3.「第3章 知覚と想像力」要約
第3章では、表現における主体と客体の問題について触れている。主体とは感覚を備えた人間であるということは言うまでもないが、興味深いのはリードが客体を主体から離れて外部にあるものとしながらも、心(主体)に備わったものの一部であるかもしれないと定義している点である。リードは「私たちは、孤立した客体と、人格を持たない鏡のような心しか存在しないような真空状態に生きているわけではない」(1)とし、主体は受動的なだけではなく能動的な感受性を持つと述べている。さらにリードは、知覚や感覚によって引き起こされる精神の反応、この一連の過程は美的なパターンを有するとしている。
イメージについてリードは一つの客観的現象と定義し、イメージを記憶によるもの、赤いものを数十秒見た後で、中間色の背景を見ると補色の緑が見えると言った生理的残像、鮮明な視覚イメージを記憶する直観像、夢の4つに分類している。直観像記憶についてリードは、直観像記憶があったと思われる詩人のシェリ-、モチーフを見ながら絵を描くのではなく、その形態の特徴や構造を心の中に記憶して描くべきだというホガースの絵画技術のトレーニング法、時に直観像記憶を自由にコントロールできたというウィリアム・ブレイクなどの例を挙げ、作家のイメージについて考察している。
ここでリードは教育における二つの重要な問題を挙げている。ひとつは教育的発達に対する視覚的イメージの関連性であり、もうひとつは「感覚主義」と、知性や理性を重視する「主知主義」の相対的価値の模索である。リードは思考に対するイメージの関連に対して、いくつかの研究者の主張を挙げている。
エイヴリングは、イメージは思考の連想、あるいは図解として関連している可能性があるとし、リードはそれらの主張をふまえて、イメージとは思考の視覚的援助であるとともに、抽象的思考の大部分にも関係していると結論付けている。つまり想像と思考という、独自性の強い二つの精神活動のどちらにもイメージが影響を与えているということなのである。
第3章の後半に入ると、リードは本格的に教育を議論の対象に持ってくる。まずイエンシュの「子どもの人格構造に最も近いものは論理学者ではなく芸術家の精神構造である」という主張を引用し、どのようにすれば芸術の教育が学校教育において重要な役割を担えるか考察を始めている。ゲシュタルト心理学では、人間は物事をパターン化することで認識するという。この事実は、美的な基準が人間の精神活動において大きな役割を果たしていることを示唆しており、それは学習や経験の基礎的要因なのであると論じている。
このような美的基準をふまえた芸術を基礎とする教育方法の実践例として、リードは、リトミックのダルクローズを挙げている。そして主知主義のみに基づく教育では、子どもは創造的活動や感覚を楽しむことができなくなるとし、抽象概念を早期に発達させようと強制する教育は自然に反すると結論付けている。リードが考える芸術教育の目的とは、人とその精神活動の有機的な全体性を保持することであり、それは、イメージと概念、感覚と思考、さらに自然法則に関する知識と、自然に調和する習慣や行動さえも子どもたちに身につけさせることができるのである。
注
1.ハーバート・リード著 宮脇理 岩崎清 直江俊雄訳『芸術による教育』(フィルムアート社2001年)「第3章 知覚と想像力」58ページ
『芸術による教育』の要約②
2010-02-25 01:09:57 (16 years ago)
「第2章 芸術の定義」要約
第1章においてリードは、芸術教育における「教育」の部分を定義したのに対し、この章では「芸術」について基本的な定義を行なっている。
リードは芸術の定義を、科学の領域から客観的に行なうとし、美を定義する上で重要な要素である形について、自然界に見られる形態には美的な秩序構造(数学的規則)があることを指摘している。リードによれば、自然とは人間の個人的特性の外部にある美の基準であり、自然と芸術の関係について、自然の形の内部構造についての無意識直観的な模倣であること、また自然の形の内部構造に由来する規則を十分理解していることという二つの点を挙げている。つまり模倣する対象(自然)の構造の理解が重要であり、それが人工的な芸術作品にしろ、自然物にしろ、美しい形とは収斂されるのだという。
次にリードは色彩について、形の表面的な要素であるものの、感覚に大きな影響を与えるものであるとしている。色彩は「赤は怒りのイメージ」というように人間の無意識的な心理作用として働き、また色彩の視覚的特性を活かし、複数の色の調和によって、平面に三次元の形を暗示することができることも挙げている(色価)。
