経済学覚え書き⑦

 いい加減、経済学はすべてまとめちゃいたいな~・・・今回はマクロ経済学の核ともいえるGDPと、それを決定する二つの線を中心にまとめます。

GDP国内総生産
グロス・ドメスティック・プロダクトの略。
一年間で国内で生産された付加価値の合計。付加価値っていうのがよくわからないけれど、つまりこれは複数の企業で分業して製品を作っていった場合、原材料費(中間投入物)が二重計算になっちゃうから。
だから最終的にできた製品の生産額といっても良い。
また、海外の歌手が日本で公演してもGDPに含まれる。※日本の歌手が海外で公演したら入らない。
さらにGDPは、市場価格に基づいて計算するので、市場で取引されない活動(専業主婦の家事、育児やボランティア活動)はGDPに含まれない。
GDPはその国の経済活動の活発さ(フロー)を示すが、経済活動の結果蓄積された資本(ストック)は勘定に入らない。
また単純計算で出した名目GDPと、物価変動を考慮した実質GDP(去年の物価×今年売れた数で計算=値上がり分を計算しない)、そして名目GDPを実質GDPで割った指数GDPデフレーターなどがある。

実質GDP=名目GDP÷GDPデフレーター

つまり、名目GDPが実質GDPよりも膨らむほど、分母を担うGDPデフレーターも大きくなる(=GDPデフレーターが1を超えるとインフレが起きている)。

GNP国民総生産
その国民だったら働いているのが国内だろうが国外だろうが生産額に加算される。
しかし海外の人が日本で働いた分はもちろん含まれない。昔はGDPよりもこっちが使われることが多かった。

NDP国内純生産
ほとんどGDPと一緒なんだけど、生産によって消耗してしまう機械の価値(固定資本減耗=減価償却費)をGDPから差し引いたもの。

NI国民所得
NDPから、国民の所得のマイナス要因である間接税を差し引き、プラス要因である政府の補助金を加えたもの。

三面等価の原則
GDPは生産面で見ても、所得分配面で見ても、支出面で見ても、全く同じ数値になるという原則。
うそだ~生産した商品すべてが購入されるわけないじゃん!って思うけれど売れ残りはメーカー側の支出として計算されるのでモーマンタイ。
それと貯蓄も所得分配として計算されるのでモーモーマンタイ。

Yはイールドで生産量(GDP)
Cはコンサムプションで消費
Sはセーブで貯蓄
Tはタックスで税金

とすると

Y=C+S+T

生産=所得分配となる。
つまり生産によって生まれた付加価値は、消費に回るか、貯蓄されるか、政府に税金として徴収されちゃうかのどれかになるってこと。

次に生産=支出面を見てみよう。これはケインズVSハイエクでケインズがライムにしている、あの有名な式になる。

Y=C+I+G

生産=家計の消費(コンサムプション)+企業の設備投資(インベストメント)+政府支出(ガバメント)となる。
つまり、マクロ経済学の3つの経済主体といわれる家計と企業と政府が使ったお金とGDPは一致する。

いやちょっと待て!と思ったそこのあなたは頭がいい。そう、マクロ経済学はもうひとつ海外との貿易というのも考えないといけない。だからY=C+I+Gに輸出入(海外経常余剰)を勘定に入れる。
GDPは国総生産なので、輸出EX(収入)から輸入IM(支出)を差し引いた額を加えればいい。

Y=C+I+G+(EX-IM)

IS‐LM分析
ミクロ経済学では需要供給曲線が黄金のクロスと言われたが、マクロ経済学では財市場と貨幣市場の均衡点を考えるIS‐LM分析がよく出てくる。
IS‐LMってなんだよ!って感じだけど、ISは投資I(使う)と貯蓄S(貯める)、LMは貨幣需要Lと貨幣供給Mのこと。
ケインズサーカスのジョン・ヒックスが考案した。

なんで貨幣需要がマネーデマンドじゃないんだ!って思うけど、貨幣需要は流動性選好リキッドリー・プレファランスのLを使うのが慣例。
その、流動性選好ってのはなんやねんてことになるけれど、貨幣っていうのはなんでも交換しやすいから流動性が高いって考える。つまり「貨幣を資産に選ぶ度合い=貨幣需要」ということになる。

IS曲線
投資、貯蓄曲線のこと。
ポイントは二つ。
①銀行の利子率が上がると、企業は投資(!:企業の設備投資=資金調達のことでウォール街とかで流行った投機じゃない!)を控える。
逆に、利子率が下がると、企業は設備投資を増やす。

②投資が減少するとGDPが減少する。逆に投資が増加するとGDPも増加する。

②を踏まえると、投資IをそのままGDPに置き換えることが可能であることがわかる。
よって利子率が上がるとGDPは下がり、利子率が下がるとGDPが上がる右肩下がりの直線が引ける(Y軸が利子率r、X軸がGDPの場合)。これがIS曲線。

LM曲線
貨幣需要供給曲線のこと。
ポイントは二つ。
①利子率が上がると貨幣需要は下がる。逆に利子率が下がると貨幣需要は上がる。
実は貨幣というのは資産として利子(キャピタルゲイン)がつかない。
よって資産需要においては、利子率と貨幣需要は逆の動きをする。
利子率が高いと、貨幣の形で資産を保有するよりは、利子がつく債券や株、土地の方が特だと判断し、貨幣から債権へ乗り換えが起きるというわけだ。バブバブバブル!(C)新黒沢

②一般的にGDPが増えると経済活動が活発し、流動性のある貨幣需要が上がる。すると貨幣需要曲線LLが右にシフトし、利子率が多少高くても貨幣需要は高いレベルをキープするようになる。

②を踏まえると、利子率とGDPは比例関係にあることがわかるので、GDPが上がると利子率は上がり、GDPが下がると利子率も下がる右肩上がりの直線が引ける(Y軸が利子率r、X軸がGDPの場合)。これがLM曲線。

・・・ちょっと待て!結論が矛盾してるぞ!

