秋の内田樹祭り

 やべ、10月大してブログ書かずに終わっちゃう。最近は落ち着いてパソコンやってる時間がなかなか捻出できないし、まあ多少時間あってもソニックブレイド描いているからブログが放置されちゃうんですが・・・というか、やっぱツイッターが良くないね。
 あれで、短文書いてなんとなく満足しちゃうんだよな。ツイッターやめれば、この日記も更新頻度上がるんだろうけど。ツイッターやる前はほぼ毎日書いてたからね。ツイッターとブログを両立できるマロさんはすごいよ。
 え~と、で、最近は病院で本読んでいることが多くて、主に内田樹さんの本なんだけど。『下流志向』で衝撃を受けてからすっかり「たつ兄」と勝手に慕っているんだけど、や、慕っている割には最近はまったくこの人の本読んでなかったけど、久々に内田樹分を補給したくなって。秋の内田樹祭り開催ってことで。実はちょっと前には夏の池田清彦祭りもやってたんだけど、理系の本って割と社会をメタに突き放したようなものが多くてさ、そのあっけらかんとした爽快さが欲しい時もあるんだけど、今は私生活的に文系を欲してるんだよな。

『寝ながら学べる構造主義』
 構造主義をこしさんに教えた時に、こしさんが最初に読んでいた・・・気がする本(^_^;)私は最終的に橋爪大三郎でガッテンしたけど、やはりたつ兄の内田節で構造主義を知るのも切り口としては面白いかもしれない。
 意外とたつ兄、構造主義に大しての自分の意見とかはこの本の中で一切書いていない。意外!しいて言えば歴史や社会の中で懸命に行動することを奨励したサルトルの主張は「こういうの私は大好きなんです」って言ったくらい。確かに好きそうだ。ちなみに私も好きですwつーかそれしか私たちには選択肢がないよね。他人事じゃないんだから。
 あとは本文中で特に説明のキレが素晴らしかった箇所を、ちょと。

巷の入門書について
 専門家のための書物は「知っていること」を積み上げてゆきます。そこには、「周知のように」とか「言うまでもないことだが」とか「なるほど…ではあるが」というようなことばかり書いてあり、読む方としては「なにが『なるほど』だ」と、しだいに怒りがこみ上げてきます。(8ページ)
 そして、知性がみずからに課すいちばん大切な仕事は、実は、「答えを出すこと」ではなく、「重要な問いの下にアンダーラインを引くこと」なのです。(11ページ)


フーコーについて
 制度に「疑いの眼差し」を向けているおのれの「疑い」そのものまでが「制度的な知」として、現に疑われている当の制度の中に回収されていくことへの不快。そのことに気づかずに「権力への反逆」をにぎやかに歌っている愚鈍な学者や知識人への侮辱。(112ページ)

ラカンについて
 橋爪大三郎ですら「よくわからん」といい、当然私もこの人の言っていることがどこまで比喩で、どこまでガチなのかが分からなかったんだけど、さすがたつ兄。難解だし、ラカン先生の言いたいことのごく一部しか記述できませんとエクスキューズしながらも、丁寧に解説。
 というかこの本を買ったのもたつ兄だったら強敵ラカンもうまいこと説明してくれるんじゃないかなっていう期待があったから。
 ラカンの理解を助けるために、あらかじめフロイトの深層心理学を「構造主義に影響を与えた前史」ということで解説するのは見事としか言い様がない。
 池田清彦さんの『構造主義進化論入門』もそうだけど、やっぱり思想や哲学(及びそれに付随する学術的見解)は当時の文脈、つまり歴史のバックボーンを抑えないとうまく解説できないんだよな。
 感想としては、ラカンのカウンセラーの対話に対する考察って確かにロランバルトのテキスト論に似てる。患者さんと医師の共同作業なんだね。
 相手の言っていることを理解したり病理の原因をつきとめたりするんじゃなくて、聞いてますよって返事をしてあげることがカウンセリングでは一番大事っていう話なわけだ。仮にそれが真実でなくても話すことで救われる、みたいな。
 女性の愚痴を聴くときはちょっとそこらへんまで考えようと思ったけど、多分理解することをペンディングして熱心に聞くって、自分みたいな理屈人間には相当辛いと思う(^_^;)だから男と女は分かり合えないんだろうね。
 そう考えると、この人はなんて心の広い人んだって尊敬しそうになったんだけど、カウンセリング受けて治療費払わない患者には容赦なく平手打ち。社会的コミュニケーションの枠内に戻してあげることがラカン先生のセラピーの最終目標なので、必ずサービスには料金を払わせたそうな。そこはスパルタなんかい!w

フロイトについて
 「無意識の部屋」に閉じ込められて「冷凍保存」された記憶を「解凍」すると、「昔のまま」の記憶が蘇るというふうに考えるのは、おそらく危険なことです。記憶とはそのような確かな「実体」ではありません。(177ページ)

構造主義全体について
 すでに見てきたように、構造主義は党派性やイデオロギー性とはあまり縁のない、どちらかといえば象牙の塔的な学術
 これは私もこしさんに構造主義を紹介する時に力点を置いて説明したところ。現代の科学的アプローチと親和性が高いのも、構造主義が特定のイデオロギーを持たず、メタ的に相対化するからだろう。しかし当初はサルトルに代表される実存主義ブームと激戦を繰り広げたことは、実は高校倫理でも習う人は習っている。