芸術における色や形とは、そのものの物質的性質を強調し、またこれらを対比し組み合わせることで生まれるバランス、リズム、シンメトリーによってイメージや状態を暗示することを構成と定義している。
三つ目にリードが取り上げるのは、科学的な芸術観ではなく、主観的な側面、鑑賞者の重要性である。リードは鑑賞者による感情移入を、鑑賞者が自分の主観的感情を芸術作品に投影するのではなく、鑑賞者が芸術作品の中に感情の要素を発見し、その気持ちを作品の要素と同一化することだと定義している。
また、主観的気質の心理学的類型に基づき、美的活動も四つに区別することができるとリードは論じ、全ての人間が従うべき唯一の芸術の類型はなく、人間の数だけ芸術も存在するとしている。
1.思考的美的活動・・・写実主義など。客観的対象の正確な描写をする
2.感情的美的活動・・・理想主義など。視覚イメージを駆使した一つの独立した現実を作り出す。
3.感覚的美的活動・・・表現主義など。感覚や経験を近くした時の反応を造形化する。
4.直感的美的活動・・・抽象的様式。個人の主観的要素をすべて排除し、空間、量、色彩、音などの純粋な形式に対する美的な回答を求める。
しかしこのような芸術の主観的側面は個人の気質によるものだけなのか、という問いに対し、リードは芸術における主観的側面すべてに共通した要素である想像力の存在を挙げている。想像力とは、気質に基づく多様な主観的側面と、一定不変な客観的な美の法則とを調和する働きを持つとし、その上で自然の秩序構造を超えて、自分の感覚や感情を反映した独自の世界を創造しようとする自由意思の存在があると論じている。
さらにリードは芸術の魅力は、無意識の精神レベルから引き出された原初的なイメージがその作品の中に存在していることによるとし、これは第6章の伏線となっている。
この章の結論として、芸術には形と創作の二つの原理があり、形の原理とは客観的側面であり、知覚の働きによるものであり、創作の原理とは、想像力の働きによるもので、主に主観的であるが、形の原理によって普遍的で客観的な存在をあてはめることもできるとしている。また社会的側面と言った他の要素の存在も示唆している。リード曰く自然によって生み出された生命そのものは根源的に美的であり、美的かどうかの判断は具体的か超越的かではなく、規則性があるかどうかであると述べている。
第1章においてリードは、芸術教育における「教育」の部分を定義したのに対し、この章では「芸術」について基本的な定義を行なっている。
リードは芸術の定義を、科学の領域から客観的に行なうとし、美を定義する上で重要な要素である形について、自然界に見られる形態には美的な秩序構造(数学的規則)があることを指摘している。リードによれば、自然とは人間の個人的特性の外部にある美の基準であり、自然と芸術の関係について、自然の形の内部構造についての無意識直観的な模倣であること、また自然の形の内部構造に由来する規則を十分理解していることという二つの点を挙げている。つまり模倣する対象(自然)の構造の理解が重要であり、それが人工的な芸術作品にしろ、自然物にしろ、美しい形とは収斂されるのだという。
次にリードは色彩について、形の表面的な要素であるものの、感覚に大きな影響を与えるものであるとしている。色彩は「赤は怒りのイメージ」というように人間の無意識的な心理作用として働き、また色彩の視覚的特性を活かし、複数の色の調和によって、平面に三次元の形を暗示することができることも挙げている(色価)。
芸術における色や形とは、そのものの物質的性質を強調し、またこれらを対比し組み合わせることで生まれるバランス、リズム、シンメトリーによってイメージや状態を暗示することを構成と定義している。
三つ目にリードが取り上げるのは、科学的な芸術観ではなく、主観的な側面、鑑賞者の重要性である。リードは鑑賞者による感情移入を、鑑賞者が自分の主観的感情を芸術作品に投影するのではなく、鑑賞者が芸術作品の中に感情の要素を発見し、その気持ちを作品の要素と同一化することだと定義している。
また、主観的気質の心理学的類型に基づき、美的活動も四つに区別することができるとリードは論じ、全ての人間が従うべき唯一の芸術の類型はなく、人間の数だけ芸術も存在するとしている。
1.思考的美的活動・・・写実主義など。客観的対象の正確な描写をする