その通り、財市場(モノの生産消費)を踏まえたIS曲線と、貨幣市場を踏まえたLM曲線は、利子率とGDPの関係が全く逆になってしまう。この2つの直線をクロスさせて、財市場と貨幣市場を同時に均衡させるポイントを見つけるのがIS‐LM分析ということになる。

政治学覚え書き③(社会契約説)

 経済学ばっかりまとめていて政治学が片手落ちだったんで、もういっちょ投入。今回は大学のレポート課題と重なった部分、国家と権力構造の問題を。

ポリス的国家観
古代ギリシャの哲学者アリストテレスが主張。都市国家ポリスとは、自然的共同体である。どういうことかというと、人間は生まれつき個人を超えた共同生活に向かう習性があるポリス的動物(ゾーン・ポリティコン)で、そういう意味でミツバチやアリと変わらない。集団生活によって初めて生存を確保できるのだ。
人間はほかの動物とは違って、言語と理性があって、善や不正を判断でき、たまたま生まれた共同体に埋没することはせず、共通善を共有する仲間を生活しようとする。これがポリスであるというわけだ。
政治共同体と個人は切っても切り離せないものであり、この考え方をコミュニタリア二ズムという。私もどっちかというとこの考え方。構造主義的だよね。
人が法やルールに従うのは強制されたり、制裁を恐れるからではなく、自発的自律的に秩序や相互支配の構造ができていく。
ただ理性的じゃない人に対しては、かなり排他的で、そういう人には一方支配が必要とした点で、さすが奴隷制度があった時代だなあとは思う。これは後の古代ローマにも受け継がれていた。

権力国家観
アリストテレスは甘い!人間はもっと利己的で自分勝手、秩序を維持するためには暴力で屈服させるしかない!という拳王ラオウみたいなリアリスト的な考え方が権力国家観。
ルネサンス期のフィレンツェで外交官をしていたマキャベリが『君主論』で提唱した。
王は国民から愛されるよりも恐れられるべきで、ほかの国の王に対しては誠実に接することは無益。「キツネの狡猾さとライオンの獰猛さ」が大切。
つまり、手段の善悪は国家の秩序維持に役立つかで判断せよというわけ。したがって一見反道徳的で無慈悲な手段も、秩序の維持のためならためらわず行うべきだという。これを国家理性という。
また、それを実現するためには、当時主流だった傭兵よりも、当事者に直属する親衛隊みたいな軍隊のほうがいいとマキャベリは考えた。
社会学者の重鎮マックス・ヴェーバーは、その暴力行使が被支配側から見て「正統(しょうがない)」と思われなければ、その支配は正当化されず秩序は安定しないとした。
また、国家は暴力装置を独占的に有している以上、責任倫理があると述べた。

社会契約説①ホッブス
社会契約説とは、国家は各個人が社会秩序を維持するために「契約」によって人工的に作り出した組織であるという考え方。人工的という点で、ゾーン・ポリティコンのアリストテレスとは異なる。
ホッブスは『リヴァイアサン』で国家がない状態(自然状態)を仮定して、人間はどのように振舞うのかを思考実験した。すると人間は自分の生存だけを考え、互いに争ってしまう。殺られる前に殺るという、このアウトレイジを「万人の万人に対する戦い」と言う。
しかし、マキャベリ以上にリアリストなホッブスは、これは決しておかしなことではなく、自然状態で自分のために戦うのは当たり前の権利(自然権)でしょ、と考える。
とはいえ、こんなアナーキーな状態じゃやってられないし、人間には死の恐怖というのがあるから、アウトレイジは次の段階に発展する。人々は、暴力的な死から逃れて平和を望むという点において利害が一致し、じゃあ平和のために自然権に制限をかけようという「自然法」が合意に基づいてできる。
そして、ルールを違反した人を平和希求の義務に引き戻すための第三の権力が必要になってくる。これが主権権力(リヴァイアサン)と言うわけだ。
この主権者はいわばみんなの代理人であり、合意によって一度契約を結んだら、その絶対的な代理人にすべてを委ねなくてはならない。
全ての人間は、自分勝手で自由という点で平等という、前提から社会契約を導き出した点がホッブスの斬新な点だったという。

