般が好きで読んだり見たりするのは別の話だ。しかし、この釈然としない感じは何なんだろう。
 見ず知らずの人に「漫画を描いている=漫画やアニメファン」と決めつけられるのが納得いかないのだろうか。
 もちろん私だって漫画やアニメに全く興味がないわけじゃない。アメリカのカートゥーンとかピクサーとか好きだし。ただ「アニメ好き=日本の美少女が出てくるやつが好き」みたいなイメージが引っかかるのかな。よくわからなかった。

 そんな作り手のモヤモヤをかつてないほどにリアルに描いたのが、この『ウォルト・ディズニーの約束』だろう。
 作り手自身ですら合理で割り切れていない感情に、振り回されるウォルト以下ディズニースタッフ。傍から見れば、この原作者のトラバース夫人は、気難しくて超わがままに見えるんだけど、一つのシンプルかつプリミティブな疑問に突き当たる。なぜ作者は自分の作品に桎梏とも言えるほどの思い入れを持ってしまうのか。
 私はUstreamの放送の最終回で、自分が漫画を描く理由について喋ったんだけど、確かこんな内容だった。
 どんなに現実で嫌なこと、悲しいことがあっても、「いつかその思い出を漫画に使おう」と思えれば乗り越えられるって。それが自分が創作を続けている理由なんだって。
 我ながらいいこと言っているけれど(自分で言う人)、この映画のテーマがまさにそれだったんだ。もちろん作り手は、読んでくれる人を楽しませるためにも作品を作っているんだけど、もっと根本的な理由は、おそらく自分自身への救済なんじゃないかって。

 私、この映画、予告編を見るにてっきり、トラバース「脚本通りにやってください~!」みたいな『ラヂオの時間』的な映画だと思ったんですよ。
 でも、想像以上に重い映画で、しかもすごいメタ。だからこの映画を語るっていうことはメタをメタで論じることになり、自分の歯を噛めないように不可能なわけだ。
 普通の作品なら、人が一生懸命作った作品を、偉そうに一段上から俯瞰して「こういう見方ができるよな」とか「ここは上手いけどここは下手だな」とか考察できるんだけど、この映画の構造自体が、それを既に試みているので、作品と同じ地平に降りて論じるしかない。超越者の超越者にはなれない。
 私が、この映画を恐ろしい映画だと思ったのはそこなんだ。こんなブーメラン映画、天つば映画はないよ。全国のクリエイター震撼の映画であることは間違いないと思う。
 この映画を語ることは、すなわち自分の作り手としての手の内を語ることにほかならない。それは、すごいバツが悪いことなんだ(^_^;)

 そもそも自分に超自信(とコミュ力)があれば、自分を表現する媒体として創作なんて回りくどいことはしないのだ。
 ツイッターなどを眺めていて痛々しいなって思うのは、思いのほかたくさんの人がプライベートな感情をそのまま吐き出せば、本当の自分を受け入れてくれる人がいる、もしくは本当の自分を自分自身が受け入れられると思っていることだ。
 しかし、私はそれは違うと思う。ネットが公的な場所だよとか言う以前に、ありのままの(私的な)自分なんて素晴らしいわけないのだ。
 今、自分がどう思っているかを、まったくの建前なしでつぶやけば、えげつない欲望と、恨みや嫉妬や憎しみ、そういった動物的な感情だけになる。そんな自分を、果たして素晴らしい存在であると肯定できるのだろうか。

 この前『怒り新党』でマツコDXが、巷のモテテクニックについてこんなことを言っていた。

 身だしなみに気をつけるのは、モテ技なんかじゃなくて、社会人として最低限のマナーじゃない?