2.感情的美的活動・・・理想主義など。視覚イメージを駆使した一つの独立した現実を作り出す。
3.感覚的美的活動・・・表現主義など。感覚や経験を近くした時の反応を造形化する。
4.直感的美的活動・・・抽象的様式。個人の主観的要素をすべて排除し、空間、量、色彩、音などの純粋な形式に対する美的な回答を求める。
しかしこのような芸術の主観的側面は個人の気質によるものだけなのか、という問いに対し、リードは芸術における主観的側面すべてに共通した要素である想像力の存在を挙げている。想像力とは、気質に基づく多様な主観的側面と、一定不変な客観的な美の法則とを調和する働きを持つとし、その上で自然の秩序構造を超えて、自分の感覚や感情を反映した独自の世界を創造しようとする自由意思の存在があると論じている。
さらにリードは芸術の魅力は、無意識の精神レベルから引き出された原初的なイメージがその作品の中に存在していることによるとし、これは第6章の伏線となっている。
この章の結論として、芸術には形と創作の二つの原理があり、形の原理とは客観的側面であり、知覚の働きによるものであり、創作の原理とは、想像力の働きによるもので、主に主観的であるが、形の原理によって普遍的で客観的な存在をあてはめることもできるとしている。また社会的側面と言った他の要素の存在も示唆している。リード曰く自然によって生み出された生命そのものは根源的に美的であり、美的かどうかの判断は具体的か超越的かではなく、規則性があるかどうかであると述べている。
『芸術による教育』の要約①
2010-02-24 23:23:24 (16 years ago)
この前の件でワードの保存機能を信用しなくなったので、ここにちょっとストックを置きます。
「第1章 教育の目的」要約
この章は、リードが本書で論じる芸術教育の概要を説明するとともに、そもそも教育とはどういうものなのか定義づけを行なっている。
リードは「芸術を教育の基礎とすべきである」というプラトンの主張を、議論の出発点としている。教育には相反する二つの考え方があり、ひとつは子どもの生まれながらの潜在能力を社会は許容し、それを発展させること。もうひとつは、その子どもが属する社会が求める理想の人格に順応させるということである。これは二つの社会概念から導き出されている。ひとつは複数の「個人」からなるもので、これは前者の教育的立場を取り、教育は特殊な個体の成長を励ます。もうひとつは「大衆」の集まりからなるもので、教育は奇抜なものを排除し、画一化された集団を生産する、後者の立場を取る。
リードは、教育とは前者の「個別化」と、後者の「統合(個人の独自性が社会的に調和すること)」の過程であるとし、それを実現できるのは、民主主義的な社会と、あらゆる自己表現を内包する芸術教育だと論じている。
リードによれば、個性を伸ばすことと社会への適応は矛盾しない。その下支えになるものが美的な感受性の育成と、ユングの心理学であり、子どもの心理類型をふまえ、個々にあった教育を行なうことが重要なのである。子どもによって異なる気質や心理類型、そしてそれをふまえた教育ついては第4、5、6、7章で詳しく論じられており、本書の中核をなしていることが解る。
リードは芸術教育(本章では美的教育)はあらゆる自己表現を含むとし、ユングの四つの心理類型に基づきそれらを以下のように分類している。
1感覚に対応する教育・・・デザイン
2直観に対応する教育・・・音楽、ダンス
3感情に対応する教育・・・詩、演劇
4志向に対応する教育・・・工芸
リードの主張は、教育とは表現の形式を養うことであり、美的教育こそ、社会に適応した情緒豊かな人間を育成するというものである。
「第1章 教育の目的」要約
この章は、リードが本書で論じる芸術教育の概要を説明するとともに、そもそも教育とはどういうものなのか定義づけを行なっている。
リードは「芸術を教育の基礎とすべきである」というプラトンの主張を、議論の出発点としている。教育には相反する二つの考え方があり、ひとつは子どもの生まれながらの潜在能力を社会は許容し、それを発展させること。もうひとつは、その子どもが属する社会が求める理想の人格に順応させるということである。これは二つの社会概念から導き出されている。ひとつは複数の「個人」からなるもので、これは前者の教育的立場を取り、教育は特殊な個体の成長を励ます。もうひとつは「大衆」の集まりからなるもので、教育は奇抜なものを排除し、画一化された集団を生産する、後者の立場を取る。