社会契約説②ロック
ホッブスの考えた思考実験はロックに受け継がれるが、ホッブスの結論が、国民は代理人に絶対服従としたのに対し、ロックは自由主義的な政府を設立する必然性の論拠として用いた。
ロックは自然法ができても自然権(自由)は維持されるべきであると考えた。
そしてロックが考えた自然法とは、ほかの人の生命、自由、そして所有権を侵害してはいけないというものだった。つまり、ホッブスのシミュレーションは非協調的なゼロサムゲームだったが、ロックが考えたのは、ほかの人の利益と自分の利益を同時に考えて行動することは可能だ、としている。
ロックは、市民革命による残虐な殺し合いを目の当たりにしたホッブスと違って、ある程度市民社会が落ち着いた時に出てきた学者だ。だから、人間は自然状態ではけっこう平和と考えたのだ(リベラリズム)。
ただ、自然状態における自然法の解釈は人によって異なるため、細かな争いが頻発するのを防ぐために、立法と行政を政府に一元化したほうがいいとしたのだ(各人の権利を政府に信託)。これは自然権そのものの放棄ではなく、政府が自然法を保証してくれる限り、代理人を任せるよというものだった。つまり、政府が契約を破ったら、国民はいつでも抵抗したり革命を起こす権利があるということだ。したがってロックの理論では、契約後も依頼人は代理人のコントロールが可能なのだ。

社会契約説③ルソー
自然状態をホッブスよりもさらに理想的なものと考えたのがこの人。自然状態では個人は完全に平等(ホッブス的)で、かつ平和だった(ロック的)。
しかしロックが自然権と主張した私有財産権を認めると、ビジネスが上手い奴がどんどん利益を増やし、不平等な経済格差が発生してしまう。
そのためには個人は、ひとそれぞれの主観(特殊意志。集まると全体意志)ではなく、社会みんなの利益を考える一般意志を持ち、その一般意志(正しい世論)で政府を動かすべきだとした。
つまり政府は一般意志の代理人ではなく、一般意志の公僕と考えた。となればわかるように、ルソーは代表制民主主義よりもギリシャのような直接民主制の方がよいとしていたのだ。
これは、強い共同体意識(公共精神)で結ばれた上で、強い主体性を持つ個人を前提としている。しかし、みんなそこまで強いのだろうか。
例えば、経済学者のシュンペーターは、直接民主制にこだわるルソーに対して、大多数の人はそんな国家レベルの問題に興味を持って生きてないし、そういった有権者に公共の利益に合致する決定を、合意によって導くのはそもそも不可能だと批判した。
シュンペーターは、民主主義を一種の市場になぞらえ、政治家は企業、有権者は消費者であり、したがってそれぞれの政治家は、有権者を支持を勝ち取るための厳しい競争に勝たなければならない、と論じた。さすが経済学者。この場合、民主社会という市場を能動的に支配するのは政治家ということになる。

ヴェーバーの正当性論
近代国家は正統的に暴力行使を独占していると考えたヴェーバーは、そのアプローチの仕方を三つに分類した。
①伝統的支配
伝統によって権威づけられたモノに対する日常的信念に基づく支配と服従。家長制度など。
②合法的支配
合理的な法律や命令権に基づく支配と服従。指導者の人格ではなく、合理的な秩序に対して服従する。官僚制など。
③カリスマ的支配
ある個人に備わった非日常的なカリスマがもっている権威に服従する。預言者や扇動者、人民投票に基づく政治指導者など。
この人の慎重な点は、あくまでも支配されている方が「正当だよ」と思っている信念の部分に着目し、その内容に立ち入らなかったこと(事実と価値の分離)。
ただ、この形式的、手続き的合理性(目的合理性)の側面に基づいたヴェーバーの正当性論は後に、ニヒルすぎて空疎と言われるようになってしまう。
ちなみにヴェーバーは、社会の合理化が進むと官僚が重要な役割を担い、議会の地位は相対的に低下すると考えている。
とはいえ、党派性を持たず、上司の命令に忠実な官僚が政治の主役になることに、ヴェーバーは強い危機感を抱き、官僚たちは強いカリスマ性と責任感のある政治家に率いられるべきであると考えた(エリート主義的民主主義)。

ハーバーマスの正当性論
ドイツの社会哲学者ハーバーマスは正当性論に規範的内容を取り上げた。
しかしオッカムのカミソリのように、超越的ドグマ(神、自然法、普遍的人権、歴史の必然など)を自分の論に持ち込むことはヴェーバー同様に避けた。
ハーバーマスは、手続きそのものをより厳密に考えることで、手続き的正義を立証しようと試み、誰もが支配からの自由を表明できる原理的発話状況を備えていることが正当な支配の条件であるとした。
しかし、この考え方は、そんな原理的発話状況なるものが現実に存在するのか?また理性的な討議を尽くせば必ず何らかの合意は生まれるのだろうか?といった批判がなされた。
そのためのひとつのアイディアとして、政治家の市民に対する説明責任(アカウンタビリティ)がある。
このような考え方を討議民主主義と言い、90年代以降、情報公開の考え方などと共に盛り上がりを見せた。

ルーマンのシステム論的正当性論
ハーバーマスの正当性論批判の急先鋒が社会学者のニクラス・ルーマンで、何らかの手続きによる決定がなされるとき、当事者の利害関係や心情とはまったく無関係に、政治システムの自己正当化プロセスに従って自動的に承認されるとき、はじめて社会秩序は安定するとした。
人情絡めていたら政治はできねえ!
ルーマンは近代の実定法(その時代その社会によってのみ効果がある人為的な法律。慣習や判例や成文法がこれにあたる⇔自然法)が最も完成度の高い正当性の調達システムだとみなす。
ただ、このルーマンの考え方も議会制民主主義をあまりにも肯定的に考えていないか、と批判が投げかけられている。通常の意思決定システムによる政策に反対するデモやストライキが議論から除外されている、というわけだ。
このハーバーマスとルーマンの論争は西ドイツにおいて、現代自由民主主義体制の正統性をめぐる議論を活発化させた(ハーバーマスもルーマンもどちらもドイツの人)。