『呪いの時代』
 「言葉が届くとは分かり易く書くということではありません」と、わかりやすく書いている内田さん。尊敬だ。自分の世代的にポストモダンとかニューアカとかじゃないからな。こういったラディカルな記号化に対するアンチテーゼの方がしっくりくる。アニメとか映画とかでもSNSが出てくるとなんか抵抗があるし。
 こんなに普及しているのになんでなんだろ?オレはもう時代おくれおじさんなのか!?って思って、ちょっと考えてみたんだけど、ネットってパブリックな場にプライベートな私念をぶちまけるから、あれなんだよね、その、美少女アニメで美少女がトイレでウンコしているところは書かないじゃん。そういうことです。わざわざウンコを作中取り上げることもないよなって。
 そんな感じで第1章、第2章はネットプロレスへの批判。第3章は日本の政治家のリーダーシップについて。これは『補訂版政治学』第15章「政策過程」とほとんど同じ内容だけど、表現が面白い。
 第6章は昨今話題・・・いや、もう廃れてる?の草食系男子について、ペルソナ的に考察。ペルソナは沢山あるに越したことはないっていう意見新しいなw
 第10章と第11章は原子力問題と科学哲学なんだけど、原子力という制御できない強大な力に対する(内田さんが推察する)欧米と日本の対応の違いがすごい面白かった。
 この内田説によればジュラシックパークは欧米よりも(戦後の)日本人のが心に突き刺さって、ゴジラは日本人よりも欧米の人のが感情移入するに違いない。恐竜という強大な力を前者は金儲けのビジネスに過ぎないと卑小化させて、現実的な恐怖心を押さえ込んだわけなんだから。
 また、科学の説明がなかなかの内田節で面白かったので引用。

 科学性というのは端的に言えば、「世界の成り立ちについてのあらゆる理説には賞味期限があり、かつそれが適用される範囲は限定されている」という肚のくくり方のことである。「言い換えれば、自分の使える知的な道具の有限性、自分が準拠している度量衡の恣意性、自分が自称を考量する時に利用する計測機器の精度の低さについての自覚のことである。さらににべもない言い方をすれば「自分のバカさ加減」についての自覚のことである。(300ページ)

 この本では、フランス哲学の専門家だったたつ兄が特にレヴィナスに深い影響を受けているのもわかる。確かにポストモダン的でないエシカルな思想家という意味ではレヴィナスと共通点あるかも。・・・と、思ったら、『街場の共同体論』で「僕の哲学的な師はレヴィナス先生です」って公言してました(^_^;)

 汝、呪うなかれ。

ジャッキー・チェンメモ

 地球には間違いなく引力があるよ。

 先月、本で何万円も使っちゃったのに、懲りずにコンビニで『ジャッキー・チェン物語』を衝動買いしてしまった私。その上、あさって宿敵法律学の試験なのに(三度目)全然勉強せずジャッキー・チェンの映画ばっかり見ている始末。
 というのも香港映画って、メソッドできっちり脚本の展開がパターン化されたハリウッド映画と違って、なんか読めないじゃん(^_^;)ライバル倒したら余韻なく「終劇」!ジャーン、とかで終わったり、エンドロールとエンディングテーマの尺があってなくて、最後は静止画像を延々と見せたり。
 それがマーベル映画に食傷気味だった自分には面白くてさ、昔は脚本をきっちり書かずにインスピレーションだけで展開を組み立てちゃう宮崎駿があんま好きじゃなかったんだけど、まあ今ではあの人をすごい好きな人が多いのもなんとなくわかるかな、というか。
 映画館に見に行ったけどブログでは取り上げなかった『X-MEN:フューチャー&パスト』や『マイティ・ソー ダーク・ワールド』、ほんで最新作の『ガーディアン・オブ・ギャラクシー』も決してつまらなかったわけじゃないんだけどさ。話の構成がどれもほとんど一緒でさ。時間的にそろそろ総力戦が始まるぞ、ボスとの決闘が始まるぞ、はい逆転勝ちするぞ、とかもう予想がついちゃってさ。立て続けに見ちゃった自分が悪いんだけど、あんまドキドキしないんだよね。
 だからまあ、ジャッキー・チェンの昔のカンフー映画とかは良くも悪くもゆるくてさwかえって新鮮なんだよね。最初に出したキャラが途中全然出てこなくて、最後は活躍するだろとかハリウッド的に予測していると、そのまま出ずに終わったりさwすごいいいんだよw

スネーキーモンキー蛇拳
言わずもがなジャッキーの出世作。
心は優しいがいじめられっ子の青年が、街を徘徊する住所不定無職の浮浪者と仲良くなり拳法を教えてもらい、たくましく成長する話。
う~んベタベタ&シンプル!だがそれがいい!!
師匠に厳しくしごかれる睡拳とは異なり、ユエン・シャンティエンの師匠と「友達」というところがハートウォーミング。これはウィル・スミスの息子と共演した『ベストキッド』でオマージュされていたりする。
そういやアメトークでジャッキー芸人が『酔拳』のパロディやってたけど、宿敵役の中川家礼二さんが演じていたのはこちらのキャラに近い(ジャッキーの歯を蹴り折った)。
ちなみに『蛇拳』とか言うけど、後半は猫拳で戦っていたりする。でもそれはまずいだろ、と、師匠が「いやこれ蛇形刀手にしようよ」って言って終わった。

