ホンマでっか!?TVは優れたSF

 今日初めてちゃんと見たんだけど、フジテレビの「ホンマでっか!?TV」が胡散臭さ全開で面白い。コメンテーターに科学者(正確には「心理学者」ではなく「心理“評論家”」のように、学者ではなくてあくまでも評論家名義になっているのがポイント)が出ているものの、これはあくまでもSF的面白さだ。

 この番組に登場する情報・見解はあくまでも一説であり、その真偽を確定するものではありません。『ホンマでっか!?』という姿勢でお楽しみ頂けると幸いです。という最後に出てくる「このドラマはフィクション(創作)です」的なテロップは、同じフジテレビでやっていた報道バラエティ番組「ワールドダウンタウン」を彷彿とさせるし、このエクスキューズを入れることで「発掘!あるある大辞典」の失敗(インチキ情報を注釈なしで報道し、それを真に受けた視聴者が番組で紹介したダイエットを実践したり、外国の科学者のコメントを日本語吹き替え時に改ざんした)は二度としでかさないというスタッフの強い決意が見て取れる(いや、制作スタッフが同じかどうかは調べてないけど・・・)。

 結局理科離れの日本ではこういう一見科学的なオカルトが好きなんだと思う。その大きな理由は馬鹿でも解りやすいから。
 そしてこの番組のおバカな構成は、「どう考えても真に受ける内容の番組ちゃうで~」っていう密かなメッセージになっていて作りが巧い。この番組を真面目に見る奴は流石にいないだろうから。
 SFというのは科学的な正しさよりも、物語としての“真実味(リアリティ)”を受け手に与えられれば大成功だと思うんだけど、この番組も胡散臭い番組と割り切ればとっても楽しめる。
 そもそもテレビ番組だってスタッフが一生懸命制作した“作品”なんだよね。

 しかし、一見真面目そうな専門家から個性を見つけてキャラクタライズしてしまう、さんまさんのトーク力は天才的としか言いようがない。

『はじめての構造主義』

 タイトルに偽りなし!

 著者はご存じ橋爪大三郎さん。中学生でも完全に構造主義を理解できる。本当にマジだって!あのベストセラー哲学本『ソフィーの世界』の10倍分かりやすい。『構造と力』の1000倍分かりやすい。そして口調が面白い。みんなこれを読んで、無知な大人をせせら笑ってやろうぜ!

 とにかく説明が巧い。もう天才的。小難しい言葉を並べて誤魔化そうなんて文章は一切ない。全部面白いけれど、特に構造主義のルーツを数学に探る第三章は必見!
 なぜ複雑系数学(カオス理論や位相幾何学)を学ぶマルカム(『ジュラシック・パーク』に出てくる数学者)がハンナ・アーレントを引用していたりしたのかが、納得した。納得しまくった。
 この第三章で、近代以降の科学と哲学の歴史がどうリンクしていたかが、ほとんど分かる!ああ、こんな本を私は待っていた!

 ・・・といってもこの本は2009年に出た新書だけど書じゃない。「第四章 構造主義にかかわる人々」で「こないだM・フーコーが死んじゃったよ」とか書いてあって「ええええ?」って驚いたんだけど、実はこの本初版は1988年で、その名作を新書として再販したんだ(ちなみにデリダさんはこの前まで生きていた)。
 そのおかげで私はこの名著を本屋で買う幸運に恵まれたわけだ。ありがたや~。