政治学覚え書き②(社会保障)

 今回は福祉国家についてまとめてみます。

イギリスでは第二次世界大戦中に社会保障について研究を進め、それをベバリッジ報告としてまとめた。いわゆるゆりかごから墓場までというスローガンがそれだが、租税中心型の手厚い社会保障は財源調達が難しい上、多少ダラダラしても社会が保障してくれるもんねと60年代には英国病と呼ばれる状態が蔓延したため、サッチャー政権は社会保障費を削減した。しかしスウェーデンは、高福祉高負担を突き進み、租税負担率は50%以上、お腹の中から墓場までと言われている。
一方の大陸ヨーロッパ、フランス、イタリア、ドイツなどは保険料中心型と言われ、保険料はその人の所得に応じて決められ、給付されるレベルも異なっている。

社会保障
国家の責任で現金やサービスなどの給付を行なう制度のこと。社会保障政策は、所得保障(失業給付、年金)、医療保障(疾病予防、治療の機会を均等に保障、3割負担の医療保険)、社会福祉(高齢者や児童、母子家庭、心身障害者に人的支援、介護サービス)に分かれる。
ただ中学校や高校の教科書では以下の4つに分類されることが多い。

①公的扶助
生活に困窮する人全てを無償で救済する。日本では、701年の大宝律令にはじまり、日本国憲法25条の生存権で「健康で文化的な最低限度な生活」を保障している。このような社会権はドイツのワイマール憲法が有名。
かつては、地域社会や教会や寺院、ギルドによって行われていたが、今日では国家が担っている。
1601年イギリスのエリザベス救貧法では、ニートのような働けるのに働かない人は強制的に作業に従事させ、働けない人は最低限の救済がなされた。
費用は裕福な人から税として徴収し、貧民を国家が管理することで、社会治安を維持しようとする意図もあった。イエスの教えはけっこう合理的だった。
日本の生活保護がこれにあたり(生活保護法)、その人が生活保護を受けるほど貧しいかどうかを、国や自治体は判断する必要がある(選別主義)。桶川クーラー事件(生活保護を受けているのにクーラーは贅沢だろとクーラーを外され、その人が暑さで死んじゃった事件)は有名。

②社会保険
病気、出産、老後、障害、死亡、失業、業務災害などがあった時に、現金や現物を被保険者や被扶養者が受け取る制度。
公的扶助との最大の違いは、無償ではなく保険料を支払う点で、民間の保険と違い加入が強制される。
公的扶助に比べると歴史が浅い制度だが、ドイツ帝国のビスマルクが、労働者の反政府化、社会主義化を防ぐために始めたのが、その起源であると考えられている。
公的雇用保険制度は、大量の失業者が出ないようにするために発展してきた。
日本では給付の種類ごとに、医療保険、年金保険、雇用保険(旧失業保険)、労災保険、介護保険の5つがある。

③社会福祉
前述したように、援助を必要とする児童、障害者、高齢者に対して施設やサービスを提供。
公的扶助と同様に全額公費でまかなっている。
現在では、弱い人を助けるというよりは、その人の自立を支援するといったイメージが強い。

④公衆衛生
意外と忘れちゃうのがこれ。国民の健康を守るために医療環境、生活環境の整備や保全を行っている。全額公費。予防接種や感染症対策、上下水道の整備、清掃サービスなど。
14世紀のヨーロッパでペストが流行ったのは、街があまりにも不潔だったからという。

生存権
日本国憲法25条では「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書かれているが、実はこの部分の解釈は割れている。
これは国家が国民に対する努力目標であり、国民にその権利を保障したものじゃないよ、というプログラム規定説と、25条を根拠に生存権は国家に主張できるはずだ、という法的権利説がある。
朝日訴訟では、公的扶助を受けていた結核患者の朝日茂さんが、生活保護の基準があまりにも少ないとして、国を相手取って裁判を起こした。東京地裁の一審判決では訴えは認められたが、東京高裁の二審判決では一審判決を取り消し、その後最高裁にまで持ち込まれたが、朝日さんは病死、主張は認められないまま裁判は終わった。
・・・が、地裁の一審判決のあと、日用品費は47%引き上げられ、社会保障制度は前進した。
ちなみに最近では、プログラム規定説と法的権利説(具体的権利説)の間を取った、憲法25条を根拠に生存権を国家に主張はできないが、そういう法律さえ作ればできるという抽象的権利説が取り沙汰されているという。

エスピン=アンデルセンの福祉国家の類型
福祉国家を分類するために社会学者のイエスタ・エスピン=アンデルセンは、『福祉資本主義の三つの世界』で二つの指標を考えた。
一つは脱商品化指標で、労働者が仕事に就きたいあまり自分を投売りしていないか考える。自分を安売りしすぎて、結果的に健康で文化的な生活ができなければ、社会福祉に助けてもらうしかない。一般的に、社会福祉政策が手厚いと労働者の安売り(=商品化)は減っていくので、脱商品化指標は上がっていく。
二つめは階層化指標で、福祉政策が拡充しても、全ての人に行き渡らなければ意味がない。どんな人も等しい手当が受けられているのかをこの指標は示す。
例えば日本では、大企業の厚生年金保険や公務員の共済組合の方が中小企業や自営業の人よりも手厚い年金を受け取ることができる。そう言う意味で日本は、階層化指標が高い。
この二つの指標を組み合わせて、福祉国家を分類すると、脱商品化が高く、階層化が低いスウェーデンなどは社会民主主義モデル、脱商品化が低く、階層化が高いアメリカやカナダは自由主義モデル、脱商品化は進んでいるものの階層化が高いドイツやオーストリアは保守主義モデルということになる。
この理論で行くと、日本は明らかに福祉国家ではない。だが、新生児死亡率は低く、みんな長生きだ(福祉国家への努力度は低いが、なぜか実績は良い)。そう言う意味で日本は福祉国家研究ではかなりイレギュラーな存在らしい。
日本は、社会保障を国家だけではなく、家族と企業が担い、本来なら失業者となる人を守ってきたという歴史がある。アンデルセンによると日本は保守主義型と自由主義型の混合形態らしい。