 よく自然体とか言うけれど、あれも何もしていないわけじゃない。人間は努力して人間になるのだろう。ありのままでは個性も自分らしさもない。ただの「ヒト」ってことなのだろう。
 我々モテない男は、そこをすぐに勘違いする。モテるやつは生まれつき顔がいいから、なにもしなくてもモテるんだ、と。馬鹿である。モテる男は、あ~これはモテて当然だよ、というくらいマメに相手のことを気遣っているし、努力を重ねている。
 誰かに自分のことを受け入れてもらうのは(マズローでいう他者承認欲求)それくらい高度で難しいことなのだ。

 そして、そのための手段としてクリエイターは作品を作り、そのままさらけ出すと確実にドン引きされるであろう、私的な欲求や感情を表現する。
 作品は意識しようとしなかろうと、作者自身のアイデンティティとは切っても切り離せないのだ。その証拠に自分の作品も、十代の頃描いたものと、二十代のころ描いたものでは、作中のテーマやメッセージにおいて、明らかな“変化”が見られる。ある部分は伸び、ある部分は消えてなくなってしまった。
 歳を重ねるということは、それだけ現実に対する視座が広がり、豊かになり、そして相対化されてしまうということなのだ。

 あなたのやっていることは無責任よ。無防備なまま子どもを社会に送り出す。

 私は、トラバース夫人同様、全部主人公の思い通りになり、お気楽で何も葛藤がないアニメや漫画があまり好きじゃない。あれは「作り話ですから」と、創作と現実をわけて考えられないのだ。野暮だと思っていてもダメ。
 現実はそんな都合のいいものじゃない。だから嫌な現実を忘れるために、ああいう作品を見て癒されるという言い分も頭ではわかる。でも共感が致命的にできない。
 リアルと作品が断絶しているなんて考えられないし、それは創作に対する侮辱にも思える。だからトラバース夫人は、ディズニースタジオのやり方や、アニメ、さらにはノー天気なアメリカ人とその文化に対しても徹底的に拒絶反応を示した。
 正直、私が戦艦やクリミアの女性検事を萌えイラストにして遊んでいるのを、馬鹿げているとうんざりしているように。
 彼らは、幸か不幸か創作と現実の“断絶ができる”人なのだ。
  
 約束する。なにがあってもあなたの愛する物語を汚しはしない。

 メリー・ポピンズが子どもたちを救いにやって来たですって?


 この際だから言うけれど、私、あのディズニーランドのCMがダメなんだ。日本のアニメみたいな女の子がディズニーランドでどんどん成長していくやつ。
 あんな人工的な虚構のテーマパークで、あの女の子は生涯を終えるのかっていうのに気持ち悪さを感じたわけで。
 だいたい東京ディズニーランドって私と同い年だからね。まあ本家のアメリカ合衆国も大して歴史がないけれど、ディズニーランドなんてそんなもんだからなあ。トラバース夫人も「あなたの金のなる木でしょう?」とバッサリ(本人に言うのがすごいw)。

 しかし、どんなに悪態をつかれても笑ってくれる運転手ラルフさんとの交流で、トラバース夫人のアメリカ人に対する偏見は少しずつ変わっていく。
 ヘラヘラしているからと言って、彼ら全てが大人になれない子ども、ピーターパンなわけではない。現実は辛く厳しいということは、大人である以上十二分に承知している。夢や魔法なんてありもしない空想だって分かっている。それでも“今を生きるために”必要なんだ。
 確かに夢だけでは食っていけない。つーか生活ができない。かといって、夢が全く無くても人は生きてはいけない。そこがこの世の中の難しいところだ。
 どんなに頭でっかちで、合理的な人にも必ず非合理的な側面がある。それは否定できないだろう。理系の人が美少女アニメのあのメガネザルみたいな眼球に突っ込まないように。
 
 人は皆心の中に子どもがいる。
 
 私は、幼児の頃からすごい臆病な気質だったらしい。ちょっとした段差ですら、怖がってその場で立ち往生(ってまだハイハイの頃だけど)してしまうくらいのペシミスト。今も飛行機が怖いし。それ、この前も言ったか(^_^;)
 そんな昔のことを思い返して、ハッと繋がった。創作が現実とつながっていなければならないというのは、単なる作品を作る上でのモットーやスローガンではない。
 私は創作を通してでないと辛い現実を受け入れられないのだ。
 なんというコペルニクス的転回。そう言う意味で、私は断絶ができる人よりもずっとずっとずっと空想の世界に生きている。空想とは一種のフィルターであり、臆病な私が現実に向き合うための緩衝材なのだ。

 この映画を見て、後味の悪さを感じた人は多いはずだ。そしてそのほとんどが創作をしたことがあるクリエイター気質の人だろう。純粋に「いい映画だったね」と感動して清々しい気持ちで劇場から出ていく人とは違う世界に住んでいる人たち。これは踏み絵なのだ。
 スクリーンの中のウォルト・ディズニーはトラバース夫人ではなく、観客席の我々に向かってこう言っている。

 ・・・で、キミ自身の作品は?