 そういえば、最後の方にジャック・ラカンについての簡単な解説があるんだけど、やはりラカンは難しいようだ。プロの橋爪さんでさえ「彼の書くものは難解を極めている。『エクリ』が主著だが、むずかしくて、何を言っているのかよく分からなかった(206ページ)」って本当に書いてあるんだよ(笑)。
 ラカンの鏡像段階論についてはYukiko T.さんの記事に触発されて、このブログでも批判的に取り上げたことがあるんだけど、それは私の勇み足だった気もする。
 本家フランス人でも読解できないような本を作ったラカンも悪いけど、ラカンはやはりそこまでバカじゃない。ラカンの言う「鏡像」とは言葉通りの鏡に映る像ではなく、もっと比喩的なものの(アナロジーでしかない)可能性がある。
 橋爪さんは「鏡像」を「自分以外の全てのもの」と説明している。なるほど。これならラカンの鏡像段階も納得できるぞ。つまり赤ちゃんは、自分と自分以外のものを区別できずにまるごと自分の一部だと受け止めて、強引に自己同一性を作り上げてしまうということらしい。
 中学生や昨今急増中の子供大人の病気(セカイ系症候群)の原因もここにあるんだろうなあw。一気にラカンが好きになった。そして誤解してごめんよラカン。でもやっぱり原著『エクリ』は難しいから読みたくないわ。
 
 あと第五章のポスト構造主義批判は明快かつ痛快!本を締めくくるのにふさわしいラストだ。ポスト構造主義は構造主義に対する本質的な批判になっていないというのだ!その理由がいちいち鋭くて大爆笑。
 言うならばポスト構造主義は構造主義に匹敵し得るような学術体系にすらなっていない。構造主義があったおかげで存在できる金魚のフンなんだ。文句だけ言って「じゃあその代わりの体系は?」って聞くとないんだよ。せいぜい苦し紛れで言ったのが「リゾーム」くらいのものでさ。
 でも構造主義のパイオニアであらせられるレヴィ=ストロース様は器が大きいから(もしくはポスト構造主義なんてはなから眼中にないからか)全然それをほうっておいて、むしろ「批判大いに結構結構」って余裕のスタンスなんだよ。
 つまりポスト構造主義は、論者が言うような構造主義を揺るがすほどの批判になっていないんだな。

 とにかく本当にみんな買った方がいいって!たった720円だよ?でも中身は7200円に匹敵するよ!それくらい濃い読書体験ができる。全然難しい本じゃない。小学四年生でも読める!それは私が保証します!モバゲーなんて捨ててしまえ!

 最後に私が気に入った素晴らしい一文を。

 人間の思考は一直線に進歩していく、と考えるのがあまりにも単純であることの。もしかすると、人間の思考のレパートリーはあらかじめ決まっていて、それを入れかわり立ちかわり、並べ直しているだけなのかもしれない。歴史をしっている文明社会は、ただのなにかのはずみで、それをストックしていっただけなのかもしれない。(181~182ページ。強調は引用者)

 これら(構造主義の源泉であるマルクス主義、地質学、精神分析)に共通するのは、目に視える部分の下に、本当の秩序(構造)が隠れていると、想定している点だ。(206ページ)

 構造主義――自文化を相対化し、異文化を深く理解する方法論――はきっと大いに役に立ってくれるに違いない。(232ページ。ラストの一文)

今後の話と画力の斉一説

 私サイトにラインナップされている作品を最後に「長編読み切り」から撤退します。あれコストパフォーマンス悪すぎ!

 で、ちょっと分析してみたんだけど、最近ネット上で流行っているのは「萌4コマ系」じゃない。
 人気ブログに掲載されている漫画なんかは、話題になると出版社が目をつけて単行本を作ってくれたりするけど、そういった漫画も『ダーリンは外国人』といい四コマ系。「まんがタイムオリジナル」とかによく載っている奴なんだ。
 だから私も、このブログでいつかは可愛い(?)女子高生が主役の『青春アタック』なんかを4コマ形式で定期的にアップしていきたい。

 つまり作り込んだ読み切り漫画を一度にドンとネットに載せるんじゃなくて、徐々に小出しにしていった方が、読む側もブログの更新を待つように習慣化すると思うんだ。
 プロの漫画の何がすごいかって、クオリティうんぬんもあるけど、一週間に一回必ず最新話を更新していく「スピード」だと思う。だから読者も毎週漫画を読むことが習慣になるわけだ。
 素人は集団作業のプロとは違って、一週間に19ページはまず不可能だから、やはり4コマ形式が精いっぱいになる。でも仕方がない。
 それに4コマ形式っていまさらながらちょっと楽しそうっていうのもあるんだ。