ちなみに福祉政策は累進課税制度と並ぶビルトイン・スタビライザーである。

おまけに
フィスカル・ポリシー=ビルトイン・スタビライザー+公共事業や増減税(財政政策)フィスカルは財政という意味。

ポリシー・ミックス=ビルトイン・スタビライザー+財政政策+金融政策

経済学覚え書き⑥

 ついにマクロ経済学編突入!!ミクロ経済学が個々の市場を分析していたのに対して、マクロ経済学は、政府、企業、家計・・・と、一つの国の経済全体を考える。とはいえ国家はほかの国と貿易しているので、とどのつまり世界経済にまで話は広がってしまう。
 言ってみれば、マクロ経済学とは国家経済、世界経済の処方箋を書いてやることであり、その対処法の仕方は言うまでもなく医者(経済学者)によって異なる。そんなわけで今回は、マクロ経済学の歴史をおさらいしてみよう。

18世紀:重商主義から市場主義へ

アダム・スミス(古典派経済学)
 今じゃ古典派って言われちゃっているけれど、アダム・スミスはイエッス近代経済学の父。
 この人はもともとは経済学じゃなくて、サンデル教授のように政治哲学や道徳の先生だった。そこで、世の中こんなにも自分勝手で利己的な奴ばっかなのに、なんで案外社会がうまくいってるんだろう?という疑問を抱き、意外と自分の利益だけ考えても、その行動が他者にとって許されているならば結果的に秩序ができるんじゃないの?ということを考えた(『道徳感情論』)。
 その後、『国富論』(1776年)で本格的に経済問題に切り込み、富とは金銀財宝ではなく、絶えず消費されるもの(消費財)であると定義した。つまり、経済学覚え書き①でちょっとだけふれたけど、アダム・スミスは当時の重商主義を批判したわけ。
 重商主義っていうのは、産業革命の前までヨーロッパで一般的だった考え方で、国家がモノを輸出して、その代金として他の国から貴金属を受け取り、その量を増やしていけば国家は豊かになるという考え方だ。つまり、重商主義において輸入なんてもんはあっちゃいけない、極力やらずに越したことはないものになる。国内の貴金属が減っちゃうからね。
 これに対してアダム・スミスは輸入でも国は豊かになるよと説いたわけ。そしていろんな国と積極的に自由貿易をすることで、強い産業に労働力や資本が流れていくようになり、それが結局のところ、国全体を豊かにする冴えたやり方なんだと考えた。市場の価格メカニズムに任せればうまくいくということ。
 変に政府が市場に介入すると、例えば財政政策で国債を発行すると、市中の金利は上がって(国債をみんなに買ってもらえるように政府が金利を上げるから)、かえってお金が借りにくくなり民間の消費や投資は落ち込む可能性だってある(クラウディングアウト)。
 だから、政府は国防と、司法行政、あと公共施設やサービス(社会資本)だけやって、あとは自由に任せたほうがいいというレッセフェール、小さな政府を論じた。
 ただし、これまで見てきたように、市場任せにはいろいろ問題点もある。例えば、独占や、外部効果、そして情報の非対称性によるグレシャムの法則だ。

19世紀:資本主義の完成と搾取

アルフレッド・マーシャル(新古典学派)
 経済学という学問を確立させた巨匠で、ケインズとピグー税のピグーの師匠でもある(いろんな人にめっちゃ慕われていた)。ミクロ経済学の黄金の十字架、需要供給曲線を引いたのはこの人。価格弾力性の理論もそうだし、貨幣発行量と名目GDP(物価変動を考えないGDP)の割合を示す係数kはマーシャルのkと言われている。
 アダム・スミス同様、この人も政治哲学出身で、功利主義のJSミルや、比較生産費説のリカードを研究しながら経済に入った。彼のモットー「経済学者に必要なのは冷静な頭脳と温かい心」は名言として有名。