拳精
五獣の拳の妖精と少林寺の門下生ジャッキーとのコメディファンタジー映画。
ブルース・リーやジャッキーとひと悶着あったロー・ウェイ監督作品。
ロー・ウェイ監督は金づるのジャッキーをマフィアに拉致させたり、白紙の契約書にサインさせてその後契約内容を改ざん(金額を二桁増やした)したりと、かなりの悪徳映画監督だったらしいけれど、この映画自体は笑えて面白い。
少林寺の裏切り者は誰だ?というなかなかのミステリー展開だし、白塗りでピンクの髪というジャパニメーションでもなかなか出てこないであろうデザインの妖精たちがすごい可愛い(&むかつく)。特に本の中に隠れている妖精たちが、最後の戦いの最中、本を黒幕に殴られて、本の中で白目むいてるのに大爆笑wwwバカ殿といい白塗りの破壊力は恐ろしいものがある。

ドランクモンキー酔拳
言わずもがなジャッキー映画の日本初公開作。
憲法の素質はあるがチンピラ崩れという設定にされた中国史上の英雄ウォン・フェイフォンがユエン・シャンティエン(また出た)の師匠に根性を叩き直され、まっとうな人間になる話。
う~んベタベタ&シンプル!だがそれがいい!!
もう何度も見てるんだけどやっぱり面白い。つーか蒸しタオルってある種の凶器だな。
蛇拳とは対照的な生意気な青年を演じているのも面白い。実際ジャッキーは若かりし頃相当のワルだったらしいからこっちのほうが実態に近いのかも・・・でも地獄の養成所で子どもの頃しばき倒された辛い経験は蛇拳にも踏襲されてるんだろうな。
あとライバルの殺し屋・・・この人なんか人相がすごいいい人そう。

ヤングマスター
ライバルとの最後の決闘の決着がなかなかつかず・・・本当にマジでなかなかつかず何十分もアチャアチャ言ってる衝撃的な映画。
ジャッキーは足技の使い手には苦戦する傾向があるらしい(^_^;)
しかも最後はテクニックではこいつには勝てないからと、駄々っ子のように腕振り回してよくわからない気合でゴリ押しで勝利。カンフー映画史に残る泥試合と言えよう。
「人を刺して傷が治れば無罪になるのか」と、道場を破門された兄弟子を探しに行く話で、最後は兄弟で戦うのかな?みたいな予想は完全に裏切られます。ただこの映画時間に収めるためにめちゃくちゃカットしたらしい。
センスを使って戦うのは孔雀のように優雅。その後、椅子やスカートも武器にし出す。で、その流れは自転車、ナポリタンとエスカレートした。

プロジェクトA
言わずもがな代表作。でも内容ほとんど忘れていた。こんなパイレーツ的な物語だったとは。
ローワンアトキンソンもだけど、厳しい学校出た人はその辛い経験をコメディにしたいのだろうか。こういう意地悪な先生を生徒がからかうのはドリフ大爆笑と似ているよね(ユンピョウがいかりやw)。
将校の人に「海賊を倒す具体的な作戦は?」と聞かれて「ありません!」って言って「よし!お前に海賊退治を任せる!」みたいな超展開が発生。
最後の海賊の兄貴との戦いは本当ひでえ殺し方で衝撃的(^_^;)
ちなみにこの映画ちゃんとした続編があって、そこでは兄貴を失ってすっかり落ちぶれた海賊たちが復讐をしようとするんだけど、なんかグダグダになるというなかなかの名作。
モノホンの唐辛子を一気食いしたり、腐敗しきった警察のシーンとかなかなか風刺が効いてて続編の方も好きなんだけど、やっぱり劇団員時代の仲間のサモハンとユンピョウが出ないのが残念。ちょっとだけでもカメオ出演して欲しかったなあ。

スパルタンX
全編スペインロケ。スケジュールや予算をオーバーするジャッキー監督と違い、予定通りにキッチリ仕上げるサモハン監督作。
自分が監督している割にジャッキーを立ててコメディリリーフに回っちゃうところが面白い。でもなんか太った探偵物語みたくて面白かったぜ。
ラストはジャッキーとベニー・ユキーデとの一騎打ちか!?と思いきや、最後によくわからないザコキャラみたいなのが残っていて、そいつをサモハン。ジャッキー、ユンピョウでにじりよって降参させるというハリウッド映画じゃ絶対にやらなさそうな構成w
ちなみにスパルタンXってなんなんだろうってずっと思ってたんだけど、ジャッキーとユンピョウの移動式軽食屋さんの改造ワゴンの名前が「スパルタン号」だった。古代ギリシャがどうとか、そういう深い意味はないらしい(^_^;)
そういや小さい頃『スパルタンX』っていうファミコンがあったけど、あれジャッキー映画っていうよりはブルース・リー作品に近かったような・・・(死亡遊戯っぽい)
ガチでテレビゲーム化するならやっぱり『ランナバウト』みたいなやつになるのだろうか。

ファイナル・プロジェクト
ここら辺になるとすごい金がかかっている。一応『ポリスストーリー4』って位置づけらしいが、ジャッキー版007と言ったほうがピンとくる。筋書きはほとんど一緒だし(核ミサイルの発射ボタンえらくぞんざいに扱ってるけど)。
なんでファイナルなんだろうと思ったら、この年(1997年)に香港がイギリスから変換されたんだよね。だからジャッキー最後の香港映画ってことでファイナルって付けたらしい。
それはともかく、この時代の携帯電話はマナーモードとかバイブレーション機能はなかったのだろうか。潜入中にいちいち呼び鈴が鳴るのはスパイグッズとしてあかんやろw
スノーモービルがジャッキーにスレスレで飛んでいくシーンは舞台がロシアじゃなくても背筋が凍った。本当この人はなんなんだ!
しかしジャッキー、役名考えるのが面倒になったのか、ジャッキー・チェン捜査官でそのまま出てる。確かにどんな役やっても「ジャッキー」だもんねw
あと『ヤングマスター』の獅子舞が出てくる。