リードは、教育とは前者の「個別化」と、後者の「統合(個人の独自性が社会的に調和すること)」の過程であるとし、それを実現できるのは、民主主義的な社会と、あらゆる自己表現を内包する芸術教育だと論じている。
リードによれば、個性を伸ばすことと社会への適応は矛盾しない。その下支えになるものが美的な感受性の育成と、ユングの心理学であり、子どもの心理類型をふまえ、個々にあった教育を行なうことが重要なのである。子どもによって異なる気質や心理類型、そしてそれをふまえた教育ついては第4、5、6、7章で詳しく論じられており、本書の中核をなしていることが解る。
リードは芸術教育(本章では美的教育)はあらゆる自己表現を含むとし、ユングの四つの心理類型に基づきそれらを以下のように分類している。
1感覚に対応する教育・・・デザイン
2直観に対応する教育・・・音楽、ダンス
3感情に対応する教育・・・詩、演劇
4志向に対応する教育・・・工芸
リードの主張は、教育とは表現の形式を養うことであり、美的教育こそ、社会に適応した情緒豊かな人間を育成するというものである。
論文を書いて
2010-02-24 16:43:15 (16 years ago)
ハーバート・リードの『芸術による教育』について振り返ります。
学校の教育のカリキュラムにおいて美術の時間が削減されているという客観的な事実は、美術教育が少なからず軽視されていることを物語っていると考えて間違いないだろう。私は美術教育が現在何故軽視されているのか、そしてそのような風潮を打破する美術教育の必要性について大変興味があり、その答えの一助としてリードの『芸術による教育』の研究を行った。『芸術による教育』は示唆にあふれた魅力的な書であったが、この要約を通じて感じたこと、そして残された課題などを記して結びに変えたいと思う。
1.隠れたカリキュラム
そもそも教育とは何なのだろうか。私は教育の基本的な内容とは、自分と社会との関わり方を学ぶことであると考えている。そして人間が社会的な動物である以上、教育は呼吸や睡眠と同じく人間にとって必要不可欠なものである。
しかし教育が必要不可欠であっても、現在の学校教育を全肯定することはできない。教育は必要であるが、子どもにどのような教育を施すかは別の問題である。場合によっては不必要な干渉や抑圧を子どもに強いている可能性は大いにあるだろう。
学校教育の最も危険な点は、最終的な目標が人格陶冶に収斂されている事である。学校教育は基本的に、様々な子どもに対して普遍的に行われていることから、あるべき理想の人格を画一的に押し広める可能性がある。そのためリードが強調したように、子どもの気質をふまえなければならない。
しかし私の主観ではあるものの、現在の一般的な学校教育は、個々の子どもの気質をふまえるのではなく、そのような微妙な問題、具体的な人格陶冶そのものから距離を置き、客観的な知識を主に教えているように思える。学術的な知識を教える分には子どもの心には直接的に踏み込まない。
その結果、学歴社会への適応を子どもたちは隠れたカリキュラムとして課されるようになったと私は思う。子どもの心に踏み込まない知識理解を優先する客観中立な教育、学習法も、最終的には子どもの心に多かれ少なかれ影響を与えてしまっていることは間違いない。
結論から言って私は、現在の学校教育において高校までで学習する知識の量は膨大かつ多岐にわたり、個性がある以上、人によってはある程度取捨選択する余地はあると考える。そして美術教育が、知識理解を主とする教科に比べて必要性が劣るということはない。
結局ここで言われている必要性とは、受験に使えるかどうかであり、数学が受験科目でなくなったら授業時数が削減される可能性も否定はできない。
とはいえこうなると、教育の必要性とは受験に使えるかどうかということになってしまう。学歴社会である以上、現在の教育は、学歴社会に適応した子どもを生産しているシステムであるとも言えるが、本来の目的とはあくまでも豊かな人間性を育む事である。
2.人格陶冶の解答としての芸術教育
豊かな人間性を自分なりに解釈すれば、これは自分が自分らしく生き、それぞれがそれぞれの人生を楽しむことができるようにすることを目標にしているのだと思う。となれば、やはり教育は具体的に子どもの人格に向かい合わなければならない。
しかしそこにはかつての全体主義に陥る危険性がある。そのため画一的な人格教育は批判されなければならない。ではどのような手段があるのか。その答えの一つこそリードが提示した美的な「芸術教育」なのだと思う。