LIFE!

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆」

 世界を見て、お互いを知ろう。それが人生(ライフ)の目的だから――

 ふむなさん超オススメ映画。正直観る予定なかった。だって予告見てもどんな内容かさっぱりわからないし、どうせリアルでは何も行動できない奴が「ネットでは最強なんだぞ~!」って妄想の世界で虚しい大冒険をする話かと思ってたから、自分の中でのこの映画のポジションは『レゴムービー』くらいのもんだったよw

・同じ生活をくり返していますか?
・仕事で失敗をしたことがありますか?
・空想することはありますか?
・大切な誰かのために、夢を諦めたことはありますか?
・自分を変えたいと思いますか?

 3つ以上YESと答えた方、これはあなたのための映画です!

 このキャッチコピーというか触れ込みがね(^_^;)・・・一時期流行った(そして内心バカにしていた)「海外旅行して自分探し」を推奨している感じで嫌だったんだよね。
 海外に出かけたって自分なんか見つからねえよって(お前は日本人だろ)、ここではないどこかってどこだよって、当時中学生の私は徹底的にバカにしていたんだ。
 今の自分の状況に不満があって、それでちょっと海外旅行に出かけて、世界を知った気になって、それで本当の自分に出会えましたとか、なんか逆にアイデンティティをすごい矮小化してないかって。

 だいたい最初の質問はなんだってw現代人なら「同じ生活繰り返して」なきゃやばいだろってwなんだよ、この不可避質問ww
 で、仕事で失敗したことがない奴もいないだろうし、空想できなきゃ漫画は描けないからね・・・
 ぎゃああああ3つ以上YESになっちまった!やめてくれ!オレをこいつらの仲間にしないでくれ!自分を変えたいとか思ったことないよ!!ww

 それに、私ってとにかく旅嫌い。どれくらいかって中学高校の頃にあった修学旅行が大嫌いで、学校の先生になっても一番不安なのが修学旅行をオレは乗り切れるのかってくらい嫌い。なんか、こう、悪魔的に嫌い。
 日帰り旅ならいいんだけど、とにかく自分の部屋じゃないと落ち着いて寝れないんだ。部屋にほかの人がいても緊張してダメ。あと『エアフレーム』のときにも言ったけど、飛行機が怖い。ベルヌーイの定理信じてない。

 よって、この映画が賛美していることを私は全否定しているわけだ・・・しかし、なんてことでしょう。これ、最近見た映画で一番好きw
 退屈な毎日を変えるために一世一代の冒険をするなんて、私とは対極的な話であって、全然感情移入できないのに。
 まず私は日常生活に退屈したことがあまりないんだよね。いつもの生活に特に不満がないから。
 でもさ、この映画の主人公って42歳独身でさ、もう人生の大まかな方向性とか先とか終わりとかだいたい見えててさ、「え?本当にオレこのままでいいの?このまま死んじゃっていいの?」ってゾッとするエイジだと思うんだよ。
 私も20代から30代にこの前レベルアップしたからね。で、このまま私ものんきにダラダラ流れのままに生きちゃって、40過ぎても彼女のひとりもいなかったらさ、やっぱりこのままでいいのか病にかかる可能性は無きにしも非ずなんだよね。