猿の惑星: 新世紀

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆」

 エイプは全てにおいて人間に勝ると思っていた。だが我々も人間と同じだ。

 前作はマイクル・クライトンの『NEXT』か!?と勘違いしてしまうほどの医学スリラーだったけど、今回はお猿軍団の進化(=擬人化)が進んだことで、類人猿の恐怖というよりは、お馴染みの猿の惑星シリーズのテイストに戻って安心して見れる・・・というか冒頭の猿インフルと医者猿がマスクしているシーンで爆笑w「あ、これ、つの丸先生往年の名作モンモンモンの世界を実写映画化してんだ」と。原崎山おさる軍団VS人間じゃねーかってw
 ジャンプの編集者が言ってたけれど、『モンモンモン』のおさるってほとんど人間と一緒だからねwそうなると人間とコミュニケーションもできるし、和解の可能性もあるから、前作にあったような、種族の絶望的断絶の恐怖はあまり感じない。
 だいたい、これくらいの断絶は人間同士でも今なおあるし、なにより『セデック・バレ』の台湾人の方がよっぽど分かり合えなさそうで怖い!

 そもそもこのシリーズって、類人猿を自然科学的に描いた作品というよりは、大戦中に日本軍の捕虜収容所に捕まっちゃった人の悲惨な思い出話を聞いた作者さんが、野蛮で残酷な日本人のイメージをおさるにして描いた、なかなか人種差別的な問題を含む社会派SFで、そうなってくると当時の白人の人が黄色人種に対してどういう感情を持っていたか興味深い。
 多分、スーサイドアタックとかを空母に繰り出してくる日本軍に対して、絶望的な分かり合えなさや恐怖を感じていたに違いない。あの自爆攻撃はなんか薬か何かをやらせて正常な判断能力を奪わせた上でやってたんじゃないか?とか考えていたらしいし。
 もちろん今は世界大戦なんかはやってないけれど、イスラム国家っていう、なにやら金回りの良さそうな過激派テロ組織がネットの力でにわかにできちゃっておっかないし、そういった恐ろしい対立勢力とどうやって和解の道を探すかが今後の国際社会にとって重要になってくるに違いない。

 だいたい、この映画もうまく描いていたけれど、人間VSエイプなんていう単純な対立構造ならまだ「全面戦争だ~!」とかも(善し悪しは別として)選択肢として有効な気もするけれど、現代の世界はもっと複雑で多極化しているからなかなか難しい。
 なにしろ、イスラム国家って国籍問わずいろんな人が同調しているらしいから、欧米VS中東みたいに戦えばいいってもんじゃないもんね。
 この前の『キャプテン・アメリカ』じゃないけれど、自軍の内部にも敵が混ざっているかもしれない。そんなモザイク状の乱戦状態で相手陣営を殲滅するような作戦なんて現実問題として可能なのか?って言う。
 今までは国民国家っていうのがあって、その枠組みで戦争をしていたわけで、まあ冷戦だってイデオロギーの戦いなんだろうけれど、国民国家の連合軍同士(東西陣営)の戦いと考えれば、その延長線上なわけで。
 でもイスラム国家ってなんなんだっていう。911を起こしたアルカイダですらテロのフランチャイズ経営とか言われていたけど、フェイスブックで離合集散を繰り返すような「集団」(もはや組織と言えるのか?)をどう相手にすればいいんだっていう。
 
 溝口敦さんによれば、日本でも今は暴力団みたいな組織犯罪って減少してて、今厄介なのはそういうキッチリとしたヒエラルキーができた大きな組織じゃなくて、組織化されていない「半グレ集団」らしい。
 この人たちは言ってみれば一般人と暴力団の中間的なポジションで、暴対法の適用外になり、もうやりたい放題らしい。犯罪をするときだけ集まり、終わったら一般人の中に紛れてしまうという巧妙なやり方で、今後この戦法をイスラム国家が世界各国でとったら恐ろしいことになる。
 思想や信条は心の中の問題で外見に表れないから、空港で止めるわけにもいかない。そうなると、やっぱり『フェアゲーム』みたいにスパイの人が地道に、こいつはイスラム国家の構成員だとかデータベースを作っていくしかないのだろう。
 不思議なのはスノーデンさんとかが言ってたように、アメリカって世界中のネットを覗くことができるんだから、ネットを駆使しているテロ組織は逆に情報を把握しやすいんじゃないかって思うのだけど、どうなんだろう?それともシールドみたいにすでにCIAもNSAもハイルヒドラに乗っ取られているのだろうか??