この教育は決して「美術の教科教育」ではない。ここは誤解される点だと思う。リードの芸術教育とは、学校教育の“すべての”分野の基礎に芸術的観念を置くことであり、知識理解の教科も創造的に行なわれるということだ。
これは決して不可能なことではない。そもそも数学や自然科学は、自然の奥に隠された美しい普遍性を探求する学問であり、数学でも素晴らしい解法は美しいと形容され、黄金比などを考えればわかるように美術と密接な関わりもある。数学の力とは公式をたくさん記憶することだけではなく、その使い方も重要である。国語にしろ基礎的な語彙を覚えるは大切だが、それを実践的に使いこなせなければ実用的ではない。
基礎なくして応用はないが、応用できなければ基礎の意味はない。その応用力とは、私は想像力だと思う。一般的にロジックを組み立てる時、理性だけを使っていると考えがちであるが、感性も併用し想像力を働かせている。
分かりやすい数学の解法にしろ国語の言語表現にしろ、解りやすいものは情報の取捨選択をしている。何かを伝える時、何が必要で何が不要かを想像力を働かせ、自分の感性に照らし合わせて行なっている。
人間は社会的な動物で、それは同時に人間は表現の動物であることを暗示している。社会を形成する上で他者とのコミュニケーション、自己表現は必須だからだ。その表現力の源泉が知性と感性が自然に統合された想像力で、それを養う教育がリードの提唱する芸術教育なのである。
3.美的と自然と言う言葉
以上が今回ハーバート・リードの『芸術による教育』を読解、要約して学んだことである。リードの芸術教育は魅了的であると共に課題もあることは第三章で論じた。そのアキレス腱が「自然な成長は美的である」という概念だろう。
芸術や美術を扱う上でどうにも避けて通れない問題が、美的かどうかの判断である。これは現在の学校における美術教育の評価の問題の原因にもなっている。それが美しいかどうかという判断は、個人の主観的側面が大きいため、突き詰めれば社会的調和ではなく個人の意見の対立を生む。自分の美的感覚を突き詰めた芸術家が、時に社会に適応できない変人とされることからも、美的な判断とは主観的で、語弊を恐れずに言うならばエゴである。この問題を上手く調停するのが深層心理学でいうならば超自我なのだろうが、私はこれを理性の役割なのではないかと考えている。美術教育における評価の問題、主観的な美的な感性における社会とのあるべき調和の仕方は今後の課題である。
リードは『芸術による教育』において、「民主的な教育の制度は、普通の人々、控え目な精神を持った庶民の為に計画されるのであって」、「超人の種族を作るために教育するのではありません」と述べている(1)。この言葉から、リードの芸術教育がプロの芸術家を育成するためのものではないということであることが読み取れるが、リードは同時に、「教育の目的とは、芸術家、すなわち、さまざまな方式による表現にすぐれた人々を創造すること」であるとも述べている(2)。これは矛盾ではなく、ここで言う芸術家とは、本来の語意よりももっと広い意味で用いた言葉なのである。それは表現する人全てを芸術家と指示していのだ。
人間が自分らしく社会で生きるためには、自己表現を学ぶ必要がある。美的な感覚や芸術を学ぶ理由は、豊かな人間関係を築くことである。自分の主張を、どこでどれだけすべきかはケースバイケースであり、そのフレキシブルな振る舞いを可能にする力こそ、感性と理性の自然な調和がもたらす想像力なのかもしれない。そう言った意味で、リードの芸術教育とは感性“だけ”を教育しない。リードは芸術と科学を区別しないのだ。リードの芸術教育は、知性も育む。知性と感性の統合こそ芸術による教育の目的なのである。
4.リードの芸術教育論が誤解されてきた理由
リードの芸術による教育とは、“美術教育ではない”ということだ。しかしそのタイトルから、美術の教育方法が書かれていると思われても仕方がない。本書は学校教育における美術の優位性や必要性を支持するものでは全くない。
基本的に美術を教える教員は、そもそも自身が美術が好きで職に就いている。この『芸術による教育』の読み手の多数を占めると思われる美術教育関係者が、同時に美術愛好者であることが、リードの芸術教育論が誤解されてきた原因の一つであると私は考える。
私は、学校教育において美術教育の有用性が見つけられなかったら、削減はおろか、削除されても仕方がないという前提で本書を読み進めた。美術が好きだと言うことが時に客観的な理解の桎梏になることもあり得るからだ。