 だいたい、せっかく地球に生まれたのに、ほとんど自分の生まれた街しか知らずに死んじゃうのは確かにもったいないなあって。どうせ死ぬならいろいろ見ておきたいかなって。仮に飛行機のリスクを踏まえても。
 つまり、42歳という設定がすごいリアルなんだよねwあれが22歳だったら「バッカじゃねーの」とか言えたんだけど、自分が42になったら、やっぱり本格的に衰えちゃう前に一度くらい海外を経験してみるかって思っちゃう気がする。
 私が敬愛するマイクル・クライトン先生も旅好きだったらしいからね。興味があったら世界中のどこでもためらわず出かけて、色々なものを実際にその目で見て、いろいろなものを聞いて、嗅いで、食べたらしい。本と空想だけで世界を知った気になっている私とは、やはり格が違うんだよね。

 美しいものは注目を求めない。

 で、なんでこの映画に心を奪われちゃったかって、多分「自分にはできない」からなんだろうなあって。まあ、そんなこと、どの映画もそうなんだろうけれど、この映画くらいのことは実際やっている人いそうじゃん。バックパッカーとか。
 まあ、一度の旅でヘリから落ちたり、サメに襲われたり、火山の噴火に巻き込まれたりした人はなかなかいないだろうけれど・・・でも旅が好きな人っていうのは珍しい存在じゃないからね。
 だから、私がスポーツが好きな人を「自分にはできない」と思うように、そしてスポーツに情熱をかける人を描いた映画を素敵だなあって思うように、この映画も旅を楽しむ人にちょっと惹かれちゃったのかもしれない。
 そして、本家の『LIFE』誌がフォトエッセイ誌だけあって、作中に映し出される世界は、どれもがすっごい美しい。なぜか駐車場ですら美しい(ナショナルジオグラフィックとかぶっているのは内緒だよ!)。

 この映画の素敵なところは、作中の旅が「一人旅」ってところだよね。人生初の旅にしちゃすごい難易度が高いことやってて、それを楽しめちゃうっていうのが、すごい清々しい。あんな誰もいないところでスケボー出来ねえってwとてもそんなテンションにはならねえってw
 でも人生って煎じ詰めれば、どこで何をして生きようが、結局、孤独なひとり旅だもんね。いろんな人と出会っては別れの繰り返し。一人で生まれて一人で死ぬ。
 そんな人生の本質を再確認するって意味では、一人旅って意味があるかもしれな・・・うお!なんか旅を肯定している・・・!いや、これはファッションやレジャーみたいな感覚で「自分探し」をしている奴らを肯定しているわけじゃないからね!
 一人でグリーンランドやアフガニスタン行った人は、ちょっとすごいぞって話ね!憧れたとかそういうわけじゃないからね・・・!(/ω\*)
 私はこれからもアンチ旅で生きていきます。少なくともナンバー42までは!
 
 ちなみに私は日本語吹替版で見たんだけど、なんかいろいろ叩かれているらしいナイナイ岡村さんの吹き替え・・・すごいよかったw

 アフンカ?フ↑ンカ?噴火?わ~火山やんけ、急げ急げ、あーあかん~(棒)

 大体、監督、制作、主演のベン・スティラーさん自身が岡村さんの演技を好評しているらしいし、実際ベン・スティラーさんと岡村さんって似てるからねwモンキー的と言うか(^_^;)
 さらに字幕版の予告を見てみたら、声質も似てるんだよね。だから私は全然不満どころか、むしろ吹き替えのほうが面白かったんじゃないかってくらい(ショーン・ペン以外、声の演技がみんなバカっぽいw)。
 なんでも吹き替えに芸能人を使うことに対して過剰に否定的な人がいてさ、例えば『トイ・ストーリー』のバズの声を当てた所さんも「あまりに所さん」って批判があったらしいんだけど、それってやっぱ先入観であって、本家のティム・アレンの声をよく聞くと、所さんと声がよく似てるんだよ。そう言う意味じゃ、オファーする方もちゃんと考えている・・・場合もあると思うよ。
 だいたい『風立ちぬ』の庵野でも『プロメテウス』のゴーリキでも全然大丈夫だった私に怖いものなどなかったのであった。