 あれれ?なんか全然『猿の惑星』の話ししてないぞ・・・(^_^;)まあ、だからいいサルばかりじゃないけど悪いサルばかりでもないってことだよ。
 しかしアメリカってこういう人種問題みたいなテーマを真摯に作るよなあ。『エックスメン』なんかもそうだしね。
 結局自分が理解できないものを排斥しようとする気持ちってどんな人間にも等しくある心の基盤だから、こういう映画をコンスタントに作り続けないといけないのかもなあ。
 本当すっごい小さなことでも私たちはああでもない、こうするべきだとか演説しているもんね。多分それはそれでメタ的に見れば、実は重要な機能なんじゃないかって気もするけどね。対立があって初めて物事は進んでいく感じもするからなあ。
 バベルの塔では人の言葉をばらばらにしたけど、案外現実は逆で、みんなが同じ考えをしていて分かり合える状態よりは、なかなか分かり合えず葛藤していたほうが社会を動かすエネルギーが生まれるのかもな。『デザーテッドアイランド』の完全な平和を得た存在も、緩やかに滅んじゃったしな。

 まあ、んなこと言っても、私たちはメタな存在じゃないから、何かしらの対立には巻き込まれちゃうんだけどね(そこがオタク気質の奴の限界であり、悲しい現実である)。重要なのは、その時どういう判断を主体的に行うかだよね。
 與那覇潤さんは強い勢力に出会ったら、そいつらを徹底的におだてて、持ち上げて、で、その後で、彼らの建前や理想を持ち出して「素晴らしいあなたがたなら、当然自分たちが打ち立てた理想も守ってくれますよね?」みたいな懐柔をするべきとか言ってたけど、私はその勢力の言い分を全面肯定した時点で奴隷への道な気がするけどな。一度下手に出た上で、そんな皮肉めいたことを言ったら絶対殺されると思うけれど。
 イスラム国家だって、そもそもイスラム教ってほかの民族や価値観に寛容な宗教だからね。でもそんなこと、あんな怖い人たちに言っても射殺されちゃうリスクの方が大きくないか?
 まあひとつの駆け引きとしては時と場合によっては有効かもしれないけれど。

 でも本当に必要なのはリアルで価値観の異なる勢力にそういう交渉を試みることができる勇気だと思うんだ。人間側のマルコムは、なによりそういった勇気があったからシーザーに認められたんじゃなかろうか。ロジック云々じゃなくてね。
 シーザーは古代ローマの人だけど、古代ギリシャには4元徳っていうのがあって、勇気は向こう見ずと臆病の中庸であるから尊いとか言ってるんだよね。
 自分は、もう、セデックバレの時代の台湾にすら行く勇気がないからね。なによりセデック族もエイプも、勇気のない腰抜けには最大の軽蔑を贈りそうなコミュニティなのが怖いよ。
 
 エイプは強い枝に群がる。

『中国化する日本』

 3年くらい前に出た新進気鋭の歴史学者與那覇潤さんの大ヒットベストセラー本。書店でも人気ランキング第一位に入ってたのを見かけたんだけど、なんだかんだでスルーしちゃってて、そういやこの本まだ読んでなかったな、と買ってしまった。
 しかし当時はなんでこんなんがバカ売れしたんだろう。まず「中国化」というワードが「みんな死ぬしかないじゃない」ばりにキャッチーだったことが挙げられよう。
 この「中国化」という言葉が厄介で、まず一般的な歴史学で用いられる「中国化」・・・漢民族を中心とした中華文化に他の民族や国家が取り込まれてしまうような意味合い(台湾など)で使っていない。
 そういう中国脅威論がやりたい人はネット掲示板に行ってください、というわけだ。言っとくけど、この挑発的なセリフはオレじゃないからね!この本に書いてあるんだってば。それに、最後まで読めばわかるけど、お前が行けよってなっちゃうんだけどね(^_^;)
 與那覇さんが言いたいのは、中国の歴史は宗の時代でだいたい完成し、この宗こそが普遍的道徳観を持った独裁権力と“その他大勢”という、現代にも似た流動的な自由主義経済を最初に実現させた先進国で、それに比べれば日本はおろか西洋だって遅れてるぜっていう、高校までの歴史の教科書には載ってないけど、本人曰く大学の歴史学や学会ではもはや定説らしい中国観だ。
 ここまで読んで、親日反中の人は怒ってこの本を放り投げちゃうかもしれないけれど、実は與那覇さんは別に中国を持ち上げて日本や西洋を蔑んでいるわけじゃない。

 というかもっとひどい。こやつは遠まわしに中国も馬鹿にしている。

 日本も中国も西洋もメタレベルでまとめて蔑んで、茶化して(それになぜか映画やアニメなどのサブカルチャーもぶち込んで)ネタにしているという、まあ底意地の悪い本なんだ。
 これは客観的に論証するために、全てを相対化しているわけではないし、むしろ逆だ。自分でもちゃんと定義できていない曖昧な二元論(※でもキャッチー)を絶対的な尺度にしている時点で、全然実証的じゃない。
 與那覇さんが言うように、こんなことに現在の歴史学会がなってるんだとしたら、むしろやばいんじゃないかって思うんだけど(みんな思いつきで議論しとんのかい)、さすがに出版して3年経つとネット上にも冷静な批判をする人たちが現れて、ちょっとホッとしてます。よかった~やっぱり歴史学の人たちもまともなんだっていう。
 こんな「目立てば勝ちなんや」的なやり方でアリなら、真面目に研究をしているたくさんの歴史学者さんがわりを食っちゃうもんな。
 最近では国立大学で文系分野を教育学部を含めてごっそりリストラしちゃえみたいになっているらしいから、そう言う意味で今後は淘汰圧が上がって、どんなインチキやハッタリでもいいから話題になればいいと言う戦略を選ぶ学者もどんどん出てくるだろう。
 だから、小保方さん騒動もそうだけれど、そういうことをしなかれば学者の世界も不景気で食っていけないっていうのが『中国化する日本』の本当の裏テーマなんじゃねえの?って、私は思うよ。