そして繰り返しになるが、リードの芸術教育は、絵画や彫刻のような美術教育では全くないということが理解できた。彼の論考は美術と言う一教科に収まるようなスケールのものではなかったのだ。リードの芸術教育を自分なりに誤解の無いように要約するならば、「ユングの心理類型に基づいた子どもの個別性を尊重する、想像力を養う教育」なのである。美術教育は芸術教育の十分条件ではあるが、必要条件ではないのである。
想像力さえ育成するならば、全ての教科が芸術教育になりえる。そしてそれこそが教育の本質であると言うリードの主張は、学校教育において美術教育が置かれている現状を直接的に改善するものではないが、教育そのものに対する視野が広がったことは、私にとって貴重な経験だったと言える。
最後に『芸術による教育』を勧めてくださった指導教官新井哲夫教授には、本論文を作成するにあたって丁寧かつ熱心なご指導を賜りました。ここに感謝の意を表します。
注
1.ハーバート・リード著 宮脇理 岩崎清 直江俊雄訳『芸術による教育』(フィルムアート社2001年)「第10章 環境」344ページ
2.同上書「第1章 教育の目的」29ページ
学校の教育のカリキュラムにおいて美術の時間が削減されているという客観的な事実は、美術教育が少なからず軽視されていることを物語っていると考えて間違いないだろう。私は美術教育が現在何故軽視されているのか、そしてそのような風潮を打破する美術教育の必要性について大変興味があり、その答えの一助としてリードの『芸術による教育』の研究を行った。『芸術による教育』は示唆にあふれた魅力的な書であったが、この要約を通じて感じたこと、そして残された課題などを記して結びに変えたいと思う。
1.隠れたカリキュラム
そもそも教育とは何なのだろうか。私は教育の基本的な内容とは、自分と社会との関わり方を学ぶことであると考えている。そして人間が社会的な動物である以上、教育は呼吸や睡眠と同じく人間にとって必要不可欠なものである。
しかし教育が必要不可欠であっても、現在の学校教育を全肯定することはできない。教育は必要であるが、子どもにどのような教育を施すかは別の問題である。場合によっては不必要な干渉や抑圧を子どもに強いている可能性は大いにあるだろう。
学校教育の最も危険な点は、最終的な目標が人格陶冶に収斂されている事である。学校教育は基本的に、様々な子どもに対して普遍的に行われていることから、あるべき理想の人格を画一的に押し広める可能性がある。そのためリードが強調したように、子どもの気質をふまえなければならない。
しかし私の主観ではあるものの、現在の一般的な学校教育は、個々の子どもの気質をふまえるのではなく、そのような微妙な問題、具体的な人格陶冶そのものから距離を置き、客観的な知識を主に教えているように思える。学術的な知識を教える分には子どもの心には直接的に踏み込まない。
その結果、学歴社会への適応を子どもたちは隠れたカリキュラムとして課されるようになったと私は思う。子どもの心に踏み込まない知識理解を優先する客観中立な教育、学習法も、最終的には子どもの心に多かれ少なかれ影響を与えてしまっていることは間違いない。
結論から言って私は、現在の学校教育において高校までで学習する知識の量は膨大かつ多岐にわたり、個性がある以上、人によってはある程度取捨選択する余地はあると考える。そして美術教育が、知識理解を主とする教科に比べて必要性が劣るということはない。
結局ここで言われている必要性とは、受験に使えるかどうかであり、数学が受験科目でなくなったら授業時数が削減される可能性も否定はできない。
とはいえこうなると、教育の必要性とは受験に使えるかどうかということになってしまう。学歴社会である以上、現在の教育は、学歴社会に適応した子どもを生産しているシステムであるとも言えるが、本来の目的とはあくまでも豊かな人間性を育む事である。
2.人格陶冶の解答としての芸術教育
豊かな人間性を自分なりに解釈すれば、これは自分が自分らしく生き、それぞれがそれぞれの人生を楽しむことができるようにすることを目標にしているのだと思う。となれば、やはり教育は具体的に子どもの人格に向かい合わなければならない。
しかしそこにはかつての全体主義に陥る危険性がある。そのため画一的な人格教育は批判されなければならない。ではどのような手段があるのか。その答えの一つこそリードが提示した美的な「芸術教育」なのだと思う。
この教育は決して「美術の教科教育」ではない。ここは誤解される点だと思う。リードの芸術教育とは、学校教育の“すべての”分野の基礎に芸術的観念を置くことであり、知識理解の教科も創造的に行なわれるということだ。