 しかし今『青春アタック』とか昔の漫画見ちゃうと、まあ落ち込むね。本当に下手。でも当時はあれで120%の力を出して描いていたんだよ。決して手を抜いていたわけではない。
 なんで人間ってこうも自分を客観視できないものかね?人よりはメタ認知できていると思っていたのに・・・

 で、恐ろしいのは今一生懸命描いている漫画の絵も6年くらい経てば、無かったことにしたいくらい下手に見えるんじゃないかってこと!
 これが本当に恐怖なんだ。今も生き恥さらしているんじゃないかって。何度もう漫画を描くのをやめようとしたことか(さすがにこれはウソ)。

 私が写真とかが嫌いなのもそれが理由だと思う。今がいつかは必ず過去になるという恐怖。ウチの大学では女の子ばっかりで、やたら写真をみんなで取り合っていたけど、ああいうのが怖い。半人前だった若かりし頃の自分のバカ面を残すなんて根性が私には無いんだよ。

 写真は残るのが自分の外見だけだからまだいいけど、絵に関しては、自分の画力が未熟だったって言うのが、証拠資料として残っちゃうんだ。
 そんな稚拙な絵を見て、思い出として懐かしむ心のゆとりが私にはまだないんだ。

 うわ~恥ずかしい!見ないで見ないで!ええい、捨てちゃえ!ってあたふたしちゃう。人前でチンコ見せるようなものだよ。

 親なんて私が小学生のころ描いた絵を取って飾っているんだけど、あれも勘弁してほしいもの。まあ親はなぜかその昔の絵の色彩気に入っているからいいけどさ・・・

 そういえば何年か前、この深刻な悩みをKO氏に真面目に相談したら「お前どれだけ向上心あるんだ」って言われたけど、これは向上心じゃないんだ。無意識的に絵が徐々に変わっていってしまうんだよ。なぜか。まるでチャールズ・ライエルの斉一説(地形が人間が気付かないほど徐々にゆっくりと変わること)のように。
 絵が変わっていくのは仕方がないけど、いい加減自分でも自信を持って「ほら上手いでしょ?」って提供できるレベルの絵が描けるようになりたいなぁ・・・

2012

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 Good-bye my earth!(C)ダライアスバースト

 2011年アナログ放送は見られなくなります。しかしデジタル放送も2012年見られなくなります。これを最初に発表したのはこのオレ、ゴーダイです!(チャーリーが乗り移ってます)

 ・・・というわけで2012年に世界は終わるんだってさ。前にも言ったけど人間ってその時代に希望がもてないと、すぐに終末思想に飛びついちゃうんだよ。
 なんか自分の思い通りに社会がなってくれないと「こんな世界なくなれ!」ってすねちゃう男子中学生みたいなんだけど、実際どんな人も多かれ少なかれこの病気は持ってます。セカイ系症候群。

 だからこの手の映画でご都合主義を批判するのは超野暮ってもんだい。ご都合主義を切り捨てて、この映画レベルの災害を起こしたら、ただの人類の絶滅を傍から見るシム・アース状態になっちゃうぞ。
 そんなリアルな終末映画を観たいニヒルな奴がいるなら教えてくれ。まあディザスターモノは、どの映画もいい加減同じことの繰り返しで、それでも災害の種類を変えてなんとか凌いできたけど、もうネタ切れなのは確か。
 この映画はその集大成として、これまでの災害モノの名シーンを隕石以外すべてやった気もする。
 となると本当に登場人物以下人類すべてが滅ぶ映画があってもいいかもしれない。
 それなら「ご都合主義」とか「またお涙ちょうだいの三文芝居か~」とかバカにできないだろ。だからそれが上映されたらお前ら絶対見に行けよな。 