 話がそれちゃったから戻そう。で、古代から現代に至るまでの日本史を、「中国化」VS「江戸時代化」という二元論を強引に当てはめているから、まあほころびがひどくて、ちょっとやばくなってくると、「あの学者も言っています」「学会では常識です」というリーサルウェポンを惜しげもなく繰り出してくるという。
 私さ、学者の本で、「~~さんという偉い人も言っています。だから正しいのです」なんていう論理整合性の担保の仕方をやっている本、初めて見たよw
 もちろん、自分の論の説得力を増すためにほかの学者さんの意見を引用したりするのは、当たり前のことなんだけど、この人のやり方って結局は責任逃れのツールとして使ってるんだよ。つまりもしこの本の理論の矛盾が、賢い奴に指摘されても「いや、これ私のオリジナルな説じゃないんで・・・」って逃げれるわけ(信じられないかもしれないけどこの本はマジでそんな“保険”がいたるところでかけられている。まあ確かにこの二元論自体は別に目新しいものじゃないんだよな。大きな政府か小さな政府かっていうだけの話で、高校の政経の教科書レベルなんだよね)。

 ・・・だから、いろんな学者さんの意見や学説を自分の都合のいいようにパッチワークして、「どうだ、偉い人がみんなこういっている。だからオレは正しい。高校の歴史の知識しかないお前らは遅れてる~wwプ~クスクス」なんて、やられても、まあネット掲示板の歴史オタクならわかるけど、アカデミズムにいるプロの学者がすることじゃないだろっていう。この当事者意識のなさはまさにネット民。
 素人にはアカデミズム=「大学では定説」を振りかざし、プロの学者の批判には「これ誰々さんの説ですから」っていうレトリックは学者として極めて不誠実で無責任だ。その分野に詳しくない人に偉そうに知的スノッブを振りかざす、どこぞの科学オタクと一緒である。
 たけしさんが言うように、オタクとは「有益な情報を知りたい」という価値観で知識を蓄積しているのではなく、「人の知らない事を知っている、オレつええ」という価値観で生きているので(こういうのを差異化という)、情報の中身は正直どうでもいいのだ。相手が知らず、自分だけが知っている情報を持っている、それ自体がオタクのアイデンティティなんだ。

 つまりネット掲示板のオタクを馬鹿にしている割には、この人自身の行動パターンが見事にそんなオタク像と合致していて、もう豪快にブーメランになっちゃってて、これはもう最初からネタとして書いてるのか?って頭を抱えてしまう。
 「~~っていう学者が言っていました、よって正しいんです」を「グーグルで検索したら出てきました、よって正しいんです」に置き換えれば、なんとなく分かるでしょ?
 だから、ホンマでっかTVのノリで読むべき本だったのか??岡田斗司夫ゼミのノリで読む本だったのか????オレにはわからない・・・

 最後にホンマでっかTVの池田清彦さんが歴史について、意外とクリティカルなことを書いていたので引用しよう。

 歴史は物語であり、事実ではないというのは当たり前のことである。

 江戸時代から明治時代になると、我々はあたかもそこで時代がものすごく反転したように思う。江戸時代の最後と明治時代の頭はまったく違うように思う。しかし、当時生きていた人から見ると、実はそれほど大きな差はなく、むしろ連続的な面が強かったろう。
(略)
 たとえば人間の二千年の歴史を再現しようと思えば二千年かかる。
(略)
 そこで、歴史を必ずある同一性でくくって、時代区分をし、適当な物語をはめ込んで、歴史があたかもある同一性でくくれるかのように話すのである。その意味で、客観的な歴史は存在しない。(『構造主義進化論入門』176ページ)


 與那覇潤もホンマでっかTVに出ればいいんだよね。「なんか頓珍漢なこと言ってるけど、しょうがないか、ホンマでっかの人だし」ってなるし。

 與那覇さんは、地歴の教員免許に必要な必修単位(おそらく日本史)にこの本をテキストとして使っているという。そして自説と異なる意見の学生には単位を与えないらしい。恐怖である。
 私の大学にもいたけど、こういうパターナリズムな奴ほど、「学生はもっと自分の意見を自由に言え」とかカッコイイこと言うんだ。言われたら言われで感情的になるのにな。どうせ今の学生なんて自分の意見を言う勇気もないとタカをくくって見下しているのだろう。
 まともな学生なら、こんなデタラメな本は相手にしないはずだ。したがって頭がいい学生は教員になれないというおかしなことになってくる。う~ん・・・教育学部なくてもいいかな(^_^;)

『構造主義進化論入門』

 教授になってしまえば、論文などあまり書かなくても、よほどのことがない限りクビにならないが、それまでは切磋琢磨で一生懸命競争をする。それはまさに自然選択そのものだ。自然選択は、生物がやっているかどうかはともかくとして、実は自分たちがやっていることである。

 ホンマでっか!?TVという、日本人のメディアリテラシーを養うために開発された、日本一胡散臭いTVプログラムに出演中の池田清彦さんの著作。
 こしさんからの課題図書ということで、今度のオフ会での話すネタにもなるし早速注文して読んでみた。
 ・・・いや~面白かった!
 なにより、これ、すごい読みやすくて上手な文章。わかりやすくて読みやすい文章は「いい論文」になる得るが、いい論文は後世には残らない。残るのはわかりづらくて雑多な論文というのは、漫画やアニメ等の物語にも言えるなあ。(^_^;)