これは決して不可能なことではない。そもそも数学や自然科学は、自然の奥に隠された美しい普遍性を探求する学問であり、数学でも素晴らしい解法は美しいと形容され、黄金比などを考えればわかるように美術と密接な関わりもある。数学の力とは公式をたくさん記憶することだけではなく、その使い方も重要である。国語にしろ基礎的な語彙を覚えるは大切だが、それを実践的に使いこなせなければ実用的ではない。
基礎なくして応用はないが、応用できなければ基礎の意味はない。その応用力とは、私は想像力だと思う。一般的にロジックを組み立てる時、理性だけを使っていると考えがちであるが、感性も併用し想像力を働かせている。
分かりやすい数学の解法にしろ国語の言語表現にしろ、解りやすいものは情報の取捨選択をしている。何かを伝える時、何が必要で何が不要かを想像力を働かせ、自分の感性に照らし合わせて行なっている。
人間は社会的な動物で、それは同時に人間は表現の動物であることを暗示している。社会を形成する上で他者とのコミュニケーション、自己表現は必須だからだ。その表現力の源泉が知性と感性が自然に統合された想像力で、それを養う教育がリードの提唱する芸術教育なのである。
3.美的と自然と言う言葉
以上が今回ハーバート・リードの『芸術による教育』を読解、要約して学んだことである。リードの芸術教育は魅了的であると共に課題もあることは第三章で論じた。そのアキレス腱が「自然な成長は美的である」という概念だろう。
芸術や美術を扱う上でどうにも避けて通れない問題が、美的かどうかの判断である。これは現在の学校における美術教育の評価の問題の原因にもなっている。それが美しいかどうかという判断は、個人の主観的側面が大きいため、突き詰めれば社会的調和ではなく個人の意見の対立を生む。自分の美的感覚を突き詰めた芸術家が、時に社会に適応できない変人とされることからも、美的な判断とは主観的で、語弊を恐れずに言うならばエゴである。この問題を上手く調停するのが深層心理学でいうならば超自我なのだろうが、私はこれを理性の役割なのではないかと考えている。美術教育における評価の問題、主観的な美的な感性における社会とのあるべき調和の仕方は今後の課題である。
リードは『芸術による教育』において、「民主的な教育の制度は、普通の人々、控え目な精神を持った庶民の為に計画されるのであって」、「超人の種族を作るために教育するのではありません」と述べている(1)。この言葉から、リードの芸術教育がプロの芸術家を育成するためのものではないということであることが読み取れるが、リードは同時に、「教育の目的とは、芸術家、すなわち、さまざまな方式による表現にすぐれた人々を創造すること」であるとも述べている(2)。これは矛盾ではなく、ここで言う芸術家とは、本来の語意よりももっと広い意味で用いた言葉なのである。それは表現する人全てを芸術家と指示していのだ。
人間が自分らしく社会で生きるためには、自己表現を学ぶ必要がある。美的な感覚や芸術を学ぶ理由は、豊かな人間関係を築くことである。自分の主張を、どこでどれだけすべきかはケースバイケースであり、そのフレキシブルな振る舞いを可能にする力こそ、感性と理性の自然な調和がもたらす想像力なのかもしれない。そう言った意味で、リードの芸術教育とは感性“だけ”を教育しない。リードは芸術と科学を区別しないのだ。リードの芸術教育は、知性も育む。知性と感性の統合こそ芸術による教育の目的なのである。
4.リードの芸術教育論が誤解されてきた理由
リードの芸術による教育とは、“美術教育ではない”ということだ。しかしそのタイトルから、美術の教育方法が書かれていると思われても仕方がない。本書は学校教育における美術の優位性や必要性を支持するものでは全くない。
基本的に美術を教える教員は、そもそも自身が美術が好きで職に就いている。この『芸術による教育』の読み手の多数を占めると思われる美術教育関係者が、同時に美術愛好者であることが、リードの芸術教育論が誤解されてきた原因の一つであると私は考える。
私は、学校教育において美術教育の有用性が見つけられなかったら、削減はおろか、削除されても仕方がないという前提で本書を読み進めた。美術が好きだと言うことが時に客観的な理解の桎梏になることもあり得るからだ。