 つまりバッドエンドが禁じられているハリウッド映画で災害モノを撮る以上、この展開に収斂しちゃうのは仕方がないんだって!作り手の気持ち考えてやってよ。なに私もこんなに弁護しているか分からないけどさw。
 
 確かにローランド・エメリッヒって、映像以外は相変わらず『インデペンデンス・デイ』以来ひどいけど、出てくる登場人物がけっこうバカで楽しいし(イエローストーン国立公園で「一人ジョッキー」を敢行したチャーリー様は最高!)、何万人もの人が死ぬ災害シーンを不謹慎にも爆笑シーンに昇華できるのはこの人だけ。
 シュワ知事のカリフォルニアが、地面ごと沈んじゃうシーンは笑った笑った。笑ったと同時に、この凄まじい崩壊シーンをどれだけの時間と労力をかけて作ったのかを考えると、ただ涙。

 さてこの映画は「科学的な設定にぜひ突っ込み入れてください」ってvicさんに言われて、観たんだけど、いやはや作中の科学者が言ってることはそこまで外してないですよ。
 物語の冒頭いきなり「ニュートリノ」と言う素粒子の説明から入るんだけど、この説明も意外と・・・っていっちゃあれだけど正しい。バカ映画の分際で。
 キャラとストーリー展開がバカ丸出しだから、SFとしてもバカだって思う人もいるんだろうけど、ニュートリノはあの説明で大体あってる。

 それに太陽から地球に飛んでくるニュートリノの性質が変わり、電子レンジのように地球を中から温め始めたって言うトンデモ説は、ちゃんと「そんな馬鹿な!」「ありえない」って作中の学者がちゃんと突っ込んでいるからよし!このエクスキューズがあればSFとしてOKじゃないか?
 ニュートリノの説明が正しかっただけで私は感動したよ。あれ池上彰並に分かりやすいぞ。しかも数秒で説明しちゃったじゃん。ここら辺は映画ブロガーの人もなかなか指摘していないでしょ。

 ちなみにニュートリノの性質が変化するって言う現象(振動)は事実。何で「変化」とか「変身」じゃなくてわざわざ“振動”って言うのかと言うと、ニュートリノは別の種類のニュートリノに変わったり、元のニュートリノに戻ったりを繰り返すから。
 ニュートリノって言っても「電子ニュートリノ(第一世代)」「ミューニュートリノ(第二世代)」「タウニュートリノ(第三世代)」ってオタクのように種類があるのよ。

 これらのニュートリノの振動現象を観測したのが、小柴教授が資金をかき集めて手下に作らせた地下のでっかい純水のプール「スーパーカミオカンデ」だ。
 この施設では、宇宙線(の陽子)が地球の大気にぶつかってできる「ミューニュートリノ」がスーパーカミオカンデで観測される前に「タウニュートリノ」に変化すること(=ミューニュートリノの振動)や、太陽からの「電子ニュートリノ」の(総量の)一部が「ミューニュートリノ」に変化すること(=電子ニュートリノの振動)を確認している。
 この映画の地球を破滅させる「殺人ニュートリノ(今勝手に命名)」は、これらのニュートリノの振動観測実験から着想を得たのであろうことは確か。

 ・・・と、専門的な話はこれくらいにして(あまり深くは私もよく知らないから)、率直に言ってニュートリノはほとんど質量がない。
 質量ほぼ0のニュートリノは、幽霊のように地球をすり抜けちゃうから、地球の地殻変動にはほとんど関係していない(ここは映画の説明通り)。今でも私は毎秒何千兆個もニュートリノ食らっているし。
 まあ気象学の分野になると、地球の気象に太陽がどれだけ影響を与えているかは諸説あるんだけど、ニュートリノの地質学的な影響は聞いたことないや。
 