 現在では、論文はなるべくクリアに要点だけわかりやすく記載し、系統立てて書かなければならないという解説書が数多く出版されている。それらの指導書に照らし合わせれば、『種の起源』は悪文の見本だ。何を書いてあるのかよくわからない。
 私は論文の書き方を学生に教えるときに、まず学会のレフリーつきの論文にアクセプトさせるようなものは、規範的にクリアに書かなければいけないと教えている。しかし、後世に残るようなものは、ダーウィンが書いたように、わけのわからない書き方でないと残らないといっている、クリアなものは普通は長く生き残らないのだ。(114ページ)


 確かに、読者の解釈の余地や引っかかりみたいなものがないと残らないような気がするよね。ダーウィンの『種の起源』以外にも思い当たるのはいくつかある。マルクスの『資本論』、カントの『純粋理性批判』、ラカン、ドゥルーズガタリ…全部わかりづらいし読みづらい(そして分厚い)
 押井守のアニメやエヴァンゲリオンなんかもそうだろ。アレみんなよくわからないで面白がってんだよな。よくわからないものを見せてハッタリかまして、受け手をケムにまくのが私はあまり好きじゃないんだよね。それを見たほとんどの受け手は絶対賢くならないだろうから。
 池田清彦さんの竹を割ったような書き方は、福沢諭吉を彷彿としてかなり好き。そしてなにより福沢さんがすごいのは、わかりやすいのに後世まで残っている!!!尊敬だ!

 しかし、バラエティ番組に出ているような学者は、もう全面的に怪しいというイメージを持つ人がいるけれど(大槻教授とか斎藤孝先生とか)、やっぱりそれなりの経歴や業績がないとテレビで活躍はできないと思うんだよな。
 確かに学者っていうのは研究や実験、論文が核になる仕事かもしれないけれど、学生の教育や、一般の人への啓蒙だって重要な役割だと思っている。これはスポーツで言うならば、前者が選手で後者が監督(もしくはコーチ)みたいなもんでね。
 さらに一般の人にも複雑な専門分野を噛み砕いて説明するっていうのは、相当頭が良くないとできないことだよ。だからスポークスマン的な学者がいたっていいんじゃないか。そんなサイエンスコミュニケーション的な話をこの前佐倉統さんとやり取りしたんだけど(^_^;)

 さて、この本を読むと池田さんや構造主義進化論がトンデモなんじゃなくて、科学という営みの本質が「トンデモ」を内包しているのがわかる。
 トンデモじゃない科学と、トンデモな科学があるんじゃなくて、科学はみんなトンデモ要素を持っていて、その度合いが相対的に違うってだけなんだろう。その指標はなんだっていうのがあるけれど、例えば論文のインパクトファクターや、その理論通りにやれば、同じ結果が得られるという再現性などが該当するに違いない。
 しかし、科学の分野によっては、この客観的再現性が難しい、もしくは不可能な分野もある。政治や経済の社会科学の問題、具体例を出すならば、需要を重視するケインズと、供給を重視するマネタリズムやサプライサイド経済学はどっちが正しいんだっていう話も実験のしようがないから難しい。

 しかし、もともと道徳や哲学の分野だった経済学が晴れて科学の文脈で研究されるようになったのは、やっぱり数値化できて、定量的に計算できる(可能性がある)からだろう。
 池田さんは科学において、この数式で表現できるというのは非常に重要だとしながらも、そのプロセスには大きな見落としもあるということを、言語学的な観点から説明している。ここら辺のくだりは私もサイト黎明期にコラムで書いたから読んでくれい。
 まあ、かいつまんで説明するならば、数や言語っていうのは、その対象が持つ雑多な「表情的意味」を一つの基準に抽象化し、残りのものは全て捨ててしまう性質があるから(私はそれを「言葉は差別的」と言ったが、本書では「文節恣意性」と呼んでいる)、現実をキレイにモデル化はできるかもしれないけれど、抽象化の基準を誤ると見当違いなモデルを組んでいる可能性もある。
 例えば火が燃えるのはフロギストンがあるとか・・・ここら辺の科学の底板の危うさは、ダーウィニズムが成立するまでの過程を古代ギリシャから網羅して紹介してくれているから十分に理解することができる。私も進化論の歴史は一度ブログにまとめたことがあるんだけれど、百科全書の編集委員、ディドロとダランベールや、精子にはちっちゃな人が入っているという有名なファンタジーを考えたシャルル・ボネが割と掘り下げられて説明されていて非常に勉強になった。

 こういう古くて、もう間違いってされている学説は、現行の生物の教科書ではカットされるようになっちゃっているんだけど、こういう昔の学説を時系列順にちゃんと知っといたほうがいいと思うんだよ。先人たちの失敗があって現在の発見があるわけだから。そういう歴史なしでいきなり凄い発見なんてないわけで、いや、たまにあるけどさw
 例えば、昔は実験器具の精度が良くなくて、その理論の正しさが立証できなかっただけっていう話だってあるわけで、昔の研究の着想のおもしろさだって現在の研究に役立つことは大いにあるだろう・・・というか、どんな学術分野も古代から還元主義(本質主義、実念論、モデルや要素を重視)VS現象主義(構造主義、唯名論、現実や全体を重視)の戦いをしているしね。プラトンVSアリストテレスとか、プランクVSマッハとか、ポパーVSクーンとか、社会学だとヴェーバーVSデュルケムってところか。
 だからわりと人間ってず~っとおんなじテーマの論争を繰り返しているという。部分か全体か。部分で全体を理解できるのか、できないのか。