そして繰り返しになるが、リードの芸術教育は、絵画や彫刻のような美術教育では全くないということが理解できた。彼の論考は美術と言う一教科に収まるようなスケールのものではなかったのだ。リードの芸術教育を自分なりに誤解の無いように要約するならば、「ユングの心理類型に基づいた子どもの個別性を尊重する、想像力を養う教育」なのである。美術教育は芸術教育の十分条件ではあるが、必要条件ではないのである。
想像力さえ育成するならば、全ての教科が芸術教育になりえる。そしてそれこそが教育の本質であると言うリードの主張は、学校教育において美術教育が置かれている現状を直接的に改善するものではないが、教育そのものに対する視野が広がったことは、私にとって貴重な経験だったと言える。
最後に『芸術による教育』を勧めてくださった指導教官新井哲夫教授には、本論文を作成するにあたって丁寧かつ熱心なご指導を賜りました。ここに感謝の意を表します。
注
1.ハーバート・リード著 宮脇理 岩崎清 直江俊雄訳『芸術による教育』(フィルムアート社2001年)「第10章 環境」344ページ
2.同上書「第1章 教育の目的」29ページ
デカルトについて
2010-02-23 01:41:00 (16 years ago)
この記事はdescf氏の疑問の解答です。でも私、哲学研究者じゃないので、大体しか分かりません。あしからず。
考えてみれば、世の中に確実なものなんてないって気付きます。そうやって「世界の全てを疑って、それでも疑いようのないものを見つけよう」と考えたのが、数学者のデカルトです。
このやり方を「方法的懐疑」って言って、「じゃあ自分の存在も幻で存在しないかもしれない」って、究極的にデカルトは疑うわけなんですけど、でもそうやって疑っている以上、疑っている自分の存在は、存在していないと疑えないことになるので、「じゃあ自分は存在してるんだな」って結論が「われ思うゆえにわれあり」という言葉です。
実を言うとデカルトの方法的懐疑とかの思想は、どっちかというと自然科学よりで、まあデカルトって科学者でもあるからなんですけど、以後の科学哲学や、「自己そのもの」の研究に大きな影響を与えています。
たとえば、量子力学や動物行動学のフィールド研究などで、今はやばい事態になっている「客観的再現性」という科学の考え方があるんですけど、大雑把に言うとこれは「実験や観察をしている研究者は、研究対象とは無関係な、客観的なものとして基本的に疑っちゃダメ」ってことなんですけど、これって「自分の存在は疑わない」デカルトの思想を受け継いでいると思います。
このように、主体(研究者)と客体(自然)を分けて考える哲学のやり方こそデカルトの哲学で、以後このラインで自然科学の研究や、自己を対象とする哲学(カントとか)が行われていきます。今は不確定性原理とかでくずれました。
デカルトには他にも「心身二元論」と言う功績もあるのですが、これはバイオロジーの第1回で触れているのでそちらをご覧ください。
考えてみれば、世の中に確実なものなんてないって気付きます。そうやって「世界の全てを疑って、それでも疑いようのないものを見つけよう」と考えたのが、数学者のデカルトです。
このやり方を「方法的懐疑」って言って、「じゃあ自分の存在も幻で存在しないかもしれない」って、究極的にデカルトは疑うわけなんですけど、でもそうやって疑っている以上、疑っている自分の存在は、存在していないと疑えないことになるので、「じゃあ自分は存在してるんだな」って結論が「われ思うゆえにわれあり」という言葉です。
実を言うとデカルトの方法的懐疑とかの思想は、どっちかというと自然科学よりで、まあデカルトって科学者でもあるからなんですけど、以後の科学哲学や、「自己そのもの」の研究に大きな影響を与えています。
たとえば、量子力学や動物行動学のフィールド研究などで、今はやばい事態になっている「客観的再現性」という科学の考え方があるんですけど、大雑把に言うとこれは「実験や観察をしている研究者は、研究対象とは無関係な、客観的なものとして基本的に疑っちゃダメ」ってことなんですけど、これって「自分の存在は疑わない」デカルトの思想を受け継いでいると思います。
このように、主体(研究者)と客体(自然)を分けて考える哲学のやり方こそデカルトの哲学で、以後このラインで自然科学の研究や、自己を対象とする哲学(カントとか)が行われていきます。今は不確定性原理とかでくずれました。
デカルトには他にも「心身二元論」と言う功績もあるのですが、これはバイオロジーの第1回で触れているのでそちらをご覧ください。
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