 残念だ。美しい写真なのに。

アナと雪の女王

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 アナのためなら溶けていいよ。

 とうとう大学のレポートが30単位分全て出来て、それを全て用紙になぞったので、自分へのご褒美としてレッツ映画。
 や~、もう手書きでなぞるっていうのが反進歩的で辛かったけど(写経か)、意外と用紙に写す段階でワードの誤変換がいろいろ見つかって、そう言う意味ではコンピュータ至上主義を見直すいいきっかけにはなった・・・のかも・・・(ってやっぱり二度とやりたくないけど(^_^;)

 さて、そんな感じで部屋に引きこもって大学のことを全部やっちゃってたんですが、この映画もなんてことでしょう、引きこもりの話!
 ・・・ってちょっと待てよ、前回の『塔の上のラプンツェル』も引きこもりの話だったから、2作続けてのまさかの引きこもり問題!!あっちでも社会問題化しているのだろうか。
 前回は、別にひきこもりたくて引きこもっていたわけじゃないんだけど、今回のは、もう、正統派の引きこもりで、ネットでくすぶり続けるオレたちに、シンプルながら大事なことを教えてくれたような内容でした。

 面白いのはさ、引きこもりライフをなんだかんだで楽しんでいたのが、引きこもりを強制されたラプンツェルで、引きこもっても全然楽しそうじゃないのが、雪山に進んで引きこもりだしたエルザだってことだよね。
 意外と、「働かないで毎日暮らせるぞ!ラッキ~♪」みたいな感じで、ゆる~く引きこもりライフをエンジョイしている人って少ないんだよな。日本には働かざる者食うべからずという格言もあるし、後ろめたさもあるんだろうけど、なんかもっと割り切って欲しいよね。
 引きこもってて楽しくないなら、やめちゃえばいいじゃんってところなんだけど、そう言う意味でエルザも自分で引きこもりの道を主体的に選んだというよりは、もう選択の余地がなく選ばされちゃったってことになるのだろう。誰も好き好んで引きこもってないよっていう。

 一人が好きな人なんかいない。あなた以外にはね。

 で、必死に親や学校や現代の社会や国家や世界を呪っているんだけど、まあ確かに自分の不幸の原因って探し出せばいくらでも自分以外に見つけられるけれど、これってキリがないし処方箋に足りえないわけであってね。自分の問題の答えを自分以外のものに求めても、それは自分探しにならないよっていうことなんだろう。
 もちろん自分の境遇を冷静に見つめるのは不愉快で恐ろしいし、すっごい傷つくのはわかるけれど、自分に向き合うことを避け続けて、少しずつ追い込まれていくよりは、一回自分以外のものに責任転嫁するのをやめてみたほうがいい。
 でもさ、逆に考えればさ、すっごい他人や周囲のことに興味を持っているってことなんだよね。私全然興味ないもん(^_^;)もう、自分を曲げてまで繋がりを持とうとは思ってないし。
 自意識過剰なのは私も一緒で、そこらへんは分かるんだけど、なんでそこまで他の人(世論)を気にするんだろうって。

 ありのままの姿見せるのよ。ありのままの自分になるの。

 結局みんな実はすっごい寂しがりやなんだよね。寂しがり屋だからみんなとつながりたい。でも不器用でみんなとうまく関われなくて、みんなの心無い言動に傷つけられて、で引きこもって・・・でもやっぱりさみしくて・・・の無限ループ。いつまで中学生日記やってるんだって話なんだけど、そういうことなんだろう。
 エルザの触れるものを全て凍てつかせる魔法に関しては、作中まったく合理的な説明がなかったんだけど(一体なんだったんだろうw)あれはもう彼女の心のメタファー以外の何でもないんだよね。感情のコントロールができないから、人を傷つけてしまい、それ以上に自分自身を傷つけてしまい、そんな自分を受け入れられなくて・・・悲しくて、辛くて、怖くて、イライラして・・・