 私は『2012』って、てっきり映像のインパクトだけで押し切って、破滅に至る理屈とかは「神の怒りじゃ~」「マヤの予言じゃ~」みたいなオカルトで済ますと思っていたから、けっこうSFとして辻褄を合わせようとしていたのは意外だった。バカ映画なのに。
 そういえば何気にエメリッヒ監督の『デイ・アフター・トゥモロー』も地球温暖化による寒冷化って言うSF的理屈付け(だけ)はちゃんとしていたよね。

 さて最後は、私の主観に基づくこの映画の残念な点を。
 
 まず長い!!度肝を抜く災害映像は「映画館で観たかった!」って思わせてくれたけど、ラストには「観に行かなくてよかった」ってなってた。もうこの長さの映画を映画館で見たらヘトヘトだよ。
 気合入った破壊シーンは情報量が多くて目が疲れるから、30分は削った方がいい。どうせ物語はあってないようなもの。簡単に削れるはず。

 あと方舟はやっぱり宇宙船が良かった。もうあそこまでの大災害が起きたら地球を捨てる方がリアルでよかったよ。
 あんだけの規模の火山活動が起こって、地球の磁場が移動したのなら、惨事から数年で美しい夕焼けを見れるのはまず不可能で、おそらく地球の磁場シールドの出力が弱まって、宇宙の放射能がガチで入ってくる。
 でもその放射能も大気が頑張って防御してくれるだろうけど、なにしろ磁場シールドがない分、宇宙線を大気が全て受け止めるから大気の組成が変わったり、放散虫とかが死んだりして、人類の正念場はこれからになりそう。

 だからラストは地球を捨てて「グッバイマイアース!」しか無かったんじゃない?
 大丈夫!今の中国ならスペースコロニーの一台や二台、軽く作れる!
 いや~この映画は本当に中国がいいとこ持ってったなあ。中国が作った大規模な箱舟を見て「この短期間でここまでのものを作るとはさすが中国・・・!」っていうアメリカ大統領補佐官のセリフがもう面白くて。
 つまり非人道的に大量の人民を奴隷のように働かせられるのは、共産主義のこの国だけだろってことでしょ?すごいよね。

『オタクはすでに死んでいる』

 としおのたたかいはおわった。(MOTHER2風に)

 ・・・なんでこの本の内容で波紋が起きたのかが分からない。いつも濃ゆいオタク的極論を嬉しそうに喋る岡田さんが、この本ではかなり気を使っていちいちエクスキューズ入れて、むしろ論が薄くなっちゃっているほどなのに、それでも反発しちゃう人がいるのか。

 まあ受け取り方によっては、今時のオタク(第三世代オタク)を上から目線で批判している感じもするけど、でも岡田さんは「そんな時代をぼくは別に否定していないから、どうぞご勝手に」って言ってるじゃん。

 ああ、その冷めた態度が腹立つのか!

 いや、でもあとがきでかなり熱くこれからの若いオタクにエール送っている気もするけどな、まあいいや。第4世代以降のオタクなんかは、おそらくこの人すら知らなくなっちゃうんだろうから。かつてこの国でオタキングと呼ばれた男の知られざる戦いの物語を・・・

 とはいえ私はアニメも漫画も秋葉文化も全く無知です。この前もdescf氏に『ドラゴンボール』読んでいないの丸出しで「ナメック星人」を語り大恥をかいた・・・そんな奴です。
 だから前半は結構理解するのが困難だったんだけど、でも後半にかけて論が収斂してきて、最後まで読めば何が言いたいのかは解った。

 まずオタクが誕生する前に、日本にはまず「SFファン」もしくは「SFマニア」がいたという。
 ちなみに本書での「マニア」と「オタク」には厳密な定義の違いがある。それは「民族であるかどうか」。つまりオタク文化はあるけど、マニア文化は無いのはそのため。
 いわばマニアとは、共通の文化を形成して仲間となれ合うような事をしない孤高の存在であり、もっと言えば濃すぎて仲間と群れるといっても絶対数がいないのだ。