カール・マルクス(マルクス経済学)
 アダム・スミスの考え方を増補したのがマーシャルならば、徹底的にその利己主義を批判したのが同志マルクス兄弟。プロシア帝国出身で、産業革命と資本主義で悲惨な状況になった労働者の現状を問題視し、共産主義運動を開始。当局にいろいろ狙われて、最終的にイギリスに亡命。大英博物館の図書館で『資本論』の第一巻を執筆する。
 面白いのは、マルクスがこの本を集中して執筆できるようにエンゲルスが金銭的に支援してくれたこと。さらにエンゲルスは、マイクル・クライトンにおけるリチャード・プレストンのように、マルクスの死後、未完になっちゃった『資本論』2巻と3巻の残りを書いて完成させている。近年稀に見る美談である。
 世の中はレイバーやワーカーの尊い労働によって富や財産が生まれているが(労働価値説)、雇用主はその利益をさらに上げるため、低賃金で長時間労働者を酷使し、その労働力を搾取するようになる。それがエスカレートすると、とうとう労働者の堪忍袋の緒が切れて、革命が起きて資本主義は崩壊する。そんなアルマゲドン的な筋書きは、ヨーロッパの宗教観に見事にマッチしめちゃくちゃ流行った。
 当時の現代思想の論壇では、このマルクス主義(歴史によって社会は決まっていく)の是非が争われた。言ってみれば、マルクス主義はすごい客観的かつ科学的(進歩主義的)で、このような味気ないものの見方を唯物史観という。これを補うのが実存主義だ、と言ったのが、あのサルトル。
 マルクスは、モノには使用価値と交換価値の二つがあるとして、その価値の基本的な尺度になるのが、そのモノを作るのにどれくらいの労働量を投下したかなんじゃないかと考えた。
 そして、資本家が大儲けしていくという実態は、労働者をその給料以上に働かせている、つまり労働者の機会費用をあこぎなまでに搾取しているんじゃないかと批判した。例えば給料据え置きで労働時間を増やすと(剰余労働の追加)、それがそのまま利益の増加になる。これを絶対的剰余価値という。
 また、給料を出さなきゃいけない必要労働時間を下げて、剰余労働時間を相対的に上げても剰余価値は発生する、サービス残業的な。これを相対的剰余価値という。これを達成するためには技術を向上させて(設備投資など)、同じ時間にさらに多くの製品が作れるようにさせればいい。つまりスピードアップ。もしくは労働者の給料をカットする。
 まあ、こんなことを繰り返していたら過剰労働人口が増えるわけで(産業技術の進歩による労働者余り=失業者増加)、労働者と資本家の経済格差はますます広がっていく。資本主義の末路はこんなものよ、とマルクスは考えた。
 ただその代案として考えた計画経済も、あまりに効率が悪く(消費者のニーズに合わせて生産ができないから無駄が多い)、社会主義国家は行き詰まってしまった。ちなみにマルクスが考えた社会の最終形態、共産主義は物質的に豊かになりすぎて国境もなくなったユートピア世界だった。SFじゃないけれど、そんな世界はいつか来るのだろうか。

20世紀前半:市場主義から設計主義へ

ジョン・メイナード・ケインズ(ケインズ経済学)
 供給量によって需要が決まるというセイの法則というのがある。つまりメーカーが作りすぎたら価格メカニズムによって値段が下がるので、それに応じて需要が増えるというやつだ。しかし、この価格メカニズムが働かず売れ残りが膨大に出てしまったことがある。それが世界恐慌だ。この状況に対して、実際には需要によって供給が決まるんじゃないの?と考えたのが、マクロ経済学の父と言われるケインズだ。
 世界恐慌以前は各国は均衡財政政策をとっており、政府の支出は全て税金でまかなわれていた。つまり税収が落ちると政府の財源はそれだけなくなり、どうにもならなくなってしまう。そんな状態で世界恐慌が起きたわけで、社会はめちゃくちゃ。そこで、支出を切り詰めるしかなく、失業問題(失業は失業しちゃう労働者=自発的労働者のせいだと考えられていた。対義語は非自発的失業者で働きたくても働けない人)に何も手を打てなかった政府に、赤字国債を発行して、借金でとりあえず需要を増やそうよ、アドバイスをしたのがケインズなのだ。
 彼の考え方は修正資本主義とも言われ、その業績は数え切れない。ケインズは、第一次世界大戦のパリ講和会議にも参加、敗戦国ドイツの処分があまりにも無慈悲(GDPの三倍の賠償金なんかドイツは払えねえ)だということで警告を発したが、ロイド・ジョージ首相には聞き入れてもらえなかった。結局、このベルサイユ体制は第二次世界大戦の勃発という最悪の結果で崩壊するが、皮肉にも戦争でもGDPや需要は増えるし失業もなくなるよ、というケインズの理論が証明されることになった(ヒトラーのアウトバーン建造もそれ)。
 第二次世界大戦では、ケインズが唱えた政府による経済介入をルーズベルト大統領がニューディール政策として実施し、社会保障が先進国で充実するようになった。
 ケインズは企業の投資行動を、将来への希望とアニマルスピリットで説明。投資(需要)は、現在の金利よりも、今後の経済の先行きが重要なんじゃないか、と考え、いくら金利を下げても有効需要(実際に供給でまかなえる需要のこと)が増えないという、金融政策が意味をなさない状態を流動性の罠と名付けた。
 似たような話で、リカード仮説(減税政策はどうせ一時的なんじゃないの?と国民が判断することで、貯蓄が消費に回らないという仮説)というのもある。