 それでも自分を心配してくれる妹の優しさも素直に受け入れられなくて・・・だって、そうやって、ありのままに生きていける妹の境遇が羨ましくてしょうがないし、挙げ句の果てにあっさり「あたしイケメンと婚約しま~す♡」とぬかしやがって、てめえはリア充だから、そうやって人を信じ、愛せるんだろうけど、私の境遇だったらそんな甘ったるいことができるのかよ~~~!
 うお、エルザが乗り移ってしまった(^_^;)全国の引きこもり諸君、ここまでいくと黄色信号だぞ。
 彼女の凍りついた心を溶かすのは、綺麗事の、口先だけの愛じゃない。一方的な自己満足的な愛(エウノイア)じゃない。
 悔しいけど、あのミラクルさんみたいな雪だるまが言う通りなんだ。
 
 愛は自分よりもほかの人を大切に思う気持ちだよ。

 それは、お姫様と王子様のキスではない。大切なその人のすべてを許し、すべてを受け入れてあげることなのだ。あそこまでの人間不信、猜疑心の塊の彼女には対処法はそれしかない。今までのアニメでは、こういうエルザみたいなキャラは悪役として王子あたりに成敗されてたんだろうけど(^_^;)時代は変わったもんだ(つーか王子が成敗されてたw)。
 今までやってきたことをあっさり相対化できるのもディズニープリンセスシリーズの凄さだよね。フィリア(真実の愛)にはどんな形だってある。今回は姉妹の愛を描いたわけだ。
 たったひとり。たったひとりでも、自分を愛してくれる人がいたなら、その人は自分を愛することができるし、誰かを愛することができる。

それでも夜は明ける

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 罰が下るだと?自分の“所有物”で遊んでいるだけだ。

 アカデミー作品賞の話題作!・・・なのに地元で見事にスルーだったので東京まで行って観てきました。お金がなくなりました(><)
 ま~最初から最後まで、ひょんなことから奴隷にされちゃった自由人ソロモン・ノーサップさんの一人称視点で、なかなか味わえない奴隷体験ができます。あの長時間の首吊りのシーンは、もう、偏執的でトラウマ必至・・・!
 映画の構造はそう言う意味で『ゼロ・グラビティ』(一人称視点をラストまで徹底)に近いんだろうけど、私は見終わったあと『キャプテン・フィリップス』を観たときの疲れを感じました。や~っと助かった~って(^_^;)まあ、『キャプテン・フィリップス』は後半は多少視点が移動するんですけど。

 しかし『42』といい『大統領の執事の涙』といい、ここんところ黒人差別を題材にした映画を割と観ている気がするんですが、なんだろ、今流行っているのかな。
 それとも前にも言ったけど、アメリカではこういう映画をヴァンパイアやゾンビ映画みたいにコンスタントに撮っていて(同列に語ってしまってすまない)ここんところいい映画が豊作なのだろうか。
 もっと穿った見方をするならば、今アメリカで再び差別が社会問題になっているとか?いや、逆に黒人差別はほとんどなくなったからこそ、こういう映画を冷静に作れるようになった??う~んどうなんだろう。
 少なくとも、わが国ではそれでも夜は暮れているよね。

 『シンドラーのリスト』や『アミスタッド』など、人種差別を扱った映画はこれまでにも、たくさん記事を書いたんだけど、今回印象に残ったのは、『スター・トレック』のカーンで艦隊を恐怖のズンドコに陥れたベネディクト・カンバーバッチさん。
 この人がまたいいんですよ。なにがいいって優しい奴隷主なのw
 優しかったら奴隷買わねえだろって感じなんだけど、まさにそこが当時の人を相対化できてうまいキャラクター。
 つまり、カンバーバッチの次の極悪奴隷主のファスベンダーも、奴隷から自由人になれたぜっていう黒人貴婦人もそうなんだけど、この人たちの共通点は南部の奴隷制を容認、適応しちゃっているってことなんだよね。
 これって今から考えれば同罪で、『ジャンゴ』の世界だったらタランティーノに全員ぶっ殺されている気がするんだけど、カンバーバッジさんがインタビューで素晴らしいことを言っていて、当時の人を現代の価値観で断罪するのは簡単なんだ、と。
 