 たとえば本書32ページに「オタク人口と市場規模」という図があって、ジャンルごとにそれぞれのオタク人口を表している。
 これによればコミックオタクが25万人、ゲームオタクが16万人、アニメオタクが11万人、鉄道オタクが2万人だそうだ。あの鉄道オタクでさえたったの2万人!?
 これはまずいぞ、いったい日本に恐竜オタクは何人いるんだ!?って一瞬思ったんだけど、結論から言おう。日本に恐竜オタクはいない。いるのは恐竜マニアなのである。だから恐竜は文化たりえないのだ。

 文化を形成するほど恐竜が好きな人の人数がいないんだよ。その上もし日本にいるのが恐竜マニアではなく恐竜オタクなら、恐竜文化の普及に努めるはずだもん。
 でもネット上の恐竜好きってやっぱりそういったおせっかいな活動はしないで、己の恐竜道を追及している人ばかり。
 恐竜を一般に広めようと無茶なことしているのは、日本ではサイエンスライターの金子隆一さんくらいで、それにあまり同調しない恐竜ファンはなんてドライなんだ・・・
 『恐竜学最前線』や『ディノプレス』といった濃い恐竜専門誌が休刊する時、ぼくたちは何かアクションを起こしたのだろうか??
 
 ・・・と、いきなり横道にそれちゃったけど、とにかくオタク登場以前のSFマニアって言うのは「SF1000冊読んでやっと一人前!」とか言うほどのすっごい濃い人たちで、岡田氏いわく彼らはオタクを生み出す土壌を作った「オタク原人」だった。
 彼らSFマニアはSFを愛するあまり、程度の低いSFアニメ(=サブカル。ガンダムとかのことね)を認めなかった。おそらく「あんなのSFじゃない!」って感じだったんだろう。大丈夫。オレも『ガンダム』や『時をかける少女』なんてしょうもないアニメはSFじゃないと思うよ。
 また当時『スターウォーズ』のヒットでSF人気が過熱し、こういう一過性のブームには必ず現れる「にわかSF好き(=モグリ)」の増加もSFファンは嘆いていた。「オレはスターウォーズしか見ていないような奴をSFファンとは認めん!」とか。

 なんかすっごい想像できる・・・

 そんな中SFも好きだけど、アニメ、漫画といったサブカルも並列的に好きという岡田斗司夫さんのような人が現れた。
 いい歳してサブカルにはまる人への世間の風当たりはまだ強く、彼らはどんなジャンルだろうが「子供っぽい趣味を持つ」というだけで、アニメ好きも漫画好きも鉄道好きもミリタリー好きも、み~んな「オタク」という強制収容所的レッテルを貼られてしまう(なぜか「なんか暗い人」「社会性がない人」も、とばっちりを受けてオタクにされてしまった)。

 これがオタク第一世代(貴族主義的オタク)。つまりオタクは世間のサブカルに対する差別から生まれた。
 でもオタク自身は、「ああ、“オタク”って言うレッテルを逆にスケープゴートにしちゃえば、自分がサブカルにのめり込む理由を人に説明するとき便利だな。ぼくオタクだもんってだけ言えばいいわけだし」と呑気だった。
 なにしろオタクの第一世代を自負する彼らは貴族主義。オタクに対する世間の評価なんてどこ吹く風だった。

 またオタク第一世代は、研究対象となるサブカルコンテンツがまだそこまで多様化も進化もしていなかったから、ある程度自分が興味がなくても別のサブカルジャンルも追っていけた。
 たとえば特撮オタクがSF小説の有名どころを基礎教養としてちゃんと読んでいたり、そもそも排他的なSFマニアや世間との戦いからうまれた民族だったから、同族意識が強くてオタク的なサブカルチャーなら専門外でもどれも広く浅く知っていたのだ。ある種、他ジャンルのオタクへの礼儀と言うか。まあ、貴族のたしなみっていうのか。

 この風潮は私が思うにオタク第一世代がSFマニアの亜種だったことにも関係していると思う。
 なにしろSFを楽しむためには基礎的な科学の知識が必須だ。それを勉強せずに理解できるSFなんてマニアからしてみれば物足りないのだろう。「ガンダムはSFじゃない!」という議論の原因はここら辺だと思っている。「科学を学ばないでSFを語るな!」と。