 そんな感じで、進化論成立の歴史が、ちゃんとそのモデルの根拠になった思想や哲学を込みで説明されている。これは進化論の入門書としては非常に素晴らしいと思う。
 科学はとりあえず正しいんだ!って思っている人は、たぶん、この哲学的な底板まで考えないのだろう。何度も言うように、本来、科学的な態度って、これって不思議だな、これって本当なんだろうか?というある意味懐疑的な態度であって、これは絶対に正しい(=間違っている)!みたいなアジェンダにはなりえないものだ。大体、進化論はおろか、核物理学もバイオテクノロジーも進化論も百年前後の歴史しかない。厳密には60年くらいなんじゃないか。科学の検証に時間がかかるというならこれは怪しいわけで。

 しかし、ある立場に立って研究するためには、そのモチベーションが必要だから、あえて自分が支持する立場をアジェンダ化するっていうのは、科学の研究もクリエイティブな活動である以上必要なんだろうけれど。そういった事情は共感できる。作家も自分が書いているものを絶対的に面白いって信じられないと書く気にならないしさ。
 だから、これ、生物学の本っていうよりは、科学哲学の本に近い。そう言う意味でレンジの広いアクロバティックな論考の本だと思う。(特にエピローグの「科学の挑戦」は「科学は錯覚である」という素晴らしい名言も飛び出し秀逸!)
 
 ほんで、本題の構造主義進化論。冒頭でネオダーウィニズム(=ダーウィン+メンデル)の不十分な点を指摘し、なんと本全体の5分の4が過ぎた時に初めて登場するんだけど(^_^;)、本人も言っているように、これは今の時点ではひとつのユニークな考え方に過ぎない。
 じゃあ、箸にも棒にも引っかからない、荒唐無稽な話なのかといえばそうではない。少なくとも思考実験としてはすごい面白い。それに数値化(モデル化)できなければ正しくないというのは、逆におかしな話だし。快楽を数値化したベンサムの功利主義は科学的に絶対正しいのかっていうとクエスチョンがつくだろう(ただこの人の理屈が下支えになって近代経済学は誕生)。
 それに、このような複雑なアプローチでの研究はコンピューターの発達でかなり進んでいると思う。ちょっと前まではDNA扱うだけでもマシンスペック的にすごかったわけだから。
 ちなみに、この理論自体は87年くらいに池田さんは考えている(当初は安定化中枢説と言っていたが、「似たようなので構造主義進化論っていうのが既にあるよ」って指摘された)。
 分子生物学全盛の80年代にDNA至上主義にケンカを売ったのがすごい。確かに20年時代を先取りした本であることは間違いない(^_^;)

 今後は、解釈系のシステムや、恣意的に構築されたルールの構造を実験科学の文脈でどうやって確認するのか、どこまでできるのかが課題になりそう。
 本書で出てくる、構造主義進化論(進化とは新しいシステムが追加され複雑化すること)における「多元的」っていう言葉は、構造主義の文脈でよく言われる文化多元主義とか相対主義っていう、時にラディカルな均質化というよりは、フラクタルとかの階層構造の意味合いの方がピンと来るな。多層的なシステムになっているというか。
 で、このモデルに一番近いのは、経済学のペティ=クラークの法則とかかもしれない。1次産業を基部にして2次産業、3次産業の順に栄えていくっていう。そしてそれらには優劣関係はない。農業と製造業の、どっちが産業として優れているかは比較しようがないからね。

 あとは表現の問題だよなって気がする。つまり「ネオダーウィニズムは不十分だ!」→よって構造主義的アプローチがそれを補完する・・・と「ネオダーウィニズムは間違っている!」→よって構造主義進化論によって駆逐される・・・だと受ける印象がかなり違う。
 迫力勝ちするのは後者だから、あえて過激な表現にしている感があるけど、こういう表現がカチンと来る人がいて、池田清彦はダーウィニズムを信じていないトンデモ学者だっていう烙印を押されるんだろうな(^_^;)
 実は本書のネオダーウィニズム(いきすぎたDNA一元主義)の欠陥は、ダーウィン進化論の申し子リチャード・ドーキンスも著書でまとめていて、でもそれもダーウィニズムの文脈で説明可能だ!って同じ事実から対極的な結論を導き出しているのが興味深い。
 こういう現象が起きてしまうのも、まずもってダーウィンの進化論(『種の起源』)の表現が曖昧で、親切に読解すればどんなことも予言しているように読めるから(遺伝子浮動とか中立説とか)、こんなんズりいし、反証できないよ!っていうツッコミは、なんか社会現象化したアニメ作品と、その熱心な信者を、アンチが批判している図式と似ている(ダーウィンが用不用説を支持していたところは無視かよ!とかw)。アンチが信者に何を言っても勝てないのと一緒だよねw理屈じゃねえんだ・・・
 ただ、私もダーウィニズムが構造主義生物学も取り込んじゃうような可能性はあるんだよなあw修正ネオダーウィニズムとか・・・構造主義ダーウィニズムとか、多元主義的ダーウィニズムとか・・・うわ、自分で考えててありえそうな気がしてきた!!
  
 構造主義進化論は今のところ思弁の産物にすぎず、論文が書けない。これで論文がどんどん書けるようになると、ネオダーウィニズムは終演するだろうと私は信じている。フォン・ベーアという有名な発生学者によると、生き残った理論は三つの段階をとるという。
 第一に、あまりにもばかげているということでみんなから無視される段階。第二に、みんな「そうかもしれない」と思いつつも、その理論によると論文が書けないし、主流の理論にも合わないので、自分自身が生き残るために無視している段階。第三は、「実は私もずっと昔からそう思っていたのだ」とみんながいう段階。この図式でいえば、構造主義生物学はまだ第二段階である。(164ページ)
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