 結局奴隷制がなくなった決定的理由は、奴隷制をやっていない北部の方が経済的に合理的だったって事で、それで南北戦争にも負けちゃった。社会主義も同じような感じで自由経済に負けたけど、みんなに自由を与えた方が結果的に社会は合理化するという自己組織化に気づいたんだよね。
 だから経済問題として考えると、あの映画の時代――『大統領の執事の涙』の大体100年前の時代――は、まだ奴隷労働に経済学的な合理性がある・・・と思っていた時代だったんだ。いや、もうちょい厳密に言うと、実際に合理性があったかどうかが分からなかった。
 例えばタイムマシンであの世界に行って「旦那、旦那。奴隷制をやめたほうが儲かりますぜ」なんておせっかいに言いに行っても、寛大なカンバーバッチさんもおそらく苦笑いで首をかしげるだろうし、ファスベンダーだったら「うるせえこっち来い」って鞭打ち百回だよ。
 なんでかって言うと、「奴隷制」なんていう、南部全域の信仰と結びついちゃっているバカでかい制度は、たとえ何人かに「間違ってるよ」なんて吹聴してもどうにもならないんだよね。
 じゃあ大統領に言えばいいのかって言えば、政治家だって世論のカセがあるからね。有権者が「奴隷制なんていうのは必要悪なんじゃないの?」とか思っていたら、大統領でも絶対難しい。まあ『リンカーン』観てよw

 ラディカルな意見っていうのは既得権益を守りたい支配階級どころか、理解力や想像力が弱い民衆にも理解されないわけで、だったら通るわけねえよっていう。
 頭の中の理屈だけでいくら正しいと確証を得ても、それをリアルに浸透させるっていうのは運とタイミングが物を言うわけだ。
 その不条理さに時代に恵まれなかった知識人は絶望する。だってそういう人にとってみれば、みんなが愚かでしか見えないし、それに対して何ら有効な手を打てない自分の無力感にも嫌になるだろう。そしてこういう人は、当たり前だが少数派だ。下手すりゃ数の暴力で圧殺されちまう。
 多分カンバーバッジも、ファスベンダーも、最後に出てきたさすらいのブラピ(こいつ一度ひょうひょうと主人公を裏切るのがおもろいw)も、奴隷制の異常さ自体には気づいてはいるんだよね。
 気づいているけど、どうにもならないって手を打たない。打ったところで今の時代じゃ絶対に変わらないって事を知っているから。

 それを現代の私たちは糾弾できるのか?日本の労働環境は割とシビアで「SUSHI」みたいなノリで「KAROUSHI」なんて言葉が世界に逆輸入されているらしい。
 だいたい労働基準法に週40時間までの労働とかはっきり書いてあるのに、みんな絶対守ってないじゃん。雇用の流動化かなんか知らないけど、時給700円前後のバイトを週40時間やって食っていけると思っているのだろうか。
 みんなが法律を堂々と破っているこの異常な状況に、私たちは誰も声を上げない。上げたところで絶対変わらないと思っているから。
 他にも学校のいじめだってそうだろう。現場経験のない教育学者がさも得意げに「あんなもんは学級制を廃止したらすぐなくなる」とか言っているけれど、問題の質はこの議論と全く一緒だ。
 したがって現在だって、未来の人が見たら「なんでこんな非人道的な社会をこいつらは容認し続けたんだろう?21世紀の人間ってバカじゃね?ワロスワロス」とか言われるわけだ。
 他の時代や他の国の人を批判するのは簡単だ。だが、いざ自分自身の置かれている状況も同じように批判できるのだろうか。私はできない。だから他の時代や他の国の人の境遇に、できるだけ共感をするようにしたい。

 幸せというのは、自分の身に降りかかる不幸をどう受け入れられるかによって大きく変わるのかもしれない。
 一度も不幸に遭遇しない人なんて皆無だ。不幸はかわせないし、人に代わりに押し付けることはできない。その究極的なものをハイデッガーは自分の死だとしたわけだ。死や不幸は他人事じゃない。つーか他人事にできない。
 ネットは幸せ者が不幸な人をさらに不幸にするだって?それは物事を一面的にしか見てないよ。
 幸せ者(リア充)が永久不変に幸せだと思っているのだろうか。
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