20世紀後半~現代:どうする財政赤字

フリードリヒ・ハイエク(オーストリア学派)
 ケインズの最大の問題点は財政赤字が雪だるま式に大きくなってしまうということだ。ケインズの予想では、政府は財政が黒字に転化したら、赤字国債を国民に返済するはずだったのだが、政治家も人間。踏み倒すのが人情とばかりに、将来世代にツケを残してしまった。オレそんときには死んじゃってるもんね~みたいな。
 アメリカではケインズの考え方で60年代あたり(ケネディ大統領あたり)まで黄金時代を築いていたが、カーター大統領になると、歯止めが効かない需要とインフレが深刻になり、いい加減この方法ヤバイんじゃないかってなり、最悪のスタグフレーションになってしまう。ホワイトハウスの生中継で、ちょっと無駄遣い何とかしてくれない?と国民に呼びかけたが、次の選挙で企業の広告塔として活躍した俳優、ロナルド・レーガンが大統領に当選し、新古典学派、マネタリズムが巻き返すことになる。
 つまりケインズの方法の副作用が顕在化してきたのだ。このケインズの論敵だったのがハイエクだ。ハイエクはケインズが考えた累進課税制度を批判。フラット税制を支持。リアルな世界は人間の想像以上に複雑で単純な数式で表せるものではないと、警鐘を鳴らした。
 金融機関の需給バランスで決まる貨幣利子率が、投資と貯蓄を均衡させる自然利子率を下回る場合、投資が超過しバブルが発生、そのあと需要(投資)に生産が追いつかず反動で弾けてしまうと考えた。
 よって、市場に政府は極力介入せずに、通貨供給量の安定に専念するべきだというリバタリアニズムが広まっていくことになった。ただ後のフリードマンほど、なんでも自由でOKというわけではなく、銃火器みたいな危ないものは社会が規制したほうがいいと考えていた。
 つまり、人間の理性や合理主義をそこまで信じてはおらず、頭がいくらいいヤツでも限界はある、だったら市場の当事者に任せた方が一番いいんじゃないか、という消去法で市場の自由(規制緩和)を主張したのだ。この考えはマルクスを殺したとも言われ、イギリスのサッチャー(や多分安倍さん)などに大いに影響を与えることになる。

ヨーゼフ・シュンペーター(オーストリア学派)
 進化論で「赤の女王仮説」というものがある。生物は絶えず進化していかないと生存競争で負けて淘汰されてしまう。つまり自然界とはいわば、ランニングマシーンであり、同じ位置にとどまるためには常に走り続けなくてはならない。これと同じことを国家財政において論じたのが、経済成長理論の提唱者シュンペーターだ。
 つまり古典的な見方では市場の均衡は富の最適配分状態であると考えるが、シュンペーターによればそれは宇宙の熱的死と一緒で、なんの利益ももたらさない停滞状態にほかならない。だからこそ企業は常にイノベーションによって破壊と創造を繰り返す必要がある。
 この技術革新の重要性(内生的成長理論)は現在の経済学でとりわけ重要視されているものである。なぜならば、現在の先進国では資本がいくら投入されてもGDPは伸び悩んでしまうのだ。こうなると、どう考えても高度経済成長期のようなGDPの飛躍は望めない。その原因の半分以上が、実は技術革新が頭打ちになっていることだと考えられている(ソーローモデル)。
 オバマ大統領はこれを受けて、グリーンニューディール政策を試みたが、その結果は芳しくない。池上彰さんによれば、エコビジネスはまだ市場が小さく、そのため雇用が生み出せないでいると指摘している。中長期的には意味があるのだが、短期的な効果は出にくいのだ(技術開発はとにかく固定費用が高い)。
 また、経済が停滞してしまった先進国は、優秀な人材を開拓の余地がある(パレート非効率状態)の開発途上国に送ったほうが最終的にはいいんじゃないか、そしてマルクスの考え方って実は案外正しくて、資本主義があまりにエスカレートするとやっぱり社会主義に移っちゃうよ、など様々な提言をした。

政治学覚え書き①(政策争点)

 経済学は、ここで割とまとめていたけれど、政治学の方はさっぱりだったんで、ついに待望の覚え書き。ケインズVSハイエクに爆笑している場合じゃない!もはや戦後ではない!

政策対立軸
右とか左とか、保守とか革新とか言うけれど、その判断基準になるようなもの。日本では1950~80年代(戦後の自民党政権)までは、保守、革新(進歩)の基準となった争点は以下の4つ。

①憲法改正問題:もともと自民党はこれをするために結成されたらしい

②防衛問題:日本特有で、欧米では争点にすらなっていない。だって自分の国の防衛を自分たちでするのは当たり前でしょ?みたいな。

③天皇制:GHQが残してくれた。

④労働者のストライキ:とはいえ日本の労働組合は、欧米のような超企業的組織(ようは職種ごとに組合ができているってやつ)ではなく、同一企業の労働者だけで構成されている特徴がある(帰属意識が強い企業内組合)。

新しい争点
環境問題、既成政党批判(政治をプロからアマチュア=市民に!)、小さな政府か大きな政府か(93年の政界再編においてさらに取りざたされるように)、外国人労働者の排除、夫婦別姓問題、特定秘密保護法などの社会的規制に関わる問題。

ちなみに、リバタリアニズムの中核をなす考え方を自由放任主義(レッセフェール)という。

右か左か?
(左)共産党<民主党(中道?)>自民党(右)

冷戦時代は左が社会主義、右が資本主義だった。ただ冷戦終結後この分類はあまり意味をなさない。そもそもフランス革命の頃になると、また事情は違う。右:ジロンド党、左:ジャコバン派。
さらに、これは保守、革新と必ずしも一致しない。つーかややこしい。ねじれがひどい。