 サブカルに寛容だったオタク第一世代もSFファンと重なっていたから、かなり勉強熱心だった。『マクロス』と『ムーミン』を分け隔てなく基礎教養としてたしなみ、もっと大きなアニメと言うメディアそのものをメタレベルで論じていたのだ。
 このように、彼らは「理想のオタク像のようなもの」に少しでも接近するために、それがサブカルであるなら、雑食的に自分の教養として取り入れたのである。
 
 さて、アニメやゲーム、漫画といったサブカルコンテンツの進化と共に青春をすごしたのがオタク第二世代(エリート主義的オタク)だ。
 貴族主義的オタク第一世代が、サブカルが理解できない庶民をある意味スルーしていたのに対して、第二世代はそこまで大人じゃない。「アニメが分からないのはお前ら世間がダメだからだ!」というスタンス。
 アニメの批評をするにしても、詳しくない人に分かりやすく説明しようともしない。アンチ池上彰。

 でも、第二世代は熱い。一般にもオタクやサブカルを広めよう!と燃えていて、オタクのアカデミズム化を望んでいた。
 「オタクはすごいんだ!」ってやたら世間を意識するのが第二世代。それは1988~89年の連続幼女誘拐殺人事件で、全てのオタクが「ロリコンで危ない犯罪予備軍」だと短絡的にメディアが報じたことへの反動だったりもする。
 このオタクに対するネガティブなイメージを払しょくしようと頑張ったのが岡田さんだったりする。「海外ではオタクってキモイどころかクールって言われているんだぜ?」って言ったり、オタクについて東大や海外で講義したのもオタクのイメージアップのためだった。 

 そして第三世代(自分の気持ち至上主義的オタク)。彼らの青年期にはサブカルのコンテンツはもうほとんど出尽くしていて、彼らはその進歩や発展の歴史も分からないし、はじめからジャンルが多様化しているので膨大なコンテンツをすべてカバーするのは事実上不可能となった。
 よって自分の中の「好きか嫌いか」「楽しいかつまらないのか」の感覚だけで古今の膨大なサブカルを選び、興味のないものはそれが例えサブカルでも触れなくなった。
 つまり「アニメ好きです」とか名乗りながらも『マクロス』が好きな奴は同じアニメなのに『ムーミン』を見ないのだ。これを「自分の気持ち至上主義」と言うらしい。

 そして岡田さんは自分がイメージしていたオタクと第三世代のオタクは余りにもかけ離れてしまったと感じたのである。これはよく言えばサブカルが発展し、オタクが社会的地位を得たことの証明だとも言える。
 オタク同士がサブカルにおける基礎教養を学び「オタク大陸」と言う共通のカテゴリの中で団結する必要はなくなった。それをオタクは死んだと岡田さんは言った。
 岡田さん本人も言っているように、それはオタク第一、第二世代の死であり、オタキングの死である。世間のオタク対するネガティブなイメージと戦ってきたオタキングの戦いの終わりなのだ。

 オタクは貴族だけのたしなみではなくなった。大衆文化となった。つまりオタクはもはや特権階級――ステイタスではなくなったというわけです。
 理想のオタク像に近づくために能動的にサブカルを学ぶオタクはもういない。オタクに教養はもういらない。オタクに哲学もいらない。
 だから個性的でクリエイティブであったオタクは、どんどん薄くつまらない人の集まりになってくる。彼らは大衆消費者とあまり変わらない。サブカルとの関わり方が受動的なのだ。

 最近はまって見ている岡田さんの「一人夜話」は面白い。しかしちょっと世代が下のオタク評論家東浩紀さんが女の声優とやっている番組はあまり面白くない。濃くないんだ。
 そう思うと私は別にオタクが好きなんじゃなくて、個性的な自分語りができる人が好きなんだと思う。
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