政治イデオロギーの現在
現在は政治的統制、経済的統制、文化・社会的統制といった複数の尺度で、政治イデオロギーを分類する。
x軸を経済的統制、y軸を政治的統制にして座標を書くと・・・
第一象限(政治的統制:強、経済的統制:弱)・・・伝統的保守、新保守、保守主義志向
第二象限(政治的統制:強、経済的統制:強)・・・社会主義
第三象限(政治的統制:弱、経済的統制:強)・・・社会民主主義、革新主義志向
第四象限(政治的統制:弱、経済的統制:弱)・・・リバタリアニズム、無政府主義

ダウンズの空間競争モデル
正規分布の中心の多数派である中位投票者を取り込むような政策を打ち出した政党(中道政党)が選挙に勝つという理論。

コンドルセの投票のパラドクス
空間競争モデルを踏まえて、政策対立軸が3つ以上ある場合、どの政党が最も望ましいかが判断できなくなってしまうこと(アローが一般可能性定理として証明)。
A党は環境政策、B党は安全保障、C党は政府規模と争点がバラけると多数決で判断できない。
そう言う意味で小泉さんは、郵政解散といい、原発都知事選といい、単一の争点(シングルイシュー)に絞り込ませることで選挙戦を単純化し、小泉劇場にしちゃう。つええ。

税制問題
①人頭税
中国史で出てくるやつ。金持ちも貧乏人も同額の税金を納める。納税額×人の頭の数ぶんだけ徴収できる。もちろん貧乏人の方が厳しい。これを逆進性という。

②フラット税制
比例税とも言う。ケインズVSハイエクのハイエク氏も支持。どんな人も決まった税率を納税する。例えばどんな人も年収の20%を納税みたいな。

③累進税制
日本でお馴染みの累進課税。金持ちなほど、税率が高くなる。富の再分配の機能、いわゆるビルトイン・スタビライザーの一種。
ケインズVSハイエクのケインズが支持・・・つーか考えた。あいつマジ天才。

レントシーキング
企業が自分の商売に都合がいいように、政府に働きかける活動のこと。ブッシュ政権ではゴールドマンサックス、レーガン政権ではメリルリンチみたいな。
レントとは、政府が規制をすることによって発生する利潤のことで、規制緩和が起きるとその利権が大きかったことがわかる。規制されていたことで、質の悪いお店や企業が守られていたということ。保護政策が必ずしも、ビジネスを発展させないという話。
シカゴ学派の重鎮、ノーベル経済学賞のスティグラーは、この状態を批判した。

社会契約説
取り沙汰されたのは18世紀。
個人の合意によって国家が形成されるべきだという、おなじみの説。
つまり国家や政府は、各個人の自由な判断によって人工的に作られたという暗黙の了解がある。
ロックは自然権の中でもとりわけ私有財産に対する不可侵の権利を主張。
命や肉体が自分のものならば、それを使って獲得した財産も自分のものでしょうという。共産主義なんて知らん!

信仰・思想・表現の自由
16~17世紀にかけて繰り広げられた宗教戦争の泥沼から、いい加減、自分と異なる価値観を認めてやらないとオレ達全滅だって気づいて作られる。寛容の原則の確認がポイントだが、あんたら本当に聖書読んだんかっていう強い思いが私の中でこみ上げてきます。
スピノザ、ロック、ヴォルテールなどが啓蒙したことで有名。
それは国家の中立性にも影響を与えていく。

権力分立
18世紀のモンテスキューがパイオニア・・・と思ってたら、別の本ではロックがパイオニアって書いてある!!
人間っていうのはポストに味をしめると際限なく権力を求めてしまうというニヒルな人間観に基づき、単一の権力だと何をしでかすかわからないので、権力を分立させることを提案した。抑制と均衡のメカニズム。
立法、行政、司法だけでなく、上院と下院、中央と地方、派閥と政党と圧力団体といった具合に用いられる。
ロックの権力分立:君主に執行権と外交権を残し、立法権は議会にあるとした。

バーリンの消極&積極的自由
①消極的自由
誰からも干渉されていない状態を指す。
バーリンは福祉国家もこの消極的自由を侵害するとして否定(小さな政府論)。
②積極的自由
セルフエスティームのこと。カントの自由、自律(定言命法)はこっち。
バーリンはこちらの考え方が行き過ぎることを懸念。パターナリズムや全体主義が起きちゃうからだ。

自由主義の3類型
古典的自由主義
すべての個人に国家や宗教組織からの強制からの自由を与えるという考え方で、これは個人が自分の好き勝手に振舞うことを保障するのではなく、政治的な自由を問題にしている。
古典的自由主義における社会的共存に必要なルールは、生命と私的所有の保障、信仰、思想、表現の自由、権力多元性の確立(権力分立)である。
古典的自由主義の考え方は、20世紀に入ると消極的自由(他者からの干渉を受けない自由)の他に積極的自由(自律、自己支配としての自由。セルフエスティーム)という新たな問題が発生し議論は哲学的に複雑化することになる。

福祉国家型自由主義
福祉国家型自由主義とは、富の再分配、教育、社会保障といった政府の介入が、最終的に個々人の自由を保障するという考え方であり、福祉政策は経済にとって望ましい効果を持つと論じたケインズやアメリカのリベラル派がこれにあたる。

リバタリアニズム
リバタリアニズムは、福祉国家型自由主義を批判するかたちで現れたもので、政府の介入は最小限にするべきという夜警国家(安価な政府)的な考え方であり、古くはアダム・スミスなどの古典学派、またハイエクやノージックなどがあたる。つまりかつての社会主義のように不平等の是正が時に個人の自由に著しい侵害(モラルハザードなど)をもたらすと警告する。
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